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カテゴリー: society

  • スイス 最低収入保障制度導入なるか?

    本日は、インドとはまったく関係のない話題で恐縮である。

    今年、スイスで導入されようかというBasic Incomeと呼ばれる最低収入保証制度。このBasic Incomeというアイデアはかなり古くからあるようで、それ歴史についてはこちらをご参照願いたい。

    さて、仕事の有無に関係なく支給されるBasic Incomeだが、スイスにおいて給付されようとしている金額は、毎月成人には2500米ドル相当、子供には625米ドル相当のものなので、これは大きな金額だ。

    Switzerland Will Hold The World’s First Universal Basic Income Referendum (fastcoexist.com)

    右派は労働意欲の減退、左派は福祉政策の後退を懸念しているのだとか。最終的には国民投票で成否が決まる。

    財源大丈夫なのか?と不思議ではあるものの、夫婦と子供二人で、毎月6250米ドル相当が支給されるとなると、あまりに魅力的だ。

    だが、もし導入されたらさっさと仕事を辞める人が激増・・・ということにはならないようで、そういう人たちはわずか約2%という予測が出ている。

    SWITZERLAND: Only 2% of people would stop working if they had a basic income (BIEN)

    日本円で30万円の月収が保障されたとしても、日本よりもかなり物価が高く生活費(ただし教育にかかる費用は政府が手厚く支出しているので個人の負担はとても小さい)がかかること、導入されても、いつまで続くかわからないし、みんなが仕事をやめてしまうと、維持出来ないシステムなので、大半の人々はこれまで通りに仕事を続けるらしい。それでこそこのシステムが維持できるという訳でもある。

    よく、「欧米では・・・」などという下りを見かけるが、言うまでもなく、「欧」と「米」とでは、社会制度、とりわけ福祉や社会保障のありかた、労働者の権利擁護といった部分が大きく違う。両者が似ているのは「人の顔」くらいのものだろう。

    収入保証の考え方はともかく、欧州では手厚く、取得率も非常に高い勤労者への有給休暇制度も、なんと米国では法定ではなく、各事業所の判断。民業への政府による介入を極端に嫌うのは、市場の見えざる手により、適切に調整されるという思想というか幻想によるものだ。

    わずか800万人強という少ない人口の割には、旅行先で見かけるスイス人は多く、インドでもよく出会うのだが、とりわけ若いバックパッカーたちにとっては、このBasic Incomeという制度は大変魅力的かもしれない。

    これを頼りに旅を続ける?ということが可能であるかどうか(自国に居住していなくても受給出来るのかどうかは不明)はさておき、長旅を終えてから帰国後に直面することになる暮らしについて、経済的な不安を抱えることなく再スタートを切ることができる。

    人口が少ないながらも勤勉かつ着実に経済成長を続けている富裕な国であるがゆえに可能なことではあるが、貧富の格差拡大が社会問題になっている日本においては実現可能ではなくても、Basic Incomeという考え方については、私たちも学ぶべきではないかと思う。

    ※ゴーラクプル2ば後日掲載します。

  • インドでテロ警戒・・・の背後にあるもの

    インド発の ニュースでいろいろ流れているが、今回はこれまでのそれとは情報のソースがまったく異なるので、首をかしげている人は多いことと思う。

    内容としては「グジャラート州地域で、パキスタンから10名のテロリストが越境。Lashkar-E-Taiba および Jaish-eMuhammed (どちらも原理主義過激派武装組織)の戦闘員で、自爆テロを含む攻撃を仕掛ける可能性が高い」といったもの。
    ソースが異なるというのは、それをインド側に通報したのが、パキスタンのNational Security Advisorという機関であること。

    パキスタンの首相府の指揮直下にある組織だが、昨年末以来、テロ防止と過去の事件の解決のため最大限の協力を約束したナワーズ・シャリーフ首相がこれを実行したものと見ることも出来るものの、実際にこれまでテロ組織の援助や攻撃計画実行などに関わっているのは、首相府-国家安全保障組織のラインではなく、軍-軍直下のインテリジェンス機関。

    パキスタンでは「伝統的に」軍政が敷かれているとき以外は、前者文民政権と軍は対立・並立する関係にあり、こと隣国インドに対しては、せっかく文民政府が友好的なシグナルを送りつつも、これを後者が無きものとするような行為を繰り返してきた。先述のふたつの組織、どちらもパキスタン軍との協力・協働関係は深く、軍のインテリジェンス機関(ISI=Inter Services Intelligence 軍統合情報局)の預かり知らないところで、大型行動を起こすということは考えにくい。とりわけ軍が警備する国境地帯を抜けてということでもある。

    仮に、この情報が本当に事実に基づいたものであるとするならば、インドにテロリストが侵入してきたという事実以上に、「この情報をインド側にリークした」ということの背後に、もしかするとパキスタンの軍部で勢力を二分する大変なパワーゲームが展開されているのではないか?ということも想像できないことではない。ちなみにNational Security Advisorのトップもまた軍人のポストである。

    この一連の動きの中で、インドに侵入してきたテロリストたちが起こしうる事件と同様、あるいはそれ以上に危険なのは、パキスタン側の政府と軍の対立、加えてひょっとしたら生じているかもしれない軍の深刻な亀裂のほうであるかもしれない。

    ナワーズ・シャリーフ氏は90年代にも首相を務めたことがあり、1999年にパルヴェーズ・ムシャッラフ将軍によるクーデターで拘束され、軍事法廷により死刑を宣告されたものの、アメリカとサウジアラビアの介入により、サウジアラビアに脱出した後、亡命生活を余儀なくされた過去がある。同氏にとっては、かつて政敵であった故ベーナズィール・ブットー氏以上に、同国国軍は不倶戴天の敵。 今後のパキスタン国内政情が気にかかるところだ。

    Gujarat on high alert, 4 NSG teams rushed (THE HINDU)

    ※「ゴーラクプル2」は後日掲載します。

  • ゴーラクプル1

    ゴーラクプル1

    ベトナム寺院の宿坊で出発の準備。このお寺に起居する尼さん、坊さん、スタッフたちに挨拶をして、少し離れたところにあるメインストリートに出てバスを待つ。

    ほどなくゴーラクプル行きがやってきた。空席はなかったが、それでも押し合いへし合いするほどの混雑ではなかったのは幸いだ。クシーナガルから1時間15分ほどでゴーラクプルに到着。

    サイクルリクシャーでゴーラクプル駅へ。予約してある列車が夕方出発するまでしばらく時間がある。Eチケットに車両番号と座席番号が印字されていなくて、ただconfirmedと書かれているのみなので、念のため確認しておきたかった。駅長室隣にある事務所で尋ねてみると、午後1時くらいにチャートが作成されるまではコーチ番号も座席番号も出てこないとのこと。

    Gorakhpur Junction Station

    この人の名前からしてクリスチャンらしいというだけではなく、なかなか重厚で厳めしい英国風なので、ひょっとして?と思って尋ねてみると、やはりアングロインディアンであった。家の中では英語だけの環境で育ち、学校もイングリッシュ・ミディアムのところであったため、ちゃんとヒンディーを習ったことはないのだという。「もちろん土地の言葉なので、当然毎日しゃべっていますが、ヒンディーの読み書きは苦手です。」と言う。

    イギリスから渡ってきた曽祖父も鉄道員で、技術職であったとのことだ。軍と鉄道はいかにもアングロインディアン的な仕事だが、今でも就職の際の留保があるとのこと。同様に、国会に2議席留保されているよく知られた話だ。

    自宅で奥さんが作ったというブラウニーケーキを分けてくれたが、洋酒がしっかり効いている味は、いかにもアングロイディアン的である。通常、インド人のケーキならば洋酒は入らないのが普通だ。

    家の中では今でも「英国風」の暮らしをしていると言い、スマホに入っている写真をいろいろと見せてくれたが、家屋はインドの庶民そのものという感じで、裕福というわけではないようだ。身内には豪州その他に渡った人もいるというが、まだこのあたりにはかなり多くのアングロインディアンたちが暮らしているという。機会があれば、アングロインディアンの人たちのコミュニティの中で、彼らがどうやって生活しているのか、どういう仕事に就いているのかなどについて知りたいものだ。

    フェイスブックをやっているとのことで、その場でFB友達となった。これで何か質問があったらいつでも連絡できる。便利な時代になったものだ。

  • 建設後使われていない空港 74億円のムダ

    438.4 Crore Rs (約74億円)もかけて建設した15の地方空港が、完成から10年経過しても民間航空機の定期便が就航していないという事態になっているという。

    10 years and Rs 438.4 crore later, 15 airports yet to be on flight map (Aviation India)

    その15の空港には、ジャイサルメール、シムラーなども含まれているとのこと。ジャイサルメールに空港建設というニュースをだいぶ前に耳にしたときには、「飛行機で行けるようになるのか」と思ったのだが、その後まだ就航していない。そのジャイサルメール空港の現在の様子は以下の記事に写真入りで取り上げられている。

    No passengers or flights: India splurged $50 million on eight ghost airports (firstpost.com)

    こうした中でも、特にひどいのがマハーラーシュトラ州のゴーンディヤー空港だろう。国民会議派を中心とする連立政権、UPA (United Progressive Alliance)時代に航空大臣を務めたプラフル・パテール氏の肝いりで建設されたものだが、ゴーンディヤーはまさに氏の地元であり、我田引水そのもののプランであった。前述の438.4 Crore Rs (約74億円)の半分近い、207.6 Crore Rs (約35億円)もの巨費が投じられている。

    建設後、使用されていない空港について、現在の航空大臣は「就航先を決めるのは航空会社であり、各社それぞれの都合によるものであり、政府が決定するものではない。それは国営エアインディアについても同様。」と答えているが、計画そのものがいかにずさんであったかということだ。

    これでは納税者はたまらない。

  • 中国大使館@劉暁波プラザ 米国大使館@スノーデン路・・・

    アメリカ政府がワシントンにある駐米中華人民共和国大使館のある通りの名前をLiu Xiaobo Plaza(劉暁波プラザ)と変更するゾとやれば、中国では在北京のアメリカ大使館の通りを「スノーデン路」と変えるゾ!と応酬。子供のケンカじゃあるまいし。


    US Senate passes bill to change Chinese Embassy’s address to 1 Liu Xiaobo Plaza, Beijing not pleased (shanghailist)

    ‘Snowden Street’ next? Beijing angered by US plan to name street outside embassy after dissident (rt.com)

    インドでもこのような事例はある。もう昔々のことで、中央政府が仕掛けたわけではないのだが、西ベンガル州政府でインド共産党マルクス主義派が政権党となって間もないころ、コールカーターの米国領事館があるストリートの名前をHo Chi Minh Sarani (ホーチミン・ストリート)と改称している。

    U.S. Consulate in Kolkata, India (U.S. Consulate in Kolkata, India)

    同党は、1977年から2011に至るまで、州政府与党として君臨し、インド州政府においてはこれまで最も長い年月に渡る政権党であった。

    ま、こんな程度の意地の張り合いなら、大いにやっていただきたい。

  • インドとミャンマーの国境交流本格化へ

    もう2か月近く前のことになるが、こんな記事を目にした。

    Cabinet Nod for 69 Bridges in Myanmar Highway (Northeast Today)

    ミャンマー西部の国道建設にかかる援助プロジェクトで、マニプル州からの越境地点となるモレー/タムー国境から東進するルートになる。これは同州の州都インパールからマンダレー間で計画されている直通バスが通るコースでもあり、旅客のみならず二国間の物流面でも期待されている。

    このあたりは東南アジアと南アジアの境目であり、国境両側に様々な少数民族の豊かな生活文化が残されている地域でもあり、単なる通過点としてだけではなく、観光面からも期待されるものは決して少なくないことだろう。

    とりわけインドでは、近年になってから中央政府・北東各州政府ともに北東地域のツーリズム振興のために様々なキャンペーンを張っているものの、なかなかその効果は出ていないようだ。

    ひとつは、州によってはまだ治安情勢に不穏なものがあり、マニプル州もそうしたカテゴリーに含まれること、そして大きな遺跡や見栄えのする名所旧跡が数多く存在するわけではなく、どちらかといえば、地域の生活文化そのものが魅力という地味な地域であることがその主な理由であろう。

    さらには、ここを訪れてからどうするのかといえば、グワーハーティー、コールカーター等の大都市まで引き返してから、インド国内の他のところに向かう、あるいは周辺国に向かうということになる「地の果ての行き止まり」であったため、なおさらのこと、観光客が足を向けにくかったということがある。

    そんな状況もインパールからミャンマーのマンダレーへの直行バスが運行されるようになり、私たち外国人もそれを利用できるようになれば、ずいぶん違った具合になってくることと思われる。

    「ヤンゴンから入り、ミャンマー西部を訪れてから、インド北東州をあちこち見学、そしてコールカーターから帰国」といったルートがポピュラーになる日もそう遠くはないのかもしれない。

  • クシーナガル滞在2

    クシーナガル滞在2

    サモーサーを片手に散歩を開始

    クシーナガル到着の翌朝、最初にマハーパリニルヴァーナ寺院へ。仏陀入滅の地として知られるきれいに整備された遺跡だ。中央にはお堂があり、5世紀の作と言われる涅槃仏が置かれている。私が訪れた時には、タイの仏教徒集団が僧侶に率いられてタイ語で読経。同じく堂内にはミャンマーの一団もあった。こうした中で私もお堂の中に腰を下ろしてしばし瞑想してみる。

    ここでもやはり、いくつものブータン人のグループが来ていた。本日出会ったこうした団体は年配者が多く、引率しているお坊さんによると、帰る日はまだ決めていないとのこと。すでに引退している年齢のようなので、時間はたっぷりあるのだろう。こうした年配者でもけっこうヒンディーが出来るのは、いかにもブータン人らしいところだ。

    ブータンからのご一行。グループには他に十数名の方々があった。

    ここからさらに進むと道路が左側に折れている。ちょうどその折れるところにマーター・クンアル寺院という遺跡がある。ここは、ブッダが亡くなる前に最後の説法をしたところであるとされる。

    マーター・クンアル寺院

    ここから向こうにはチベット寺、インド・スリランカ寺、韓国寺などがある。大韓寺という韓国寺には質実剛健そうな僧侶がいたが、なんとひとりで頑張っているとのこと。ここに来て2年だそうだ。これらの寺については、正直なところボドガヤーにははるか及ばないし、ルンビニーと比較してもかなり見劣りがする。

    チベット寺

    韓国寺

    さらに進んでいくとタイ寺がある。敷地がとこりわけ広く、建物も立派だ。ここにも宿坊があるのだが、タイ人しか泊めないらしい。それは残念。とても快適そうであるのだが。

    タイ寺

    このタイ寺の正面にも同様にタイ様式の建物があるが、それはクリニックであった。各国の寺は社会事業にも熱心なようだが、タイ寺はこのクリニック、そして私が宿泊しているベトナムの寺はタイのクリニックの少し先で、学校を運営している。

    タイ寺が運営するクリニック

    ベトナム寺が運営する学校

    もっと先に進んでいこう。右手にインペリアルホテルという高級ホテルがあり、立ち寄ってみる。昼にはバイキングがあるとのこと。600Rsだそうだ。

    さらに行くと右手に仏塔が見えたので集落の中に入っていくと入口があったが、忙しいのかお勤めの最終なのか、閉ざされたゲートには誰も出てこなかった。チベット仏教系の寺院ではあるようだ。仏跡では往々にしていくつものチベット仏教のお寺がある。インドで根を下ろして活動している様々な宗派が競うようにして、こうした場所にお寺を開のであろう。

    最後にラーマーバール・ストゥーパを訪れた。ここは仏陀が荼毘に付されたとされるところである。今回はいくつかの仏蹟を回ったが、昔はこうしたところに興味がなかったものの、今になってから来ると、なかなか味わいがあっていいのものだ。

    仏陀が荼毘に付されたとされる場所

    サトウキビジュース屋さんは子供たちの人気者
  • 第3回アフガニスタン凧揚げ大会

    アフガニスタン大使館主催の凧揚げ大会というのがあるのだそうだ。2014年から開催されており、今年で3回目とのこと。
    日時は2月28日(日)の午前10時から午後1時まで、場所は東急多摩川線の下丸子駅近くの多摩川河川敷。
    インド、パキスタン、バングラデシュなど南アジアの国々ではポピュラーな凧揚げだが、アフガニスタンでもまた同様に伝統的に人気がある。
    同国では、ターリバーン時代には禁じられていたようだが、その後また人々の間で親しまれているらしい。
    さて、この催しではアフガニスタン式の凧と和式の凧が用意されると告知されている。会場に出向いて凧揚げを楽しんでみたり、そこに集っている在日アフガニスタンの方々とおしゃべりに興じたりしてみると、素敵な休日となることだろう。

    第3回アフガニスタン凧揚げ大会 (在日アフガニスタン大使館)

    ※「クシーナガル滞在2」は、後日掲載します。

  • クシーナガル滞在1

    クシーナガル滞在1

    ネパール国境からゴーラクプルに到着。駅近くのバスの発着場クシーナガルまでは1時間半ほど。本日の宿泊先は、Linh–Son Vietnamese Chinese Templeというベトナム寺院の宿坊。

    ベトナム寺院のお堂

    寄進者の名前のようだ。
    寺院の広報用ポスター
    ベトナム寺院の宿坊

    ここの尼さんとしばらく話したが、すでに27年間もインドとネパールで修行を続けており、普段はルンビニーの同名のお寺にいることが多いのだとか。昨日まで滞在していたルンビニーで、そのお寺の前を通りかかってはいたのだが門が閉ざされていた。尼さんは、「声かければ開けてくれたのに」と言うが、現在ルンビニーを訪れる人が少ないため、あまり開けていないことが多いのだそうだが、そこでも宿泊は可能であるとのこと。

    隣には大きなストゥーパがそびえるミャンマー寺院があり、食べ物はパッとしないクシーナガルで、なかなか美味しいものにありつけるのはその脇にあるYama Caféというベンガル人が経営するお店。クシーナガルに着いたときにはすでに夕方になっていたので、ここで大変遅い昼食を取る。

    ベトナム寺院の隣にはミャンマー寺院がある。

    ミャンマー寺院入口脇にあるYama Cafe
    Yama Cafeで午後の大変遅い時間帯に「昼食」

    そのわずか2時間後にはベトナム寺で頼んだ夕食を僧侶や尼僧と一緒にいただく。ベトナム人ではない僧侶も一名いたが、この人はヒマーチャルのキンナウル地方から来たとのこと。キンナウルには色白で目鼻立ちのはっきりしたアーリア系の人々が暮らす地域もあるが、この人は欧州人のような風貌であった。

    食事はベトナム風の野菜炒めと野菜スープ、そしてご飯、ダールとチーズ、チャパーティーという、越印折衷の菜食料理。地元のインド人の世話人が調理している。尼さんは長年のインド在住の間、これまで幾多の寺や寺関係施設の建設を手掛けたとのこと。小柄で笑みを絶やさないが、とても芯が強くて精力的な人なのだろう。

    この人が歩んできた人生については、マレーシアのメディアで取り上げられている。
    A Vietnamese nun lives out her dream to help the destitute in India (thestar.com)

    地縁もないところで大きなものを造り、それを維持発展させていく外国人僧侶たちには、無一物の行者が持ち合わせない、有能な営業マン的な感覚と政治的能力が求められる。尼さんがここに来た時には小さなお堂がひとつあるだけであったとのことで、「無の中から造り出さなければならなかった」とのことだが、それを自慢することなく、いついつにこの本堂が出来て、宿泊棟が完成したのは何年前のことで、と実に楽しそうに話してくれる。この寺院はクシーナガルで経済的に恵まれない家庭の子供たちのための学校も運営している。

    境内に漢字で書かれた中国人名の寄進者の名前があったり、寺院の英文名に「Linh–Son Vietnamese Chinese Temple」とあることから、ひょっとすると台湾に移住したベトナム華僑(ベトナム戦争中や南ベトナム陥落後に台湾に移住した華人は多い)と関連があるのかと思ったりしたのだが、そうではないとのこと。

    「香港の篤志家の方と知り合う機会を得てね、その方の寄進でお寺を建てることが出来たのよ。その後にも台湾の方とか中国系の方々とのご縁もあったから、Chineseという名前も付けているの。」

    インドで暮らしている人たちにもいろいろあり、仏教界の人々のそれはまた俗世の人たちのそれと違うようでいて、実際にはそうした社会生活、経済生活が必要であり、寺院の維持発展のためにも、俗世と仏門の間の境界は限りなく低いのかもしれない。

    上階には法要等を営むことの出来る広いスペースがあり、それと隣り合わせて尼さんの執務室があり、規模は大きくないが、きちんと整頓されていて、いかにもデキる人のオフィスという印象。

    尼さんよりもひと回り以上年下と思われる僧侶のほうは、ここに来て2年半とのことだが、その前はアメリカにいたとのこと。家族と一緒で、仕事をしていたということだが、それでなぜ今ここにいるのかについては、さすがに尋ねることはできない。

  • 再びネパール・インド国境へ

    再びネパール・インド国境へ

    このあたりの景色はまったくヒンドゥスターン平原と同じだ。霧が出ているのは前日の朝もそうであったが、薄いところもあればいきなり濃くなっているところもある。霧というものはいつもそうだが、かなり濃淡がある。ある地点では道路脇の様子さえもよく見えなかったり、しばらく見通しが良くなったりする。

    走るクルマのないガラガラの道をひた進む。ときたま通り過ぎるのはバイクのみ。中央政府が制定した新憲法が、マデースィー(平原部に暮らすインド系の人たちに不利な内容であることから、これに反対する地元政党がオーガナイズしたチャッカージャーム(交通封鎖)によるものである。

    バンド(ゼネスト)、ハルタール(組織的怠業)、チャッカージャーム(交通封鎖)といった抗議活動はインド譲りのものだが、イギリス植民地時代末期のインドにおける不服従運動で盛んに展開された手法。

    もう何カ月もバスの往来が停止しているため、バススタンドはただの広場にしか見えず、ここがそうだと言われなければ気付かないだろう。

    しばらく進むとトラックが何台か見えてきた。時間を限って、通行が許された工業地帯へ原料を運んだり、製品を搬出したりということがなされているとのこと。やがて無数のトラックの群れとなり、しばし渋滞。先のほうで検問でもあるらしい。なんとかある程度の供給と搬出を確保するほど「政治力」のある企業はまだいいが、そうでないところではもう4カ月も何もできないことになる。ひどい話である。

    通行が許される限られた時間に集中するトラックの群れ

    さらに進んでいくとバイラワに至る。これまでの閑散とした道路とはまったく異なり、クルマがかなり多く、「普通の世界に戻ってきた」という気がする。だが沿道では大きなポリタンでガソリンを商う人たちがいる。インドによるブロッケードによる影響だ。しかしながら、こうした物資の不足とネパール独自の会社の広告があることを除けば、ここがインドと言ってもわからないだろう。

    バイラワーに入った。早朝なので交通量は少ないが、ここまで来るとクルマは普通に走行している。

    国境の町、ベールヒヤーに到着した。ここで朝食のためにおそらくここで一番いい宿泊施設のホテル・アーカーシュ(といっても粗末なものだが)の食堂でトースト、オムレツとチャーイの朝食を頼む。併設されている両替所で、使い残したネパールルピーからインドルピーに交換する。

    国境の町ベールヒヤーで朝食

    ネパール側のイミグレーションには職員以外は誰もおらず、出国手続きは即座に完了。ネパール人とインド人はフリーパスなので、ここに立ち寄るのは私たちのような第三国の人間だけだ。

    国境のネパール側、ベールヒヤーの町

    もう四半世紀以上も前のことになるのだが、初めての海外旅行で、同行した二人の友人たちと、インド側からネパール側に越えたのはこの国境であった。少し町が大きくなったり、建物が増えたりしているのかもしれないが、当時もこんな感じのゴミゴミした町並みであったように思う。確か国境を越えてネパール側のイミグレーションのすぐ脇のゲストハウスに宿泊したと記憶している。翌日の朝に出発して午後にポカラに着いた。途中で見え始めたヒマラヤの雪を被った峰に心躍ったことを思いだす。

    ネパール側イミグレーションでの手続を終えた。ゲートの向こうはインド。

    閑散たる状況は、国境を徒歩で越えた先のインド側の町、スナウリーでも同様だ。シーズンなのにこの状態は異常だ。昨年の大地震、同じく昨年の雨季後半から続く憲法問題による政治問題で、ネパール最大の産業である観光業が、いかに大きな打撃を受けているかということは想像に難くない。

    インド側に入ると、これまた粗末な町並みだが、ネパール側よりも人が多いようだ。またネパール側のように近隣から出てきた山の民の姿がないので、やはり違う国に来たという思いがする。

    ネパール側でもヒンディーは通じるのだが、やはりそこの言葉ではないため、マデースィーの人たちを除けば、当たり前の顔をしてそれで話しかけるのはちょっと気が引けるような思いがする。インド人ではない、明らかに他国の私のような者が、ヒンディーで話しかけると、一瞬戸惑うような素振りを見せる人は少なくないようであった。もちろんそうした人たちでも、程度の差こそあれ、ちゃんと理解するし、にこやかに返事もしてくれるとはいえ。

    インド側に入ると、そういうムードはまったく無くなり、ごく当然のこととしてコミュニケーションできるのだから、やはり「そこに国境がある」だけで、その両側の雰囲気は自然と大きく異なるものとなる。

    国境のインド側に入ると、ブロッケードのため、長蛇の列となっているトラックの果てしない車列が続いている。

    インド側の町スナウリーでは、インドによるネパールに対する封鎖により留め置かれているトラックの長い車列を目にする。

    イミグレーションの少し先に進むと、バスの発着場がある。私が乗ったバスの終着地はバナーラス。私はゴーラクプルで途中下車する。州営のバスなので、時間になるとさっさと出発してくれる。私営のように一杯になるまで客集めするわけではないのがいい。

    バスの終着地はバナーラス。向かって右のヘッドライトの上の黄色地に赤文字の表示で「ワーラーナスィー(バナーラスとも言う)とある。

    前を走るのは、私の乗るバナーラス行きと同時に出発したバス。これもまたUP州営バスで、後部に「スナウリーからデリー行き」とヒンディーで書かれている。

    少々驚いたのだが、ここからデリーに向かうバスもある。これまたこの州の州営バスである。直角シートで窮屈な車内とオンボロ車両。これは20数年前とちっとも変わらないが、こんなバスでデリーまで行くのはさぞ疲れることだろう。

    インド側に入ると、景色も大きくなったように感じるが、これは気のせいに違いない。バスは出発してひた走る。途中一度休憩が入った。最終的にゴーラクプルまでは、3時間半。ゴーラクプル郊外に入ってから渋滞がひどかったり、道路がこれまたひどかったりで、1時間はそれで費やされている。乗合ジープだと2時間程度というので、それを利用するのがベターだろう。

  • 世界最安値のスマホ たったの251Rs!

    世界最安値のスマホ たったの251Rs!

    これは驚愕の安値。わずか251Rs(約420円)でスマホを買えるなんて。Ringing Bellsという2015年に設立されたばかりの無名メーカーから発売されるFreedom251という製品だ。

    画面サイズは4インチと小さく、RAMは1GB で内部ストレージは 8GBと、「だいぶ前のスマホ」といった感じだが、OSはAndroid 5.1 Lollipopで、プロセッサーは1.3GHz quad-core なので、「ちゃんと使えるスマホ」であるようだ。しかも背面だけではなく、全面にもカメラが付いており、自撮りも出来るようになっている。「必要にして充分」なスペックながらも、わずか251Rsで購入できるとは!

    実機に触れていないので何とも言えないとはいえ、背面に大きくあしらわれたティランガー(インド国旗)もまたカッコ良く、破格の安値であることからも、これは「買い」である。

    Freedom 251 First Look (Youtube)

    Everything that is wrong with the world’s cheapest smartphone (Hindustan Times)

  • ルンビニー滞在2

    ルンビニー滞在2

    ルンビニーで数多い各国の仏教寺院の中で、とりわけ気入ったものがみっつある。まずは大きな中華寺。私が入るときに、大きな荷物をゴロゴロさせて出てくる若い旅行者がいた。おそらく中国人だろう。こ本堂に向かって右手に宿坊を含むと思われる事務棟らしき建物がある。とてもきれいで、空調の室外機がいくつも見えるため、真夏でも快適に過ごせるにことと思う。

    最近の中国の勢いを示しているかのようであるとともに、中国にとってもこの国で中国の威光を見せつけるために、資金をふんだんに注いでいるのではなかろうか。ここで、中国の宗教団体が政府の意図とは無関係に行動しているとは思えないので、多分に政府の息がかかり、意図に従う組織ではないかとも思ったりする。それにしてもこの中国寺院は飛び抜けて美しく豪華だ。

    大乗仏教で、日本に近いところから来たものなので、やはり私たちに馴染みの深い雰囲気がある。お堂に置かれた木魚も日本のそれとそっくりだ。僧侶に尋ねてみると中国の深圳から来ているとのこと。僧侶は8名いるそうだ。この方といろいろ話をしてみたかったのだが、英語もヒンディーも理解せず、私の片言の中国語ではせいぜいこのくらいが限界であり、ちょっと残念

    大人に引率された袈裟を来た僧籍の子供たちの集団がどやどやと入ってくる。聞けば、ムスタンから来たとのこと。スマホやタブレットを手にした年かさの者もあり、盛んに写真を撮っている。ちょっと質問すると複数の子たちから元気な返事が返ってくる。ムスタンの人と声交わすのは、今回のボドガヤー以来、私にとって2回目だ。よく知らないが案外社交的な気質なのかもしれない。

    ムスタンから来た少年僧たちの集団
    ムスタンのやんちゃな小坊主たち

    もうひとつは、Gedan Internationalという、欧州で活動するチベット仏教団体が建てたもの。スイス、オーストリア、ドイツ、オランダ、フランス、ハンガリー、チェコ等で活動しているらしい。近年、欧州ではチベット経由の仏教徒となる人が少なくないようだが、その背景にはこのように欧州で活動する教団が増えていることがある。

    アメリカでもかつては禅が東洋の仏教の代表格であったが、今はチベット仏教のプレゼンスが高まっているという。ダライラマが長年続けてきた積極的な外遊により、チベットへの関心が高まったことがあると言えるだろう。
    さてこの寺だが、建物が「蔵欧折衷」になっている。「グレコ・チベット建築」とでも形容できるような、不思議なものだ。僧坊も洋館になっているし、ご本尊にあたるところに通常の仏像があるのではなく、まさにキリストの降誕の図を仏教に置き換えた形で、ブッダ誕生のそれをフィギュアで表現したものが祭られている。

    こんな風変りなチベット寺院はこれまで見たことがなかった。敷地内にふたつの大きなチョルテンがあることを除けば、少なくとも外観からはこれがチベット仏教寺院とは気が付かないだろう。

    ゴータマ・シッダールタ誕生の図。クリスチャンの「キリスト生誕」と似た構図になっている。

    そして最後は、ベトナム寺院を訪問。中国風にひねりをふたつもみっつも加えたような意匠が面白い。中国寺院に曲線を多用したような、独自の味わいは、まさにベトナムらしいところだ。家具などでもそういう部分がある。そしてこういう伝統的なものでは漢字が多用されるのも特徴。実際に読むことができる人はほとんどいなくても、元々は漢字の国であるだけに、伝統として大切にしているのだろう。境内にしつらえてある庭園の橋もまた、ずいぶん曲線的に盛り上がるベトナム式のもので、これまた目を楽しませてくれる。