血だるま剣法

 この度、デリーで日本の漫画がヒンディー語化されて発売された。現在、インドのTVでは「ポケットモンスター」などの日本のアニメが英語やヒンディー語で多数放映されているが、日本の漫画がヒンディー語化されて発売されたのは初めてのことではないだろうか?誰がヒンディー語に翻訳したかというと、恥ずかしながら僕である。とは言っても、ただ単に頼まれて翻訳しただけで、僕が主導したわけではない。
 その記念すべきヒンディー語漫画第一作となったのは、平田弘史著「血だるま剣法」。おそらくこの漫画を知っているのはマニアだけだろう。僕も翻訳するまで知らなかった。江戸時代を舞台にした時代劇漫画だが、部落出身の剣士が主人公という微妙な設定で、1962年に出版された途端、発禁処分になってしまったという曰く付きの漫画である(詳細は下記トラックバックやコメントを参照のこと)。コレクターの間では長い間レア本として有名だったようだが、日本では2004年9月に再出版されたそうだ。よりによってそんなマニアックな漫画がヒンディー語漫画第一作となってしまったのは、歴史の悪戯と言うべきか。どうせなら「ドラえもん」とか「鉄腕アトム」とか、日本でも有名な漫画をインドに紹介するのが正攻法だったように思えるが・・・。

20050128-photo0017.jpg
血だるま剣法


 ヒンディー語で漫画を出版するという冒険に乗り出しているのは、漫画家の山松ゆうきちさん。去年の11月末、テスト週間中の忙しいときに翻訳を頼まれた。「血だるま剣法」の作者は、山松さんの師匠であり、この作品は山松さんの一番のお気に入りだという。そういう関係で、この漫画が最初にヒンディー語化されることになった。
 僕は最初、「英語で出版した方が売れると思いますよ」と助言したのだが、山松さんは「どうしても現地語のヒンディー語で出したい」と強く主張した。識字率の問題、漫画を読むテクニックの問題、内容理解の問題など、多くの困難が思い浮かび、「まだインドに漫画は早いのではないか」と思ったが、多くの人が「インドなんて英語で十分」と考えている中、ヒンディー語に対してこだわりを見せてくれたことが嬉しくて、ふたつ返事で引き受けることにした。
 漫画の翻訳、しかも時代劇の翻訳ということで、訳には全く自信がない。まず、語彙をサンスクリット語彙中心にするか、ウルドゥー語彙中心にするかで悩んだ。中世の雰囲気を出すにはどちらが適切だろうか・・・。悩んだ末、結局、あまりそういうことにはこだわらず、語感がいい方で訳すことにしてしまった。また、効果音や掛け声の訳でも悩んだ。「ドタッ」「ハァ!」「ガッ」などの音を、そのままヒンディー語の文字にすればいいのか、それとも、ヒンディー語の漫画でよく使われているような効果音にすればいいのか。後者の方が適切なのだが、ヒンディー語の漫画を読んだことがあまりなかったため、効果音の語彙が自分にないことに気付いた。急いで訳していたので、効果音まで本格的に訳すことが適わなかった。よって、ただ単に日本語の音をヒンディー語で表しただけになっている。漫画をヒンディー語に訳す際、効果音の辞書や語彙録などを作っておいた方がいいかもしれないと思った。訳が完成した後、一応日本語の分かるインド人にチェックしてもらったようだが、それでもまだ自信がない。
 僕の仕事は翻訳だけだったが、その後の印刷などはかなり苦労したらしい。日本と違ってインドの出版技術はいい加減なので、何度刷り直してもなかなかうまくいかなったようだ。ある箇所が駄目で、それを直して刷り直すと、今度は別の場所が駄目になっている、というようないたちごっこの繰り返しだったという。それでも何とか出版までこぎつけたようだ。
 完成した本をもらったが、外装はなかなか立派な出来映え。ところが、中をペラペラめくってみると、誤植が多くて気が沈んだ。短母音と長母音が逆転していたり、鼻母音を示す点の大半が消えていたり、変なところでコンマが入っていたりと、インド人が写植を行ったとは思えないミスだらけだった。
 日本の漫画を外国語に翻訳して発売する際、大きな問題となるのが、本の向きである。日本の漫画は基本的に右から左にめくって読んでいくが、英語やヒンディー語の漫画は左から右にめくって読んでいく。今回は日本の漫画の方式で出版したが、インド人の感想を聞くと、「読みづらい」そうだ。かといって、ヒンディー語に合わせて左右反転させて印刷すると、右手と左手が逆になってしまい、都合の悪い部分が多く出てくる。ウルドゥー語なら右から左に読むので、その点は簡単そうだ。
 「漫画は子供の読むもの」という固定観念も、「血だるま剣法」の障害となっている。日本では子供向けから大人向けまで、ありとあらゆる漫画が売られているが、インドでは完全に子供向けのみである。「血だるま剣法」は残虐なシーンが多く、インドの不可触民問題にも関連するデリケートなテーマを扱っており、どう見ても子供向けではない。
 値段は45ルピー。この値段も、どの層をターゲットにしているのか、いまいち分かりにくい数字かもしれない。
 予想通りというか、残念ながらというか、ヒンディー語版「血だるま剣法」は今のところほとんど売れていないらしい。とりあえず、コンノート・プレイスの近くのどこかの本屋と、日本食材店「Yamato-ya」に置かせてもらっている。・・・ある意味相当貴重な本と言えるだろう。

This entry was posted in . Bookmark the permalink.

16 Responses to 血だるま剣法

  1. たもん says:

    「血だるま剣法」がヒンディー語漫画第一弾とはおそれいりました! すごいチョイスですねぇ…。
    「血だるま剣法」いまだ未読ですが、このコラムをよんでずっと気になっていました。
    http://takekuma.cocolog-nif...

  2. arukakat says:

    インド人に日本の漫画が受けるかどうかはともかく、コレクターズ・アイテムになるような気がしてなりません・・・。

  3. 吉外ぴえろ says:

    マンガ評論家で思想家の呉智英先生が、血だるま剣法を高く評価していました。
    インドでの売れ行きはともかく、arukakatさんは思想史、マンガ史に残ることをしたのではないでしょうか…

  4. arukakat says:

    山松ゆうきちさんとは、ある日突然電話がかかってきて、翻訳を頼まれた、という仲です。最近お目にかかっていませんが、「血だるま剣法」のあまりの売れ行きの悪さに失望されて日本に帰られたかもしれません。

  5. 『血だるま剣法』がインドで出版

    マジですか。 http://indo.sub.jp/arukakat/index.php?itemid=180 ↑ちょっと古いエントリなんですが、さっき気が付き

  6. またしち says:

    >1962年に出版された途端、発禁処分になってしまった
    「発禁」と言うのは、「違法な出版物や禁制品などの発売を法的に差し止めること」を言うそうだから、適切な用語じゃないね。たけくまメモによれば、所謂「糺弾」よる絶版だから。

  7. arukakat says:

    竹熊健太郎さん、トラックバックありがとうございました。また、またしちさん、ご助言ありがとうございました。「発禁」という言葉を修正すると、またしちさんのコメントの文脈が不明になってしまうので、参照という形で本文に注意書きを挿入させていただきました。

  8. たけくま says:

    こんにちは。山松ゆうきちさんとはどういうお知り合いなのですか。
    とにかく、あまりにも意外でしたのでついトラックバックしてしまいました。

  9. たけくま says:

    うーん。するとインドにいらっしゃったのですね、山松さん。うーん。
    やはりarukakatさんのおっしゃるように、インドの人の需要をもっと考えて出すべきでしたね(笑)。
    でもヒンディー語の「血だるま」、読んでみたいです。

  10. 悪魔に魂を売っても

    5時半頃起床して南武線で鶴見へ行き大川支線に乗る・・・つもりだった。10時頃起床。そりゃそうか。昨夜も3時過ぎまで夜更かししてたしなあ。11時過ぎに行動開始。秋津の来々軒で麻婆豆腐。しかし最近は、腹も減って…

  11. nobis says:

    ベトナムで日本のマンガ人気、クルマの売上げの3倍

    ベトナムで日本のマンガの人気が高まっているようです。
    香港、台湾などで人気なのは知っていたのですが、ベトナムもですか。インドでもその内人気が出てくるんじゃないかと[Link]。
    日本漫画の売上、自動車の3…

  12. arukakat says:

    蝿さん
    東京で手に入る場所があるみたいですよ。
    http://www.tacoche.com/

  13. இ 蝿 says:

    この貴重な労作を入手したいんで
     日本食材店「Yamato-ya」
    の住所を教えていただけませんか?
    デリー・ウォーカーにはなかったね。

  14. இ蝿 says:

    失礼、南の方にありましたね。
    僕はバック・パッカーで南には縁がなくて。この前デリーを訪ねた際も、Qutab Minarでさえパハール・ガンジからリキシャーの運賃高そうと思って躊躇して、結局行きませんでした。

  15. ஈ 蝿 says:

     いや〜便利ですね。
    yamamoto-yaに手紙書いて送ってもらおうなんて旧時代的発想してたんですが、たった今注文完了。1週間以内に届くでしょう。
    『蝋筆小真』(クレヨンしんちゃん)とか中国語版の日本の漫画なんかも集めてるんで。ロンバ・サンドーシャン!
    アルカカットさん『はだしのゲン』でもいつかヒンディー語に翻訳してインド世界に(インド人なら誰でも知ってるはずの?)広島を紹介してくれませんか。英語版(完全版)は翻訳が進行中です。
     インド諸語(地名・人名)のカタカナ表記法41ページを拝見しています。時間があって充分インド研究に没頭しているんですね。僕らシロウトは仕事しながら片手間でチラチラです。敬服します。

  16. arukakat says:

    行動が迅速ですね・・・。「血だるま剣法」の訳は本文中に書いた通り、あまり人様にお見せできるようなものではありません。訳し方のニュアンスのミスの全責任は僕にありますが、チャンドラビンドゥ、ビンドゥの欠落や長母音・短母音の混乱、単純なスペルミスなどは写植の人のミスです。しかし翻訳者として僕の名前が載ってしまっているので、言い訳できない状態となっています。僕も最終チェックに立ち会うべきだったと今になって悔やまれています。その辺りはどうか差し引いてご覧になって下さい。

Comments are closed.