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カテゴリー: column

  • The Lady

    The Lady

    The Lady

    今年7月21日(土)から、映画The Ladyがi日本で公開される。

    母国ミャンマー(ビルマ)の民主化を目指して長い闘いを続けているアウンサンスーチー氏とその家族愛を描いた作品だ。

    英語によるインタビュー映像しか見たことがない(私はビルマ語はわからないので・・・)が、上品な物腰とウィットに富んだ受け答えには誰もが魅了される。スレンダーな外見からは想像できない闘志と粘り強さを発揮して民主化運動を率いてきたスーチー氏の努力がようやく報われようという動きになってきている今、ミャンマーが今後本当に良い方向に動いていくことを願わずにはいられない。

    建国の父、アウンサン将軍の娘であることによるカリスマと責任感はもちろんのこと、彼女自身の持つ人間的な魅力とこれまでの行動により示してきたリーダーシップと高潔さについて、誰もが称賛を惜しまない。ミャンマーの人々の間での支持とともに、遠く離れた家族との絆と信頼もまた、彼女を力強く支えてきたのだろう。

    この夏、より多くの方々と感動を分かち合いたい。

  • Jetstar日本国内線就航

    Jetstar日本国内線就航

    今年7月3日からオーストラリアを本拠地とするJetstarが就航する。

    現在、日本を代表する格安航空会社といえば、今年3月に就航したPeach Aviation。我が国初の本格的なLCCという売り込みで注目されており、関空から札幌、福岡、長崎、鹿児島へ乗り入れている。今後、5月から関空・仁川線を飛ばすことにより国際線にデビューし、その後7月に香港、9月に台北へと路線を伸ばすことを予定している。

    ここにきて、日本の国内線に外資系のJetstarが参入することにより、今後着実に日本国内の空のネットワークに大きな異変が生じることになりそうだ。今世紀に入ってから、アジア各国で急速にLCC各社が台頭している中、日本国内では相変わらず既存の航空会社による支配が続いていたものの、5年後、10年後にはずいぶん異なる様相となっていることだろう。

    今までのところ、Jetstarは南アジア方面には就航していないため、Air Asiaのように、バンコク、クアラルンプル、シンガポール等で乗り継いでインドに向かうのには使えないが、今後ネットワークの拡大に期待したい。

    Jetstarが打ち出している日本国内線の単一路線についての最低価格保証はともかく、国際線を乗り継ぐ場合は、LCCを利用しても、行先、予約時期や方法によっては、必ずしも既存の航空会社より安くなるとは限らなものの、移動の選択肢が増えること自体ありがたく思う。

  • BB AIRWAYS

    ある方がフェイスブックに書かれていたことによって知ったのだが、在日ネパールの方でこんな試みに取り組んでいる人物があるとのこと。

    「日本とネパールを結ぶ直行便を実現します」 BB AIRWAYS

    BB AIRWAYSとは聞き慣れない名前だが、上記ウェブサイトによると、「2012年の運航に向けて準備中」であるとのこと。ネパールの首都カトマンズのトリブヴァン空港と結ぶ予定とされるのは、なんと茨城空港。9月の運航開始を目指しているのだという。

    しかしこれまで名前さえ聞いたことのない会社なのでまったく見当もつかなかったのだが、ネパールのウェブサイトにはいくつか関連の記事が出ていることに気が付いた。

    BB Airways gets ministry’s green signal (The Himalayan)

    NEW AIRLINE: BB Airways Gears up for September Launch (Routes Online)

    BB Airways acquires int’l operation licence (THE KATHMANDU POST)

    BB Airways (ch-aviation)

    日本在住のNRN(Non Resident Napalese)による航空会社だが、本拠地は母国ネパールとなるようで、就航先はデリー、バンコク、クアラルンプル、香港、東京(成田空港同様、茨城空港も便宜上「東京」?)、カタール、シンガポールとなっている。すでにネパール当局のライセンスは得ているとも書かれている。

    これらの記事は、今年1月から2月時点のものであり、その後の進捗はよくわからないが、茨城空港への乗り入れはともかく、ネパールを本拠地とする新しい航空会社がスタートしていることは間違いないのだろう。

    それにしても、この航空会社をスタートさせるというネパールから来たビジネスマン、ウェブサイトにあるように、最初は留学生として来日、その後日本で起業したということだが、BB AIRWAYSのリンク先を覗いてみると、いろいろ手広くやっているようだ。そこに来て今度は航空会社の設立と、ずいぶんやり手の人物のようだ。近々、日本の経済誌等でよく見かけるようになるだろうか。

    どうなるのかまだよくわからないが、茨城・カトマンズ直行便就航計画の進捗を伝えるニュース等があれば、今後フォローしていくことにしたい。

  • 成田・ヤンゴン直行便就航へ

    先日に引き続いてミャンマーの話題。近ごろ何か取り上げられることの多い同国に、成田空港から全日空の直行便が就航する。時期は未定だが、年内には実現する見込みとのこと。実は、1996年7月から2000年2月まで、同社の関空・ヤンゴン便が飛んでいたのだが、長らく休止となっていた。

    全日空 ミャンマーに定期便再開 12年ぶり(日本経済新聞)

    おかげで、東京から眺めると隣国タイの首都バンコクとあまり変わらない距離にあるにもかかわらず、ヤンゴンはずいぶん遠く感じられてしまう状況が変化することを期待したい。これまでは、成田からタイ航空の午前便で出発して、同社が複数便持つバンコクからヤンゴンまでの遅い時間帯の便を利用すれば同日に到着することができたが、さもなければバンコクで一泊しなければならないのが現状だ。

    今から1年ほど前にはMAI (Myanmar Airways International) によるヤンゴンから成田に乗り入れの計画を取り上げてみたことがあったが、まだ実現していない。それでも同社のウェブサイト内のルートマップには、『Future Route』として東京、ソウル、香港、デリー、ドバイといった就航予定地が記されている。

    ミャンマーへの経済制裁緩和近しという情勢により、ビジネス目的で世界中が注目していることもあり、今後は他国の便も順次乗り入れを図るようになってくると予想される。

    インドからは、エアインディアがコールカーターから月曜日と金曜日にヤンゴンに就航している。今後、ジェットエアウェイズその他が就航することもあり得るのではなかろうか。もとより関係の深いインド・ミャンマー両国であり、利害を共有する部分も少なくない隣国同士でもある。ヤンゴンその他に大規模なインド系の人口が存在していることもあってか、従前から商用その他でミャンマーを訪問するインド人や他国在住のインド系の人々は少なくなかった。

    前述のMAIは、ヤンゴンから水曜日と土曜日にビハール州のガヤーへの定期便がある。ビジネス目的の乗客が多いとは思えず、仏教国ミャンマーとはいえ、そこから仏蹟巡りに出かけるお客がワンサカいるとも考えられないのだが、主にどういう人たちが利用しているのかよくわからない。予定されているデリー便の就航が待たれるところだ。

    経済成長にともなう可処分所得の伸長により、海外旅行を楽しむインド人が増えており、インド発の様々なパッケージツアーなどもいろいろ売り出されている。タイやマレーシアと較べて華やかさに欠けるものの、美しいビーチや壮大な遺蹟等の観光地には事欠かないミャンマーだけに、今後は観光目的で訪問するインド人も増えてくることだろう。

    私たち日本人にとっても、インドのすぐ隣のミャンマーという魅力的な国が訪れやすくなるのは嬉しい限りだ。インドまで足を伸ばす際に、行き帰りともにヤンゴン経由でミャンマーも見物という選択肢が可能となるのはありがたい。

  • ミャンマーのE visa

    近ごろ何かとニュースで取り上げられることが多くなったミャンマー。『上からの民主化』の進展により、経済制裁の緩和が近いことが予想されるため、経済面からの注目を浴びるようになっているからであることは言うまでもない。

    国際社会からの孤立が長く続いてきたことによる経済や各方面インフラの立ち遅れの中で、今まさにどん底にあるにもかかわらず、初等・中等教育は広く普及しているため、識字率は約90%と意外なまでに高い。加えて一大農業国であるとともに、地下資源大国としても広く知られている。石油・天然ガスなどに加えて、鉄、錫、銅その他の鉱物資源にも恵まれている。

    それらと合わせて、人口6千万を抱える大国であり、先述のとおり一定水準の教育が行き届いた人材豊富な国家でもあることから、多くの国々にとって将来有望なマーケットであるとともに、製品加工基地としての役割も期待されることになる。

    大きな潜在力を抱えつつも、政治的理由によって、これまで極めて低い水準にあっただけに、経済制裁が緩和ないしは解かれることになれば、今後急激な成長が見込まれるだけでなく、その伸びシロは限りなく大きい。

    従前から、そうした将来性を見込んで同国に投資している企業や個人等はあったものの、長く続いてきた軍事政権による圧政と、これに対する先進諸国等による経済制裁下での先の見えない停滞が続く中、一部のASEAN諸国やインドによる投資や交易、加えて海外進出意欲旺盛な韓国の企業や個人による進出を除けば、同国での外資といえば、ほぼ中国による寡占状態にあった。

    たとえ旅行者として同国を訪れても、アメリカやEUによる経済制裁の影響はごく身近に感じられるものである。古色蒼然とした街並みや市内を走るあまりに旧式の自動車の姿はもとより、ヤンゴン市内の一部の高級ホテル(自前のルートによりシンガポールなど海外で決済)を除いて、トラベラーズチェックもクレジットカードも使用できず、基本的に米ドル現金を持ち込んで使うしかないという状態は、初めて訪れる人の目には、あまりに奇異に映ることだろう。経済制裁により、海外との金融ネットワークから遮断されているがゆえのことである。また同国自身の厳格な外貨管理により、基本的に『普通に店を構えた両替商』は存在しなかった。そのため主に宝石、貴金属類、みやげもの等を扱う店を回り、交渉のうえでミャンマー通貨に両替するのが普通であった。

    そうした状況も近々変わっていくようだ。ヤンゴンの国際空港等にちゃんとした市中レートで両替カウンターが出来ていると聞く。おそらく市内の繁華街や国内のメジャーなスポット等に、今後『ちゃんと店を構えた両替屋』が続々出てくることだろう。

    それにミャンマー国内から正規のルートによる海外送金サービスが開始されるという話も耳にする。商取引はもとより、同国から海外留学を希望している若者たちにはとっては朗報だ。たとえば日本に留学しようとする場合、現在までのところミャンマーから日本へ正式な送金ルートが不在であったため、ミャンマー国外つまり日本ないしは第三国に留学経費を支弁することが可能な立場(経済的に裕福な近親者)がなければ、たとえ若者自身の親がミャンマーでそれなりに高い経済力を持っていても門前払いであったからだ。

    インドでは、経済政策の大きな転換により、1990年代から2000年代にかけて、とりわけ都市部が大きく様変わりし、その動きは衰えることなく続いているが、自国内での規制その他のみならず、経済制裁という大きな足枷をはめられてきたミャンマーにおいてはおそらくそれ以上の速度で多くの物事が変化していくことだろう。もちろん人口がインドの足元にも及ばない程度のものであり、人口密度もあまり高くない。『スピード感』ではこちらのほうが勝ることになると思われる。またASEANというひとつの大きな経済圏の枠組みの中にあることも有利に働くことだろう。あくまでも経済制裁の大幅な緩和あっての話ではあるが。

    前置きが長くなったが、ミャンマーで観光客向けにE visaというシステムが月内にも導入されるという。事前にインターネット上で所定の手続きとクレジットカードによる査証代金の支払いを行ない、それと引き換えに数日以内にメールで送られてくるレターをプリントアウトして、入国時にパスポートとともにイミグレーションに提示し、その場でヴィザを発行してもらうというシステムだ。

    MYANMAR E Visa “How To Apply” (myanmarevisa.gov.mm)

    本日4月10日現在、まだ運用は開始されていないようだが、申請手続きはこちらの画面で行なうことになるらしい。証明写真のデータをアップロードするかカメラ付きのPCあるいはウェブカメラにてその場で撮影することもできるのだろう。

    現在、東南アジアの中で私たちが観光による査証取得必要なラオス、カンボジア等で国境到着時に簡単なフォームを記入して現金で代金を支払えば即座にヴィザが発行されるような具合になると良いのだが、まだまだ『敵が多い』国であるだけに、このあたりが最大限の譲歩なのだろう。それでもこうした動きは大いに歓迎したい。

    今後10年、15年の間に、ずいぶん旅行しやすい国になっていくことだろう。道路その他交通網の整備に多額の投資がなされるはずだし、観光という分野も主要な産業の柱のひとつとして位置づけられることは間違いないので、宿泊施設その他の面でも大きく改善されていくことと思われる。

    そうした中で、まだわずかに残っている、かつて『英領インド』の一部であったことの面影や残り香も急速に失われていくことも必至だ。人々の暮らしが向上し、今よりも自由に物を言える社会になること、民意が反映される国になっていくことについて、諸手を挙げて応援したいことは言うまでもないが、他のどこにもないこの国であるからこその味わいに関心がある向きには、まさに今が旬なのかもしれない。

    もうひとつ期待したいことがある。各地で民族運動が盛んであることから、まだまだ外国人が入域できなかったり、自由に立ち入ることができなかったりする地域が多いミャンマーだが、このところ各反政府勢力との和解が進んできているため、陸路で入国して他の地点から陸路にて出国という旅行も、やがて容易にできるようになってくるのではないだろうか。

    とりわけインドとの間については、インドのナガランド州のMorehからミャンマーのチン州のTamuのルートが外国人に対して開放されるようになるとありがたい。現在、インドのナガランドは私たち外国人がパーミット無しで入域できるようになっているが、ミャンマー側はそうではないようだ。

    南アジアと東南アジアの境目の地域が広く自由に旅行できるようになれば、いろいろ新たな発見があることと思われる。また、これまで隅に置かれてきたエリアの文化・伝統の価値やこれまで影で果たしてきた歴史的な役割が人々に再認識されることにもなるのではないかと思っている。

  • 「ボイシャキメラ」&「ダヂャン」

    4月15日(日)午前10時から午後6時まで、東京都豊島区池袋の池袋西口公園にて、「第13回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」が開催される。

    毎年、大盛況のJBS(Japan Bangladesh Society)主催によるこのイベントには、東京周辺はもとより、関西その他各地から多くのベンガル出身の人々が集う。

    同じ日に、千代田区の日比谷公園で、在日ビルマ(ミャンマー)人たちによるダヂャン(水祭り)も開催される。

    母国から遠く離れた日本で、バーングラーデーシュとビルマ(ミャンマー)という隣り合う国々の人々が、それぞれの正月を祝う。

    日本人の私たちも、お正月気分をシェアさせてもらって、大いにおしゃべりに興じることができれば幸いである。

    イベント当日は好天に恵まれますように!

     

  • オリッサ州 マオイストとの交渉難航

    3月14日、オリッサ州内陸部の部族地域を訪れるツアーの一行が、同州のカンダマル地区で拉致される事件が発生した。このツアーを催行していたのは、同州プリーにあるORISSA ADVENTUROUS TREKKINGという旅行代理店で、連れ去られたのはその経営者でガイドでもあるイタリア人のパオロ氏、ツアー参加者のイタリア人コランジェロ氏、そしてツアーに同行したインド人スタッフ2名を含む計4名。インド人スタッフは3月16日に、イタリア人旅行者のコランジェロ氏は3月25日に解放されたが、依然としてパオロ氏は監禁状態にある。

    彼らを誘拐したマオイストたちの要求は、投獄されているマオイスト幹部や活動家たちの釈放。これに関して、先日マオイストによるオリッサ州議会議員ヒカーカー氏の誘拐事件も発生しており、治安対策と外交上の配慮等の板挟みもあり、今なお交渉は難航している。駐インドのイタリア外交官も現在オリッサ州に滞在中で、マオイストとの交渉と情報収集に当たっている。

    これまで、インドのマオイストたちは活動地域で政府関係者の誘拐、治安当局関係者たちや交通網への攻撃、市民の殺害その他を繰り返してきているが、外国人がターゲットとなったのは初めてのケースだ。しかしイタリア人と地元州議会議員1名ずつを人質とすることにより、現在までのところオリッサ政府がマオイスト関係者31名の釈放の提示を引き出しつつも、まだ合意に至っていないところからみて、より高い影響力を行使する手段として、外国人を誘拐する事件が起きる可能性は決して低くない。

    同様に、オリッサ州以外でもマオイストの活動が盛んなアーンドラ・プラデーシュ、ジャールカンド、チャッティースガル、西ベンガル、ビハール、マハーラーシュトラといった各州においても、こうした挙に出ないとも限らない。

    マオイスト側は、州政府当局との交渉期限を4月10日までとしており、要求が満たされない場合は「extreme steps」を取ると表明している。先述のとおり、外国人がターゲットとなったのは初めてのケースだが、マオイストがこれまで同種の目的のために誘拐した相手を殺害したケースは多々あったことから、パオロ氏、ヒカーカー氏ともに今後の安否が大いに懸念されるところだ。

    関連ニュース

    Maoist rebels in Orissa take Italian duo hostages (India Today)

    Italian hostage Claudio Colangelo released in India (BBC NEWS INDIA)

    Naxals rule out immediate release of Italian national (Business Standard)

    Orissa agrees to free 31 persons (DECCAN Chronicle)

    【動画】India rebels warn of ‘extreme steps’ over Italian captive‎ (Asia One)

  • 先入観を疑うべし

    バーングラーデーシュでのグラーミーン・バンクによる取り組みから世界的に注目されるようになったマイクロ・クレジット。通常、商業銀行から融資の利用ができず担保も持たない人々のグループに対する少額融資であり、返済についてはそのグループ全体が責任を負うという仕組みだ。経済的に困窮している層、とりわけ女性たちの経済・社会的地位向上のための役割が評価されている。

    マイクロ・クレジットの代表格と言えるグラーミーン・バンクがアメリカに進出し、グラーミーン・アメリカを設立したのは2008年。当初はいろいろ不利な予想もあったが、現在までの4年間で着実に実績を上げているようだ。

    Grameen America

    滝川クリステル×ムハマド・ユヌス(ウェブゲーテ)

    米国市民の間での経済格差について、よく「米国の黒人の寿命はスリランカと同程度である」ということが言われる。国民皆保険制度がなく、医療費が私たちから見れば法外なまでに高額なものとなりがちなことから、定収入のある勤め人でも大病を患った結果、自己破産という例はよくあるようだ。ましてや経済的に不利な境遇下にあるマイノリティの人たちともなれば、必要なときに充分な診療を受ける機会を逃してしまうということは決して想像に難くない。

    だが、具体的な数字を提示することなく「スリランカ並み」という表現には、かなり恣意的なものを感じずにはいられない。このあたりの事情をあまり知らない人がそれを耳にすると、『とんでもなく短命』であるような印象を受けることを画策しているはずだからである。国連の統計によると、2005年から2010年の間のスリランカの平均寿命(74.25歳)は突出して高く、南アジア地域の平均の64.48歳を10歳近く上回る。ちなみにインド(64.19歳)は、ちょうどその平均値あたりにいる。

    世界の平均寿命 (United Nations Population Division)

    平均寿命73~74歳程度の国々はといえば、中東やアジアでは、サウジアラビア(73.13歳)、バハレーン(74.60歳)、タイ(73.56歳)、欧州ではルーマニア(73.16歳)、ハンガリー(73.64歳)、エストニア(73.91歳)あたりが挙げられる。日本では何故か長寿のイメージがあるブルガリア(72.71歳)、経済成長著しい中国(72.71歳)と比較しても、実はスリランカの数字はなかなか立派だ。豊かな産油国、東ヨーロッパと同水準なのだ。

    予備知識無しで、「アメリカの黒人の寿命はスリランカ並みだ」と言われると、いささかショックを受けるかもしれないが、これを「金満の産油国並みだ」と言い換えたら、どんな印象を受けるだろうか。

    国情の異なる国々の寿命を平たく慣らした世界平均(67.88歳)はあまり意味のないものかもしれない。だが、あらゆる面においてはるか前を邁進しているはずのアメリカ(77.97歳)の平均寿命が、自分たちの国との間のあまりに大きな経済格差のあるアメリカの平均寿命が、自分たちのそれとの差が3歳強しかないことについて、スリランカの人たちは不思議に思うだろう。

    アメリカにおけるバーングラーデーシュ発のマイクロクレジットの成功、アメリカの黒人がとりわけ短命であるという一種の都市伝説の類など、先進国と途上国という色分けを取り払って社会を眺めてみると、世の中でいろいろ興味深いものが見えてきそうだ。

  • サッカーボール Made in Pakistan

    サッカーボール Made in Pakistan

    ADIDAS、DIADORA、PUMA、NIKE等々、ブランドを問わず、サッカーボールに表示されている生産地は、パーキスターンとなっていることが多い。世界に出回っているこれらのボールのおよそ8割は同国で製造されているという。もちろんサッカー以外の種目においても、とりわけ縫いボールの場合はたいていそんな具合らしい。

    だがパーキスターン各地で広くこれらが生産されているわけではなく、パンジャーブ州のスィヤールコートに集中しているのは興味深い。縫いボールの工程が機械化されているところもあるらしいが、やはり主流は手縫いであるため、極めて労働集約的であることから、低賃金で作業する労働力が豊富にあるところということになる。するとパーキスターン全土はもとより、南アジア地域で普遍的にこの産業が盛んであってもいいように気がするのだが、そうではなく、一極集中しているのには何か理由があるに違いない。

    パーキスターン以外にも、サッカーボールを大量に生産している国は他にもいろいろある。中国製のボール、南米で作られたボールもあるし、価格帯は非常に高かったがかつては日本製も公式試合球(市場はほぼ日本国内に限られていたようだが)として販売されていた。

    パーキスターンでサッカーボールの生産が飛び抜けて多いことについて、歴史的な経緯という観点からは、サッカーの母国であるイギリスの海外領であり、家畜の屠殺が盛んであったということがある。ボールの外皮として使われる牛皮はもちろんのこと、現在使われているゴムチューブが普及する前までは、牛の膀胱が使用されていたため、ボール製造の材料の有力な供給地であった。

    牛皮といえば、今では本革のサッカーボールはほとんど見かけなくなった。かつてはサッカーボールといえば、当然のごとく革製品であった。皮革という性質上、同じメーカーの同一品番の製品であっても、かなりバラつきがあった。同じように使用していても、かなり寿命が異なった。動物の皮である以上、部位により厚みや硬軟にどうしても差異が出てくるため、ボールに空気が充満して表面が緊張した状態で放置すると、ゆがみが生じてくる。そのため、練習や試合で使う際にポンプで空気を入れて、使い終わったら空気を抜いて保存するというのが常識であった。これを怠ると、とりわけ安価なボールの場合、楕円形になってしまったり、縫い目が広がってチューブが外にはみ出してきたりすることがよくあった。

    主流であった本革から人工皮革へと素材が切り替わる大きな転換期は、1986年メキシコで開催されたワールドカップであった。サッカー選手としてピークにあったマラドーナが大活躍して母国アルゼンチンを優勝に導いた「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」として広く記憶されている大会だ。彼の「神の手」によるゴール、伝説の5人抜きなど、後々に語り継がれるプレーを連発した大会だった。この大会で公式球として採用されたのは、ADIDAS社のAZTECAというモデル。ワールドカップ初の人工皮革製のボールだった。

    人工皮革のボールが普及し始めた当初、高級品を除けばまだまだ本革製品と質感が異なり、あまり積極的に手を出す気にはならなかったものの、クオリティの向上には目覚ましいものがあり、耐久性の面はもちろんのこと、サッカーの全天候型競技という性格からも、雨天でも水を吸収して重くなって反発性が失われるという本革特有の欠点とは無縁で、濡れた後の手入れの面倒もなく、素材の普及とともに高級品が低価格化していくという非常に喜ばしい展開が進んでいく。その結果、本革製品を市場からほぼ駆逐することになった。

    サッカーボールの人工皮革化は、テニスコートほどの広さのコート(体育館あるいは人工芝)で行う5人制の競技、フットサルの普及にもつながっている。もともと「サロンフットボール」ないしは「インドアサッカー」として知られていたものだ。これのラテン式名称の略語フットサルが定着した結果、競技の正式名称として採用されるようになった。このスポーツで使用されるボールのサイズは、成人のサッカーで使用される五号球であるのに対して、四号球とひと回り小さいだけでなく、外皮には低反発素材を含む人工皮革が使用されており、狭い場所での競技に適した反発性に仕上げてある。人工皮革素材の発展と普及なくして、この競技が現在のように広まることはなかっただろう。

    話はスィヤールコートのボール生産に戻る。3月24日(土)と25日(日)に東京渋谷区の代々木公園で開催された「パキスタン・バザール」に、日本の外務省招聘により、スィヤールコートの工場関係者たちが出展していた。ブースには工場の経営者とともに工員2名が詰めており、サッカーボールの手縫い作業を実演していた。初めて外国を訪れたという工員たちとも少し話をしたのだが、作業はなかなか時間がかかるもののようで、一個縫い上げるのに2時間くらいかかるとのこと。そのため1人が丸1日かけても、せいぜい4個か5個程度しか作ることができないらしい。世界の生産量の8割を担うというスィヤールコートで、どのくらいの人々がこうした作業に従事しているのか、ちょっと想像できない。

    一針一針丁寧に縫い上げていく慣れた手さばきはお見事!

    スィヤールコートという街自体は、人々の平均年収が1,370米ドルと高く、パーキスターン全土の平均値の倍ほどの収入を上げていることから、地域経済におけるボール生産業の貢献度は非常に高いものと思われる。

    とはいえ、こうした製品はMade in Pakistanとして消費者からの需要があるわけではなく、あくまでも生産委託元の外国ブランドの名前で輸出されるがゆえのことであり、内外の市場で通用する地場ブランドが存在していないことについては憂慮すべきものがある。同様に、スィヤールコートなくしてサッカーという世界的な競技が成り立たなくなっている現状にもかかわらず、相も変わらずパーキスターンはサッカー不毛の地であることについても、なんだかお寒い限り・・・としか言いようがない。

  • PACPAD

    PACPAD

    こんな記事を見かけた。

    iPadならぬ「パクパッド」、パキスタン国防省が生産 (asahi.com)

    googleで検索してみると、同様の記事がいくつか引っかかってくる。

    $200 PACPAD by Pakistan military (ubergismo)

    PACPAD: An Android Tablet by Pakistan Aeronautical Complex (Android Phones in Pakistan)

    上の記事ではスペックも記されており、こうしたタブレットPCとしては一般的なレベルのものであるようだ。タブレットPCの低価格化はかなりの速度で進行している。とりわけ第三世界で開発製造されるアンドロイドOSを用いた製品としては、7インチ画面の製品で200米ドル前後という価格は、とりたてて安価というわけではないが、軍需企業による一般消費者向け製品という点が話題になっているのだろう。

    ちょっと気になるのは、この製品のホームページhttp://www.cpmc.pk/products/pad/にアクセスしようとすると、PC画面に以下の表示が出たこと。

    ウェブサイトに何か仕込んであるのか、それともハッカーに攻撃されたのか知らないが、ちょっと危険な匂い?がする。果たして、製品自体は大丈夫なのだろうか、と締めくくってしまっては、懐疑的に過ぎるだろうか?

  • Namaste Bollywood #32

    Namaste Bollywood #32

    今号は、日パ国交60周年記念と銘打って、昨今のパーキスターン映画界の特集が組まれている。

    かつては地場の映画製作が不振で、年を追うごとに映画館の数も減少といった有様が伝えられていたものだが、2007年公開のKHUDA KAY LIYEで、同国の映画界の潜在力を改めて見直した人は少なくないだろう。私自身もその映画を鑑賞して、パーキスターン映画もあなどれないと実感したクチである。その他、近年は国際映画祭でも注目を浴びた作品も複数あり、昨年インドでも公開されたBOLのようなヒット作もある。

    今号の記事によると、それらに加えてこのところは前述のボリウッドの二番煎じにもなかなか秀作が多いらしい。これらを観る機会があまりないのは残念な限りである。

    パーキスターンの映画製作の中心地、ラーホールの「ロリウッド」、カラーチーの「カリウッド」、どちらもボリウッドほどのタイトルの豊富さや多彩さは期待できないにしても、このところ秀作が続々出てきているとなると、やはりこの地域の映画に関心を持つ者としては非常に気になる。

    ところで、ボリウッド映画の公開本数が非常に少ない日本ではあるが、埼玉県に「インド映画専門」で上映する映画館が出来ている。ただし、現在までのところボリウッド映画の上映は行っていないようで、公開しているのはテルグ映画のようだ。今後の進展に期待したい。

  • INSPIRE マガジン

    イスラーム原理主義的主張を伝える「INSPIRE」というマガジンがあり、誰でもウェブ上で閲覧することが出来る。アル・カイダ系組織の広報戦略の一環と見られている。

    きれいなレイアウトで、パッと見た感じは普通のニュース雑誌のように見えるかもしれないが、記事内容は私たちが普段目にしているものとはまったく異なる。企業広告の類は一切掲載されておらず、一般の商業誌とは異なる政治パンフレットだ。

    今に始まったことではないが、インターネットの普及により、国によっては通常、頒布や販売が考えられなかった文書の配布が、いとも簡単なものとなり、瞬時に国境を越えて世界中に流通していく。賛同するかどうかは別として、何について声高に主張しているのかについて知っておくことは、決して悪いことではないだろう。

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