ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: society

  • バーングラーデーシュ市場に販路を目論むユニクロ

    中国一辺倒であった生産拠点を他国への分散を図るユニクロがバーングラーデーシュでの製造に力を入れ始めるとともに、マイクロ・クレジットの成功で知られるグラーミーン銀行との提携で、現地会社グラーミーン・ユニクロを設立したのは2010年のこと。

    ユニクロのソーシャル・ビジネスという位置づけにて、地場産業から調達できる素材による現地請負業者が生産した製品を、現地の委託請負販売者が顧客に対面販売をするという形での取り組みがなされていたことは以前取り上げてみたとおり。

    Grameen UNIQLO (indo.to)

    おそらくこうした試みの中で、このビジネスがモノになるという確信を得たのであろう。ユニクロは同国で今後1年間に30店舗のオープンという目標を掲げるに至った。カジュアル衣料販売で世界第4位の同社が、ZARA、H&Mといったライバルを追い抜いて世界トップに躍り出ることを画策する同社の狙いは、これまで競合する他社が手を付けていない最貧国市場での大きなシェアの獲得である。

    11月17日(日)午後9時からNHKで「成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~」という番組が放送されていた。

    内容は近年の業界の勢力図とライバル各社の動向、そしてこれまでターゲットとしていなかった最貧国市場への進出と現地でのスタッフたちが格闘する日々、そして現地を代表するアパレル企業トップからユニクロへのアドバイス他といった具合だ。

    その中で、ユニクロが展開するカジュアル衣料は現地の女性たちにあまり受け入れられず、今年7月にオープンした第1号店ではあまりに女性客への売れ行きが芳しくないので、急遽地元のバーザールからシャルワール・カミーズを調達して店舗で販売するといった一幕、女性スタッフが現地の女性たちのお宅を訪問してクローゼットの中を見せてもらったら、誰もがほとんどサーリーやシャルワール・カミーズ以外の服をほとんど持っていないことに驚くなどといった場面があったが、いくら何でもこのあたりの事情については事前のリサーチで判っているはずの基本的な事柄なので、何らかの作為のあるヤラセのストーリーなのではないかと思った。

    いずれにしても、今回の路線転換により、「ソーシャル・ビジネスです」と、トーンを抑えていた同国での市場展開が、「ビジネスそのものが目的です」という本音を剥き出しにした市場獲得へのダッシュとなったことは注目に値する。最貧国市場への浸透といってもこれが意味するところの地域は世界中各地に広がっているが、バーングラーデーシュは、人口は1億6千万人に迫ろうかという巨大な規模であるにもかかわらず、国土の面積は北海道の2倍弱という地理的なコンパクトにまとまっているという魅力があり、今後同業他社や異業種の企業等の進出も期待されている中、ユニクロの進出が呼び水となり、同国のマーケットとしての魅力がこれまでよりも大きく取り沙汰されるようになるのだろう。

    こうした番組について、以前であれば「再放送されることを期待しよう」などとするしかなかったのだが、最近のNHKはウェブでのオンデマンド放送も実施しているので、興味関心のある方は視聴されることをお勧めしたい。本来は有料だが、まだアクセスしたことがなければ無料でお試し視聴もできるようになっているようだ。

    成長か、死か ~ユニクロ 40億人市場への賭け~ (NHKオンデマンド)

  • Campa Cola

    Campa Cola

    1990年代初頭に始まったインド経済の本格的な対外開放に踏み切るまで、インドのソフトドリンク市場の中のコーラの類の分野では、Thums Upとともに国内市場を二分してきたブランド、Campa Cola

    れっきとした民主主義国家ながらも、経済政策面では社会主義的な手法を取り入れた「混合経済」として知られていたインドの経済産業界では、特に基幹産業部分に国営企業や国家の強い指導と統制の下で経済活動を行なう財閥が中核となっていた。

    それに拍車がかかったのは、独立運動以来の「スワーデーシー志向」により、外資に対する規制も厳しかった。初代首相ネールーが親ソ的な政治家であったこともあるとともに、当時の指導者たちが総体的に(今から見れば)左寄りであったこともあり、経済とは国が統制すべきものであった。

    幸か不幸か、それに拍車がかかったのはネールーの娘、インディラー・ガーンディーが首相の座にあった時代(1966-1977、1980-1984)で、金融その他の部門で急進的な国有化政策が実施された。

    清涼飲料のコカコーラが存在せず、独自ブランドのCampa Colaが販売されていた時代のインドは、まさに「マッチ棒から人工衛星まで」といった具合の「自力更生」型の経済体制時代にあり、そこを訪れる人の多くが「外界と隔絶した独自の世界」にいることを感じたことだろう。

    その時期の世界において、いわゆる東側の世界の多くは、国家が決めた方針に基づく計画経済が実施されており、社会のあらゆる分野において統制が厳しく、国外の人々が自由に行き来したり、滞在を楽しんだりできるような体制ではなかった。国によっては国民による自国内の自由な往来さえも制限が敷かれているようなところも少なくなかった。

    経済が国家による厳しい管理と統制下にあった国々の中で、インドの政治体制はそれとは裏腹に民主的に運営されており、国外からの人々の往来には寛容であった。経済開放前にはインドへの国外からの投資は今とは較べようもなく少なかったし、駐在その他で在住している外国人の数も非常に少なかった。それでも観光目的で訪れる人々は多かったことは特筆できるだろう。

    他国と比較して格安に過ごすことができることやドラッグ類の入手が容易であったことなどもあり、1960年代から70年代にかけては、長期滞在するヒッピーが多く、ゴアやマナーリーあたりでは彼らの存在が社会問題化したこともあったが、そうした人々を強権で排除するようなこともなく、またヒッピーという存在が西欧社会から消えてしまってからも、しばらくの間はインドのそうした場所では彼らのライフスタイルを受け継いだかのような「亡霊」が彷徨っていたのは、やはりインドという社会の懐の深さゆえだろうか。

    話はCampa Colaに戻る。外界から隔絶した社会の独自路線のコーラであったかのように言われることも多かったが、実はそうとも言えない。このコーラを製造販売してきたPure Drinks Groupは、1950年代から提携先のCoca Colaをインドで製造販売してきた企業であり、1978年にCoca Colaがインドから撤退するにあたり、Coca Colaブランドと同社のレシピを使用することができなくなり、独自のCampa Colaブランドと自前のレシピでの製造販売に切り替えたという経緯があるからだ。

    外国の主要なメーカーやブランドの参入がなかった1980年代は、Campa Colaブランドが燦然と輝いた時代であったといえる。街中を走る車両のほとんどがアンバサダーやパドミニーといった旧態依然の「クラシックカー」ばかりで、トラックも大昔からのボンネット型、バスもヨソの国とは違ったこれまた苔むしたような感じの車両ばかり走っていた時代、当時はほぼ世界中どこに行っても見かけるはずであったCoca Colaが見当たらず、それとちょっと似て非なるCampa Colaの看板や味わいを前にして、それはもう相当なエキゾシズムを感じたということは想像に難くないだろう。

    1990年代初頭に始まった経済開放政策により、清涼飲料の分野でインドにいち早く上陸してきたのはペプシであった。当初は外資の出資比率と外国ブランドの使用についての制限があったため、インド参入初期はLEHAR PEPSIという名前で製造販売されていた。

    当時の地場ブランドのCampa ColaもThums Upも今の標準的なサイズよりもかなり小さい180 cc入りのボトルで販売されていたのに対して、アメリカからやってきたPEPSIは250 cc入りであったため、本場感覚と量の多さによる割安感もあり、一気にシェアを拡大したようだ。Campa Cola陣営は、当初「味わいは量に勝る」などと、負け惜しみのような広告を打っていたこともあったが、Campa Colaを含めた地場ブランドはまもなくボトルを大型化して増量に踏み切ることとなった。当時のメディアは、こうした地場資本コーラとペプシの攻防を「コーラ戦争」と表現していた。

    だが1993年にCoca Colaが満を持してインド市場に復帰したことにより、Campa Colaの命運が尽きたと言えるだろう。ある程度年齢を重ねた人ならば、Campa ColaはCoca Colaが1978年に撤退したことを受けての代替品であったことを知っているし、そうした背景を知らない若者たちにとっては、見慣れているけれども垢抜けない地場コーラと較べて、華やかなCMや広告による宣伝とともに登場したアメリカ製品がとても眩しく感じられたことだろう。

    その後、コーラ戦争の最終的な勝者はグローバル・プレーヤーのCoca ColaとPEPSIとなったことはご存知のとおり。だが皮肉なもので、Coca Cola社に買収された地場コーラThums Upやレモン風味ソフトドリンクのLimcaは、その後も一定の存在感があるのとは対照的に、暖簾を守ったPure Drinks Groupは、かつての栄華は見る影もない。

  • 異なる世界の狭間 ミャンマー

    3回連続でのミャンマー関係の話題で恐縮である。

    しかしながらインドの隣国であること、英領期にはインドと合邦していた時期もあること、ムガル最後の皇帝バハードゥル・シャー・ザファルの流刑地であったこと、20世紀初頭のヤンゴンは事実上「インドの街」であったことなどから、インド繋がりで関心のあるミャンマーということでご容赦願いたい。

    Travel Visionのサイトを閲覧していると、今年の7月から8月にかけての古い記事になるが以下のようなものがあった。

    ミャンマー国際航空、9月にチャーター4本、JTB九州単独で (Travel Vision)

    首都圏や大阪エリア以外でもミャンマーへの航空需要の観測気球が上げられているようだ。今年のGWには成田と関空以外からも、福岡と沖縄からミャンマー国際航空(MAI)のチャーター便が飛んでいたとは知らなかった。

    またこんな記事もある。

    全日空、ミャンマーの新興航空会社に投資、株49%取得 (Travel Vision)

    「現在は国内線のみを展開しているが今年10月には国際線の就航を予定」とあるものの、今年11月現在までのところ、国際線への進出は果たしていない。しかしながら今後は全日空とのコードシェア便等の導入がなされることがあれば、大いに利用価値のあるものとなるかもしれない。

    一度就航して、間もなく運休していた直線距離にして100km程度ながらも、タイ南部からが再就航した、こんなルートもある。

    ミャンマー、タイ、ノックエアー「モーラミャイン~メーソート」間の直行便再開(9月~)(Travel Vision)

    ミャンマーのモーラミャインとタイのメーソートの間にあるミャワディ/メーサウ国境は、今年8月末ごろから、ミャンマーとタイの他の3つの地点(タチレイ/メーサイ、ティーキー/プナユン、コタウン/ヤナウン)とともに、往来がタイ・ミャンマー以外の第三国の人々に対しても自由化(これまでは制限付きでこれらの地点を越えることができた)されることとなった。人の流れとともに、物流も盛んになることだろう。

    Four border checkpoints to be opened to all this week (The Nation)

    もとより、タイひいては東南アジア地域とインドを結ぶ動脈としての展開が期待されているミャンマーだけに、国境の東側、つまりタイ側と較べて半世紀ほど時代を遡ったようにみえる現在のミャンマーのこの地域においても、その時差をダッシュで取り戻そうとしているかのような変化が訪れることになるであろう。

    タイ側は経済活動が活発なので、いろいろな動きが伝えられてくるが、反対側の国境つまりインド側は経済面でも政治面でも後背地であるため、華やかなニュースに欠ける。しかしながら、ナガランドからミャンマーへの鉄道接続計画、北東インドの街からミャンマーの街への国際バスルート開設の構想なども聞こえてくる。

    当然のことながら、同じく国境を接している中国とミャンマーの間の行き来も非常に活発で、雲南省と隣り合わせのミャンマー北東部のラーショーなどのように、商売のため越境してくる中国人のプレゼンスが大変目立っていたり、このエリアで走り回る乗用車、トラック、バイクなども日本車ではなく、中国からの輸入車両が多かったりといった具合に、中国の存在感が大きい。

    何よりも、ミャンマーが欧米先進国等による経済制裁下にあった時代、大手を振って進出してきて広く浸透したのが中国資本であり、市場を席巻する中国製品である。

    中国と東南アジアの狭間であり、南アジアと東南アジアを繋ぐ地勢でもあり、また中国とインドをリンクする地域でもある。

    経済発展により、多民族国家の生活様式や文化の多様さは失われていく運命にあるのかもしれないが、周囲との行き来が活発になることにより、ミャンマーを取り囲む、文化・伝統が異なり、政治体制も経済も何もかもが異なる「世界」からの影響を受けて、どのように変化・発展を遂げていくのか非常に興味のあるところだ。

  • ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    ミャンマーの国内線フライト ネット予約とEチケット発行が可能に

    クレジットカードによる支払いとEチケット発行ができるようになった!

    このところ、インドのお隣のミャンマーを巡る様々な動きは実に目まぐるしく変化しているが、旅行事情も同様である。

    従前は、基本的にクレジットカードは使用できなかった。ヤンゴンのような大都市の一部の外資系高級ホテルではカードによる支払いは可能であったようだが、実際の決済は国外でなされる形であったため、厳密に言うとミャンマー国内での支払いということにはならなかったようだ。もちろんその分、割高になってしまうのは言うまでもない。

    そんな具合であったので、ミャンマー到着前に国内線のフライトを押さえようという場合、同国内の旅行代理店に依頼して予約を取ってもらう必要があった。代金は現地に到着してから航空券と引き換えであったり、代理店がミャンマー国外に持っている銀行口座に振り込むという具合であったりした。

    筆者が幾度か利用した旅行代理店の場合、ミャンマーに到着してから米ドル現金払いであったが、先方にとっては決して小さくないリスクを負う取引きであったはずだ。

    フライトを依頼した人がちゃんと約束の日時に現れなかったりしたら、そのチケット代金は代理店自身が被ることになってしまう。世の中にはいろんな人がいるので、もともと行く気がないのにいたずらで予約を依頼したり、あるいは突発的な理由により予定直前にミャンマーを訪れることができなくなり、代理店で発券後であるにもかかわらず、放置してしまったりするような人もいるのではないかと思う。

    いっぽう、利用者側にしてみると、旅行代理店に対して搭乗したいフライトについて、電子メールで自分の目的地、日程、希望の時間等々を伝えて、予約が確定するまでの間に、おそらく数往復のメールがあることだろう。その間に数日間はみておかなくてはならないので面倒であるとともに、急に思い立って訪問という場合にはなかなか難しい。加えて現地での航空券の受け取りという手間もある。平日の昼間に到着する便で、受け取りが空港であればいいかもしれないが、夕方以降であったり、週末であったりすると、別料金というケースも少なくないようだ。

    他の多くの国々の場合は搭乗を考えている航空会社のウェブサイトあるいはskyscannerその他の予約サイトで簡単に席が確保できてしまうのと較べるとずいぶんな手間である。

    そんな事情も、ミャンマーでクレジットカードの決済が可能となったことにより、大きく変化した。今のところ国内線航空会社により対応は様々かもしれないが、エア・バガンはカードによる支払いにより、即時Eチケット発行という形になっている。間もなく他社のサイトも同様に整備されることだろう。

    航空券の事前予約と同様に、ミャンマー旅行において不便であったことのひとつのお金の事柄もある。観光地の入域料や宿泊費の支払いが基本的にはドル払いであったことだ。これにより、小額紙幣を含めた米ドル現金をかなり多量に持ち歩く必要があった。

    だが、これについても変化の兆しはあった。「ミャンマーブーム」の今年前半ならびにと昨年同時期の訪問で、場所によっては現地通貨チャット払いの選択もできたことである。それが今では、すべての場所についての適用かどうかよくわからないが、入域料はチャット払いとなっている。

    ミャンマー、各観光地の外国人入域料、現地通貨チャットでの支払いに (Travel Vision)

    外貨による支払いとなっていたのは、同国の外貨事情が逼迫していることによるものであったため、現在のように外国からの投資がブームとなると、当然の帰結として必要度が下がる。また、言うまでもないことだが、現金を扱う出納上でも現地通貨のほうが都合がよいことはもちろんのことだ。

    先述のクレジットカードのことはもとより、トラベラーズチェックも基本的に使用できなかったミャンマーだが、これについては経済制裁により、欧米先進国等との金融ネットワークから遮断されていたことが理由である。制裁を加えていた側との関係改善により、様々な方面での規制が廃止されたり、大幅に緩和されたりしている。

    日本から持参したカードでATMから現地通貨で引き下ろすこともできるようになっているため、従前のようにミャンマーで両替するお金はすべて米ドル現金で持参という不用心なこともしなくてよくなってきている。

    VISAカード、ミャンマーでATM取引開始 (ミャンマービジネスニュース)

    国内の様々な少数民族と政府の間で続いてきた紛争も、このところ和解が進んでいることから、外国人が入域することすらできなかった地域も次第に訪問が可能となってくると、新たな見どころが「発見」されていくことになることが予想される。

    そうした地域は同国の周縁部に多いため、やがては大手を振って陸路で行き来できる地点も出てくるはず。タイやマレーシアはもちろんのこと、インドの北東部とも長い国境を接しているため、東南アジアからインドへ陸路で抜けることが可能になるのもそう遠い未来のことではないだろう。

    経済制裁により孤立していたことにより、ちょっと特殊であったミャンマーの旅行事情だが、今後加速がついてどんどん「普通の国」となっていく方向にある。

    目下、ミャンマーをめぐる様々なニュースから目が離せない。

  • インドの次期首相候補最有力者 ナレーンドラ・モーディー

    インドの次期首相候補最有力者 ナレーンドラ・モーディー

    近ごろ、Androidのアプリでこんなものが出回っている。いろいろな種類があるが、ナレーンドラ・モーディーの写真、スピーチを取り上げたものであったり、簡単なゲームであったりする。この初老ながらも眼光鋭い男性、モーディーはご存知のとおり、現在のグジャラート州首相にして、近い将来にインドの首相の座に上り詰める可能性が高い人物だ。

    ナレーンドラ・モーディー関係の様々なアプリ

    来年前半、おそらく5月に実施されることになりそうな独立以来16回目のインド総選挙。BJPの優位と国民会議派の苦戦が予想されている。近ごろ評判が芳しくない国民会議派、支持の着実な高まりがみられるBJPのどちらが第一党になったとしても、いずれも単独過半数を獲得することはないと思われるため、連立工作が政権奪取への鍵となる。

    国民会議派vs BJPという構図は従前と同じだが、これまでとはその中身がずいぶん異なる。前者では現在副総裁の地位にあるラーフル・ガーンディーが党の主導権を握るに至り、党指導部の大幅な世代交代が予想されている。

    後者にあっては、85歳にしてなお首相の座への意欲を見せていたL.K. アードヴァーニーが党内の争いに敗れて、グジャラート州首相の三期目を務める地元州での圧倒的な支持がありながらも、それまでの党中央との折り合いが良くなかったため雌伏を余儀なくされていたナレーンドラ・モーディー氏が次期首相候補に躍り出ることとなり、BJP内での勢力図が大きく塗り替えられている。

    BJPは、従前からヒンドゥー至上主義の右翼政党として知られているが、ナレーンドラ・モーディーが主導権を握ることにより、右傾具合にさらに拍車がかかることから、これまでBJPと連立を組んできた政党の離脱と他陣営への接近といった結果を生み、政界の新たな合従連衡の再編の時期に来ているといえる。

    凋落の方向にある国民会議派の新しいリーダーとしての活躍が期待されるラーフル・ガーンディーは、インド独立以来長く続いた「ネルー王朝」直系男子という血筋と支持基盤、そしてハンサムな風貌には恵まれているものの、政治手腕は未熟で、演説も青臭い「怒れる若者」的な調子で、とても「世界最大の民主主義国」にして、「多様性の国」の様々な方向性を持つ民をひとつにまとめて引っ張っていく器には今のところ見えない。首相としての任期をまだ半年残しているマンモーハン・スィンとの乖離には、副党首としての調整力の欠如は明らかだ。

    対するBJPの首相候補のモーディーは、2001年にグジャラート州で起きた大規模な反ムスリム暴動の黒幕であるとの疑惑を払拭することができずにいるものの、しかしながらそれがゆえにヒンドゥー至上主義に賛同する層からは強力な支持を受けるとともに、インドでもトップクラスの経済成長を同州で実現させた政治的な力量と実力は誰もが認めるところだ。州外の人たちの間でも「グジャラート州のようになりたい。中央政界をモーディーに率いて欲しい」と思わせるだけのカリスマ性のある政治家である。

    今後、両党のトップとなる二人の政治家たちの器という面からは、国民会議派のガーンディーの力量不足とBJPのモーディーが着実に積み上げてきた実績は比較のしようもない。

    BJP体制になることにより、これまで国民会議派支配下にあることにより保護を与えられてきたムスリムや後進諸階級の人たち以外にも、不安を感じる人たちは少なくないはずだ。党内の有力者たちの中でもとりわけ「サフラン色」が濃厚で極右的な人物であるだけに、「ナレーンドラ・モーディー首相誕生」とは、それ自体がひとつの災害ではないかとさえ思う。それでもBJPが魅力的に見えてしまうのは、やはり国民会議派の無能ぶりがゆえのこととなる。

    そうした状況なので、来年の総選挙により、インド中央政界は今後よほど想定外のことが起きない限りはBJP体制に移行することになるのだろう。今後の国のありかたを決定付ける大きな転機となるが、それを決める主体が国民自身であるということこそが、まさに世界最大の民主主義国インドだ。

    だがBJPについては、同党の方針や政策そのものが大半の国民の大きな信任と信頼を得て当選ということにはならないであろう。最大政党のコングレスが不甲斐ないがゆえの、いわば「Protest vote」が集まった結果ということを重々認識しなくてはならない。

    以前、BJPがインドの中央政権を握った際の首相はアタル・ビハーリー・ヴァージペーイーという、右翼政党指導部にありながらも、大いに自制の利いた賢者であった。ナレーンドラ・モーディーがどういう政権運営をするのかということに、彼の政治家としての器が果たして「世界最大の民主主義国の首相」にふさわしいものであるのかどうかが問われることになる。

  • 観光は平和と安定の呼び水

    観光は平和と安定の呼び水

    中華人民共和国国家旅游局のインドにおける出先機関である中国駐新徳里旅游辦事処(China Tourism)をニューデリーのチャナキャプリに構えている。

    インドにおける対中不信感は根強く、しかもそれを風化させないようにと中国側が努めているかのように、ときおりインド領内への中国軍の侵入があったり、その他両国間の領土問題に関する挑発的な発言や行為があったりする。

    そんなこともあってか、中国の公の機関としての活動は控えめなのかもしれない。だが、やはり90年代以降、インドでとどまることなく高まり続ける旅行に対する意欲は、インドから多くの旅行者たちを国内各地はもちろん、国外にも送り出してきている。

    こうした分野で集客を現場で牽引しているのは、インドにあっても中国にあっても民間の力である。インドからの年間に1,400万人ほどの出国者たちの中から、中国を訪問している人たちの規模はすでに60万人を突破している。これに対して、出国者の規模は8,000万人を超えている中国からインドを訪れる人たちは10万人強ということだ。

    これらの数字には観光と業務を区別していないため、このうちどのくらいの人たちが観光目的なのかは判然としない。だが、かつてない規模で人々の行き来がある中、観光先でたまたま出会ったのがきっかけで知己となったり、仕事で協力関係にあったりなどといった具合に個人的な付き合いも増えていることだろう。中国からみたインドという国のイメージはもちろんのこと、インドにおける中国の印象も、個々のレベルではかなり異なったものとなっていくはずだ。

    国家という往々にして傲慢かつ身勝手な組織が、自分たちの側と相手側との間に不信感や緊張感があるからといって、それぞれの国に所属する市民たちが自らの国家に迎合して相手側を適視する必要などない。高い文化や資質を持つ両国の人たちが、平和に共存することは、互いの安全保障上でこのうえなく大切なことであるとともに、その「平和」と「安定」の恩恵は東アジアのさらに東端にある私たちにも与えられることは言うまでもない。

    「観光」の多くは物見遊山に終始することだろう。それでも体験と記憶はそれを経験した人の心の中に長く残るとともに、訪問地への「また訪れてみたいな」憧憬というポジティヴなイメージを形成する。また、観光がきっかけでその国に留学したり、仕事絡みで関わってみたりという形で、その土地への関与を深めていく人たちも少なくない。

    観光とは、単に産業としてのみならず、安定と平和の呼び水という側面にも注目すべきであると私は考えている。

  • FRONTLINE インド映画100年記念号

    FRONTLINE インド映画100年記念号

    「前線」という名前どおり、思い切り左傾した隔週刊のニュース雑誌。いつも読み応えのある硬派な内容だが、前号(2013年10月18日号)の特集は「インド映画100年」であった。ここで取り上げるのが少々遅くなってしまって恐縮ながらも、iPadやandroidのアプリmagzterからバックナンバーとして購入できるのでご容赦願いたい。

    深い洞察眼で物事を徹底的に分析する「しつこいニュース雑誌」が全誌面150数ページのほとんどを費やしての総力特集を組んだだけに、とても濃い内容の記事がズラリと並んでいる。

    ノスタルジアや憧れといった感情抜きに、社会学的な見地、言語学的な見地から見た映画事情、昨今の映画検閲の実情について、映画の周辺産業、ボードー語(アッサム州のボードー族の言葉)のようなマイノリティ言語による作品等々、「映画雑誌には出来ない映画特集」で、まさにフロントライン誌でしか読むことのできないものだ。

    インドの映画界に関心を持つ者にとってはマストなアイテムと言って間違いない。うっかり買いそびれることがないように!と呼びかけたいところだが、幸いなことにmagzterならばいつでも購入できる。電子媒体なので在庫切れなどということもない。

    ずいぶん便利な時代になったものだと思う。

  • Namaste Bollywood  Mook Sutra Vol.4  はじめてのボリウッド

    Namaste Bollywood Mook Sutra Vol.4 はじめてのボリウッド

    今年の夏、かつて一緒にヒンディーを勉強したドイツ人の旧友と、デリーで久々に顔を合わせて一緒に飲みに出かけた。彼はジャーナリストとして南アジア関係のニュース等を精力的に書いてきた人だが、現在はロンドンに在住。

    その彼が言うには、「ロンドンはいいところだよ。誰が暮らしても自分がマイノリティであることをあまり意識しないね。いろんな人々がゴチャまぜに暮らしているから。ドイツではこうはいかないな。それに映画館では最新のボリウッド映画が当たり前に鑑賞できるとなれば、来てみたいと思うだろ?」

    彼曰く、観客の大半は南アジア系の人々だそうだが、昔々の宗主国の首都は今でもインドとの間の心理的な距離は近いのかもしれない。ボリウッドをはじめとするインドの大衆娯楽映画の普及の背景には、往々にして文化的・民族的なインフラの下地の存在の有無が大きいということは否定できない。

    ところで、ハリウッドに代表されるアメリカの映画の場合は、普遍性が高く、民族性も薄いものととらえられているのではないだろうか。こうした映画が文化圏を越えて広く鑑賞されるのには、世界に浸透している同国の政治・経済・文化の影響というインフラがあるためとみて間違いないだろう。これがフランス映画、イタリア映画となると、まだグローバル性はあるものの、かなり民族色や地域色が濃くなってくるといえるかもしれない。

    ここからさらに日本映画、韓国映画となるとずいぶん事情が異なってくる。あくまでも日本の映画、韓国の映画ということで、それぞれの国外の人たちにとって、自分たちの世界とは違う異文化世界の物語ということになる。

    ボリウッド映画は、といえばどちらとも少し事情が異なる。隣国パーキスターンのように、あるいはネパールその他の南アジア各国、つまり広義のインド文化圏にある国々の人々にとっては遠い異国の話ではない。加えて世界中に散らばるインド系移民が多くすんでいる地域でも、こうした映画の文化背景は決して遠く離れた世界のことではないだろう。

    東南アジア地域に視点を移すと、タミル系住民の多いマレーシアではタミル映画が各地のシアターで公開されており、反対にマレーシアのタミル系住民の規模とは比較にならないほど人口規模は小さいが、北インド系移民の多いタイやミャンマーで劇場公開されるインド映画はボリウッド作品という事情に鑑みても、現地にそれなりの人口規模で在住するインド系の人々の出自による影響は無視できないものがあるようだ。

    今思えば、90年代の日本で突如沸き起こった「インド映画ブーム」は何だったのだろう。一般的に市井の人たちの間にインドで製作された作品に対する興味や認識があったわけではない。つまりそれを受け容れるインフラも何もないまっさらな下地であった。少々意地悪な解釈をすれば、ある意図を持った仕掛け人たちが自らの描いた路線で、わずかに存在していた愛好家やその道に通じている人たちを都合よく利用してキャンペーンを張った結果の産物であったといえる。

    「自分たちがこれまで親しんできた映画とはずいぶん異なる異次元世界」といったスタンスで、「歌って踊ってハッピーエンド」という紋切り型のワンパターン作品群という前提での取り上げ方であった。そこでは、貧しい庶民が苦しい日常を忘れてつかの間の喜びを見出す場であるなどといういい加減な言質がまかり通り、幾多のメディアによるそうしたスタンスで日本の読者や視聴者たちにそうした印象を与える扱いが相次いでいた。

    それまでインド発の娯楽映画がほとんど未知の世界であった日本の観衆は、そうした仕掛け人たちの意図する方向へと容易に誘導されてしまうこととなったのはご存知のとおり。その結果、ヘンな映画、笑える映画といったキワモノの扱いで、ストーリーは単純でコトバが判らなくても楽しめるなどといった、ひどく安っぽいレッテルが貼られることになってしまった。

    文化的な面を尊重する姿勢は見当たらず、「上から目線」でリスペクトの感情さえ欠如した負のイメージだけが残ることになり、その「ブーム」当然の帰結として一過性のものとなってしまう。当時のブームを知る世代の間では今も「歌と踊りのハッピーエンドのアレね・・・」という認識が根強く残っているようだ。

    インドの娯楽映画に対する理解や普及といった面に限れば、当時刷り込まれた負のイメージの影響が、同国からの映画の日本での普及、とりわけそのインド映画の華といえるボリウッド作品の日本市場への浸透を妨げる要因のひとつとなっていることは否定できず、個人的にはあのような形でのブームはなかったほうが良かったのではないかとさえ思っている。とりわけ現在のボリウッド映画はかつてない幅広いバリエーションの作品群を抱えているだけに非常に残念なことである。

    もっとも、当時のブームでインド発の映画作品に触れる機会を持ったことにより、一部ではインドへの留学や舞踊等の伝統文化の習得を目指して渡航する人たちが増えたり、あるいはビジネスでインドと関わりを持ったりする人々が出てきたというプラス面もあったようだ。

    前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。おなじみNamaste BollywoodのMook Sutraシリーズ第4弾の「はじめてのボリウッド」では、巻頭にて「ボリウッド(梵林)の定義とは」と題して、インド映画の中におけるボリウッド映画の位置づけを示したうえで、この偉大なる娯楽映画の世界を包括的に紹介している。

    「梵辞林」という記事では昨今活躍している俳優や女優たちが取り上げられている。こうした企画は他の書籍でもときどきあったが、時代とともに移ろうものなので、ときどきこうして今の時代に旬な出演者たちを確認しておくといい。同様に大切な音楽監督たちやプレイバックシンガーたちついても代表作とともに紹介されており、このあたりをよく把握しておくことで、ボリウッド映画鑑賞の楽しみの奥行きも広がること必至だ。

    その他、サルマーン・カーンのブレスレットのような細かな演出、ボリウッド映画のマーケティング戦略等々、この世界にまつわる様々な事柄について言及されている。これらの知識もボリウッドを理解するために大切なファクターである。

    またボリウッド映画をめぐり、日本で流布する不可思議な都市伝説についての検証もなされており、これで汚名返上となることを期待せずにはいられない。

    今年で2回目となるIFFJ (Indian Film Festival Japan)の開催や時折日本国内でも時折ボリウッドの秀作がロードショー公開されるようになるなどといった、ボリウッドをはじめとするインドの映画を愛する関係者の方々の努力により、これからは上映される作品に対して正当な評価が与えられて普及していくことを願いたい。

    ごく一部の例外を除き、私たちの日常にはインドの文化・民族的なインフラがほとんど存在していないという不利な点はあるものの、それとは反対にボリウッド映画をはじめとするインドの映画の裾野の広さがそれをカバーして、日本の人々が自分たちの日常を忘れて異国の夢の世界に遊ぶ愉しみを見つける手助けをしてくれるのではないかという気もしている。

    豊かなボリウッド映画世界への案内書として、ぜひともこの一冊をお勧めしたいと思う。お求め先については以下をご参照願いたい。

    vol.4「はじめてのボリウッド」好評発売中! (Namaste Bollywood)

  • Namaste Bollywood #37

    Namaste Bollywood #37

    Namaste Bollywood #37

    ナマステ・ボリウッド第37号の特集はIFFJ(Indian Film Festival Japan)。目下開催中のこの映画祭は東京・埼玉・大阪の3会場にて進行中で、会期はそれぞれ10月11日(金)~18日(金)、10月12日(土)~14日(月)、10月19日(土)~25日(金)となっている。見応えのある作品が目白押しで、できることならば会期中ずっと入り浸っていたい。

    チケットは1回券が1500円、3回券が3000円となっているため、会期中に3回単位で鑑賞する、あるいは複数人数で押しかけるとお得となるようになっている。

    今回のIFFJで上映される作品のひとつ、Chalo Dilliでラーラー・ダッターとともに主役を演じるヴィナイ・パータクといえば、もはや名優の域に達している素晴らしい役者だが、この映画祭初日には会場に姿を見せていたようだ。ちなみにこの作品は来年1月14日から日本で正式に公開される予定。ヒーローものでもアクションものでもないが、コミカルな役柄とともに幅広く懐深い彼の演技をひとたび目にしたならば、誰もが魅了されるはず。

    その他、今回のIFFJで上映されるわけではないが、インドのディワーリーのタイミングで公開される大作についても触れられており、Krrish 3やDhoom 3など、いつか日本で公開される日がやってくることをぜひ期待したい。

    その他、特別企画「インド舞踊を語る」、そして「カタックを語る」といった舞踊に関する記事、ボリウッドDVD、ボリウッド映画に関する書籍の情報等々、ファンにとっては欠かすことのできない情報に満ちている。

    ボリウッド映画は、大きな娯楽だが、これを鑑賞していくにつれて、スクリーンの背景にある文化や伝統といったものもチラチラと見え隠れしていることから、語学以外の面からも、インドを学ぶには格好の素材でもある。公開される作品には、製作時のインドの世相も色濃く反映されており、これをフォローしていくには日々発信されるインドのニュース、もちろんインドのメディアが伝える政治経済、映画関係ニュースはもちろんのこと、雑多な三面記事にも日頃からよく目を通しておくと、作品の内容にもよるが製作者の意図やメッセージが鮮明に見えてくることが少なくない。

    楽しい娯楽でありながらも、その背後にあるものの奥行きの深さもまた、このボリウッド世界の豊かな魅力である。

  • 旅行予約サイト

    旅行予約サイト

    インドを代表する旅行予約サイト、cleartripMakeMyTripにアクセスしてみると、以前はなかった「バス予約」が可能になっていることに気付かれた方は少なくないことだろう。予約時に画面で座席指定できるものもある。
    バス内の座席指定画面

    予約サイトでブッキングできる路線限られるため、前者の場合は出発地と目的地を入力して検索してみると、中途の乗り継ぎやルートはずいぶん遠回りしたものが表示されたりする。後者については少なくとも現時点では、バス予約部分の造りが良くないので使い勝手は良くない。しかしこうした業界の競争は熾烈で進化も速いので、遠からず改善されることだろう。

    CleartripではWay To Goというメニューを選んで、出発地と目的地を入力すると、所要時間とルートを表示してくれる。その中から『Greenest』『Fastest』『Cheapest』のそれぞれのカテゴリーで選択することができる。試しに西ベンガル州都コールカーターからグジャラート州の中堅都市ラージコートまでの行程を調べてみると以下のようになる。

    「Greenest」なルート
    「Fastest」なルート
    「Cheapest」なルート

    インドから国外へのルートも調べることができるようになっており、出発地をデリー、目的地をウズベキスタンのタシケントで入れてみると、飛行機で向かう以外に陸路でパーキスターン、中国、タジキスターンを経てドライヴでのルートが表示された。

    所要42時間などと出てくるが、途中まったく休止せずに走ることができたとしても、まさかそんな短い時間で到着することはできないだろう。通過する国々のヴィザ取得にかかる手間なども考慮されているはずもない。それでもおおまかな交通機関の乗り継ぎ等の見当はつくのでなかなか便利そうだ。

    デリーからタシケントに飛行機で行く場合
    デリーからタシケントまでクルマで行く場合

    Small Worldというメニューでは、任意の地名を入れると、その土地の歴史、概要、直近の天気、見どころ、アクセスなどの情報を一覧することができる。独自の情報を提供しているわけではなく、Trip Advisor、Google Map, WIKIPEDIAなどのサービスに連動させているだけだが、複数のサイトの情報をひとつの場所で集中的に閲覧できると、ずいぶん使い勝手が良くなる。とても良いアイデアだと思う。

    各地の案内もいろいろ閲覧できる。
    Google Mapと連動して地図が表示される。
    各地の見どころもCleartripで閲覧できる。

    飛行機等の予約に便利なだけではなく、各地の情報を閲覧したりルートを検索しているだけでも楽しそうだし、何か新しい発見があったりもしそうで愉快だ。

    ホテルの予約の扱いも充実しているし、先述のとおりバスの予約も行なうようになっている。あとは鉄道予約の際のOTP(ワンタイムパスワード)が必要になってから、インド国外からのブッキングがずいぶんややこしいことになっていることについて、利用者の視点に立った改善がなされることを期待したい。もっともこれについてはCleartripを始めとする旅行予約サイトが解決できるものではなく、インド国鉄自身が何かいい手段を講じてくれないとどうにもならない。

    ともあれ、こうしたウェブサイトの今後の進化がますます楽しみである。

  • ツェチュ祭 2

    ツェチュ祭 2

    _

    しばらく腰を下ろしていると祭りは始まった。場内は相当な賑わいになっている。おそらくラダックの人々よりも観光客のほうが多いのではないだろうか。

    祭りが始まった。

    本来は冬に行なわれていたこうした祭りが、観光客のシーズンに合わせて夏に開かれるようになったケースが多いとも聞く。なにしろ観光業以外は農業が主体のこの地域である。短い夏の期間、人々は畑仕事で忙しい。そのためか会場に来ているラダックの人々は、子供、女性と年配者が多いように思われた。働き盛りの男性の姿はあまり見かけない。

    プラスチックの椅子で貴賓席のようなものがしつらえてあり、ここは旅行代理店か何かを通じての予約席らしい。そこでは巨大なキヤノンのレンズを構える人たちの姿もある。

    集まる人々も準備する側も、体力的にも物資的にもこの時期のほうがやりやすいかもしれないが、観光業以外は農業が主体のこの地域で、仕事が最も忙しい時期に開催するというのは、地元の人々とりわけ人口の大半を占める農家にとってはなかなか参加しにくいものがあるのではないかと思う。会場に来ているラダック人たちは、女性や子供たちが多かったように思う。

    会場外から祭りの様子を眺める人たちも
    この仮面の人たちがカタをかけて祝福した相手はご祝儀を渡す。

    ・・・とはいうものの、祭り自体は訪れてみてとても良かった。年に一度、二日間のみ開催されるタイミングで訪問することにより、普段拝観できる寺院のたたずまい以外の華やかな光景を目の当たりにすることができるのは大変有難い。だが仮面舞踊の踊りは単調で、しばらく眺めていると飽きてしまう。やはり祭礼における舞踊や衣装の意味を知らないといけないと思う。

    タクトクのゴンパからの眺め

    せっかく来たのでタクトクのゴンパも見学してみた。午後3時に祭りが終わるまではここから出る足がないようだ。沢山の乗用車が駐車してあり、ミニバスの姿もあるのだが、どれも祭りが終了するまでここから出ないので、拝観する時間はたっぷりとある。

    帰りのバスは大混雑で乗り切れなかった人たちは天井へ。

    〈完〉

     

  • ツェチュ祭 1

    ツェチュ祭 1

    タクトクのゴンパで開かれるツェチュ祭を見物。レーからバスは朝8時半に出るとのことだが、かなり早めに到着しておいて良かった。8時前にはもう乗り切れないほどの満員となり、早々に出発してしまったからだ。

    車内に乗っているのは祭りに出かけるらしいラダック人、外国人、そして中途の仕事場に出かけると思われるインド人たちだ。タクトクまでの所要時間は約2時間。レーの町を出て、昨年ホームステイしたストクの村をインダス対岸の遠くに眺めながら東へと走る。

    行きのバスは立っている人たちはかなりいたものの、途中の工事現場等で降りていくインド人たちが多く、やがて幹線道路からタクトク方面に向かう脇道に入るあたりでガラガラになってきた。これはパンゴンツォにへ通じる道でもある。

    隣り合わせたラダック人とおぼしき男性は料金を徴収する車掌とヒンディーで話しているので、どこの人かと思ったらネパール人であった。工事の現場監督で来ているそうだが、タクトクで祭りがあるということを聞き及んで訪れることにしたのだという。

    チェムレ、サクティといった村を通ってやがてタクトクに到着。このバスの終点である。祭りは午前11時からとのことだが、すでに多くのチャーターしたクルマがたくさん駐車してある。昨日と今日が祭りだが、その他はここを訪れる観光客を乗せたクルマがまばらに来る程度なのだろう。

    太陽電池のパネルをよく見かける。陽光がふんだんにある土地なので活用しない手はない。

    寺院の新しいほうの敷地で天幕が張られているところがその会場。すでに観光客をはじめとする人々が到着している。だがまだかなり空いているので、写真撮影に良いと思われる場所に陣取ることができた。

    〈続く〉