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カテゴリー: life

  • 快適な宿

    快適な宿

    アフマドナガルでの宿泊先はHotel Prabha Palac。この街にあるバススタンドで通称「プネーバススタンド」から南に下ったところにある。本日のバスはそこで下車してオートでホテルに向かった。

    とても感じの良いホテルで、オーナー自身がよく顔を出して客に声をかけたり、従業員の様子を見ているようだ。こういうところはたいていちゃんとしているものだ。

    採光が良くて明るい室内
    部屋からの眺め

    部屋はとてもモダンかつきれいで快適だし、風呂場も同様。そして併設されているレストランもとても良い。女性たちが複数ウェイトレスとして働いているというのもインドでは珍しい。とりわけ田舎町のホテルとしては。

    ホテルのレストラン。意外なまでにあか抜けている。

    ホテルには隣接する広場というかファンクション用の広大なスペースがあり、ここを借り切ってパーティー等ができるようになっている。

    そこでは本日「婚約式」のパーティー。インドのお父さんお母さんは娘さんが結婚するときの支出はたいへんだ。それでも近年は結婚したのにすぐ離婚というのも珍しくないが、合わなければサッサとやめたほうがいいとはいえ、大変だなあと思う。

    「婚約式」進行中
  • 大好きなドリンク

    大好きなドリンク

    AMULのシリーズのこのふたつがとても好きだ。上はエライチ(カルダモン)、下はケーサル(サフラン)。いずれも深い味わいが楽しめる。インドならではの濃厚なミルクベースの嗜好品である。

  • ラダックに五つのディストリクトを新設

    先日、インドのニュース番組を見ていたらラダックで五つのディストリクト(ズィラー)を新設という報道があった。J&Kから分離したラダック、現在は連邦直轄地となっているが、あれから5年経過して、ようやく新州になる下準備なのだろうか?などとぼんやり思った。

    新設されるディストリクトとは、ザンスカール、ドラス、シャーム、ヌブラとチャンタンとのこと。

    「あれ?これまでそのあたりはそういう扱いではなかったの?」と思われるかもしれないが、面積は広大なラダックには二つのディストリクトしかなかった。ひとつがレー、もうひとつがカルギルだ。これらから分割されたのが新しい五つのディストリクトだ。

    それはそうと、パンジャーブからヒマーチャルのマンディー、マナリーを経てレーに至る鉄道建設はすでに始まっているようだ。現在工事中の区間は、パンジャーブからヒマーチャルに至る部分。全線開通すると、デリーからレーまで直通という話もある。ラダック行き路線の起点となるバノープリーはデリーのほぼ真北330kmのところにあるため、新設される路線の始まりはそこでも列車の運行はデリーからとなるはずだ。

    Centre creates 5 new districts in Ladakh (ANI)

  • アウラングゼープここで没す

    アウラングゼープここで没す

    この場所でアウラングゼープの亡骸が清められたとのこと。

    アフマドナガル郊外のマドラサへ。ここはアウラングゼープゆかりの施設である。大柄なモールヴィーが簡単に説明してくれた後、「後は彼に話を聞きなさい」と中年男性を私に付けてくれた。アウラングゼーブの最期を目的に訪問する外国人は多くないようで、やたらと親切だ。

    アウラングゼーブはここにある小さなモスクで礼拝中に倒れて帰らぬ人となったそうで、モスクのすぐそとにある基壇状のものは、亡骸となったアウラングゼーブがそこで清められたことを記念するものであるとのこと。

    そのすぐかたわらにあるバーラーダーリーは入ってみるととても風通しが良くて気持ちがいいのだが、まさにここが晩年の彼のお気に入りの場所であったのだとも。その上階では彼の配下の軍団の長が地面から大声で報告するのを聞いていた場所とやらがあり、説明してくれる男はあたかも自身が昨日、アウラングゼーブがそうしていたのを見ていたかのように話す。

    バーラーダーリー内部

    また、朝一番の礼拝は地下室で行っていたとのことで、その場所は今も残っている。もともとは南北に細長かった地下室は壁で塞がれて二分されているのを除けば、形状はそのままであるとのこと。

    アウラングゼーブが祈りを捧げていたという地下室

    アウラングゼーブ自身はこの施設で自身のためにかかる費用は一切、自身の帝国の予算からの支出は許さず、彼自身が達筆で書写したコーラン、彼自身が刺繍して仕上げたトーピーなどからくる収入を充てていたとも。さすがにこのあたりにまでくると、この人が実際に昨日まで直に接して見てきたかのように言われても、にわかには信じられないのだが、とにかくこの場所にゆかりの偉人であり、比類なく高潔な人物であったと伝えられているわけなのだろう。

    本日案内してくれた男性が「まさにここ、この場所でアウラングゼーブが突然崩れ落ちて・・・」と、あたかも先月目にしたばかりのような臨場感で話す言葉を前に、私自身もあたかもそこで、まさに目の前にで皇帝が膝から崩れるように転倒して、周りが大騒ぎになっている有様を追体験したかのような気分になる。やはりここに来てみて良かった。まさにそれに尽きる。

     

  • アフマドナガル・フォート

    アフマドナガル・フォート

    アフマドナガル・フォートは、ムガルによる占領そしてその後は在地のヒンドゥー勢力の手に渡り、さらには英国へと所有が移り、20世紀には政治犯(独立運動家)の収容施設となったり、さらに時代が下ると軍の駐屯地となり現在に至っている。

    広大な城壁の敷地全体が軍用地となり、私たちを含めた市民の入場は認められないのだが。ごく一部、市内に面する大きな「ハーティー・ダルワーザー(エレファント門)」と宮殿のあった部分のみ、インド陸軍兵士によるチェックを受けてから訪れることができる。

    ただし宮殿というのが軍用地内であるため保護活動がなされていないのか、荒れ放題、崩落寸前であり、とても見学すべき価値のあるものには思えなかった。崩れそうな入口からはコウモリの糞尿の強烈な臭いとともに「キキキィ〜」という癪に触る鳴き声が聞こえてくる。夜になると、このあたりではドラキュラが徘徊しているものと思われる。

    国に接収された城が軍用地となる例はとても多い。市街地近くに広大な敷地が用意できるのはそのような場所であるがゆえであること、さらには統治の中心でガバナンスの力の源泉であったところから権力者がいなくなるという「権力の真空」を放置しておくわけにはいかず、「新たな権力機構の象徴」であり、騒擾が起きた場合には即刻弾圧を加えることが出来るよう、新たな権力による暴力装置を据えておく必要があったからという理由もあったのだろう。ちょうど日本で各地の藩が解体された後、藩主の城に明治新政府の警察や軍が駐屯地したのと同じようなことだ。

    城内を歩いていると、幾度も地元の見学者、家族連れであったりカップルであったり・・・に呼び止められて、どこを観ると良いかと尋ねられる。聞けばこういう人たちは州内のいろいろな街からやってきた観光客のお上りさんたちであった。

    元宮殿のお化け屋敷、ハーティー・ダルワーザー、城壁の上の遊歩道などを見学して帰る頃になると、まずまずのアドバイスをしてあげられるようにはなった。ほとんど訪問者の姿がない城内とはいえ、どこから見ても詳しそうに見えない私なんかに聞いてとうするの?という気がするが、まあ田舎からのお上りさんというのは得てしてそんな人がけっこういるものだ。

  • マズガオン・マンゴー

    ムンバイがまだ7つの島だった頃、今のマズガオンが「インド最高のマンゴーの産地」としてムガル朝からは評価されていたという。シーズンにははるばるデリーの皇帝まで、そのマンゴーを急送するシステムまであったとのこと。

    マズガオンはサンスクリットでMatsya Grama、現代のヒンディーで言えばMachch Gramという意味となり「魚の村」である。ここはコーリーの人たちが暮らす漁村だったところでMachch Gavとマラーティーで呼ばれていたものが、Mazagon、そしてMazgaonとなっていったようだ。

    島と島の浅瀬からどんどん埋め立てていき、やがて7つの島は繋がり、今の半島の形のムンバイとなっていく。マヒムもマラーバールヒルもそれぞれ島であったわけで、コラバコーズウェイもかつては島と島を結ぶ土手道だった。今で言えばシンガポールとマレーシアのジョーホールバルーを結ぶコーズウェイのようなイメージか。

    ポルトガル時代まではのどかな7つの島だったムンバイだが、ポルトガルのカタリナ王女が英国王室に輿入れする際のダウリーの一部として英国に割譲されからは、スーラトに代わるイギリス東インド会社の欧州や中東に向けたメインの港町となるべく、埋め立てと開発がどんどん進められて行った。

    英国のものとなって以降のマズガオンは港湾地域となり、「最高のマンゴー」の生産地としての名声は歴史の中に刻まれた過去の話となった。

    Mazgaon Wasiyon, You May Probably Be Living On The Grounds Of The Lost Mango Orchards Of The Mughals (Whats hot)

  • ヴァルマー姓

    ヴァルマー姓

    Verma姓をよく「ヴェルマ」「ベルマ」とする表記をよく見かける。インド人の名前のローマ字による表記には揺れ珍しくなく、「Verma」は「Varma」姓のローマ字表記の別バージョン。日本語で表記する場合「ヴァルマー」となるはずだが、ヒンディー語を始めとする北インドでは「ヴァ」と「ワ」を区別しないため、「ワルマー」でもよい。あるいは「ヴァ」が「バ」となる和式表記で「バルマー」でも可かもしれない。

    (地名「Varanasi」を日本で「バラナシ」と書くこと、インド人はこの「Varanasi」を「ヴァーラーナスィー」ではなく、「ワーラーナスィー」と発音するなど、「ヴァ」はたいてい「ワ」となる。)

    それはともかく「Verma」は「ヴァルマー」もしくは「ワルマー」なのである。

    ※「ヴァルマー」はカーヤスタに多い姓。

  • 水のボトルで思い出すこと

    水のボトルで思い出すこと

    1リットルのミネラルウォーターのガラス瓶で思い出したのだが、1980年代のインドではウイスキーの空瓶を水筒として使う人たちがけっこういた。

    バーザールではちゃちなプラスチックの水筒は売られていたのだが、今のような堅牢で見てくれも良いものはまずみかけなかった。清涼飲料の類もガラス瓶で、ペットボトルが出回るようになったのは、そのずいぶん後のことだ。

    80年代後半にはビスレリ等のミネラルウォーターは売られていたが、当時の価格で確か12Rsだったと思う。1ドルが13Rsとか14RS。当時あった闇両替で16Rsだか17Rsだかといったところ。現在の1ドル83Rsとかの時代に20Rsは当時よりもはるかに安い。インドの人たちの所得も大きく上がったが、当時はペットボトル入りの水は高級品だったのだ。そんなわけで鉄道やバスに乗ると、水を入れたウイスキー瓶を持った人たちが大勢いた。

    そういう人たちが皆酒飲みだったわけではないだろう。当時は空いたガラス瓶だって売られていたのだ。用途は水筒にしたり、油をいれたり、はてまた燃料を入れたり。当時は大きな街を除けば食べるところと言えば粗末なダーバーが大半。大きな街で高いと頃といえば、多くはメニューの文字すらよく読めないくらい低照度の暗い暗いレストランだった。

    今から思えば、その闇がパルダーの役を果たし、種種雑多な人々がごちゃりと揃って食事をしているわけではない、家族や仲間だけの孤食を演出する意味があったのかもしれない。

    カフェらしいカフェもなかった。立ってすする道端のチャーエ屋、席は用意されているけど、せせこましく忙しいチャーエ屋しかなかった。カフェがあちこちに出来るようになったのは90年代後半以降だ。

    この時代はメジャーな観光地の主役は外国人だったが、それでも外国人料金という概念がなく、タージマハル入場料はわずか50パイサ。何かと外国人料金の設定が多かった中国を旅行してからインドに来ると、「なんと良識とホスピタリティに満ちた国なのか!」と誤った感心をしたものだ。

    そんな昔のインドが良かったかと言えば、全くそうは思わない。当時私が社会人であったならば、休暇でインド旅行というのはあり得なかった。

    なぜならば鉄道予約は駅に出向かなくてはならず、まずは「ブッキング窓口」で目的地までの乗車券を買い、続いて「リジャルウェーシャン窓口」で予約をする必要があった。

    大きな駅だとそれぞれ方面別となっており、間違えるとまた最初から並び直し。行列は長く、割り込みを防ぐために人々は密着し、それでも窓口前では、とにかく自分が先に窓に手を突っ込もうと熾烈な闘いが繰り広げる、そんな感じだった。列車予約ひとつで1日が軽く終わる、みたいな具合。

    それも始発駅ではなく途中駅だと、「15日先まで寝台なし」「向こう20日間は満席」などと言われて途方に暮れる、そんな大変なインドであった。今のインドのほうがいろいろ便利ではるかにありがたい。

  • 英連邦

    英連邦(Commonwealth of Nations)」なんて形式的なものに過ぎないし、その中で敵対関係にある国々もある。

    それでも4年に一度、この「名目的な共同体」の中で「英連邦大会(Commonwealth Games)」が開催されているし、英連邦の国々同士で相手国に設置する在外公館も「大使館(embassy)」ではなく、「高等弁務官事務所(High Commission)」と呼ばれる。

    名目上、同じ連邦内にある自治体としての「☓☓国」「☓☓共和国」であるからだ。なんか不思議な感じ。

    中には英国と豪州のように、カナダも同様だが、名目上の国家元首として英国国王を戴く国々もあれば、英国/豪州間のように、あたかもEU加盟国同士の国々の如く、国民の相互への移動に対して査証の必要はないどころか就労も自由といった関係にある例を除けば、他はそんなことはまったくないのに。

    たとえばインドやバングラデシュから英国に渡航しようとすれば厳しい査証審査があるし、英連邦市民てまあるからといって容易に就労できるなどといった措置もない。

    昔、デリーで初めてパキスタンの査証を取得した際、出向いた先がパキスタンの「大使館」ではなく「高等弁務官事務所」を名乗っていることに、軽い目眩を感じた。「同じ『英連邦』内の国同士なのに、なぜ戦争までしたり、敵対関係にありいがみあっているのか?」と。

    そんな名目上の「Commonwealth」なる連合体なのに、それでいて定期的な行事やイベントもあるなど、旧宗主国英国を中心とするしっかりした繋がりと緩いながらも確たる所属意識もある。

    そのとき改めて「英国はすごい」と思った次第。

    High Commission for Islamic Republic of Pakistan, New Delhi

     

  • 祝 インドアマゾン Kindle書籍購入環境正常化!

    祝 インドアマゾン Kindle書籍購入環境正常化!

    一昨年の11月からインドのアマゾンでKindle書籍が購入できなくて困っていた。「インド国外発行のクレジットカードの利用は不可」となったためだ。インドの金融当局からの指示とのこと。インド国内の航空券も鉄道チケットも国外から日本発行のカードで買えるのに何で?と思ったが仕方ない。

    それが先日、「今もそうなのだろうか?」と思い、「ゴアのコロニアルキッチン」なるKindle書籍を買えるかどうか試してみると、すんなり購入できた。

    そうか、すでに禁が解けていたのか。

    これはありがたい。これまでインド帰り買う本のうち、Kindle版があるものはインドアマゾンで手に入れることができる。

    書店では、スマホ片手に良さげな書籍を検索して、無ければ店頭で紙媒体で買い、Kindle版があればインドアマゾンのカートに入れておき、宿に戻ってからまとめて買う。

    私は雑貨や衣類などは買わないので、身軽なままで帰国できると嬉しい。本はとても重いものだし、自宅のスペースの関係もあるため、なるべく電子版で手に入れられるとありがたい。

  • ファラーバーグ

    ファラーバーグ

    アハマドナガルに到着して最初に訪問したのがここ。

    アフマドナガル王国時代の宮殿のひとつ。形状からして居住や執務その他の実用的な目的ではなく催事などイベント用の場所だったのではなかろうか。広大なホール内に空いている大穴は噴水がしつらえられてあったスポットそうだ。今は遺跡だが往時は漆喰で美しく仕上げてあったはずなので、さぞかし雅な空間であったことと思われる。

    昔のこうした宮殿に限らず、近世に建てられたインドのハヴェリー(屋敷)でも往々にしてそうなのだが、階下の広間で催される演奏や舞踊などを上階のテラスからも鑑賞出来るような構造になっているものがよくある。おそらく視界を遮らないようにという配慮からかと思うが、床面の終わるところに壁や柵もなかったりする。

    往時は今のように強い調光による照明はなかつたし、近眼の人が視力を補正するメガネもない。うっかり踏み外して下方はるか彼方の床へ落下して絶命・・・というのがしばしば起きていたはず。あるいは宮中の陰謀により、そんな事故を装う事件もときどき起きていたかもしれない。

  • アハマドナガルへ

    アウランガーバードのバススタンドからアハマドナガルに向かう。今の時代、目的地までの距離、見込時間などが手に取るようにわかるのはありがたい。

    紛らわしいのだが、州内のさほど大きく離れていないところに同じ読みの「アハマドナガル」なる町がもうひとつある。バスチケット買う際に「プネー行く途中のこの街まで」とGoogleマップほ見せて確認できるし。

    本当はこういうのをどちらか「改称」すると良いように思う。政治的な意図とともに、インド各地で様々な街の名前が変えられているが、近くにあって紛らわしいこのようなケースこそやったらいいのではないだろうか。