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カテゴリー: society

  • シュリーナガルの水上マーケット

    シュリーナガルの水上マーケット

    午前5時あたりになると、外が次第に明るくなってきたので宿から外出してダル湖へ。すでにシカラの漕ぎ手たちは客待ちをしている。

    彼らは、先端がハートのような形になっている木製のオール一本で漕ぐのだが、思いのほかスピード感があるのは静止した水の上を進むからだろう。屋根がついていて、座席も広いのでとても快適だ。漕ぎ手なしで一日借り切って、シカラ上でのんびり過ごせたらいいだろうな、などと想像してしまう。鏡のように静まり返った湖面に浮かぶハウスボートを横目に見ながら、細い水路へと入っていく。













    時おり行き交う舟があり、それらに野菜を満載していたり、漕ぎ手が魚を捕っていたりする。水路には雑貨屋があったりするが、こういうところでは舟で来る人だけが買い物をするのだろう。よくわからないのは、ハンディクラフトや衣類の店のボートもあったりすることだ。こういうところにはシカラで連れて来られる観光客や付近のハウスボートに泊まっている客が差し向けられるくらいのものだろう。



    湖に浮かぶ野菜畑。潅漑の必要がなく、養分を含んだ水分が湖から直接吸い上げられるので、作物の成育には良いことだろう。こうしたエリアは限られているようだが、水郷といった雰囲気がある。スリナガルはこうした湖と市内を流れるジェラム河の賜物だ。

    やがて水上マーケットに到着。観光局のパンフレットには、「バンコクの水上マーケットに次ぐ規模」と書かれているのだが、そういう具合では全くなかった。何しろ、ここで商う舟は、ごく数えるほどしかない。宿のマネージャーが「2014年の洪水後はとても小さくなっているのでガッカリするよ」と言っていたが、まさにそのとおりであった。




    それでも、早朝の静かな時間帯に、こうして湖面をゆったりと進んでいくのは大変心地よかった。

  • 流行る宿の秘訣

    流行る宿の秘訣

    どこの国でもそうだが、流行る宿には共通するものがある。

    料金の割に部屋がきれいであったり、スタッフがフレンドリーであったり、マネージャーが強欲ではなかったり、部屋かロビーでWi-Fiが利用できたりということは当然だが、誰もが自由に出入り出来て、勝手なおしゃべりを繰り広げることが出来るスペースがあるものだ。

    掲載した画像は早朝に撮影したので無人だが、シュリーナガルでの宿泊先はそんな場所。宿泊客がいつも出入りしていて、そんなおしゃべりの中で知り合った人たちとクルマをシェアしたり、どこか食事に出かけたりする。

    この宿のお喋りなマネージャーは、いつもロビーで宿泊客の話し相手をしているのだが、誰かがクルマの手配を依頼しても、「すぐそこにタクシースタンドがありますから、直接出向いて交渉したほうが安くつきますよ。」と、素っ気ないほど商売っ気がないのも良い。

    周囲には同じくらいの料金帯の宿が山ほどあれども、ここはいつも満室なのは、こういうところに違いがあったりする。

  • シュリーナガルへ

    シュリーナガルへ

    以前、シュリーナガルを訪れたのは1988年。この前年3月に実施された州議会選挙における不正疑惑を発端として、従前から根強かった反インド感情を背景に、抗議活動から武装組織へと発展していったのが80年代末から90年代のこと。

    現地の反政府組織を通じて、隣国パーキスターンによる干渉もあり、泥沼化の一途をたどることとなった。血を血で洗う抗争、爆弾テロ、誘拐・殺害事件等々の暴力に対応すべく、これを力で抑え込もうとした治安当局による市民への拷問を含む人権侵害は、この地でインドに対するさらなる不信感を高めるという皮肉な結果となり、負の連鎖が続いていた。

    風光明媚なカシミール最大の産業であった観光業は、当然の結果として惨憺たる状態となる。この地をロケで利用することの多かったインドの映画産業も、治安の悪化を受けて、山あいのシーンの撮影地をヒマーチャル・プラデーシュ等に移している。

    カシミールの手工芸品という国内外で引き合いの多い優れた品物さえあれば、どこでも仕事ができる商売人たちが、インド各地にこの取り引きのために拡散していくこととなった。隣国ネパールのカトマンズなどで、こうした商品を手掛ける商売人たちは、この時期に進出したというケースが多いようだ。

    私が前回ここを訪れたときは、暴力の嵐が吹き荒れるようになる少し前であったため、特に危険があったわけではないのだが、人々と話をすればするほど、「これから何か起きるかもしれない」と感じさせる不穏な空気はあった。

    ようやく2000年代に入ってしばらくしたあたりで平和のきざしが見られるようになり、2007年あたりから内外の観光客が足を向けるようになってきている。

    ただし、かつてのような身の危険はないとはいえ、ひとたび何か政治的な問題が発生すると、一気に燃え上がり、政府側はこれに対して迅速に手を打つので、何も知らずに訪れた観光客は、「知らないうちに何か起きていて、あっという間に外出禁止令が敷かれていた」という状況になってしまうことがしばしばあるようだ。

    AFSP (The Armed Forces Special Power Act)という特別法が敷かれている地域であるため、そうした摩擦は少なくない。このAFSPは、治安維持と共和国としての統一を図るための苦肉の策とも言えるものだが、「世界最大の身民主主義国家」を自負するインドにおける「マイノリティの民族主義運動とせめぎ合う民主主義の限界点」が如実に現れているものでもある。このような特別法が北東インドでも敷かれている。

    しかしながら、久しぶりに訪れるシュリーナガルの湖の景色は、やはり素晴らしいものであり、しつこい商売人たちを除けば、人々は温厚かつ友好的である。この地に真の平和が訪れることを願わずにはいられない。

  • ムガル最後の皇帝 バハードゥル・シャー・ザファルの墓所

    ムガル最後の皇帝 バハードゥル・シャー・ザファルの墓所

    ムガル最後の皇帝ザファルの墓はミャンマーのヤンゴンにある。

    バハードゥル・シャー・ザファルのダルガー (indo.to)

    ザファルは、ウルドゥー詩人としても高名だが、一部ではスーフィーの聖人としても崇められている。彼が埋葬されている場所は、その聖人としてのザファルを祀るダルガー(聖者廟)となっており、金曜日にはヤンゴン在住のインド系ムスリムたちが多数出入りする。シュエダゴォン・パゴダから南へ1.5kmほど進んだところにある。ここにそのロケーションを示すリンクを示しておこう。

    1857年に発生したインド大反乱の名目上の旗印として担ぎ出された当時のムガル皇帝であったザファル。同年9月にイギリスは王宮であったラールキラーを陥落させる。数日後にデリーがイギリスに制圧後すぐに捕らえられ、王妃ズィーナト・メヘルと嫡子のミルザー・ジャワーン・バクト、そして側室の子であるミルザー・シャー・アッバースとともにデリーからビルマのラングーン(現在のミャンマーのヤンゴン)に島流しとなる。ザファルは1862年に同地で亡くなり、秘密裡に埋葬された。

    イギリス当局は流刑先にあっても元皇帝の死後における影響力を危惧し、その後30年間ほどこの場所を立ち入り禁止した。そして亡骸が埋葬されている地点を正確に示すことはなかった。そのため「このあたりに埋められたらしい」といった程度の情報しか人々は知ることができなかったようだ。時の流れとともに、事実を知るわずかな人々もこの世を去っていく。

    やがて1935年にようやくバハードゥル・シャー・ザファルの子孫にあたる人物が運営していたムスリム団体による管理が認められ、この地所が政府から引き渡される。その後長らくムガル最後の皇帝の正確な埋葬地点は不明だったが、ようやく1991年にレンガ積みからなるオリジナルの墓石が地下から発見されることとなった。その年にインドの援助により礼拝所が建設されることとなり、現在の姿となっている。

    さて、異国で失意のうちに生涯を閉じることになったムガル最後の皇帝ザファルだが、大反乱が起きる前、すでに墓所がデリーに用意されていた。以下の画像がそれである。

    上の画像左上から右下へ

    アクバル・シャーII
    (在位1806 年~1837年)
    第16代ムガル皇帝 (バハードゥル・シャー・ザファルの父)

    シャー・アーラムII
    (在位1760年~1806年)
    第15代ムガル皇帝(バハードゥル・シャー・ザファルの祖父)

    バハードゥル・シャー・ザファル(バハードゥル・シャーII)
    (在位1837年~1857年)
    第17代ムガル皇帝
    ※墓石がなく、雑草が生い茂っている部分

    ミルザー・ファクルー
    バハードゥル・シャー・ザファルの跡取りになることが決まっていた王子。大反乱が起きる前年の1856年にコレラで死亡

    この墓所の外観は以下のような具合だ。

    これは、南デリーのメヘローリーにあるザファル・メヘルという離宮内にある。父であり、先代の皇帝であったアクバル・シャーIIの時代に建築が開始され、ザファルが完成させた。ザファルは、この場所がお気に入りであったようで、しばしば狩猟や余暇を楽しむためにここを訪れていたという。

    現在では南デリーの市街地となっているが、1960年代くらいまで、このエリアには何もなく、原生林に囲まれていたらしい。だが、ザファルがデリーに生きていた時代から、この離宮に隣接するダルガー(クトゥブッディーン・バクティヤール・カーキーの聖者廟)は、デリーに存在する最古のダルガーのひとつとされるため、このあたりには何がしかの集落があったのだろう。ザファル・メヘルから、そのダルガーの飾り立てられたドーム部分が覗いている。(下の画像右側)

    ちなみにイギリスによるデリー制圧後、ザファル一行が捕らえられたとされるのは、このメヘローリー界隈。当然、その現場はザファル・メヘルかその付近であったと考えるのが自然だ。

    全盛期には数々の素晴らしい建築を残し、皇帝や妃の死後のために壮大かつ流麗な廟を建てたムガル帝国も、末期では皇帝の亡骸も離宮の中で簡素に葬られるのみであったことに、帝国の栄枯盛衰を想わずにはいられない。タージ・メヘルやフマユーン廟に負けず劣らずの歴史的価値がこの簡素な墓所にあるとも言える。

  • KASHMIRI WAZWAN

    KASHMIRI WAZWAN

    デリー在住の方に極上のカシミール料理屋さんに連れて行っていただいた。

    注文してから、どんなものが出てくるのかとワクワクしていたが、どれも上品な味わい、そして繊細な美味しさ。アフガニスタンの料理を思わせるものがあるが、これもやはりペルシャ料理の影響を強く受けているようだ。ヨーグルトやチーズの類をふんだんに使い、辛さの少ないマイルドな味わい。

    出てきた料理のひとつにこういうものがあった。大きな豆腐ステーキ風のパニールがトマト風味のグレービーに入っているもの。

    この店で主食はご飯ものしか作っていないが、ナーンやチャパーティーの類も近隣の店から調達してくれる。膨大なムスリム人口を抱えるエリアなので、極上のルマーリー・ローティー(コシのある薄くて大きな「ハンカチ・ローティー」も取り寄せてもらえる。

    店のスタッフは全員カシミールの人たちで、お客さんたちもほとんどがカシミーリーであった。インドの食の世界は奥深いが、南アジアきってのメトロポリタンの代表格のひとつ、デリーの外食の楽しみの幅もこれまた大変に広い。

    KASHMIRI WAZWANという小さな店で、オールドデリーのジャマー・マスジッドのゲートNo.1近くにある。目印としては、あまりに有名なKarim’sに入る路地の斜向かいにある。1階部分(インド式に言えば、グラウンドフロアー)は主に長距離バスチケットを売る旅行代理店と携帯電話&SIMカード販売店となっており、上階でこのレストランが営業している。

  • ミターイーの魅力

    ミターイーの魅力

    食の大国インド、料理以外にもミターイーのミルキーで豊かな味わいの素晴らしさにはいつもながら敬服する。日本においてはバリエーションには乏しいものの、カレー屋さんの類はいろいろあるのに較べて、ミターイーについては、インド系の雑貨屋さんでわずかに置かれている程度で、出来もあまり良くなかったりするのが残念。

    大手のチェーン店では、各種の美麗な菓子類が冷やして陳列されているが、ビカネールワーラーその他のこうした企業が日本に進出して店舗を開いた日には、大変なブームになるのではないか?と個人的に想像している。こうした店で提供されるミターイーは、都会の中産階級の人々を中心とする健康志向もあってか、ほどほどの甘さであったり、中にはノンシュガーのアイテムもあったりする。画像にある3点のうち、上部にあるのは「ノンシュガーのラース・マライ」である。

    だが、個人営業の店でも独自で優れた逸品を提供する店もある。下の画像のイチゴの形をした「カージュー・セーブ」はオールドデリーで売られていた。その名のとおり、カシューナッツとリンゴがベースになっており、とてもフルーティーな味わいであった。店主の甘味類への飽くなき研究心とそれを支える顧客たちのスイーツへの愛着が、こうした珍品を世に送り出すこととなるのだ。

  • 電気式オートリクシャー

    電気式オートリクシャー

    インドで、デリーをはじめとする大都市圏を中心に、環境への配慮により電気式のオートリクシャーが導入されて久しい。最初はピカピカで物珍しく見えた車両もすっかり煤けてきて、街の風景に馴染んでいる。

    一度フル充電すると80km走行が可能とのことなので、通常のオートリクシャーよりも走行可能距離の面で不利なので、主に街中で短距離間の往来に用いられる。まさにそうしたエリアこそが排ガス等による汚染がひどい地域なので、電気式オートリクシャーが活躍するのにふさわしいと言える。今後、バッテリー容量の改善が進んでいくであろうことを期待したい。

    加速や最高速度はCNGやガソリンエンジンのオートに対して見劣りはするものの、エンジンによる振動や騒音なしで、スス~ッと滑るように進んでいくので乗車していても心地よい。

    デリー等の路上とは関係ないが、alibaba.comにて、いろいろな電気式のオート三輪が販売されており、こうした中から1台購入して、街乗りに使ってみたいものだと思ったりもする。

  • 朗報 インド国鉄機関車にACとトイレ導入

    通常、インド国鉄の機関車にはトイレがない。長距離を走る列車の場合、途中で運転士の交代はあっても、腹具合が悪くなることもあるだろう。鉄道の運転士はかなりの激務で、40歳を越えたあたりで、続かなくなるケースも少なくないと聞く。

    もう何年も前から、「もうじき機関車にトイレを導入」「機関車内にトイレを設置することとなった」という記事はしばしば目にしていたものの、ここにきてようやく実現することとなった。

    さて、このたび貨物列車用の機関車に空調とともに備えられたトイレだが、安全上の理由から、機関車が停止してブレーキがかかっている状態でのみ、トイレのドアを開けることができるようになっているのだという。

    鉄道予約や上級クラスの客車内の設備等に比較して、運行に直接関わるハード面での整備はまだまだ遅れているので、このような面からも少しずつ改善がなされていくことは、イン鉄ファンとしては喜ばしい。まずは乗客全員の命を預かる運転士に、万全の体勢で職務に臨んでもらうのは当然のことである。

    Railways launches first diesel locomotive with AC vaccum toilet for train drivers (The Financial Express)

    After 163 Years, Indian Railways To Finally Install Bio-Toilets In Train Engines For Drivers (indiatimes)

  • 燃える土地 ジャリヤー

    ジャールカンド州の州都ラーンチーから東に位置するダンバード地区の西ベンガル州境附近のジャリヤー(झरिया)は英領期から長きに渡って炭鉱で栄えてきた土地。最寄りの鉄道駅はダンバード・ジャンクション。ここはシャターブディー・エクスプレスその他のメジャーな列車が停車する大きな駅だ。

    現在、インドでは製鉄業を中心に、燃料の2/3は石炭が使用されるという。インド自身、世界第三位の石炭産出量を誇るが、実にその3/4はここから採掘されている。ここではCoal India Ltd.やBharat Coking Coal Ltd.といった、この分野ではインドを代表する大きな政府系企業が操業している。

    400平方キロメートルの面積に75もの炭鉱があるというほど集中しているが、そのエリアには100万人超の人口を抱えていることも特筆される。この地域では、石炭の埋蔵量が豊富であることだけではなく、地表近くに鉱脈があることでも知られており、それがゆえに採掘が容易である。ゆえに違法採掘が絶えないだけではなく、住民たちの中で炭鉱労働に従事してはない人たちも簡単に石炭を採取しては売りさばくといった形で、家計の足しにしていたりする例も数多いという。

    この地域に住む人たちは部族民が中心だ。しかしながらこれを取引するのは地域外の人たちである。地下資源に恵まれながらも、外界から搾取される存在であるという矛盾がある。
    こうした土地なので、政治で暗躍する人たちや炭鉱マフィアたちのパワーゲームが常時展開する暴力的な風土もあるらしい。

    地表近くに鉱脈があることによる利点と同時にデメリットも大きい。河川や土地の汚染はもちろんのことだが、住宅のすぐ脇から火が噴いていたり、100年以上も続いている燃焼により、地下が空洞となることから地盤が陥没したり、その上にあった建物が崩壊したりなどしているとのことだ。これによって廃線となった鉄道路線もあるとのこと。参考記事のリンクを以下に付しておく。

    India’s Jharia coal field has been burning for 100 years (CNBC)

    健康被害もまた甚大なようで、石炭で潤うことにより、田舎の部族中心の社会としては例外的に栄養問題がほとんどないとされるようだが、採掘と地下の燃焼による大気汚染による呼吸器疾患を抱える人々の割合が異常に高いとされる。

    観光で訪れるような場所ではないが、街から少し出ると石炭採掘現場があり、蔓延する違法採掘現場はマフィアが取り仕切っているため、カメラやビデオなどを回すとかなり高い割合でトラブルに巻き込まれるという話もある。

    ジャリヤーを取り上げたドキュメンタリー番組はいくつもあるが、下記リンク先が特に秀逸なので閲覧をお勧めしたい。

    INFERNO: JHARIA’S UNDERGROUND FIRES (PSBT INDIA)

  • ジャナクプル鉄道

    BBCは亜大陸の鉄道に関する番組で数々の秀作を世に送り出しているが、これもまたそれらの中のひとつ。

    Janakpur Railways – BBC Documentary (Youtube)

    隣国インドで鉄道が社会のインフラとして格別の存在感を示しているのとは裏腹に、ネパールはインドと国境を接する南側で、ジャナクプルからインドのビハール州のジャイナガルまでを結ぶローカル線くらいしかないのは、山国であるだけに仕方のないことだ。もっともこの状況については、近年ネパールに接近している中国が青蔵鉄路のネパール国境までの延伸、そして首都カトマンズまでの接続という、いつになったら実現するのか容易に想像さえできない壮大なプランを示しているので、遠い将来にはこの国における鉄道の地位が飛躍的な向上を見せることになるのかもしれない。もちろんインドはそうした状況を座視しているわけにはいかないのだが。

    それはともかく、上記リンク先の番組では、ジャナクプルの鉄道のもとに展開する人々の様々な暮らしぶりが取り上げられており興味深い。施設も車両も老朽化が進み、しばしば運休となったりするなど、かなりキビシイ状況のようだ。私自身もだいぶ前にジャナクプルを訪れた際、インド国境手前まで行ってみようとしたのだが、その時は洪水の関係で運休していた。駅構内をしばらく散策してみたが、タライ平原の街であることもあり、眺めた感じはインドの片田舎の鉄道駅という印象であった。

    この路線のインド側の終着駅であるジャイナガルは、元々はメーターゲージの軌道の路線が乗り入れていたが、現在ではブロードゲージ化されており、ここからインド各地に直行できるようにもなっている。そんなわけで、タライ地域の人々、とりわけジャナクプルやその周辺部に暮らす人々にとっては、就労や進学その他で隣国インドの大都市に向かう際には、以前よりも使い勝手の良いものとなっているに違いない。

  • インドのケータイ電話

    有名ブランドのショールームに立ち寄ると、ずいぶん高価で高性能なスマートフォンが並んでいるし、知人たちの中にはかなり頻繁にこうしたモデルを買い替えている人たちもある。単価が高いだけに、さすがに都市部では購買力の高い人たちが多いものだなと感心したりもする。バスやメトロ車内で着席していても立っていても、液晶画面に目を落としている姿は万国共通のものとなっている。

    安価なモデルも広く出回っていること、もともと中古品の取引も盛んであることなどから、さほど所得が高いと思われない層にも広く浸透していて、若い年代のオート運転手たちもフェイスブックなどに投稿していたりする。加えて、廉価なプリペイドのプランも多いがゆえに、インドのケータイ市場は非常に民主的?であったりもするし、デュアルSIMつまりSIMを2枚挿入して使い分けることができるモデルもまた多い。

    そんなインドのケータイを価格、OS、各種スペック別に俯瞰することができるサイトのひとつにこういうものがある。

    snapdeal

    当然のことながら、価格帯ごとに各メーカーの主戦場が分布している。インドのように携帯電話のランニングコスト(新規回線契約や通話にかかるコスト)が廉価な国であれば、普段の通話用にガラケー、データ通信にスマホと、2台持ちしても負担にならないのがいい。ガラケーについては、使いやすそうなモデルが1,000Rs前後で豊富に用意されており、まさに庶民の味方という感じがする。

  • 鉄道でデリーからレーに移動することできる時代がやってくる?

    これまでに幾度かメディアで話題になっているヒマーチャル・プラデーシュからラダックのレーへの鉄道建設。かなり本気の計画のようだ。2年近く前のものになるが、下記の記事を見る限りでは、軍事的な要素が強いようだ。つまり中国との有事を視野に入れた高速大量輸送を可能にするという点だ。

    ヒマラヤの急峻で険しい地形のもとで、技術的にも費用面でも本当に可能なのか。実現できるとしても何年かかるのだろうか。そして建設工事や維持にかかる環境負荷も相当大きいのではないかと思われる。この地域を訪れて雄大な山々を目にしたことがある人ならば、このようなプランを耳にしても、とうてい信じられないだろう。

    Nod for Bilaspur-Manali-Leh rail line heartens Himachalis (THE TIMES OF INDIA)

    Leh to be connected with rail line with Delhi via Bilaspur (DAILYEXCELSIOR.COM)

    パンジャーブ州境に近いヒマーチャル・プラデーシュ州のビラースプルから同州のマナーリー、ケイロンを経て、さらにはタグラン・ラを越えてラダックに至るというルート。

    さらにはこれに留まらず、レーからカルギルを経てスリナガルへと鉄道を繋ぐ計画もあり、現在カシミールにて建設中で、すでにバーラームッラーからバーニハール間で走行しているカシミール鉄道と接続するという壮大なプラン。

    もしこれが完成すると、このようなルートとなる。

    このカシミール鉄道は今後ジャンムー・ターウィー駅まで延伸されるため、デリーから時計回り、反時計回りでこれらの地域へ鉄道でアクセスすることが可能になるとされる。

    ラダック地方やその周辺地域の文化的特殊性は、夏季の限られた期間にしか外部からアクセスできないという地理的な閉鎖性による部分も少なくないと思われるので、こうした鉄道敷設により、これが年中可能となると、このエリアにおける文化的な影響も相当大きなものとなることだろう。

    その反面、ラダック地方においては、ほぼ夏季に限られる観光業の収入以外にも現金収入の機会が増えること、季節を問わずに陸路でインド各地と往来できるようになることから、他の産業の育成にも繋がることになるのかもしれない。

    ただしそれがラダックの人々を利することになるのか、そうではなく外の人たちがラダックで稼ぐ機会だけを増大させることになるのかは、まだ建設が始まってもいない現時点では何とも言えないだろう。少なくともラダックの美しい景観を損なうことになるのは間違いないように思われる。