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カテゴリー: life

  • レーでバンド 1

    レーでバンド 1

    午前中からレーの周辺をタクシーで回っていたら、運転手が唐突に「7月22日は明日だよね。明日はバンドとなるはず・・・」などと言う。どういう趣旨のバンドなのか尋ねたが、この人はよく知らないようであった。「理由はよくわからないけど、バンドだというから明日タクシーは走らないし、店も閉まるよ。午後になってからバーザールで話を聞けば判るよ。」とのこと。

    夕方になってからレーの町に戻り、翌日のバンドの詳細に関する情報は簡単に手に入った。具体的な内容は、主に口コミで伝わるようだが、タクシースタンドにバンドに関するポスターが貼り出されていた。

    タクシーユニオンによるバンドの呼びかけのポスター

    これによると、ラダックに自家用車を運転してやってくるインド人たちが環境や安全を省みない無茶をすること、飲酒運転の問題などについて、行政が何の対策も取っていないことに対する抗議としてのストライキということになっている。

    その建前の裏には、自家用車で来られると地元の短い観光シーズンに貢献する度合いが低くなる(タクシーの売上が上がらない)ことについての不満があるとのこと。外から自家用車を運転してやってくるインド人たちの中にマナーが非常に悪い人が決して珍しくないことと合わせて、ユニオンは常々申し入れをしていたようだが、なかなか聞く耳を持たないため、「それならば自分たちで対策を取る」と呼びかけたのが今回のバンドとなるようだ。

    しかしながら、ユニオンが呼びかけてここまで完全なストライキが決行できるということについては、おそらく地元の有力な政党のサポートがあるのではないかとも思うのだが、このあたりについてはよく聞いていない。

    今回のバンド、つまりゼネストはレー市内に留まることなく、ラダック地域ほぼ全域でタクシーはもちろんのことほぼすべての商店や事務所等々が閉まることになるようだ。つまりツォモリリ、ヌブラその他にタクシーで出かけている人たちについては、明日一杯は滞在先で足止めということになる。

    バンドは翌日の7月22日午前6時から午後7時までとのこと。

    〈続く〉

  • スリランカのドリアン

    東南アジアでの人気ぶりとは裏腹に、南アジアでは一般的に食物として認識されていないドリアン。自生している固有種がないわけではなく、多雨多湿の南インド沿岸部やスリランカでは、自生している木は存在している。
    私にとって、久しく訪れていないスリランカだが、かつて訪れた際に、山間部の道路脇ではごくわずかにドリアンを販売する露店を見かけたことがあったが、町中に入ると皆無。
    なんともったいない・・・と思っていたが、ついにスリランカでも商業作物として扱われるようになってきているとのこと。主に輸出用の目的と思われるが、今後は国内でも人気が高まってきても不思議ではないだろう。
    また、東南アジアでスリランカ産のドリアンへの需要が高まるというようなことがあれば、南インドでも同様の動きが出てくるかもしれない。

    A Durian Village In Sri Lanka (Global Voices)

  • 危険な滑り台

    危険な滑り台

    インドで安全性に問題のある遊具は少なくないが、その中で滑り台もしばしば危険なものが散見される。

    滑り下りた下が砂場になっているのはいいのだが、着地して前のめりになったところで頭をぶつけるように計算されたとしか思えない位置にコンクリートの枠組みがあったりすることはしばしば。

    また、常識外れなまでに傾斜が急な、こんな滑り台もあった。

    ほぼ真下に落下する設計・・・。

    左右のガードもほとんど皆無といった具合に低く、まさに「エキスパート用」といった感じだが、幼い子供が使う滑り台に上級者も何もないだろう。

    強い日差しに晒された滑り台はフライパンのように熱く、これで遊んでいる子供は皆無だったのは幸いであった。

  • 街中あちこちから聞こえてくるコトバ

    ハイデラーバード旧市街のムスリムたちはウルドゥーを母語にする人たちが多いと聞いていたが、街中を歩いていると想像していた以上にこの言葉による会話が聞こえてくるのにちょっと驚いた。歴史的経緯があるとはいえ、デカンのこの地に昔から根付いたウルドゥー語圏があるのは興味深い。

    旧市街を出ても、商業地ではウルドゥーやヒンディーを耳にすることが多くて、これはいったいどこなのか?と思ったりもする。

    私の勝手な推測だが、おそらくこんな具合なのではなのではなかろうか。

    ・大都会で、しかもウルドゥー/ヒンディー話者人口が多いというインフラがあるので、北インド各地から移住した商売人も多い。
    ・同様の理由からネパールやビハールからの出稼ぎ人も多く働いている。
    ・もちろん、出張や観光を含めた一時滞在者も大勢いる。
    ・よって誰だかよく知らない相手には、ヒンディーやウルドゥーのほうが通りが良く、日常的に使う頻度が高い。ちょうどムンバイーやカルカッタのような、他の大都市圏がそうであるように。

    大都会というものは、ただ人口が多い、市街地が広いということに留まらず、文化的・言語的にも重層的かつ多元的なものである。

  • バドシャーヒー・アシュルカーナー

    バドシャーヒー・アシュルカーナー


    ハイデラーバード旧市街で、ビリヤーニーの名店とされるホテル・シャダーブのすぐ隣には、バドシャーヒー・アシュルカーナーがある。アシュルカーナーとは、文字通り「嘆きの館」の意味だが、第3代目のイマーム、フセインの殉教を記念したものであり、シーア派の大祭モハッラムの際には大変な混雑となるそうだ。
    ゴールコンダーのクトゥブシャーヒー朝5代目の王、ムハンマド・クリー・クトゥブ・シャーが建てさせた(1594年)もので、ハイデラーバードの街を象徴する歴史的建造物であるチャールミナール(1591年)とほぼ同時期に建設されている。
    ムスリム人口が4割に及ぶというハイデラーバードだが、シーア派人口もかなり多いようだ。





  • パイガー墓地(Paigah Tombs)

    パイガー墓地(Paigah Tombs)

    ハイデラーバードの旧市街からパイガー墓地に行くのはあまり簡単ではなかった。オートの運転手たちがそこを知らないからである。またマクバラー・シャムスルウムラー(Maqbara Shums Ul Umra)と言えば判ってもらえたのだろうか。
    ともあれ、こんなときにスマホは役に立つ。グーグルマップで検出して出てきたロケーションに近く、誰でも判りそうな「サントーシュナガル警察署」まで行くことにした。

    この街では、オートの運転手たちに対する道案内サービスのようなものがあるらしい。運転手が携帯で電話して誰かに行き方を質問、というようなことがしばしばある。運転手がムスリムで、運転中に携帯を手にして話しているのがウルドゥー語なので、その会話内容が判るわけなのだが。最初は誰か知人にでもかけているのかと思ったが、そうではないようなので尋ねてみると、もちろん知らない場所に行く場合に、先方が知る範囲での情報をもらえるともに、道路混雑具合の照会にも使えるということだ。なかなか面白いサービスである。

    警察署前のヒンドゥー寺院

    しばらく走って到着したサントーシュナガル警察署のゲート近くにいた人に、進むべき方角を確認。警察署付近には南インド様式のヒンドゥー寺院があるが、少し進むとムスリム地区となり、インド北方系と思われる色白で風格のある顔立ちの人々が多い。そうした中高年の人々が立ち話しているところでふたたび道を尋ねて、もう近くまで来ていることがわかった。私の目的地は、ジャマー・マスジッド・クルシード・ジャーの裏手にあるとのこと。

    パイガー墓地はこのモスクの裏手

    ここは、ニザームの家臣、パイガー一族の墓地。この一族はイスラーム教の二代目のカリフ、ウマル・イブン・アルハッターブの子孫であるとされる大変な名門。ニザームの忠実な家臣として仕えた家柄だが、独自の宮殿や数千人にも及ぶ私兵を持つなど、藩王国内の王国のような権勢を誇った一族であったとのこと。先祖がアラブのクライシュ族から出たとされるムスリムの家系はインドやパーキスターンで他にもあるが、その中でもまったく次元が異なることになる。1960年代に埋葬された人の墓もあり、同家の墓地として割と最近まで使われていたらしい。ムガルやラージャスターンの様式に地元デカンのスタイルを加えたものとされる精緻なデザインで、大変風格を感じさせる墓地である。












    墓地内の礼拝施設

    墓地内の礼拝施設の中

  • イスラームはインドに学ぶべき

    ハイデラーバードでは広くウルドゥー語が使用されていることはよく知られているが、私はてっきりテルグ語社会の中で、インドのムスリムにとっての教養のひとつとしてウルドゥー語が広く理解されていることと思っていたが、実はネイティヴでウルドゥー語を話す人が非常に多いことは知らなかった。

    ハイデラーバードのムスリム人口は4割前後と言われ、大都市としては突出したイスラーム教徒人口の割合の高さを示している。とりわけ旧市街を中心に代々ここで暮らしてきたムスリムたちが多いようだが、そうした人たちの中で見るからに北方系といった顔立ちや肌の色の人たちが大勢いることも特徴的だ。デカンのこの地に北インドを移植したかのような観さえあるとしても言い過ぎではないだろう。

    ハイデラーバード市街地から出ると、「デカンにやってきたな」と感じるし、市内でも南インド風のゴプラム様式のヒンドゥー寺院からある一角から、ムスリム地区に入ると一気に北インドにワープしたかのような気分にさえなる。

    ところで、最近の日本ではイスラーム関係のビジネスが盛り上がりを見せつつあり、ムスリム社会への関心も少しずつ高まりつつある。それは良いことだと思う半面、ムスリム自身によるタテマエの発言をそのまま伝える安易なものに終始していることが気にかかる。

    イスラーム理解には、私たち非ムスリムからするとネガティヴに捉えてしまう部分も併せて知ることが不可欠である。世代を越えて皮膚感覚で蓄積してきたイスラームへの理解は深い。付け焼き刃の「イスラームとは」の類よりもはるかに実際的で、タメになるはずだ。

    一時滞在のお客さんならば、帰国するまで我慢して、後はニコニコして送り出してしまえば済むのだが、自国で共存していくにはそれなりの覚悟と妥協が必要となる。。

    Namaste Bollywood+ 43のレヴューを取り上げた際にも書いたが、イスラームが栄えてきた歴史の長さと、イスラーム教以外の様々な宗教との共存という点からも、イスラーム教やそれを信仰するムスリムの人たちを理解するために、インドという国は私たちにとって非常に優れた教師となることと信じている。

  • ハイデラーバーディー・ビリヤーニー(続き)

    ハイデラーバーディー・ビリヤーニー(続き)

    前回のビリヤーニーは、あまりに量が多すぎて懲りた。利用しているホテルのレセプションで「ノンヴェジのビリヤーニーの店で、量が多いからではなく、味で勝負しているところはないか?」と質問してみた。

    宿泊先と同じアビッズ地域のGPOサークルと呼ばれるところにあるグランド・ホテル(ご存知のとおり、インドでは往々にして単体のレストランに「ホテル」という名前がついている)がお勧めとのこと。

    すぐ目と鼻の先にあるので、歩いて出かけてみる。道路反対側からでも混雑している様子が窺える。美味しいものにありつけそうな予感。

    店の入口をくぐるなり、ビリヤーニーを注文して目の前の席に着く。周囲の客席に目をやると、ここもまたひとつの巨大な盛りの皿から二人、三人でシェアしているのに気が付いて、嫌な予感がする。ややオーバーな言い方をすると、洗面器一杯分くらいの量がある。

    今回もまた困ったことになった・・・。

  • ハイデラーバーディー・ビリヤーニー

    ハイデラーバーディー・ビリヤーニー

    インド各地で「ハイデラーバーディー・ビリヤーニー」名付けられたビリヤーニーを目にする。ハイデラーバードでビリヤーニーを食べたことがなかったので、漠然と「ビリヤーニーが飛び切り旨いのだろう」と、想像していた。

    老舗の「シャーダーブ」

    ようやくその街にやってきたので、チャールミナール近くにある老舗のレストラン、シャーダーブで昼食にすることにした。店員たちのぶっきらぼうさもまた「本格的」な印象。ここは、ほぼビリヤーニー専門店らしいので、チキンビリヤーニーを注文。間もなくテーブルに運ばれてきた。


    ご飯のなかには半羽のチキンがうずまっており、見た瞬間、食べ切れる量ではないことがわかった。これで170rsとはずいぶん安い。周りのお客はどうしているのかと眺めていると、だいたい二人で一人前注文している。すっかりギヴアップするまで食べ続けても半分くらい残ったので、男性なら二人、女性なら3から4人はシェアして食べられることだろう。

    味のほうは?といえば、確かに美味であった。だが、好みは人それぞれとはいえ、私自身はデリーで「美味しい」と思えるビリヤーニーのほうがもっと旨いと思う。この料理は出来不出来が大変明確に出るため、上手な店とそうではないところでは天地の差となるし、旨い店でもそれぞれに満足度が異なる。もちろんこの一軒をもってハイデラーバードのビリヤーニーを総括することなどできないので、他のレストランも幾つか訪れて検証する必要がある。

    旧市街で幾人かに尋ねたところ、「ここが一番」とのことだったが、確かにバカでかい盛りには大変驚かされた。

  • トリプラ州都アガルタラの空港「国際化」へ

    東南アジアとの接続ということで、やがてバンコク便就航となるのだろう。アガルタラ空港の「国際化」のプロジェクトが完了する時期は示されておらず、北東インド・東南アジア間の行き来への需要がどれほどあるのかまだ判らないが、これまで世界の果てといった行き詰まり感のあった北東地域が東南アジアへの玄関口になることから、新たな時代の幕開けが期待される。また、これまで漠然と「北東地域」「North East」と一括りに呼ばれていながらも、その実この地域間での協調や連携には欠けていた部分についても、今後修正が求められることになるだろう。

    すでにマニプル州のインパール空港は「国際空港」のステータスにアップグレードされており、今後の進展が注目される。マニプル州においては、ミャンマーとの国境のモレー(Moreh)を経由する陸路の輸送ルートによる人やモノの行き来の今後ますますの活発化が予想されるとともに、このモレー経由でインドからミャンマーへの鉄道接続の計画もある。
    1990年代以降、減速した時期もいくつかあったが、基本的に順調な経済成長を続けてきたことによる変化の波が、ようやく北東地域にも及ぼうとしているかのようだ。

    近年は、隣国ミャンマーの民主化による欧米先進国を中心とした経済制裁が解除されたことも有利に作用している。これはインドの北東地域だけではなく、ミャンマー西部にとっても同様で、これらふたつの地域は互恵関係にあるといってもよい。

    ただし不安材料も決して小さくない。現在においてとりわけ不安定なナガランド州においては、先行きを見通すことは困難だろう。

    Will Nagaland Ever Have Peace? (Diplomat)

  • バングラデシュからのヒンドゥー移民に市民権をという主張について

    隣国バングラデシュから経済的な理由からインドへ不法な移住を図る人々の流れは絶えず、常に政治問題となっている。

    北海道の7割増程度の土地に約1億8千万人の人々が暮らすという人口があまりに稠密すぎるバングラデシュから雇用機会とより高い賃金を求めて、同じベンガル人が暮らす西ベンガル州、おなじくベンガル人たちが多く暮らす近隣州に出ようというのは自然なことでもあるだろう。もちろん彼らが移住する先はこれらに留まらず、インド各地の主要な商業地域や工業地域にも及ぶ。

    そもそも同国が東パキスタンとして1947年にインドと分離して独立(その後1971年にパキスタンから独立して現在のバングラデシュが成立)したことが、悲劇と誤算の始まりであり、経済面・人口面での不均衡の根本でもある。

    しかしながら、国家の成立には往々にしてその時代の流れに沿った必然と不条理が混じり合うものであり、その枠内で国家意識が形成されていくとともに、国民としての一体感も醸成されていくものだ。

    そうした中でも、国境の向こうで異なる国籍が与えられることになった家族や親族に対して、こちら側の者はある種の憐憫の情を抱いたりすることもあれば、羨望の念を持つことも少なくない。同様に、宗教をベースとした分離の場合、ボーダーの向こう側にマイノリティとして残された、こちら側と同じ信仰を持つ者たちに対する「同胞」としての感覚には、社会で一定のシンパシーを共有することになることが少なくない。

    ムスリムが大多数を占めるパキスタンにおけるヒンドゥー教徒たちの境遇については、インドでしばしば報じられるところであり、そこにも「国籍」の違いとは別次元の一体感があり、不幸にして異なる国籍を与えられることとなった「同胞」とでも言うような感情がベースにある。

    さりとて、イスラームという宗教を旗印に、ムスリム主体の国家の建設を目指した東西パキスタンに対して、宗教的にニュートラルな「世俗国家」を標榜してきたインドとの決して相容れるところのない部分は、例えばカシミール地方の領有に関する両国の主張が平行線であるところにも現れる。

    パキスタンと隣接する地域で、ムスリムがマジョリティであることが自国領であることが当然とすることがパキスタンの考えの根底にある。かたや宗教に拠らない世俗国家としてのインドにとっては、イスラーム教徒が多くを占めるからといってこれを隣国のものとするわけにはいかないのは当然のこととなる。現在、両国ともカシミール全域についてそれぞれ自国領であることを主張しているが、イギリスからの独立直後に勃発した第一次印パ戦争ならびに1965年の第二次印パ戦争の停戦ラインが実効支配線として、事実上の国境として機能することにより現在に至っている。

    パキスタン建国に際して、多くのムスリムたちが当時の西パキスタンならびに東パキスタンへ流出するとともに、それらの地域からヒンドゥー教徒たちがインドに難民として逃れることになった。しかしそうした動きにもかかわらずインドを捨ててこれらの地域に移住することなく、あるいは経済的に移住することがならず、そのままインドに残ったムスリムたちも大勢いたわけだが、独立後はそうした人々が内政面での不安材料となることを避けるためもあり、インド政府は彼らの歓心を買うために様々な努力をする必要があったことは否定できない。ちょうど、欧州にて共産主義のソビエト連邦と隣接する地域で、高い福祉や社会保障制度が発達することとなったことと似ている部分がないでもない。

    それが「世俗主義」を標榜しつつも、独立以降長年に渡って、少数派であるムスリムに譲歩する政策を継続せざるを得なかった理由でもあり、その世俗主義自体の矛盾と綻びであったとも言える。マイノリティとはいえ、規模にしてみるとの世界最大級のイスラーム教徒人口を抱えていることもあり、現実を見据えた上での選択であったはずだ。

    しかしながら、このあたりが圧倒的なマジョリティを占めるヒンドゥーたちから成る社会の中での不満を醸成することになったのも事実で、宗教別に定められている民法について1980年代末あたりから、「統一民法」の制定を求める声が高まっていくこととなる。これがやがて90年代にはいわゆる「サフラン勢力」の核となるBJPに対する支持数の急速な伸張へと繋がっていく。

    その後、国民会議派を中心とするイスラーム勢力や左派勢力を含む統一進歩同盟(UPA : United Progressive Alliance)とBJPがリードする保守から中道あたりの政党が集結した国民民主同盟(NDA : National Democratic Alliance)が一進一退の駆け引きを続けている。

    さて、このほどインドの北東地域では、隣国バングラデシュからの不法移民について、バングラデシュから来たヒンドゥー教徒に対して市民権を与えるべきだと唱えるBJPに対して、国民会議派はヒンドゥー、クリスチャン、仏教徒(要は非ムスリム)の移民に対して市民権付与による保護を訴えるという形で、信仰を根拠とする論争が起きている。

    こうした主張はインドの独立以来の国是である世俗主義に対する挑戦であるとともに、とりわけ国民会議派については、大きな方向転換のひとつの兆しであるのかもしれないようにも思える。

    同時に、インドにおけるこうした動きについて、隣国バングラデシュ国内に与えるインパクトも少なくないかもしれない。同国内人口の一割近くを占めるヒンドゥー教徒たちの取り込みと捉えることも可能であるとともに、コミュナルな対立が発生した場合に、「インドによる差し金」を示唆する口実にもなろうし、敵性国民として排斥する動きに出ることもあり得ないことではないだろう。

    宗教をラインとする国家形成を経てきた国と、世俗主義を国是として歴史を刻んできた国の間で、それなりのバランスが保たれてきた中で、後者が前者と近いスタンスを取ることになることについて非常に危ういものを感じる。

    インド東北部におけるこうした動きが現実のものとなるようなことがあれば、やがてインドとバングラデシュの間での国際的な問題に発展する可能性を秘めていることから、今後の進展には注目していきたい。

    BJP & Congress Raring to Provide Citizenship to Hindu-B’deshi Migrants (Northeast Today)

  • チェラプンジーの雨

    チェラプンジーの雨

    インド各地から猛烈な熱波のニュースが伝えられるこのごろだが、北東インドではすでにプレ・モンスーンの雨が降りはじめているとのことだ。その中でも「世界で最も多雨な場所」とされるチェラプンジーの降雨量には圧倒的なものがある。下記リンク先記事をご参照願いたい。

    Pre-Monsoon: Heavy rain continues over Northeast India (skymet)

    ベンガル湾から吹き上がって来る風が、ちょうど入江に集まる波のような具合に、北のヒマラヤ山脈と東のアラカン山脈に挟まれた行き止まりに衝突するのがインド北東部。当然、非常に多雨なエリアであるのだが、とりわけチェラプンジーにおいては、ちょっと想像もできないような豪雨となる。

    印の付いている地点がチェラプンジー

    モンスーンの時期の北東インド観光地は閑散としてしまうのだが、例外的にチェラプンジーにおいては、「世界一の物凄い雨を体験するために」訪れる人たちが多いと聞く。

    それでも、乾季には生活用水が不足して、給水タンカー車が行き来する、ちょっと皮肉な部分もある。つまり雨期にそれほど集中して降るということの裏返しでもある。