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カテゴリー: travel

  • 軽食とおやつ

    軽食とおやつ

    子連れでタイを訪問したのだが、軽食やおやつの類がいろいろあると、子供本人が喜ぶだけではなく、「暑い」「疲れた」と言い出す前に、こうしたものをパクつく時間を入れて、テキトーに誤魔化すことができるので親も助かる。物見遊山の合間にこれらを挟んで、夕方にタイスキ屋にでも繰り出せば、子供はさらに大喜びしてくれる。

    以下は、子供ウケする軽食・おやつ類の一例。

    カオソーイ
    ラオスでは味噌ラーメンみたいになっているが、タイではカレー麺といった具合。見た目も味わいも垢抜けていている。

    マンゴーライス
    スライスしたマンゴーにココナツミルクで炊いたり、ココナツミルクをかけたりした糯米とセットで出てくる。ついついお代わりなどしてしまう。

    ケーキ
    今どきのタイのケーキは実によく出来たものが沢山ある。洒落たカフェでひと休みしながら、子供にはコーラやファンタ。自分自身は、ちゃんと美味しいコーヒーと一緒にいただく至福のひととき。

    棒アイスのドリアン
    ちょっととした雑貨屋でもコンビニでもたいていこの類を置いている。本物の果実をふんだんに使っているようで、香りも味もいい感じ。

    ドリアン
    やはりこれぞ果物の王様というより、すでにこれはとても良く出来たお菓子だな、と思う。うまく「当たり」に出会えれば、その味わいはカラメルソースを和えたカスタードクリームといったところか。

  • チェンマイへ移動

    チェンマイへ移動

    朝6時半起床。宿代に朝食は込みなのだが、さすがに寝起きは食欲が沸かず、フルーツとジュースだけで済ませて、バスの発着所まで歩く。郊外にあるバススタンドではなく、市内中心部でナイトマーケットが開かれる一角に隣接したところから発車するのはありがたい。
    7時半過ぎに、Green Busという会社の車両が2台やってきた。そのうちのひとつが私が乗車するチェンマイ行きである。
    前方に向かって右側に一列、通路挟んで左側に二列という快適なエアコンバス。空調の設定温度も18度!で春先の東京みたいな冷え込みで上着必携だ。

    午前11時過ぎにチェンマイのバスターミナルに到着し、トゥクトゥクで市内へ向かった。

  • チェンラーイの宿

    チェンラーイの宿

    宿泊しているBaan Jaruは2012年にオープンとかで、部屋は真新しくてきれいで、インテリアはセンスよくまとめてあり、いい感じだ。フロントにいる経営者の息子は、外国人ズレした英語と仕草はちょっと鼻につくものがあり、最初はあまりいい印象を受けなかったが、2日目になると非常に根の良い青年であることがわかってきた。とかく質問するといろいろ懇切丁寧に教えてくれる。それに外国人ズレしている分、英語力は大変高いので、言葉が通じないということはない。なかなか居心地の良い宿である。

  • チェンラーイ郊外へ

    チェンラーイ郊外へ

    Wat Rong Khunへ。チェンラーイ出身のアーティストで華人でもあるChalermchai Kositpipat,氏が建てた白い寺がある。別名「ホワイト・テンプル」で知られるように、すべてが白く塗られている。カラフルな寺院が多いタイにあって、何から何まで白い寺院というのは見たこともない。

    本堂への入り口の部分では地獄を象徴した大きな作品の上にかかる橋を進むようになっている。芸術作品であり、寺としての機能はないものと思っていたのだが、ちゃんと僧侶は常駐しているようだ。

    外観がやたらと豪華なトイレ

    敷地の入口部分は、たくさんのみやげもの屋や食堂などが入居するアーケードとなっている。敷地内にはChalermchai Kositpipat,氏のアートギャラリー、作品を販売する店なども入っている。今の時代、こうして成功するアーティストには、実業家としての才能も求められるようだ。

    ここに限った話ではなく、どこにもあるのだが、菩提樹の葉をモチーフにした薄いアルミ板、参拝者たちが願い事を書いて木に吊るしたりするのだが、昔のタイで、こうしたものを見かけたかどうか記憶にない。ちょうど日本の絵馬のような具合に用いられている。

    ソンテーウでチェンラーイ市内中心地にあるバススタンドに戻り、次はミニバスでBaan Dumへ。こちらは別の華人アーティストThawan Duchanee氏による、この地域の建築の作品ギャラリーのような感じで、広い敷地内に様々な建築が点在している。 

    音楽を奏でる子供たち

    チェンラーイへの帰りのバスで途中下車、チェンラーイに入る前に川を渡る橋よりも手前のところにあるブルー・テンプルと、宿の人に紹介されたところに行ってみた。やや安手の造りではあるものの、全体が青を貴重とする寺は珍しく、それはそれで見応えがある。

  • チェンラーイのナイトマーケット

    チェンラーイのナイトマーケット

    街の規模にくらべてずいぶん盛大なナイトマーケットであることに驚く。おそらくここでの商売を専業とする者もあるのだろう。人ごみの中に地元の人たちがどのくらいいるのかは知らないが、おそらくマジョリティはタイ人を含めた観光客であろうことは想像できる。このエリアすべてがナイトマーケットの会場となっているだけでなく、ステージも出ていて演奏がなされている。

    こうした場では、もはや定番となっている怪しげで生温そうな寿司と昆虫料理が印象的であった。昆虫食といえば、タイの北東部が知られているが、彼らはタイ全土に出稼ぎに行っているため、そうした繋がりで出店しているのではなかろうか。ナイトマーケットでのエキゾ感の演出ということもあるのだろう。

    昆虫類の素揚げ
    生温そうな寿司屋

    宿に戻る途中、通りに面した角地にある典型的な華人の食堂兼喫茶があった。食事時以外にはコーヒーやお茶を楽しむ人たちがいて、早朝には近所の華人の暇なご隠居が新聞など広げているような感じの店で、これはインドシナからマレー半島、ミャンマーやインドネシアまで共通するような店構えだ。こうした店も街がモダンになってくるに従い、どんどん姿を消していくものと思われる。

    昔ながらの華人の食堂兼喫茶
  • 猫カフェ

    猫カフェ

    チェンラーイの街なかにある猫カフェに行った。飲み物やケーキなどは他の喫茶店と同様の価格帯で良心的だ。
    実に様々な高級種がたくさんいて、どれもよく躾けられていること、気立ても良いことに驚かされる。ただ、家族連れ客の子どもたちの猫の扱いには、往々にして問題がある点は、猫たちに気の毒だ。
    私が入店してしばらくしてから登場したベンガルは、実に美しい猫であった。店内は全員床に座るスタイル。猫たちがそこにいるだけで、ほんわかとしたいいムードになっており、ヒーリング効果の高さがしのばれる。
    ただ、お客が目を離すと、そこは猫なので、ケーキに頭を突っ込んで食べている奴がいるので、多少の注意は必要である。

    この赤い建物1Fが猫カフェ

    この猫はケーキが大好きらしい。

  • チェンラーイへ

    チェンラーイへ

    タイ側の出入国管理事務所を出てすぐのところで軽く食事。宿に戻り、預けていた荷物を受け取ってから、バスターミナル行きのソンテウをつかまえる。
    バスターミナルからはエアコンバスはすでに満席とのことで、ノンエアコンバスで出発。車内は総ステンレス張りで涼しげだが、実に暑い。
    チェンラーイまでは1時間半程度の道のりだが、途中2回検問がある。タイ人たちはICチップが入った国民登録症を提示している。日本でいえばマイナンバーカードということになるのだろうが、日本でもこれを本気で普及させようというのならば、この国では、どのようにしてそれを普及させたのかということが参考になるのではないだろうか。もっとも私はタイのそれがどのような役割や機能を持っているのかについてはよく知らない。
    ところどころで客を乗せたり下ろしたりしながら、バスはゆったりと進んでいく。

  • タチレク 2

    タチレク 2

    ミャンマー料理の食堂

    タイ側のメーサイではタイ各地からそれなりに人々が集まってきて商売をしているように、ミャンマー側のタチレクでも同様にミャンマー各地から人々が集まって町を構成しているため、橋ひとつ渡ってきただけでも、ずいぶん町中の様相は異なる。

    目にする文字が異なるだけではなく、通り沿いにある看板や商店に貼られた広告の類もそれぞれの国の企業のものになるし、食堂を覗いてみてもタチレクでは当然のことながらミャンマー料理の店がほとんどとなり、メーサイにはいくつもあるセブンイレブンのようなコンビニエンスストアはタチレクにはまだないようで、昔ながらのよろず屋が細々と商売している。

    せっかくなので町中を観光してみようと思い、何台ものトゥクトゥクが客待ちしていた国境の橋のたもとに戻ると、さきほどのインド系巨漢のサリームがまだ居たので声をかけてみた。彼自身がトゥクトゥクを運転するようで、町中のお寺をいくつか回ってもらうことにした。

    タチレクのトゥクトゥクはこんな感じのものが多い。乗り合いとして使用できるようになっている。

    特にこれといった名刹があるわけでもなく、元々小さなマーケットしかなかったところで、近年人口が急増するに従って出来たような新しいお寺ばかりのようではあるが、それなりにミャンマーに来た気分にさせてくれるのは、これらがビルマ様式であるからだ。もっとも中には、祭壇にビルマ式の仏像とタイ風の像が同居しているケースもあり、それはそれで国境の町らしくて面白かったりする。

    ご本尊の両脇に控えるのはタイ式の像となっているお寺があった。
    丘の上からタチレクの町とその背後のタイ側の町メーサイを見下ろす。

    見物を終えて、国境の橋のたもとにあるマーケットを散策する。案外、洒落た店や大きな商店もあったりする。規模が大きな商店を経営しているのは、漢字が書かれたお札や祭壇など、店の佇まいからして、やはり華人が多いようだ。置かれている商品もセンスもタイには遠く及ばない感じだ。川を挟んだ国境の時差は、30分ではなく、30年くらいあるような気がする。もっとも30年前のタイ側のメーサイには、今のミャンマー側のタチレクのマーケットにふんだんに出回るケータイやスマホは無かったわけだが。

    しばらく見物してからタイ側のメーサイに戻る際、サイレンを鳴らして進むミャンマーのナンバープレートを付けた救急車がタイ側に越境していくのを見た。やむにやまれぬ事態が生じた場合、タイ側の病院に移送して処置するという措置がなされているのだろうか。二国間関係は決して悪くないミャンマーとタイなので、さもありなんという気はする。

    ミャンマーの入国管理事務所で、さきほど受け取った預かり証を渡してパスポートを返却してもらう。すぐ右手には小ぎれいなレストランと商店が入ったビルがあるが、洋酒類などを販売する「免税店」も入居していた。

  • タチレク 1

    タチレク 1

    ミャンマー入国

    ミャンマー側で10ドル(または500バーツ)の「入国料」を支払いパスポートと引き換えに預かり証を受け取ると入国手続きは完了。事前にヴィザを取得していれば、ここからミャンマー各地に足を伸ばすことも可能だ。許可を取ればチャイントーンまでは行けるようだが、そこからさらに先に行くにはヴィザが必要である。

    タチレクの入国管理事務所には「E-Visa」のカウンターもあった。空港からの入国のように、自国等で申請しておいて、ここで入国する時にヴィザを発行してもらうことも可能らしい。

    橋を下りたところからタチレクの町だ。何人もの客引きがいるが、どれもトゥクトゥクによる市内観光や移動を斡旋しているようだ。そうした中にひとり、サリームという長身の男性がいた。インド系ムスリムでウルドゥー語が通じる。

    しばらく徒歩でタチレクの町を散策してみた。やはり南アジア系の人たちの姿をチラホラ見かける。店で商売を営んでいるヒンドゥーの人たちはネパール系の人たちであることが多く、たいていは普通にヒンディーが通じるようだ。

    しばらく歩いた先にティーハウスがあり、幾人かインド系ムスリムたちがいたので、店に入ってしばらく話をしてみることにした。ここは彼らの溜まり場になっているとのことで、たいていは地元在住の人たちではなく、タウンヂーその他のミャンマー各地から商売の都合で来ているとのこと。タイとの国境であることから、いろいろ商機があるそうだ。

    私はビルマ語もタイ語もできないが、彼らはけっこう普通にウルドゥー語を操るので、ここにあってはなかなかありがたい存在だ。また、彼らにとっても彼らの父祖の言葉が通じる日本人は珍しいらしく、大変フレンドリーである。

    茶店でくつろぐインド系ムスリムの人たち

    この中にいたアブドゥルさんは、移民四世とのことだが、それほど世代を経ても、ちゃんとウルドゥー語を話すというのは、ヤンゴン、マンダレー、スィットウェなど他の街でも珍しいことではなく、南アジア系ムスリムのコミュニティが今でも機能していることの証でもあるだろう。

    また、ウルドゥー語自体がミャンマーに暮らす南アジア系ムスリムが身につけておきべき教養のひとつであり、彼らのアイデンティティでもあることから、彼ら自身の先祖がこれを母語としなかったベンガル系ムスリムもこれを話す人が多い。加えてヤンゴンのダウンタウンでは珍しくないイラン系ムスリムたちもこの範疇に含まれることは特徴的だ。

    そうした背景もあることから、ウルドゥー語を話す外国人がいると「彼も当然ムスリムだろう」ということにもなってしまうため、ミャンマーにおけるウルドゥー語とは、民族的な出自を示すシンボルというだけではなく、宗教上の帰属をも含めた象徴的な意味合いがある。

    ティーハウスの向かいにはマスジッドがあったので見学してみる。回族の中国人が建てたものであるとのことで、道路に面した門や本堂の入口などに、漢字でいろいろ書かれている。とてもキレイにメンテナンスされているので、相応の回族人口があるのではないかと思われる。

    回族が建てたマスジッド

    ちょうど金曜日でもあり、さきほどのティーハウスにいたインド系の人たちに、どこに礼拝に行くのか質問しておけばよかったことに気が付いた。

  • メーサイからタチレクへ

    メーサイからタチレクへ

    メーサイの宿泊先で朝食後にチェックアウトのため荷物をまとめていると、大きなトラックが大通りを駆け抜ける音がしたと思ったら、いつまで経っても騒々しい。トラックでなくて大雨だった。30分ほどで止んだが、周囲の山に低い雲がかかっており、しばらく天気は悪そうだ。

    このあたりは丘陵地帯になっており、あまり見通しは良くない。そういう地域であるがゆえに少数民族も多くて独自性があるのだろう。

    昔は小さなマーケットのようであったメーサイと、これまたこじんまりとしたタチレクの町の間を流れる細いルアック川(東へしばらく流れるとメコン河と合流)に架かる橋があるだけであったが、今では橋両側に両国の出入国事務所の大きな建物ができている。とりわけタイのものが大変立派だ。

    向こうに見えるのはタイ側の出入国管理事務所

    イミグレーションは、タイ・ミャンマー人用のカウンターとその他の国の人のカウンターとに分かれている。タイを出国して橋を渡っていると、その橋を渡るクルマが橋の真ん中あたりでタイ側の左側通行、ミャンマー側の右側通行からそれぞれ反対側の車線にスイッチしていくのが面白い。ちょうどそこの部分でタイとミャンマーの間の30分の時差が生じる。

    橋の真ん中あたりで、掲げられている旗がタイ国旗からミャンマー国旗に変わる。
    橋の上を移動する車両も左側通行(タイ)から右側通行(ミャンマー)にシフト
    ミャンマー側のゲート

    ミャンマー側に入ると、タイ側と同様に橋の両側にマーケットが広がっているのだが、タイ側よりも概ね建物の背は低く、粗末である。人に尋ねていないのでよくわからないが、こちらではけっこう停電があるのではないかと想像する。

    ミヤンマー側のイミグレーションでパスポートを提示すると、ボーダーパスの紙が発行され、パスポートはミャンマーのイミグレーション預かりとなる。帰りに橋の反対側サイドの出国用イミグレーションのほうで返してくれるのだという。

    それはいいとして、入国時に500タイバーツあるいは10ドルを徴収するというシステムは軍政時代から変わらない。こういうのはもうちょっとオープンにならないものなのだろうか。

    イミグレーションを終えて出たところには、タチレイの町の観光を斡旋する客引きたちが声をかけてくる。

  • メーサイ2 サイババ寺院

    メーサイ2 サイババ寺院

    タイ側の出入国管理事務所

    メーサイは、国境での人の行き来と交易で栄える町なので、「町の中心」は、当然のことながらミャンマーへの入口のエリアとなる。画像中央に写っているタイ側の出入国管理事務所の手前には各種雑多な商店や事務所などが連なっているが、ここから離れるに従い、商店等が林立する密度は低くなってくる。ミャンマー側のタチレクでも事情は同じであることから、行政区分どころか所属する国さえも違うのだが、国境にまたがるひとつの町といえる面もある。

    タイ側とミャンマー側を繋ぐ橋にかかる国旗は、真ん中でタイのものからミャンマーのものに変わっている。

    町を歩いていると、「Aum Sai Ram」と書かれた看板がある路地に思わず吸い込まれてしまう。

    Aum Sai Ram
    SATYA SAI FOUNDATIONとある。

    コンクリートのビル裏手に回っても、特に何も見当たらず、踵を返そうとすると、ビルの窓から声をかけてくる人があり、振り向いてみると、若いインド系の女性の姿があった。
    「何かお探しですか?」
    彼女の家族が、メーサイにあるサイババ寺院の世話人であった。ビルの並びにある鉄扉に閉ざされた敷地に大きな建物があり、そこにお寺が入っていた。
    彼女はカギを開けて室内の電気を点けてくれた。
    「ごゆっくりどうぞ。」
    遠慮なく参拝させてもらうことにした。

    サイババ寺院入口
    本堂

    帰りに再び彼女に声をかけてからお寺を後にしたが、その際に彼女の母親とも少し話をすることができた。風貌も名前も典型的なパンジャービーであった。時折、この地域に暮らすインド人たちが集まってバジャンを奉納したりしているとのこと。都合が合えば、ぜひ参加したいところだ。

  • メーサイ1 到着

    メーサイ1 到着

    メーサイでの滞在先は、昨年開業したばかりの宿。バンコクの大学で建築学を学び、しばらく建築家として首都で仕事をしていた青年が、故郷に戻り実家の敷地内に建てたのがこのゲストハウス。彼は都会的な感じのする30代半ばの男性で、建物はもちろん、インテリアやファニチャー類はすべて自分でデザインしたとのこと。彼の実家は、メーサイで家具工場の経営もしているそうだ。なかなかの「こだわりの宿」のようで面白い。

    家族経営のエコノミーなゲストハウスなので、このまま宿泊客の評判が高まって人気の宿となるか、本人や家族が燃え尽きて、場末の宿と成り果てるかは、この経営者本人次第だ。

    外はすでに暗くなってくる。タイ各地でチェーン展開するピザ屋に入ってみると、タイ語メニュー以外に中国語のものもあった。英語を差し置いて中文があるくらいなので、それほど中国人訪問者が多いのだろう。カウンターで注文を受ける若い女性は、私と同じ程度の非常に怪しげな中国語で話しかけてくる。やはり中国語は世界を席巻しつつあるのだろう。

    食事を終えて、外に出る。あたりに屋台がいくつもあるのだが、路上に置かれた席は空いているのに、若者、主婦その他の年齢や家族構成もバラバラと思われる多様な持ち帰り客が行列を成している豚足ぶっかけご飯屋台があった。一人前で買う者もあれば、10人分ほどまとめて購入するお客もある。

    ここの屋台は持ち帰り客で行列だった。

    そんな様子から、店主のおばちゃんの愛想や応対はイマイチながらも、味はそこそこ定評があるのだろうと判断して、私も持ち帰ってみることにしたが、宿で食べてみると、これが大変素晴らしいものであり、お代わりを注文しに再度おばちゃんの元に走らないと後悔すると判断したくらいだ。

    田舎町の屋台で埋もれてしまうには、非常に惜しい才能ではないかと思う。