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カテゴリー: politics

  • グジャラート州議会選とAIMIMの今後

    グジャラート州議会選が面白いことになっている。ムスリム政党AIMIMはハイデラーバードを本拠地とする地方政党ながらも、発言力と強い指導力を持つ党首のアードゥッディーン・オウェースィーのもとで、このところ全国政党化しつつあるのだが、州のムスリム人口11%以上のグジャラート州議会選にて、議席数182のところ30議席で候補者を出馬させる。

    これまで27年間、ずっとBJP政権が続いてきた同州、モーディー首相の故郷でもあるわけだが、今回も圧勝の観測のある中、反BJP勢力として初めてこの州で覇権を狙う庶民党がどこまで票を伸ばせるのか、そして退潮の会議派はどこまで持ちこたえることができるのかが焦点であるわけだが、両者の支持層をいずれも削り取る形でAIMIMが入ってきた。

    AIMAIMが、俗に「BJPのBチーム」と揶揄されるのは、こうした選挙戦にAIMIMが割って入ることにより、反BJP票の一定部分を同党が刈り取ってしまうため、結果としてBJPに利することになるからだ。つまりAIMIMは反BJP陣営ながらも、BJPから見ると「敵の敵は味方」的な結果を生んでいる。今回もそういうことになるかもしれない。

    あともうひとつ面白い点としては、インドでこれまでムスリム自身が存在感のある政党を持たず(ムスリム政党がなかったわけではない)、ムスリムの支持する政党は国民会議派あるいは左派政党であった中、ようやく有力なムスリムによるムスリムの政党が台頭してきたことだ。

    ムスリムの政党と言ってもAIMIMは宗教政党ではない。ムスリムの宗教団体が母体ではなく、世俗のムスリムの人たちによる政党だ。党首のアサードゥッディーン・オウェースィーは法曹家という点も昔ながらの保守政党らしいところだ。

    職業柄、たいへん弁の立つ人で、この人の演説もなかなか楽しい。知的で含蓄のある受け答えからメディアウケもなかなかで、報道番組への出演も少なくないが、複数の政治家、識者、ジャーナリスト等が出演する討論会でのやりとりはあまりうまくないようで、案外打たれ弱い面を垣間見ることもあるが、この人と彼の政党AIMIMが今後さらに勢力を拡大していき、国政の場でも一定の影響力を持つようになることは間違いないだろう。

    Does AIMIM stand a chance in Gujarat? (DECCAN HERALD)

  • アンベードカル・メモリアル

    アンベードカル・メモリアル

    デリーメトロのヴィダーンサバー駅近くにあるアンベードカル・メモリアルを見学。インドの初代法務大臣で、ダリット(不可触民)出身のアンベードカル・博士にフォーカスした博物館だ。

    BJP政権下ではダリット(不可触民)と先住民の地位向上に力を入れている。そういう意味でBJPのサフラン右翼は復古主義とは大きく異なる。大昔のヒンドゥー的な価値観とは違い、ヒンドゥー世界の全方位を包括する新しいものだ。そこにはカーストによる観念的な上下はないし、伝統的な被差別カーストへの蔑視もないリベラルなものだ。

    僧院をイメージした建物といい、斬新なイメージの展示といい、この新しい博物館自体に大変力のこもったものを感じる。

    しかしながら外来の宗教、イスラームとキリスト教に関係するコミュニティーに対しては、なぜとても冷淡かつ偏狭なのだろうか、とも思う。

     

  • 首相博物館

    首相博物館

    今年4月に開館した首相博物館に行ってみた。旧館と新館があり、旧館は既視感があったので思い起こしてみると、確か以前はNehru Memorial Museum and Libraryであったところだ。

    そこに新館を作って歴代の首相の功績を賛えるというもの。当然、時代が下ってからのBJPからの首相の扱いが大きく、さもありなんという感じ。

    在任期間の長かったネルーについては独立前の活動から写真やパネル等で紹介されているが、予期していなかった中印紛争、起用した外務大臣の無策ぶり、領土を削り取られたままであることなどから、社会主義政策の推進とともに「晩節を汚した」感じで彼の展示は終わる。

    首相ではないのに、サルダール”・ワッラブバーイー・パテールの展示が多かった。内務大臣として国内の統一(インドへの帰属を良しとしない旧藩王国に毅然たる態度で対処した。独立国としての道を探り、インド政府からの要求に対して国連に介入を求めた旧ハイデラバード藩王国に軍と警察を送り、戦わずして屈服させた話は有名。

    この人がなぜか含まれるのは、ネルーだけではとうていなし得なかった独立後インドの統一を果たした剛腕政治家であったとともに、BJPのお気に入りの政治家であるため、その意向が働いたのだろう。グジャラート州のナルマダー県には、「Statue of Unity」という名前で建てられた彼の巨大な像が2018年に完成している。世界で最も大きな立像であるとのことだ。

    ネルー急死後のナンダー首相代行を経てのラール・バハードゥル・シャストリーは1年半くらいしかその職になかった(タシケント街ゆう中に突然死)割には、原爆開発を推進したため扱いが大きい。

    ラール・バハードゥル・シャストリー

    再びナンダー代行を経てのインディラー・ガーンディーについては前半の社会主義政策のさらなる推進、非常事態宣言発令による民主主義政策、アッサムやパンジャーブ問題へのぎこちない対応と死といった負の面に焦点が当たった展示が特に目についた。

    振動でブレブレだが、こちらも首相博物館での展示で「ポカランの原爆実験」画面にはラージャスターンのポカランでの実験映像が流れ、こちらの足元に原爆の振動がガタガタと来るというもの。体験している人たちは大喜びだが、複雑な気分。

    ポカランの核実験(1974年)体感装置

    第1次及び第2次インディラー内閣と第3次インディラー政権の間にあったモラルジー・デーサーイー、チャラン・スィンは非常事態宣言下で野党共闘でこれを跳ね返した快挙で、このときのジャナタ政権には、後にBJP政権で首相となるヴァジペイーが外務大臣として入閣していたためか、このふたつの政権合わせて3年間しかないのに、これまた扱いは大きい。

    ラジーヴ・ガーンディー時代については、コンピュータ産業を推進した首相として紹介されていた

    その後はV.P.スィン、チャンドラ・シェーカルといった短命左派政権の首相はほんの少しで、経済改革開放へと舵を切ったナラシマ・ラーオ首相関係で経済成長に関する展示がいろいろ。

    V. P. スィン

    時代が今と近くなってからは、会議派協力のもとでの左派短命政権や2期に渡るマンモーハン・スィン政権もあったが、事実上「ガーンディー家の番頭さん」であり、会議派総裁のソーニアー氏が、外国出身であることからくる非難を避けるため首相就任を避けて彼を指名したことから、事実上の「首相代行」。

    国会答弁その他の発言の場では、ソーニアー氏が常に影のように彼に寄り添い、常に耳打ちをしながら発言を進めさせていた。それはソーニアーが秘書的な立場にいたというのではなく、自分による発言を形式上は首相職にあるマンモーハン・スィンに喋らせていたことは周知の事実で、「表の首相と裏の首相」として一心同体というか、操り人形の首相であったことはよく知られている。

    しかしそうであっても、マンモーハン・スィン政権の扱いがやけに軽いあたりにも、やはりBJPの意向が働いているよつにも思える。それと裏腹にヴァジペイー、モーディー首相の扱いがきらびやかになっているのだ。ヴァジペイー首相については、彼のメガネと公用車まで展示されていた。

    ヴァジペイーのメガネ
    ヴァジペイーの公用車

    この時期の経済改革開放政策を象徴する展示がいくつかあり、「STD」「ISD」のブースが復元されていた。ついこの間までこういうところから電話していた気がするのだが、もはや博物館で見るものになってしまった。

    STD・ISDブース

    そもそも「首相博物館」というコンセプト自体が疑問ではある。日本もそうであるように総理大臣に米国大統領のそれのような大きな権限がフリーハンドで与えられているわけではない。これまでも連立政権時代、とりわけ短命に終わった左派政権については、連立でそれを支えた国民会議派を始めとする協力関係にある政党の意向が強く働き、迷走することが多かった。

    そんなこんなでいろいろ思うところはあるが、やはりこの博物館の存在意義は、過去の歴史を踏まえた上での、現在のBJP政権に関する教宣活動という感じか。モヤモヤしたものを胸に抱えつつ、博物館を後にした。独立インドの初期の熱気とレガシーをノスタルジーの詰まった場所だったところが、今の政権与党の翼賛博物館に衣替えしてしまっている。BJP政権下の州で着々と実施されてきた地名改名同様に、歴史の書き換え作業の一環だろう。

  • 大麻バブル

    大麻バブル

    前回に続いて今回もしばしタイの話題を。

    6月に大麻が解禁となったタイだが、街を歩いているといろんなものが目に入ってくる。コンビニの飲料類の棚にもカナビス入りドリンクとやらがあるし、カフェでもカナビス入りの飲み物、コーヒー自販機にも大麻入り、クッキーその他のお菓子にも「カナビス入ってます」etc.のバブル状態。

     

    ブームみたいだけど、あまりに多いので早晩淘汰されていくことだろう。

    不眠症その他の治療を謳うクリニックも大麻の効能にフォーカスしたものがあり、こうした健康関係での需要も高いのか、これから創出していく方向なのか知らないが。

    また、観葉植物?として、こんなかわいい感じの鉢植えも売られている。

    観光客の多いエリアの路上では乾燥大麻の露店もちらほら。これらはおそらく解禁以前はアンダーグラウンドであった人たちが「地上に出てきた」感じなのかなぁと思ったりもする。

     

  • 新しいダリット政治家の時代

    昨日、国民会議派にダリットの政治家マッリカールジュン・カルゲーが選出された。

    7月に行われた大統領選ではBJP推薦のダリットのドロウパディー・ムルムーが勝利を収めて就任したように、インド政界では国民の統合と斬新かつ公正な政治の象徴としてダリットが登用される例が増えているようだ。

    もちろんそれらは投票(国民会議派総裁は党員による投票、インド大統領は国会議員及び地方議会議員による投票)を得て決まるものであるだけに、それらを支える広範囲な支持が必要であることは言うまでもない。

    これまでもダリット出身の政治家はいた。独立直後の初代法務大臣、アンベードカル博士がそうであったように。だが、当時は彼のような優れた法曹家がたまたまダリットでもあったというような具合で、風当たりも強かったため、彼は仏教徒に改宗。以降、ダリットの人々の間では同様に仏教徒に改宗する人々が増えるなど社会の分断の象徴でもあった。ゆえに現在のそれとは大きく異なる。

    また90年代以降はUP州でダリットを主な支持基盤とする大衆社会党が躍進し、政権を担うこともあった。女性党首でやはりダリットのマヤワティーのカリスマ的な指導力と人気もあったが、やはり社会から広範囲な支持を得ることはなく、その後は同じく後進階級ではあっても支持層が異なる(ヤーダヴを中心とするOBCsその他後進諸階級)の社会党との争いが続き、やがては同州にもこれらふたつの後進階級の支持を集める政党による支配をよしとしない人々によるBJPへの人気が高まり、現在はBJP政権下にあるなど、やはり社会全体から支持を集めるものではなく、既存の政治に対するアンチテーゼとしてのダリット指導者であり、ダリット政党でもあった。

    実際、その大衆社会党政権下にあった当時のUP州では、あたかも一種の「文化大革命」でも起きたかのような混乱であったと聞く。州政府幹部の首が多くすげ替えられ、ダリット層の人々が何か事件の犠牲になると現地にすぐマヤワティーを始めとする政権幹部が急行し、現地警察を糾弾。警察幹部ですらいとも簡単に左遷あるいはクビになるなど、戦々恐々とした感じであったのだとか。またその他のUP政府の各組織内人事にも政権等はさかんに介入するなど、なかなか大変なことになっていたらしい。

    そんなわけで、「台頭するダリット指導者」の多くは、既存政治に対する「抵抗勢力」であり、既存の体制の中でマジョリティーの中の一員として活躍するというケースはあまり例がなかった。

    インドにおける「マジョリティー」内に深く浸透したBJPは、近年においては少数民族、辺境など遠隔地、そしてダリットを含めて、以前は浸透の度合いが非常に薄かった部分での支持拡大に努めており、その一環としてダリットの大統領を候補に立てたわけだが、党中央の意向どおりにその他広範な層がダリットへ候補への圧倒的な支持を集めるほど、「機は熟していた」とも言える。

    国民会議派総裁選における候補者としてのマッリカールジュン・カルゲー選出(かなり直前になってからガーンディー家から直々の出馬要請があった。しかしその段になってインドメディアで「マッリカールジュン・カルゲーって誰?」という記事が出回るなど、彼自身の支持基盤外ではほとんど無名の人物であったと言える。

    そんな彼が当選した背景には、他の出馬者で野心溢れる海千山千の強者ボスたちにとって、彼らの中の誰かが当選することにより、自分の立場が弱体化するとか、党内パワーバランスが崩れることを危惧しての手打ちがあったのかもしれないし、有力候補でありながらも敗北したシャシー・タルールが選挙の公正さに疑問を呈すなど、何かガーンディー家の意を受けての操作があった可能性も否定できない。

    そんなバックグラウンドがありつつも、ダリットが出馬したこと、ダリットが当選したことに対するネガティヴな動きなどもなく、ダリット政治家がマジョリティーの中で当然のこととして活躍する土壌がとっくに出来上がっていることが見て取れるなど、ダリット政治家にとっての新しい時代が到来したと言える。

    もちろんこうしたダリット政治家に期待される役割としては、出身コミュニティーや地域に拘泥しないニュートラルな指導者としての立場であり、ある意味、米国や英国で台頭し、首相や大統領といったポストすら射程距離に入っているインド系政治家たちが、労働運動や民族的蔑視を糾弾するような政党、組織から出るのではなく、保守系政党の一員として活躍しているのと似ている部分がある。

    Meet Mallikarjun Kharge, The Dalit Leader Who Became Congress President In Historic Win (Outlook)

  • インドは政治も面白い

    インドには風刺漫画家として全国的な人気を博したR.K.ラクシュマンのような例もあるし、有力な政治家として台頭して右翼政党(シヴセーナー)を立ち上げた人物(バール・タークレー)もあった。

    とにかくマンガによる政治風刺が盛んな風土がある。ニュース番組でも「アージタク」の報道の合間に挿入される風刺アニメ「So sorry」を始めとする秀逸かつときに大変強烈な批判を含んだものが評判になる。

    こちらは現在進行中の「バーラト・ジョーロー・ヤートラー(インドを結ぼう、繋ごうキャンペーン。カニャクマリーからカシミールまで、会議派の指導者や活動家たちが交代しながら団結を呼びかけて徒歩行進していく)」への風刺アニメ。報道機関からではなくBJPから出たものだが、有力政治家の離脱やラージャスターン州その他会議派が与党の地方政府内のお家騒動なども含めて、とてもよく出来ている。

    つまり「党内をまとめることすらできない会議派に国がまとめられるはずがないだろう」というものだ。

    インド政治についてある程度把握をしていないとなかなかわからないかもしれないが、このように厳しい言葉だけではなく、ユーモアで市民へ呼びかける政治活動もある。

    インドは政治も面白い。

    Congress Jodo Yatra Animation

  • amazon.in

    書店に行き、いくつか気になる本の表紙を撮影。紙媒体のものしかない専門書籍の類は普通に購入するが、それ以外の読み物はたいていKindle版が出ている。店頭でページをめくってみて、良さそうであればamazon.inで買いたい。

    これだと持ち帰る際に重量は増えないし自宅のスペースも圧迫しない。ただ、もしアマゾンが倒産してしまったら、まだ読んでいない本までもすべてパーになってしまうのだろうと怖ろしいのだが。

    このようにして、昼間に見かけた書籍のKindle版を夜な夜な購入していると、なぜか買うことができない書籍があるため気がつくかもしれない。それはタブレットなど大型画面の端末での利用が確認できないと、販売しないKindle書籍があるためだ。

    ちょうど今、あなたがインドに滞在中であれば、ぜひamazon.inのアカウントを作っておくと良い。だからといってそこで何か買い物をしなくてはならないということもない。ただ作っておくだけで、インドの書籍に興味があるのならば、後々助かることになるかもしれない。

    インドを出てからでもアカウントを作ることは可能とはいえ、インドで作成したアカウントでなければ、Kindle書籍を日本(あるいはインド以外の第三国)にいながらにして購入することはできないからだ。

    つまり「インドで作成したamazon.in」のアカウントそのものが、ひとつの財産であると言える。

    ただ注意が必要なのは、端末に紐付けられた電子メールアドレスが、日本のアマゾン用に利用しているものだと、これを利用することができない。よって、今持っているけど使わなくなっているスマホないしは古いタブレットをamazon.in用にしようとする場合、一度初期化してからamazon.co.jpで使用しているものとは異なるメルアドに紐付けてからKindleアプリをインストールしないといけないという点。これはKindle専用端末についても同様だ。

    あと、使用するクレカもamazon.co.jpで利用しているものとは別にしないと支払いができない。つまり「in」と「co.jp」で、建前上は別人であることにしないといけないという面倒くさい部分がある。

    ・・・とはいえ、インドを離れても話題の書籍がすぐにKindleで手に入るというのはありがたい。

  • 電話の「もしもし」、そして挨拶も「ハロー」でなく「ヴァンデー・マータラム」に

    電話の「もしもし」、そして挨拶も「ハロー」でなく「ヴァンデー・マータラム」に

    マハーラーシュトラ州政府は、同政府や関連団体で働く職員たちに「電話に出るときはハローではなく、ヴァンデー・マータラムと言う」、そして人と会うときも「Helloではなく、やはりヴァンデー・マータラムと言う」というお達しを出したのだとか。

    ヴァンデー・マータラムというのは、「母なるインドに帰依します」とか、「母なるインド万歳」というような意味だが、やはり宗教性のあるフレーズなので、ムスリムやクリスマスチャンには相当抵抗感があるはず。

    ヴァンデー・マータラムは、インドのNational Songでもある。インド国歌は「ジャナガナマナ」ではないか、と言う人もいるかと思うが、たしかにNational Anthemは間違いなく「ジャナガナマナ」なのだが、このNational Songは言ってみれば「国民歌」。19世紀後半にベンガルの高名な詩人が創った詩にタゴールが旋律をつけて、ヴァンデー・マータラムという曲が出来上がった。

     

    それほど愛着のある歌とはいえ、「もしもし」や「こんにちは」がヴァンデー・マータラムというのは異常だ。シヴセーナー + BJPの連立デュアル右翼政権のマハーラーシュトラ州。

    Not hello, say Vande Mataram on calls: Maharashtra govt directive to officials (THE INDIAN EXPRESS)

  • BHARAT JODO YATRA (インドを繋ごう!行脚)

    BHARAT JODO YATRA (インドを繋ごう!行脚)

    インドの政治のデモンストレーションには、単なる往来でのデモンストレーション以外にダルナー(座り込み)、ハルタール(ゼネスト)、ブーク・ハルタール(ハンガーストライキ)等々の手法があるが、最も準備と覚悟が必要なものは「ヤートラー(行脚、行進、旅)」だろう。

    本来、ヤートラーは「アマルナート・ヤートラー」「チャールダーム・ヤートラー」等のように聖地を巡礼したり歴訪したりする宗教行為だが、政治におけるヤートラーは各地を歴訪して支持を訴えながら、そして賛同する人たちを巻き込みながら進んでいく政治行脚となる。これは聖地巡礼と同様、基本的に「パド・ヤートラー(Pad Yatra)」となり、長期間に渡る徒歩での移動となるため、これを実施する場合には周到な準備と断固たる覚悟が必要だ。

    斜陽の国民会議派がこのたび「バーラト・ジョーロー・ヤートラー (Bharat Jodo Yatra)=インドを繋ごう行脚」、をスタートさせた。明らかに植民地時代にマハートマー・ガーンディーが率いた「バーラト・チョーロー・アンドーラン(Quit India Movement)」を意識したものだ。後者は英国に対してインドを放棄するように求める行脚であったのに対して、今回のものは、「インドに憎しみと分裂をもたらす政治(BJPによる)に反対して、インドのコミュニテイーや地域をしっかり繋いでいこう」というもの。ヤートラー(行脚)を主導するのはラーフル・ガーンディー。全行程てこれを率いるとみられており、彼とその側近がこのヤートラー(行脚)の核となり、総勢120人から150人程度とみられる。

    すでにカニャークマリーをスタートしているが、これから12の州を通って終点はカシミールのシュリーナガルまで。150日間つまり約5カ月かけて、タミルナードゥのトリバン、コーチ、ニーランブル、カルナータカのマイソール、ベーラッリー、ラーイチュル、テーランガーナーのヴィクラーバード、マハーラーシュトラのナーンデール、ジャルガーオン、ラージャスターンのコーター、ダウサー、アルワル、UPのブランドシェヘル、デリー、ハリヤーナーのアンバーラー、バンジャーブのパターンコート、J&Kのジャンムーといったところが主な経由地で、最後はスリーナガルで行脚を終える予定。距離にして3,570kmという壮大なものだ。

    こうしたヤートラーがどんな効果を生むかといえば、インド現代史においては大きな役割を担ってきたといえる。ガーンディーが幾度となく繰り返したヤートラーで、それまで存在しなかったと言える「我らインド人」というナショナリズムを醸成させて独立へと向かう大きなうねりとなっていった。

    大きく時代が下ってからは1990年9月から10月にかけて実施されたラーム・ラト・ヤートラー(ラーマの神輿の行脚)の影響力は凄まじかった。当時は小政党だったBJPが初めて率いた本格的なヤートラー(行脚)だ。このヤートラーは社会に大きな影響を与え、それまで政治的には取るに足らないちっぽけな存在だったサフラン色のヒンドゥー右翼の魅力へ人々の注目が集まるとともに、1992年に起きた「ラーマの生誕地」に建っているとされるバーブリー・マスジッド破壊事件へと雪崩れ込んでいく。

    アーヨーディヤーのラーマ生誕地に「ラーマ寺院を再建させよう」という呼びかけにより、それまでは中道左派の国民会議派とそれに対する左派及びその他民主派による綱引き、つまり左寄りの勢力によるパワーゲームであったインド中央政界に、突然「ヒンドゥー右翼」という大きな極を生み出した。それは爆発的な勢いで拡大していった。あたかも地軸が一気に飛んで、熱帯が北極南極になるような、そうした極地が熱帯になってしまうような、大きな変化を生んだのがこのヤートラーだった。ここから10年も経たない1998年にはBJPを筆頭とするNDA(という政治アライアンス)が誕生し、5年間の任期を全うするまでになった。80年代まで大きな中道左派政党(国民会議派)と左派政党が覇を競いあっていた中央政界が、ごくわずかの期間で極右vs中道左派+左派の対立構造になるという、まるで別の国になってしまったかのような激しい変化を生むきっかけとなったと言える。

    サフラン色のヒンドゥー右翼勢力による「我らヒンドゥーが主役」というスタンスの「右傾化」については、いろいろ評価の分かれるところだが、この「我らが主役」というスタンスは各方面に及んだ。それ以前は社会の様々なセグメントを大きな樹木のような国民会議派、あるいは左派政党、はてまたその他の民主派政党が代弁するという構造から、そうしたコミュニティー自身が「我ら地域の民族政党」「我らカーストの政党」「我ら部族の政党」「我らダリット(不可触民)の政党」etc.が立ち上がり、あるいは既存の政党がそのように衣替えするといった具合に、大きく包括的な政党任せではない独自の政党を持ち、合従連衡する傾向が強くなっていった。

    その結果として、やはり「数こそが力」であるわけで、政界におけるブラーフマンやタークル層のプレゼンスは大きく低下し、数的規模で勝る「OBCs(その他後進諸階級)」に加えて、それまでは数を自分自身たちの中に集結する術を持たなかったダリット、部族が自らの政党を構成して強い力を奮うようになった。州の分割により、たとえばジャールカンドのような部族がマジョリティを占める州になると、州政界では「部族でなければ人ではない」とでも言わんばかりに部族出身者が統治する世界に変貌していくこととなった。

    そんなわけで、サフラン化と表裏の関係にある「我らが主役主義」の機運が高まったことにより、結果としてさらなる民主化と大衆化が進行していったとも言えるとともに、そうした機運を高める大きなきっかけのひとつとなった。BJPだが、インド国外では「昔ながらのヒンドゥーの価値観への復古」と誤解している人たちは少なくないが、実はカーストのヒエラルキーとは無縁のニュートラルな組織だ。現在首相を務めるモーディー氏にしてみたところで、OBCs(その他後進諸階級)の中の「テーリー(油絞りカースト)」という出自なのだから、復古主義とは異なる新たに創出されたポピュリズムに基づく政治であることは明白だろう。伝統的に支配階層がリードしてきた国民会議派とは大きく異なるし、共産党のように大衆運動を標榜しつつも、中核となる政治局員は高学歴で家柄も良い「知識階級が支配してきた共産主義運動」のほうが、よほど「保守的で昔ながらのインド」に見えてしまうのだ。

    ヒンドゥーのみならず仏教、ジャイナ教、スィク教徒等を含めたインド起源の宗教の信徒たち、そしてこれまではインド政治の周縁部に位置して長らく国民会議派の地盤でもあったチベット仏教徒たちのラダック地方、そして中央政界への反発も強かった北東部にも広く浸透を見せるなどの広がりを見せているなど、その懐の深さも特筆すべきだ。その反面でムスリム、クリスチャンといった外来の信仰を持つコミュニテイーへの冷淡さと敵視を問題とする向きも多く、政治の分断を進めているという批判も多い。

    さて、今回のBharat Jodo Yatraだが、インド独立以来最大にして最長のヤートラー(政治行脚)となるものとみられるが、これが同国の政治の流れを力強く変えるきっかけとなるのだろうか。BJP陣営は、このヤートラーについて様々なレベルでこれを非難する声明を出すなど、強く警戒していることは間違いないようだ。

    しかしながら国民会議派党内をしっかりと繋ぐことが出来ずにいるラーフル・ガーンディーに、人望も人気も高くない彼がこの重責を担うことができるのかということについては、この際おいておこう。このようなヤートラーを敢行するからには、相当な覚悟と自信があるはずだ。一行が目指す「近未来の自分たち像」は、「21世紀のマハートマー・ガーンディー」と「現代のジャワーハルラール・ネヘルー&サルダール・パテール」か。

    それにしても、私たちからしてみると、国会議員たち、州大臣や州議会議員たちが政務を放り出して「半年の行脚に出る」なんて・・・と思ったりするのだが。

    近年、というよりもインド独立後、これほどロングランのヤートラーは聞いたことがないので、国会会期中、州議会会期中に彼らはどうするのか、一時的に中断して会議にでるのか、それとも放棄してヤートラーに注力するのか、野次馬的な関心もそそられる。

    国民会議派による特設サイト「Bharat Jodo Yatra(インドを繋ごう行脚)」

    Shri Rahul Gandhi flags off and joins Bharat Jodo Yatra in Kanyakumari.(カニャークマリーからヤートラー開始時の様子)

  • たかが名前、されど名前

    大統領官邸からインド門を結ぶ大きな通り「RAJPATH(統治の道)」。界隈には中央官庁が集まっており、まさにインド統治の中心地。この「PATH」は英語の「PATH(パス)※小道、通路」ではなく、サンスクリット起源の「PATH(パト)※道、道路」なので、のどかな散歩道ではなく、権力者が進む「覇者の大道」のイメージ。

    英領時代は現在の大統領官邸はインド総督の官邸で、この通りは「KINGSWAY(王の道)」と呼ばれていたものが独立後に改称された。そんな経緯のある「RAJPATH(統治の道)」が「KARTAVYA PATH(任務の道)」に改められるとのニュース。

    「王の道」から「統治の道」そして「任務の道」へと変遷。前者ふたつは、お偉いさんがふんぞり返っているような響きがあったが、最新の名前は生真面目なお役人がしっかりとお勤めしているような姿が目に浮かぶ。まさに「物は言いよう」だが、都市名、道路名、施設名の変更が多いインド。

    そこにかかる手間や費用もあるのだろうけど、正式名称が変わったところで通称される名前はそのまんまだったりするので、ややこしいだけのような気もする。

    それはそうと、デリーが神話の「インドラプラスタ」に改名されるのはいつだろうか。サフラン右翼周辺部から、ときどき観測気球でも上げるかのように、「☓☓の☓☓氏が改名を提言」みたいな小さな記事がメディアに掲載されるが、今のところは大物感のある人物からの提起はないようだ。さすがに首都名ともなると、ハードル高く、息長く準備を進めているのか、いないのか。準備していないことを願いたい。まぁ、個人的には名前はいじらずにおいて欲しいのだが。これはインドの政府が決めること。

    話は飛ぶが、サフラン右翼の人たちの認識では、インド最後の王朝ムガル帝国はインド人たちの歴史ではなく、イギリスの前にインドを征服した侵略者たちの歴史。それ以前のイスラーム王朝も同様。「インドの歴史」として私たちが読むものとは、この部分が大きく異なる。つまり彼らにとって、それは「インドで起きた歴史」であっても「自分たちインド人の歴史」ではない。

    そんなわけで、名前を神話時代の「インドラプラスタ」への変更を本気で提起するとき、「デリーを我々インド人の手に取り戻した」というような主張となるのは目に見えている。

    たかが名前とはいえ、やっぱり名前は大事。そんな日が決して来ませんように・・・。

    Rajpath all set to be renamed Kartavya Path (The Indian EXPRESS)

  • ディーウ島

    ディーウ島

    グジャラート州先端に接するUT(連邦直轄地)のディーウ島。ちょうどマレー半島に接するシンガポールみたいな形をしているが1961年まではポルトガル領。

    昔訪れたときには、ディーウの小さな町にはポルトガル式のパン屋があり、コロニアル時代の建物がそのまま市街地を形成しており、店はずいぶん長い昼休みを取っているのも印象的だった。

    町の真ん中は、ラテンアメリカの多くの街がそうであるように、セントロ、町のヘソというか、公園としての機能を持つ広場で、その周辺を役所その他の公の施設やカトリックの聖堂が囲んでいるという具合で、インドではなくコスタリカとかエクアドルとか、そんなあたりの海沿いの田舎町に来たような思いがした。

    私が初めて訪問する少し前までは、同じくポルトガル領でともに歴史を重ねてきたゴアも合わせての連邦直轄地(1987年に旧ポ領の連邦直轄地から分離して州になった)であったためか、ディーウのセントロに面した港からゴア行きの定期船が出航していたらしい。

    これら旧ポルトガル領がインドに併合されるにあたり、これらの地域にポルトガルインド市民籍を持って公務に就いていた人などは、他のポルトガル領への職を斡旋してもらえたと聞く。ゴアやダマンなどもそうであったように、ディーウからもモザンビークに移住した人たちはけっこういたのだとか。(ご存知のとおり、その後モザンビークでも独立運動が起きて大変な目に遭ったらしい。)

    植民地時代の風情を残していたディーウだが、90年代半ばに再訪してみると、折しもインドの経済成長によるインドの人たちの観光ブームで、小さな町なかや周辺地域で大きな建設ラッシュが起きていることに驚いた。観光バブルで地価が上がり、町の人たちのかなりの部分は家や土地を売却して出ていき、外から投資家や観光関連業者、その下で働く労働者などが大挙して入ってきて、漁村、農村以外の人口は大きく入替っているというような話も耳にした。

    こうして動画で今のディーウを見ていると、片側2車線の見事な道路があったり、建物もインドの他の地域と変わらない眺めが映し出されていたりする。今再訪してみたらポルトガルのポの字も残ってないのでは?という気もしてくる。

    Diu City 4K Drive Tour – ASMR Ambience – Virtual Tour (Youtube)

  • BJPの神通力が及ぶ州、及ばない州

    こちらはインドにおけるBJPとそれがリードする政治アライアンスのNDA、これと対立する国民会議派とそれがリードするアライアンスのUPA、そしてその他地域政党支配州を含めた勢力分布図。

    Map of Ruling Parties in States of India (Maps of India)

    ラージャスターンについては今は国民会議派政権だが、BJPと拮抗しており、次の州議会選でどう転ぶかわからない。しかしチャッティースガル、ジャールカンドといった先住民が多い地域は、今でも国民会議派及びUPAの地盤だ。そのいっぽうで先住民同様に、本来は国民会議派の地盤であった北東州でのBJP勢力の浸透ぶりは目覚ましい。

    特徴的なのは、多民族国家のインドで、ひとつにまとまることが容易ではない先住民、少数民族地域での浸透にBJPが成功しているのとは裏腹に、地元民族主義的な志向が強い地域では、このBJPの浸透が容易ではないこと。西ベンガルしかり、オリッサしかり。そして南インドではカルナータカを除いて、テーランガーナー、AP、ケーララ、タミルナードゥの各州は、BJP、国民会議派の2大勢力にとって「圏外」だ。

    リンク先の図では、タミルナードゥは「NDA (BJP below 50%)と記されているが、同州の与党AIADMKはNDAに属しているため、そのような記述になっているものの、234議席中、BJPはわずか4議席。同州においてBJPの存在も発言力も無いに等しい。こうした地域について、BJPは浸透を図っているものの、今後も苦戦を続けることだろう。

    Why the BJP is focusing on the South to further the party’s footprint (INDIA TODAY)

    こうした地域でもBJPによるラリー(政治集会)は開かれるのだが、インド中部以北と違って、演台に立つBJPの大物の弁士による演説には通訳が付き、ひとしきり喋ってから現地語による訳が聴衆に伝えられ、反応を見つつ弁士は後を続け、といった具合。ときに通訳がうまく伝えられなくて右往左往というシーンも、稀ながらあるようだ。会議派のラーフル・ガーンディーの演説でそんなシーンがあり、Youtubeで拡散されたこともあった。

    そんな感じで距離感があるため、とりわけ南インドでは、現地の「反北インド」的な感情も少なくない中、BJPの浸透には、なかなか容易ではないものがある。