血だるま剣法、インド人フレンドリー版

 本ブログのこのページで、平田弘史著「血だるま剣法」のヒンディー語版がインドで密かに出版されたことをお伝えした。売れ行きはさっぱりのようで、翻訳した僕もがっかりの展開だが、それでも懲りずに先日、新版が出版された。今度は、インド人にも読みやすいように、左から右にページをめくっていくようになっている。

20050503-photo0039.jpg
新版の一部
左右逆になっている


 左右反転させたので、大半の絵は左右逆になってしまっている。刀を持つ手も左手になってしまっている。普通のセリフの部分は大丈夫だが、効果音や掛け声など、絵と一体になっている文字は、左右逆になってしまっており、日本語が読める人はおかしな気分になるだろう。
 こうした方がインド人には読みやすいと思われるが、しかしこれが売れ行きにどう影響してくるのか、まだ謎である。基本的にインドの文化は「読み書き」の文字を媒介としたものではなく、「見る聞く話すと暗記」の口承文化なので、書物というのは日本ほど一般人の生活に根付いていない部分があるように思われる。未だに文字が読めない、文字が書けない人は多いし、読み書きができたとしても、文字を媒介とした娯楽というのはあまり娯楽に感じないという文化背景があるように感じる。漫画は子供の読むもの、という固定観念も根強い。
 こう考えてみると、漫画の流行は、識字率の高さと、娯楽に金と時間を費やすだけの経済的・時間的余裕が最低条件になっているように思われる。インドの識字率は2001年の国勢調査によると64.8%。つまり10億人中6億人ほどの人しか文字が読めないことになる。しかもさらに恐ろしいことには、「識字できる」と判断する基準は、「自分の名前を書くことができるかどうか、署名をすることができるかどうか」だけらしい。つまり、文字で書かれた文章を読んで理解できる人の数はこれ数字よりも圧倒的に下回る可能性が高いということだ。
 最近インドの鉄道駅では、列車の予約をするのに用紙に記入しなければならないようになっている。この制度は、一見すると便利なシステムだが、文字の読み書きができない人にとっては非常に不便なシステムである。よって、駅の予約オフィスで用紙を記入していると、「ちょっと助けてくれ」と話しかけられることがある。外国人に対して何の用事だと思って話を聞いてみると、「文字の読み書きができないので、代わりに書いてくれ」ということである。こんな状態で、漫画の普及を期待するのは、まだまだ難しいかもしれない。
 もっとも、「血だるま剣法」が売れないのは、この作品があまりにマニアックすぎというのも大きな原因だろう。ちょうど日本で、「ムトゥ踊るマハラジャ」が流行した後、「アシュラ(原題:Anjaam)」というマニアックな映画が公開されたが、あれと同じ状態に陥っているように思われる。僕は「アシュラ」を渋谷の映画館に見に行ったが、観客が僕しかいなくてビックリした覚えがある。
 インドで漫画を流行らせるというのは、一種の革命に近い事業だ。これからも続々と(マニアックな)漫画がヒンディー語に翻訳されて出版される予定だが、果たしてこの革命は成功するのだろうか?

This entry was posted in . Bookmark the permalink.