インド周辺地域も実に魅力あふれるところが多い。現在の「国」の枠を超えた人々の活動とともに栄えてきた地域だ。重層的に連なる歴史や文化を人々は国境線を越えて共有しているといってよいだろう。
有史以来、思想や言語、宗教や建築を含めて文化的にもインドとの間に濃いつながりがあったアフガニスタン。南アジアと中東、中央アジアと中国といった異なる文化圏が交差するところでもあり、まさに「文明の十字路」として豊かな伝統を持つ国。決して今のように外界から孤立した地域ではなかった。20数年間もの不幸で長きに渡る混乱を経て、再び「観光地」として世間の注目を取り戻しつつあるかのように見える。
まさにこの機を待ちかまえていたかのように、今年9月末ついに日本語によるアフガニスタンの旅行案内書が刊行された。同書表紙には「本邦初!(世界でも珍しい)のガイドブックが登場」とある。
カーブル、バーミヤン、マザリシャリフ、クンドゥズ、ヘラート、カンダハール、ジャララーバードといった世界的によく知られた街やその周辺部などが紹介されている。アフガニスタンの旅行情報そのものが他国に比較して極端に少ないこと、また初版ということもあり厚みはないのだが「ロンリープラネット」や一昔以上前の「地球の歩きかた」のように、一人旅向けの実用的なガイドブックに仕上がっている。
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カイバル峠の向こうが見えてくる
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ニッポンで稼ぐインド国営会社
近年、外資系企業の活躍が目立つ日本の保険業界。アリコ、アフラック、アメリカンホーム、チューリッヒ等々、扱う商品の内容はともかく会社の名前は馴染み深いものとなっている。そんな中、日本で長きにわたって活躍しているインドの保険会社がある。しかもこれが国営企業だといえば驚く人も多いだろう。
その名もニューインディア保険会社 (The New India Assurance Co. Ltd.)である。1919年にボンベイで設立された同社はターター・グループ経営の保険会社として発展を続けた後、1973年に他社と合併したうえで国営化された。 -
ヘリテージな宿でまどろむ

ゴアのスィンケリム(Sinquerim)ビーチに行ってみた。オフシーズンなのでほとんど観光客の人影がない。店やレストランの類も扉が締め切られたままのものが多い。風が強くて木々が大きく揺れている。海もかなり荒れている。
散歩している私のすぐそばで轟音と振動が感じられた。首をすくめたまま目をやるとそこにヤシの実が転がっている。この固くて巨大な実の直撃で、世界各地で毎年命を落とす人は少なくないそうだ。どこに不幸が転がっているかわからないものである。以前もどこかで危うくヤシの実にノックアウトされそうになったことがあったが、まだ子供も小さいのではるか彼方の「楽園」へのご招待は当分ご遠慮願いたい。
州都パナジに近い立地もあってか、大資本のビーチリゾートが散在するこの海岸にはタージグループのホテルも二軒ある。The Taj Holiday VillageとFort Aguada Beach Resort, Goaだ。
前者は北上すればカラングートビーチに向かう道路沿いにあり、コテージ等さまざまなタイプの宿泊部屋が広い敷地内に散在している。開放感があってのんびりするには良さそうだ。しかし施設がかなり古くなっていること、どうも手入れがいまひとつで、タージグループのホテルとしてはちょっと高級感に欠けるのが気になる。
後者は17世紀にポルトガル当局が建てた砦に面している。当時この地方の海岸守備の要であっただけにアラビア海の絶景が望める素晴らしく、最高のロケーションに建てられたモダンなホテルだ。おそらくグループ内で働く人たちにとって、前者は左遷先、後者は出世コースといったイメージがあるのではないだろうかと想像してしまう。
いずれにしても大規模な施設だが、閑散期にはほとんど稼動していない様子を見るにつけ、とりわけシーズンとそれ以外の時期で大きな差がある地域では、観光という業種がいかにロスの多いものであるか、また季節や景気その他に左右される度合いが大きく不安定な稼業であるかということが感じられる。 -
ゴアのコロニアルマンション
ゴアのマルガオから15キロほど東に進んだチャーンドールに行ってみた。ここではポルトガル時代に建てられたいくつかの豪邸が残っていることで知られる。その中の最も大きなものは主の名からBRAGANZA HOUSEとして知られるこの屋敷は、旧宗主国の建築スタイルで建てられている。このBRAGANZA家は大地主、ポルトガル語を母語とするゴアのエリート社会を代表する名家であるとともに、20世紀初頭に活躍した政治家でありジャーナリストでもあったLUIS DE MENEZES BRAGANZAを生んだ。
そのエキゾチックな景観から、このあたりは映画のロケにもしばしば使用されるという。訪れたときにもちょうど撮影が行なわれているところだった。大所帯の撮影チームの中にいた「メイクアップ・アーティスト」だという男によれば、スニル・シェッティー主演で今年12月公開予定の作品とのこと。
インドはおろか日本でも一般的に「映画撮影」の現場にどれほどの数の人々が関わるものなのか知らないが、野次馬や警備の人たちを除いても100人以上であったと思う。こんな大勢を指揮するのはさぞ大変なことだろう。雑用も含めたいろいろな人たちを仕切る専門のフィクサーがいるのだろうと想像している。「この人がいないと映画は出来上がらない」というような、一般には知られていない凄腕手配師や辣腕エージェントの存在があるのではないだろうか。
さてこの屋敷、「パレス」と呼びたくなるほど堂々としたものである。玄関口に出てきた使用人に見学したい旨伝えると、屋敷の主の夫人だという初老の女性が出てきて案内してくれた。豪壮な屋敷の中には、世界各国、主にポルトガルやイタリアの家具類、シャンデリアや中国(マカオ)の陶器の皿などの骨董品がたくさんあり、それ自体で博物館のようだ。駕籠や武器なども展示されている。広大な屋敷の中で公開されているのは1階(日本式に言えば2階)部分だ。
450年の歴史を持つ家とのことで、建物は幾度かの増築を繰り返してきたものだという。当主は現在17代目だとか。大きなホールや寝室も、有力なマハラジャの居室にさえ匹敵するスケールと豪華さだ。ベッドは足が長く床の高いコロニアルなものである。寝室のすぐ外にはチャペルもあった。往時は専属の神父がおり、ここで家族の日曜礼拝が行なわれのだそうだ。
しかし今となっては、この建物は維持費もかかるため、こうして公開しているわけだ。他家から嫁入りしてきた老婦人、この家が繁栄していたころには、よもや下々の人間に家を公開したり自らガイドのようなことをして報酬を受けたりするような日が来るなどとは夢にも思わなかっただろう。彼女の日課となっているこの作業だが、ふとしたことで没落したとはいえ名家としてのプライドとそれに相対する恥じらい等々、いろいろ想うところがあるのかもしれない。 -
ドリアンに期待する

Ancestral Goa は、ポルトガル時代のゴアの生活を再現したテーマパークだ。入場料は20ルピー。インド人の家族連れやカップルその他の観光客等の訪問多い。ちょっと古いが、Deccan HeraldでHeritage revisitedと題してこの施設のことを取り上げた記事がある。
展示物はペイントされた土人形や主に同様の素材からなる建物のミニチュアからなり、履物作り、市場の様子、ローカルな酒場その他農村のさまざまな光景が再現されている。いくつかの展示物ごとに担当の説明係がいて、ゾロゾロとやってくるお客たちの顔を見て、英語あるいはヒンディー語その他で説明してくれる。人形にしても建物の造りにしても「民俗村」としてはチープすぎるが、ちょっとマンガチックな温かみを感じる屋外展示物が並ぶ。
園内には小さな「聖地」もあった。通称「Big Foot」なるローカル聖者が祭られているのだ。テーマパークにこんなスペースがいきなり出現しても、一応線香を上げて手を合わせる人たちが多いのはやはりインドらしいところだろうか。 -
スパイスを眺める

つまらないからやめときな、と言うのは運転手。 「草木を見て300ルピー払うのかい?無駄だよ」ときた。 その「つまらない」とはスパイス・ファームのことである。かつて「黄金のゴア」としてその名を広く知らしめたこの土地の主要な産物のひとつが香辛料であったのはご存知のとおり。今もそれらを作る農場がいくつもあるのだが、そのうち何ヶ所かは入場料を取って観光客用の見学コースを設けている。
私たち一家が向かったのはポンダという街の近くのサハカーリー・スパイス・ファームという農場だ。ちなみに「ポンダ」はデーヴァナーガリーではफोंडाと綴るのだが、ローマ字ではPHONDAではなく、通常PONDAと表記されている。 -
インド発 楽しい海外旅行

インディア・トゥデイ誌8月8日号 によれば2004年にインドから海外旅行に出た人々の数(観光以外の出張旅行なども含まれているのかどうかは不明)は620万人で前年比16パーセント増、2005年は750万人で20パーセント増の見込みだという。
日本からの海外に出かける人々の数に比べるとたいしたことはないし、さらにインドの巨大な人口からすればたいした数字ではないとはいえ、先行きが大いに期待される新しいマーケットが出現したことになる。
国全体として眺めてみると、貧困を原因とする社会問題がいまだに山積されている。所得格差がますます広がったと見る向きもあるかもしれないが、いつでも先進的な部分とまったくそうでないところが折り重なっている様は、いつの時代にあってもインドらしいといえるかもしれない。
過去にはほとんど無視できるような数であったこと、国際観光業といえば主に外国からインドに来る人々をさばくことであったことを思えば、なんと大きな変化であろうか。 海外旅行する人たちの訪問先の38パーセントが中東方面、34パーセントが東南アジア方面という。これらの地域でも特にインド系の人口や宿泊・食事関連施設の多い 国々への訪問客が多いようだ。そして28パーセントは欧州方面に繰り出している。
国別で見れば、1位シンガポールに47万人、中国に31万人、アメリカに30万人、タイに30万人、香港に24万人とある。90年代まで二国間の直行便のフライトもなく、アルナーチャル・プラデーシュからカシミールまで、非常に長い国境を接していながらも、相互の行き来が公にはほとんど無に近かった中国だ。(地元の人々による「国境貿易」は細々と続けられてきたし、ごく限られた人数ながらもカイラス巡礼を行なうインド人ツアーグループは以前からあったようだが)
それが今ではリッチなインド人たちがよく訪れていたアメリカやタイをしのぐほどの人気を博しているというのには驚かされてしまう。 -
二者択一

インドで、知人の家でも宿泊施設でも、ベッドにエアコンの冷風が直接当たるようになっていることが多い。吹出し口が手の届く距離でしかも横たえた身体とほぼ同じ高さということも珍しくない。
暑い外から戻ってきて、冷気と風量ともに最大にすれば、まさに生き返るように気持ちが良い。しかしそのまま眠り込んでしまえばあの世行きといっても大げさではないだろう。特に酔っ払っていたりすれば・・・。 分厚い毛布にくるまっていれば助かるのかもしれないが、外はひどく暑いことを思えばずいぶん無駄なことだ。
そういえばクーラーはともかく、天井からぶら下がるパンカー(扇風機)だってかなりのものだ。ゆっくり回していても一晩中動いていればヤワな私は必ずカゼをひいてしまう。せめてタイマーくらいついていればいいのにと思う。
就寝直前まで、部屋の中をエアコンでガンガン冷やしてからスイッチを切ることにした。寝入りはいいが、次第に室温が上がってきて目が覚める。窓を開けて、そのころには涼しくなっている外気を入れると気持ちの良いものだが、すぐに耳元でブンブン蚊が騒ぎ、首筋やつま先を刺され痒くてたまらない。天井のファンを動かすと蚊は吹き飛ぶ。再び眠りに落ちていく。
突然腹痛で目が覚めてトイレに駆け込む。お腹が冷えるとてきめんに下痢してしまうのだ。しぶる腹を抱えてしばし便器に座ったまま「ウーン」なんて唸っていたりする。
落ち着いてから部屋に戻る。「待ってました」とばかりに蚊たちが襲来してくる。電気蚊取りをオンにする。窓を開け放していると際限なく入ってくるので、やはり閉め切ってエアコンを入れることにする。室温が思い切り下がれば、蚊は天井や壁に張り付いたまま動かなくなる。やれやれ・・・。
部屋に備え付けの薄いブランケットにくるまってもひどく寒い。荷物の中から寝袋を取り出して中にもぐりこむ。やけに暑いかひどく寒いかの二者択一、辛い一夜である。 -
デリー・ダルバール
「忘れ去られた名所がある」と友人が連れて行ってくれた先はオールドデリーのアウターリングロードの北縁あたり。このあたりまで来れば、デリーの市街地もそろそろ終わりといったところだ。「ロンリープラネット」のガイドブックにも小さく取り上げられている割には、途中の新興住宅地で人に道を尋ねるがその場所について知る人は少ない。
友人は適当に見当をつけて進んだ後、クルマを止めて道端の木陰で一休みしているおじいさんふたり連れに声をかけてみると「あっちだよ」と指差してくれた。
「かなりのお年寄りだと知っていたりするんだ」と彼は言う。
やがて私たちが到着したのは、1911年12月にジョージ五世が来印した際に、政府高官、各国大使、藩王等も含めた当時の有力者たちを来賓に迎えてインド皇帝位へ就いたことを宣言する「Delhi Coronation Durbar」が盛大に開かれた場所である。イギリスのヴィクトリア女王がインドを支配する皇后であることを宣言した1877年のデリー・ダルバール、彼女の死後1903年にエドワード七世の新しいインド皇帝としてのそれもまた同地で行なわれている。
すぐそばまで宅地が迫ってきているものの、たたずまいはおそらく当時からほとんど変わらないことだろう。一番近いタウンシップはガーンディー・ヴィハールだ。
現在「Coronation Memorial」として知られているこの場所はだだっ広い空き地になっており、あたりに住む子供や若者たちがクリケットに興じているのを目にするだけだが、その脇にいくつも置かれているかつてインドを支配した歴代の総督たちの大きな像が寡黙ながらもこの土地の由来を語っており、古いモノクロ写真に残されたデリー・ダルバールの様子がまぶたの裏に浮かんでくるような気がする。
▼Delhi Durbar
http://www.indhistory.com/delhi-durbar-presidency-bengal.html -
A Taj Hotel in N.Y.

国際的なホテルチェーンFOUR SEASONS HOTELグループ傘下のTHE PIERREは、ニューヨークにある五ツ星ホテルだ。日本語サイトも用意されているので、日本人の利用客も多いのだろう。このホテルの英語によるウェブサイトのトップページ右下部にはこんな文章が掲載されている。
Important Note: The Pierre New York is expected to be sold on or about June 30, 2005, after which Four Seasons will no longer operate the Hotel. All confirmed reservations will be honoured by the Hotel, which is expected to become part of Taj Hotels Resorts and Palaces. If you have any questions or concerns please contact the Hotel at the number listed above.
つまりこのホテルがタージグループによる買収の結果、7月1日から「インド系ホテル」として再出発することになるのだ。従来から名前が広く知られている高級ホテルということもあり、これまで築いてきたブランドイメージが大切にされるであろうが、経営陣が入れ替わる・・・しかもインド系企業と化すことにより「スパイスが効いた」変化が長期的には見られるのだろう。
インド本国を中心に近隣国その他UAE、イエメンやイギリスなどでも高級ホテルを展開する同グループだが、アメリカでの五ツ星クラスのホテルの経営を手がけるのは初めてとのことである。
Taj Declared New Operator of The Pierre (Hotel Travel News)
Taj to operate The Pierre (4 Hoteliers) -
ビデオ撮影は破格の贅沢?

ケララの南沿岸部から州境を越えて少しタミルナードゥに入ったところにあるパドマナパプラム宮殿の入口で入場料とカメラ持込料を支払う。前者が10ルピーで後者は25ルピー。この国でこういう場所でたいていそういうことになっているので、インド人たちは特に何とも思わないのだろう。でも外国人の目からすれば、本来ならば主たる入場料に付随するはずのものに倍以上払うのはヘンな気がする。
入場券売場の壁には料金一覧表がかかっていた。ビデオ持込料の金額を見て目を疑う。なんと1200ルピーと書かれているからだ。120人分の入場料にして、スチルカメラ48台分の持込料に相当する。「あるところから取る」にしても、ずいぶん法外な金額ではないだろうか。
おおむね写真撮影よりも撮影者が静止する時間が長いため、スムースな人の流れを阻害するという部分はあるかもしれない。今のインドでは特に貧しい層でもなければ、機種さえ選ばなければ何かしらのカメラは購入できるが、ビデオカメラの場合はまだまだそうはいかないので、特別な贅沢品であることも間違いない。
だがスチルカメラ自体がピンキリで、安いコンパクトカメラからプロユースの高級カメラまでいろいろある。ハイエンドモデルを手にして撮りまくる外国人は多いし、インド人の中にもそういう人たちをチラホラ見かけるようになってきているではないか。近ごろでは多機能なデジタルカメラの普及により、カメラとビデオの境目が曖昧になってきているのが現状だ。
ひょっとすると撮影料収入そのものが目的なのではなく、本音はこうした障害を設けることにより機材を持ち込む人を減らしたいのではないか、ビデオ撮影はテレビ局などその道のプロのみが行なうべき行為だと認識されているのではないかと想像したりもする。
〈原則禁止〉で、思い切り吹っかけた金額を「ハイ、どうぞ」と気前良く払ってくれる人だけは特別に扱おうといったところだろうか。観光客はともかく、そこを取材することを目的に訪れた人ならばこれを支払わないわけにはいかないだろう。
文化遺産以外でも、国立公園などでもビデオ撮影に関してこんなビックリするような額を徴収するところが少なくないようだ。どうもよくわからないが、管理側する側からみてこの手の機器がそれほど憎いのだろうか。
スチルカメラ、ビデオカメラの別を問わず、インドでは撮影が許可制となっているところが多い。国有財産となっておらず、まだ個人が所有している宮殿等では、カメラの持ち込みそのものが禁じられているところが少なくないようだ。
規制する側にはそれなりの論理があるのだろう。しかし国の機密に関するもの、治安・保安上問題のあるもの、信仰にかかわるもの除き、特に制約をかける必要があるとは思えないツーリストスポットでの撮影については、もっと鷹揚になってくれてもいいように思う。
宿泊施設や交通機関のみならず、こうした「撮影の自由」もまた立派な観光インフラの一部ではないだろうか。

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広がる航空路 狭くなる世界 2 広がるネットワークから見えてくるもの
いきなり格安競争時代への突入してしまったインド国内線市場で、「無理な安売り合戦は続かない」という見方が強い。今後も新しい航空会社による国内線参入がいくつか予定されており、体力のない会社はやがて淘汰されていくことになるのだろう。
それとは異なる次元での懸念も伝えられている。国内線・国際線ともに急激な増便により、空港のキャパシティを含めたインフラ整備が追いつかないというものだ。またパイロット、メカニック、フライトアテンダント、そして地上職も含めて航空業界で働く人員の確保が難しくなってきており、航空会社間での引き抜き合戦も盛んになっているとのことだ。
こうした動きの中で空の旅の大衆化が一層進むとともに、国内航空路のハブとして新たに浮上してくる街がある。インディアンエアラインスによる独占体制下では遠回りして乗り継がなければならなかったルートでも、今では他社便によるダイレクトに往来できるケースが増えてきており、料金面以外でも乗客にとっての利便性が向上しつつある。
このところ成長著しい都市が新しい成長センターとして台頭してきていることの証である。この調子でいくと実態に合わなくなって将来「四大都市」という言葉が使われなくなったり、「四大」の示す都市の名前が一部入れ替わったりすることもあるかも(?)とさえ思うことがある。
その一方、これまで航空機発着のなかった土地での新空港建設の話は少なく、これはまさにインフラ整備の遅れのひとつの側面だ。広いインドを見渡せば、今なお実現していない未来の有望なルートが埋もれている。料金競争の次には新たなルート開拓により、インド国内航空路線市場が今後まだまだ大きく伸びる余地があるのは言うまでもない。
ジェット・エアウェイズ、エア・サハラ等のインド国内線キャリアによる国際線進出が続く昨今、エア・デカンも湾岸諸国へ乗り入れを画策しているという。
近年は地方空港の国際化が進んでいる。ラクナウやカリカットその他から中東産油国への定期便が利用できるし、ブッダガヤからはバンコク、コロンボへのフライトが飛び立つ。
最近、アムリトサルからイギリスやアメリカへの直行便が就航したが、ここからはタリバーン時代のカーブル行きの便も出ていた。国内外を問わずインドをとりまく航空路はにぎやかになってきているわけだ。
そんな中で「穴場」といえるのは隣国パキスタンそして中国への航空路だろうか。これらの国々との関係改善にともない、ビジネスを中心とする相互の行き来が盛んになるにつれて、いつしかインドの地方空港からこれらの国々の街へと向かうフライトが次々に就航する日もやってくるのかもしれない。
<完>
