ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: life

  • 日本のリンガム信仰 ?

    日本のリンガム信仰 ?

    かなまら祭り
    一見、普通のお祭りの光景のようにも見えるが・・・。
    4月7日の日曜日は、川崎市の川崎大師駅近くの若宮八幡宮の境内の中にある金山神社で、かなまら祭りが開催された。毎年4月の第一日曜日と決まっているようだが、神奈川県はもとより地元の川崎市民でもこの風変りなお祭りについては知らない人も少なくないらしい。
    それでも外国人の間では「変わった祭り」として有名であるらしく、大勢の西洋人、アジア人その他の外国人居住者(および旅行者?)もやってくるため、観衆の中にずいぶん外国人が多いという印象を受ける。本日は、私が見たところでは、5人に1人くらいが外国人であったようだ。
    会場や周辺では外国人の姿がとても多い
    神社に奉納する男根型に削った大根
    変なTシャツが販売されている
    ご神体が男根の形をした黒石、神前のお供え物は男根の形に削った大根、祭りの縁日では男根の形をした飴が売られるとともに、木や石で作った男根の模型、はてまたそういう型をした「大人のおもちゃ」まで販売されているという、とても普通のお祭りとは思えない異次元空間が展開している。男根の形をした神輿が担がれて街を練り歩く様子、沿道で見物する人たちの多くが男根型の飴をペロペロと舐めている様子も、フィクションの世界に迷い込んだかのような気にさせてくれる。
    ご神体もこんな形
    もちろんインドのリンガム信仰とはまったく関係はないのだが、日本の神社の祭りでこんなにエロチックで、しかもあっけらかんとしたものがあるとは想像もしなかった。極めて庶民的で、活気と笑いで一杯のB級感に満ちた祭礼だが、他のお祭りではあり得ない旺盛なパワーをもらった気がする。
    奇妙な露店

    こんなものが神社のお祭りの縁日で販売されているとは・・・。
    この祭りの会場以外ではあり得ない光景

    あちこちで、こんな飴を舐めている姿が・・・。
    怪しいグッズの品定めをするお客さんたち
    こんな神輿があるとは・・・。
  • マイクロソフトのSurface RT

    マイクロソフトのSurface RT

    _

    タブレットPCは、アップルの初代のiPadを使用してきた。手軽で簡単にネット検索をしたり、電子書籍を読んだりと、いろいろ役に立っていたのだが、使い勝手がラップトップPCともかなり異なるため、不便に思うことも多かった。

    アンドロイドOSを搭載したラップトップPC風の製品が出てきたときには思わず購入しそうになったが、普段使用しているウィンドウズOSとの互換の点でやめておくことにしたのは賢明であったと思う。

    そこにきて、最近話題になっているマイクロソフトのSurface RTについては、オフィスがちゃんと使えること、ちゃんとしたキーボードを利用できること(タッチキーボードとタイプキーボードと2種類用意されている中から選択できる。前者はタッチセンサー式、後者は従来型のキーボードだ。)などが特徴だ。USB端子を繋いで、外付のHDDやUSBメモリと接続することができるし、メーカーにもよるがプリンタで印刷することもできるなど、かなり自由度が高いため、ラップトップPCに近い感覚で使用することができる。

    旅行や出張などで、「パソコンとして」持参するという用途にも充分耐えうる製品だと思う。内蔵フラッシュメモリは32GB、64GBとふたつのタイプがある。後者のほうでも今のラップトップPCのデータ容量に比べると大きく見劣りするが、常時接続環境でSkyDriveやDropboxと併用するという条件下においては、決して悪いものではないと思う。

    だが通常のPCと大きく異なる点としては、普通に市販されているWindows用ソフトをインストールすることができず、ウェブ上のウィンドウズ・ストアで購入したアプリケーションしか利用できないという点だ。しかもリリースされてからまだあまり時間が経過していないため、iPadやアンドロイドで利用できるアプリケーションの豊富さとは雲泥の差がある。こちらは時間の経過とともに解消していくことになるのだろうが。

    日本では未発売のSurface Proでは、搭載されているOSがタブレットPCに特化したWindows RTではなく、Windows 8であるため、いわゆる普通のパソコンとしての使用も可能であるようだ。それでもRTが675gで後者が907gであること、厚みではRTが9mmでProが13mmであるなど、携帯性に差があるため、両方とも店頭に並んでいたとしても、私ならRTを選択することだろう。ノートパソコンライクな使い方もできるタブレットは欲しいが、それをメインのマシンにする気はさらさらない。

    ともあれ、仕事にもプライベートにも、そして旅行先でも重宝しそうなマイクロソフトのSurface RT。インドその他の国々に旅行する際にも持参すると非常に役立つであろうこと請け合いだ。

    タイプキーボードを装着

  • 桜バザー 2013 最終日

    桜バザー 2013 最終日

    桜バザー会場

    3月27日(水)から5日間に渡り、インド大使館敷地内で開催されていた桜バザーの最終日、3月31日(日)に訪れてみた。

    もうだいぶ前、大使館が改築されて現在の姿になる前には、外交官の家族たちが自ら作った料理や菓子などを販売していたりもしていたものだが、何かにつけてアウトソースするのが時流の昨今らしく、このイベントで出店しているのはすべて外の業者となっている。

    その分、開催が1日のみであったものが、ここ数年来、つまり大使館の改築後からは複数の日付にまたがって開かれるようになっている。

    開催する側の都合や目的あってのことなので何とも言えない。少なくとも訪れる人々に対して複数の機会が用意されていいかもしれないが、中身はずいぶんよそよそしい感じになったと言えるし、訪れる人々の数も減ったと思う。開催日が数日間に渡るようになったため、延べ人数では多いのかもしれないが、1日の訪問客数で見ると、明らかに少なくなっているに違いない。

    もちろんタイミングも良くなかった。桜の開花時期とはいえ、すっかりピークを過ぎてしまっており、もはや花見を楽しむという具合ではなくなってきているし、天気もすぐれなかった。桜が一気に開花した先週末であれば、また少し違った様子になっていたかもしれないが、事前に準備しなくてはならないので、こればかりは仕方ない。

    インド大使館の前では、現在スリランカで起きている重篤な人権侵害を糾弾する座り込みの抗議活動が展開されていた。参加している人たちは、タミル系の人たちで、インド国籍の人たちもいれば、スリランカ国籍の人々もある。

    剛腕でLTTEを壊滅させたラージャパクサ大統領については、その手腕に高い評価を与える向きも少なくない反面、あまりに行き過ぎたやりかたについて、内外からの批判も多い。現在もLTTEの残党狩りは続いており、治安当局による不当な拘束、監禁、拷問、殺害などが続いている。

    だが、これらについて日本では人々の関心は非常に薄い。そうした状況であることを知らない人も多いのではないだろうか。通りかかる人たちの無関心ぶりには考えさせられるものがあった。

    スリランカにおけるタミル系市民への迫害を糾弾する座り込み活動
  • 鉄道市場

    インドの話ではなくて恐縮である。日本からインドに向かう場合、往々にして上空を通過あるいはバンコクでの乗り換えといった形で縁のあるタイの鉄道に関するものである。

    バンコク郊外のメークローン駅界隈では、今も水上マーケットが残っており、古き良き時代を体験できるエリアとして知られているが、それにも増して魅力的なのは、鉄道の路線にまたがって広がる市場だ。

    ・・・と書いてみたが、実は私自身、まだここを訪れたことがない。

    Thailand railway track market (YoutTube)

    列車通過に備えて店頭の片づけをする人々の手際の良さに感心するとともに、車両最後尾が過ぎ去るやいなや店開きを始める様子には、市場で働く人々の旺盛なバイタリティを感じずにはいられない。

    感銘を受けたのは、市場の人々の有様だけではない。上記リンク先の動画の中に出てくるように、多数の観光客がカメラやビデオで撮影している姿があることからも判るかと思うが、バンコク近郊の有名スポットである。

    タイ政府もこの危険なコンディションのマーケットを貴重な観光資源のひとつとして位置付けているのかどうかは知らないが、当この状態を容認しているため、長年に渡ってこうしたシーンが日々繰り返されているわけであり、当局の鷹揚さと柔軟さを感じずにはいられない。

    マーケットの立地が危険であることは間違いない。でも常時神経過敏症的で、些細なことで大げさに騒ぎ立てるヒステリックな日本社会から眺めると、このようなおおらかさは実に羨ましく感じられないだろうか。

  • オーム・シャーンティ・オーム 3月16日土曜日から

    オーム・シャーンティ・オーム 3月16日土曜日から

    オーム・シャーンティ・オーム(2007年公開)が、「恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム」と題して、3月16日から東京渋谷のシネマライズおよび大阪梅田のシネ・リーブル梅田にて上映される。

    今世紀に入ってからのボリウッド映画で最高クラスのひとつであるとともに、子連れでも安心して楽しむことができる作品でもある。より多くの方々に観賞してもらい、感動・感激をシェアしていただきたいと思う。

  • ふたたびコールカーター中華朝市へ

    ふたたびコールカーター中華朝市へ

    「中華朝市」とはいえ、売り子の多くはインド人

    コールカーターでは必ず早起きして中華朝市に出かけることにしている。ラール・バーザール近くで旧ユダヤ人地区にも近い場所のかつての中華街(といっても往時の繁栄は見る影もないが)で毎朝夜明けとともに開かれている。タクシーで乗り付けるならば、Lu Shun Saraniの中華朝市と言えば、運転手はすぐに判ってくれるはずだ。

    中華朝市では豚肉入りの肉まんを食べた。この旧中華街は、現在では事実上のイスラーム地区となっており、中華系の人が営む店で働くムスリムたちも多いのだが、そういうものも売られている。朝食をつまみに出てくる華人たちの姿もあるが、週末ともなると地元カルカッタのインド人たちはもちろんのこと、他州からやってきたインド人観光客たちの姿もある。

    いつもどおり、ここで祖父から三代に渡って中華食材・漢方薬の店を開いている客家系のCさんのところに挨拶に出向く。このお店にいると、お客たちはもとより、地元の写真家やジャーナリストたちと出会うことも多く、それもまた楽しい。Cさん自身がおしゃべりでとっつきやすい性格であるということもあるが、コールカーターのチャイナタウンや中華系社会に関する情報通であるため、取材に来るというケースが多い。

    ときおり、インドのメディアで取り上げられたり、ジャーナリストが著した本などが出ることはあるものの、地元カルカッタ華人により書かれた、インサイダーとしての立場からの華人コミュニティ史の書籍は存在しないようだ。

    多くの語るべきものがあり、文化面でも歴史面でも貴重なものであるはずだけに、残念なことだ。今の時代を謳歌して繁栄している状態であれば、そういうものを書いたり、書かれたものを編纂したりということが起きてくるのだろうが、すでに衰退してしまったコミュニティの場合は、なかなかそういう風にはいかないようだ。この地域にいくつかある、華人たちの出身地ごとの同郷会館には、この方面についておそらく大変貴重な資料が眠っているのではなかろうか。これから更に世代を継いでいくに従い、コールカーター華人史が当人たちによって書かれる機会はますますなくなってくるはず。相変わらず、華人たちのインド国外への流出は多いということもある。

    この街からカナダに移住した華人たちは多く、「インド華僑」のアソシエーションがあるくらいなので、カナダから遠い故郷を想う書き手が出てくることはあるかもしれないが。

  • ラヴァングラーの町

    ラヴァングラーの町

    ラヴァングラーの町の中心。どこに向かっても数分で町の外に出てしまうが建物は多層が多い。

    ラヴァングラーの町には食欲がそそられるようなレストランは見当たらないのは、いかんせん田舎の集落なので仕方ない。それでもスマートフォンでインターネットを利用できる(ただし接続速度は眠くなるくらい遅い)のは大したものだ。フェイスブックで友人たちのやりとりを見たり、書き込みをしたりしていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。

    もっとも、スィッキムの田舎では、町から少し出るとネットどころか通話さえも通じなくなるのだが。私が利用するのはairtelだが、こうした不便なところでは国営のBSNLのほうが電波状況は良いらしい。

    町の中心でバスが発着するあたりに宿を取ったが、ここから四方を眺めてみると、どちらの方角に歩いても数分で外に出てしまうほど小さな町であるような気はしない。それなりに建て込んだ感じがするからだ。スィッキムの田舎町はたいていこんな具合であるのは、以前も書いたがおそらくインフラ整備とそれにかかるコスト等の関係があるのではないかと私は想像している。

    山また山の複雑な地形で、どこもかしこも斜面だらけだ。電気や水道を引くのも平地と違って楽ではないため、ややなだらかで交通の便の比較的いい場所があると、商いを生業とする人や公共関係の仕事に従事している人たちは、いきおいそこに集住することになる。周囲に広がる余地はあるにもかかわらず、小さな町なのに平屋は少なく多層階の建物が多い。

    あまり豊かそうな人は見かけないものの、さりとてひどく貧しげな人の姿も見かけない。そこそこ事足りて暮らしているといった風情がいい。小さな町だけあって、道を行き交う人たちは、お互いによく知った相手のようだ。

    夕方6時を回るとバーザールの大半の店がシャッターを降ろし、食堂さえも7時過ぎると開いているかどうかも怪しくなってくる。

    夕方7時で人通りはなくなってしまう。

    そんなわけで、夜はずいぶん早く寝てしまうことになる。スィッキムではバスもシェアジープもやけに朝早い時間に出発して、その後は公共交通手段がないということが多いため、朝寝坊するリスクが減るのはまあ助かる。

    やけに早く寝るため、朝日が昇るとともに目が覚めることになる。
    バスやシェアジープは早朝に出る

    _

  • タシディンのゴンパへ

    タシディンのゴンパへ

    タシディン・ゴンパ入口
    なかなか洒落た造り
    タシディン・ゴンパを訪れる。田舎にある割にはずいぶんゴージャスな感じがする寺院だ。何がゴージャスかといえば、細長い敷地の通路には、信者たちの寄進による沢山のカラフルなマニ石があしらってあることだ。
    こんな眺めがずっと続いている。
    どこまでもどこまでも・・・。
    おそらく地震のためダメージがあって修復したのだろう。いくつかあるお堂の壁は新しく塗られている。境内にいた地元の人の話によると、ここの寺院では壁にひびがはいったりはしたものの、崩落するような大きな被害ではなかったという。
    2011年9月の地震による大きなダメージはなかったという。
    建物の中にある大きなマニ車は、ちょうど下部のベアリングの交換をするというところであった。現在、私たちが目にするマニ車がスムースに回るのは、もちろんベアリングが入っているからで、そういうものができる前の時代には、回すのにかなり力が要るものであったことだろう。
    寺院敷地内に沢山のチョルテン群
    2011年9月の地震は多くの寺院で改修工事を促すことにもなったようだ。おかげで(?)被害が少なかった寺院や資金力のあるお寺はやけにキレイにしてある。
    良く整えられている敷地内
    朝の散歩のつもりで立ち寄ったが予想以上に素晴らしかったタシディン・ゴンパ
    敷地内はよく整備されている。とりわけ入口から見て、敷地の向こう側に沢山のチョルテンが集まっている部分は特徴的である。敷地内にいたおばあさんが、「こっちにおいでなさいよ」と言うのでついて行ってみる。彼女が数々のマニ石やチョルテンに礼拝しながら連れて行ってくれた先は、まさにそのマニ石を彫ったり、そこに仏画を書いたりする職人さんの工房であった。
    マニ石を描く職人さんの工房
    奉納されたマニ石。おそらくさきほどの職人さんの手によるもの。
    こちらも同様
    あまり生産的ではないかもしれないが、チベット仏教圏では、こうした寄進文化が非常に良く発達している。だが、実は仏画というのは感覚で適当に描いているものではなく、最初にいくつもの直線を引き、極めて幾何学的な正確さで下書きを進めていく、非常に精密なものなのである。
    朝の早い時間帯であったため、お堂の中はちょうど朝の勤行の最中。そのため堂内を見学することはできなかったものの、勤行自体を見学することができて良かった。
    風力で回るマニ車
    寺院から宿までは、斜面のつづら折れの道なので徒歩30分くらいかかる。寺院からの階段の参道で、一匹の大柄な犬が近づいてきた。叱っても後ろからついてくる。特に吠えたり、噛み付こうとしたりする様子もないので放っておくが、ときおりやけに近くまで来るので叱りつける。
    まるで帰り道を案内しているかのように、しばらく先に進んでは、こちらが追いつくまで待っている。するとしばらく後をついてきて、叱るとしばらく先に進む。そこでしばらく待っていて・・・といった具合に。
  • ユクソムからタシディンへ ワンデイ・トレック

    ユクソムからタシディンへ ワンデイ・トレック

    ユクソムの宿で朝食を済ませてから、山道をタシディンに向けて出発。一日だけの山歩きを楽しむ。日中一杯で歩くことができる距離で行程も簡単なのだが、道は判りにくいところはいくつかあった。集落のないところ、人が通りかからないところで突然分かれ道になっていたり、それまで歩いてきた、あるかないかわからないような道自体が忽然と消えてしまっている箇所があるといった具合。
    シンプルで素朴なマニ車
    大きながけ崩れの跡。滑落しないよう注意。
    行程で特にこれといって大きな見どころはないのだが、やはりそこは尾根から眺めるスィッキムの山間の自然豊かな景色を眺めること、ひなびた集落の様子を目にすること自体が最大の見どころということになる。歩きながら目標となるのは、ルート上にあるお寺であったり村であったりする。お寺の類で最初に訪れたのはドゥーブリー・ゴンパー。
    お寺は大改装中
    お堂はふつうに見えたのだが・・・。
    2011年のスィッキム地震爪痕が今も生々しい
    壁画はかなりひどく損傷していた。
    復旧が完了するまで相当な時間と費用がかかることだろう。
    お寺は外装を大改装中。僧院に誰もいなかったが、中に入ってみると、その理由が判った。2011年9月に起きたスィッキム地震のためである。一階のお堂は比較的状態が良いとはいえ、壁画が剥がれ落ちている部分がある。おそらくこれでもかなり修復を施したのだろう。外壁もきれいになっている。しかし、上階のお堂はひどいものだった。壁の絵が広範囲に渡って崩落している箇所がいくつもあり、仏具や装飾等が無造作にゴロゴロ置かれているなど、修復の最中にあった。
    緑したたるスィッキムの山の景色
    途中の集落の子供たち
    登り坂でひと汗かいたら小休止
    本日の行程において、勾配がきつくて大変なのは、その次のホーングリー・ゴンパーまで。あとはところどころ登り坂はあるものの、基本的には下降していくルートである。逆に言えば、ユクソムからタシディンに向かうのではなく、その反対のルートであると、かなり上り基調で体力を消耗するということになる。
    正面から見ると何でもないようだが・・・
    向かって右側の壁はすっかり崩落していた。
    ホーングリー・ゴンパーも地震の影響を受けており僧侶は不在であったが、被害はこちらのほうが明らかに大きかった。正面から見て右側の壁がほぼ完全に崩落してしまっている。おそらくガントク近くのルムテクやペマヤンツェー等の寺院も被害を受けたのではないかと思うのだが、やはり復興のカギとなるのは資金力ということになるのだろう。
    グラーム・パンチャーヤトが運営するゲストハウス
    ホーングリー・ゴンパーの敷地脇には、地域のグラーム・パンチャーヤトが経営しているというゲストハウスの看板があった。そういうレベルで経営がなされている「公共の宿」が他にあるかどうか知らないが、かなり珍しい例ではないかと思う。
    ここからは下り基調である。向こうの山にタシディンの町が見える。直線距離では、渋谷から新宿、あるいは渋谷から池袋程度の距離のはずだが、複雑に絡み合う高度の異なる山々の稜線を越えてのことなので、実際に歩く道のりは見た目よりもはるかに長い。
    Hongri Gompaまでの登りがきつかったので、これからは下りと安心していると、今度は分かれ道でどう進めば良いのかわからないところがいくつもあった。またガレキで行き止まりになっているところもある。
    ふたりばかりの集落を過ぎて、Nessaの村に到着。ここでようやくジープ道に出る。未舗装だが四輪駆動は通ることができる道なので、一気に文明社会に出た気がする。ここでようやく小さな商店があり、コーラとビスケット購入して遅い昼食とする。午後2時半くらい。
    スィッキムでよく家屋等の屋根の上で翻っているのを見かける三色旗、赤、黄色と緑の旗は何なのか尋ねてみると、現在の州与党のSDF(Sikkim Democratic Front)の党旗だということ。ここからもうすぐ近くにタシディンの町が見える。タシディン行きのジープが出るところであったが、せっかくなのでそのまま歩くことにした。
    ひとつ集落を過ぎてSinon Gompaに着いた。扉が閉まっているので見学できなかったが、外壁にあちこちヒビが入っており、入口両側の壁画も割れている。外壁については修復したばかりのようで真新しくなっている。
    スィノーン・ゴンパー境内にはためくタルチョー
    ゴンパの裏に学校があり、その脇からタシディンに下ることになるのだが、近くに見えてもまだまだ遠かった。すでに日没は近いので急がなくてはならない。学校脇で大工仕事をしていた人が、しばらく下るとジープ道に出るというので、その小道を急ぐ。しばらくは階段で、そこからは先のトレッキングルート同様の岩石だらけの細い路となる。
    ようやくジープ道に出たものの、今度はどちらに行けばよいのかわからない。道の上に民家があったので、大声で誰かいないか呼んでみると、出てきたのは子供たち。これはアテにできない。ジープ道から直下に下るけもの道がタシディン行きだと言うのだが、すでに太陽は山の向こうに沈んでおり、ジャングルの中で真っ暗になったら大変困る。とりあえず向こうから来たクルマがあったので、タシディンの方角を確認。クルマが来た方角がタシディンであった。
    問題はどのくらい遠いかということ。向こうから来た女の子たちに尋ねてみると、12キロなどというとんでもないことを言っている。これは何かの間違いだろう。しかし、他に尋ねる相手もいない。仕方なくその方角に歩くが、ちょうどジープ道を横切る二人連れがいたので聞いてみると、「ここを通ると15分でメインロードに出る」とのことなので、付いていくことにした。彼らは集落の住民で、帰宅するところであった。分かれ道に来て、彼らが集落に行くところで、それとは違う側がメインロードに続く道だと教えられる。
    しはらく下るとジープ道に出た。つづら折れになっている道をショートカットしたことになるのだろう。もうかなり暗くなってきた。タシディンまでは、まだ5キロあることが道路脇の表示で判った。タシディンまでのシェアジープがあればぜひ乗りたいが、なくてもここを歩いていけば着くということ、けもの道ではないので懐中電灯を点ければ歩くことができて、やがて到着できるという安心感がある。しばらく進むと見晴らしの良いコーナーがあり、タシディンの夕暮れ風景を一望できる。景色は美しいのだが、早く着きたい。歩きくたびれたし空腹だ。
    眼下にはタシディンの町
    しばらく進むと後ろから二台の大型トラックが来るのが見えた。止めて尋ねるとタシディンの方向に向かうというので乗せてもらうことにした。
    タシディンの町に着き、小さなマーケットにある食堂で、ペリンから同行させてもらっているUさんと夕食。注文して出てきたモモもトゥクパも疲れた身体に染み入るように旨く感じられる。ビールも最高に気持ちよく胃の中に吸い込まれていく。
    タシディンでの夕食
  • ペリンから一日観光

    ペリンから一日観光

    朝一番の眺めはいまひとつだった。
    ペリンといえば、この町からのカンチェンジュンガ峰の眺めで知られているが、夜が明ける前に起きだしてみたが、残念ながらちょうど峰の部分に雲がかかっていた。これはこれで奥ゆかしくていいかもしれないが。
    幸いなことに雲が移動して眺めが良くなった。
    本日のクルマ。フロントガラスのヒビ割れの補修がなかなかイカしてる。
    本日は日帰りでこの地域をクルマで観光するつもりにしていたが、明日にはユクソムに行くつもりであったので、本日の行程が終わったらユクソムで降ろしてもらうことにした。
    大きな吊り橋
    滝。珍しいものではないが・・・・。
    最初に大きな吊り橋と滝を訪れる。このあたりは水にも恵まれているため、緑は豊かだ。山あいに広がる段々畑、村落、日を浴びてのどかな村の風景を楽しむ。日向にいると陽射しはそれなりに暖かいのだが、日陰に入ると非常に寒い。自宅にあるダウンの中で最も厚いものを着てきて良かったと思う。
    晴れ渡った空に草木の色が映える。
    こんな感じの家屋が多い。
    蒸篭を日常的によく使うのだろう。
    日本の信州を思わせるような景色
    日陰はやけに寒い
    ケチョパリ湖に行く。ここには土産物屋を経営している日本人女性がいらっしゃるという情報はウェブで得ていた。
    すぐに判るだろうか?と入場チケット売り場から中に入ってすぐのところであった。小さな日の丸が店の壁に貼られているので人に尋ねなくてもそれと判り、お会いすることができた。だがここに立ち寄るインド人観光客たちは、まさか日本人がここで店を開いているとは想像もしないようである。
    湖自体は、ブーティヤー族仏教徒の聖地ということになっているらしいが、一般の観光客が多く、参道に列を成している状態だ。夏のシーズンには大混雑になっているのだろう。
    湖の手前にはチベット仏教寺院がある。ブータンやチベットから来た僧侶も滞在しているとのことで、山間の小さな集落にあるとはいえ、なかなか「国際的」なお寺でもあるようだ。
    仏教寺院
    ケチョパリ湖
    ビューポイントへの道
    湖の眺め
    山間の集落にも携帯電話のタワーが建っており電波がちゃんと届く。
    彼女に勧めていただいたビューポイントまで歩いてみることにした。湖のすぐ東側の斜面を登ったところにある。展望台脇にある店の主らしき男が、芝の上で昼寝をしている。日常は分刻みで仕事をしている身としては、時間がふんだんにあるという点について、少々羨ましくならないでもない。
    そこからもうひとつの滝に行く。ここは高低差が大きく、筋もみっつある。一番大きなものはかなりの水量で迫力がある。
    ふたたび滝
    本日はペリン周辺の景色を楽しむことができて良かった。午4後時半くらいにユクソム到着。のんびりした感じの集落だ。宿もなかなか新しくてキレイだ。ペリンから同行のUさんとビール飲みながらの夕食を楽しんだ。
    ユクソムでの宿
    夕食(の一部)
  • ペリンへ

    ペリンへ

    午前中はガントク市内を散策。せせこましい斜面の街並みに高層建築が増えているため、街路は陽当たりが悪く、寒々とした感じがする。
    ガントクの乗合ジープスタンドから出発
    予約した乗合ジープは昼過ぎの出発。できればもっと早い時間に出たかったが、いかんせん本数が少な過ぎる。州内の交通の大半が乗合ジープであるのは、道路が細くて舗装も貧弱であるため仕方ない。だが他州に較べると格段に人々の移動が少ないのではなかろうか。もちろん、それだけ人口が希薄であるということにもなる。
    決して豊かな州ではないし、これといった産業があるわけでもない。その割には極端な貧困層は多くないように見えるのは、やはり人口が少ないことと、中央政府が予算配分で優遇しているということもあるだろう。国境線を巡って幾度か痛い目に遭わされてきたインドとしては、すぐ北にある中国に対する警戒心を解くわけにはいかない。
    ガントク市内を南に下る。家並みが密集している中、ぽかんと開けた空間があった。Iリーグのスィッキム・ユナイテッドの本拠地グラウンドである。元インド代表ストライカー、バイチュン・ブーティヤーは現在ここに在籍している。この時期なのにピッチの緑がつやつやと輝いているのは、まさかグラウンドの整備が行き届いているためというわけではなく、おそらく人工芝なのだろう。
    行けども行けども、山また山。スィッキム州の景色は素晴らしい。同じチベット仏教地域でもラダックのあの月面のような風景とはまったく違い、つやつやとした豊かな緑に恵まれている。水も豊富でところどころで岩清水が湧いては流れ落ちている。自然の恵みの豊かさを感じる。ラダックに較べると、チベット仏教色がやや薄く感じられるのは、仏教徒以外の住民も多いからに他ならない。
    クルマに乗り合わせている人たちの大半はベンガルからの旅行者たち。私の後ろには四人の家族連れと最後の列の席にはカップルがいる。それにしてもジープに11人乗るので、かなりきつい。私は最前列の左側。運転手の横に私含めて二人座っている。それでも最前列はまだいい。後ろの席はもっと窮屈そうだ。乗合ジープはたくましい駆動力で山道を進んでいく。やはり4WDのクルマは、きれいに舗装された市街地で乗るものではない。悪路で荒っぽく使いまくるためにあるのだ。
    街道沿いの茶店で休憩
    タルチョが風にはためく
    ガントクからペリンまで5時間半ほど。道のりを半分ほど来たあたりで、食事休憩が入った。天気は良く陽射しもいいのだが、気温はかなり低くてカゼを引きそうだ。休憩後走り出して間もなく、ラヴァングラーの町を通過する。スィッキム州では、山道を走っていると、いきなり町に入るのでちょっとビックリする。それだけ人々が密集して暮らしているということなのだろう。あまり広がりすぎると往来が困難になるとともに、おそらく電気や水道等のインフラの整備の関係もあるのではなかろうか。狭くコンパクトにまとまることにより、限られた費用で生活や産業の基盤を整えることができると考えられる。
    どこもかしこも山景色
    市街地に入ったときだけ、スマートフォンでインターネットに接続できるようになる。そして郊外に出ると可能なのは通話のみ。人口が希薄でアンテナ等施設の設置と維持に費用がかかる割には投資分の回収を期待できそうにない地域では、相変わらず民間の携帯キャリアではなく、BSNLが強いらしい。
    それでも、ここ10年ほどでインドの通信事情は飛躍的に向上している。インターネットが普及してきたころ、ネットカフェで30分くらい費やしてもメールチェックさえできなかったりすることが珍しくなかったことが、ずっと遠い昔のことのように思える。今ではスマートフォンで手軽に見ることができるし、フェイスブックで友人・知人たちの近況を知ったり、こちらから投稿したりすることができる。インドの場合、スタート地点が低かっただけに、その成長ぶりには目を見張るものがある。
    スィッキムはインドの東のほうにあるため、夕暮れどきがずいぶん早い。午後5時にはもう真っ暗。日没は4時半過ぎくらいではないだろうか。その理由のひとつに山並みが太陽を遮ってしまうことも挙げられる。
    ペリン到着まであと少し
    5時を回って「夜になる」と、満月が美しかった。山あいに点々と光る電光を目にすると、それらの場所に人々の暮らしがあることを気づかされる。スィッキム州の給電事情は良好だ。水力発電が盛んであるためだろう。すぐ隣のブータンもインドに売電しているくらいだから、スィッキムも州外に電気を売るくらいの余裕があるのかもしれない。
    午後6時にペリンに到着した。アッパー・ペリンの宿の前で降車。小さな町ではあるが、正面には24時間営業の銀行ATMがあるのにはちょっと驚いた。チェックインの手続きをしていると、日本人旅行者Uさんに出会った。ちょうど明日は周囲を観光するとのことなので、クルマをシェアさせてもらうことにした。
  • ガントクへ

    ガントクへ

    実に20年以上の年月を経て、スィッキム州を訪問することになった。前回訪れたのは確か5月だった。平地の暑気から離れてホッと一息ついたものだが、今回はその反対。心地よい気候の平地から入ってくると、西ベンガル州の山岳地のダージリンにせよ、スィッキム州にせよ、日が沈んでからの寒さがとてもこたえる。日本の冬と同じような気温とはいえ、基本的に暖房がないので着込むしかない。しんしんと冷え込む中、さっさと寝てしまえばいいのだろうが、日記その他を書いていると寒さが骨身に沁みるような気がする、などと言っては大げさすぎるだろうか。

    バケツに温水を溜めて髪と体を洗う。湯を浴びているときはそれなりに気持ちはいいのだが、前後左右から冷気が迫るため、すぐに身体が震えるほど寒くなってくる。バスタオルで全身を拭くころにはすっかり冷え切っていて、即座にカゼを引いてしまいそうなくらいだ。背中から布団や毛布を羽織り、ベッドの上で足を投げ出して座ってしばらく書き物をしていると、膝に載せたノートPCの温もりが心地よく、湯たんぽのような効果があることに気が付く。

    夕方以降の室内の寒さは、西日の当たり具合にも左右されるようだ。ガントクでの宿のこの部屋は、午後の陽がまったく当たりないロケーションになっているようで、日没後に外から戻ってくると、室内のほうが寒かったくらいだ。

    今回、ガントクの街に着いてみて、果たしてこれが同じ場所なのかと首をひねりたくなるくらいだった。前回の訪問から20年以上の時間が過ぎているため、いろいろと大きく変わるのは当然であるにしても、これほど景観が変わってしまうとは想像もしなかった。何が大きく変わったのかといえば、ガクトクの建物のタイプが昔と根本的に異なっている。州都ガントクの中心部、MGマールグ界隈では、「昔と今」の鮮やかな対象を目にすることができる。

    ガントクの建物新旧 木造二階建て「イグラー」を取り囲むコンクリートの高層建築
    「イグラー」の建物は、ガントクにはごくわずかしか残っていない。

    マーケットの中にごくわずかに残る「イグラー」と呼ばれる、スィッキム州独自の木造建築だ。普通、建物は緑色に塗られており、トタンで屋根を葺いた二階建てだ。一階部分は店舗、通常二階は住居や倉庫となっている。前に訪れたときには、州都最大の商業地区MGマールグ沿いの店舗のほとんどは木造のこんなスタイルであった。現在、ガントクではこういう建物で新築する人はいない。斜面の街の限られた土地を有効活用するため、いきおい高層化することになる。建物がローカル色のあるものから、全インド共通のコンクリ柱とレンガで作る普遍的なものに置き換わったこと、加えて高層化により空が狭くなり、昼間でも通りが暗く、往々にして陽当たりも悪くなったといえる。

    2011年9月に発生したスィッキム地震の際、斜面という元々地盤の軟弱な土地であることもあり、多かれ少なかれ被害を蒙った建物はかなりあったという話は聞くが、全壊してしまったビルもあったというから恐ろしい。地盤がゆるく、傾斜のきつい場所には不釣り合いなほど高層であったことが災いしたということだ。

    2011年9月のスィッキム地震で全壊したビルの跡地
    しばしば地震が起きるスィッキム州。こういう建物もかなり危険なのではなかろうか。

    それはともかく、MGマールグ界隈では、申し合わせがあるのか、それとも条例で定められているのか知らないが、コンクリート造の建物の外装は薄緑色になっているため、ガントクらしい雰囲気と統一感はある。現在では車両乗り入れ禁止の遊歩道となっており、通りの中央には花壇がしつらえてあるなど、なかなか洒落た感じになっている。ライトアップされた夕方以降など、なかなかいいムードになる。

    なかなか洒落た眺めのMGマールグ

    それでも午後8時を回ると、開いている商店もごくわずかとなり、まるで深夜のような静けさとなるため、これが州都の中心地であるとはにわかに信じ難い気もする。

    こんなカフェも現在ではあって当然の州都ガントクのMGマールグ

    _