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カテゴリー: society

  • マッチャル・マール・エクスプレス

    マッチャル・マール・エクスプレス

    デリーでは蚊の発生時期にマラリアやデングを媒介する蚊を減らすため、2週間に1度、マッチャル・マール・エクスプレスを走らせている。

    鉄路からホースによる液剤の散布の届く範囲に限られるため、どの程度の効果があるのかは疑問ではあるものの、蚊ならびにその幼虫の駆除を実施することにより、沿線住民への啓蒙を促すことの意味はあるし、まさにそこが狙いということなのだろう。

    ひとりひとりの心がけなくしては、都市部において蚊が媒介する伝染病の防止はあり得ないので、これを含めた広範囲な対策が求められるところだ。

    Northern Railway’s mosquito terminator on the prowl (NDTV)

    Delhi’s Malaria Express (The Hindu) ※こちらは昨年の記事

  • ツォ・モリリへ 4

    ツォ・モリリへ 4

    昨夜は10時くらいに寝てしまったので今朝は朝4時半過ぎに起床。まだ外は暗いが東の空が少し明るくなりつつあるのが見える。薄手のダウンを着て布団二枚をかぶっているのだが、これが厳冬期だったらどれほど寒いのか想像すると恐ろしくなる。

    暖かい時期でこういう風なので、厳冬期の生活たるや、どんな具合なのだろうか。宿は伝統的な日干し煉瓦造りで、寒々としている。水道も蛇口から出ないので、共同バスルームにはバケツが置いてある。バスルームといってもシャワーや水浴びするようにできているわけではなく、ただのトイレである。階下に暮らす宿の主人家族もずっと風呂はおろか洗濯もしていない感じだし、昔のレーの宿はこんな感じのところがあったな、と思い出した。

    起きだして少し日記をしたためていると、すぐに外は明るくなってきた。幸いなことに今日の天気は昨日ほど悪くないようだ。

    昨日の展望台から撮影しようと思い、寺院裏手の階段を上って行き、チョルテンが並んでいるあたりまで行ったのだが、犬が十数匹いて互いに争っているため、ちょっと危険かと思い、寺院の屋上から撮影することにした。

    そういえば昨夜もかなり犬の吠える声があちこちから聞こえていたし、窓の下で犬の吠える声に続いてロバの悲鳴が聞こえた。数匹の野犬たちがロバの脚に咬みついている。野良犬というのはまったくろくなことをしない。

    その可愛そうなロバとは別のもののようだが、ロバが二匹まるで会話でもしながら歩いているかのようにして連れだって進んでいた。しばらくすると同じようにして戻ってきて、まるで人間が散歩しているみたいだ。

    湖の風景をしばらく楽しんでから、宿で出してもらった簡単な朝食を済ませてツォ・モリリを出発する。湖のほとりの眺めの良いところで何か所か停車してもらって景色を堪能した。

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    コルゾクの村を出てすぐのところにあるスムドという集落には、チベット難民の子供たちを支援する組織TCV (Tibetan Children’s Villages)が運営する学校があった。つまりこの界隈に亡命チベット人居住区があるということになるが、このような気候条件の場所に定住するのはなかなか大変なことと思う。もちろんチベットにはもっと条件の悪い地域もあるのかもしれないが。

    TCVが運営する学校

    そこから昨日、ツォ・モリリと勘違いした小さな湖に向かう。ここでも少々ストップして撮影。昨日は真っ青に見えたのだが、今日は灰色。時間帯や日が差し込む角度次第なのだろう。

     

    遊牧民の移動式住居


    かなり進んでいくと遊牧民たちの姿があった。厳しい環境でこうした生活を送るというのは大変だが、中には町に定住する人たちもあるのだろうか。人々はボロボロの恰好で家畜の世話をしている。

    ツォ・カル

    その後、ツォ・カルという塩湖に行く。たくさんの塩が溜まっていて、白い岩のようになっている。少し先に行ったところにあるトゥクジェという集落にあるテントの食堂で昼食。あまり食欲の沸く環境ではないのでマギーにした。だがテント式の食堂の雰囲気はいい。明かり取りの穴が天井中央に開いていて、壁の部分には丸く腰掛けるスペースが配置されており、その上にはチベット風デザインのカーペットが敷いてある。

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    これほど毛足の長い犬は初めて見た。まるで羊かと思う。

    そこから次第に高度を上げて、タグラン・ラという5260mの峠に向かう。ここまで高くなると、クルマで走っているというよりも、飛行機で飛んでいるような気さえしてくる。空気が薄いのかどうかは感じないが、おそらく走ったりするとすぐに息切れしてしまうのだろう。こんな峠で息を切らせながら越えて行くサイクリストもいるのだから恐れ入る。

    タグラン・ラを越えて

    場所によって地質がかなり異なるようで、山肌の色や質感がずいぶん違う。細い筋状に浸食されている岩肌もあれば、ゴツゴツとしたものもある。また砂状の斜面になっているところもある。

    クルマは次第に高度を下げて、やがてミルーの集落を越えたあたりでインダス河沿いに出る。ここまで来ると「低地に来た」という感じがする。飛行機でデリーからレーに入った際には、「高地に来た」と感じたのだが。要は比較の問題である。

    レーの近くまで来た。ラダックで雲が山間に低くたれこめていたり、谷間が雲で覆われていたりするのは初めて見た。まるでモンスーン期のヒマーチャルにいるかのようである。荒々しい景色も雲がかかると優しい感じに見える。気温は普段よりも低くて、潤いのある空気になっている。これはこれで気持ちが良い。

    同じラダック地域といっても景色や風土にずいぶん大きな差異があるし、同じ場所でも天候が違えばまったく異なった印象となる。時間さえ許せば、春夏秋冬、あらゆる季節に訪れて、そのシーズンごとの味わいを楽しんでみたいものだ。

    〈完〉

  • ミャンマーのメディアを国外で読む

    近年、経済面からアジア最後のフロンティアとして注目されているミャンマーでは日々、様々な動きがあるものの、まだまだ国外に伝えられる情報には限りがある。

    国内各方面で進む自由化とともに、報道の分野でも緩和が進むことから、民間資本による新聞や雑誌などのメディアも雨後の筍のように増えてきている。紙媒体以外にもネットで積極的に発信するようになってきている。

    だがこうしたメディアの歴史が浅いこともさることながら、インドと同じく旧英領の国でありながらも、現在は「英語の国」ではないため、海外への発信力となるとかなり弱いと言わざるを得ない。

    インドと異なり、独立後のミャンマーでは行政や教育の分野等で、英語の排除とミャンマー語化が進んだため、旧英領とはまったく思えない「英語の通用度」となっている。

    それはさておき、総体としてミャンマー語の印刷物の洪水の中で、数多くないが存在する英語メディアは貴重な存在といえるのだが、これまたこうしたメディアの草創期にあるためか、以下のようなウェブサイトが存在する。

    Myanmar Journal Download

    ミャンマーのニュースから始まり、音楽、スポーツ、テレビ、PC、ショッピング等々、様々な分野の雑誌をPDFで閲覧することができる。

    版元が異なるこれほど沢山の雑誌類を無料で読むことができるというのはなかなか凄いことだ。ミャンマー語が出来ないのが非常に残念になるほどだ。

    こうした形での誌面の公開がいつまで続くのかわからないが、利用できるうちはミャンマーの英語メディアに目を通しておこうと思っている。

    ※「ツォ・モリリへ4」は後日掲載します。

  • ツォ・モリリへ 3

    ツォ・モリリへ 3

    せっかくのツォ・モリリ到着だが天気には恵まれなかった。

    道を更に進んで村の中心部に入る。ここまで来るといくつかのゲストハウスの看板が目に付く。結局、ゴンパのすぐ隣のゲストハウスに宿泊することにした。ちょうどこの日にダージリンからあるリンポチェがやってくるとのことで、出迎える人たちが集まっていた。この村の人々以外に、周囲の地域で遊牧をしている人たちも大勢来ているとのことで、ボロボロの恰好をした人たちも少なくない。外地から高僧がはるばる訪問するという特別なハレの日ということもあり、ラダックの伝統的な頭飾りと民族衣装をまとった女性たちの姿もある。

    遠来のリンポチェの到着を待つ人々

    しばらくするとリンポチェのお出まし。人々が急に列を成して出迎える。さきほど見かけた伝統衣装と頭飾りの女性たちが先導して、リンポチェのクルマがやってきた。この出迎えの儀式が終わると、みんなそそくさと帰っていく。

    「いよいよお出まし」の知らせとともに道路脇に整列する人々
    伝統衣装で着飾った女性たちがリンポチェの乗るクルマを先導

    幸いなことに雨は止んだ。しばらく湖の風景をカメラに収める。そうこうしているうちに晴れ間が出てきて、ほんのわずかな時間ながらも深い青色湖の姿を眺めることができた。この時点で気温はわずか12℃。夜間には零下になることもあるのだとか。天空には晴れ、曇り、そして雨天が混在し、広大な大地に複雑な陰影を投げかけている。湖対岸の山々にかかる雲の低さに、ここは海抜4,500mであることをしみじみと感じる。

    幸いなことに少し晴れ間が見えてきた
    喜んだのも束の間、すぐに厚い雲に覆われてしまったりする。
    負け惜しみみたいだが、大地に投げかけられる陰影が刻々と変化するのを眺めているのも楽しかった。
    彼方に見えるこの山は中国なのだそうだ。
    僧侶たち

    同行のマイクとキムと斜面の展望台まで上ると、村の子供たちが集まってきた。好奇心旺盛な彼らは、ちょっと照れくさそうにしながらも、私たちにずんずん迫ってきていろいろな質問をしてくる。そうでありながらも、やはり行儀が良くて控えめなのはラダック人らしいところだ。

    村の子供たち。みんなとても利発そうだ。
    マイクとキム、そして村の子供たち

    斜面を宿のあたりまで下り、ゴンパのお堂を拝観。ちょうど10日に一度のバスが到着したところのようで、正面の広場のところに停車している。

    10日に1回、レーとの間を往復するバス。ツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着した翌朝、レーへ折り返す。

    宿とゴンパの間のスペースに大きなテントを張って営業している食堂がある。ここはかなり繁盛していて、お客がひっきりなしに出入りしている。外国人の利用者も多いようだ。特にこれといった産業もなさそうなこの村で、手際よく、相当なハイペースで仕事を続けている姿を見ていると、おそらくここの女主人は稼いだお金でもっと立派な食堂を建てたり、旅行者相手の宿を開いたり、ということになるのかもしれない。

    テントの食堂の女主人は大変な働き者

    マイクとキム、そして本日のレーからのバスで到着したという西洋人たちと楽しい会話をしながらの食事。こういう気楽な時間を持てることも旅行の楽しみのひとつである。

    この村の野犬は毛足が長く、いかにも高地かつ寒冷地に適応したものであることがわかる。ロバも毛足が長めになっている。動物もやはりこうして環境に適応するようになっているのだろう。

    テントの中に座っているのも少々寒くて辛くなってきた。私たちが宿に帰ると、テレビではクリケットの中継が放送されていた。マイクとキムはオーストラリア人らしくクリケットフリークのようで、宿の人や宿泊しているインド人旅行者とクリケット談義に興じていたが、こちらはこのスポーツについては関心がないのでついていけない。本来ならば、インドにおいてクリケットは必須科目であることは間違いないのだが。

    天気さえ良ければ、灯の少ないコルゾクの村の夜には満天の星を楽しむことができたのだろうが、あいにく空模様はそういう具合ではない。それでも雲の切れ目から湖水に降り注ぐ月の光が美しかった。

    雲の切れ目から月が覗く

    〈続く〉

  • ツォ・モリリへ 2

    ツォ・モリリへ 2

    午前11時ごろにチュマタンという温泉が出ていることで知られる集落。小さな浴場の小屋がひとつあるだけで、温泉そのものが有効に活用されているわけではない。地表から湯が湧き出ているという現象自体がひとつの観光名所となっていることから、ツォ・モリリに行くついでに立ち寄るマイナーなスポットとなっているだけのことである。

    昨夜から天気は悪く、ときおり雨がぱらついている。晴れてくれないと、ツォ・モリリの湖の深い青さを堪能できないことになるので、ちょっと気がかりである。ここから先は少々険しい山道となり、雨脚も強くなってきた。道路にはところどころ水たまりもできている。こんな禿山ばかりのところで雨が降るとがけ崩れでも起きやしないかとちょっと気になったりもする。

    遠くに湖が見えてきた。

    しばらく走ると湖が見えてきた。これがツォ・モリリかと思ったので、想像していたよりもずいぶん小さくて拍子抜けした。だが周囲の開けた景色はなかなかいい感じだ。だが周囲に村や宿泊施設らしきものは見当たらず、果たして宿泊施設が湖からどのくらい遠いのかとも思った。私が同行のオーストラリア人カップル、マイクとキムと盛んに「ツォ・モリリ」について話しているのを耳にしたナワンが言う。「え?あの湖はツォ・モリリではありませんよ。」

    だがこの湖はツォ・モリリではなかった・・・。
    このあたりまで来ると行き交うクルマも極端に少なくなる。

    途中の道で遊牧の人たちのテントも見かけたが、道路沿いでしばしば見かけるのは、道路作業の人たちのテント。インドの他の地域から来た人たちが工事のためにそこに住んでいる。岩を砕いてバラストを作っている人たちもいるが、夜は冷え込んで辛いことだろう。もちろん身体を洗うこともままならないはずだ。

    道路工事の作業員のテント

    「本物のツォ・モリリ」は、さらに荒野をひた走った先に見えてきた。平地では考えられないような低いところに立ち込めている雲の様子を目の当たりにすると、このあたりで海抜4,500mもあるというのも頷ける。

    最後の橋を渡ってから左に進み、湖畔の道をどんどん進んでいく。天気もますます悪化していて、雨もさらに強くなってきた。どんよりとした灰色になってしまった湖は岸辺のあたりは不思議な青色をしている。湖の遠くの部分は晴れているようで、太陽の光が注いでいるのが見える。雨が降るようになると、それまで非常に視界が良かったラダックの景色が一変して、遠くが見えなくなってしまう。やはりラダックの眺望の良さは湿度が極端に低いためであることがよくわかる。

    湖の沿岸を進んだ先には軍のチェックポストがあり、そこで追い返されることになった。そこから先、民間人はオフリミットとなっているそうだ。さきほど橋の左手を進んだのが間違いで、本来は右手に行くべきであったらしい。それでも湖畔を余計にドライブできたことは良かったと思う。午後3時くらいにツォ・モリリ湖畔の村、コルゾクに到着。

    〈続く〉

  • ツォ・モリリへ 1

    ツォ・モリリへ 1

    前日、レーに戻ったその足で、ツォ・モリリ行きのクルマに申し込んだ。オーストラリア人カップルがすでに予約しているとのことで、費用を折半できるのは助かる。その日の夕方、雷鳴とともに雨が降ってきた。かなり雨脚が強く、ツォ・モリリ行きの道路のことが少し気になった。

    邪悪な感じがする雲

    前日まで2泊3日の行程での運転手、ナワンさんとの再会は案外早く実現した。本日の朝6時半に宿まで迎えに来たのはまた彼であったからだ。人柄はもちろんのこと、運転も無茶はしないので安心していられる。

    クルマを手配した旅行代理店の前には、本日同乗するオーストラリア人カップルが到着していた。彼らと簡単な挨拶をして、ツォ・モリリへ向けて出発。

    彼らはオーストラリア人だが、現在はロンドンに在住であり、7か月の予定でアジア旅行を楽しんでいるそうだ。明るくておしゃべりな人たちで、いい旅行になりそうな予感がする。このようにクルマをシェアしての泊りがけという場合、同行者に恵まれることもまたひとつの大切な要素である。

    レーを出発してから東へ進む。ツォ・モリリ方面とパンゴン・ツォ方面への分岐点となるカルーの集落で朝食。そして一路東へと向かう。パンゴン・ツォやヌブラ行きのような険しい山道を想像していたが、途中いくつかの橋を越えて急坂もあったものの、比較的穏やかな感じの道である。

    軍用車両の往来が大変多い

    ちなみに、レーからツォ・モリリ行きのバスが出ているようだが、月に3往復のみということなので、クルマをチャーターしないとなかなか行きにくい。

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 7

    下ラダックへ 7

    朝5時過ぎに起きて、部屋で少し日記を書いて身支度してから宿のテラスで朝食。

    ラダックの朝日は心地よい。東の空が赤く焼けることなく、淡々と明けていく。夕方は夕方で、西の空が真っ赤に染まることなく、粛々と日が暮れていく。高度の関係もあるのかもしれないが、おそらく空気に含まれる水分が少ないからなのだろう。

    朝方の眺めが最もクリアなことはもちろんだが、それでも昼間のどの時間帯でも抜けるように遠くまで見渡すことができる。これもまた湿度が低いため、気温が上がってきても霞がかからないからだ。そのため、やたらと視力が良くなったかのように思ったりするのだが、これは錯覚であることは間違いない。

    夜は夜で、周囲に灯さえなければ、満天の星を満喫することができる。たとえ宿泊施設やその周囲で電灯が煌々と光っていたとしても、ラダックの大半がそうである「午後11時給電停止」の地域であれば、宿の窓からでも信じられないほど派手な星空を楽しむことができる。

    平地であれば、これが大気汚染に侵されておらず、空気が澄んだ地域であったとしても、文字通り流れるような天の川を眺めることは無理だ。やはりラダックの高度とともに、湿度の低さが天空の絶景の秘訣。

    これから向かうのは、レーへと繋がる幹線道路から少しそれたところにあるリキルゴンパ。ここはシャームトレックと呼ばれる一泊二日のミニトレッキングの起点にもなっている。レーからは遠くはないが、公共交通は日に1往復しかないためクルマをチャーターして訪問する人たちが多い。

    山間で、人口密度は希薄、そして外部から大規模な投資を呼び込むような産業もない地域なので、公共交通機関の頻度もまた同様に希薄なものとなる。やはりクルマをチャーターして回らないとラダックは旅行しづらいものがある。

    往来の希薄さが地域ごとの個性、独自性といったものを維持する大きな要因となっていることは言うまでもない。まずは外部からの遮断性。国境を挟んで向こうの中国側との間を行き来する公式なルートは皆無であり、インド国内にありながらも陸路でスリナガル方面ならびにマナーリー方面と往来できるのは夏の時期に限られている。観光客もインドの他の地域からの出稼ぎ人たちも、大半はこの時期にやってくる。「そこに仕事がある限り、UP州、ビハール州そしてネパールの労働者たちはやってくる。」というのがインドの常だ。

    しかしながらラダックのシーズンである夏季以外のアクセスの悪さや気候条件により、シーズン以外には訪問客が極端に少なくなる。そのため観光産業関係では、未シーズンオフは休業となる。観光以外に外地からの労働者を多く受け入れている農業もまた長い農閑期ということになるため、出稼ぎにやってくる外地の人たちの雇用機会がないという季節的な環境もまた、地域の独自性を守る働きをしてきたといえる。

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    本日、アルチーからレーに戻る途中に訪問するのはリキル・ゴンパ。勇壮な感じで造りも立派だ。やはり他のメジャーなゴンパ同様に、観光客からの収入、とりわけレーから近いこともあり、クルマをシェアして訪れる旅行者が多いこと、そしてトレッキングの起点にもなっているので、ついでに訪問する人も少なくないということがあるに違いない。

    そうした関係で、ひょっとすると従前とは違った秩序が形成されているのかもしれない。同じ宗派に属して、それまでは格上のはずであった寺院が経済面において、相対的に地位が低下したり、その逆があったりということもありえるのではないかと思う。

    ゴンパからの眺めも素晴らしい。いくつかのゴンパを見学すると、いつしかどれも同じ?といった感じになってしまうものの、周囲の風景の豪快さは格別である。

    幹線道路を走っていると、次々にバイカーたちの姿をみかける。西洋人も多いが、同様にインド人も多い。荒野にはやはりロイヤルエンフィールドが似合う。半世紀以上前に設計されたバイクであるが、今でも新車で購入できるというのがいいし、そもそもデザインもエンジンの音もかっこいい。

    運転手と3日間一緒に過ごすので、どんな人か最初は少々気になっていたが、話好きで人柄も良くて楽しい旅行となった。もう10数年運転手をしているそうだが、訪れる場所についていろいろ好奇心は尽きないようで、クルマから降りてどこに行くにも同行してくれた。オフシーズンにはザンスカールに戻るのだそうだ。

    レーに戻り、これでナワンさんとはお別れ。またいつか再会することがあれば、ぜひまたもや運転をお願いしたいと思う。

    〈完〉

  • 下ラダックへ 6

    下ラダックへ 6

    アルチー・ゴンパ
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    アルチーに到着した。アルチーのメインアトラクションであるゴンパへの参道には、ゲストハウス、レストランやみやげもの屋などが集まっており、かなり観光化されている感じはするものの、その一角を外れるとまだまだ素朴な村といった風情だ。
    アルチー・ゴンパのある一角から少し離れたところにある集落の裏手には、昔の領主の古い館が見えるので、しばらく散策してみる。館は正面から見ると端正なたたずまいを残しているものの、背後は崩落している部分も多いため、今にも倒壊しそうな危険建築となってしまっている。
    遠目には立派に見える館だが・・・。
    壁はいつ倒壊してもおかしくない状態であった。
    館の手前にある集落は、どれも伝統的な建物ばかりで趣がある。近くでは麦の収穫作業中で、女性たちの姿が目立つ。そうした中にも平地から来たインド人出稼ぎ男性たちがかなりいるようだ。町中や観光地での外地からの訪問客相手の商売にかかわる仕事に比べて実入りは決して良くないものと思われるが、それでもこうして働いている出稼ぎの人たちは、月にどのくらいの収入があるのだろうか。またそうした仕事を求める人々の流れはどのようにして形作られているのだろうか。おそらくそうした人材ネットワークで稼ぐ商売人たちがいるのだろう。
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    宿の近くのベーカリー兼レストランで夕食していると、バイクで旅行している若いインド人男性がやってきた。店主に対してチベット仏教のこと、そうした関係のことを書いてある本について、その他この地域の様々な事柄について質問している。デリーから来たとのことだが、出身はハリドワールであるとのこと、
    店主がテーブルを離れてから、しばらく彼と話をしたが、マーケティングの仕事をしていたが退社して、フリーランスのライターとしてやっていくことを画策しており、これまででひと月半、これから残りひと月半をバイクでの旅行に費やす予定ということだ。
    ラダックではこれまでザンスカールを回ってきたところで、様々なゴンパを手当たり次第に訪問してきたものの、ただ訪れただけでは、仏像や仏画の意味がわからないので、それらを知るための資料を探しているという。彼の名前はアビジート。
    こうした自由なライフスタイルを謳歌する人たちがインドで増えてきている。彼の年齢は30前後くらいか。昔のインドにはあまりいなかったタイプだろうが、このような人たちが確実に増えているのが今のインドであるといえる。
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    〈続く〉
  • 下ラダックへ 5

    下ラダックへ 5

    地層のダイナミックな褶曲
    こちらの褶曲ぶりは非常に複雑。まるでパイのよう・・・?

    ラマユルを後にして、リゾン・ゴンパに向かう。アルチーに向かう幹線道路から外れて、川沿いの細い道を上っていく。ラダックの山肌を眺めていると、ここでもそうだが、地層の褶曲の凄まじさに目を奪われることがしばしばある。

    荒涼とした景色の中、清いせせらぎの眺めが目に優しい

    もちろんそうした激しい褶曲はラダックに限ったことではないはずであることは言うまでもない。山肌に木々が生えていると見えなくなるため、ヒマラヤ全域においてこのような具合であるはずなのだ。

    小規模な落石の除去作業が進行中

    まさに木々が極端に少ないがゆえのことだが、地滑りはかなり多いようだ。とりわけこの地域では多くない雨が降ったりすると、保水力を欠くがゆえに崖崩れは頻繁に起きてしまう。

    いずれにしても、このように乾燥した高地にはあまり馴染みがないがゆえに、どこに行っても景色がとても物珍しく感じられる。

    垂直によじれた地層がさらに浸食されたものと思われる。

    リゾン・ゴンパに到着

    リゾン・ゴンパに到着。乾燥した山々に囲まれたこの場所の周囲には、集落らしい集落も見当たらず、まさに人里離れた修行の場という感じがする。こうした寺院で起居している僧侶たちはもちろんのこと、ラダックでは村の人々の間でも、高齢者でなければ普通にヒンディーが通じることを期待できる。言葉に対する柔軟性が高い民族であるということもあるのだろうが、J&K州の公用語のひとつが話し言葉はヒンディーと近い関係にあるウルドゥーであり、誰もが学校で学んでいるということが大きいだろう。

    ゴンパの屋上からの風景

    リゾン・ゴンパを後にして、しばらくジープ道を下っていくと、運転手のナワンは道端の人影に何やら呼びかけて停車。「なぜかウチの村の人たちがいた!」とのこと。彼らはザンスカールのナワンと同じ村の出身だが、今はカールギルで暮らしているという。

    彼らは家族連れで、木陰に敷物を敷いてコンロで煮炊きをしていた。ちょうど昼ご飯を食べていたため、私たちもご相伴に預かることになった。

    運転手ナワン(右から二人目)と彼の同郷の人たち

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 4

    下ラダックへ 4

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    国道1号線をカールギル方面に進み、途中からジープ道に入ってしばらく進んだところにあるアティスィー・ゴンパに向かう。

    荒涼とした景色の中の山の高みにあるその寺は、規模こそ大きくはないものの、そして僧侶は常駐していないとのことだが、なかなか趣きがある。ラマユルのゴンパの別院という位置づけだそうだ。

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    お堂に飾られている高僧の写真の中には西洋人らしき僧侶の姿もあった。運転手のナワンさんの話によるとドイツ人であるそうだ。リンポチェがドイツに転生するとは興味深い。昔は、チベット仏教の世界はチベット仏教圏であったので、その圏内に転生することで良かったのだろうが、最近は遠く西洋に転生することもあるのだろうか。

    ところで転生といっても変なところに転生すると、一般人として生活することになる。たとえば仏教圏でも日本に転生したら、日本社会でリンポチェ=活仏としては扱われないだろうから、「発見される」こともないことになる。すると仏教圏からはるか彼方のドイツに転生したとして、いったいどうやって見つけられるのか?と不思議に思う。

    ラマユル遠景

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    その後、ラマユルに戻り、ラマユル・ゴンパを見学する。境内はよく整備されているし、僧坊も同様のようだ。20年以上前に訪れた際には、ラダックのどこの寺院もひどい状態であった。やはり現在はお金の回りがよくなったのだろう。インド人観光客が増えている。文化財の補修や保守のため、どこかから補助が出ているのかもしれないし、インド経済そのものが向上しているため、このあたりにもお金が回って来るようになったのかもしれない。

    同様に、外国人観光客から入場料を徴収するようになったこともこれに寄与しているのではないかと思う。多くの外国人観光客は寄付を置かないため、このような形で徴収すると、寺院の財政に寄与するものが少なくないことは間違いない。ちなみに現在、この寺院が外国人から徴収している入場料は50ルピーである。

    寺院で日々を送る僧侶たちの生活にかかるコストがあるわけだし、法要や祝祭その他でかかる費用もある。また寺院の修復やメンテナンスにも相当な金額がかかるわけなので、こうした形で定収入を確保することは運営上必須だ。

    こうしたチベット仏教の世界について門外漢なのでよく知らないのだが、寺院運営にかかわる事務方の人たちもかなりいるのではないかと思う。寺院の予算や収入・支出の管理、同宗派の他の僧院との連絡調整、地元社会との緊密な連絡等々いろいろあるはずだ。大学が教授・講師陣だけで成るものではなく、数多くの事務方の人たちがいるのと同様に、僧院が僧侶の修行だけで成り立つとは思えない。寺院の規模が大きくなるほど、そうした俗世間じみた仕事は多くなるはずだ。

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    在家の人たちがこれに携わっているのかもしれないし、僧衣をまとっていてもそうした事務仕事を主に扱う役割の人がいるのではないかと思う。それはたとえば入場料のチケットを販売している人などだ。一般人もいれば、僧衣を着ている人の場合もある。寺院がどのような形で収入を上げているのかはよく知らないのだが、いくら名刹であっても、そこに僧侶という多数の人々の生活を支え、宗教団体としての活動を維持していくためには、きちんと営利を上げていくことと、きちんとした予算や収支の管理が必要であることは言うまでもない。お寺を訪問しても壁画や仏像の意味さえよくわからない私だが、そうした現実的な部分に関心がいってしまう。

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    灌漑がなされているところには豊かな緑
    ラマユルから少し下ったところにある通称「ムーンランド」

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 3

    下ラダックへ 3

    ダーまで来ると、海抜はかなり下がるためか、少々暑苦しく感じる。それでも優に標高3,000mはあるはずなので、高地であることは間違いないのだが。

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    さて、今晩はどこに滞在しようかと思い、アーリア人の村、ダーも魅力的なのだが、ここに来る途中で眺めの美しさに心打たれたスクルブチャンに向かうことにした。村では夕方遅くなってからも収穫作業中で、人々は忙しく働いていた。ゲストハウスの類はないので、どこかホームステイできるところはないかと尋ねまわってみたが、受け入れているところは見つからず、そのままラマユルに向かうことにする。

    スクルブチャンの村は収穫の時期

    カルツェ方面にしばらく走り、インダス川の対岸に渡り、カールギル方面への道を進む。ラダックはどこもそうだが、水があり、人々が耕作している地域以外は乾燥しきった大地が続き、木々の姿もない山肌が続いている。

    地層が垂直になっている巨大な岩盤

    地面がむき出しであるがゆえに、地層の激しい褶曲を目の当たりにすることができるため、太古の時代には海の底であった現在のヒマラヤ地域は、インド亜大陸とユーラシア大陸が衝突して持ち上がった結果、形成させてきたものであることがよくわかるとともに、現在もさらに成長しているということも納得できるのである。同時に、山肌や大地の色合いからして、場所により地質が大きく異なることも観察できるようになっている。

    おそらくラダックだけではなく、インドのヒマラヤ地域全域に共通することなのだろうが、他の地域では豊かな緑に覆われているため、そうとは気付かないものだ。

    ラマユル近くの通称「ムーンランド」。ここの地質も特徴的だ。

    ラマユルに到着すると、すっかり陽は暮れていた。ここはメジャーな観光地なので、ラマユル・ゴンパの周辺にはいくつもの宿が軒を連ねている。

    宿泊したところの中庭には、バイクでツーリングしているグループが食事をしていた。デリーからヒマーチャル・プラデーシュのマナーリーを経てラダックまで走行してきたメンバーはスペイン人とフランス人で、そのリーダーはツアーの主催者であるスペイン人のパブロさん。恰幅の良い中年男性だ。

    彼は、90年代にはデリーでラージャスターンの建築史を学ぶ学生であったという。その後、スペインで仕事に就いていたが、2年前から再びデリーにやってきて、旅行代理店を経営しているそうだ。彼の店はバイクによるツーリング専門で、お客がスペイン人、フランス人の場合は自分がツアーを率いて、それ以外の場合は雇っているインド人スタッフに任せていると言う。

    10月にはブータン行きのツアーを予定しているそうだ。そのツアーは12日間で、デリーからバグドグラに飛び、そこからスタートしてジャイガオンからブータン入りするものだという。1日あたり2,500ドルもするそうだ。宿泊代は込みというがやはり飛び抜けて高い。かなり富裕な層の人たちが参加するのだろう。

    自室に戻ってから、しばらく日記を書いていようかと思ったが、10時15分くらいで電気が消えてしまう。その後点灯することなく11時を回った。ノートPCのバーテリー駆動で日記を書いていたが、真っ暗な中ではとても目が疲れるのでやめて寝ることにした。

    〈続く〉

  • 下ラダックへ 2

    下ラダックへ 2

    荒野をひた走ると、やがてザンスカール川に出た。冬季にかの有名なチャーダルトレックが行われるあの川だ。

    ザンスカール川

    そこから川沿いにしばらく進むと、やがてインダス川との合流点に到達する。やや黒い感じの水のザンスカール河がミルクのような色のインダス河と交わると、その先は完全にインダスの色になって流れていく。人も水もそうだが、やはり量の多いほう、影響力の強いほうの色に染まるようだ。このあたりでは観光客向けにラフティングも行なわれているそうだ。

    ザンスカール川(左)とインダス川(右)の合流点

    滔々と水が流れるのとは裏腹に、どこまでも木々の姿がない荒々しい光景が続く。ただし水の流れがあるところにはちょっとした木立が形成されていたり、集落があったりする。

    チェックポスト

    本日向かうのはアーリア人の谷と俗称されるインダス沿いのアーリア系の仏教徒たちが暮らす地域。レーから一路カールギル方面に向かう。カルツェを少し過ぎたあたりにチェックポストがある。ここで、運転手がパスポートとパーミットの写しを持ってオフィスに向かう。この先が二差路になっていて、右側がダー、ハヌー方面、左がカールギル方面となる。前者のルートに向かう場合はパーミットが必要となる。

    木々のない山肌の地層。褶曲具合がすさまじい。

    ダー、ハヌー方面に進み、最初に訪れたのはスクルブチャンの村。ここには古い領主の館がある。外はややきれいに修復されているが、中は荒れ果てるがままといった状態。一階は仏間になっており、上階は居室になっていたらしい。ラダックの伝統建築として価値の高いものであると思われるので、今後も修復が進むことを期待したい。

    スクルブチャンの村
    昔の領主の館

    村ではちょうど収穫の時期で、麦藁が畑や道端に積み上げてある。家屋も大きめで比較的きれいなものが多く、他に比べて豊かな村らしいことはわかる。詩的かつ牧歌的な眺めが美しい。かなり大きくて真新しい家もあるのだが、どういうところから収入を得ているのだろうか。

    この村にあるゴンパを訪れてみた。階段を上ったさきのお堂は修復作業中で、仏像の作りかけのものも置かれており、壁にタンカを描く職人たちが作業中。そのさらに上のお堂はなんと岩をくり抜いて造られたものであった。坊さんがチャーイはどうかと勧めてくれたが、あいにく時間がないので丁重にお断りした。

    作りかけの仏像
    岩をくりぬいて造られたお堂

    このあたりの人々は、普通のラダック人に見えるので、インダス川沿いのそう遠くないところにアーリア系の人々が居住している地区があるとは、にわかに信じがたい。

    ところどころで清流が流れている。非常によく澄んでいるのだが、これがインダス河に流れ込むとやはりインダス河の色になって流れていく。

    さらに進んでハヌーを通過してビャマー、そしてダーへと向かう。ハヌーに着いたあたりから確かにアーリア系らしき人たちが多くなった。ブロクパと呼ばれる人々だ。かなり日焼けしている人たちが多いため、見た目は平地のインド人のようにも見える。おそらく彼らが平地のインドに出たら、ラダックから来たとは思われないことだろう。それでいて名前を名乗るとまったくそれらしくないので、珍しがられることだろう。

    ここから先にはガルクン、ダルチクといった村があるが、後者はムスリムになっているらしい。ハヌー、ビャマー、ダーといったところに住んでいる人たちは仏教徒だが、アーリア系の仏教徒というのは珍しい。もっとも改宗したのは19世紀くらいからであるとのことなので、それまでは独自の宗教があったのだろう。おそらくその時期あたりから外部との行き来が盛んになったということも示唆しているのではないかと思う。ブロクパの居住地域のうち、もっと西側のムスリム化されたエリアでもそのあたりから改宗が進んだのだろうか。

    おそらく学術的に興味深いものがある民族なのだろう。彼ら独自の言葉があり、仏教以前の文化も残っているらしいし、そのひとつには収穫祭であったり、ほおずきや花を髪飾りにしたりするといった習慣があるようだ。おそらく独自の装いもあるのだろうが、現在では男性は洋服、女性はパンジャービーを日常的に着用しているのが見て取れる。こうして独自の伝統は次第に廃れていくことになるはず。

    ビャマーで彼らのごく新しい仏教寺院を訪れたが、誰もいなかった。特殊な少数民族の寺であるにもかかわらず、完全にチベット仏教式であることには驚かされる。運転手が管理人を探してきてくれて扉を開けてもらって中を見学することができた。管理人の話によると、この寺は昨年できたばかりとのこと。建設資金はダライラマによる提供であるとのこと。

    ビャマーの真新しい仏教寺院

    お堂の中はかなり変わっていた。大勢が入ることができるホールになっているのではなく、いくつかの個室になっている。仏間のある部屋、その隣には応接室、そして寝室がある。貴賓、つまり高僧が訪れる際に宿泊施設として用いられるのだという。これが二階部分。一階部分は高位のラマの居宅になっているとのことで見学することはできなかった。

    ビャマーの集落

    村で若い女性たちの姿があるが、やはりアーリア系の人々であることが一目でわかる。アーリア人の谷、Aryan Valleyという俗称はなかなかいいので、まさにこの名前で観光客誘致するとかなりうまくいきそうな感じがする。だがアーリア人の谷といっても、北インドの人たちもまたアーリア系であり、欧州の人々もそうなので、「アーリア人」という言葉が何かエキゾチックなものとして彼らの耳に響くことはないのかもしれない。

    ダーの村に来ると、ラダックの普通の家のようなものもあるが、どこか違うたたずまいの建物もある。横に細長い村で、どんどん進んでいった先にはゲストハウスがある。しかし電球がなく、聞くともともと電気は来ていないとのこと。ただ近くでの水力発電の電気により、庭にある電球は灯るとのこと。

    村の中には水路が引かれており、明らかにラダックの他の地域の人々とは異なる風貌の女性たちが洗濯しながらお喋りに興じている。太古の時代に亜大陸方面に移動してきたアーリア人たちの中の小さなコミュニティがラダックのこの地域に住み着き、近代に入るまで外部との交渉も限られており、独自の文化と信仰を守り続けていたということは非常に興味深い。

    ダーの村の家屋の入り口。ラダックの他の地域とはかなり違う感じがする。

    〈続く〉