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カテゴリー: greater india

  • 新型コロナワクチン接種で観光客回帰?

    1月14日からセイシェル共和国は「新型コロナワクチン接種済」の観光客を検疫等の制限なしで受け入れることを開始した最初の国となったそうだ。

    One island welcomes all vaccinated travelers — but some may want to wait (CNBC)

    現在は同様の措置をネパールも検討中とのことで、これと同様の措置により接種済の証明書を持つ人に対してはPCR検査も隔離もまったく求めず、アライバルビザの復活も併せて検討中であるという。

    Nepal to allow unrestricted entry to vaccinated tourists (Kahmandu Post)

    とりわけこれまで観光に依存してきた国にとっては、今回のコロナ禍により経済が「生きるか死ぬか」になっているところは多い。同様の検討を勧めているところは少なくないはずだ。

    もちろんセイシェルがこのような措置を開始したといっても、観光客の送り出し国では帰国時に従前どおり「14日間の隔離」をそう易々と停止することも現状ではなさそうだ。加えて旅客機の国際間の定期便も激減している中で、セイシェルが期待しているとおりには事が運ばないように思われる。新型コロナウイルスについて、まだわかっていない部分も多く、始まったばかりの接種の効果も未知数の部分もある。

    今後、その効果と集団免疫の達成状況、そして各国間の合意等を経ることによって、「海外旅行」の機会が私たちのもとに戻ってくることになるのだろう。まだしばらく時間がかかるのだろう。

    個人的にはセイシェルには関心はないが、「早く接種してネパールを訪問したい」と思っている。しかしながら現状では、帰国時には2週間の隔離があるだけでなく、「自粛ムード」の中でたとえ航空券が手に入っても、行けるのか?という面も大きなハードルである。

    やはりまだしばらく先のことにはなりそうだが、それでも各地で接種が始まっていたり、開始が予定されているワクチンが大変有効なもので、「接種さえすれば海外渡航も行動も制限なしで当然」というムードが醸成される、ごくごく近い未来に期待したい。

  • 「アーリア人の谷」の気になる噂

    ラダックのブロクパの人たちの地域、俗に「アーリア人の谷」とも呼ばれるところだが、そこにはチベット文化と仏教を受容したアーリア人たちが暮らしている。

    「アレキサンダーの東征の末裔」という説もあるが、中央アジアのフェルガナ盆地に端を発するアーリア人たちの幾多の集団が、現在の欧州、イラン、南アジア等へと移動していく中である集団は定着し、またある集団はさらに先へと移動していった。こうした集団の中の小さなグループがたまたまこの地に定住して、現在に至っているのだろう。周囲はモンゴロイド系の人たちの地域ながらも急峻な山岳に遮られているエリアだけに、そのままコミュニティが残されたのだろうか。

    そんな珍しい地域で嫌な噂が流れているのに気が付いたのは近年。「妊娠ツーリズム」というものがあるのだというのだ。「純粋なアーリア人の遺伝子を求めて子供を授かることを目的でやってくる欧米人女性がいる」という話である。

    当初は根も葉もない与太話だと思っていたのだが、India Today傘下のニュース番組でも取り上げているところから、実際にそういう例はあったようにも思える。ナチスの優生思想ではあるまいし、「純粋なアリアン」が何だというのだろうか。アーリア人の血とは、それ以外の人たちにくらべて、そんなに尊いもののなか。

    それとは別に「現地男性が女性旅行者に買われる」という倫理的な問題がある。言うまでもなく「女性が男性旅行者に買われる」というケースは世界中で多く、これも同様に倫理的に問題なのであり、「アーリア人の谷」でのこの件がそれらより大きな問題というわけではないのだが、こんな小さなコミュニティのもとで、そんなとんでもない「ツーリズム」が振興したとしたら、本当に大変な話だ。

    それはそうと、この地に暮らす「アーリア人仏教徒」というのは、たしかにちょっとミステリアスな存在ではある。しかし「純粋なアーリア人」という意味では、チベット文化を受容しており、チベット仏教徒となっている人たちが多いことなどから、「純血種」というわけでもないように思う。灰色や緑色の瞳の人たちは多いが、総じて小柄で肌色は赤みがかって(これは日焼けか・・・)おり、風貌も先祖のどこかにモンゴロイドの面影を感じさせる村人も少なくないのである。長い歴史の中でどこかで他のコミュニティとの交流があり、混血が繰り返された過去があると考えるのが自然だろう。

    まあ、いろいろ頭に浮かぶことはあるのだが、地域起こしに観光というものは手っ取り早く収益を上げることができ、放っておけば失われてしまう地元の文化を「観光資源」として守り育てていく効果もあるのだが、方向性を誤ると地元の文化やコミュニティをひどく傷つける、地域の評判を著しく落とすたいへん不健康なものとなりかねない。

    このような「ツーリズム」は、ごく一部の非常に稀な事例に尾ひれがついて広まった「都市伝説」みたいなものではないかと個人的には思いたいのだが、とりあえずは今後の進展に注目していくしかない。

    Pregnancy tourism in India (INDIA TODAY)

     

  • サウジアラビアの観光振興

    昔ならば(昔といってもどのあたりまで遡るかによるが)サウジアラビアが観光振興政策を打ち出す時代がくるとは想像すらしなかった。観光査証そのものが存在せず、どうしても見たければ通過査証でなんとかするしかなかった国。その後、名目は「視察」で事実上の観光客を国を限って受け入れるように転換した。たしか十数年前であったか。

    そして今では「Visit Saudi」というキャンペーンを打ち出している。コロナ禍の中で渡航はできないが、収束した後を見据えてのものだろう。広い割にはあまり観るべきところはない国と思う人もあるかもしれないが、実はけっこう名所には事欠かないサウジアラビア。

    インドから同国各地への直行便は多いので、コロナが収束したら訪問してみたいと思う。そうしたフライトの乗客の大半はインド等からの出稼ぎの人たちなのだが、サウジアラビアを観光していても、各地のいろんなところで、インド、ネパール、パキスタンからの出稼ぎの人たちと出会うことだろう。インド旅行裏バージョンみたいなものになるかもしれない。

    人口統計に在住外国人も含まれる湾岸諸国。総人口中に占める外国人の割合が88%と最も高いUAE、81%のカタール、68%のクウェートと比較すると、サウジアラビアでは32%とずっと低い。それでもサービス産業従事者のほとんどは外国人であると思われる。その中でインドをはじめとする亜大陸の人たちが占める割合は高く、加えてエジプト、スーダン、モロッコなどのアラビア語圏の人たちという具合だろう。以前、土地っ子の雇用創出のために外国人タクシー運転手を締め出そうという試みはあったようだが、結局サウジアラビアの人はそういう仕事をしたがらないので、今でも運転手たちは外国人のようだ。

    乗り物の運転手車掌等を含む交通機関の職員、商店の店員、食堂や宿屋等で働いているスタッフやマネージャーなどは、たいてい出稼ぎの人たちだろう。そんなわけで、旅行して接する人たちの多くはインドや周辺国の人たちだろうと想像している。

    前述のとおり、サウジアラビアよりもさらに総人口中に外国人の占める割合が高いUAE、カタールなどで、「アラビア語の次に広く通じる言葉」は、ヒンディー/ウルドゥー語だという。このあたりもコロナ明けに訪問してみたいと考えている。

    アラビアへようこそ (SAUDI TOURISM AUTHORITY)

  • インドの英語

    インドの英語

    インドにおける旧英領のレガシーのひとつに英語がある。どこに行っても、少なくとも都市部で英字紙を目にしないことはなく、その他の出版活動はもちろんのこと、テレビニュースや街中の看板や広告などにも英語が氾濫しており、同様に流暢な英語をしゃべる人たちも多い。

    旧英領であったから今でも英語が広く通用しているという面はあるのだが、統治していた期間、現地の言語事情や独立後の政府の方針などにより、行政・教育の仲介言語として英語が引き継がれるかどうか、またどの程度使用されるのかについては様々である。

    同じ英領インドから分かれた国であっても、パキスタンとなるとウルドゥー語の地位に対して英語はさほど高いとは言えないし、バングラデシュとなると、国民のほぼ大半がベンガル語を母語とするベンガル人から成ること、加えて東西パキスタン時代においては、西からの独立運動におけるベンガル語の存在は象徴的な意味合いもあったため、現在のバングラデシュにおけるベンガル語のステイタスは、インドにおけるヒンディー語のように「下駄履きの言葉」であるかのようなぞんざいな扱いではまったくない。

    また、ミャンマーにおいてはこうした限りでもなく、多民族・多文化から成る国家でありながらも、独立後は行政・教育の仲介言語のビルマ語化が強力に推進され、英語は排除されていくこととなった。その単一言語化に見られるような極めて中央集権的な手法のもとで、それまで各地の藩王に任されていた自治の簒奪も含まれていたのだろう。独立間もないころから各地の少数民族が叛旗を翻すこととなった。1962年のクーデターで中央政府の実権を掌握したネ・ウィンは、さらに国粋主義=ビルマ族主義の政治を推し進め、様々な地方の反政府勢力との対立関係は恒久化することとなった。この国では、かつて英領であったことをまったく感じさせないほど、一般的には英語がほとんど通用しない。

    また、英領下に入ったことがないのに英語がかなり広く浸透しているネパールにおいては、隣国インドへの進学・就職といった接続上、やはり英語というものが大切であったり、国の根幹産業である観光においても必須であったりするという背景があるからだろう。

    また、ブータンにおいては、1970年代に学校教育の英語化が推進され、国語であるゾンカ語の授業以外は、基本的に英語でもって授業がなされるようになっている。背景には各教科の授業を英語化することにより、バラエティ豊かで内容も進んだ外国における教科書やプログラムの導入が容易となり、卒業後に専門教育に進んでからも同様に外国のそうした文物をダイレクトに吸収できるメリットを是としてのものだろう。ヒマラヤの山間の小国が近代化を図るにあたっての英断であったと言えそうだ。

    もちろん、ここで言う「外国」とは、お隣にあり外交的にも特別な関係にあるインドのことであり、学校教育の英語化に当たってはインド政府の全面的な協力により、多数のインド人教師たちが各教科に渡り、またブータン全土で活躍したとも聞く。

    そんな「英語の国インド」であるが、都市部とそれ以外、また州や地方による差異はあるが、平たくならすとインドにおける初等教育の場で、イングリッシュ・ミディアムによる学校はわずか17%に過ぎないという。日本においては、外国人子女向けに設置されているインターナショナルスクールの類を除けば、ジャパニーズ・ミディアムによる学校が100%であることを考えると、大変なものではあるのだが。

    インドにおける英語教育ないしは英語のあり方は、日本のそれと大きな違いがある。日本において、英語は「外国語」であり、「イギリス、アメリカ、オーストラリアにニュージーランドなどの言葉」と一般的に認識されており、教育の場でもそのような扱いをしている。

    そのため英語教育の場には、こうしたアングロサクソンの民族語としての色合いが濃く、テキストなどに出てくる会話場面などでも、英米の街中でのやりとりなどが想定されていたり、そうした地域でのトピックなどが取り上げられていることが多い。

    インドにおいて英語は外国語ではなく、「インドの言葉」として教育・運用されている点が私たちのそれとは大きく異なると言える。たとえわずか17%の学校であっても、日々そこでの授業が英語で与えられ、課題等も英語で実施するとなると、日本において同じような年代の生徒・学生たちが「外国語の授業として教えられる英語」とでは、運用力や理解の深さに大きな差が出ることは言うまでもない。

    またインドの都市部では「英語が母語」という人たちは少数派ではあるが、確実に存在する。そうした人たちが暮らすエリアは下町などではなく、中産階級以上が暮らすポッシユなエリアの立派なお家ということになるが。とはいえ、決して「インドの言葉を理解しない外国人駐在員家族」などのような立場ではなく、経済的にも豊かで羽振りの良い自分たち、インドの文化や習慣などにも造詣の深い自分たちこそが「インド人の中のインド人」と自負している。

    そんな彼らだが、家から一歩出れば人々と言葉を交わすのに現地の言葉を当然流暢に使い、普通にコミュニケーションしているのだが、それでも家の中で家族との会話は昔からいつも英語、読み物や新聞なども常に英語。ヒンディー語など現地語も読めなくはないのだが、その読み書きは幼少時からほとんど習っていないため、字面を追うだけで頭が痛くなる。でもテレビのエンタテインメント番組や映画はヒンディー語その他現地語なので、夕方以降はそうしたブログラムを観てゲラゲラ笑ったり、悲しいストーリーに涙したりする。

    そんな彼らの英語は、米英の人を真似たアクセント、会話の中でのリアクション、ちょっと気の利いた言い回しまでもを模倣しようとしたがる日本人のそれと違って、インド人の英語はインド人がお手本なのでブレることがないのである。やはりその言葉が自国のものとしてきちんと消化されているがゆえ、「インドの言葉として英語を使う」インド人らしいところである。

    A Sampling of Indian English Accents (Youtube)

     

  • パナウティー

    パナウティー

    かつては交易の中継点として栄えたパナウティー。川のほとりに広がるひなびた町並みの風情。カトマンズから南東30km余り進んだところにあるこの町に来ると、30年以上も前の渋滞もなく、田舎町だったカトマンズを彷彿させるものがある。

    訪問者の多くは首都から日帰りするものと思われるが、町中にはゲストハウス、そこそこ美味しいものにありつけそうな食堂などもあり、何日かのんびりしてみるのも良さそうだ。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 女神を見た

    女神を見た

    渋滞によりバスがまったく進まないカトマンズ。郊外に出るまでは歩いたほうが早いように感じるくらいだ。

    そんな中で女神を見た!のかもしれない。
    ネパールで絶世の美女というか、この世のものとは思えない神々しいまでの美しさをたたえた女性の姿がとてもたくさん目につくようになっている。DNAに異変が起きているのか?と言っては失礼かもしれないが、どうなっているのか。

    装いも垢抜けていて、昔のネパールでは見かけなかった存在だ。豊かになり、お洒落になったとしても顔が小さくなったり、手足が長く伸びたりするものでもないだろう。どういうことか。そうした人が首都からバスに乗って、郊外の田舎の村で下車していったりすることもあるのだから、これまた不思議だ。

    街角や辻にお寺や祠が沢山あるこの国だから、天界からサラスワティやパルヴァティなどが、ひょっこり訪問することもあるのだろうか・・・ムニャムニャ・・・と、車内でウトウトまどろんでから目が覚めると、目の前にいたのは昔からよく見かけるまるっこくて愛想の良さそうなおばちゃんであった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ナガルコートで

    ナガルコートで

    眺めの良い避暑地ナガルコートに宿泊するならば、やはり眺望の良い部屋に滞在したい。ロケーション、シーズンなどによるので一概には言えないとはいえ、閑散期には直接宿に出向くのが良いようだ。ハイシーズンには条件の良いところはすぐにいっぱいになってしまうだろうから、事前の予約は必要だろう。同じ建物の中で同一の条件の間取りや設備であっても、上階ほど料金が高くなる傾向がある。

    この日滞在したのは斜面にあるホテルの最上階の部屋。新しくて部屋もきれいですばらしい。標高が2,100mあり、真夏でも涼しいためエアコンどころか天井のファンさえ無い。

    荷物を部屋に置いてから、坂道下った先にあるナガルコートの中心地にある食堂で遅い昼食。すでに午後4時を回っている。昼食が同じくらい遅くなってしまった前日同様、トゥクパを食べる。すぐに出来上がってくるし、迅速に栄養補給することできて、さらには消化も早い。すぐに腹が減るので夕食の機会を逃すこともないことも利点。他の食事を摂ってしまうと、なかなかそうはいかない。

    ナガルコートのマーケット地域
    トゥクパを注文

    部屋のバルコニーからの眺望は素晴らしい。そして夕方のこの時間帯に聞こえてくるセミしぐれも素敵だ。しばらくくつろいでいると暗雲がたちこめてきて、やがて大雨となった。

    眺望を楽しむことができたのも束の間
    暗雲たちこめて激しい雨に

    朝5時 視界はゼロ

    その後、一晩中激しく降っていた。

    朝5時に起き出して日の出を期待していたが、濃い霧も出ていてバルコニーからの視界はゼロ。まだ雨は降り続いていた。7時半くらいになると雨は上がった。食事済ませてから少し散歩に出てみたが、やはり斜面から何も見えないため眺望は期待できない。ナガルコートから平地へとハイキングで下りることも考えていたが、この天候では楽しそうではないので、やめておこう。

    雨は上がった

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 国道沿いのダーバーのメニュー

    国道沿いのダーバーのメニュー

    いまどきのネパールでは、ダーバー(安食堂)でもそうむやみに安くないのだろうか。こちらは国道沿いにあるそんな店でのメニュー。

    「サーダーカーナー(シンプルな食事、ダルバートのことか?)」が200Rs、肉か魚を付けると330Rs、魚のフライひと皿250Rs等々。訪問時、ネパールルピーは日本円とほぼ等価であったが、こんな価格になるのか?

    材料費、人件費、光熱費、家賃等のコストの違いを考えると、東京の新宿区大久保のネパール料理屋でダルバートをわずか500円で出している店があるというのは、ものすごくお得な出血大サービスだと思う。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • サムダーイク・ホームステイ(コミュニティ・ホームステイ)

    サムダーイク・ホームステイ(コミュニティ・ホームステイ)

    「Bandipur Samdayik Homestay」のバナー

    上の画像にある大きなバナーには「バンディプル・サムダーイク・ホームステイ」と書かれているのだが、バンディプルの町の中、あちこちでこうしたポスターや看板が目に付く。

    てっきり周囲の村の子どもたちがバンディプルで学校に通うための下宿のスキームかと思ったら、中には英語でもこれが掲げれている家屋があり「Free wifi」などとも書いてあるので、どうやらそうではないようだ。

    例外的に英語の表記のある家もあった。

    この表示がある家屋のひとつで尋ねてみると、観光客を家に宿泊させるプログラムとのことで、1泊700Rsで朝夕2食付きと言われた。他の家で質問してみると返事が900Rsだったり、1000Rsだったりするので、どれが本当なのか、あるいは料金設定は個々の家庭に任されているのかはよくわからない。

    先日の一部の例外を除けば、ネパール語のみで表示されているので、主にネパール人のみが対象なのだろうが、観光旅行を楽しむ層のネパール人が民家に宿泊するのだろうか?と、後から疑問が浮かぶが、うっかり聞きそびれた。

    せっかくの良いスキームなので、英語でも表示すれば良いと思うのだが、当地に多い宿泊施設やレストランと競合してしまう可能性が高いがゆえの配慮なのかもしれない。

    上に貼った画像にあるようなホテルがバンディプルには多いが、安旅行者はおそらくホームステイのほうに流れるだろうし、そうでなくとも家庭に泊めてもらうのは楽しそうだ。

    また、こちらはまた別のホームステイプログラム登録家庭らしい。(青色の表示板)せっかくのスキームなのに、ネパール語のみの表示であるのは同じ。(「ビンドゥバースィニー・サムダーイク・ホームステイ」と書かれている。こうしたプログラムに加わる家庭は様々だが、ここはとりわけ新しく立派な家屋で、快適さを求める向きには良い選択かもしれない。

    「Bindubasini Samdayik Homestay」というプログラムに参加しているらしい。
    こうしたみやげものを制作している家庭もホームステイプログラムに参加したりしているのだろうか。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ネパール語の風景(新)

    ネパール語の風景(新)

    7月に「ネパール語の風景」と題してかいてみたが、その内容にこのたび少し書き加えてみた。

    欧州におけるローマン系語彙のおかげでイタリア語を知らずとも、ローマン系語彙を含む欧州語を知っていれば、書かれていることがある程度推測できるが如く、ネパール語もヒンディー語の知識で字面からくみ取ることが出来ることもありがたい。

    欧州諸語におけるローマン系語彙にあたるのが、南アジアのサンスクリット語やパーリー語由来の語彙ということになる。

    興味深いのは、こうした古語からくるボキャブラリーについては、ヒンディー語におけるそれとネパール語におけるものが、綴りや長母音短母音の位置に一貫性があるのだが、外来語については、両者のあいだで大きな揺れがあることだ。

    街中の看板や広告などを目にすると、主に英語からの借用語のデーワナーガリー文字での表記例がたくさん目に飛び込んでくる。

    前者(ヒンディー語)で「व」(va)をもって音写されるものが、後者(ネパール語)では、「भ」(bhaつまりbaの有気音)であることが多い(英語のtravelをようで、後者で「स」(sa)をもって記すものが「ष」(sha)を当てられることが多いように見えることだ。

    よってtravelが「ट्रभल」、guestが「गेष्ट」となるのは、とても新鮮に見える。また、षがサンスクリットやパーリー起源の語の「sha」音に限られ、その他の起源の言語からの借用語内の「sha」は「श」となることなく、英語からの借用語内の「sha」音表記にも積極的に「ष」が用いられるのも興味深い。

    先述のとおり、古語においても、現代ヒンディー語においても、長母音・短母音の区別は厳格だ。

    よって古語由来のボキャブラリーについて、ネパール語でもヒンディー語と同様に、そのあたりの綴りには忠実に踏襲されているように見えるのだが、英語からの借用語についてはそのようなことはないようだ。例えば英語のseatが、ヒンディーにおける「सीट」(seet)ではなく、「सिट」(sit)と短く表記されるのも面白い。

    古語から入ってきた語彙の表記の一貫性に対して、欧州語(歴史的にほぼ英語に限られるがおそらくファッション関係その他でフランス、イタリアその他からの借用語もわずかにあるはず)におけるブレブレの自由闊達さ(?)の違いは、一体何に由来するものなのだろうか?

    いや、自由闊達なわけではなく、外来語表記に一定の法則があり、それに従って表記しているはずだ。

    そのいっぽうで、policeのことを口語ではたぶんヒンディー同様にपुलिसと呼んでいるのではないかと思うが、警察署などに「प्रहरी」(プラハリー=警備の意)という古語起源の言葉で存在を示していたりする。

    また、ヒンディー語に較べるとペルシャ語やアラビア語からの借用語が占める割合は少ないと推測できることから、なおさらのこと古語(サンスクリットやパーリーなど)に由来する語彙は日常的にたいへん豊富なのではないかとも想像できる。

    まちなかを散歩していても、宿のフロントに置かれた新聞をボ〜ってめくっていても、ネパールというのは文字の字面だけ眺めているだけでも、様々な事柄が理解できる(程度の度合いはあっても)文字情報として入ってくるのは、いろいろと便利だ。

    旅行が終わって日常生活に戻ると、仕事や雑事に追われて、それどころではなくなるのだが、ネパール語というものを学んでみたくなった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • バンディプルの町並み

    バンディプルの町並み

    カトマンズからドゥムレーに到着した。バンディプル行きのバスはしばらくなかったので、タクシーで移動することにした。斜面を上っていくとともに、目の前に開けてくる緑豊かな山並みの様子が素晴らしい。

    町はずれのバスストップに到着し、宿に荷物を置いてから散歩に出る。伝統的なネワール建築のバクタプルとはまた違った良さの洋館風の町並み。ネパールと西洋の折衷建築の数々が面白い。こうした建物の多くが食堂や宿泊施設などとして現在は使用されている。

    もともと交易の中継地として栄えた町だが、プリトヴィー・ハイウェイ建設時にルートから外れてしまったため、寂れてしまい現在に至っているパンディプル。商取引で大いに栄えた時代の建物や屋敷などが多く残っており、この景観こそがこの町最大の宝である。

    こうした建物の保存と修復のための寄付の貢献をした人々を記念する塔や石碑の類いがいくつも見られる。洒落た館を多数残してくれた先人たちの功績もさることながら、こうした文化遺産の維持のために貴重な財源を寄附してくれている人々の意識の高さに負う部分もとても大きいことは言うまでもない。

    寄附等の貢献をした人々の名前を記した記念碑

    靴屋の軒先にて
    マオイストのプロパガンダ
    バンディプルの町からの眺望も素晴らしい。
    レストランが多いため、いろんな食事を楽しむことができる。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • バンディプルへ

    バンディプルへ

    空調の効いた車内

    ポカラ方面行きの「マイクロ」に乗り、ドゥムレーで降りてバンディプルを訪問したのだが、こうしたバス移動がずいぶん快適になっていることに感心する。クッションは効いているし、リクライニングはないものの、背もたれに多少の傾斜は付いているし。昔々のオンボロバスと違って、これなら子連れ旅行も楽勝だ。

    2019年のネパールの定番ルートはずいぶん良くなっている。道路もとても良くなっていて・・・といっても、比較対象が1980年代後半の話なので、進化していて当然のことではあるのだが。

    当時、ポカラとカトマンズを結んでいた「ラグジャリーなバス」とやらがあった。たしか「スイスバス」と呼ばれていたもので、とても窓が大きくて眺望の良い車両だった。ただし道路が悪かったので、ポカラを早朝に出てカトマンズの夕方遅くに到着するような感じだったように記憶している。

    もっとも今は、この幹線道路が渋滞したりするので、複数車線化しなければ、移動速度は頭打ちかと思うが。この日も事故による渋滞がひどかった。

    マナカマナーのケーブルカー乗り場の前にニセ日本企業のMINISOが出店しているのでビックリした。中国企業だが、名目上の登記を東京で行っており、「日本企業」を名乗っているとはいえ、置いてあるモノは良い品が多いため、個人的にはかなり好感と信頼感を抱いている。

    MINISOの店舗

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。