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カテゴリー: life

  • ヴァンデー・バーラト・エクスプレス(1)

    ヴァンデー・バーラト・エクスプレス(1)

    コロナ禍の少し前に導入されて、インド各地でそのサービスが広がるヴァンデー・バーラト・エクスプレス。

    鉄道分野におけるモーディー政権の目玉政策のひとつ。中・短距離の準高速列車で、広大なインド国内の地域間の迅速な移動を可能とするものだ。イメージとしては従前の「シャタブディー・エクスプレス」的な具合ではあるものの、これよりも区間の長いサービスが大半で、シャタブディーとは重ならないルートも多い。いずれはシャタブディーのルートを吸収して置き換わる方向のようだ。

    インドでエクスプレスといえば「デカン・クイーン」「フロンティア・メイル(残念ながら現在は改称されてゴールデンテンプル・メイル)」等に代表される植民地期から引き続き使われるロマンチックな響きの名称、ニールギリー・エクスプレス、コロマンデル・エクスプレス等、地域を象徴するもの、アムリトサル・ディブルーガル・エクスプレスのように始発と終点の地名で命名したもの、加えて特定の目的で導入されたガリーブ・ラト(文字通り豊かでない層のための迅速な移動手段としての急行。連結する車両構成もそのような具合)、ドゥロント・エクスプレス(通常のエクスプレスと同じような車両編成だが、停車駅が少なく通過の優先順位も高いため、より速い移動が期待できる)等のようなものもある。これらにはそれぞれサービス区間の地名などが入る。

    そして他のエクスプレスと車両を共有せず、全車両空調完備の専用車両及び飲食サービス付きで運行するのが、ラージダーニー・エクスプレス(Capital Expressの意)、シャタブディー・エクスプレス(Century Expressの意 )。インド国鉄におけるアップマーケットな高速移動手段とし長年に渡り君臨してきた。

    モーディー政権下で、発展したインドを象徴するインド国鉄のサービスとして導入され、勢いよく各地での開通が相次いでいるのが、このヴァンデー・バーラト・エクスプレスなのだ。

    前述のとおり、インドのエクスプレスの名称は地域やスキームの目的を象徴するもの、そして専用車両でのサービスについてはニュートラルな命名がなされていたが、このヴァンデー・バーラト(インド万歳、賛インド、栄えあるインド)については、ヒンドゥー右翼政権らしい「いかにも」な名称。

    車両内は日本で言えば、新幹線とはいかないまでも長距離を結ぶ特急列車のイメージ。すこぶる快適である。

    ラージダーニー等の専用車両のエクスプレスもそうなのたが、このヴァンデー・バーラトも発車時には自動ドアが閉まり、移行は乗り降りはできない。ゆえに発車前には「この列車でご移動出ない方はすぐに降りてください。発車後は外に出られません」というアナウンスが流れる。

    トイレの入口
    快適なトイレ

    人情に厚いインドで駅まで人を見送りに来る場合、席まで行って、発車時まで別れを惜しむ姿はごく当たり前。発車のベルとエンジンの汽笛が鳴るまで、車内でおしゃべりし続けるのだ。

    ガタンと音を立てて車両が動き始めてからようやく「気を付けてね」と別れを告げて、外に出たかと思うと、最初はゆっくりと動く列車と並んで歩きながら車外と車内で手を繋ぎながら会話を続けるカップルの姿は、昔のラブストーリーもののインド映画の定番シーンだったが、この類のエクスプレスではそういう演出はかなわない。

    車内で提供される朝食

  • 駅前宿と界隈での夕飯

    駅前宿と界隈での夕飯

    ニューデリー駅前の宿。booking.com経由で名称変更の連絡が3回も届いて、「泥棒宿かよ」とのけぞったが、至って普通というか、部屋はとても良かった。ニューデリー駅前なのに、これで1500Rs台というのはお得だ。

    駅まで徒歩2、3分(路地から出て道を渡るだけ)というのは、朝とても早い出発のため、とてもありがたい。しかも場所柄、早朝から人の往来が多く、乗降客が多数なので、朝5時台でも腹ごしらえが可能なのである。

    経営は違うのに、同じものを出す食堂ばかりが並んでいるのは、いかにな駅前風景だ。

  • 青年は間に合ったか?

    デリー空港から市内へのプリペイドタクシーで、1時間後にカシミーリーゲートISBTから出る長距離バスに乗るという青年を同乗させてやることになった。

    彼はゴアからのフライトが遅れたことに加えて、バイクでデリー空港まで迎えに来てISBTまで送ってくれるはずの友人が、ノーヘルで警察に捕まって来られなくなってしまったとのこと。

    私はこれからニューデリー駅前のパハールガンジまで行くところであるため、途中で通過することになるデリーメトロのラジーヴ・チョウク駅から、そのメトロのイエローラインで向かうように告げた。

    元々私に話しかけてきたのではなく、客待ちしている運転手たちに対して、カシミーリーゲート方面に行くようであれば便乗させてくれと頼んでいたもの。

    運転手からその話を聞き、構わないよと承諾して、乗せてあげることにした次第。困ったときはお互い様である。

    市内中心部に出て、コンノート・プレイスのメトロの入口あたりで下したが、果たしてバスに間に合うかどうか微妙なタイミングであるため、その後しばらく気になった。

  • バンコクのインド人ナイトスポット

    バンコクのインド人ナイトスポット

    フライトまでの2泊はバンコクのナーナーに滞在した。ちょっと良いホテルに投宿。朝食バフェが付いているのだが、有数の繁華街にあるため、食べているのは男性客ばかりで、女性客はほとんどいない。その数少ない女性客は男性客の連れのようだが、どう見ても夫婦にも恋人同士にも見えないというケースがほとんど。隣のテーブルのふたりも、互いに言葉すらロクに通じないのであった。

    そんな界隈にはインド人観光客の増加を反映してか、インド人専用の夜遊びスポットがある。「専用」というのは、店の前の客引きがインド人客にしか呼び込みをしないからだ。

    このあたりでは大音響でアラビアのポップスも流れているため、おそらくアラビア人用のスポットもあるらしい。このあたりは商圏を同胞に定めているようで、ランダムに声をかけてくるわけではないようだ。

    通りには、いわゆるストリートガールがずらりと並んでいて、その数と年齢層の幅広さと多国籍ぶりには驚く。おそらくタイ人に見える中にはラオス、カンボジア等々周辺諸国からも来ているのだろうし、アフリカのどこかから来たと思われる街娼の姿もある。

    そんな中のひとり、黒い被り物をしたアラブ人女性は観光客ではないようで、同じところに立ってアラブ圏から来たと見える男性たちに声をかけては話し込んでいる。こちらも街娼らしい。

    インド人ナイトスポットのあたりでは、けっこう高価そうなシャルワール・カミーズを着用した女性がインド人男性二人連れと何やら話し込んでいる。

    インド雑学研究者としては、こうしたインド女性たちがどこからやってくるのか、どういうきっかけで渡泰したのか、なにかリクルートのルートがあるのか、どのような形態で活動しているのか、何年くらい続けているのか、どのくらいの人数規模があるのかなどと、社会学的な観点からの関心が頭を持ち上げる。

    商談中のふたりの横で、スマホをいじりながら彼の次に話をしてみようと終わるのを待つ。女性はインドでは耳にしないアクセント。タイ生まれのインド系の人たちの訛りなので、インド系タイ人ではないかと思われた。

    そうこうしているうちに、話がまとまってしまったようで彼女は男性二人とそこを後にしてしまい、ちょっとガッカリ。

    道路反対側に東南アジア系ではない女性たちが数人いたので移動してみると、やはりそこにもインド人と思われる人がいた。やはりインド人に特化して活動しているらしく、欧米人や私のような日本人が近づいても顔すら向けることはなかったが、こちらから「Kya haal chaal hai ? (調子どうよ?)」と声をかけてみる。

    一瞬かすかな戸惑いのような表情は見えたものの、こちらが彼女に関心を持っていることはわかったようだ。

    ラージャスターン州から来たという30代前半と思われる女性。ここでは2年になるとのこと。見た感じは観光客としてバンコク訪問のインド人客に見えなくもない。先ほどの女性のようなタイ訛りはないので、本当にインドから来たのだろう。ヒンディー語は何かと役に立つ言葉である。

    どこかの店の客引きをしているわけではなく、彼女自身がフリーランスで活動しているとのこと。昼間は他のどこかで仕事をしているわけではなく専業だと言う。(VISAはどうなるのか?)基本、夕方から毎日ここに立っているそうだ。

    そんな話をしばらく聞いた後、「これからどうですか?1,000バーツだけど、部屋代は別途300バーツ払ってね。ここの路地のすぐ裏だけど遊びませんか?」とかなんとか。

    この流れだと、インド人客であれば「料金融通利きますか?600バーツでどうでしょう?近くに泊まっているので、私の部屋でも大丈夫ですよ、ノープロブレム。さあ、行きましょう!チャロー!」と口走る人が大半ではないかと思う。

    界隈では、数はけっして多くはないものの、インド人と思われる姿はたしかにチラホラと見られるため、インド雑学的見地から興味関心はそそられる。

    しかし、こればかりはそうした当人たちのお客さんにならない限りは、本格的な調査は容易ではなさそうだし、深い話を聞きだそうとすれば、常連さんになる必要があるような気がする。

  • デリー書籍漁り

    デリー書籍漁り

    フィローズシャー・コートラーを後にして、オートでアサフ・アリー・ロードのデライト・シネマへ向かう。そのすぐ隣がヒンディー・ブックセンター。

    店に入ると、店主のAさんはすぐに気がついてくれた。ここで辞書をふたつといくつかの書籍を購入。辞書はいずれも「ヒンディー→ウルドゥー」もの。久しぶりにしばらく世間話をすることができて良かった。

    彼による「最近のインド出版事業」を拝聴する。要点は以下のとおり。

    ・オンデマンドによる少数出版が可能となり、トレンドになってきている。ウチも大きな在庫を持つ必要がなくなった分野がある。

    ・新興の出版社が増えてきた。デリーにもそういうものがいくつもある。

    ・しかしヒンディー語出版については電子化は進んでいない。読者層が紙媒体を選好するという事情もある。このあたりは英語出版とは異なる部分だ。

    今回は訪れていない出版社でもそうなのだが、会社トップに立つ経営者がやたらと忙しい。細かなことまで次から次へと、常に指示を飛ばしていないとならず、たいへんそうだ。

    ここヒンディー・ブックセンターで何冊か購入。

    左の上下2冊は今どきの右傾化インドでよくある「近年になって突然スポットライトが当たった愛国憂士」。上は「アングロ・マニプル戦争時代のこと。下は英国支配べったりだった藩王国の王子ながらも愛国心を発揮した人士らしい。真ん中の上はインドにおける革命と反革命、下は2020年に突然、インド憲法第370条廃止により、J&K州の他州にはない格別な地位が無くなるとともに、州のステイタスも剥奪されて連邦直轄地化されたことについて書いたもの。一度ちゃんと本にまとめられたものを読まなくては、と思っていたのでちょうど良い。右側のふたつは新しく追加購入してみた辞書。

    ヒンディー・ブックセンターからデリー門を越えて向かったダリヤー・ガンジには良質なガイドブックで知られるJAICOショールームがある。ここで何冊か買っておいた。今の時代、ロンリー・プラネットのような旅行案内書はもはや要らないけど、こういうのが役に立つ。今の時代、ガイドブックに旅行情報は要らなくなったが、各地で見るべき建築物その他について事細かに的確に解説してある本こそ意味がある。

    大判の書籍、シャージャハナーバードを復元/検証する試みの本。大ぶりな古地図の復元版も折込みで同封されている。ちょうどこの界隈を書店巡りを兼ねて徘徊しているため「おお、スンヘリー・マスジッドのあたりはそうだったのか!」などと、感激する。

    あとはいわゆる「今どき読まれている本」の並んでいた中から。民芸品やインド服などは一切買わないので、個人的な買い物はすべて書籍となる。

  • フィローズ・シャー・コートラー

    フィローズ・シャー・コートラー

    メトロのITO駅で降りて久しぶりに訪問してみた。下宿時代に大家さんはITO(インカムタックスオフィス)のお役人だったので、いつもこのあたりを行き来していたのだろうなぁと思い起こすとともに、私も前回この遺跡を訪れたのはたぶん30年以上前なんだよなぁなどと思いつつ。

    平日はチケット売場はヒマらしく、係員は机に突っ伏して寝ている。「兄ちゃん、仕事せいや〜」と笑いながら言うと、バツが悪そうにしている。私が行ってしまうとまた寝るのだろう。誰も来なければすることないし。遺跡内にもほとんど人はおらずガラ〜ンとした平日の昼間。

    遺跡の中の建物の陰にはカップルの姿があるのはいつの時代も同じ。今はちょっと違うのは学生風の若いカップルだけでもないこと。木陰で色っぽい感じの主婦らしき女性が仲睦まじくしている相手は、ひとまわりくらい年下か?下世話ながらも、どういう関係なのか少々気になってしまう。人目を忍んで会っているからには何かワケがありそうだ。

    それはそうと、遺跡が多いことで「東洋のローマ」などと形容されることも多いデリー。

    インド人は20Rsとか25Rsとかで入場できる(ゆえに人目を避けてのカップルの逢い引きの場にもなる)遺跡だが、外国人料金では場所にもよるが300Rsとか500Rsその他の設定。

    昔私自身がバックパッカーとして旅行していた頃には入場料に外国人料金などというものはなかったので安価にたくさんの遺跡等を見学することができた。

    しかし今のような具合だと、時間はたくさんあるけどお金はない若いバックパッカーたちは、費用を払い切れないので、見学先を厳選して足を向けるようなことになってやしないかと気になる。

    たとえば朝早くから出歩いて、フマユーン廟550Rs、博物館550Rs、ラールキラー550Rs、プラーナーキラー300Rs合計2000Rs近くを入場料として嬉々として支払うだろうか?

    インドが安いからバックパッカーも訪問しやすいわけだが、それにしても入場はずいぶん高い。(自国民の20数倍とかそれ以上の設定だ)

    せめて学生は外国人料金免除とか、20代まではそのような料金は徴収しないとか、なんとかしてあげられないものか?と声を大にして言いたい気がする。

  • スルターン・ガリー

    スルターン・ガリー

    遺跡の宝庫デリーなので、無料で観ることが出来るものにもこんな素晴らしいところがある。13世紀に建てられたデリーの奴隷王朝のナスィールッディーン・メヘムード王子の墓。内部には地下室がしつらえてあり、3基のマザール(墳墓)に捧げられた花とお香の香りが絶えない。元ヒンドゥー寺院であったものを転用したとされる。ヴァサント・ヴィハールメトロ駅からオートで12分くらい。

     

     

  • ワンポイントリリーフ

    ワンポイントリリーフ

    開封前

    昔からこんなのがあるのだが、わずか1回の用足しで役目を終えてしまう、巻きがあまりに小さなトイレットペーパーはどうなのか?と思う。そこに作り手の良心はあるのか?とも。

    開封後
  • カッコいいけど格安

    カッコいいけど格安

    アウランガーバードで見かけたちょっとスタイリッシュな軽食屋の看板。

    肝心のお店の写真を撮影していなかったが、この看板のとおりシンプルながらもスマートな感じで洒落た構えなのに、道路脇でトタン屋根の下で開業しているチャーエ屋と同じかそれより安い料金というのが面白い。

    チャーエ(マラーティーでは「Chahaa」と呼ぶらしい)が7Rs、ポーハー、ウプマー、サモーサーがいずれも15Rs。

    下手するとわずか22Rs「チャハー + サモーサー」で朝食、軽食が事足りてしまう、でも女性とデートで立ち寄ってもまったく恥ずかしくないカッコいい店構えという具合。これはきっと、地元の学生や若者たちにはとってもありがたい存在にちがいない。「ウルトラ格安版スタバ」(笑)みたいな感じで。エアコンはないけど。

    肝心の店内を撮ってないのが、あぁ悔やまれる。ちょうど書店巡りしていて、帰りに立ち寄ろうと思ったのに、すっかり忘れてオートに乗ってしまったのだ。

  • ジャイビーム・ナガル

    ジャイビーム・ナガル

    アウランガーバードのムスリム地域の一角に新仏教地区がある。その名も「ジャイビーム・ナガル」。インド初代法務大臣ビムラーオ・ラームジー・アンベードカルは新仏教徒つまりアンベードカルが初めた仏教への改宗運動(差別階級のヒンドゥー社会との決別運動)に賛同した伝統的ではない政治的ネオ仏教徒たちのこと。

    ジャイビームとは、「ビームに勝利を」という意味。ビームとはアンベードカルのファーストネーム、ビームラーオの略。かなり社会的なテンションの高いエリアであることは想像がつく。

    「जयभीम नगर (ジャイビーム・ナガル」のはずだが、地区入口のゲートには「जयभिम नगर (ジャイビム・ナガル」とある。マラーティーでは短くなるのだろうか?

    ジャイビーム・ナガル地区入口
  • 城門の街

    城門の街

    デリーその他同様にアウランガーバードも古い時代の城門が多い。元々は52の門があり現在も残っているのは、その中から13の門とのこと。

    BHADKAL GATE
    BHADKAL GATE 内部

    大通りで門が残された部分がロータリー状になっているものもあれば、門をくぐるところだけ道幅が狭くなっているケースが少なくない。見るからに事故が起きそうではあるものの、文化財である門を取り壊すわけにはいかないので仕方ないのだろう。

     

    MAKAI GATE 外側
    MAKAI GATE内側

    城壁がぐるりと巡らされた中で、昔々は城門から人々は出入りしていたわけだが、市街地の拡大とともに、そして街の近代化とともに城壁の多くは取り壊された。大通りが城門を抜けることは出来ず、城門を取り壊してしまうのもどうかということで、門の両側を上下路線が通る。かつては城市内外を分ける大切な施設であった門や城壁は、現在の往来においては余計な障害物でしかない。

    KAALAA GATE

     

  • 旅先で、このカメラはどうだろう? Xiaomi 14 Ultra

    旅先で、このカメラはどうだろう? Xiaomi 14 Ultra

    indo.toでは、ごくたまに私が個人的に「インドでどうだろう、この一台?」と思う新製品のカメラを取り上げていたが、このところ数年間はそれが途絶えている。

    理由はただひとつ。スマホのカメラ機能の大幅な向上により、コンパクトデジカメのニーズが食われてしまったこと。それにより一部のハイエンドなコンデジが生き残るも、商品サイクルは長いものとなってしまったことがある。

    私が持っているキヤノンのG7X MarkⅡは、2014年発売のG7Xがマイナーチェンジを繰り返しながら販売されているものだ。今年で発売10周年になる。以前はこのようなことはなかったため、コンデジのマーケットはある意味、非常に成熟したとも言えなくもない。

    Xiaomiの14 Ultraは、12 Ultra、13 Ultraと続いてきたこのシリーズとしては、初の日本市場での発売。保証の関係でグローバル版購入をためらっていた層はうれしい知らせだった。

    ライカ監修の35mm換算23mm(F1.63)のメインカメラ、超広角12mm(F1.8)、75mmの望遠(F1.8)、120mm(F2.5)のベリスコープと四つのレンズを備えている。23mmレンズについては、F値1.63~4.0の可変絞りによる無段階調光。いずれも画素数は5,000万画素。イメージセンサーは1インチのものを搭載している。

    フロントカメラは3,200万画素と、これまた良好な画質であるため、自撮りの際にもリアカメラでの撮影と較べて遜色ない。

    ただ惜しいのはe-SIMに対応していないことだ。世界で売り上げ第4位の大メーカーのハイエンド機としては、この部分はかなり残念ではあるが、高級コンデジにスマホが合体したようなものであるのが、この14 Ultraだ。

    日本市場モデルで購入すると付いてくる「Photography Kit」もまた素晴らしい。これを装着すると、まんま「カメラ」に変身するとともに、物理シャッターは付くし、ダイヤルで露出の調整が出来るようにもなるため、使い心地が向上する。さらには同梱されているフィルターアダプターを付けると、67mmのフィルターが利用できるようになる。常々スマホでもPLフィルター、NDフィルターが利用できたらいいと思っていたので、これはとても楽しい。

    ただストラップの部分だが、出来れば両吊りできるようにしてもらいたかったという思いがする。

    そんなことからこの端末について、日常で、旅行先で「どうだろう、この1台」ということで今回取り上げてみることにした。販売価格は現時点の最低で15万円、16万円くらいからということになるため、「それなら高級コンデジを買ったほうが・・・」という声もあるかと思うが、スマホと有能なコンデジが一体となっている部分に特別な価値があると言える。

    なかなかカメラを出しにくいシーンでも気兼ねなく取り出せることもあるし、インドでカメラによる撮影は咎められても、スマホならば許容されているような場所は少なくない。

    たとえば駅などの鉄道施設であったり、博物館等であったりする。博物館といっても場所によりさまざまで、カメラやスマホの持ち込みができず、入場前に預けなくてはならないところもあれば、撮影料を支払って撮ることができる場所もある。はてまたカメラでの撮影は不可であるけれども、スマホやケータイはOKというケースも。

    いずれにしても「カメラ未満」という認識が一般的であるため、撮影にかかるハードルが低いことになる。

    そんなことから、わざわざカメラに見えてしまうPhotography Kit装着でそういうところに出かけるのはどうかとも思うが、ケースを付け替えて変身できるのも、スマホの気楽なところだ。