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カテゴリー: society

  • ズィンチェンからチリンへ 5

    ズィンチェンからチリンへ 5

    今朝もまた、日の出とともに目が覚めて、爽やかな気分である。しばらく庭で周囲の景色を眺めていると、家のおばさんが呼びに来てくれた。

    「朝ごはんできましたよ~!」

    ガイドのS君とともに家の中に戻り、トースト、ジャム、バターと紅茶の朝食をいただく。席の背後の窓際にホームステイ受入についての通達文書があるのが目に入った。発信元はYOUTH ASSOCIATION FOR CONSERVATION 6 DEVELOPMENT IN HEMIS HIGH ALTITUDE NATIONAL PARK, LEH, LADAKHという組織である。

    これによると、ホームステイ受入れに当たっての食事について、夕食、朝食、そして昼食用として宿泊者に持たせるものなどが定められており、宿泊料金は食事込みで800RS (昨年までは500RS)であり、トレッカーを案内するガイドの場合はこれが無料であることなどが示されている。

    こうしたことがきちんと徹底するようになっているということは、たとえクルマが入ってくることのできない寒村であっても連絡が行き届くようになっていることがよくわかる。また、お客に提供する食事の内容はもちろんのこと、この村のようにお客の受入れが輪番制となっている場合、何代も同じ村で暮らし続けている同士の間柄ということもあり、他を出し抜いたりということをすることもまずないのだろう。

    ホームステイ先を出てから1時間ほど歩くとチリンに出る。ザンスカール河に面しているが、ここでは橋の建設中で、ごく狭く人が渡れる程度の鉄板だけは敷いてある上を、ちょっとスリリングな気持ちで渡る。これからマルカー渓谷に行く人たちの荷物を手動のゴンドラで川の向こうからこちらに渡している。これからマルカーに行く若者たちのグループが川で石投げなどをしている。英語のアクセントと、石の投げ方がクリケット方式なのでイギリス人であるとわかる。

    しばらく待っていると、レーに戻るための旅行代理店差し回しのクルマがやってきた。レーからズィンチェンに行ったときと同じ運転手がクルマに乗ってやってきた。これで今回の短いトレッキングは終わりだ。ラダックのトレッキングの良いところは、雨季でもそうひどい雨にたたられることはないであろうこと、蚊やヒルなどがいないことである。(ただしインダス河沿いでも低いところに行くと蚊はいるらしいが・・・)

    そして、クルマが来ることのできない村の様子は、街道沿いの村とはまた違った、時間を遡ったような趣があるし、豊かな自然に触れることもできて楽しい。

    他にもラダックにはトレッキングのルートがいろいろあるが、簡単な地図を眺めているだけではイメージが沸かないかもしれないが、今はGoogle Earthでかなり具体的な視覚情報を得ることができる。これについてはまた後日触れてみることにしたい。

    旅行代理店差し回しのクルマでレーに戻る途中で通過するザンスカール河(左)とインダス河(右)の合流点。両者の水の色が異なるのが判る。

    <完>

  • ズィンチェンからチリンへ 4

    ズィンチェンからチリンへ 4

    朝5時半くらいに目が覚めた。まだ外は明るくなりきっていないが、もうすでに家の人たちは、宿泊客たちの朝食や持たせる昼食の支度を始めている。さすがに村で唯一のホームステイ先であるため、彼らは実に手慣れたものである。手際よく次々にローティー、ゆで卵、ゆでジャガイモをアルミホイルに包んでいく。

    午前7時前には朝食の準備も出来上がる。パンとジャム、バター、そして紅茶である。次々に宿泊客たちが居間に入ってきて、ガイドを含めて20数名の人々が一斉に食事をする様子は壮観でさえある。昨日の昼食、夕食の際もそうだが、食べることに夢中になってしまい、こうした場面の撮影をしておかなかったことは少々悔やまれる。

    出発!

    さて、8時にここを出発。半時間ほど歩いた先にはガンダ・ラ・ベースキャンプがあり、そこで小休止してるチャーイを啜る。

    ガンダ・ラ・ベースキャンプ付近
    雲の間から垣間見るストク・カングリー峰

    しばらくすると傾斜が少しきつくなってくる。高度も上がってくるため、途中で3回ほど小休止を入れて、ガンダ・ラという峠を目指す。そこが今回の山歩きの最も高い地点である。ベースキャンプからは、昨夜のホームステイ先で一緒だったバルセロナから来たスペイン人カップルとそのガイドと同行する形になっている。

    このあたりまで来ると地面に這いつくばって生える地味な植物ばかり。
    ヤクの放牧地
    子犬ほどの大きさのマーモット

    上へ、上へと登るにつれて、下の景色もさらによく見えるようになってきた。途中ではヤクの放牧を目にしたし、ぬいぐるみのような可愛らしいマーモットも目にした。齧歯類の動物だが、子犬ほどの大きさがあり、動きはあまり敏捷ではなく、危険を察知すると穴の中に逃げ込むようである。このあたりで生えている草木も、いかにも高山植物といった風情で、背が低く、横に広がる形で生育するものが多い。このあたりはヤクの放牧も行なわれている。

    ガンダ・ラの峠手前の勾配。山肌の色合いも様々で、地質学的にも興味深いところなのではないかと思う。
    あと一息でガンダ・ラの峠
    海抜4,900mのガンダ・ラの峠。もっと上に登って写真でも撮ろうという元気な人たちの姿も。
    マルカー渓谷のトレッキング需要の物資を運ぶ馬の隊列

    今日も朝から曇りがちだが、ときおり晴れ間が見えると歩いている間は半袖姿になりたくなるが、陽が陰るとやはり上着が必要となり、今のように雨が降り出すとその上にレインコートを着ていても寒いくらいだ。

    ここから先はゆるやかな下りとなるため、惰性でそのまま歩き続けるような感じで楽だ。しばらく歩いてから遠くに見えてきたのはシンゴという村。そこに到着してから、テント食堂で小休止する。チャーイを注文して、今朝出発したホームステイ先で持たされた昼食を食べる。雨は長く降り続くことはなく、食事を始めるころにはすっかり止んでいた。日干し煉瓦で造った家屋に暮らす人々の乾燥した大地だけに、強い雨が長く降り続けることはまずないのだろう。

    シンゴの村の家屋

    シンゴの村の後は、しばらく歩くと比較的開けた景色から、深い谷間となる。同じ川沿いでひと続きの土地であるが、人が生活していくために水は不可欠なので、こうした地域で集落が存在するのはやはり川沿いということになる。

    ブルーシープの群れ

    ブルーシープの群れがいた。ガイドのS君は実に目が良くて、こういう動物や鳥などをいとも簡単に見つけてくれる。ブルーシープはほとんど断崖のようなところを平気で降りたり登ったりする。実に身軽であるが、たぶん滑落するケースも中にはあるのではないだろうか。

    紫色や青色の山肌はどうやって出来るのか?
    木々がほとんどないので地層の褶曲がよく見えるラダックだが、捻じれがこのように弾けたものも時々目にする。

    さらに岩ゴツゴツのところを下ってから、スキューを経て、カヤーの村に着いた。スキューでは食堂でしばらく小休止してゴンパを見学。なんでも、スキューの村に宿泊できるのはそこからマルカー渓谷に行く人たちだけで、チリンに抜ける人たちはカヤーの村に宿泊しなければならないことになっているそうだ。こうして村人たちが宿泊客たちを分け合う構造になっている。

    スキューの村

    スキューの村からカヤーの村は近いのだが、そのカヤーで宿泊できるところは輪番制になっていて、こちらが自由に選択することはできないことになっているとのこと。そんなわけで、「当番の家」を探し当ててそこに宿泊することになるのだが、最初間違えて訪れた先の家はいい感じであったが、残念ながらその日に私たちが宿泊することはできず、来た道を少し引き返したり、戻ったりしながらやっと探し当てることができた。

    家屋や生活に関わる状況がそれぞれ異なる村人たちが、平等に宿泊客たちを泊める機会を分け合うというとはいいのだが、逆に利用する側としては、自由に選択することができないのは困るのである。その家で受け入れる宿泊客は初めてであるとのことで歓迎してくれたのだが、正直なところ先に間違えて訪れた家のほうが居心地の良さそうな広間があったりして良かったな、と思ったりする。

    夕飯には野菜のスープとラダック式のマントウのようなものを出してもらい、とてもおいしく頂いた。

    カヤーの村のホームステイ先での夕飯

    <続く>

     

  • ズィンチェンからチリンへ 3

    ズィンチェンからチリンへ 3

    ユルツェの村のホームステイ先に到着したのはちょうど昼食の時間帯であった。このタイミングで午後はもうすることがないというのはもったいない気がするので、できればもっと先まで歩きたかったのだが、ルート上の宿泊可能な場所と時間配分の関係でこうなるらしい。

    家の上階の広間に宿泊客たちが集まって食事をしているのだが、あまりに大勢であるためびっくりした。ここに来るまでに見かけた同方向に歩いている人たちは、チェンナイから来たインド人の若者4人連れのみであったのだが。

    伝統的な造りの居間にはラダック式の小さなテーブルと座布団が窓際に並んでいる。そして金属製の食器類が棚に「これでもか!」と飾られており、いかにもチベット文化圏に来たという感じがする。こうした佇まいを自宅に欲しいと思ったことがあるのだが、今もその気持ちは変わらない。

    とりあえず昼食にはありつくことができたが、部屋はすでに満室であるとのこと。居間で寝ることになったので、夜は寒いからキッチン(伝統的なラダック式のキッチン)脇のスペースを陣取っておくといいよ、というガイドのS君のアドバイスに従う。

    ホームステイ先の家の屋上

    まだ、午後の早い時間帯であるのだが、海抜3,900mにあり、谷間であるため高山からの冷たい風が吹き下ろしてくるため非常に寒い。家屋から見た川の対岸部分には雪が残っていたりもする。少し散歩に出てから戻り、ラダック式の座席、つまり横長の座布団の上でしばらく昼寝。窓は閉まっており、半袖シャツの上に長袖シャツ、そしてライトダウンまで着込んでいるものの、寒くて仕方ない。本日の天気は曇りがちだ。時々雨がぱらつくと非常に冷え込む。

    かなり大きな家で、遠目にはゴンパかと思ったくらいなのだが、もともとはかなり裕福であつたのかもしれない。ここで暮らす家族は4、5人くらいしかいないようだ。ここの家の子供たちは皆、レーやチャンディーガルなどの学校に出ており、両親が切り盛りして仕送りしているという。だがシーズンには泊められるだけ泊めているので、相当な収入が上がるらしい。

    夕方5時過ぎくらいからは夕食の準備が始まる。実に手慣れた様子で大量の食材を調理していく。夕食が始まるのは午後7時からで、宿泊客たちに供されたのはダールとサブズィーとご飯。宿泊客たちがどんどん集まってきて、どかどかとお代わりしながら腹いっぱい食べる。トレッカーたちを連れてきたガイドの人たちは給仕の手伝いをしている。ゆえに宿泊客たちは往々にして誰がここの家の人で、誰がガイドなのかわからなかったりもする。

    同宿の人たちの中に、若いアメリカ人カップルがいるが、この人たちはイラクのクルディスターンにある大学で英語を教えているという。ISISの侵攻により戦火が迫っている地域を除けば、クルド人自治区内の治安は保たれているそうだ。大学では学生はアラブ人は少数派で、大半がクルド人であるとのこと。私のような外国人にとって、ラダックの村での滞在自体がとても貴重なものであるが、そうした空間が実に国際色豊かな場であるというのも面白い。

    賑やかに食事をしていると、欧州系の若い人たちのグループが到着した。チェコからの人たちであった。本日、私が同行するはずであったポーランドの人といい、チェコの人たちといい、以前は旅行者としてこのあたりを訪れている姿を見かけることのなかった国の人たちも多くやってくるようになっている。より多くの人たちが、インドの魅力、そしてラダックの素晴らしいところを体験できるようになっていることは喜ばしい。

    電気は来ていないが、家の屋上に設置されている太陽電池で室内のぼんやりした照明程度をまかなうことができている。腹一杯になると眠くなってきた。ちょっと横になってしまうとそのまま深い眠りに落ちてしまった。

    <続く>

     

  • ズィンチェンからチリンへ2

    ズィンチェンからチリンへ2

    ユルツェの村でのホームステイ先

    ラダック人ガイドのS君は24歳で、現在ナーグプルの大学で体育学を専攻しているとのこと。学部の最終学年に在籍しているそうだが、年齢からして途中で少々遠回りしたのだろう。毎月、ラダックの両親から仕送りをしてもらっているとのことだが、生活していくために必要な金額に届かないこと、親の負担を軽減するという目的もあり、大学が休みの夏の時期にはガイドをしている。

    ラダックでトレッキングガイドといえば、このように地元出身の大学生が休みの時期に稼ぐために従事しているというケースはよくあるようだ。ちょうど学校が休みである時期とトレッカーが多い時期が重なることもあって非常に具合が良いらしい。

    また、S君は陸路でスリナガル経由でラダックに帰省する際に、レーその他でレンタル用に供されるバイクの陸送の手伝いもしたそうだ。「ツーリング気分も楽しめるし、小遣い稼ぎにもなるので良かった」とのこと。

    ナーグプルでは大学の寮に暮らしているそうだが、同郷ラダックの学生たちが数人いるので、順番に料理をしているとのこと。「インド料理は脂っこいし、僕らにはあまり合わない」ので、主に故郷の料理を食べているということだ。

    大学卒業後の夢は、レーで旅行代理店を開くことだという。ラダックではこれといった産業がないため、それなりに安定した生活を営むためには、概ね公務員、軍関係、そして観光業ということになるのだろう。

    <続く>

     

  • ズィンチェンからチリンへ 1

    ズィンチェンからチリンへ 1

    ズィンチェンからチリンへの2泊3日の短いトレッキングに行くことにした。旅行代理店の店頭の貼り紙にあったものに参加することにしたもので、この募集を出しているのはポーランド人であるとのことだ。同行する人によって、旅行の印象が異なってくることもあるので、いい人だったらいいなと思いつつ、集合時間となっている朝8時にこの代理店のところに出向いた。

    だが着いてみると、代理店の人が渋い顔をしていて、「ポーランド人はキャンセルした」とのこと。担当者のデスクの上には、代理店が準備した箱入りの朝食とミネラルウォーターがガイドと私を含めた参加者2名を合わせた3名分用意されているので、本当の話らしい。

    こんなこともあるので、先日「ラダック たかがSIM、されどSIM」で書いたように、携帯電話が普及していながらも、他州で購入したプリペイドSIMが利用できない状態では、お客の要請を受けてオーガナイズする代理店のほうに、こうしたリスクがあることは否めない。貼り紙を依頼する本人に対して、旅行代理店側のほうから連絡を取ることができず、その人自身が代理店に再び現れない限り、どうなるかわからないというのは、旅行代理店にとってはもちろんのこと、それに参加する側としても不便な話である。

    さて、気を取り直して出発。クルマでインダス河の対岸のへミス・ナショナルパークに入域してズィンチェンまで走る。ここが今回のトレッキングのスタート地点である。ここの海抜が3,400mくらいだが、このコースで通過する最も高い地点がおよそ4,900mとのことであるため、高所に弱い私は少し気になったりもする。

    川の流れ沿いに上り、次第に高度が上がってくる。幾度か川を渡るが、水に浸って渡渉する必要はなく、川の中に置かれている石伝いに歩けばいいので楽なものである。歩いていると暑くてTシャツ1枚になったりする(かといって暑くてたまらないというほどではない)のだが、途中幾度か日陰で休憩のために立ち止まったり、曇り空の下で写真を撮影していたりすると、肌寒くなってくる。やはりそれなりの高度があるため、決して気温は高くない。

    やがてルムバクの村に到着して昼食のためしばし休憩。大きな白いテントを張った簡易食堂は、観光シーズンの期間だけ、村の人が出しているものである。ここチャーイのみ注文して、さきほどのレーのエージェントが用意した昼食を食べる。冬季には、ルムバクの村周辺ではユキヒョウがよく出没するため、それを目当てに訪れる人たちもかなりあるとのことである。夏季にはもっと標高が高くて気温の低いところに移動しているとのことだ。付近ではオオカミも出没するとのことで、エサとなる小動物がいろいろと生息していることが窺える。

    確かに、このあたりではウズラの種類と思われる鳥をしばしば見かける。平らなところでは自力で飛び立つことができず、斜面から滑走しないと飛行することができないので、肉食動物たちにとって格好の餌食ということになりそうだ。

    ルムバクからしばらく歩いた先、ズィンチェンからは途中の休憩や昼食の時間も含めて3時間半ほどでユルツェの村に到着。ここは村といっても、一家族しか暮らしていないとのことで、ホームステイの選択肢は一軒しかない。登ってきて谷川の右側に見えるその家屋は壮大で、遠目にはゴンパかと思ったほどだ。

    <続く>

     

  • ラダック たかがSIM、されどSIM

    夏の旅行シーズン中のラダック地方の中心地、レーの町の旅行代理店の店先にはこのような貼り紙がある。

    「××月××日から7日間のマルカ渓谷のトレッキング参加者募集」

    「××月××日から2泊3日でヌブラ渓谷へのジープ旅行参加者募る」

    「××月××日出発、4日間でストック・カングリー峰登頂、参加希望者はぜひ!」

    旅行者本人が当該の旅行代理店に費用の相談をした際に提示された料金(同業者組合の関係で、複数の代理店で尋ねても同じような料金を提示されることが多い)を見て、「誰かシェアする人がいれば・・・」という希望を受けて、このような貼り紙がなされるようである。そのため、協力関係にある代理店では同様のリクエストのある顧客を融通しあうケースは多々あるようで、ポピュラーな目的地等についてはいくつかの代理店を回るとちょうど都合の良い個人なりグループなりとマッチングする可能性は高い。

    逆に、協定料金を設定している同業者組合関係の事業者同士が主体となって、このようなツアーを催行しているところがあるかといえばそうではないようで、実際に店頭に相談するために現れた顧客があってのことになる。相談に現れて、シェアする相手を募集するポスティングを希望したお客にしたところで、その店以外でも同様の相談や依頼をしている可能性は高い。

    携帯がないから個々に連絡つかない。本人が現れないとわからない。言いだしっぺの本人が雲隠れしたままで、集まった人々でツアー成立ということもある。とりわけとても沢山の人々が訪れるマルカー渓谷トレッキングであったり、シェアジープで行くパンゴンツォなどの場合はその典型だろう。だが訪れる人の数がより少ない場所への場合は、その企画自体が流れてしまうことも多いようだ。

    多くの場合、コミュニケーションがお客から代理店への一方通行になりがちである。つまりお客本人がその代理店に「その後どうなった?」「人は集まった?」と幾度か通うようでないと、うまく連絡がつかないものである。代理店のほうではいくばくかの前金を預かるようにしたり、宿泊先の電話番号を聞くようにしていることも多いようだが、それでもまだ正式に申し込んだわけではないため前金の支払いを渋るお客が少なくないのはわかる。また、宿泊先の電話番号といったところで、お客が宿泊先の室内にずっと閉じこもっているはずはないし、宿が気に入らず変わることだってある。そんな具合で、代理店のほうからお客に連絡を取りにくいのがどうも弱いところである。

    インドの他の地域であれば、携帯SIMの安価なプリペイドのプランがあるので、airtelなりvodafoneなり、地元インドの携帯番号を持っている旅行者が多いのだが、ラダックが位置するJ&K州の場合、他州で契約したプリペイドプランは利用できない(電波そのものが入らない)し、かといってJ&K州の地元のプリペイドSIM(これは反対にJ&K州の外では利用できない)を入手しようにも、購入の際にいろいろ条件があり、非居住者の外国人にとってはハードルが高い。そんなわけで、インドの他州ではいつも地元のプリペイドSIMで携帯電話の通話やインターネット等を利用している外国人旅行者たちは自前の通信手段を持たないことになる。(ポストペイドのプランは利用可能なので、外国人であっても居住者でこれを持っている人は利用しているキャリアの電波の届く範囲では通話可能)

    J&K州でこのような措置がなされている背景には、カシミール地方の政情に関する問題、また州そのものが隣国であるパーキスターン、中国との係争地と背中合わせであること、軍事的に重要な地域であること等々の要素がある。プリペイドSIMは、その有効期間中においては、購入時の所有者から第三者に転売・譲渡してしまうことも事実上可能であることから、実際の利用者が誰であるのか判らないSIMが地域に氾濫してしまうのは、治安対策上好ましくないことなのである。

    だが、この「プリペイドSIM問題」がなければ、レーの旅行代理店業を営む人たちはずいぶん助かることであろうし、それらを利用する立場の旅行者たちにとっても利するところは大きいはずでもあるのだが、こればかりは当分変わることはないだろう。

  • レーにて 4

    レーにて 4

    「おーい!また来たんだね!」

    レーのメインマーケット界隈を歩いていると、誰かが背後から声をかけてきた。

    振り向くと、そこでニコニコしているのは、昨年アリアン・バレー等に行くときに頼んだ運転手、ザンスカールからこの時期のレーに働きに来ているナワンさんであった。

    「やあ、元気そうだね。今年はいつごろまで仕事なんだい?」

    3年続けて訪問しているとはいえ、滞在期間は短いし、話をしたりする人は限られているものの、夏の時期にレーで商うために来ているカシミール人、レストランに出稼ぎに来ているネパール人、地元ラダック人の旅行代理店スタッフ等々、旅行者相手の仕事をしている人たちによく声をかけられる。何はともあれ、日々多くの人々を相手にしていながらも、こちらのことを覚えてくれているのは嬉しい。

    道路を掘り返して工事中

    レーのメインマーケット界隈は、再開発とやらでちょっと忙しい感じになっている。道路が通行止めとなり、路面を掘り起こしての工事が進行中。完成すると、ちょっと小洒落た一角になる予定らしい。

    このような感じになる予定らしい。

    「ポプラの木は切り倒されてしまったし、なんか風情がなくなってしまうようで、どうかな?と思うんだけれどもね。」という人もあれば、「キレイになるのが楽しみだよ。」という者もある。

    いずれしても、限られたエリアでの再開発であり、夏のシーズンにおける集客効果を狙ったものであるがゆえに、それで何かが大きく変わるわけではなさそうだ。

    メインマーケットの裏手の旧市街の小路が入り組んだムスリム地区は、どこか中央アジアを思わせる雰囲気があり、土釜で焼いた挽肉入りのサモーサーをかじりながらフラフラと散歩するのがとても心地よい。

    〈完〉

  • レーにて 3

    レーにて 3

    宿泊している宿のすぐ隣にあるPadma Guest Houseの屋上のレストランが私のお気に入りである。

    Padma Guest House屋上のレストランからの眺望

    レーの町にありながらも、周囲の眺めが開けているため、畑の向こうに広がる山あいのパノラマ風景を楽しむことができる。

    ここで出される食事はおいしいが、さりとてそれらが特別に・・・というわけではないし、メニューがとりわけ多いわけではないのだが、やはりこのロケーションの良さと、利用者がほぼこのPadma Guest Hose宿泊客だけという静かで落ち着いた雰囲気もいい。

    朝早くにこのレストランがあるテラスから眺める風景、夕方陽が落ちてから次第に暗くなっていく山並みの眺望、スカッと晴れた日の昼間、曇りでどこかからか雷鳴が聞こえてくる午後など、いずれの時間帯や天気でもそれぞれの味わいのある心地よいロケーションだ。

    シーズンオフの厳冬期も営業しているのかどうかは知らないが、ピリピリと冷たい空気の中で、白い雪を被るエリアがすっかり広くなった山々を望むのも大変いい感じなのではないかと想像してみたりする。

    〈続く〉

  • レーにて 2

    ここ3年ほど夏にはラダックを訪問しているが、レーでの常宿となっているのはSia-La Guest house

    ラダック人ムスリム家族が経営する宿で、庭いっぱいに栽培されている野菜と周囲のポプラの木の葉の緑が目に心地よい。今年からは母屋とそれに面した芝生のところでWifiを利用できるようになっていて、ますます快適になった。オーナー夫婦は話好きな人で、彼らの人柄を慕っての常連客が多いようだ。観光客以外にもNGO等で活動している人たちの利用もかなりある。

    レーの町は際限なく広がっていっているように思えるが、宿の奥さんの話によると、レーの町が広がっているのはラダック地域内の他のエリアからの人口の流入、村からの人口の流入等があるのだそうだ。町の外縁部では土地を占拠しての違法建築も増えているとか。

    違法建築はともかく、レーとその他の地域では学校の教育の質、就業機会、給電や給水の状態はもとより、その他様々なあらゆる面での格差が大きいため、レーに集中してしまうのはわかる。北方のヌブラよりも先のトゥルトゥクあたりからもかなり来ているそうだ。

    それ以外にも、レーの町中ではインダス河をしばらく下った先で、ラダックの中では低地にあたる通称「アリアン・バレー」地域の人たちの姿もあり、ほおずきや花を頭にあしらった女性の姿をときどき目にする。モンゴロイド系の一般的なラダック人たちとは異なるアーリア系の風貌をした人々である。

    村の若い人たちが町に大勢来てしまい、村で畑仕事する人たちが減ってしまったりということもあるようだ。村で農作業している低地からやってきた出稼ぎインド人たちが大勢いるのもそういう理由があるのかもしれない。

    だが治安面での懸念等はないのだろうか。とりわけ若い男性ばかりということになる出稼ぎ人たちだが、そのような問題もはらんでいることが想像できなくない。

    田舎から町に出てくる人たちが多いのと同様に、レーの人たちの間でもやはり子供たちをデリーやチャンディーガルの学校に送ったり、仕事を求めてインドの他の地域に行ったりということは少なくないようだ。

    こうした事柄は、日本における農村から町へ、町から主要都市や東京へという人口の移動とも似た性格があるようにも思われる。

    〈続く〉

  • レーにて 1

    レーにて 1

    観光シーズンのこの町には沢山の宿があり、よりどりみどりである。ガイドブックで好意的に取り上げられているところ、ツアー客の利用が多いところなどでは数日先まで予約で一杯ということもあるとはいえ、そうしたコネを持たない宿は宿泊客がほとんどなかったりもして、「これで本当にやっていけるのか?」とこちらが少々心配になってしまうようなところもあったりする。

    食事する場所にしても、宿にしても、夏のシーズンにだけオープンしているところが多く、そうした時期にだけ平地のU.P.、ビハール、ジャールカンドといった州や隣国のネパールから来たスタッフを雇って営業していたりする。そうしたスタッフたちは、オフの時期には故郷に帰っていたり、ラダックがオフシーズンの時期にピークとなる他の地域で働いていたりする。

    こうした現象は、レーの町中だけではなく、幹線道路沿いに荒野の中にポツンと存在する小さな食堂であったり、カルドゥン・ラを越えた先のヌブラ渓谷にある小さなゲストハウスでも同様であったりする。また、この時期の農村も繁忙期であり、麦や野菜などの収穫をしている村々で、額に汗して働いている人たちの多くが「平地から来たインド人」であることは多いし、気温の高い時期即ち屋外で作業しやすい時期に集中して行われる道路その他の建設工事に従事する人々もまた同様である。

    ラダックの観光シーズンにおける季節労働は必ずしも外部の人たちによるものばかりというわけではなく、チャーターしたクルマの運転手はザンスカール地方を含めたラダック地域の人たちが多い。トレッキングガイドについては、夏季休暇中の地元やインドの他の地域の大学で学んでいるラダック人大学生たちが従事していることが多いようだ。

    近年盛んになっているラフティングについては、漕ぎ手やリーダー役を務めるのはネパール人が多い。インドのハリドワールに講習所があり、そこで技術を身に付けた者が多いとのことである。

    〈続く〉

  • 日本への短期滞在の数次査証

    日本とインドの間では査証の相互免除協定がないため、両国の国民が相手国を訪問する際には事前に査証を取得することが必要となる。

    相互免除の取決めがない場合においても、例えばタイにおいては日本国籍を持つ人物が空路入国の場合は30日間以内、中国の場合は15日以内の場合は査証無しでの滞在を認めるという措置がなされていることも少なくない。

    そうした措置がなされているのは日本国籍に限ったことではないが、相手国からの訪問者が自国で超過滞在、不法就労、法秩序等に係る問題を生じさせる事例が少なく、事前に在外公館の査証発行に関わる事務手続き等の負担を軽減させることや観光促進等の目的などでこのようなことがなされることが多い。

    また、いかなる滞在期間、目的であっても査証の取得は必須ということになっていても、カンボジアのように、観光目的であれば入国時に滞在可能期間30日の査証が取得できるような国もある。入国前の事前審査という部分が形骸化しており、事実上の入国税的なものとなっていると捉えることもできるかと思う。

    インドにおいても、Tourist Visa on Arrivalという制度により、カンボジア、フィンランド、インドネシア、日本、ラオス、ルクセンブルク、ミャンマー、ニュージーランド、フィリピン、韓国、シンガポール、ベトナム国籍の人々が観光目的で訪印する場合について、バンガロール、チェンナイ、デリー、ハイデラーバード、コーチン、コールカーター、ムンバイー、トリバンドラムの空港から入国する場合においては、その場で30日以内の滞在が可能となる査証が発行されることになっており、私たち日本人にとっては、インドを旅行するにあたり査証取得についてのひとつの選択肢となっている。

    さて、日本においては査証相互免除協定を結んでいる相手国以外において、本来は観光目的というわけではないが、国によっては数次有効の短期滞在査証の制度の対象としている。

    数次有効の短期滞在ビザ(外務省)

    今年の7月からは、この制度がインド国籍の人々にも適用されることとなった。観光目的での取得も可能としていること、インド国籍の人が第三国でも申請可能としている点(申請人が居住している国以外では申請不可)において、他国籍の人々に対するものよりも多少弾力的に運用されるものであるように思われる。査証の有効期限は1年間または3年間、滞在期限は1回あたり15日以内である。

    ンド国民に対する短期滞在数次ビザの発給開始について (在インド日本国大使館)

    インド国民に対する数次有効の短期滞在ビザ申請手続きの概要 (外務省外国人課)

    日印間での人々の往来が以前よりも活発になってきている昨今、日本でITその他の分野で働くインドの人々自身以外にも、その親、配偶者、子供といった関係にある人々による日本への短期訪問も相当増えているうえに、日本に居住する親族訪問以外ではなく観光目的でやってくるケースも決して珍しいものではなくなってきている。

    同様に、インドでも日本人に対して有効期限5年間くらいで、1回の滞在可能期間が30日以内・・・といった具合の数次査証を発行してくれるようになるといいのだが、などと虫の良いことを夢想してみたりしてしまう。

  • ターラープルの原発を取り上げた映画「ハイ・パワー」

    2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれにともなう福島第一原発の深刻な事故が発生した後、しばらくの間は日本国内で盛り上がった反原発運動だが、このところずいぶん「鎮静化」してしまったのが気にかかる。

    まさに「喉元過ぎれば・・・」ということわざどおりなのかもしれないが、当の原発事故はいまだ終息したわけではなく、現在も進行中であること、この事故による被災者の方々はいまなお避難生活を送ることを余儀なくされていること、汚染が危険なレベルであるにもかかわらず、効果のよくわからない「除染」で誤魔化してしまおうとしている行政等々、さまざまなトラブル等がすべて未解決である現状を思うまでもなく、日本人である私たちが直視して考えていかなければならない問題だ。

    インドのマハーラーシュトラ州のターラープルといえば、原子力発電所があることで知られているが、この原発が地元に与え続けてきた負の面を告発した映画である。あらすじについてはこちらをご参照願いたい。

    すでに日本国内のいくつかの場所ですでに確定した上映スケジュールが告知されているが、興味深いのは映画の内容だけではない。上映と監督ともに「招聘」することができるという部分も特筆すべきところだ。

    原発については、その存在の是非だけではなく、これによって支えられる産業のありかた、成り立つ社会のありかた、ひいてはインド、日本その他の国による区別もない、地球上の私たちの暮らしのありかたを含めて、みんなが真面目に考えていかなくてはならない問題である。

    ※映画紹介のウェブサイトには「タラプール」とありますが、正しくは「ターラープル」であるため、本記事における記載は「ターラープル」としました。