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カテゴリー: column

  • サッカーボール Made in Pakistan

    サッカーボール Made in Pakistan

    ADIDAS、DIADORA、PUMA、NIKE等々、ブランドを問わず、サッカーボールに表示されている生産地は、パーキスターンとなっていることが多い。世界に出回っているこれらのボールのおよそ8割は同国で製造されているという。もちろんサッカー以外の種目においても、とりわけ縫いボールの場合はたいていそんな具合らしい。

    だがパーキスターン各地で広くこれらが生産されているわけではなく、パンジャーブ州のスィヤールコートに集中しているのは興味深い。縫いボールの工程が機械化されているところもあるらしいが、やはり主流は手縫いであるため、極めて労働集約的であることから、低賃金で作業する労働力が豊富にあるところということになる。するとパーキスターン全土はもとより、南アジア地域で普遍的にこの産業が盛んであってもいいように気がするのだが、そうではなく、一極集中しているのには何か理由があるに違いない。

    パーキスターン以外にも、サッカーボールを大量に生産している国は他にもいろいろある。中国製のボール、南米で作られたボールもあるし、価格帯は非常に高かったがかつては日本製も公式試合球(市場はほぼ日本国内に限られていたようだが)として販売されていた。

    パーキスターンでサッカーボールの生産が飛び抜けて多いことについて、歴史的な経緯という観点からは、サッカーの母国であるイギリスの海外領であり、家畜の屠殺が盛んであったということがある。ボールの外皮として使われる牛皮はもちろんのこと、現在使われているゴムチューブが普及する前までは、牛の膀胱が使用されていたため、ボール製造の材料の有力な供給地であった。

    牛皮といえば、今では本革のサッカーボールはほとんど見かけなくなった。かつてはサッカーボールといえば、当然のごとく革製品であった。皮革という性質上、同じメーカーの同一品番の製品であっても、かなりバラつきがあった。同じように使用していても、かなり寿命が異なった。動物の皮である以上、部位により厚みや硬軟にどうしても差異が出てくるため、ボールに空気が充満して表面が緊張した状態で放置すると、ゆがみが生じてくる。そのため、練習や試合で使う際にポンプで空気を入れて、使い終わったら空気を抜いて保存するというのが常識であった。これを怠ると、とりわけ安価なボールの場合、楕円形になってしまったり、縫い目が広がってチューブが外にはみ出してきたりすることがよくあった。

    主流であった本革から人工皮革へと素材が切り替わる大きな転換期は、1986年メキシコで開催されたワールドカップであった。サッカー選手としてピークにあったマラドーナが大活躍して母国アルゼンチンを優勝に導いた「マラドーナの、マラドーナによる、マラドーナのための大会」として広く記憶されている大会だ。彼の「神の手」によるゴール、伝説の5人抜きなど、後々に語り継がれるプレーを連発した大会だった。この大会で公式球として採用されたのは、ADIDAS社のAZTECAというモデル。ワールドカップ初の人工皮革製のボールだった。

    人工皮革のボールが普及し始めた当初、高級品を除けばまだまだ本革製品と質感が異なり、あまり積極的に手を出す気にはならなかったものの、クオリティの向上には目覚ましいものがあり、耐久性の面はもちろんのこと、サッカーの全天候型競技という性格からも、雨天でも水を吸収して重くなって反発性が失われるという本革特有の欠点とは無縁で、濡れた後の手入れの面倒もなく、素材の普及とともに高級品が低価格化していくという非常に喜ばしい展開が進んでいく。その結果、本革製品を市場からほぼ駆逐することになった。

    サッカーボールの人工皮革化は、テニスコートほどの広さのコート(体育館あるいは人工芝)で行う5人制の競技、フットサルの普及にもつながっている。もともと「サロンフットボール」ないしは「インドアサッカー」として知られていたものだ。これのラテン式名称の略語フットサルが定着した結果、競技の正式名称として採用されるようになった。このスポーツで使用されるボールのサイズは、成人のサッカーで使用される五号球であるのに対して、四号球とひと回り小さいだけでなく、外皮には低反発素材を含む人工皮革が使用されており、狭い場所での競技に適した反発性に仕上げてある。人工皮革素材の発展と普及なくして、この競技が現在のように広まることはなかっただろう。

    話はスィヤールコートのボール生産に戻る。3月24日(土)と25日(日)に東京渋谷区の代々木公園で開催された「パキスタン・バザール」に、日本の外務省招聘により、スィヤールコートの工場関係者たちが出展していた。ブースには工場の経営者とともに工員2名が詰めており、サッカーボールの手縫い作業を実演していた。初めて外国を訪れたという工員たちとも少し話をしたのだが、作業はなかなか時間がかかるもののようで、一個縫い上げるのに2時間くらいかかるとのこと。そのため1人が丸1日かけても、せいぜい4個か5個程度しか作ることができないらしい。世界の生産量の8割を担うというスィヤールコートで、どのくらいの人々がこうした作業に従事しているのか、ちょっと想像できない。

    一針一針丁寧に縫い上げていく慣れた手さばきはお見事!

    スィヤールコートという街自体は、人々の平均年収が1,370米ドルと高く、パーキスターン全土の平均値の倍ほどの収入を上げていることから、地域経済におけるボール生産業の貢献度は非常に高いものと思われる。

    とはいえ、こうした製品はMade in Pakistanとして消費者からの需要があるわけではなく、あくまでも生産委託元の外国ブランドの名前で輸出されるがゆえのことであり、内外の市場で通用する地場ブランドが存在していないことについては憂慮すべきものがある。同様に、スィヤールコートなくしてサッカーという世界的な競技が成り立たなくなっている現状にもかかわらず、相も変わらずパーキスターンはサッカー不毛の地であることについても、なんだかお寒い限り・・・としか言いようがない。

  • PACPAD

    PACPAD

    こんな記事を見かけた。

    iPadならぬ「パクパッド」、パキスタン国防省が生産 (asahi.com)

    googleで検索してみると、同様の記事がいくつか引っかかってくる。

    $200 PACPAD by Pakistan military (ubergismo)

    PACPAD: An Android Tablet by Pakistan Aeronautical Complex (Android Phones in Pakistan)

    上の記事ではスペックも記されており、こうしたタブレットPCとしては一般的なレベルのものであるようだ。タブレットPCの低価格化はかなりの速度で進行している。とりわけ第三世界で開発製造されるアンドロイドOSを用いた製品としては、7インチ画面の製品で200米ドル前後という価格は、とりたてて安価というわけではないが、軍需企業による一般消費者向け製品という点が話題になっているのだろう。

    ちょっと気になるのは、この製品のホームページhttp://www.cpmc.pk/products/pad/にアクセスしようとすると、PC画面に以下の表示が出たこと。

    ウェブサイトに何か仕込んであるのか、それともハッカーに攻撃されたのか知らないが、ちょっと危険な匂い?がする。果たして、製品自体は大丈夫なのだろうか、と締めくくってしまっては、懐疑的に過ぎるだろうか?

  • Namaste Bollywood #32

    Namaste Bollywood #32

    今号は、日パ国交60周年記念と銘打って、昨今のパーキスターン映画界の特集が組まれている。

    かつては地場の映画製作が不振で、年を追うごとに映画館の数も減少といった有様が伝えられていたものだが、2007年公開のKHUDA KAY LIYEで、同国の映画界の潜在力を改めて見直した人は少なくないだろう。私自身もその映画を鑑賞して、パーキスターン映画もあなどれないと実感したクチである。その他、近年は国際映画祭でも注目を浴びた作品も複数あり、昨年インドでも公開されたBOLのようなヒット作もある。

    今号の記事によると、それらに加えてこのところは前述のボリウッドの二番煎じにもなかなか秀作が多いらしい。これらを観る機会があまりないのは残念な限りである。

    パーキスターンの映画製作の中心地、ラーホールの「ロリウッド」、カラーチーの「カリウッド」、どちらもボリウッドほどのタイトルの豊富さや多彩さは期待できないにしても、このところ秀作が続々出てきているとなると、やはりこの地域の映画に関心を持つ者としては非常に気になる。

    ところで、ボリウッド映画の公開本数が非常に少ない日本ではあるが、埼玉県に「インド映画専門」で上映する映画館が出来ている。ただし、現在までのところボリウッド映画の上映は行っていないようで、公開しているのはテルグ映画のようだ。今後の進展に期待したい。

  • INSPIRE マガジン

    イスラーム原理主義的主張を伝える「INSPIRE」というマガジンがあり、誰でもウェブ上で閲覧することが出来る。アル・カイダ系組織の広報戦略の一環と見られている。

    きれいなレイアウトで、パッと見た感じは普通のニュース雑誌のように見えるかもしれないが、記事内容は私たちが普段目にしているものとはまったく異なる。企業広告の類は一切掲載されておらず、一般の商業誌とは異なる政治パンフレットだ。

    今に始まったことではないが、インターネットの普及により、国によっては通常、頒布や販売が考えられなかった文書の配布が、いとも簡単なものとなり、瞬時に国境を越えて世界中に流通していく。賛同するかどうかは別として、何について声高に主張しているのかについて知っておくことは、決して悪いことではないだろう。

    VOL.1

    VOL.2

    VOL.3

    VOL.4

    VOL.5

    VOL.6

    VOL.7

  • さくらフェスティバル 2012

    今年も東京都千代田区九段にあるインド大使館にて、さくらフェスティバルが開催される。

    さくらフェスティバル2012 (インド大使館)

    会期は3月31日(土)から4月8日(日)までと長いが、日によって開催時間が異なる。詳細については、上記リンク先のPDF文書をご参照願いたい。

    なお、先日『春の足音』と題して取り上げてみたとおり、今週末の3月24日(土)と25日(日)には、東京都渋谷区の代々木公園にて、『パキスタン・バザール2012』と『ソンクランフェスティバル2012』が場所を分け合っての開催となる。

    今年もいよいよ屋外イベントの季節が始まろうとしている。

  • Grameen UNIQLO

    近年、新たな『世界の工場』として注目されてきているインドの隣国、バーングラーデーシュにて、UNIQLOを展開するファーストリテイリングが興味深い取り組みを行なっている。

    GRAMEEN BankグループのGrameen Healthcare Trustとの間に合弁会社を2011年8月に設立し、Grameen UNIQLOブランドでのソーシャルビジネスの展開だ。

    About the Social Business of Grameen UNIQLO (Grameen UNIQLO)

    同国への進出は、UNIQLO製品の生産地として依存度が非常に高い中国における高騰する人件費と頻発する労働問題に対するリスクヘッジという面が否定されるものではない。

    だが、上記リンク先を読んでみると、どうやら日本その他先進国等向けに販売する衣類の生産基地としての進出だけではなく、ソーシャルビジネスという位置付けにより、現地に根付いて、地元の人たち向けの製品を展開していることがわかる。また委託販売請負者となる『グラミンレディ』や『グラミンメンによる対面販売という点からも、また地場市場向けに、バーングラーデーシュ現地の素材を用いて、現地の縫製工場で仕上げた衣類は、これまで日本その他のUNIQLO店舗で販売されているものとは異なり、他国での展開の様子とはずいぶん違った形態での展開だ。

    男性の襟付きシャツ類、女性にはサーリーやその下に着るペチコート、加えてサニタリー用品まである。ウェブサイト(ベンガル語)には掲載されていないが、子供用のカラフルなプリントTシャツ類もある。

    取り組みが始まってからまだ日が浅く、紆余曲折もあるのではないかとも思うが、今後の展開にぜひ注目していきたい。

  • Sony Reader

    Sony Reader

    1年半ほど前に、『ドキュメント・スキャナー』と題して、書籍や雑誌記事類をどんどんPDF化させるために購入したスキャナについて取り上げてみた。

    『継続は力なり』という言葉を胸に、日々少しずつ、しかし欠かさずにスキャンを続けた結果、室内がスッキリ片付いて快適になってソファのひとつでも置くことになったかというと、なかなかそうはいかない。まだまだ山積みになっている書籍がある。 結局、電子化作業と並行して、いろいろ買い込んだりしているからそうなってしまうのだが、これでスキャナがなかったらと思うと恐ろしい。 だが、せっかく電子化した書籍類はパソコンに蓄積してあるため、もしこれが突然壊れたら・・・という恐怖もある。ゆえに毎週、外付けHDにせっせとバックアップをとるようにしている。

    何はともあれ、電子化は進んできたものの、パソコンやタブレットPCの画面でPDFを閲覧するというのは、通常のワードのその他のワープロ文書を書いたり読んだりするのと、あるいはウェブサイトを閲覧するのに比べて、非常に眼が疲れる気がしてならない。もちろん眼への影響は、それらと変わらないはずなのだが、書籍になっている活字を追うという行為は、これまでずっと紙面上で行なってきたため、どうしても紙の書籍を読むときの疲労具合と比較してしまうのかもしれない。

    そんなわけで、もっと楽に書籍を読みたいと思い、液晶画面ではなく、アメリカのE Ink社の電子ペーパーを画面に採用している電子書籍リーダーを購入してみることにした。

    だが電子ペーパー画面のモデルは案外多くないため、広く流通していて簡単に入手できるものとなると、やはりamazonのkindleかSonyのReaderあたりということになる。どちらもWi-Fiモデルがあり、簡単なウェブ閲覧やメールのチェックにも使えそうだ。

    SonyのReaderとKindle Touchを比較してみた。後者のほうに手頃感があるし、電子版書籍をネット上で購入するならば、Readerとは比較ならないほど膨大な量の書籍が用意されている。だが、私の購入目的は自前で電子化した書籍類を読むことであるし、ウェブ検索やメールチェックの際に日本語入力が不自由なくできるほうが良いと思い、しばらくあれこれ考えてみた結果、後者を購入することにした。Kindleは内蔵の4GBのスペースしか利用できないのに対して、Readerは、内蔵メモリーこそ半分の2GBしかないが、micro SD(最大32GB)を挿入して使うことができるため、電子書籍を保存できる容量は格段に大きくなる点でも有利だ。

    Eインク画面を利用するのは初めてだが、さすがに電子ペーパーと呼ばれているだけあり、紙のモノクロ印刷物を見ているのと変わらない感覚であるのが良い。これならば目が疲れやすいということはなさそうだ。液晶と異なり、画面が発光しているわけではないためだろう。もちろん太陽がさんさんと降り注ぐ屋外で見づらいということなく、周囲が暗くなるともちろん読めなくなってくる。紙と同じだ。

    少々残念なのは、そのサイズだろうか。6インチという画面はペーパーバックを電子化したものを読むにはまあ充分であっても、単行本をスキャンしたものを扱うには小さすぎる。もともと日本の文庫本や新書あたりのサイズを想定した大きさなのではないかと思う。画面を横表示にして読めば、表示される文字は大きくなるのだが、今度はスペースが狭く感じられる。

    ページをめくる際に生じる独特の挙動も液晶画面にはないものなので、最初はびっくりした。瞬間的にバラバラッと白黒反転するので、壊れたのかと思ったくらいだ。ページめくりはタブレットPCよりも遅いものの、じっくり読む本の場合は気にならない。だが辞書やリファレンス用の書籍(そういうものを電子化することはあまりないと思うが・・・)の類を閲覧するのには向かないだろうが、とりあえず私にとって当面は充分だと思っている。電源の持ちの良さは特筆すべきものがある。購入してから10日経つのだが、購入時にチャージしたバッテリーが上がる気配さえない。

    電子書籍を読むツールとしては、まだ発展途上という感じがするものの、もう少し大きな画面、そしてページめくりの反応がスムースで自然なものとなれば、100%満足のいくものとなることだろう。あるいは市中に出回るタブレットPCの液晶がもっと目に優しいものになっていき、電子書籍リーダー用として単機能(購入したモデルはWiFi接続してウェブサイトを閲覧可能)しか持たない、こうしたデバイスの存在価値が薄れていくのかもしれないが。

    とりあえずカバンの中に放り込んでおき、いつでもどこでもヒマさえあれば取り出して読書を楽しんでいる。

    画面はこんな具合
  • 2011年の地震の分布

    2011年の地震の分布

    2011年の世界の地震 分布図 (Youtube)

    本日、3月11日は東日本大震災からちょうど1周年ということになる。震災後、ずいぶん長く余震が続いた。ひところのような頻度ではないものの、今でも東日本を中心に頻発している地震は、やはり1年も前の大地震の余震なのか、それともあの日を境に地震の活動期に入ったためであるのか、様々なメディアを通じて流れる専門家たちの見解は様々である。

    日本は世界的に見ても地震が多い国のひとつであることは言うまでもないが、少なくとも2011年に限ってみれば、地震の頻発数ではどうやら世界一であったようだ。

    以下の動画は、昨年1年間に起きたマグニチュード4.5以上の地震の発生をまとめたものだ。2011年の元旦から大晦日までに、世界のどのあたりで地震が発生しているかを視覚的に把握することができるようになっている。

    2011年の世界の地震 分布図 World earthquakes 2011 (Youtube)

    3月11日の大地震発生とそれ以降の爆発的な激しい動きとともに、それ以降も大規模かつ非常に頻度の高い地震が繰り返されていることがよくわかる。

    ご存知のとおり、地震は特定の地域に集中して発生するものなので、日本、フィリピン、インドネシア、パプアニューギニアから南太平洋西部、そして南米のチリ周辺での発生が非常に多いこと、それらとは対照的にイタリア、ギリシアを除く欧州とアフリカの大半の地域では、地震が発生していないことが見て取れる。地震がほとんど発生しない地域に生まれ育った人たちは、年老いてこの世を去るまで滅多に『大地が揺れる』という経験をすることなく過ごすことになる。

    場所にもよるが、地震が比較的多く発生し、大地震による災害も周期的に起きる地域として認識されているインドは、昨年9月18日のスィッキムの震災とその後幾度か起きた北部での地震を除き、ほぼ平穏であったことがわかるだろう。

    上記リンク先の関連で、昨年1年間に日本国内で起きた地震の分布を示す動画もある。

    2011年の日本の地震 分布図 (Youtube)

    今年1月には、4年以内にマグニチュード7級の首都直下型地震が発生する可能性が70%というショッキングな報道があった。

    M7級首都直下地震、4年内70%…東大地震研 (YOMIURI ONLINE)

    たとえそれが従前に言われていたような30年以内という想定であったにしても、まさにいつ起きてもおかしくない地域であるだけに、残念ながら世界一の地震大国の人間としては、避けようのない危機に対してどう対処するかという大きな問題に直面しているわけである。

    日本の東北地方太平洋沿岸で起きた大震災の教訓を糧に・・・とは言ってみても、個人が出来ることは、せいぜい自宅に最低限の食料や水の備蓄をすること、ガラスの飛散や大きな家具類が倒れないような防止策を施すこと、家族との連絡手段の確認くらいしかないだろう。

    普段、都会では『大自然の脅威』などという言葉さえ忘れてしまいそうだが、ひとたび事が起きれば、その大自然の力の前で、私たちはあまりに無力である。

    ※チェラプンジー2は後日掲載します。

  • 「フェリーチェ・ベアトの東洋」 東京都写真美術館にて

    19世紀を代表する偉大な写真家、フェリーチェ・ベアトーの作品群が日本に上陸する。

    アメリカのロサンゼルスにあるJ.Paul Getty Museumによるフェリーチェ・ベアトー(1832-1909)の作品の国際巡回展の一環として、日本では東京都目黒区の東京都写真美術館での公開である。

    2年ほど前に、『時代の目撃者 ベアトー』と題して、写真家ベアトーについて取り上げてみた。今の残されている幕末の江戸の風景の秀作の中には、彼の手による作品が多いことは、日本でよく知られているが、1853年に勃発したクリミア戦争、そして1857年に始まるインドのセポイの反乱を撮影したことにより、戦争写真家の先駆けでもある。

    当時の交通事情はもちろんのこと、その時代の写真機材自体が後世のものとは大きく異なるため、彼が撮影したのは戦闘行為が終了した直後であるとはいえ、戦火の爪痕生々しい北インド各地の様子や処刑される反乱兵の姿などを伝えるとともに、当時の街中の様子なども活写しており、貴重な歴史画像を私たちに残してくれている。

    ベアトーの生涯を概観する日本発の回顧展という位置付けがなされており、アジアの東西で多くの風景を撮影した彼の青年期から晩年までの軌跡をたどることができる。写真芸術としての高い価値はもちろんのことながら、歴史的な重要性も極めて高い。

    今から180年前に生まれ、103年前にこの世を去ったベアトーが後世に残してくれた風景の中にじっくりと浸ることができる稀有な機会だ。

    会期は、3月6日から5月6日までの2か月間。

    フェリーチェ・ベアトの東洋 (J・ポール・ゲティ美術館コレクション) 東京都写真美術館

    ※チェラプンジー2は後日掲載します。

  • ハジョーとスアルクシー

    ハジョーとスアルクシー

    ポビットラ国立公園を後にして、ハジョーとスアルクシーに向かう。国立公園から見て、グワーハーティーを挟んだ反対側にこれらの地域があるため、一旦ゴミゴミした都会に戻ってから向かうことになる。

    市内を抜けて、ブラフマプトラ河にかかる大きな橋を渡り、グワーハーティー北部、つまりブラフマプトラ河の北側の市街地を通り、ハジョーに向かう。途中、片側二車線の見事な道路がある。高速道路並みにスピード上げたクルマがグングン流れていく。

    グワーハーティー出てから1時間くらいでハジョーに着く。ここにはヒンドゥーと仏教徒の巡礼が崇める五つの古い寺がある。その中で最も代表的なものはハイグリヴ・マーダヴ 寺だ。本堂への階段の下方にあるタラーブとその向こうの緑豊かな景色が美しい。扉を閉め切ったお堂からは、ドンドンドンと鳴り物の音が響いてくる。建物の造りとしては、さほど魅力を感じないが、本尊は6,000年もの歴史がある(?)ということになっているらしい。

    小高い丘の上にあるハイグリヴ・マーダヴ 寺から周囲を見渡す。
    建物自体はあまり興味を抱かせるものではなかった。
     
    スヤスヤと眠る仔犬3兄弟。ナガランドではなくて良かった・・・と思う。

    続いてスアルクシーに向かう。ここはムガーシルクと呼ばれる野蚕の織物生産で有名な町。どこに織物作業場があるのかと、通りかかった壮年男性に尋ねてみると「どこの家にもある」との返事。その男性、シャルマー氏は、自らの家の中に招き入れてくれた。彼は8人の職人を雇い織物を作らせているとのこと。機織機には、木で作られた沢山の穴が開いたプレートが上のほうに付いている。これはデザインのパターンのプログラムだ。こうした機織りの作業場はどこも同じように見える。基本的には彼と同じように小規模な家内工業として生産しているのが普通のようだが、大きなところでは100人ほど使って生産しているところもあるとのことだ。

    シャルマー氏自宅敷地内の機織り機

    シャルマー氏の家の作業場では、すでに職人たちは仕事を終えて帰宅しており、作業そのものを見ることはできなかった。すでに午後遅い時間帯に入ろうとしているため、近所にも作業をしているところはないようだ。ここでは午後3時くらいには、その日の仕事は終わり、みんな家路に着くのだともいう。朝は何時から働いているのか知らないが、まだ日が高いうちに家族との時間が充分持てることについては、ちょっと羨ましい気がする。

    『定時は午後3時』のスアルクシーの町

    ちょうどこの日の新聞記事に出ていたが、アッサムのムガーシルクの生産を機械化する試験プロジェクトが開始されたとのことだ。今のところ、昔ながらの手作業の機織機でギッコンバッタンと作業しているのだが、これを機械化するとどういうことになるのか。生産性の向上、そこからくる収入の向上は図られることはずだが、これまで育まれてきた匠の技は失われてしまうだろう。また現在生産に関わっている職工たちが、そのまま機械化された職場に雇用してもらえるのかどうかも疑問だ。利するのは生産手段を持つ立場にあり、かつ機械化に伴う投資をするだけの財力を持つ者だけということになりそうだ。

    そうは言っても、生産技術は時代とともに進化しなくてはならないということも事実。現在、職工たちが日々行なっている作業にしても、ある時代までは物凄い先端技術であったはずだ。今も使用されている機織機が広まる前の時代には、もっと古いやり方で布を織っていたはずなのである。伝統の維持と近代化はしばしば相反するものがある。

    小さな町なのに、ムガーシルクを販売する店舗は、大きなものから小さなものまでいろいろあり、この産業によって町の経済が成り立っていることが感じられる。どれも小売りと卸を兼ねているようだ。

    この町の『定時』らしい午後3時を回っているため多くは店を閉じていた。せっかくムガーシルクの産地として有名な町に来たので、記念にハンカチでも買おうとわずかに開いているいくつかの店で探してみるが、どこにもなかった。どこもアッサムで消費するサーリーその他のための品揃えをしてあり、私のような外国人が欲しがるようなものはないということに好感を覚える。今後、機械化される方向にあるとしても、観光客におもねる変な商品を手がけることなく、今後とも質実剛健な商いを続けて欲しいと思う。

  • ポビットラ国立公園

    ポビットラ国立公園

    グワーハーティー市内からタクシーでポビットラ国立公園を訪れる。アッサム州の国立公園といえばサイが多く棲息しているカーズィランガー国立公園が有名だが、あまり時間がなかったので、州都郊外の国立公園を訪れることにした次第である。

    トタンでできた傾斜付きの屋根の家屋がどこまでも続く。左右に広がる農村風景が美しい街道沿いで、私たちのクルマの前をナンバープレート無しの車両が走っている。そういえば昨日もそういうクルマを見かけた。運転手は「ハハハ。このクルマだって最初の2か月はナンバー無しだったんです。だってなかなか発行されなかったんですもん。」と事も無げに言う。田舎州とはいえ、いい加減なものだ。

    グワーハーティーから1時間少々で国立公園に到着。管理事務所の人が出てきて、園内に乗り入れる専用ジープが500ルピー、車両乗り入れ料金が300ルピー、加えて入場料は20ルピー、カメラ持込料が50ルピー。総額で870ルピーになるという。クルマと乗り入れ料金はともかく、入場料等については今どきのインドの国立公園としては安いなぁと思った。係の男と一緒に事務所に入って手続きの最後でチケットを切る際に、「どこから来られましたか?」という問いに対して、日本からと答えてしまったのが失敗であった。

    「あ、外国人の場合は違う料金なんです」とこの係員。外国人は、車両乗入れ料金は同じだが、入場料は250ルピー、カメラ持込が500ルピーもするため、ジープ代も含めて1,550Rsにもなってしまう。だがチケットにはそう印刷してあるので、こればかりは仕方ない。カーズィランガー国立公園と同額になっているようだ。ここまで乗せてきてくれたタクシー運転手のチャンパクは、国立公園を見学したことがないというので、彼の分の入場料は免除してもらい同行させることにした。

    チャンパクはアッサム人とのことだが、見た目はもっと西のほうの人間に見えるし、見た目も物腰も中産階級みたいな雰囲気がある。黄色の営業ナンバーのクルマではなかったこともあり、国立公園の職員の人たちも、当初彼を運転手ではなく観光客だと思っていた。ジープには専門の運転手と銃を持ったレンジャー1名が同乗する。

    国立公園見物に出発!

    園内は思っていたよりも広かった。世界で最もサイの居住密度が高い国立公園とのことだ。2004年の調査によると、ここには84頭のサイが生息しているとのこと。サイが近くで見られるかと期待していたが、森の中で木のもっと向こうに大きなサイが一頭いた。もっと近づきたかったが、危険であるとのこと。

    木立の向こうに見えるサイのお尻

    サイたちがよく出没するという水場には鳥しかいなかった。深い草原をジープで走った4先にも小さな水場があるが、どこにもサイの姿はなかった。

    水場にサイの姿はなかった。

    最後に大平原と表現したくなる開けた場所に出ると、はるか彼方、一キロか2キロくらい先にゴマ粒程度に見えるサイらしき姿がある・・・といっても、私の眼にはよくわからない。ジープの運転手とレンジャーは相当な遠視のようだ。あそこに三頭、ここに一頭、あちらに二頭と彼らは言うが、こちらはコンパクトデジカメで撮影した画像を拡大して、ようやくそれらがサイであるらしいことを確認できる。そこここに体格の良い水牛の姿も多いのが紛らわしい。タクシー運転手のチャンパクも「肉眼だとあまりよくわからないですね。」と言う。

    はるか彼方に何頭かサイの姿が・・・。

    こういう場所では一眼レフと高倍率の望遠レンズが必要である。平原を過ぎて外に出る。高く盛り土をして造られた道路が国立公園と外の田畑が広がる地帯との境界になっており、この道路からも何頭かサイの姿が確認できた。やはりデジカメで撮影した画像を拡大しての話だが。

    言うまでもなく、国立公園での観察対象は野生動物であるため、至近距離で遭遇できるかどうかは運とタイミングによる。サイたちがよく出没するという水場がこの国立公園の最大のハイライトのようだ。そのチャンスを最大にするには、おそらく朝の早い時間帯に訪れてみるのが良いのではないかと思う。

    それでも人口80万人超を擁する北東インド随一の大都会グワーハーティー郊外に、こうした国立公園があるということ、同じく郊外にあるハジョーやスアルクシーといった見どころと合わせて一日で回ることができるということは魅力である。

  • 春の足音

    長い冬の間、屋外で大きな催し物があまり行われない北国日本の首都東京だが、3月の声を聞くと、ようやくイベント広場に賑わいが戻ってくる。

    東京渋谷区の代々木公園イベント広場にて、3月24日(土)・25日(日)の午前10時から午後7時半まで、『パキスタン・バザール2012』が開催される。

    同じく代々木公園のけやき並木で開催の『ソンクランフェスティバル2012』と場所を分け合っての催しとのことである。

    そのあたりの時期は、季節の変わり目ということもあり、大荒れの天気に見舞われることも多く、そうした意味では大博打ともいえる屋外イベントだ。主催者、出展者その他関係者の方々の尽力が報われるべく、穏やかなポカポカ陽気のもとでの開催となることを願いたい。