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カテゴリー: society

  • アメリカに渡ったボース

     日本でも「ボーズ」あるいは「ボウズ」として広く知られるアメリカ企業BOSE 。
     私たちがよく目にするスピーカー以外にも主に音響分野で製品開発等をおこなっているが、民生用以外にも宇宙開発や軍事用にもさまざまな技術を提供する頭脳集団でもある。
     創立者のアマル・ゴーパール・ボースの父親、ナニー・ゴーパール・ボースは当時インドの独立の志士であったがゆえに、イギリス当局の追及から逃れるために故郷カルカッタを離れなくてはならなかった。そして向かった先はアメリカ。
     フィラデルフィアで生まれたアマルはやがてマサチューセッツ工科大で博士号を取得した後、同大学の教授となる。そして彼は1964年にBOSE CORPORATIONを設立した。その後この会社はおおいに発展して現在にいたっている。
     優秀な科学者にして経営者でもあったアマル・ゴーパール・ボース氏は、なんと2000年に引退するまで同大学の電子工学の教授を続けていたというからおそれいる。
     アメリカ資本ながらも創立者の出自でインドと縁があるBOSE社。本来は「ボース」のはずが独自の読み方が定着しまっているものの、我々にとって身近なNRI系の会社でもある。

  • にぎやかな街 2

     このあたりは新宿の繁華街で働く人たちの「ベッドタウン」としての側面もある。また昔から中国系や韓国系を中心とした外国の人々も多く住んでいたようだ。  
     しかしバブル以降、以前からこの地域に生活するそれらの二世、三世たちに加えて自ら本国からやってきた移民第一世代の人口が爆発的に増えており、その流入は今も続いている。
     こうして同胞の数が膨らむとともに、土地とのかかわりを持たず地元社会に貢献することがなくても、地元の人々にはよく見えない××人空間、××コミュニティの中ですべてが事足りてしまうようになる。
     その結果、日本人社会から乖離した外国人空間がそれぞれのコミュニティに枝分かれすることになる。相互の接点はあまり(ほとんど)ない。異なる人々が融け合うことなく、また結合することもなく、たまたまそこに「集住」しているサラダボウルのような感じだ。
     そんな根無し草的な日常の中で、癒しを求める人たちも少なくないのだろう。界隈での宗教活動はなかなか盛んらしい。前述のイスラーム教徒の礼拝室はもちろん、外国系信者を多く抱える教会は多いし、ビルの地下に「××寺」を名乗る韓国の仏教系団体が活動拠点を構えていたりもする。「悪霊払いをします」ということだが、いったいどんなことをしてくれるのだろう?
     前置きが非常に長くなってしまったが、インドの大都会にも(インドに限らず多民族ではどこもそうだが)こういうところがあると思う。中国人やタイ人がいるというのではない。土地にルーツを持たない人が多いこと、おなじ地域を行き来していても相互に接点のない異次元コミュニティ空間があり、違った生活習慣や信条を持つ人々が集住しているといった点だ。
     デリーを例にとってみれば、インドで90年代から続く好景気の中で、首都圏人口が10年あまりで約四割増加したという。近郊のノイダ等を含めた工業化の進展、商業活動が盛んになったことにより、他地域から大規模な人口の流入が続いているためである。
     年々デリーの治安が悪くなっていることを懸念する声は多い。(だからといってデリーが危険な街だと言うつもりは毛頭ないが)確かにマスメディアでも犯罪率の高い増加傾向についてしばしば報じられている。
     また市内の主要な住宅地で鉄製のゲートにより夜間の出入りを遮断するところが増えている。変な時間だとわざわざ遠回りをする必要があったり、明るいうちに見つけておいた柵の破れ目みたいなところから出入りしないといけないなどということも珍しくない。昔はそんなことはあまりなかったはずだが。
     デリーにしてもムンバイにしても、昔からそこに暮らしている人たちに加えて近隣地域、そして国内にあっても言葉さえうまく通じない地方からやってきた者まで、実に多くの人たちが暮らしている。生活文化や価値観も異なる人々が重層的に集住する都会の良いところは互いに干渉されることなく、自分たちのやり方で日々過ごしていくことができることだ。しかし匿名性の高い社会だからこそ犯罪者やテロリストにとっても居場所を見つけるのはそう難しくないはずだ。
     単調な田舎の地域社会(その中でいろいろあるにしても)と違い、都会では何年暮らしていても、個人的な接点がなければ自室の壁一枚向こうで生活している人が何者なのか見当もつかないのが当たり前なのだから。
     大きな街の猥雑さと騒々しさは異なるコミュニティが軋みあう不協和音なのかもしれないが、その多様性こそが生み出す活気やパワーが周囲へ及ぼす影響もまた大きい。国こそ違えど、にぎやかな街に共通する匂いがあるようだ。
    <完>

  • にぎやかな街 1

     繁華街の裏手、四方を高い金網フェンスで囲まれているのは少々気になるものの、昼間は人々が出入りする普通の公園、夜になると園内は煌々と照らされるが入口の扉が閉ざされ入ることができなくなってしまう。公園に隣接した無人の小屋に付いた赤色灯が回り続け、遠目にはポリスボックスがあるか、パトカーが停車しているかのように見える。
     周囲の家々は高い塀に囲まれているため庭の様子さえうかがい知れず、シャッターで密封された車庫の中、クルマの有無さえ外からわからない。通りから見える窓には鉄格子がはまっている。
     ある朝、開店直前のドラッグストアーに押し入った何者かに店長が刺された。付近にあるコンビニエンスストアーは、「定期的に」強盗の被害に遭っている。
     近ごろは見かけなくなったが、ひところはパッと見てそれとわかる娼婦たちが日没あたりから出てきては客を引いていた。そんな彼女たちの用心棒、電柱にもたれたくわえタバコの体格の良い男たちが、それとなく周囲の様子に気を配っていたものだ。
     これらはどこか外国の街の話ではなく、東京都新宿区大久保界隈のことである。少々物騒で不健康なイメージがないでもないが、なかなかカラフルで面白い街でもある。時間帯や場所にもよっては通りを歩いていてすれ違う人々の半分くらいが外国人と思われることもある。
     実にさまざまな人々が出入りするだけに味覚のバリエーションは広い。ごくありふれた中華料理屋もあれば、「中国吉林省延辺朝鮮族自治区料理」をうたった店もある。独自の香味料を効かせた羊肉の串焼きはなかなか美味だ。
     ときどき看板を「シンガポール料理」「マレーシア料理」「台湾料理」「タイ料理」とかけ替えるところもある。新しい店ができたな、と多少期待して足を踏み入れてみると何のことはない、以前の店員が迎えてくれる。確かにメニュー構成は多少違っているものの、これまでどおりの「華人料理」が主体なのである。
     また「タイのイスラーム料理」専門店があるのもこの界隈ならではだ。
     食品、日用雑貨、新聞に雑誌といろんな品物を手広く扱う東南アジアスーパー(?)に入荷した大きなドリアンが芳香をあたりに漂わせるようになると新緑の時期。縛り上げられた上海ガニが中国食材店で売られるころ、また韓国の秋夕(日本の中秋の名月)用の自家製菓子が韓国雑貨屋の軒先に並ぶようになれば秋を思うといった季節感もある。
     雑居ビル内のミャンマー人ムスリムが経営するハラールフード屋には南アジア食材も揃っているため、客にはインド人の姿も多い。だがちょっと耳を澄ませていると、話す言葉からインド系ミャンマー人とわかることがよくある。近所にはケララ州出身のインド人による同じような店もあり、こちらでは国際電話のプリペイドカードの品揃えが充実している。通話する方面によって様々な料金やタイプが用意されているのだが、インドを含めた南アジアの人々には良好な通話品質とエコノミーな価格から、ZAMZAMカードが人気らしい。他にもいろいろこの類はあるが、しばしば額面よりかなり安く販売されていたりする。
     このあたりにはビルの一室を借りたイスラーム教徒の礼拝所がある。
     さまざまな人々がゴチャ混ぜに行き交っているのだが、ほんの目と鼻の先で暮らしていてもまったく接点がないのがこの街の特徴だ。
     昨今の韓流ブームに便乗した韓国ドラマ関係のグッズを売る店、異国としてのタイやミャンマーの味を楽しませる料理屋等々、日本人を主な顧客とするものも少なくないが、ほとんど同じコミュニティ(国、民族、宗教)の同胞相手に商う店がとても多い。それらは自国語のみで書かれた(申し訳程度に小さく書かれた日本語も付け加えられていることもある)看板などからわかる。 
     通りを歩いていると、そうした食堂、美容室、雑貨屋、不動産屋等々、様々なものが目に入ってくる。この地域あるいは首都圏に在住する同胞たちの人口が大きければ、そのコミュニティ内で充分商売が成り立つのだ。
     生活や活動の場は重なっているものの、相互に接点を持たない異次元空間が広がっているかのように見えるのがこの大久保周辺だ。
    <続く>

  • ロバは歩む

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     バングラデシュでチッタゴン丘陵地帯での物資輸送問題を解決するため、インドから輸入したロバを投入するのだという。
     このあたりには、主にモンゴロイド系の少数民族たちが暮らしていることで知られるが、地理的な要因のため非常に開発が遅れた地域である。政治的にも不安定で1997年まで20年間ほど地元の武装組織による反政府運動が続いていた。
     バングラデシュの地図を見てわかるとおり、幹線道路の多くはチッタゴン丘陵地域に入ったあたりでプッツリ切れてしまっていることが多い。ロバの投入云々というのは、まともな道路の不足のためクルマが入れない居住地が多いためである。
     下記の記事中に「ネバールやブータンでも同様の役割を担っている」とあるように、小柄ながらも、丈夫で辛抱強いロバは交通の不便な地域で、山のような荷物をのせてトボトボ歩く姿はよく見かけるので、その有用性は言うまでもない。
     ロバという動物は、その哀しげな眼差しといい嗚咽にむせぶような鳴き声といい、なんという業を背負っているのだろうか。あの大きな荷はまさにロバが負う因果そのものではないのか、と気の毒な思いがする。
     それはともかく、こうした辺境の地に何か将来有望な産業があるのか、といえば特に何もないように思えるし、開発が進めば本来ヨソ者のベンガル人たちが入植してきて、地元に昔からいた人たちは、彼らに従属するかさらに不便なところへと追いやられてしまうことになりがちなのだろう。
     世界各地で「グローバル化」が進む昨今、問題は後進性よりも地域の独自性や自主性を保てないことであることも少なくないのではなかろうか。また開発や発展を是とするのは強者の論理という側面もあるかもしれない。
     人々の生活圏や経済圏が広がるいっぽう、従来の狭い地域では日々の営みが成立しなくなってくる。経済的に低く発言力の弱い立場では、新しい論理や倫理、ルールや習慣はたいてい外から否応なく押し付けられていくものである。だが厄介なことに、強い側にいる者たちはそれらを「公平にして普遍のきまりごと」と信じ込んでいるのだ。
     多数決をもってする民主主義というシステムについても、人口の少ないマイノリティの人たちにとって、特に利害がマジョリティと相対する場合、それが公平なものであると認識できるだろうか。
     かといって、時代の流れ止めることなど誰にもできやしない。世の中、コトバだけではわかり合えないことが山ほどある。
    Bangladesh turns to donkey power (BBC South Asia)

  • 聖地に集合!

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     やはりインドという国はひと味もふた味も違う。シカゴを拠点とするNRI資本により、「ディズニーランドみたいな」テーマパークが建設されるそうだが、花形マスコットはミッキーマウスではなく、ハヌマーン神だったりするのだそうだ。
     このテーマパーク「ガンガー・ダーム」は、ガンジス河岸の聖地ハリドワールで、25エーカーもの広大な土地に650万ドルの資金を投入して建設されるという。
     予定されている入場料は35ルピーと手ごろだが、ヒンドゥーの神々のアニメーション博物館、フードコート、サウンド&ライトショー等々さまざまなアトラクションが用意されるのだという。
     ハリドワールで2010年にクンブメーラーが開催されるころには、このガンガー・ダームも全面開業しているとのことだ。

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  • 求めよ、さらば与えられん

     世にも厳しい法がある。家もなく無一文の人たちによる自らのサバイバルを賭けた「物乞い」という行為が犯罪となる。その根拠となるのは1959年にボンベイ州(当時)で制定された「ボンベイ物乞防止条例」(Bombay Prevention of Begging Act, 1959)で、1961年3月からデリー首都圏でも適用されている。
     これによれば、乞食を行う目的で公共の場(鉄道車内等を含む)や私的空間に入ること、身体の不具合を見せるなどしてお金を求める行為が禁止されている。
     だが事前に当局から許可を得ているものは取締りの対象とならないことが記されており、これは募金等の慈善行為を指すのであろう。
     この条例では施しを求めるいかなる行為、たとえば歌唱、踊り、占い、演技、物品の販売等を禁じているため、本来の乞食だけではなく大道芸人や路上で新聞などを売り歩く少年たちさえも、この条例を口実にした取り締まりの対象となり得る。 
     違反者の処罰については、初犯は3年以下の禁固、再犯は10年以下の禁固ということになっている。また乞食行為の「使役者」に対しても、1年以上3年以下の懲役が定められている。
     2002年にはこの条例が改定され、これを読んでいるあなたも罰せられる可能性が出てきた。「乞食に施しを与えることにより、スムーズな交通の流れを妨げる」ことに対して、100ルピーのペナルティーを課すことができるようになったからだ。
     本来はこの条例、物乞いの禁止とそれにかかわる人々の保護と自立支援を目的にすることをうたっており、乞食行為に対する処罰とともに、行政側がこうした人々の保護と収容、教育と就労支援の付与、その目的が遂行されるための施設を運営することが明記されており、必要とあれば病気等の治療も与えられることになっているのだが、路上の現実を見ればまさに机上の空論であろう。

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  • 異郷で汗して働く人々

     近代的なシンガポールの街並みの中、ちょっと路地裏に目を向けるとクルマのガレージ(?)のシャッターの奥にマットレスを敷いて寝泊りする労働者たちの姿がある。彼らインド亜大陸からやってきた出稼ぎ人たちは、今日もまた朝早くからトラックの荷台に乗せられて仕事場へと運ばれていく。隣国マレーシアでは主にバングラデシュからやってきて不法に就労する人々の取り締まりに頭を悩ませている。
     植民地時代のインド各地からかつての中国と同様に、多くの人々が新天地を求めて世界各地に散っていった。中には事業主としてあるいは役人として渡航した人たちもあったとはいえ、マジョリティを占めていたのはやはり故郷での貧困や人口圧力といった要因を背景にした貧しい移民たちである。
     今ではIT大国とまで呼ばれ、毎年高い経済成長を実現しているインド。1990年代には中産階級の規模も大幅に拡大し、自他ともに認める世界最大級の消費市場のひとつになったが、それでも往時さながらの人々の流れがある。
     従前の保護主義的政策のもとで競争力を蓄える機会から阻害され、政府による様々な制約に縛られていた企業家たちは、90年代以降はこのタガが外れることにより、「待ってました!」とばかりに大競争の海原に飛び出してきた。能力、財力、そして機知に富む人々が水を得た魚のように、力を大いに発揮できる機会が増大したといえる。
     80年代までは他の途上国同様に「頭脳流出」が社会問題のひとつであったが、今ではそうした人々の本国への回帰現象さえ続いているのだから、ずいぶん事情は変わったものである。
     生産・消費活動ともに非常に盛んになり、その水準も飛躍的に向上したとはいうものの、元気がいいのはやはりそれなりの背景を持つ人たちで、生産手段も技術や資格もない単純労働者や農民たちまでもがその恩恵を受けているとはいいがたいのが現状だ。
     現在も海外出稼ぎに出る人々には高い報酬と待遇のもとに海外での仕事がオファーされるエリート層があるとともに、地元の相場に比較して格安な労働力を提供するために出て行く人々の姿もある。 彼らもまた出稼ぎ先の産業を支え、送金によって故郷の家族を養い、母国の貴重な外貨獲得にも貢献しているのだが、経済力も社会的な発言力もない下働きの彼らは、雇用主側から見れば安価でいくらでも代わりのきく労働力でしかない。滞在先の国民ではなく、非合法な立場で就労していることも珍しくないため、法による庇護や福祉の恩恵にもあずかりにくい。
     母国での失業や低賃金等といった問題に対し、出稼ぎ先での高い報酬という魅力がある「限り、「新天地」を求める人々は列をなす。旧来から亜大陸との間に人々の行き来が多く、活発な求人・求職ネットワークがあるような地域ではなおさらのことだ。
     昨年夏にはイラクでインド人トラック運転手たちが武装組織に拉致されるという事件が起きた。それでもインドやネパールからの出稼ぎ志願者たちが後を絶たないというのは、これをより極端な形で投影したものであろう。
     出稼ぎのバックグラウンドやそのありかたは今も昔もそう変わらないのではないだろうか。
    Migrants’ woes in Dubai worker camps
    Migration: ‘A force of history’
    Dubai airport accident kills five
    Workers’ safety queried in Dubai
    Dubai relaxes worker visa rules
    (いずれもBBC NEWS South Asia)

  • 公共の宿

    独立以来、経済の分野で国家の主導する部分が非常に大きかったインド。90年代以降、思い切った改革路線への転換により、今では毎年高い成長率を記録するようになったインドだが、石油・天然ガス公社のONGCや肥料会社FCI、航空機を製造するHAL、戦車のBEM、レーダーや無線機などを造るBELといった軍事関連企業といった国の基幹を支える国営企業以外にも政府系企業はまだまだ多い。
    政府が業務そのものに直接関与すべきものか疑問だが、観光部門でもそうした公営企業が目立つ。旅の終わりに中央政府や州政府経営のエンポリアムで買物をする人は少なくないだろう。品物の値段は全体的に高めでも、装身具に衣類、金属細工に木彫などひととおりのアイテムは揃っている。店員たちは無理に買わせようとプレッシャーをかけることもないし、お客は「ボラれているのではないか?」などと疑心暗鬼にかられることもなく安心だ。価格交渉などで貴重な時間を取られることもなく、とかく急ぎ足の人たちにはありがたい存在には違いない。
    首都デリーには全国各州政府によるエンポリアムが出店しているが、自州の名産品を内外にアピールするのに格好の場所であろう。
    また各州政府運営による観光開発公社があり、これらが主催するツアーや経営するホテルや付随するレストランも各地にある。クラスは中級から上といった具合で、概ね立地は良いし設備も整っていることから、民間のホテルと大いに競合してしまうようだ。
    日本ではこういう政府系の施設は、「民業圧迫だ」ということになりそうだが、ここでは地域振興のきっかけの創出、民間に対する事業モデルの提示、行政による雇用確保が狙いとなっているのだと思う。
    新しく注目されるようになったスポットに、いち早く宿泊施設やツアーのアレンジ等を行うエージェントを用意して地域経済をリードしていくのは大いに意味があることだろう。
    だがこうしたホテルは建てたときがベストで、時間が経つとともに施設もサービスも劣化が進むという傾向はどこに行っても共通している。地域を訪れる観光客が少なく利用者の少ないホテルともなると荒れ放題で目も当てられない。
    公営宿泊施設には活用されないムダなスペースが多く、設計時点からあまり真剣に取り組んでいないように思われるところが少なくない。もちろんこれは現場のみの責任というわけではなく、事業主体である公社やそれを監督する官庁の姿勢をも問われるべきものでもある。
    堕落の結果として官業と民業がうまく共存していけるのかもしれないが、すると政府系のホテルは本当に必要なのかよくわからなくなる。こうした施設を本当に必要としているのは、「予算消化」と「実績」を必要とするお役所自身なのだろうか?という気がしないでもない。

  • ドアの無い村

     今でも日本の田舎では「カギをかける習慣がない」というところは珍しくないが、インド北部U.P.州のアヨーディヤ近くにあるスィーマヒ・カリラート村では「家屋にドアを付ける習慣がない」というのだからビックリしてしまう。
     プライバシーを守るためにカーテンをかけるのみというのは、数百年前にこの土地にいた聖者が「家を建てる際、最初にいくつかのレンガを寺に寄進すること、そして住まいにドアを作らないこと」を人々に命じたのがはじまりだという。
     インドの家といえば、ありとあらゆる窓に鉄格子がはまっており、家の中でもあらゆるところにカギ、といったイメージを抱く人は多いだろう。75軒しかない小さな村とはいえ、U.P.州は隣のビハール州とともに犯罪多発地域だ。コソ泥だけではなく盗賊も出没するのだから、あまりに無防備すぎるのではないかという気がする。極貧のため守るべき財産もない状態にあり、結果として扉さえ必要としないことはありえるかもしれないが、地域の不文律として敢えて家屋を開け放しておくとは恐れ入る。
     
     だが信じられないことに百年あまり犯罪が起きていないというのだ。警察にも1906年以来事件の記録さえないという。聖者のご加護かあるいは盗むものさえ見当たらない寒村なのかよくわからないが、一切を放棄するかのような家屋のありかた、そして「ドアを作らない」というしきたりの裏にある生活哲学のようなものが、犯罪を未然に防いでいるのかもしれない。ともあれ「ドア無し村」の存在がニュースで取り上げられることにより、ヨソからやってくる犯罪者たちに狙われるようなことがなければ良いのだが。
     ドアの無い生活には興味を引かれるが、私にはどうにも真似ることはできないだろう。防犯上の理由だけではなく、U.P.の夏はクーラー無しでは耐えられないほど暑く冬の寒さもまた厳しいからだ。
     場所によっては理不尽にも思えるこんな哲学めいたしきたりが残るインド。機会があればこのスィーマヒ・カリラート村を訪れて、人々の話を聞いてみたいものだ。だがこんなところにいきなりヨソ者が訪れたら、非常に警戒されてしまうのだろう。泥棒が少ないところはたいていヨソ者の出入りも非常に少ないものであるから。 
    Doorless village has no crime (BBC NEWS)

  • 国境線を誰が引く?

     インドでもパキスタンでもそうだが、アメリカなど第三国で出版されたニュース雑誌等に両国北部国境地帯の地図が掲載されている場合、「当国政府の主張する国境線を示すものではない」といった意味の但し書きがスタンプで押されているのを目にすることがある。当局により、係争地帯に関する部分についてはかなり厳しいチェックが行われているようだ。
     係争地帯とは言うまでもなくカシミール地方のことであるが、インドとパキスタン双方が同地方への主権を主張しており、事実上統治の及ぶ限界となっているLOC(Line of Control)は両国の停戦ラインに過ぎない。つまりインドにはインドなりのカシミール地方の形と大きさがあり、パキスタンや中国にもまた彼らなりの同地方の描きかたがあることになる。
     そのためインドで出版された地図中には、中国へと通じるカラコルムハイウェイ沿いのギルギットやフンザといった世界に広く知られるパキスタンの観光名所が非現実的にも「インドの町」となってしまうのと同様、逆にパキスタンで刷られた地図によればスリナガルがパキスタン領というおかしな具合になってしまうのだ。インドのJ&K州には、もうひとつの隣国、中国との間にも係争地帯がある。つまり中印紛争(1959年〜1962年)以降、中国占領下にあるアクサイチンの存在だ。
     中国との間には他にも東部で国境問題を抱えているのだが、このJ&K州にかかわる表記の問題から、デリー高等裁判所は中国製の地球儀の玩具輸入禁止を命じることとなったのだろう。中国で印刷される南アジアの地図では、インドの国土は頭頂部のカシミール地方を削った形で描かれる。ここにはインドともパキスタンとも異なる着色をしたうえで、この地域をほぼ南北に分断するLOCを境に、「インド実効支配地域」「パキスタン実効支配地域」と表記されるのだ。単にオモチャとはいえど、インドの将来を担う子供たちに間違った地図を刷り込むわけにはいかないのだろう。
     しかし思えばデリーが、イスラマーバードが、あるいは北京が何を主張しようと、誰もが必要とするのは生活の安定と平和だ。関係国「中央」の強固な意志のもとで、住民たちの思いを無視した不毛な駆け引きが続くカシミール。辺境に住む人々にとって、「民主主義」とはただ絵に描いた餅に過ぎないのかもしれない。
    デリー最高裁 中国製地球儀玩具輸入禁止を命じる(パキスタン・DAWN紙)

  • ヒマラヤの禁煙国

     本日11月17日、インドのご近所ヒマラヤの王国ブータンは世界初の「禁煙国家」となった。20ある行政区のうち18ですでに禁じられていたとのことだが、この日をもって全国に禁令が施行されることになったのである。タバコの販売はもちろん、屋外で吸うのもダメである。外国人が個人消費用に持ち込んだものを自室でたしなむ分には構わないようだが。
     ちかごろどこに行っても喫煙者は肩身が狭い。周囲に迷惑をかけないようマナーを守るのは当然のことだし、間違いなく健康に悪いのはわかっているが、庶民のささやかな楽しみを奪わなくたって・・・とスモーカーたちに肩入れしたくなるのは自分自身が元喫煙者だったからだ。2年ほど前に頑張ってやめたのだが誘惑にとても弱いタチなので、飲みにいったりして周囲で喫煙していると、いつの間にか自分もタバコを手にしていることもしばしば。非喫煙者と言うにはまだまだ半人前なのである。
     そんな調子なので、そばに喫煙者がいると迷惑というのはよく理解できるし、喫煙者の気持ちもよくわかる気がする。
     あまり産業らしいものがなく、インドからの物資が日々大量に流入しているブータン。「さあ今日から禁止です」なんて言われたって、喫煙者たちが「はい、わかりました」なんて従うはずもない。そうした品物に紛れて密輸されたゴールドフレークやフォースクエアみたいなインド製の短い安タバコを手にして、「禁制品になってからずいぶん値上がりしてねぇ」なんてボヤいてたりするのだろうか。
     それにしてもこのブータン、世界に先駆けて「完全禁煙化」とは、ずいぶん思い切ったことをするものである。もともと喫煙率は低かったそうだし、国内のタバコ産業がそれほど育っておらず、ほとんど輸入に頼っていたのではないか、つまり貴重な外貨の節約のためなのかな?と想像してみたりもするが、実際のところ禁煙化の背景にはどんな理由があっただろうか?
    ブータンでタバコ販売禁止( BBC NEWS)

  • Hollywood@Bollywood

     近年、ボリウッド映画を見ていてずいぶん変わってきたなと思うことがある。機材や技術進歩のためもあってか映像がずいぶんキレイになった。国内市場で外国映画と競合する部分が増えてきたという理由もあるだろう。あまりに荒唐無稽なストーリーや雑な構成もずいぶん減ってきた。今も昔も音楽とダンスに満ちて華やかだが、インド映画としての個性が薄くなった、あるいは洗練されてきたという言い方もできるだろうか。
     90年代から衛星放送を通じて多くの欧米映画(特にハリウッド映画)に日常的に接するようになってきたという環境の変化、そして経済成長や情報化が進んだ結果、当然のことだと思う。
     そんな中、ボリウッドのハリウッド化(?)が進んだため、性や暴力の描写がより具体的で露骨な表現が増えてきた。いまやかつてのように「親子そろって安心して観ていられる」映画ばかりとは言えない。
     もちろん昔からすべて「インド映画=健全」であったというわけではない。多くはマイナーで粗悪だが毎年相当数の成人映画も製作されているからだ。
     もっともその類の映画ではなくても、倫理基準の違いから指定を受けて上映される外国映画が珍しくないお国柄、よく調べてみたわけではないが、そう滅茶苦茶なものはないはず。
     インディア・トゥデイ誌(11月8日号)に、ここ5年ほどの間にネット上で北米を発信地とするインド系のアダルトサイト、同じくその地域でポルノに出演するインド(系)の人たちが増えていることが取り上げられていた。モデルや女優は海外生まれのNRI(Non-Resident Indian)やPOI( Person of Indian Origin)だけではなく、インド生まれの移住者たちも少なくないという。
     それらを利用あるいは作品等を購入する主な顧客が地元の人々なのか、あるいは南アジア地域に住む男性たちをターゲットにしているのかよくわからないが、ともかくインド社会へ与える影響が懸念されているそうだ。

    (さらに…)