
ケララの南沿岸部から州境を越えて少しタミルナードゥに入ったところにあるパドマナパプラム宮殿の入口で入場料とカメラ持込料を支払う。前者が10ルピーで後者は25ルピー。この国でこういう場所でたいていそういうことになっているので、インド人たちは特に何とも思わないのだろう。でも外国人の目からすれば、本来ならば主たる入場料に付随するはずのものに倍以上払うのはヘンな気がする。
入場券売場の壁には料金一覧表がかかっていた。ビデオ持込料の金額を見て目を疑う。なんと1200ルピーと書かれているからだ。120人分の入場料にして、スチルカメラ48台分の持込料に相当する。「あるところから取る」にしても、ずいぶん法外な金額ではないだろうか。
おおむね写真撮影よりも撮影者が静止する時間が長いため、スムースな人の流れを阻害するという部分はあるかもしれない。今のインドでは特に貧しい層でもなければ、機種さえ選ばなければ何かしらのカメラは購入できるが、ビデオカメラの場合はまだまだそうはいかないので、特別な贅沢品であることも間違いない。
だがスチルカメラ自体がピンキリで、安いコンパクトカメラからプロユースの高級カメラまでいろいろある。ハイエンドモデルを手にして撮りまくる外国人は多いし、インド人の中にもそういう人たちをチラホラ見かけるようになってきているではないか。近ごろでは多機能なデジタルカメラの普及により、カメラとビデオの境目が曖昧になってきているのが現状だ。
ひょっとすると撮影料収入そのものが目的なのではなく、本音はこうした障害を設けることにより機材を持ち込む人を減らしたいのではないか、ビデオ撮影はテレビ局などその道のプロのみが行なうべき行為だと認識されているのではないかと想像したりもする。
〈原則禁止〉で、思い切り吹っかけた金額を「ハイ、どうぞ」と気前良く払ってくれる人だけは特別に扱おうといったところだろうか。観光客はともかく、そこを取材することを目的に訪れた人ならばこれを支払わないわけにはいかないだろう。
文化遺産以外でも、国立公園などでもビデオ撮影に関してこんなビックリするような額を徴収するところが少なくないようだ。どうもよくわからないが、管理側する側からみてこの手の機器がそれほど憎いのだろうか。
スチルカメラ、ビデオカメラの別を問わず、インドでは撮影が許可制となっているところが多い。国有財産となっておらず、まだ個人が所有している宮殿等では、カメラの持ち込みそのものが禁じられているところが少なくないようだ。
規制する側にはそれなりの論理があるのだろう。しかし国の機密に関するもの、治安・保安上問題のあるもの、信仰にかかわるもの除き、特に制約をかける必要があるとは思えないツーリストスポットでの撮影については、もっと鷹揚になってくれてもいいように思う。
宿泊施設や交通機関のみならず、こうした「撮影の自由」もまた立派な観光インフラの一部ではないだろうか。

カテゴリー: travel
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ビデオ撮影は破格の贅沢?
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広がる航空路 狭くなる世界 2 広がるネットワークから見えてくるもの
いきなり格安競争時代への突入してしまったインド国内線市場で、「無理な安売り合戦は続かない」という見方が強い。今後も新しい航空会社による国内線参入がいくつか予定されており、体力のない会社はやがて淘汰されていくことになるのだろう。
それとは異なる次元での懸念も伝えられている。国内線・国際線ともに急激な増便により、空港のキャパシティを含めたインフラ整備が追いつかないというものだ。またパイロット、メカニック、フライトアテンダント、そして地上職も含めて航空業界で働く人員の確保が難しくなってきており、航空会社間での引き抜き合戦も盛んになっているとのことだ。
こうした動きの中で空の旅の大衆化が一層進むとともに、国内航空路のハブとして新たに浮上してくる街がある。インディアンエアラインスによる独占体制下では遠回りして乗り継がなければならなかったルートでも、今では他社便によるダイレクトに往来できるケースが増えてきており、料金面以外でも乗客にとっての利便性が向上しつつある。
このところ成長著しい都市が新しい成長センターとして台頭してきていることの証である。この調子でいくと実態に合わなくなって将来「四大都市」という言葉が使われなくなったり、「四大」の示す都市の名前が一部入れ替わったりすることもあるかも(?)とさえ思うことがある。
その一方、これまで航空機発着のなかった土地での新空港建設の話は少なく、これはまさにインフラ整備の遅れのひとつの側面だ。広いインドを見渡せば、今なお実現していない未来の有望なルートが埋もれている。料金競争の次には新たなルート開拓により、インド国内航空路線市場が今後まだまだ大きく伸びる余地があるのは言うまでもない。
ジェット・エアウェイズ、エア・サハラ等のインド国内線キャリアによる国際線進出が続く昨今、エア・デカンも湾岸諸国へ乗り入れを画策しているという。
近年は地方空港の国際化が進んでいる。ラクナウやカリカットその他から中東産油国への定期便が利用できるし、ブッダガヤからはバンコク、コロンボへのフライトが飛び立つ。
最近、アムリトサルからイギリスやアメリカへの直行便が就航したが、ここからはタリバーン時代のカーブル行きの便も出ていた。国内外を問わずインドをとりまく航空路はにぎやかになってきているわけだ。
そんな中で「穴場」といえるのは隣国パキスタンそして中国への航空路だろうか。これらの国々との関係改善にともない、ビジネスを中心とする相互の行き来が盛んになるにつれて、いつしかインドの地方空港からこれらの国々の街へと向かうフライトが次々に就航する日もやってくるのかもしれない。
<完> -
広がる航空路 狭くなる世界 1 またまた新航空会社就航!

先日は今月9日に就航したキングフィッシャー・エアラインを取り上げてみたが、インドの空のダイヤは今後さらに密になってくる。
新興航空会社ロイヤル・エアウェイズの「スパイス・ジェット」が5月23日(月)から就航する。同社は最低料金99ルピーという驚くべきキャンぺーン価格とともにインド国内線の格安市場に参入するのである。
エア・デカン同様、主に鉄道のAC?とAC?クラスの利用客を取り込もうというのが同社の戦略だが、チケットの価格は「離陸まで変動し続ける」というから実にフットワークが軽い。つまり同じフライトでも予約時の空席状況によって違ってくるので実際に購入するまで自分が払う正確な金額はわからないのだ。
オフシーズンでガラ空きと思われるフライトのチケットを思い切り早めに予約したり、当日空港で出発直前に買ったりすると底値で飛ぶことができるのだろうか。
平均して従来の国内線他社の4割から5割安、鉄道(AC?クラス)よりも一割高いレベルだというので割安感は大きい。今年度初めより国内航空各社は航空燃料価格の上昇にともない12%程度の運賃値上げを打ち出していることもあり、この時期同社の割安感がますます際立つ。
もちろんこの運賃を実現するために相当なコスト削減が図られており、ミネラルウォーターを頼むには50ルピー払わなくてはないなど、無料の機内サービスの類は大胆に省略されているらしい。
189席のボーイング747を使用して、5月23日からアーメダーバード、デリー、ムンバイ、ゴアの4地点を結ぶ。6月13日からは目的地にバンガロールとプーネを加え当面は国内6地点に乗り入れる予定だ。以降、グジャラート州都をハブに新たなルートが順次開設されることだろう。
この「スパイス・ジェット」を運行するロイヤル・エアウェイズを所有するのは米国に本社を置くロイヤル・ホールディングス社。インドで国内線航空事業を指揮するCEOのマーク・ウィンダース氏は過去35年以上にわたって主に北米の航空各社で活躍してきた辣腕経営者だ。インド西部からネットワーク展開する外資系航空会社は、今後目が離せない存在になるだろう。
<続く>
Spice Jet to launch flights in India by May-end (Hindustan Times) -
シェカーワティーに行こう3 屋敷町の行く末は?

現在、ハヴェリーの主たちの多くはすでに外の土地へ出てしまっていることが多く、かつての使用人家族が番をしていたり、屋敷内の部屋を幾世帯もの他人に貸し出していたりといったケースが多いらしい。主が不在なので手入れは当然おろそかになる。貧しい間借人たちが、建物の特に壁に描かれた絵の保守に関心を持つこともないようで、ハヴェリーの内も外もひどく痛んでいることが多い。
先述の元は寺院であった建物が他の目的に使われている例にもあるように、大型のハヴェリーの中には学校に転用されているものがいくつかある。一階部分の外側が店舗として利用されているものもあり、ペンキで書かれた屋号や下着や乾電池の広告のイラスト等が、美しい壁画の上に大書きされているのを目にすると胸が痛む。そうでなくとも厳しい日差しに焼かれて雨に洗われ、せっかくの見事な壁画が次第に失われていく方向にあることは間違いないようだ。
一部にはこうしたハヴェリーをはじめとしたこの地方独特の建造物を観光資源として地元の活性化に利用しようというアイデアはあるらしく、私設博物館として入場料を徴収したり、ホテルに改修したりするところも出ているようだ。だが今のところ、これらを地域の文化遺産として保存や修復しようという流れにはいたっていないようだ。 しかしこれらは私有財産であるし、今も人々が暮らす住宅であることから難しいのかもしれないが、このまま放っておけばカラフルなハヴェリーが建ち並ぶ景観はやがて姿を消して行くことだろう。また精緻な細工のなされた木製の扉や欄干などが本来あった場所から取り外されて、骨董品市場に流出しているケースも少なくないと聞く。こうした多くの屋敷の原型が失われないうちに、行政による何らかの手立てが必要だ。 -
シェカーワティーに行こう2 見どころいろいろ

ラージャスターン各地に割拠した藩王たちの宮殿のような壮大さはないし、建築や装飾の洗練された美しさや職人の技の精緻さに圧倒されるとまでは言えない。しかし平民の中からたくましくのし上がっていった当時の新興階級のみなぎる力、そして彼らの進取の気性を目の当たりにするようだ。まさに中世インドにおける民間活力の勃興の証であるともいえるだろう。
ここで力を蓄えた人々の中からは、大都会に出てより大きなビジネスチャンスを狙う者も出てきた。不断の努力により得た富をせっせと故郷に送金したことから、豪華なハヴェリー建築に更に拍車がかかった。
彼らが建設に励んだのは、自らの大邸宅だけではなかった。寺院建築のための寄進や井戸を作ることによる地元社会への貢献もあった。カラフルなハヴェリーとともにシェカーワティー地方の風景を特徴づけるのはユニークな井戸である。地面から高く積み上げられた基檀の上から空の方向へ堂々と伸びている大きな四本の尖塔が目印だ。遠目にはモスクのミナレットかと思うような造形だが、その足元では深くて暗い井戸がポッカリと大きな口を開けている。 -
シェカーワティーに行こう1 華麗な屋敷町

ハリヤナ州やデリーとの境の南側に位置するラージャスターン州北部に、「砂漠の中のオープンエアギャラリー」と形容される地域がある。まさにカラフルな絵であふれているのだが、こうしたタイトルの常設絵画展が開かれているわけではない。
この地方の町の多くには、18世紀から20世紀初頭にかけて建築された、内も外もあらゆる壁という壁が派手な色彩のペインティングで飾り立てられたハヴェリー(屋敷)がいくつも連なる一角がある。まさにこれがオープンエアギャラリーと言われる由縁である。
だが現地を訪れたのが四年ほど前であり、観光地の「発展」の速度はときに想像を超えるものであることもあることから、現状と違う部分があるかもしれないことは最初にお断りしておきたい。
インドで「壁画」言った場合、古代の寺院などに描かれたもののように深遠な思想背景や途方もない歴史的価値を持つもの、ワールリーやサンタルといった部族の村々で見られるトライバルアート(差別的な言葉ではあるけれども・・・)と呼ばれるもの、あるいはミティーラー画のように特定の地域で社会区分の枠を越えて広がる民俗画など様々だが、シェカーワティーの場合は商業という極めてグローバルかつ世俗的な分野で台頭してきた人々による豊かな経済力を背景にしたものであることから、それらとは性格も絵そのもののありかたも大きく異なる。
こうしたものを見物できる主な町としてジュンジュヌ、ドゥンドロッド、ナワルガル、ファテープル、マンダワ等がある。
屋敷を見るといっても、これらは遺跡ではなく現在も人が住んでいる住宅であるため、居住者の好意で中を見せてもらう機会があっても礼を失しないようにしたい。
このあたりはラージャスターン西部へと続く広大な砂漠地帯への入り口にあたり、緩やかに起伏する大地が広がっている。地味が豊かとは決して言えない荒野と貧しい田舎の町々から成るこの地方に、なぜこのような大邸宅群が多数建設されたのか誰もが不思議に思うに違いない。 -
聖地に集合!

やはりインドという国はひと味もふた味も違う。シカゴを拠点とするNRI資本により、「ディズニーランドみたいな」テーマパークが建設されるそうだが、花形マスコットはミッキーマウスではなく、ハヌマーン神だったりするのだそうだ。
このテーマパーク「ガンガー・ダーム」は、ガンジス河岸の聖地ハリドワールで、25エーカーもの広大な土地に650万ドルの資金を投入して建設されるという。
予定されている入場料は35ルピーと手ごろだが、ヒンドゥーの神々のアニメーション博物館、フードコート、サウンド&ライトショー等々さまざまなアトラクションが用意されるのだという。
ハリドワールで2010年にクンブメーラーが開催されるころには、このガンガー・ダームも全面開業しているとのことだ。 -
外国へ行こう、安く!!

大衆化が進むインドの空の旅(本当の庶民が飛行機に乗るようになったわけではないが)だが、この流れはついに国際線にも及んできている。
かたや「自由化」の波、かたや日増しに拡大する需要にこたえるため、政府系企業であるエア・インディアとインディアン・エアラインス両社による独占体制はいよいよ終わりだ。
4月29日、新会社「エア・インディア・エクスプレス」によるガルフ方面へのフライトが就航予定。インドからの航空路は東方向よりも西方面、とくに湾岸諸国との間のネットワークがより緊密で、中東産油国との関係の深い縁を感じさせてくれる。近いうちに東南アジア方面へのサービスも始める予定だという。運賃は既存の便より3割ほど安いのだとか。
エア・インディア・エクスプレスは、その名の示すとおりエア・インディアの子会社だが、今後ガルフや東南アジアといった近隣国への路線には、ジェットエアウェイズやエア・サハラといった90年代に発足した民間の航空会社も参入していく方向だ。前者については欧州やアメリカ路線への進出を控えており、インド発の国際線も今後は自国キャリア同士での大競争時代を迎えることになるのだろうか。
チェンナイからカリカットへ行きのインディアン・エアラインスのフライトを利用したが、空港では国際線ターミナルから出発だと告げられた。この飛行機の最終目的地はオマーンの首都マスカットなのである。他の多くの国内線と同様、エアバスA320の小さな機体。中央の廊下をはさんで左右に三座ずつならんでいるものである。同社の国際線はあまり利用したことがないのだが、タイムテーブルを見てわかるとおり、現在までは湾岸諸国行きのフライトを含めた国際線の多くはこのエアバスA320が使われている。
空の旅の大衆化により需要が大幅に拡大している昨今、これからは使用される機材の大型化も進んでいくのではないだろうか。インド各地で既存の空港の拡張が行われ、新たに国際空港化されるところもいくつか出てきているし、すでに空港のキャパシティが限界にきているバンガロールのように、新空港建設が急務とされているところもある。
インド空の旅事情は、今後数年間で大きく様変わりすることだろう。
Air-India Express to expand network in India, abroad -
ヘリテージなホテル 2 スリランカのコロニアルホテル

インドの宮殿ホテルとくれば、隣国スリランカではコロニアルホテルが特徴的だと私は勝手に信じている。
もちろんインドにもコロニアルホテルは多いのだが、有名どころとなるとタージグループのような大資本の傘下になっているものが多いようだ。そのため新たに手が入りすぎたがゆえに本来「味」が失われていたり、運営やサービスが標準化されていて魅力に欠けていたりする・・・と書きたいところだが、実は高くてあまり利用したことがないので大きなことは言えない。
スリランカのコロニアルホテルの代表格として、ゴール( Galle ) のかつてオランダによって築かれた要塞の中を走るチャーチストリートにそびえる、約三百年前のオランダ時代に建てられたニューオリエンタルホテルを挙げたい。現存する同国最古ホテルということもあり、その歴史的価値は大きく、レトロぶりも他を圧倒している。
いかにも植民地建築らしく、天井が非常に高く、開け放たれた窓からは同じくコロニアルな建物が立ち並ぶ眺めも素晴らしかった。 室内の様子が往時とあまり変わらない(?)と思われるのもまた魅力のひとつ。使い込まれた板張りの床、長く大きな蚊帳を吊るフレーム付きで脚が非常に長いベッド、調度品もずいぶん年代モノのようであった。ひょっとするとベッドシーツやマットレスも・・・(?)
まるで時間が止まったようなたたずまいと合わせて、古い絵や写真でしか見ることのできない昔の「セイロン」を眺めているような気がした。
グラウンドフロアーのカフェテリアで昼食を取った。室内のありさま、裸足のウェイターとそのユニフォーム、スープ、ソーセージにパンの味といい長い伝統(あるいは世紀を越えた旧態依然)を感じさせ、目に映るものすべてが次第にセピア色に染まっていくような思いがした。
惜しむらくは、建物がかなり老朽化していることと、メンテナンスが足りないことであった。実を言うと、私は宿泊費が高くて敬遠したのではなく、もっと快適なところに泊まりたかっただけである。遠目には風格に満ちているが内部は野戦病院のようで、本来大きな潜在力を秘めたホテルであるはずだけに、「伝統ある安宿」化していたのはとても残念であった。
だが知名度が高く立地条件も素晴らしい超優良物件が長いこと放置されているはずはなかった。 実は昨年12月15日には、大幅な改修工事を終えてピカピカになったニューオリエンタルホテルが、西洋人女性のマネジメントのもとで再オープンしているのだ。しかしわずか11日後、12月26日に発生した津波の大きな被害を受けたゴールの町、このホテルは高台にあるため難を逃れたもの、しばらくの間は被災者たちの収容施設となっていたそうだ。出足はつまずいたが、今後人気沸騰することは想像に難くない。 -
ヘリテージなホテル 1 インドの宮殿ホテル

お金がたっぷりあれば泊まってみたいホテルをあれこれ思い浮かべてみた。世界に冠たるムンバイのタージマハルホテルの客室はどんな具合か興味はあるが、よく考えてみるとゴチャゴチャした市街地と隣り合わせの都市型ホテルよりも地方にある宮殿ホテルのようにゴージャスで伝統的なムード満点の宿泊施設のほうが、周囲の風景も含めてより大きな魅力を感じる。
ウダイプルのレイクパレスホテルやジャイプルのラームバグパレスホテルをその代表格とするこのタイプの宿泊施設は、特にラージャスターンやマディヤ・プラデーシュなどの州に多い。
インドの世界的に有名な宮殿ホテルをいくつか思い浮かべてみると、その多くが現在11か国にホテル事業を展開しているタージグループのものであることにふと気がついた。
もちろんインド資本なのだが、外国では「欧米資本」と思い込んでいる人も少なくない。これはオベロイグループも同様である。こう言ってはとても失礼だが、規模といい行き届いたサービスといい、インドらしからぬものを感じさせるからだろうか。
こういった高級ホテルチェーンによるものはさておき、ふつう宮殿ホテルといっても規模や造りは違うし、オーナーの力の入れ具合(フトコロ具合?)も様々なので、サービス、グレード、施設のコンディションには大きな差が出てくる。高級ホテルからほとんど安宿までとピンキリなので、利用者は各々の予算に見合ったホテルを選ぶことができる。
これまで荒れるに任せていたような古い建物を改装してホテルをオープンすることもあれば、不便な場所から交通の便の比較的良いところへの移築といった大掛かりな工事が行われることもままある。
またラージャスターン州シェカワティ地方のジュンジュヌにあるループニワースパレスのように、正確には土豪の館なのに、「宮殿」を名乗っているところもある。広い敷地をクジャクたちがまるでカラスのように飛び回る風情のあるロケーションだ。室料によっては領主一族が使用していたと思われる立派な部屋から、どう見ても使用人部屋にしか見えないものまで色々あって面白い。
こうしたホテルはもともと宿泊施設ではないので大幅に改修されていることが多く、おそらくオリジナルな状態と相当違っていることも多々あるようだ。
マディヤ・プラデーシュ州のマーンドゥの遺跡の中にあるタヴェリ・マハルには現在インド考古学局の事務所と博物館が入っているが、かつてここは同局のゲストハウスだった。主に学術関係者や局の職員たちの宿泊に使われていたようだが、部屋が空いていれば外国人旅行者でも泊めてくれたのだ。
宮殿とはいえ、遺跡にそのままスチール枠のベッドを放り込み、電気と水道を付けただけのものだった。送電があてにならなかったので、夜はもっぱらロウソクが使われており、 昔々の宮殿の主にとっても、夜はこんなに夜は暗かったのだろうな、などと思ったりもした。
正確にはこの分野に含めてよいかどうかはさておき、近年は宮殿風を装った新築ホテルも一部出てきており、なかなか面白いことになってきた。
宿なんて「どうせ夜寝るだけ」という考え方もあるが、こうしたホテルの存在自体はインドならでは味わいでもあるので、たまには利用してみたいものだ。
こうしたホテルを一覧できるようなサイトはないものかと思って検索してみると、すぐに見つかった。India heritage hotels reservation.com という総合予約サイトである。
よく見てみると、ちょっとした旧家を改造したゴアのパンジムインのように「宮殿」はおろか「ヘリテージ」と呼ぶことに首をかしげたくなるようなものも含まれるが、ここは実際に宿泊してみて居心地良かったのでOKとしておこう。
ここには登録されていないが、ケララ州のカリカットの海岸に面したところにあるビーチホテルは、かつての欧州人用クラブを改造したものである。玄関口にはクラブの創設者(?)の古い肖像画が掲げられており、中庭や食堂には往時を偲ばせる雰囲気が残っており、在住していた白人たちの暮らしの一部を垣間見ることができるようで興味深い。
ともあれ、こうした年代物の建物に泊まると、歴史の舞台に身を置く喜びを感じる。いい夢を見ることができそうだ。 -
英領インドに旅する 4 観る・遊ぶ

各地の遺跡や寺院等の紹介については、今のものとそう大きく違うわけではないのであえて言及するまでもないが、やはりイギリス人ならではの視点が感じられる部分も多い。「タンジャーウルのBRAHADESHWARA寺院には、英国人かオランダ人のどちらかと思われる像が彫られている」と書かれている部分がある。また在地勢力やフランス勢との抗争にかかわる戦跡をめぐる記述が多いことは特徴的である。
クーラーのない時代、夏の暑さは耐えがたかったのだろう。各地のヒルステーションは彼らの大のお気に入りであったようだ。なんでもコダイカナルは「世界の気候三選」に入る(?)とまで絶賛されている。
マドラス(現チェンナイ)のマウントロード(現在のアンナー・サライ)にあった「マドラスクラブ」は、インドで最も格式の高いクラブのひとつ。だが「街」としてはそれと比較にならない避暑地ウータカマンドの「ウータカマンドクラブ」はそれに次ぐほどの格式の高さを誇ったという。ニールギリーは英国人お気に入りの避暑地だったらしく、高級ホテルや高級なクラブがいくつもあり、テニス場やゴルフ場などの設備も備えた豪華なものも少なくなかったようだ。
質実剛健で鳴らす英国紳士たるもの、故郷をはるか遠く離れても身体を動かすことを忘れるわけにはいかないのだろう。各地の紹介記事末尾には「Sport」という項があり、いきなりトラ、鹿、ヒョウ・・・などと動物の名前だけが羅列してあったりするのにはビックリだ。
助太刀してくれる勢子や地元猟師、装備や獲物を運搬する苦力を現地で調達できるかどうかについても紙面が割かれている。現在ならば密猟は犯罪になってしまうし、動物愛護の観念が浸透している現在、狩猟を娯楽として楽しみたいという人はそう多くないと思うが、当時の身分ある男性としてはごく当然のたしなみであったのだろう。
ちなみにこの頃、トラはまだ各地に沢山生息していたようである。また湿地帯での「クロコダイル・ハンティング」なんていう言葉を目にして心ときめかせた英国紳士たちは少なくなかったのではないだろうか。
もちろんイギリス人といっても、とりわけインド貿易が東インド会社による独占状態から自由化された1830年代以降、相当数の商売人やその取り巻きたちが海を渡ってやってきたわけだし、在印のイギリス人自体が上から下までいろいろいたわけで、必ずしも支配者側の立場にあったとも限らない。また彼らとて外地にあれど「一枚岩」であったわけでもない。
ボンベイ生まれのイギリス人小説家キプリングの小説「少年キム」の主人公のような浮浪する英国人孤児のような存在(この小説自体は決して悲惨なものではなく、冒険と機知に富む少年の活躍を描いたものだが)も実際にあったのではないかと思うのだが、これはまた別の機会に触れてみたい。
1926年という、まだ「観光旅行」が一般的ではなかった時代に、植民地という今とはまったく違う体制にあった南インドの旅行事情を概説したガイドブックの復刻版のおかげで、支配層から見た植民地時代の世相も想像しながら時遡る旅することができる。現地を訪れる前に、予備知識としてぜひ一読されることをお勧めしたい。
書名:Illustrated Guide to the South Indian Railway
ISBN:8120618890
出版:ASIAN EDUCATIONAL SERVICES
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英領インドに旅する 3 移動する

鉄道駅では三等車乗客に対するアメニティは何もなかったが、一等、二等には待合室その他の施設があった。有料で新聞を読むことのできるREADING ROOMを設置している駅もあった。これは今のネットカフェに相当することになるだろうか。
鉄道利用者数全体から見れば圧倒的に少ない白人乗客に対して手厚いサービスがなされており、インド人乗客のものとは別に専用のリフレッシュメントルーム(カンティーン)やリタイヤリングルームがあった。善し悪しはともかく、外国勢力による植民地支配とはこういうものなのだろう。
食堂車やリフレッシュメントルームのケータリングサービスは、在印イギリス資本のスペンサー商会(Spencer & Co., Ltd.)による請負業務であった。
この会社は創業者のジョン・ウィリアム・スペンサーにより1863年にマドラスで主にイギリスからの輸入雑貨を扱う商店を開いたのがはじまりだ。ごく短期間に急成長した同社は大規模な買収合併を繰り返して、欧州とアメリカ以外にある小売業者としては最大とまで言われるようになり、まさに当時のインドを代表する有力企業となっていた。デパートや商店などといった販売業に加えて、前述のケータリング、葉巻製造、ホテルやレストランの運営等にも手を伸ばすなど、非常に多角的な経営でも知られていた。 スペンサー商会にゆかりのあるホテルとしてはコネマラホテルが有名である。
インド独立とともに経営陣の現地化が図られ、もちろん今でも存続している。周囲の地元資本の成長もあり、同社の影響力は相対的に低下して今ではかつてのような影響力はなくなってしまっているのだが。スペンサー商会発祥以来のゆかりの地であるマドラスのマウント・ロード、つまり現在のチェンナイのアンナー・サライにある大きなショッピング・コンプレックスのスペンサー・プラザは同社による経営である。
このスペンサー商会についてまた別の機会に取り上げてみたい。
メーターゲージの区間にはそれなりの料金を払えば専用のツーリスト・サルーンを連結させることも可能で、お金持ちがこれを利用して大名旅行をすることもあったのだろうか。
ちなみにロンドンに本社を置く南インド鉄道会社の現地本部があったティルチラッパリは、世界最大級のルビー市場でもあったそうだ。
英領から仏領への「国際列車」についての記述もあり、旅行者が越境するにあたって必要な税関等の手続きについても触れられているのは面白い。
南インド域内には、COCHIN STATE RAILWAYのように別会社となっている路線もいくつかあるなど、今の国鉄のように経営が統合されているものではなかったようだ。
