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カテゴリー: life

  • バンディプルの町並み

    バンディプルの町並み

    カトマンズからドゥムレーに到着した。バンディプル行きのバスはしばらくなかったので、タクシーで移動することにした。斜面を上っていくとともに、目の前に開けてくる緑豊かな山並みの様子が素晴らしい。

    町はずれのバスストップに到着し、宿に荷物を置いてから散歩に出る。伝統的なネワール建築のバクタプルとはまた違った良さの洋館風の町並み。ネパールと西洋の折衷建築の数々が面白い。こうした建物の多くが食堂や宿泊施設などとして現在は使用されている。

    もともと交易の中継地として栄えた町だが、プリトヴィー・ハイウェイ建設時にルートから外れてしまったため、寂れてしまい現在に至っているパンディプル。商取引で大いに栄えた時代の建物や屋敷などが多く残っており、この景観こそがこの町最大の宝である。

    こうした建物の保存と修復のための寄付の貢献をした人々を記念する塔や石碑の類いがいくつも見られる。洒落た館を多数残してくれた先人たちの功績もさることながら、こうした文化遺産の維持のために貴重な財源を寄附してくれている人々の意識の高さに負う部分もとても大きいことは言うまでもない。

    寄附等の貢献をした人々の名前を記した記念碑

    靴屋の軒先にて
    マオイストのプロパガンダ
    バンディプルの町からの眺望も素晴らしい。
    レストランが多いため、いろんな食事を楽しむことができる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 元大統領 プラナブ・ムカルジー逝去

    1935年に英領インドのベンガル管区に生まれた彼は、国民会議派政権で外務大臣、財務大臣、商工業大臣、国防大臣等の要職を務め、2012年から2017年まで大統領を務めた。党を越えて信頼を集めた大物。

    国民会議派の政治家(2012年に大統領就任に伴い国民会議派を離党)としては、もはや最後の「信条や政治的志向を問わず万人から別れを惜しまれる」人物かもしれない。

    広く尊敬を集めた彼であったが、最期は大往生というわけではなく、脳の血栓を取り除く手術を受けて成功したものの、容体が悪化して息を引き取った。手術前に新型コロナへの感染が確認されていたため、コロナ関連死ということになるのかもしれない。

    氏の葬儀については、コロナ感染下における通常の警戒のみならず、遺体についても新型コロナ感染者であったことから、厳重な対応を施したうえで執り行われるとのこと。

    ご冥福をお祈りします。

    Pranab Mukherjee: Former president of India dies after Covid diagnosis (BBC NEWS)

  • バンディプルへ

    バンディプルへ

    空調の効いた車内

    ポカラ方面行きの「マイクロ」に乗り、ドゥムレーで降りてバンディプルを訪問したのだが、こうしたバス移動がずいぶん快適になっていることに感心する。クッションは効いているし、リクライニングはないものの、背もたれに多少の傾斜は付いているし。昔々のオンボロバスと違って、これなら子連れ旅行も楽勝だ。

    2019年のネパールの定番ルートはずいぶん良くなっている。道路もとても良くなっていて・・・といっても、比較対象が1980年代後半の話なので、進化していて当然のことではあるのだが。

    当時、ポカラとカトマンズを結んでいた「ラグジャリーなバス」とやらがあった。たしか「スイスバス」と呼ばれていたもので、とても窓が大きくて眺望の良い車両だった。ただし道路が悪かったので、ポカラを早朝に出てカトマンズの夕方遅くに到着するような感じだったように記憶している。

    もっとも今は、この幹線道路が渋滞したりするので、複数車線化しなければ、移動速度は頭打ちかと思うが。この日も事故による渋滞がひどかった。

    マナカマナーのケーブルカー乗り場の前にニセ日本企業のMINISOが出店しているのでビックリした。中国企業だが、名目上の登記を東京で行っており、「日本企業」を名乗っているとはいえ、置いてあるモノは良い品が多いため、個人的にはかなり好感と信頼感を抱いている。

    MINISOの店舗

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • タンカ描きを見物

    タンカ描きを見物

    バクタプルからヴィシヌ神を祀ってあるチャングナラヤン寺院を訪問。ユネスコの世界遺産に登録されているだけあり、見事なものだ。境内にはブトワールから来た若者たちがいた。タライの人たちだけあって見た目はほとんどインド人。

    参道には、いくつものタンカ屋があり、店先で画いている。タンカの良し悪しはよくわからないのだが、絵師たちの仕事ぶりを見物するのは楽しい。

    1枚をひとりで仕上げるわけではなく、下絵を描く人、背景を彩色する人、意匠や図柄を書く人など、分業しているのも興味深い。

    丁寧に描きあげられるタンカ
    チャングナラヤン寺院からバクタプルへと降りる途中の眺め

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 馬の耳に念仏

    馬の耳に念仏

    「マハーバーラタ・カター・プラーン(古のマハーバーラタのお話」と書かれた赤いバナーがかかる入口をくぐってみる。

    こういう法話の類をヒンディー語で聞くのはけっこう好きなのだが、ネパール語はわからないので、まさに「馬の耳に念仏」である。

    ネパール語のわかる現地の人たちにとっては教養を深める良い機会であるが、境内に集まっているのは年配者ばかりというのは、いずこの国も同じ。

    しかしながら、今の若い人たちが将来歳取ってから、こういう説法に興味を持つようになるかといえば、そうではないはずなので、今後だんだん尻すぼみになっていくことは避けられないだろう。

    そうした「将来の年配者」たちにとっても、こういう法話が「馬の耳に念仏」ということにならないよう願いたいものだ。

    集まっているのは年配者ばかりの境内

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 新築のネワール建築風物件

    新築のネワール建築風物件

    世界遺産指定されているバクタプルに滞在して、伝統的な建築が豊かに残されている街並みを楽しんでいると、こうした新築のネワール建築風物件が、かしこに見られるのもまた面白い。

    バクタプルがユネスコの世界遺産登録されている関係上、建物の改築や新築等にはいろいろ条件が課されているところからくるのだろう。伝統建築とは違う工法や素材で建てられていても、ちゃんと周囲と調和する建物に仕上げてあるのが良い。こうした努力は街並み保存には不可欠だ。

    この薄型ビルもまたそんな中のひとつ。もう少し頑張ってほしかった気もしなくもないが、まあ及第点なのだろうか。これもまたネワール建築を模した今どきのネパールの建造物建築作業進行中。こうしたエクストラな仕様にかかる費用は、果たして行政から支出されているのかどうかは知らない。そうであったとして、原資には外国人が支払うバクタプル市街地入域料も貢献しているだろうか、それともこうした費用は住民の自己負担なのだろうか?

    ヘリテージ地域に踏み込むだけで、日本円にして約1,500円ってどうなのか?と、料金徴収されるときには思った(観光ヴィザと同様に10歳以下の子供は無料。)のだが、こういうのを見かけると、「いい仕事してますね」と、応援したくなったりもする。

    新築のネワール建築風物件

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 宿と犬

    宿と犬

    共用井戸のある中庭を囲む形で複数の建物が並んでいる。
    共用井戸では女性たちの井戸端会議が開かれる。

    バクタプルの宿であてがわれた部屋は、「本館」から少し離れたところにあるネワール式の長屋みたいな建物の中にある部屋。宿のオーナーが最近買い取っただか、借り上げただかで、客室に転用したそうだ。そんなわけで、あたかも地元の人の家の中の部屋を借りて滞在しているような感じなのは良い。

    その長屋の入口は道路から奥まったところにあり、昨日宿のスタッフの女性が案内してくれたとき、細い通路から二匹の犬たちが勢いよく飛び出してきて、びっくりした彼女は「ひぃー」と悲鳴を上げている。

    「あたし、犬が苦手なのー。」

    駆け出した犬たちは長屋風の建物の中庭部分に座り込んでいる。私も犬は苦手なので、果たしてここに泊まってよいのか?とちょっと迷うが、まあ吠えたり悪さしそうな感じではないので、まあ良しとしておいた。

    その後、近くで食事したり、傘を取りに戻ったりしたときに判ったのだが、彼ら2匹はいつも建物入口通路部分に寝そべっているのだが、住民たちからはよほど荒っぽく扱われているのか、私たちが通ろうとすると、「ハッ」という顔をして、いそいそと中庭に出て行くのだ。

    世の中の犬たちが、すべからくこういう具合であれば助かるのだが、決してそんなことはないのが頭の痛いところだ。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドにおける「バービー」の存在感

    しばらくインドに行けなくなっているのは残念なのだが、前回のインド滞在時にamazon.inのアカウントを作れば普通にkindle書籍を購入できること、日本に帰国してからも同様に買えることに気が付いたのは幸いであった。映画見放題のプライムについては、残念なことに「インド発行のクレジットカード以外は不可」のため、契約はできなかったが。

    そんなわけで、自宅からamazon.inの書籍を買うことがときどきある。電子版で定期購読している雑誌に出ている書評などで、「読んでみたい」と思ったら、すぐに買うことかできるのがありがたい。以前、日本でamazon.inのアカウントを作ったときには、買おうとポチると、即座にamazon.co.jpにリダイレクトされてしまうので、てっきり国外からは何も購入できないのかと思っていたが、「インドでアカウントを作成すればよい」ということにずいぶん長いこと気が付いていなかった。

    amazon.co.jpのkindleにて、インドの話題作がまったく見つからないわけではないが、取り扱いはとても少なく、価格も倍、3倍というようなケースも少なくない。

    だが不思議なことに、ごくたまにインドでよりも安い価格設定となっている場合もあるので、インドのアマゾンでポチる前に、一度日本のアマゾンでも確認してみたりすることがある。

    しかし日本のアマゾンで取り扱うインドのkindle書籍のバラエティには、ちょっと不思議な傾向があることに気が付くまで時間はかからなかった。

    たとえばヒンディー語の作品でどのような扱いがあるのか俯瞰してみようと、「hindi」と入れて絞り込みを「kindle」で検索してみると、なぜかエロ小説がずいぶん沢山引っかかってくるのだ。日本のアマゾンで誰が買うのか?そんな大勢の顧客がいるのか?

    試しにキーワード「bhabhi」で検索してみると、物凄い量のエッチな小説が出てくるではないか!?同じ作者による作品がいくつもあるので、このジャンルでの人気作家なのだろう。あと名前からして女流作家と思われる作者も散見されるが、これらもまたずいぶん過激なタイトルで書いていたりするため目が点になったりもする。

    この「バービー」とは、直接には「兄の嫁」を意味するが、少し年上のセクシーな女性を意味することも多く、素行の良くない男がニタニタ笑いながら性的な意味を含んで、女性をからかうような呼びかけにも使ったりする。

    インドの社会で兄嫁と義理の弟が不貞な関係になってしまうことが多いのかといえば、特にそういうわけではないと思う。ただし、今は少なくなったが大家族がひとつ屋根の下で暮らしていた時代では、外から家に入って生活する初めての血縁関係のない成熟した女性ということで、年頃の弟たちにとっては眩しく心ときめく存在であったことが背景にあることは想像に難くない。

    「バービー」ものもけっこうあることがわかったので、これもインド雑学研究の一環として、どんなものかと一冊ダウンロードしてみた。ありゃー。やっぱり物凄く汚い言葉か並んでいる。

    電車の中、タブレットでヒンディーの雑誌や新聞を読んでいると、インド人に「おう、これ読んでるんだ?」と声を掛けられることは珍しくはない。(こら、覗き込むな!)

    そんな場面で、どうせ周囲の人にはわからないだろうと、うっかり「バービー」ものを開いてしまったら、とてもとても恥ずかしいことになる。

    恥ずかしいといえば、ダウンロードして字面を追いかけていると、嫁さんが「何読んでるの?怪しい~」などと言うのでびっくり。ヒンディーの文字は読めないはずなのだが、女性の勘というのは実に鋭い。

    そう、バービーといえば、2000年代に入ってしばらく経ったあたりで、社会現象にさえなった「サヴィター・バービー」というのもあった。これは当初、「デーシュムク」と名乗り、本名も所在も不詳だった(後に英国在住のインド人であることが判明)作者による劇画タッチのポルノ漫画で、ネットで公開されたためインド全国で大ブームとなった。映画や動画、さらには他の作者による類似作品なども派生することとなった。

    サヴィターという名前の女性が主人公なのだが、バービーというのはもちろん苗字ではなく「義理の姉さん、姉さん」の意味であるが、やはり「バービー」というキーワードは、こうした存在にはぴったりマッチするというわけなのである。

    1990年代以降の経済改革、経済成長を背景に雪崩を打って変化を続けたインドだが、ちょうどこのあたりから携帯電話の普及もあり、男女関係のトレンドもそれ以前とはずいぶん大きく変わることとなった。「電話したらお父さんが出てガチャリと切られた」は過去の話となり、いつでもどこでも意中の異性と連絡できるようになったことが大きい。

    サヴィターの設定は上位カーストで富裕層のセクシーな30代前半くらい?ということになっているが、恋愛についてはとてもオープンで、インド社会の上から下まで、次から次へと、ありとあらゆるカーストや社会層の男たちがそのお相手となるというもの。あまりに露骨な表現と合わせて、本来ポルノが禁止されているインドで、また恋愛映画やドラマといえば、カーストや家柄を越えた出会いと喜び、そして悲しい離別がテーマとなることが多かった昔のインドからは想像もできない過激な展開は社会に大きな衝撃を与えた。

    インドで男女関係のトレンドが変わったことにより、どう見ても未婚の若いカップルが旅行を楽しんでいたり、結婚していながらも学生時代からの異性と関係が続いていたり、連れ込み目的のホテルが密集しているポッシユなエリアが普通にあったりなど隔世の感があるインド。「インターカースト」結婚はずいぶん多くなったし、ヒンドゥーとムスリムの結婚も、家庭や社会環境にもよるが、珍しいことではない。また、こういう社会の変化を背景ニサニー・レオーネというインド系の米国ポルノ女優がインドのテレビ番組に出演、そしてボリウッド映画にも立て続けに出演して人気を博すなど、本人がインド系とはいえ米国人であるという例外的な部分があったとはいえ、少なくとも90年代あたりまでであれば考えられなかったことだ。

    それでも変わらず厳しいタブーとして残っているものもある。「同じゴートラ」での交際や結婚だ。インド全土で同様に厳しいのか、地域によっては同じゴートラ同士での結婚も当たり前に受け入れられているケースがあるのかどうかは知らないが、インド北西部を中心に「同じゴートラ」で駆け落ちした男女を親兄弟が刺客を送って殺害する、兄や叔父が直接手を下して殺すといった事件は後を絶たない。

    ゴートラは観念上、同じ始祖から発生した広義の身内であるとされ、同じゴートラの男女は兄と妹ないしは姉と弟と解釈されるため、そのふたりが男女関係となることは許されず、そのような事例が発生すると、一族の大恥ということになり、殺害されてしまうのだ。これを「名誉殺人」と呼び、とりわけハリヤーナーやパンジャーブなどでは、「カープ」と呼ばれる氏族、さらには枝分かれした氏族からなる組織があるが、このようなケースが生じた場合、「カープ」の寄り合いで殺害を決めて役割を分担して実行してしまうようなケースさえあり、闇は深いといえる。

    そうした事件についてニュース番組で報じられると、画面に出てくるのは水路や農村の広がる片田舎の眺めではなく、普通のモダンな新興住宅地にしか見えなかったり(農村の都市化という背景もある)するなど、中世さながらの行動と今ふうの環境のギャップに腰を抜かしそうになることもある。

  • カトマンズ・バクタプル間を結ぶトロリーバス

    カトマンズからバクタプルまで中国の援助で建設されたトロリーバスが運行されていたことを思い出した。

    カトマンズのカンティ・パトを南下してトリプラー・マールグと交差するあたりから出て、バクタプルの南側、道幅が拡張される前で細い道に過ぎなかったアルニコー・ハイウェイ沿いのスーリヤー・ビナクまでを結んでいた。都市化が進んだ現在と違い、カトマンズとバクタプル間の道路の左右に田園風景が広がっていたことを記憶している。

    2001年末にカトマンズからバクタプルまでを結ぶ運行は終了。2003年からは、カトマンズからバクタプル行きの通過点となるコテーシュワルまでの運行となり、2009年にはトロリーバスの営業自体が終了となっている。

    トロリーバスなるものに乗車したのは、カトマンズが初めてだったので、その後中国を訪問した際、上海や北京などで利用して、そのネットワークの広さと、スケジュールの過密さには大変驚いたものだ。当時の中国はずいぶん貧しかったとはいえ、大都市における公共交通機関ネットワークの充実ぶりは見事なものであった。

    KATHMANDU TROLLEY BUSES IN 1979 (Youtube)

    NEPAL KATHMANDU TROLLEYBUSES 1998

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • キールティプル

    キールティプル

    11世紀から続くキールティプルの町はリングロードを外れて坂を上っていった先の丘の上にある。途中に大学のキャンパスがあり、そこで学生たちが降りていく。このあたりから見えるキールティプルの斜面に複数階の家屋が貼り付いている眺めは、ありし日の九龍城を連想させるものがある。

    在りし日の九龍城を思わせるものがある。

    丘の頂上を中心に広がる町並みのようだ。その頂上部分にあるヒンドゥー寺院からの眺めは素晴らしい。首都圏なのに田舎の雰囲気が味わえるし、それでいて眼下に広がる首都の風景が楽しめる。

    カトマンズ首都圏の眺め

    バクタプル、カトマンズ、パータン、キールティプルとひと続きになったのは、人口増加、宅地化の進行のためだろう。今やカトマンズ首都圏は巨大都市化しつつある。

    「キールティプル(कीर्तिपुर)」か「キルティープル(किर्तीपुर)」か。町中での表記に妙な揺れがある。宿の人によると前者が正しいとのこと。

    「キールティプル」か?
    それとも「キルティープル」か?

    坂を下っていくと、まったくつまらないゴミゴミした市街地となるが、頂上付近には伝統的なネワールの町並みが残っていて、ここもまた魅力的なスポットである。

    キールティプルは坂の町

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 遠いところ

    パータンの王宮広場で休憩していると話しかけてきた女の子。ヒンディーで返すと、けっこう上手いヒンディーでいろいろ話してくる。なかなかおしゃべりだ。

    「テレビ番組で覚えた」と言うが、まだ小学校低学年くらいだろう。

    家族のことを尋ねると、「毎日お母さんは夜8時くらいにならないと帰ってこない」のだとか。家にはお姉さんがいて、食事その他しろいろやってくれているそうだが、「お父さんは?」と質問すると、「他の女の人と出て行ってしまい、帰ってこない」そうで、悪いことを聞いてしまった。

    どこに住んでいるのかと問うと、「とっても遠いところ」と言うが、どこかと思えばここから少し進んだ先にあるバススタンドやラリトプル・モールのあたりらしい。

    そんな「距離感」が子供らしくて笑いを誘う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • パータンの宿

    パータンの宿

     

    ネワール式建築の家屋を宿泊施設に転用した「Newa Chen」に投宿。もともと裕福な一族の屋敷であったものなので、窓枠の彫刻飾りや建物内外の意匠など、眺めていて楽しい。

    ただし天井がとても低く、中肉中背の私でも天井の高さは頭頂部ギリギリで、欄干をくぐる際には少ししゃがみこまないと、頭をぶつけることになるのが、伝統的なネワール家屋のサイズ感。背丈190cm近い大男たちがゴロゴロいるスカンジナビア半島の人たちが訪問したら、天井の低さに音を上げそうだ。

    前日には、このような建物が食堂に転用されたところで夕食を摂ったが、上階から階段を降りきったところで、額をしたたか打ちつけてしまい、一瞬意識が飛んだ。一般的に小柄な人たちが多いネパールだが、これらの建物が出来た頃には、おそらく男性でも背丈は概ね160cm前後だったと思われる。

    近年の建物はこうした規模感で造られることはないようだし、若者たちも私たちからみて、そんなに小柄なということもない。おそらく食生活や生活スタイルの変化により、体格が飛躍的に向上したということなのだろう。言うまでもなく、日本でも私たちの祖父祖母世代では、かなり小柄な人たちが多かった。

    また、日本よりもずいぶん早くから豊かだったアメリカでも、第二次大戦あたりまでは、それほど長身の人たちがたくさんいたというわけではなかった(当時の日本人はとても小さかったので、この頃のアメリカ人たちは相対的に大柄ということにはなるが)ようだ。たぶん、幼い頃から毎日、肉など高タンパク質な食材を充分摂取できるようになっていることが寄与する部分は多いにあるのだろう。

    つまり食肉生産の「工業化」により、ブロイラーのごとく、まるで工業製品であるかのように大量発生生産できるようになったこと、同様にそうした生産物の大量輸送量と長期にわたる大量保管が可能となったため、いつ何時でもこれらが入手出来て、家庭においても保管できるようになったことだ。もちろん肉類だけでなく、農業生産の分野でも品種改良や栽培技術が進んだため、大量生産によりふんだんに市場に配給されるようになっている。

    日本の私たちの世代は、生まれた頃にはすでにこのプロセスが完了していたので実感することはないのだが、国によってはある時期を境に人々の体格が著しく向上している地域がある。

    ネパールの都市部もたぶんそうなのだろうけれども、インドのパンジャーブ州などは、その典型だろう。もともとアーリア系の形質を濃く受け継いだ人たちが多いことも関係している (大きく逞しくなる潜在力が大きい) かと思うが、今の30代前半くらいまでの若い人たちの中には、とても長身な人たちが多い。彼らの親世代も体格に恵まれた人たちは少なくないとはいえ、それほどデカい人たちは多くはないのに。

    おまけにマッチョな地域柄、尚武の民スィク教徒が多いという背景もあり、格闘技は盛んだし、お手軽に強そうに見せるためのボディービルも盛んなお土地柄。そのためちょっと暮らし向きに余裕のあるエリアでは、どちらに目をやってもデカくてムキムキのバカマッチョたちがふらふら出歩いている。

    伝統家屋の天井の低さから話は飛んでしまったが、そこからいろいろ思いが及ぶところがあるものだ。

    「Newa Chen」ウェブサイト

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。