ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: society

  • 週刊エコノミストのインド特集

    週刊エコノミストのインド特集

    現在発売中の週刊エコノミスト(10月27日号)は、「インドびっくり経済」と題して、インドに関する特集を掲載している。
    日本の経済誌で、時折こうした記事が組まれる。「インド入門」のようなありきたりな記事もあるものの、日本大手企業のインドにおける活動、日本のビジネスマンたちがインドの市場をどのように捉えているかという、日本を軸にした経済やビジネスという側面から眺めたインドについて読むことは、なかなか興味深いものがある。
    リンク先はその概要だが、エコノミストの各号は紙媒体以外に、電子版も購入可能である。

    特集:インドびっくり経済 2015年10月27日号 (エコノミスト)

    ※「シェーカーワティー地方へ2」は後日掲載します。

  • シェーカーワティー地方へ 1 〈デリー出発〉

    シェーカーワティー地方へ 1 〈デリー出発〉

    昼を少し回ったあたりで、デリーのサライ・カレー・カーンISBTからシェーカーワティー方面行きにバスに乗車。このバスの終着地ジュンジュヌーまで距離にして220km程度だが車掌は「6時間半かかる」と言う。かなり迂回しながら進んでいくということもあるが、とりわけラージャスターン州に入ってからの路面状況があまり良好ではないという部分もある。

    首都圏から遠く離れているわけではないのに、そのあたりのインフラが整っていないということに、「ゆえに地域特有のものが保存されてきた」という面もあり、近世以降のインド経済で現在に至るまで、重要な役割を担ってきたマールワーリー商人たちの主要な故地であるにもかかわらず、このような状況であるがゆえに、「すっかり見捨てられてしまった過去の繁栄の地」という印象も受ける。このシェーカーワティー地方については、私がずいぶん前にこのブログに掲載した記事があるのでご参照願いたい。

    シェーカーワティーに行こう1 華麗な屋敷町

    長距離バスに乗るときにしばしば思う。同じ街の始発点から乗車すれば座席を確保できるにもかかわらず、なぜそこまで行くことなく、途中の路上から乗車しようという人が多いのかと。自宅がよほどそこから遠かったり、荷物が多いので市内移動さえも困難というケースを除けば、そのわずかな労と時間を惜しまなければ、車内に入り切れずに次のバスを待たなくてはならないとか、何とか乗り込んだものの、物凄い混雑でにっちもさっちもいかない状況は回避できたりするのだが。とりわけバスターミナルを出て、わずか500mなり1kmなりの地点でバスを待ち構えてドカドカと乗車してくる人々を見るとそのように感じる。

    私が利用したバスもそんな具合であった。始発のISBTを出るあたりでは、乗客の誰もが着席している状態であったが、バスターミナル近くやデリー市内の経由地でバスが客集めしているうちに、出入口のドアから乗客があふれて、しがみつく状態となる。

    バスは、デリー首都圏を出てから、しばらくの間はハリヤーナー州内を進んでいく。人口稠密で、クルマの多い地域なので、工事中の場所やトールゲート手前などで、ひどい渋滞となる地点がいくつもある。ハリヤーナー州といっても、デリーと較べるとかなり田舎であったり、貧し気であったりする地域も少なくないようだ。バスはやがてレーワーリーという街に到着。ここは交通の要衝となっており、ラージャスターン州やUP州の各方面への乗り換えのために降りていく人たちは少なくない。

    だが、こちらとしては「まだレーワーリーか!」と大変ガッカリしたりする。デリー近郊のグルガオンからパタウディーを経て少々進んだあたりに過ぎないからだ。

    車内が一時空いたと思いきや、ここからまた大勢乗り込んでくるので、さきほどまでと変わらない満杯状態となる。

    やがてバスはラージャスターン州に入った。スマホが機能していれば、どのあたりを走っているのかわかるのだが、まだアクティベートされていないため、少し大きな町に差し掛かったときに地名を確認してguidebookの地図を見る。それでどのあたりまで来ているかわかる。すでに午後4時になっているが、先はまだまだ長い。車内でよく人々が電話しているが、それがなにやら羨ましく思える。やはり今の時代、旅行中でも携帯がないと不便に感じてしまう。

    シーズンではないので大丈夫かとは思うが、予定地到着が遅い時間になることがわかっている場合、やはり前もって宿に電話して空きを確認できると安心だ。とりわけ「ここに宿泊したい」というところがある場合には。
    ガタガタと走るバスの車窓から外を眺めていると、やがて陽は西に大きく傾き、大きな大地を朱に染めていく。こうした時間帯のインドはとりわけ美しいと思う。

    いつしかシェーカーワティー地域に入っているようで、この地域特有の2本ないしは4本のミナレット状の塔がある井戸がしばしばみられるようになってきた。私の近くに座っている青年はバンガロールから36時間かけて鉄道でやってきたというITエンジニア。ジュンジュヌーの近郊に実家があるとのことだが、家族や友人たちに幾度も携帯電話から連絡しては、通過している場所を伝えている。バイクで誰かが迎えに来てくれることになっているとのこと。久しぶりの帰省で大変嬉しいことは満面の笑みからもよくわかる。

    すでに陽はとっぷりと暮れてしまった。午後7時近くになったあたりで、ようやくジュンジュヌーのバススタンドに到着。下車してから今度はマンダ‐ワー行きのバスを探す。バスのチケットカウンターで、地元の学校で英語の教員をしている人と出会った。この人は実におしゃべりで、英語教員だけあって大変に流暢な英語を話す。インドで起業しているというネパール人にも会った。生まれもインドだそうだが、父母の祖国ネパールでの不安定な様子がいつも気がかりとのこと。

    ジュンジュヌーから1時間ほどでマンダーワーのバススタンドに到着。商店がいくつか並ぶ一角スバーシュ・チャンドラ・ボースの胸像があるところが「バススタンド」ということになっている。

    降りたところから宿が遠くて、途中の路地の暗がりに犬がいたりすると嫌だなと思ったが、ここからすぐ近くに目的の宿があったので良かった。

    この日の宿泊はHotel Madawa Haveli古いハヴェーリーをホテルに転用したもので、部屋によって広さや形、装飾等は異なり、料金設定も違う。照明が暗いのは難だが、きれいで快適な部屋だ。

    マンダーワー行きバスに乗り換える前、ジュンジュヌーに到着する少し前あたりで、スマホにシグナルが入っていることを確認していた。宿の屋上で食事を注文してから早速ボーダフォンに電話してSIMをアクティベートする。しばらくすると開通した。これだけでずいぶん気分が違う。宿のWi-Fi頼みは心もとないが、ネットが常時接続、そして電話がいつでもかけられる、受けられるという安心感は実にいい・・・というより、今やどこにいても必須である。

    〈続く〉

  • The Last Mughal (William Dalrymple著)のヒンディー版

    The Last Mughal (William Dalrymple著)のヒンディー版

    The Last Mughalのヒンディー版を見つけた。英語で書かれたこの作品をすでに持っているのだが、この時代に中心的な役割を担う人物たちの名前等のヒンディーでの綴りを確認する意味でもちょうど良いと思い購入した。

    もともとの英語版よりも、わざわざ翻訳した本のほうが、かなり低価格ということは往々にしてある。だが、なぜそういうことになるのかよくわからない。The Last Mughalのヒンディー版आख़री मग़लもまた同様であった。同じ書店に並んでいる英語版は699Rsで、ヒンディー版は半額の350Rs。どちらも同じサイズのペーパーバックで、インド国内での販売のため、インド国内で印刷製本されたものだ。

    ヒンディーしか読めない人がこぞって読むような本ではないので、販売部数は英語版のほうがはるかに多いはずであることを思うと、なおさら不思議である。

    まさかインド国内でのヒンディーによる読書普及のために補助がなされているわけではあるまいし。
    のヒンディー版を見つけた。英語で書かれたこの作品をすでに持っているのだが、この時代に中心的な役割を担う人物たちの名前等のヒンディーでの綴りを確認する意味でもちょうど良いと思い購入した。

    もともとの英語版よりも、わざわざ翻訳した本のほうが、かなり低価格ということは往々にしてある。だが、なぜそういうことになるのかよくわからない。The Last Mughalのヒンディー版आख़री मग़लもまた同様であった。同じ書店に並んでいる英語版は699Rsで、ヒンディー版は半額の350Rs。どちらも同じサイズのペーパーバックで、インド国内での販売のため、インド国内で印刷製本されたものだ。

    ヒンディーしか読めない人がこぞって読むような本ではないので、販売部数は英語版のほうがはるかに多いはずであることを思うと、なおさら不思議である。まさかインド国内でのヒンディーによる読書普及のために補助がなされているわけではあるまいし。

    書名:आख़री मग़ल
    著者:विलियम डैलरिंपल
    出版社:ब्लूम्सबरी
    ISBN:978 93 8489 823 6

  • デリーのアフガニスタン人地区

    デリーのアフガニスタン人地区

    ラージパトナガルⅡに出かけてみた。フェイスブックにて、ある方がここにあるアフガンレストランのことなどについて書かれていたので、せっかくデリーに来たので立ち寄ってみることにした。

    地下鉄のラージパトナガル駅で降りて、しばらく東に歩いたあたりで、アフガニスタンの人たちが歩いているのを見かけるようになってくる。アフガニスタンといっても様々な民族が住んでおり、見た目はインド人と同じような感じの人たちも少なくないのだが、タジク人やパシュトゥン人たちは、「やや日焼けした白人」といった風貌の人たちが多く、私が聞き取ることのできない美しい響きの言葉をしゃべっている。

    しばらく進むと、ペルシャ文字の看板が目立つようになり、そのエリアには、アフガニスタン人が経営している店あり、アフガン人顧客が多いインド人の店あり。そんな中にあったアフガンケバーブハウスというレストランに入ってみることにした。

    店内で働いているのはアフガニスタン人、出入りするお客も同国の人たちが多かった。店内に踏み入れたときにいたのは、すべて男性で、揃ってやたらと整ったイケメン揃いである。女性はさぞ美しかろうと思っていたら、ちょうどアフガン人カップルが入ってきて、ふたりともまさに眉目秀麗という感じ。一日中、ああいうキリリとした顔をしていてくたびれないのか?思うくらいだ。

    店主はタジク人。スタッフはタジク以外にもいろいろな民族の人たちが働いているそうだ。
    「カーブルのレストランで出しているようなものを用意していますよ」とのこと。注文したプラオもコフタも大変上品な味でおいしかった。メニューを眺めてみたところ、やはりペルシャ風のアイテムが多いようだ。インドのムスリム料理に取り入れられたアイテムの原型といった感じで興味深い。

    どれも美味であった。

    界隈には、アフガンによるアフガン式のナーンを焼いて売る店、アフガン食材屋、アフガンのスナック屋台、各国の通貨を扱う両替屋、航空券他を扱う旅行代理店が多く目に付く。Safi Airwaysというアフガニスタンの航空会社のオフィスまであり、それらはペルシャ文字の看板を掲げている。このあたりでアフガン客を相手にするインド人たちには、多少のダリー語(アフガニスタンで広く通用するペルシャ語)が出来る人も珍しくはないようだ。

    脇道から、色白で大変見目麗しい三人連れの女性たち出てきた。洋装なのでどこの人たちかよくわからないが、サイクルリクシャーを呼び止めて、行き先と料金のことをやり取りしている声が、さきほどアフガンレストランで耳にしたような訛りのヒンディー。尋ねてみると、やはりアフガニスタン人たちであった。

    デリーではアフガンから来た人たちが多い(一説には1万人程度はいるとか)のは知ってはいたものの、ここに集住していることやレストランなどもあることは把握していなかったのは不覚であった。かなりアップマーケットな地域なので、レストラン等で雇われている人はともかく、ここで商売を営んでいるアフガニスタン人は、暮らし向きの良い層が多いようだ。ラージパトナガルⅡのアフガンレストラン出入りする人々の多くはアフガン人。けっこう可処分所得の高い人層が少なくないように見受けられる。

    界隈には立派な身なりのアフガン紳士の姿もあるし、金余りのボンボンみたいなのも少々。どんな仕事をして稼いでいるのかはよくわからないが、昔から母国での不都合が生じた富裕層や政治家などが、デリーに逃れてきていたことを思い出した。最たる大物関係では、社会主義政権最後の大統領、ムハンマド・ナジブッラーは、ターリバーンが首都カーブルを制圧してから逮捕、処刑されたが、それに先だって家族をデリーに送っている。主人が処刑されて歎き悲しむ遺族のことがインドの新聞に出ていたことを、ふと思い出した。

    インド人の不動産屋から「あの、お住まいはもうお決まりでしょうか?」と声をかけられる。モンゴル系のハザラ族アフガン人かと思ったとのこと。この人は、アフガン人が大切な顧客なのでこまめにチェックしているらしい。

    翌日にもう一度この地域を訪れてみて、他のレストランで食事をしてみた。メニュー下部に「マントゥー」とあるのは餃子。メンズ豆の煮物とヨーグルトがかけてある。上の写真左側。
    このマントゥーという名前だが、漢字の饅頭(韓国でいうところのマンドゥー。漢字で饅頭と書くが、日本の餃子のこと)と符号しているみたいなのは、何かの偶然なのだろうか、あるいは歴史的な背景が含まれているのか?それはともかく、まんま蒸し餃子であった。

    左側が「マントゥー」

    このアフガニスタン人地区、なかなか面白そうなエリアだ。今後もまた折を見つけて訪れて観察してみようと思う。

  • 映画「ルンタ」

    池谷薫監督による映画作品「ルンタ」が東京都中野区東中野のポレポレ東中野にて、11月13日まで公開されている。

    朝鮮戦争とほぼ同じ時期に始まる中国によるチベット侵攻以降、現在に至るまで続く占領下にあるチベットでは抵抗の歴史が続き、2000年代に入ってから市民や僧侶による焼身抗議がメディアで報じられることが多いが、そうした行為の背景にあるものを探っているのがこの作品。

    インドのダラムサラで、チベットにおける苛烈な弾圧から逃れてきた人々を支援する活動をしている中原一博氏に密着する形でストーリーが進んでいく。

    チベットにおける焼身抗議とは、中国による圧政に対して中国人を殺める暴力に訴えるものではなく、自らの身体を灯明として国や民族に捧げて覚醒を促す自己犠牲の行為であるとのこと。

    かつて、イギリスが植民地支配していたインドにおいて、ガーンディーが率いた活動もまた、大変な自己犠牲を要する実に「過激な」行動であったが、チベットにおいても展開される非暴力不服従の活動もまた、なんと激しいものだろうか。

    作品中でカメラが追っていく中原一博氏がチベットにおける人々の抵抗運動を伝えるブログ「チベットNOW@ルンタ」では、チベットの情勢、中国当局による様々な弾圧、焼身抗議を実行するに至った人々の背景、占領下チベットから逃れてきた人たちへのインタビュー記事などが刻々と綴られている。

    同ブログでは僧侶が町中で「一人デモ」を実行して公安に取り押さえられる現場の動画なども取り上げられており、その後本人が受けたであろう苛酷な拷問、長期に渡る獄中生活などを思うと、非暴力不服従運動という活動は大変大きな自己犠牲を必要とするものであることがひしひしと伝わってくる。

    私たちがごく当たり前のこととして享受しており、その大切ささえもすっかり忘れ去られているが如き自由と民主主義だが、これがいかに尊いものであるかを思い知らされるようだ。

    チベットは決して中国の一部ではない。焼身抗議を実行する人々が、自らを灯明として差し出して覚醒を促している相手は、中国当局やチベットの同胞だけではなく、中国による占領の継続を黙認している国際社会に向けられたものであることについて、私たちは自覚しなくてはならない。

  • 上海経由デリー行き3

    上海経由デリー行き3

    さて、いくら時間が空いているとはいえ、浦東空港でのチェックインに遅れてしまっては元も子もない。多少の時間の節約ということもあるが、せっかくこのあたりまで来たら、ぜひとも2003年12月に開業したリニアモーターカー(上海磁浮列車)にも乗ってみたいものだ、と欲張ってしまう。

    地下鉄2号線車内

    地下鉄2号線の龍陽路で下車、リニアに乗り換えてわずか一駅・・・というよりも、もともとこの一区間しかない。乗車券は50元と高価だが、当日出発する航空券を提示すると40元になる。

    地下鉄2号線の龍陽路駅改札を出たところ
    リニアモーターカーの駅への階段
    シンプルな印象のプラットフォーム

    ワクワクしながらプラットフォームに進んだが、意外なほどに乗客は少ない。地下鉄に較べてあまりに料金が高いこと、龍陽路からしか発着していないこともあり、利用客のほとんどは外国人、あるいは懐具合に余裕があるおのぼりさんといった具合。

    リニアモーターカーが入ってきた!
    あまり利用客は多くない感じ
    まばらな乗客の中で目立つのはやはり西洋人

    ドイツの技術を導入して導入され、当初は杭州その他への延伸の構想もあったようだが、現在はそうした話はトンと聞かない。いかに優れた技術であっても、収支が見合うものでなければ、拡張されることはあり得ないのはいずこも同じ。

    車内はガラガラ

    ガラガラの車内に乗り込むと間もなく発車した。さすがはリニア!と感心させてくれるのは、その加速力だ。車両内の電光掲示板に速度表示がなされるのだが、航空機に近い爆発的な勢いでスピードを上げていく。時速300kmを越えて、400km超になると、周囲の景色が流れる速度が速すぎて、気持ちが悪くなりそうだ。ちょうど録画番組を32倍速で早送りしているような・・・。

    最高速度もさることながら猛烈な加速感に圧倒される。
    最高時速431km到達!

    現在開発中で、2027年に営業運転開始を目指す日本のリニアモーターカーは最高時速550kmとなる予定。ハード的には万全でも、乗車しているのは生身の人間であることから、やはりこの「車窓酔い」が問題となることと、私は予想する。

    ちなみに、運行時の最高時速については、時間帯によって異なるそうだ。最高時速431kmを出すのは、午前は9時から午前10時45分、午後は3時から3時45分の間のみ。その他の時間帯の最高時速は301kmである。あまり実用的な路線ではなく、国威発揚のためのデモンストレーション的な路線ではあるものの、利用する外国人に「世界に先駆ける中国の偉大さ」を印象付けるべく、すべての時間帯で最高時速431kmをノルマとしてもらいたいものだ。

    浦東空港駅到着
    わずか7,8分という短い乗車時間がちょっと残念かもしれない。
    浦東空港

    乗車した龍陽路駅近くには、リニアモーターカーこと上海浮磁列車博物館がある。もう少し時間があれば訪れてみたいところだったが、またいつか機会があるだろう。それにしてもたかが飛行機の乗り換えで、ちょっとした市内観光も楽しめるとあれば、上海経由でデリーに向かうのも悪くないと思った。

    〈完〉

  • Namaste Bollywood #44

    Namaste Bollywood #44

    Namaste Bollywood #44

    今年もIFFJ (Indian Film Festival Japan)の時期がやってきた。東京(10/9~23)と大阪(10/3〜22)にてそれぞれ開催され。上映スケジュールについては、こちらをご参照いただきたい。

    Namaste Bollywoodの今号の巻頭特集は、このIFFJ。今年も選りすぐりの素晴らしい作品が目白押しだ。特集記事で紹介されている上映作品の紹介をじっくりと読みながら、どれを観に行くかとあれこれ検討してみよう。また、IFFJと時期が重なるが「マルガリータで乾杯を!(原題:MARGARITA WITH A STRAW)が、10月からシネスイッチ銀座を皮切りに、全国で順次ロードショーが予定されるにあたり、主演女優カルキ・コーチリンのインタビュー記事もあり、こちらも注目だ。

    さて、この号に掲載されている、同誌主宰のすぎたカズト氏による「ボリウッドにおける性描写の変貌」という記事は、IFFJでの鑑賞予定を考える際に大変参考になることだろう。また、1990年代の「インド映画ブーム」でフィーチャーされた作品群、当時いくつも出版されたインド映画の案内書に記されている内容とは、ずいぶん印象が違うことに気付かれるに違いない。

    1990年代以降のインドは激動の時代であり、経済面における社会主義的手法から大きく舵を切っての経済自由化、それにともなう外資の怒涛の勢いでの流入、国営放送による寡占状態であったテレビ放送については、ケーブルテレビ、衛星放送などが一気に普及することにより、外国からのニュースやエンターテインメント等々の番組がお茶の間に突然大量に雪崩れ込むとともに、当時はまだ目新しい存在であった民放各社も、そうしたトレンドをうまくつかまえて、これまでにはなかった新しい番組や映像を視聴者の元に届けるようになった。

    そんな時代が唐突にやってくると、まず最初に感化されていくのは若者たちだ。とりわけ1992年、1993年あたり以降に青春期を過ごすこととなった世代と、それ以前の世代では、物事の価値観、道徳観、性に対する意識等が大きく異なってくるのは当然のことで、もちろんそうした時代の変化は映画作りにも如実に反映されることとなった。時代を代表する作品を眺めてみるだけでも、1980年代から1990年代初頭、1990年代半ばから終盤にかけて、そして2000年代に入ってから現在にかけてと、作品のテーマや映像の質感が大きく違ってくるのは、こうした時代の大きな変化を反映したものであるといえる。

    さて、1990年代の日本で沸き起こった、先述の「ブーム」はかなりバイアスのかかったもので、同じような方向性の作品ばかりが日本に立て続けに上陸していたこと、製作された地域や言語域による違いを考慮することもなく、「インド映画」と荒っぽく括られていたことに加えて、当のインドで製作された映画に関する知識を踏まえない「面白おかしな」解説が、大手メディアで堂々と一人歩きしてしまうとう弊害も少なくなかった。

    今となっては20年ほどが経過しているにもかかわらず、今なおそのときに刷り込まれてしまったイメージが後を引いていることから、ボリウッド映画をあまり観たことがない層においても、「B級以下」「なぜか音楽と踊りばかり」「単純なストーリー」というようなネガティヴな先入観を抱いている人が少なくないことは非常に残念だ。

    だが、幸いなことに、今の20代の映画ファンの多くは、そうした過去のしがらみとはあまり縁がない。インドは若年人口が圧倒的に厚い国であることから、10代後半から30代前半にかけての年齢層が大きなマーケットとなることから、ちょうどこのあたりの年代の人たちは、IFFJで上映される近年のボリウッド映画界のヒット作(今回の上映作品は2013年から2015年にかけて公開されたもの)について、先入観なしに映画を楽しむことができる感性を持っているのではないかと私自身は期待している。

    どこの国の映画も同様だが、作品が製作された国や地域の文化、固有の価値観、社会のありかたなどが色濃く反映されるものだ。これについては日本の映画ファンの多くがニュートラルな立場で鑑賞しているつもりのアメリカのハリウッド映画についても例外ではなく、銀幕の背景にあるそうした諸々の事柄を理解することなしに、ストーリーの中に巧みに張り巡らされている仕掛けや伏線を読み取ることは容易ではない。

    まさにそのあたりを理解するために、Namaste Bollywood誌では、様々な著者による異なる角度からインドの文化面を含めた解説、インドの社会現象が作品に与えた影響や反対に作品が社会に及ぼした効果、ボリウッド映画界内部の動向などを伝えており、インドから遠く離れた日本のファンが、より楽しく、そして深く作品を楽しむことができるようにと情報発信をしてくれているのである。

    蛇足ながら、私も「インド雑学研究家」として、小さな記事を書かせていただいており、今号においては、ある作品で幾度か出てきたムンバイーにある小ぶりながらも美しいモスクについて取り上げてみた。

    Namaste Bollywood誌は、IFFJの会場でも販売されるが、それ以外の購入先については、以下、同誌ウェブサイトをご覧いただきたい。

    Namaste Bollywood

    ※「上海経由デリー行き3」は後日掲載します。

  • 上海経由デリー行き1

    上海経由デリー行き1

    中国東方航空にて、上海経由でデリーに行くことになった。

    インドと中国双方のキャリアによる両国間の直行便が飛ぶようになったのは確か2003年あたりのことであったと記憶している。それまでは4,000kmにおよぶ長い国境線を分け合っている隣国同士を直接結ぶフライトはなかったのである。(香港を除く)

    今では中国に仕事や観光などで訪れるインド人、反対にインドを訪問する中国大陸の人々も増えてきている。印中両国互いの不信感、とりわけ前者が後者に抱くネガティヴな感情はまだまだ深いものの、こうして両国間での経済活動が活発になってくることが、安定した二国関係への一番の方策だろう。互いに依存する部分が多くなればなるほど、相手国にて操業する企業等の活動が盛んになればなるほど、両国の政府はそう易々と相手国に対して軍事的な挑発はかけにくくなる。いわば相手国に預けている資産が増えるほど、軽はずみなことはしにくくなることは、いずこにおいても同じことだ。

    さて、いつも日印両国のキャリアによる直行便あるいはタイ航空、キャセイパシフィック、シンガポール航空などを利用している私にとって、中国経由という選択は初めてだ。乗り継ぎ時間にかかる時間が長かったり、中国では長らく乗り継ぎでも到着時に入国手続き、出発前に出国手続きをしなくてはならなかったりするケースが多くて面倒という思いもあった。

    インド行きのための中国での乗り継ぎについて、かなり遠回りとなる北京経由はともかく、上海での乗り換えはなかなか良い選択肢になるのではないかと思う。近ごろは同一キャリアを利用の場合は、中国の乗換地で出入国しなくて済んだり、荷物も最終目的地までスルーで行くことができるようにもなったりしている。

    また、スカイスキャナー等で検索してみるとわかるが、ピークシーズンの比較的直前でもそれなりにリーズナブルな価格のチケットの入手が可能であることが多いようで、出発の日程が差し迫ってくるまで予定が立たないという場合などに利用できる可能性が高い。

    それはともかく、上海経由で予約してEチケットを印刷してみて、やっと妙なことに気が付いた。「上海には国際空港がふたつある!」

    到着は上海市の東にある虹橋空港、出発は西にある浦東空港である。両者の間には55kmほどの距離がある。日本の成田空港と羽田空港は90kmくらいの距離があるので、その6割くらいと思えばマシかもしれないが、上海の交通渋滞は世界的にも有名だ。両空港間を結ぶリムジンバスは運行されており、利用する航空会社がそのチケットを供給してくれるようだが、乗り換えに5時間半ほどあるとはいえ、道路状況がどんなものだか、かなり気になる。時間を容易に予測できる地下鉄利用のほうが安心だろう。

    上海地下鉄マップ

    国際線は虹橋空港のターミナル1(虹橋1号航站楼)に発着する。地下鉄で浦東空港まで移動するには、虹橋空港の国内線が発着するターミナル2(虹橋1号航站楼)まで、地下鉄10号線で移動して、そこから地下鉄2号線に乗り換える必要がある。

    上海の虹橋空港の到着ロビーを出て右に進んだところ
    道なりに進んでいくと地下鉄駅に
    モダンな地下鉄プラットフォーム
    地下鉄10号線に乗車
    ひと駅先の虹橋空港ターミナル2駅で地下鉄2号線に乗り換え
    地下鉄2号線車内

    路線図上では、あたかも浦東空港まで直通になっているように見えるのだが、実際には広蘭路が折り返し駅になっているため、ここでプラットフォーム反対側から出る支線に乗り換えなくてはいけないことを付け加えておく。

    あるいは、広蘭路の少し手前にある龍陽路から浦東空港との間を結ぶリニアモーターカーを利用することも可能だ。

    こんな面倒があるので、予約の際に気をつけるべきは上海に出入りするフライトが両方とも浦東空港からのものであることを購入前に確認することであることがわかった。通常、上海の国際空港といえば浦東空港だが、日本を含む一部方面のフライトについては、まったく違う場所にある虹橋空港から出るものもあるからだ。私の場合はそのケースにあたる。

    〈続く〉

  • チベットレストラン&カフェ タシデレ

    チベットレストラン&カフェ タシデレ

    日本では珍しい「チベット料理」を看板にするレストランが今年8月にオープンした。チベット系のアイテムを出すネパール料理はいくつもあるのだが、ここはチベット料理専門店を謳い、加えてインド料理も出している。

    店内にはチベット風の装飾がセンス良くあしらわれており、掲げられたタルチョの向こうには、深い青色の澄み切った空が見えてきそうな気がしてくる。

    在日歴14年になるチベット人店主は、生まれも育ちもインドであるため、チベット料理を柱に、インド料理も共存する。厨房で料理しているのはチベット人とインド人の料理人たち。いかにも在印チベットコミュニティの人らしい演出だ。

    都内や日本各地でこれから開催されるチベット関係のコンサートやイベントに関する情報も掲示されている。興味関心があれば、これまで知らなかった面白い出会いのきっかけになるかもしれない。

    まだ開店から日が浅いため知名度は高くないが、やがて知られてくると、フラリと立ち寄ってもなかなか席がない・・・という具合に繁盛するのではないかと期待している。

    ロケーションと連絡先等は以下のとおり。
    Tibetan Restaurant & Café TASHI DELEK
    所在地:東京都新宿区坂町26-21 四谷坂町永谷マンション 1F
    電話:03-6457-7255
    JR四ツ谷駅から徒歩10分
    都営新宿線曙橋駅から徒歩10分

  • 一品8,000Rsの料理

    一品8,000Rsの料理


    ムガル料理の老舗、オールドデリーのKarim’s本店にて食事。

    一頭まるごと焼き上げるのだそうだ

    メニューには、なんと8000ルピーもする「タンドゥーリー・バクラー」というのがある。店員に尋ねてみると、一頭分のマトンをタンドゥールで焼き上げるのだそうだ。

    「週にどのくらい出るの?」と聞けば、「そうそう注文が入るもんじゃないけど、週に3件くらいオーダーが来ることがある。20から25人くらいで分けられるよ」とのこと。

    とてもとても、そんな大きなものを注文できないが、もし機会があればぜひご相伴にあずかりたいものだ。

  • ムシャッラフ元大統領の生家

    ムシャッラフ元大統領の生家

    デリーのダリヤガンジでよく書籍類を購入する。パーキスターンの元大統領パルヴェーズ・ムシャッラフ氏が生まれた地域であり、2005年に彼が大統領在職時に訪印した際に訪れている。

    ダリヤガンジのGolcha Cinemaからデリーゲートに向かって少し歩いた先の右手にある左側の「MEHTA’S」というスナック屋のところで路地を少し入ったところにある。

    Golcha Cinema

    ここで画面左手にある小路へ

    道なりに進んでいくとすぐに袋小路に突き当たる。

    袋小路突き当りに向かって右側がその場所

    現在は新しい建物に建て替わっており、細部の仕上げが進行していた。近年までは荒れ果てたオリジナルの家屋があったらしい。その様子はYoutubeに動画でアップされている。父親はAligarh Muslim University卒業で、当時としてはエリートの部類に入る人物であったが、住まいは簡素であったようだ。

    Pak Prez Parvez Musharraf’s Chilhood Home – Nahar Wali Haveli (Youtube)

    おそらくムシャッラフの幼少時代には、ここの路地で近隣の子供たちと遊んでいたのだろう。界隈はヒンドゥーの人たちやヒンドゥー寺院が多い。印パ分離時に大勢のムスリムたちがパーキスターンに移住するまでは、ずいぶん異なった雰囲気であったことだろう。

  • アーグラーの近くで現代のタージマハル建設中

    元郵便局長のファイズル・ハサン・カードリー氏は、アーグラー近くのブランドシャヘル近郊の村の住民。3年前に亡くなった妻との間に子供はなかった。生前、「私が死んだら誰も思い出してくれる人はいないでしょうね」という妻の言葉に「いや、私が廟を建ててあげる」と答えたとのことだ。

    その約束を実行中のファイズル氏だが、経済面の問題から廟は完成していない。UP州CM(チーフ・ミニスター=州首相)のアキレーシュ・ヤーダヴが資金援助を申し出たりするのは、いかにもムスリム票獲得のためにイスラーム関係者の集会その他に足しげく通う、彼とその父親ムラーヤム・スィン・ヤーダヴが率いるサマージワーディー・パーティー(社会党)らしいところではある。

    ムガル朝第五代皇帝、シャー・ジャハーンが愛妃のために建設したタージマハルとは違い、大理石ではなく焼き煉瓦を積みあげて作る簡素な造りではあるものの、一般人がこうしたものを、私財を投じて建てるというのは大変なことだ。

    58年間連れ添った妻との愛のモニュメント。ファイズル氏が元気なうちに完成することを願いたい。

    Uttar Pradesh Government to Help Retired Man Build ‘Mini’ Taj Mahal in Bulandshahr (NDTV)

    Bulandshahr postmaster builds Taj Mahal in memory of his Mumtaz (Newzstreet)