
しばらくするとウェディングシーズンに入るインドだが、BBCから結婚にまつわるニュースがふたつ。
Israelis fined for wedding kiss
India’s rent-a-guest wedding agents
カテゴリー: society
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ケッコン狂想曲
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家路

就労機会とベターな賃金を求めて物乞い、家政婦、工場作業員、教員、経理士、IT技術者等々、実に様々な人々が外へと出て行く。まさにインドは出稼ぎ大国。
しかし同時に周辺国から同じような動機で、インドに出てくる人たちもまた多いのは興味深い。バングラデシュからの不法移民は各地で社会問題になっているし、インドのどこにいってもネパール人のチョーキダールやサービス業に従事する労働者は多い。
「みんな大きな夢ばかり見ているんだ」
ヒマなオフシーズンのゴアの宿、キッチンで働くネパール人青年が言う。
「外国に行けば、大いに稼いでいい暮らしができると思っているからね」
結局こうしてインドに来ている彼もそのひとりということになるのだが、ここで何年間も働いて過ごしてみて「現実が見えてきた」のだという。
国外で働く人たちの多くが、エージェントを通じて出入国や仕事の斡旋を受けているとのことだが、
「だけど実際には1 Lakhしかかからなくても2 Lakh、3 Lakhと懐に入れるような連中だからね」
と彼。近隣地域から日本にモグリで働きに来ている人たちのことでもよく耳にするようなことである。
「こうして働いて故郷に送金してみたところで、国や仕事にもよるけどあんまり貯まらなかったりもするのさ。何年も何年も離れていると、地元との縁も薄くなってくる。留守の間にいろいろ事情が変わるしね。久しぶりに帰郷すれば、まるで外国人みたいになった自分の立場に気付くというわけだ。条件の良い仕事を探そうにもままならない。だから出稼ぎに出ているんだもの。何か自分で始めようにも元手が無いとどうにもならない。運よくまとまったお金があったとしても、ノウハウがなければ往々にして失敗するものさ。リッチな人は運が良かったんじゃなくて、お金の扱いかたをよく知っているものだからね。そうじゃない人は結局使うだけ。まあ、しばらくしたらそれまでと同じように出稼ぎの旅に出るっていうのは多いみたいだなぁ」
すでにあまり若いとはいえない彼の遠い眼差しが見つめているのは「現実」や「故郷への想い」なのか、それとも「まだ見果てぬ夢」なのだろうか。
「何かを求めて」彷徨う若者は多い。それが自分にとって一体何なのか見つからないうちに青年期を終えてしまう人たちもまた多い。
勇気を出して外に飛び出してみることより、「家路につく」ことのほうがよっぽど難しいことだってあるのかもしれない。 -
昔はずいぶん静かだった
インドの街は活気に満ちている。パワーみなぎる人々の営みが繰り広げられている。往来を行く市民たちのざわめきや商店の中から聞こえてくるお客と商店主のやりとりはさておき、バザールの店先に置かれたスピーカーから流れる音楽、クルマのエンジン音やクラクションといった電気音や機械音こそが街中の騒音の主役だろう。大きな音が公害だという観念が薄いということもあるが、インドの街の風物の一部となっていることは確かだ。
これらがなかったころはさぞ静かであったことだろう。うるさい装置が世の中に普及したのはそんなに昔のことではないから、20世紀初頭くらいまではインドの大都会といっても案外のどかなものであったのではないだろうか。
モスクから流れるアザーン(イスラーム圏でモスクにおける拡声器の使用が一般化したのはいつごろなのだろうか?)やお寺から聞こえてくるマントラやバジャンだって、スピーカーを通さない肉声だったはずなので、敷地の外からでは耳を澄ましてみてもなかなか聞こえなかったことだろう。
現在では人口1300万人を越えるデリーだが、1901年のセンサスによれば当時の人口はわずか20万8千人あまり。中世の様子ともなれば推して知るべしといったところだろう。その頃、都会の昼間に聞こえてくるのは小鳥たちのさえずりくらいだったのかもしれない。
ムガル朝がこの地を治めていた時代、城壁で囲まれた華やかなりし世界有数の都シャージャハーナーバードにあっても、城門が閉まり外界と遮断される頃には街地はすっかり静まり返っており、もちろん排気ガスをはじめとする大気汚染だってなかった。
インドに限ったことではないが、そんなのどかな環境が失われたのは「ごく最近」のことらしい。 -
インド人は本の虫?

インドの人々がこんなによく本を読んでいるなんて・・・
都会には非常に立派な本屋、素晴らしい書物をズラリとそろえる出版社のショールームがあるいっぽう、まともな読み物がないところでは本当に何もない。ちょっと田舎に行けば印刷物といえば地方語の新聞か簡素な雑誌程度しか見当たらないことは珍しくない。日本のように津々浦々までさまざまな書物が浸透しているのとはずいぶん違い、相当不均衡な様子が見られるのがこの国だ。
それなのに、インドは世界一の読書大国だというのだ。以下、NOP World Culture Scoreによる調査結果である。このデータについて、調査対象の地域や社会層がひどく偏っているのではないかと疑うのは私だけではないだろう。 -
ラクダを駆る子供たち

ご存知のとおりUAEではラクダレースがとても盛んだ。テレビで中継されたり新聞に結果が大きく報道されたりするなど国民的な娯楽だ。レースで入賞することは、オーナーにとって大きな名誉であるとともに、現金以外にも高級乗用車、四輪駆動車その他の財産をもたらしてくれる。
伝統的なラクダレースを担ってきたのはもちろんアラビア人たちであったが、現在騎手のほとんどが外国人、しかも南アジア出身の子供たちなのだという。「体重が軽いこと」と、外国人である彼らの「低賃金」に加えて、競技が「危険であること」がその理由だ。レース中の事故や他の騎手(の子供たち)とのケンカなどにより、命を落とす者が後を絶たないのだというから胸の痛む話である。
子供たちは親の意思でブローカーに託される場合もあれば、組織的な誘拐により連れ去られることもある。産油国を出入りする労働者その他の南アジア人の子供に偽装して入国して騎手としての訓練を施される。UAEでおよそ3000人の子供たちがラクダレースにかかわっており、その中のおよそ7割から8割がパキスタン出身だという。
UAEで1993年から子供を騎手として使うことを公には禁止した後も、この状態はそのまま続いてきており、今年の5月になってこの問題に真剣に取り組むべく当局が重い腰を上げたらしい。今後は16才以下および体重45キロ以下の者がラクダレースの騎手になることはできなくなるとともに、「ロボット騎手」の導入も検討されている。
このほど騎手として働かされていたパキスタンの子供たち22名が国連の仲介により帰国することができた。ほとんどが貧困層の出身で、年齢わずか3歳の幼児も含まれるというほど、ほんの小さな頃に連れられていくケースが多いためか、帰国してからも両親を探り当てるために血液検査等が必要になるという。
一連の動きは歓迎すべきことではあるが、問題は受け入れ側だけではなく、送り出す国々にもあることはもちろんだ。UAEのラクダレースに限らず、南アジアから湾岸産油国へ同様の手口で送り出される南アジアの子供たちがいるのはよく知られているところだ。こうした悪辣な「幼児移民」を生む背景が消えてなくなるわけではない。騎手がダメなら次は何のためにどこに送り込まれることになるのか、世間は注視していく必要がある。
Repatriated child jockeys return (BBC South Asia) -
マスコミ人来たれ!
東京都内の路上でのこと、手にした地図とにらめっこしては周囲をキョロキョロ見渡している外国人の姿があった。「何かお探しで?」と声をかけてみれば、こちらは土地っ子なのでたちどころに彼の問題は解決。
風貌から南アジアの人かと見当はついたが、やはりインド人。しばらく立ち話をして名刺をもらったが、ある大手週刊誌記者であった。日本でIT関係の取材をしにきたのだという。
まさにIT業界を中心にインド人のプレゼンスが目立つ21世紀の日本。やってくるのはそうした職場で働く技術者やその家族たちだけではない。コミュニティの規模が大きくなればこれらの人々の生活のニーズを満たすため食品や日用品その他を流通させたり、テレビ番組や映画ソフトなどのエンターテイメントを供給したりする業者も増えてくる。インド人による日本でのビジネスがそれなりに育ってくれば、それを取り上げるメディアも出てくるのだろう。
インドのマスコミで、外国の通信社配信の日本関係記事が取り上げられることは少なくない一方、インド人ジャーナリスト自身による日本取材記事はとても少ない。広く世間にモノを言うことを生業とする人たちが積極的に日本の姿をカヴァーしてくれるのはありがたいことだ。日本に縁のない人、来る機会のない大多数の人々を含め膨大な読者たちを対象に全インド規模で「日本体験」を広めることができるのは彼らをおいて他にない。こうした動きは日印間の距離を確実に縮めていくことだろう。 -
世界一の大仏プロジェクト

カルナータカ州都バンガロールからマイソール方面へ50キロほど進んだラーマナガラムで計画されている「世界最大の仏像」の製作計画に対する環境保護団体等の反発が世間の耳目を集めるようになっている。
インディア・トゥデイ6月6日号に写真入りで記事が掲載されているのを見た。どこか記憶の片隅にある風景だと思えば、昔の記録的大ヒット映画SHOLAYの舞台であった。取り巻き連中と馬に乗って地域を荒らしまわる大盗賊ガッバル・スィンと若き日のアミターブ・バッチャンとダルメンドラが扮する主役が対峙するインド版西部劇みたいな舞台にまさにぴったり、巨岩ゴロゴロの大地にサボテンならぬ潅木がチョボチョボ生えている広大な景色だ。
予定されている大仏とは、そのロケーションといい規模といい2001年3月に当時のタリバーン政権により爆破されたアフガニスタンのバーミヤンの石仏を彷彿させるものらしい。こちらは大きなものが高さ55メートルだが、ラーマナガラムで予定されているものは何と217メートルという途方もなく大きなものだ。
サンガミトラ・ファウンデーションによる「プロジェクト・ブッダ」と呼ばれるこの事業にかかる費用は3億ルピー、500名の彫刻師と2000名におよぶ土木作業員が動員されるという。中央政府の環境・森林省およびカルナータカ州政府の認可を得ているということだが、今後しばらく紆余曲折が続くことになるのだろうか。
断崖に石仏を彫り出すだけではなく、広報、教育、啓蒙、医療、福祉、観光、商業活動といった様々な活動の拠点となる施設の建設が予定されているという。荒地を耕す以外にこれといって何もない土地に新しい事業が誘致されるということは、地元の活性化や雇用機会の拡大等々、非常に好ましく思えるのだが。表面上は事業主体である同ファウンデーション対複数の環境団体の対立という形をとっているものの、背景には大きな政治勢力の駆け引きがあるのだろう。
ともあれ大きなものを見物するのは大好きだ。建造にかかる費用以上に価値のあるものになるはずもないが、完成した暁には高さ200メートル超の大仏を眺めにぜひ出かけてみようと思う。さぞ迫力のある眺めに違いない。
Greens see red over Buddha statue project (The Hindu) -
アメリカに渡ったボース
日本でも「ボーズ」あるいは「ボウズ」として広く知られるアメリカ企業BOSE 。
私たちがよく目にするスピーカー以外にも主に音響分野で製品開発等をおこなっているが、民生用以外にも宇宙開発や軍事用にもさまざまな技術を提供する頭脳集団でもある。
創立者のアマル・ゴーパール・ボースの父親、ナニー・ゴーパール・ボースは当時インドの独立の志士であったがゆえに、イギリス当局の追及から逃れるために故郷カルカッタを離れなくてはならなかった。そして向かった先はアメリカ。
フィラデルフィアで生まれたアマルはやがてマサチューセッツ工科大で博士号を取得した後、同大学の教授となる。そして彼は1964年にBOSE CORPORATIONを設立した。その後この会社はおおいに発展して現在にいたっている。
優秀な科学者にして経営者でもあったアマル・ゴーパール・ボース氏は、なんと2000年に引退するまで同大学の電子工学の教授を続けていたというからおそれいる。
アメリカ資本ながらも創立者の出自でインドと縁があるBOSE社。本来は「ボース」のはずが独自の読み方が定着しまっているものの、我々にとって身近なNRI系の会社でもある。 -
にぎやかな街 2
このあたりは新宿の繁華街で働く人たちの「ベッドタウン」としての側面もある。また昔から中国系や韓国系を中心とした外国の人々も多く住んでいたようだ。
しかしバブル以降、以前からこの地域に生活するそれらの二世、三世たちに加えて自ら本国からやってきた移民第一世代の人口が爆発的に増えており、その流入は今も続いている。
こうして同胞の数が膨らむとともに、土地とのかかわりを持たず地元社会に貢献することがなくても、地元の人々にはよく見えない××人空間、××コミュニティの中ですべてが事足りてしまうようになる。
その結果、日本人社会から乖離した外国人空間がそれぞれのコミュニティに枝分かれすることになる。相互の接点はあまり(ほとんど)ない。異なる人々が融け合うことなく、また結合することもなく、たまたまそこに「集住」しているサラダボウルのような感じだ。
そんな根無し草的な日常の中で、癒しを求める人たちも少なくないのだろう。界隈での宗教活動はなかなか盛んらしい。前述のイスラーム教徒の礼拝室はもちろん、外国系信者を多く抱える教会は多いし、ビルの地下に「××寺」を名乗る韓国の仏教系団体が活動拠点を構えていたりもする。「悪霊払いをします」ということだが、いったいどんなことをしてくれるのだろう?
前置きが非常に長くなってしまったが、インドの大都会にも(インドに限らず多民族ではどこもそうだが)こういうところがあると思う。中国人やタイ人がいるというのではない。土地にルーツを持たない人が多いこと、おなじ地域を行き来していても相互に接点のない異次元コミュニティ空間があり、違った生活習慣や信条を持つ人々が集住しているといった点だ。
デリーを例にとってみれば、インドで90年代から続く好景気の中で、首都圏人口が10年あまりで約四割増加したという。近郊のノイダ等を含めた工業化の進展、商業活動が盛んになったことにより、他地域から大規模な人口の流入が続いているためである。
年々デリーの治安が悪くなっていることを懸念する声は多い。(だからといってデリーが危険な街だと言うつもりは毛頭ないが)確かにマスメディアでも犯罪率の高い増加傾向についてしばしば報じられている。
また市内の主要な住宅地で鉄製のゲートにより夜間の出入りを遮断するところが増えている。変な時間だとわざわざ遠回りをする必要があったり、明るいうちに見つけておいた柵の破れ目みたいなところから出入りしないといけないなどということも珍しくない。昔はそんなことはあまりなかったはずだが。
デリーにしてもムンバイにしても、昔からそこに暮らしている人たちに加えて近隣地域、そして国内にあっても言葉さえうまく通じない地方からやってきた者まで、実に多くの人たちが暮らしている。生活文化や価値観も異なる人々が重層的に集住する都会の良いところは互いに干渉されることなく、自分たちのやり方で日々過ごしていくことができることだ。しかし匿名性の高い社会だからこそ犯罪者やテロリストにとっても居場所を見つけるのはそう難しくないはずだ。
単調な田舎の地域社会(その中でいろいろあるにしても)と違い、都会では何年暮らしていても、個人的な接点がなければ自室の壁一枚向こうで生活している人が何者なのか見当もつかないのが当たり前なのだから。
大きな街の猥雑さと騒々しさは異なるコミュニティが軋みあう不協和音なのかもしれないが、その多様性こそが生み出す活気やパワーが周囲へ及ぼす影響もまた大きい。国こそ違えど、にぎやかな街に共通する匂いがあるようだ。
<完> -
にぎやかな街 1
繁華街の裏手、四方を高い金網フェンスで囲まれているのは少々気になるものの、昼間は人々が出入りする普通の公園、夜になると園内は煌々と照らされるが入口の扉が閉ざされ入ることができなくなってしまう。公園に隣接した無人の小屋に付いた赤色灯が回り続け、遠目にはポリスボックスがあるか、パトカーが停車しているかのように見える。
周囲の家々は高い塀に囲まれているため庭の様子さえうかがい知れず、シャッターで密封された車庫の中、クルマの有無さえ外からわからない。通りから見える窓には鉄格子がはまっている。
ある朝、開店直前のドラッグストアーに押し入った何者かに店長が刺された。付近にあるコンビニエンスストアーは、「定期的に」強盗の被害に遭っている。
近ごろは見かけなくなったが、ひところはパッと見てそれとわかる娼婦たちが日没あたりから出てきては客を引いていた。そんな彼女たちの用心棒、電柱にもたれたくわえタバコの体格の良い男たちが、それとなく周囲の様子に気を配っていたものだ。
これらはどこか外国の街の話ではなく、東京都新宿区大久保界隈のことである。少々物騒で不健康なイメージがないでもないが、なかなかカラフルで面白い街でもある。時間帯や場所にもよっては通りを歩いていてすれ違う人々の半分くらいが外国人と思われることもある。
実にさまざまな人々が出入りするだけに味覚のバリエーションは広い。ごくありふれた中華料理屋もあれば、「中国吉林省延辺朝鮮族自治区料理」をうたった店もある。独自の香味料を効かせた羊肉の串焼きはなかなか美味だ。
ときどき看板を「シンガポール料理」「マレーシア料理」「台湾料理」「タイ料理」とかけ替えるところもある。新しい店ができたな、と多少期待して足を踏み入れてみると何のことはない、以前の店員が迎えてくれる。確かにメニュー構成は多少違っているものの、これまでどおりの「華人料理」が主体なのである。
また「タイのイスラーム料理」専門店があるのもこの界隈ならではだ。
食品、日用雑貨、新聞に雑誌といろんな品物を手広く扱う東南アジアスーパー(?)に入荷した大きなドリアンが芳香をあたりに漂わせるようになると新緑の時期。縛り上げられた上海ガニが中国食材店で売られるころ、また韓国の秋夕(日本の中秋の名月)用の自家製菓子が韓国雑貨屋の軒先に並ぶようになれば秋を思うといった季節感もある。
雑居ビル内のミャンマー人ムスリムが経営するハラールフード屋には南アジア食材も揃っているため、客にはインド人の姿も多い。だがちょっと耳を澄ませていると、話す言葉からインド系ミャンマー人とわかることがよくある。近所にはケララ州出身のインド人による同じような店もあり、こちらでは国際電話のプリペイドカードの品揃えが充実している。通話する方面によって様々な料金やタイプが用意されているのだが、インドを含めた南アジアの人々には良好な通話品質とエコノミーな価格から、ZAMZAMカードが人気らしい。他にもいろいろこの類はあるが、しばしば額面よりかなり安く販売されていたりする。
このあたりにはビルの一室を借りたイスラーム教徒の礼拝所がある。
さまざまな人々がゴチャ混ぜに行き交っているのだが、ほんの目と鼻の先で暮らしていてもまったく接点がないのがこの街の特徴だ。
昨今の韓流ブームに便乗した韓国ドラマ関係のグッズを売る店、異国としてのタイやミャンマーの味を楽しませる料理屋等々、日本人を主な顧客とするものも少なくないが、ほとんど同じコミュニティ(国、民族、宗教)の同胞相手に商う店がとても多い。それらは自国語のみで書かれた(申し訳程度に小さく書かれた日本語も付け加えられていることもある)看板などからわかる。
通りを歩いていると、そうした食堂、美容室、雑貨屋、不動産屋等々、様々なものが目に入ってくる。この地域あるいは首都圏に在住する同胞たちの人口が大きければ、そのコミュニティ内で充分商売が成り立つのだ。
生活や活動の場は重なっているものの、相互に接点を持たない異次元空間が広がっているかのように見えるのがこの大久保周辺だ。
<続く> -
ロバは歩む

バングラデシュでチッタゴン丘陵地帯での物資輸送問題を解決するため、インドから輸入したロバを投入するのだという。
このあたりには、主にモンゴロイド系の少数民族たちが暮らしていることで知られるが、地理的な要因のため非常に開発が遅れた地域である。政治的にも不安定で1997年まで20年間ほど地元の武装組織による反政府運動が続いていた。
バングラデシュの地図を見てわかるとおり、幹線道路の多くはチッタゴン丘陵地域に入ったあたりでプッツリ切れてしまっていることが多い。ロバの投入云々というのは、まともな道路の不足のためクルマが入れない居住地が多いためである。
下記の記事中に「ネバールやブータンでも同様の役割を担っている」とあるように、小柄ながらも、丈夫で辛抱強いロバは交通の不便な地域で、山のような荷物をのせてトボトボ歩く姿はよく見かけるので、その有用性は言うまでもない。
ロバという動物は、その哀しげな眼差しといい嗚咽にむせぶような鳴き声といい、なんという業を背負っているのだろうか。あの大きな荷はまさにロバが負う因果そのものではないのか、と気の毒な思いがする。
それはともかく、こうした辺境の地に何か将来有望な産業があるのか、といえば特に何もないように思えるし、開発が進めば本来ヨソ者のベンガル人たちが入植してきて、地元に昔からいた人たちは、彼らに従属するかさらに不便なところへと追いやられてしまうことになりがちなのだろう。
世界各地で「グローバル化」が進む昨今、問題は後進性よりも地域の独自性や自主性を保てないことであることも少なくないのではなかろうか。また開発や発展を是とするのは強者の論理という側面もあるかもしれない。
人々の生活圏や経済圏が広がるいっぽう、従来の狭い地域では日々の営みが成立しなくなってくる。経済的に低く発言力の弱い立場では、新しい論理や倫理、ルールや習慣はたいてい外から否応なく押し付けられていくものである。だが厄介なことに、強い側にいる者たちはそれらを「公平にして普遍のきまりごと」と信じ込んでいるのだ。
多数決をもってする民主主義というシステムについても、人口の少ないマイノリティの人たちにとって、特に利害がマジョリティと相対する場合、それが公平なものであると認識できるだろうか。
かといって、時代の流れ止めることなど誰にもできやしない。世の中、コトバだけではわかり合えないことが山ほどある。
Bangladesh turns to donkey power (BBC South Asia) -
聖地に集合!

やはりインドという国はひと味もふた味も違う。シカゴを拠点とするNRI資本により、「ディズニーランドみたいな」テーマパークが建設されるそうだが、花形マスコットはミッキーマウスではなく、ハヌマーン神だったりするのだそうだ。
このテーマパーク「ガンガー・ダーム」は、ガンジス河岸の聖地ハリドワールで、25エーカーもの広大な土地に650万ドルの資金を投入して建設されるという。
予定されている入場料は35ルピーと手ごろだが、ヒンドゥーの神々のアニメーション博物館、フードコート、サウンド&ライトショー等々さまざまなアトラクションが用意されるのだという。
ハリドワールで2010年にクンブメーラーが開催されるころには、このガンガー・ダームも全面開業しているとのことだ。
