バンコクにある最古のモスクのひとつとされるハルーン・マスジッド。
G.P.O界隈にある小ぶりな建物だ。1947年にモスクとしてタイ政府に登録されているが、イスラーム教の礼拝所としての歴史は、20世紀初頭まで遡るらしい。
アラブ系インドネシア人ムスリムによって建てられた経緯もあり、周囲にはマレー系住民の姿が多いとともに、イスラーム関係の施設や店がいくつもある。
初めての訪問だが、近くまで行ってから人に尋ねても知らなかったり、見当違いな方向を教えられたりする。しかしながらGoogleの地図サービスで検索してみると、現在地からのクルマや徒歩でのルートが瞬時に出てくる。便利な時代になったものである。
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2017年のマレーシアホテル

建物外側に取り付けられた斬新な感じの飾りを除けば、外観は昔ながらの佇まい。 かつてバンコクのマレーシアホテルといえば、大変いかがわしいムードが漂っていたものだ。1970年代、帰休の際にタイを訪れるベトナム戦争従軍中の米兵たちの利用が多かったことに由来する、男性の歓楽地としての伝統(?)みたいなものを引きずっていた。1990年代に入ってからも、そんな感じであった。
1階ロビーや併設されたカフェあたりには、「いかにも!」という感じの女性たちがたむろしていて、出入りする人たちに流し目を送っていたものだ。バンコクを幾度か訪れたことがある方ならば、ちょうど現在のナーナー・ホテルのような具合と言えば理解してもらえることだろう。
さて、そのマレーシアホテルだが、近年は大胆に路線変更して健全なファミリー向けのホテルに生まれ変わったという話を耳にしていたので、実際に宿泊してみた。聞いていたとおり、そういう過去を感じさせる片鱗さえまったく見当たらない落ち着いた雰囲気になっている。
経営者が代替わりしたか、所有者が他者に売却でもしたのだろうか。現在の客層は西洋人の親子連れや中高年カップルが多いようだ。建物の造りや室内外の設備はさすがに古くなっているが、キレイに改装してあるため快適に過ごすことができる。
このエリアは、旅行者ゾーンとして賑わっていたものだが、これまたそういうムードではなくなっている。界隈に沢山あったゲストハウス、旅行代理店はほとんどなくなっており、シーロムのオフィス街が徒歩圏内にある都心の住宅地といった風情だ。
旅行者相手の宿や店が姿を消しているが、空き家になっているわけではなく、普通の家屋や住宅地の商店に入れ替わっているため、寂れた感じではない。
カオサンやスクムヴィットの宿に宿泊するよりも、ずいぶん静かに過ごすことができるし、ラーマ4世通りやMRTのSilom駅やKhlong Toei駅にも近くて便利だ。繁華街に宿泊しなくてはならない特段の理由がなければ、便利な都心で閑静な環境にある2017年のマレーシアホテルは、なかなか好印象であった。
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Sri Mariamman Temple
バンコクのシーロムにある有名な南インド系寺院。またの名をワット・ケーク(インド寺)。1860年代にタミル系の人たちによって建てられたもの。
ヒンドゥー教の裾野と仏教のそれは重なる部分があり、テラワダ仏教のタイだが、信仰の周縁部には、ヒンドゥーの神々の存在感もあることから、タイ人の参拝者でごった返している。
この界隈には神具屋が多い。その中のひとつに入ってみると、インド人のお爺さんがおり、9年前からここで働いているという。立派な風采なので、てっきり店主かと思ったが、タイ人オーナーが経営する店で、彼は雇われているだけのようだ。名前からしてブラフマンなので、いかにも神具屋にはピッタリという感じだ。
UP州のゴーラクプルから来ているとのことで、バンコクでは近くにある北インド系寺院に起居しているそうだ。何代も続くインド系社会というインフラがあるので、こうした新規の移民が定着する隙間というか、懐の深さがあるのだろう。
どういうヴィザで来ていて、月にいくら位稼いでいるのか、ちょっと関心のあるところだが、まさか初対面の人にそんなことを尋ねるのは気が引ける。
インド人は、けっこうそんなことを外国人にズケズケと質問してくるのだが・・・。
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サダルストリートのブルースカイカフェの謎
年始にちょこっとカルカッタを訪れたときの写真。何十年もあんまり変わらないたたずまいだ。ひどく不味いわけではないが、さりとて何か旨いものがあるわけではまったくない。早朝から開いているのはここだけ(及び向かいの似たような店)しかないので、やむなく利用したりする。
お客は欧米や日本などからの安旅行者と、界隈からバングラデシュからの直行バスが発着するため、バングラデシュ人客が多い。
いつ無くなっても不思議ではない没個性なダメ食堂ではあるが、なぜかそれなりに繁盛して、店舗内だけではなく、近隣のゲストハウスでルームサービスを頼むと、ここから宿まで運ばれ、宿のボーイが客室に持っていくようになっている。
キッチンを持たない安宿と客室を持たない安食堂の持ちつ持たれつの関係があるが、ちょうど安宿街の真ん中に位置しているため、便利なロケーションであることに加えて、朝早くから夜遅くまで開いているという、この通りでおそらく最も長い営業時間が幸いしているのかもしれない。
さりとて、この店が繁盛する理由など何もないように思われるのは、近年界隈でいくつかキレイな店が出来ているからだ。だが不思議なことに、そういうちょっといい感じの店は、次に行くと無くなっていたりするのに、こんなブルースカイカフェ如きが永遠不滅なのはなぜだろうか?
ミニマムなコスト、最低限の努力?で最大限の利益を得て長続きしているとすれば、ここのオヤヂは経営の神様かもしれない。もっとも、界隈にあるオンボロ宿、モダンロッジやホテルパラゴンも最低限の投資でずいぶん長く続いているので、彼らは天才経営者?なのかもしれない。
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インド系商業ビルの外で
バンコクのインド人街、パフラット地区にあるグルドワラ・スリ・グルー・スィン・サバーのインディア・エンポリアムという商業雑居ビルのすぐ外に、こんな立て札があった。
マナーの悪い新参者のインド人が多いのだろうか。
『ツバ、タン吐き禁止だぞ。捕まったら罰金500バーツ、いいかぁ?』というような、簡単な注意書きで間違いがあるくらいなので、これを書いたのはバンコク生まれのインド系の人かもしれない。
界隈には、複数世代に渡り長くタイに在住してきたインド系タイ人、近年インド本土からやってきた人、ネパール人、隣国ミャンマー在住のネパール系の人などが多く出入りしており、インド料理の店、ミターイーの店、神具屋にインド衣類の店なども集中している。このあたりのインド系の人たちの人口は、そこそこの規模がありそうだ。
ふだんは乗換えで立ち寄る程度のバンコクだが、いろいろ調べてみると興味深そうに思える。 -

ゴアの郵便

Basilica of Bom Jesus 
Basilica of Bom Jesus内部 オールド・ゴアのBasilica of Bom Jesusに併設されている博物館を訪れた。ここで植民地時代の遺物や歴代の総督や要人の絵とともに、ポルトガル領時代の郵便に関する展示があり、なかなか興味深かった。
ゴアとポルトガル間での郵便の往来は1510年に開始されたそうだ。所用6ヶ月ほどで、喜望峰経由の運搬。海賊被害や海難事故により、届かないことも多かったのだとか。
また1798年3月23日から(日付もきちんと記録されているのはさすが西洋の国)は、ゴア、ボンベイ、ダマン、ディーウ(ここまでは当時のポルトガル領インド。ボンベイは、1961年にポルトガルのカタリーナ王女が英国王室に輿入れの際、イギリスに割譲)、スーラト(現在のグジャラートの港町。ここにポルトガルの東インド会社商館があった。ポルトガルからイギリスに割譲されてからボンベイが急成長することにより衰退) 、モザンビーク、そしてポルトガル本国のリスボンとの間での郵便が開通。
しかしながらこれは政府間の書簡の往来のためでありも民間人が利用できるようになるまではその後1世紀近くかかったらしい。
また、英領インドとの間では1822年から始まったらしい。そのいっぽうで、ゴアの地域間での郵便の往来は、1843年から開始されたというから、これはずいぶん遅く感じられる、ポルトガル領インドの通信史というテーマも面白そうで興味をかきたてられる。
ゴア・ポルトガル間の郵便往来が始まった1510年当時、ここに暮らす大半の人たちにとって、リスボンはまるで宇宙の彼方のようなものであったことだろう。 -

マプサのマーケットにて

タイ産のドラゴンフルーツ ドラゴンフルーツが売られているので、産地を尋ねてみると、やはりタイからの輸入。地元の人たちからのウケが良ければ、このあたりの沿岸部で栽培される日もくるかもしれない。
話は違うが、インドのこのあたりでは、ドリアンの野生種が自生している地域があるものの食用にはされず。インド人が関心を示さないがゆえに、商業作物にはならないわけだが、何かの弾みで広く浸透することもあるかもしれない。
インドの人たちの間で、茶を飲む習慣が一般化したのは1920年代後半から1930年代にかけて。最初は中国の清朝の専売品であった茶の葉がインドで栽培出来るようになった当初は欧州向けの利ざやが大きな商品だったものの、栽培技術の進化と普及により、収穫が増えるだけでなく、マレーシアやケニアなどで生産された茶の葉が国際的に出回るようになり、在庫がダブつくことになった。
その結果、インド紅茶局は、当時3億人規模の人口を有していたインドをマーケットに取り込むことを画策し、全国で『お茶を飲みましょう』というキャンペーンを打ったことがそもそもの始まりだ。
それまでまったく馴染みがなくても、きっかけ次第でそれがガラリと変わることもある。ミャンマーからマレー半島にかけてインド系の住民が多いが、その中にフツーにドリアン好きが大勢いる。決して、インド人の好みに合わないというわけでもなさそうだ。
しかしドリアン。植物の実ではあるのだが、極めて官能的な味わいと動物性原材料が含まれているかのような食感は「ノンヴェジ」ではないかというのが、私の個人的な見解。

有名なマプサのマーケットは実に広大 
魚の乾物類いろいろ 
スパイスの類も品揃え豊富 -

ゴアンな料理2
デザートのベビンカを食べ終えてから、付近の別の店に入り、ゴア料理アイテムのひとつ、サクティーを注文。こちらはチキンのものにした。やはりゴアにいるときには、個性的なゴア料理を楽しみたい。
その後、再び場所を移して、ポルトガル風家屋を転用したレストランで、ポーク・バルチャオ、カリフラワーの炒め物、ライスはウグラーというゴアの赤米を注文。粒が大ぶりで丸いもので、ケーララあたりでも近縁と思われる品種があるが、独特のコクがあって面白い。
食後にはカラメルプリン。使われている卵もカラメルソースも濃厚。香り高く、天にも昇るような陶酔感で本日の食事はシメとなる。
帰り道、ホテル近くに酒場があったので立ち寄ってみる。ビールのツマミにゴアンソーセージ。かなり酸味と塩味が強いゴアのソーセージのぶつ切りと野菜を一緒に炒めたものが出てくる。今度はビールによる軽い陶酔感で、心地よいゴアの夜は更けていく。
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ゴアンな料理1
ゴア名物、豚の角切り肉をふんだんに使ったポーク・ソルポテルとポルトガル式パン。ポルトガル本国にこれがあるのかどうか知らないが、印葡ハイブリッドな料理ということになっている。
インドで豚を食べる地域はとても少ない(北東地域など)が、ゴアにおいては豚肉料理はバリエーションも豊富。
地域を支配するにあたり頂点を抑えても、人々の信仰や生活については基本的に関与しなかった英領地域と異なり、地域内でヒンドゥーの祭祀を禁じ、カトリックの教えとポルトガル式の価値観を浸透させたポルトガル。生活様式や食生活にも大きな影響を与えたがゆえに、『ゴアン』という独自のアイデンティティを形成することになったようだ。
ゴアのスイーツといえば、まずはベビンカ。ちょうど羊羹のような食感。ポルトガル時代にできた菓子と聞くが、ゴアを拠点にフィリピンや日本など、東方で広く布教活動に従事したイエズス会のフランシスコ・ザビエルもゴア帰還の際にはこの味を楽しんでいたのかもしれない。
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ダージリン騒乱 観光客増を見込む近隣国
もうひと月以上も続いているダージリンでのバンド(ゼネスト)と政情不安の結果、当分の間はダージリンは行楽先から外れることとなる。それに従い、観光客たちがネパール、ブータンへ流れることが見込まれている。
高額なパッケージツアーに参加しないとブータンに入国できない私たちと違い、ビザ無しで個人で自由に旅行できるインド国民にとっては、近くて安い訪問先である。
インド人にとって、デリーやムンバイー発のグループツアーを利用しても、タイのバンコク、パタヤー、プーケットなどを訪問する月並みなツアーと、ブータンのティンプー、パロー、プナカーなどを訪れるパッケージがほぼ同じくらいの金額で出ているポピュラーな行楽地だ。
しかもブータン通貨のニュルタムはインドルピーと等価であり、ルピー現金がそのまま通用することもあり、英語もヒンディー語も広く通用するため、インド国内旅行の延長として捉えられている。
ことブータン訪問に限っては、インド旅券が欲しくてたまらない。Bhutan and Nepal cash in on Darjeeling crisis, woo tourists (THE TIMES OF INDIA)
※「ゴアンな料理2」は後日掲載します。






















