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投稿者: ogata

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑥

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑥

    本日午前中に向かうのはカランティーという村で、クムハール(陶工)のプラジャーパティと呼ばれる人たちが暮らしている。村によってずいぶん柄が異なるのは大変興味深い。そのいっぽうで前日のドウジーナガルのようなやたらと背が低い家が特徴のところもあるが、建物自体の様式については村や民族が違っても、見た目は変わらないようだ。華やかな絵のすぐそばに洗濯物や農具がたくさんあったりするが、これが正しいありかたなのだ。生活空間なのであるのだから当然のことである。

    カランティーの村

    こういうのを目にすると、この地にはなかった観光業という新しい産業が出現した場合の村の未来が見えるような気がする。小さい中庭にイスがいくつかあって、旅行者たちが腰掛けておしゃべりしたり、日記を書いたり。お茶をお願いすると、おばちゃんが土のカマドで沸かして淹れてくれる。土造りの家屋の中で開業したゲストハウスや食堂の様子が。

    生活の利便性は格段に上がるので村の人々がレンガやコンクリ造の家に住み替えるのは、自然な流れであるとしても。茶屋や宿屋として昔ながらの家屋を残すことが出来たらいいかもしれない。現金収入の手段として既存の家屋を使えるし、そこから上がる収入の何割かを保守に使えるだろう。宿泊客に食事を出せば、そこからもいくばくかの収入が上がるし、雇用機会も増えるだろう。おかげで村人たちの食生活も向上が期待できるし、子供たちの学費に回す余裕も出てくるとうれしい。

    素敵な絵を描く女性たちの中に、普段はご主人とムンバイに住んでいるという人がいた。ディワーリーの前あたりからこちらに戻ってきて描いたのだそうだ。ムンバイで何しているかは不躾に聞けないが、彼女と交わした話の内容から察するにマズドゥーリー、つまり日雇い仕事を夫婦でやっているようだ。この家を宿にしたり、カフェにしたりして夫婦で切り盛り出来るようになれば、故郷から離れてそんなキツい仕事しなくていいし、安全に暮らせるようになる。そんな将来がすぐそこまで来ているといい、と私は思う。

    言葉がわからなければ気がつかないこと思うが、村の人たちはヴィラーサト・トラストの夫妻には、お金のことでかなり生々しいことを言っている。ちょうど観光客ズレした地域で旅行者たちが言われるようなことと同じような内容である。そんなこんなで、けっこう心労も多いのではないかと思うが、ふたりともそういうあしらいには慣れているようで上手にやり過ごしている。このあたりはインドでどこに行っても同じようなものだ。ここが観光化されたら、なかなか手強い土地になるかもしれない。それでも村の人々の生活向上と民俗画の認知の向上に繋がるのであれば、大いに振興されると良いと私は思う。

    だが、あくまでもこうしたアーディワースィー(先住民)の人々自身が主体である場合であって、外からやってきた商売人たちがお金で支配されて、本来主人公でるべき彼らがそれらの下働きをするようになるようでは本末転倒である。しかし資金やノウハウは先住民の人たちの手中にはないはずなので、なんとももどかしいところである。

    そして次の村へ移動する。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑤

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り⑤

    ベールワーラーを後にして、ドウジーナガルの村へ。日本で言えば、神仏混淆のようなものだろうか。彼らの信仰はヒンドゥー教から入ってきたものと、部族伝来のものが入り混じっているそうだ。

    先住民族であるアガリヤー族の家屋だが、ヒンドゥーのシヴァ神のシンボルであるトリシュールこと三又の槍が見えるが、何本かの長い棒とともに中庭の細長い基壇に立てられている。右手の部屋の中は、この家のマンディル、つまり祭壇となっているのだが、ヒンドゥーの神像の姿はなく、スパンコール状の飾りが壁に貼り付けてあるだけだった。とりあえず何か祈祷をするための場所であることは明らかだったが、ヒンドゥーの祭壇というわけではないのだ。

    トリシュール(三叉のヤリ)とともに何本かの棒が立ててある。
    祈祷の場所だがヒンドゥーの祭壇とは異なる。神像もない。

    上の画像下部中央につま先がひっかかってしまいそうな崩れた突起みたいなのがある。何かここにしつらえてあったものが壊れて放置されているわけではなく、これはアガリヤー族の人たちの「祭壇」なのだそうだ。そう言われないと、大切なものであるとはまったく気がつかない。

    床面の「崩れた突起」みたいなものが「祭壇」とは信じられなかった。

    ジャールカンド州のハザーリーバーグ周辺の先住民たちと、チャッティースガル州バスタル地方の先住民とでは民族も文化も異なるのだが、後者でもこのような「ヒンドゥー教徒とはまったく違う」あるいは「ヒンドゥー教みたいに見えるけど実は違う」というものをよく目にした。だが、村を出て街に暮らすようになったりすると、元々持っていたヒンドゥー教との親和性の高さから、「対外的にはヒンドゥーとして生きる」人たちは少なくないのかもしれない。

    部族の村とハート(2) デーヴ・グリー (indo.to)

    もともとは金属加工(鍛冶屋)を生業にしていたというアガリヤー族だが、なぜか家屋の屋根が大変低いのが特徴的だ。入口しゃがんでくぐっても頭頂部をぶつけるほどだ。家の造りそのものは、クルミー族の家と変わらないのだが。

    とにかく天井が低いアガリヤー族の家屋。

    さらに面白いのは、彼らの村でもレンガ+コンクリの建物への建替えが増えているが、伝統的な家屋以外では、天井の高さは他の民族(少数民族でないインド人を含む)と同じとなり、なぜか「ものすごく天井が低い建物」にはしないのだ。

    村で見かけたEVM(電子投票機)の使い方の説明。こんな小さな村にも投票所が設置される。いろいろ行き届かないことが多いインドだが、投票する権利についてはかなり行き届いていると言える。

    ドージーナガル村の近く、畑の中に一軒だけポツンと存在する家がある。ドージーナガル村と同じくアガリヤー族の家屋だが、驚くほど手入れが行き届いていて、絵も素晴らしく充実しているだけでなく、床面の装飾にも凝っていた。

    案内してくれているヴィラーサト・トラストのご夫妻が「来月来るお客を泊めないかい?」と話を持ちかけており、バザーリーバーグの民俗画のある家で初の「民泊」のケースとなるかもしれない。彼らによると、周りは畑で他の家屋がないというロケーションも良いのだそうだ。何軒も並んでいると、「なぜ彼の家に泊めて、ウチには来ないのか?」となったり、お客の取り合いとなることが目に見えるからであるとのこと。

    それはともかくとしても、周囲が畑の緑に囲まれているのは気持ちが良い。たとえこうした伝統的な土壁の家でなくてレンガ+コンクリの建物であっても、こういう環境下にこじんまりとした簡素かつ清潔な宿があったら、ぜひ利用してみたくなることだろう。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

     

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り④

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り④

    一夜明けたこの日は、ベールワーラーへ。

    ベールワーラーで、最初に訪問した家がパルヴァティー・デーウィーの家。この人の絵は他の人たちとずいぶん違い、色使いもタッチもアイデアも、要はすべてが素晴らしく、プロフェッショナルな感じだ。

    ヴィラーサト・トラストは、これまで幾度も海外でワークショップを開催しているが、パルヴァティーさんは、まだそうした機会に参加したことはないとのこと。ひとたび欧州や、北米等で、彼女が人々の前で描く機会を得たら、一気にブレイクするのではないかと思う。寒村で自宅の壁に描くだけで終わってしまってはあまりにもったいない。

    「いやーすごいですねー。こんな美しい絵は生まれて一度も見たことがありません。これからもないでしょう。まるで天国の夢を見てるみたいですよ!」と褒めると、ちょっと困ったような、そして恥ずかしそうな表情をする素朴な主婦であった。

    こういう村で、人を介在することなく描き手と直接話ができるのは大変ありがたい。ヒンディー語圏ならでは恩恵をひしひしと感じる。パルヴァティーさん以外にも、他のムラで素晴らしい絵を描く人たちと会ったが、みんな絵を仕事にしているわけではなく、家の手入れと掃除の家事仕事の一部として描いているため、褒められても、割とポカーンとしているし、あまり多くを進んで語らないのは、やはり家事の一環としてやっているからなのだろう。

     

    この年は未完成で放置された絵
    この年は未完成で放置された絵

    村の中にはいくつかこういう絵の描いてある家屋がある。このベールワーラーもクルミー族の人たちの村である。前年はとてもきれいに描いていた家でも。今年は壁を塗り替えただけで終わってしまっていたり、絵が下書きや途中で終わってしまっている家がけっこうあるとのこと。描くことの目的が祝祭の時期のためなので、このタイミングを外してしまうと、後から完成させることはないのだそうだ。そのような状態になっている村がここだけではないため、翌年は村々を回り一ヶ所1泊2日くらいでワークショップを開催したいとのことであった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り③

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り③

    ハザーリーバーグ周辺のこうした村々は、簡素だがとても清潔にしていてあり、ゴミひとつない。醜悪なプラゴミなどもないため、こうしたポップな民俗画で一杯なので、まるでおとぎの国にでも来たかのような気がする。

    遠くから見ると、チャトリーのようにも見える収穫した稲藁でできた屋根。これは「ポーワル」と呼ばれる。下では牛やヤギを囲って飼う。屋根はそのまま少しずつ飼料として与える。牛のフンは燃料となり、何ひとつ無駄にならないエコシステムだ。ここに限ったものではなく、チャッティースガル州、オリッサ州その他でも見られる。

    ポーワル

    本日訪れた「オリヤー」と「アンゴー」どちらもアーディワースィー(先住民)のクルミー(という少数民族)の村で、土着文化及び信仰とヒンドゥー教文化が混淆しているような具合だという。

    もともと独自の民族衣装があったそうだが、えてしてそういうものは手間もコストもかかるため、今の時代はマーケットで安く買える衣類を着ている。同様に、独自の言語もあるそうだが、それほど人里離れたところの集落というわけではなく、村人たちの町への出入りも多いため、日常的はヒンディー語も平行して使用しているそうだ。

    ヒンディー語州であっても、チャッティースガル州のバスタル地方のアーディワースィーの村々を訪問したときは、ガイドとして依頼した人を通してでないと、コミュニケーションが容易でないことは多々あったのだが、本日の村々では、目の前にいるおじいちゃん、おばあちゃんから、子供たちまで、村人たちとごく当たり前に会話ができるのはありがたかった。

    ヒンディーが広く使われているがゆえに、盗み聞きしようとしているわけではないのに、耳に入ってきてしまうものもある。どうやらテレビの取材班が最近ここに入ってきたらしく、一部の人たちに現金等を配ったらしい。その恩恵に預かることができなかった人たちはこれが不満で、取材班とは関係のないヴィラーサト・トラストのご夫妻に対して、「自分たちの分け前をくれ」と不条理なことを要求しているのが聞こえてくる。

    ご夫妻自身、この扱いに手こずっていて大変そうであったが、なにぶん彼ら内輪のことであり、お金のことでもあるので、こちらは遠巻きにしているしかない。村にこれまで無関係であった第三者たちが勝手に入ってくると、それまでの秩序が崩れて、面倒なことになるものだ。

    案内していて、良い意味でびっくりすることもあった。昼間は家族総出で田畑に仕事に出ている世帯が多いのだが、どの家もカギなどかけていなかったり、そもそもカギを付けるためのカンヌキや金具さえもない扉が多かったりするのだ。不用心なように思えるが、それほど村の治安が良いのだろう。

    カギもなく中に入れてしまう家屋がとても多い。

    ここでもうひとつ驚いたのは、案内してくれるご夫妻が勝手知ったる我が家のごとく、家人が出払った家の中へ「さあ、どうぞ、どうぞ」とずんずん入っていってしまうことだ。つまり、そのくらい良い関係が築かれているということである。絵を描くことに対する援助や各種アドバイスを受ける彼らとって、不在時にも誰か連れてきたらテキトーに見せて案内してね、という了解が出来ている。さすがはこの地で長年活動しているがゆえ築かれた相互の信頼関係である。

    何の遠慮もなく、家人が出払った家の奥にずんずん入って行けてしまうことの背景には夫妻と村人たちの厚い信頼関係があるがゆえ。

    「手入れをしても何年間維持できるのか?」という感じがする「カッチャー・マカーン」だが、築100年を越えるものがあるという。我が家に愛着を抱いて毎年補修を繰り返し、美しい絵で愛情を吹き込んでやれば、100年以上も維持できるものであるとすれば、毎年秋の収穫が終わる時期にせっせと壁を塗り直して新たに絵を描くという村の主婦たちの行動は、実は大変理に叶ったものということになる。伝統というものは、よく考えもせずに毎年繰り返される習慣というわけではなく、優れた知恵の継承という側面もあるらしい。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り②

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り②

    家族が亡くなったり町に出ていったりなどで、一人で暮らしているという老婆の家では、彼女が住む小さな離れは、このように絵が描いてあったが、もっと大きく往時は立派であったと思われる母屋は壁がヒビ割れたり、外側に膨らんだりして崩壊しかかっていたりした。やはりメンテ「カッチャー・マカーン」は、メンテナンスに手間隙かかるものなのだ。レンガ積みの構造にコンクリートで固めた家屋ならば、一度外壁をきれいに仕上げておけば、放っておいてもそう簡単に崩壊するようなものではないが、素材が土だとそうはいかない。乾期はそれでもよくても、毎年やってくるモンスーンの時期を、メンテナンス無しで複数回乗り越えるのは至難の技だろう。

    手入れがなされないとすぐにこうなってしまう。

    そんなこともあり、村の人々の多くは本音ではレンガ積みやコンクリート造の家を望んでおり、今でも伝統的な家屋に住んでいるのには、愛着というよりも経済的な理由があるらしい。昔ながらの趣はあっても、いろいろ面倒が多い生活よりも、便利で手間のかからない暮らしを望むのは当然のことだろう。そういう事情もあるため、こうした家屋と民俗画の伝統を守るため、絵画の材料となる赤鉄鉱、黄鉄鉱の粉(村では採れないので購入して支給したり、その他インセンティヴを与えたりしているとのことだ。伝統の維持というものは、なかなか一筋縄でいくものではない。

    オリヤーの村にて。家ごとに独自のキャラクターがある。

    村の人々は日々畑仕事をしていることから、食べ物はほぼ自給自足しているのではないかと思うが、さほど大きな規模の農業を展開しているわけではないため、儲けを期待できるほどの現金収入があるわけではない。それがゆえに、なかなか夢の「レンガ積みあるいはコンクリート造」の家屋建築には手が届かないがゆえに「カッチャー・マカーン」に暮らす。するとこまめにメンテしないと崩壊してしまうので、毎年せっせと塗り替える、描き替えるというサイクルが維持されているというパラドックスもあるように思われるのが、なかなか悩ましい。

    村ではところどころ、伝統的な家屋の裏側に建築中の「パッカー・マカーンが建築中であったりする。ゆっくりと、だが確実に変化は進んでいく。

    オリヤーの村

    オリヤーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    家畜用の部屋にも吉祥紋が描かれているのが微笑ましい。
    インド政府の「スワッチ・パーラト(Clean India)・ミッションでのトイレ建造に関係がありそうだ。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り①

    ハザーリーバーグ周辺の民俗画の村巡り①

    朝10時にハザーリーバーグのホテルからクルマで出発。今回の民俗画の見学について、ヴィラーサト・トラストを運営するご夫妻に案内を依頼した。

    木立が見えてくるが、これらの木は地域のアーディワースィー(先住民)の人たちにとって大切なもので「サール」あるいは「サクアー」と呼ばれるもの。この木で扉その他の家のパーツを作るとのこと。この木の特徴は伐採しても切り株の脇からまた芽が生えてきて上方に伸びて、幹として再生するのだという。伐採しても自然と回復する木があるとは知らなかった。

    同様に村の人々にとって大切な木としてはマフアーがあり、チャッティースガル州のバスタル地方でもそうであるように、同様に干した花で酒を作ったりするが、油を取ったりもするそうだ。

    本日訪問するのは「オリヤー」及び「アンゴー」という村。どちらもアーディワースィーのクルミーという少数民族の人たちの村だが、前者はダイナミックな柄の絵を描き、後者は線が主体の絵を描く。ごく近い距離にあるのに、また同じ民族であるにも関わらず、描く手法が異なるのだ。

    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村
    オリヤーの村

    黒い部分は村で取れる材料を使っているが、黄色と赤については、それぞれ黄鉄鉱と赤鉄鉱が利用されている。こうした家々がまだまとまって残っている一方で、同じ村の中に、いや同じ家でも背後にレンガ積みコンクリートの家が建つようになっているところも少なくない。

    村人はやはり近代的なレンガ積みの家を好むとのことだ。泥と牛糞で造られた「カッチャー・マカーン(泥造りの家)」よりもレンガやコンクリートの「パッカー・マカーン(しっかりした家)」のほうが頑丈だし、手入れも少なくて済むからだ。また近代的な生活を享受しやすいという面もあるだろう。

    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村
    アンゴーの村

    ハザーリーバーグ周辺の村々の民俗画は、「ソーハラーイー・ペインティング」及び「コーワル・ペインティング」として知られる。前者は収穫の終わる時期に家々で壁に描かれるもので、後者は婚礼の時期に婚家の家の壁に描かれるものである。前者については、収穫を祝うという意味合いだけではなく、家の塗装を新たにして補修、補強して、今後さらなる使用に耐えるようにするとい理由もあるとのことだ。毎年塗り替え描き替えるのが壁だが、屋根もなかなか手間がかかるそうだ。このような瓦屋根なのだが、これとて3年ほどの周期で総取り替えしなくてはならないらしい。

    3年程度の周期で葺き替えが必要となる瓦

    黒土を塗ってから石灰でホワイトウォッシュを施し、その上に絵を描いていく。これがレンガ積みやコンクリートの家になると行われなくなるのは、もともとその必要がないこと、コンクリートの場合は表面の処理が異なるため、同じことはできないことからだ。

    泥で出来たカッチャー・マカーンには、かなりサイズが大きなものもある。天井裏は穀物貯蔵スペースとなっている。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • VIRASAT TRUST

    VIRASAT TRUST

    ハザーリーバーグ周辺の村々は民俗画で知られており、私がここを訪れた目的もそれを見ることにある。どこにどういうものがあるのか皆目見当も付かない場所であることに加えて、その民俗画に関する知識やその背景についてもまったく知らないのため、民俗画見学の案内をこれらの保存と普及活動を長年展開しているVIRASAT FOUNDATIONに依頼することにした。

    「トラスト(基金)」と言っても、当地在住のご夫妻が展開している活動で、いろいろ忙しい毎日のようだが、その中で時間を割いていただき、あちこちの村を見せていただいた。

    彼らの住居兼仕事場を訪問して、敷地内にある「サンスクリティ(文化)博物館」と再現してある村の民家の様子を見せてもらった。壁にはちゃんと民俗画が描かれており、時々映画の撮影にも使われているとのことだ。これら復元家屋の様子だけでも相当興味深いので、翌日からの村巡りがとても楽しみになる。

     

  • 墓場にあるチャーイ屋

    グジャラート州アーメダーバードにある「ニューラッキーレストラン」というチャーイ(と軽食)の店。1949年創立の老舗。ムスリムの墓地でチャーイを出していたら(おそらく露店で)、どんどん商売が拡大していって、いつの間にか店が墓場をカバーすることになってしまったという変わり種。露天だったはずのこの場所は建物の中となり、墓と墓の間にいくつもの席が設置されているが、それでも当時からあったのであろう木がそのまま生えているというおおらかさ。きれいに手入れされた墓には花が供えられ金属のレーリングで保護されるなど、大切ニされていることが見て取れる。動画に出てくる男性のコメント、「ここは墓は墓だけれども、ちゃんと花を供えたり大切にしていて、もはや礼拝施設だ言ってみればダルガーみたいなものだ。」というコメントも良い。チャーイ屋の屋号もそうであるように、お客たちからも「縁起の良い場所」と認識されているのも面白い。このチャーイ屋をいつか訪れてみたい。

    Game of Gujarat: Tea shop at graveyard (Zee News)

    https://youtu.be/lPKfJ_GI-MQ

  • インドが中国を抜いて世界一の人口大国となる日

    2016年あたりでは、インドの人口が中国を追い越すのは2024年という予想であったが、最近はさらに3年先になりそうだということらしい。

    まあ、人口が急増するのは良いことではないので、増えるならばジワジワといったペースのほうがマシだろう。

    それはそうと、インドでは「若い人たちが多いなあ!」という気がする。

    見た目は貫禄ある中年でも、脂ぎったおじさんやおばさんでも、実はまだ20代とか30代に入ったばかりという人たちも多いので、あんまり溌剌とした感じであるとも言えないのだが。

    India likely to surpass China as world’s most populous country in next 8 years: UN (HealthWorld.com)

  • Ever Green Guest House

    昔、デリーのパハールガンジの宿「ハニーゲストハウス」(後に「ウパパールゲストハウス」に改称)が日本人安旅行者の常宿だったころ、そこが満杯で断られると、向かったのは「エバーグリーンゲストハウス」だった。当時は旧称「バルビールゲストハウス」とも書いてあったように思う。たぶん主人が「バルビール・スィン」とかいう名前だったのだろう。

    明朗会計のハニーゲストハウスと違って、エバーグリーンは同じドミのベッドでも、人によって料金を変えるので、宿泊前に「お兄さん、いくら払ってる?」と、宿泊客に確認する必要があった。このあたりを取り仕切っていたのは、眼光鋭い感じの宿のオバハン。たまたま彼女が外出中だと、立派な体格だけど気の弱そうな宿の主人が「ママに聞いてくれ。すぐに戻ってくるから待ってて。」と、建物2階の中庭のプラスチックの椅子に座って待たされるのであった。

    中庭の周囲に部屋がある「ロの字型」配置は、南欧から中東を経て、南アジアにかけて共通する基本形。もともとはジョイントファミリーで暮らしていた家を宿に転用したのだろう。宿の主人もオバハンも当時はけっこう年配に見えたが、まだ幼い子供たちがいたので、そんな歳でもなかったのだろう。インド人の年齢はよくわからない。主人は日がな中庭でうだうだしている人で、よくオバハンから怒鳴られて小さくなっていた。オートリクシャーをしょゆうして貸しているとか聞いた記憶はあるが、たぶんこの宿が本業で、これを切り盛りするオバハンが事実上の大黒柱だったのだろう。

    ここが日本人宿になった背景には、当時日本人旅行者が増えていたことに加えて、宿のオーナー家族自身のセキュリティを考えてのこともあったようだ。日本人旅行者は概ね問題を起こす人は少なかった。たまに宿代踏み倒して逃亡する者はいても、警察が踏み込んでくるような問題を起こす者は稀だった。特にあの頃はドラッグ関係のトラブルは日常茶飯事だった。

    そんなこともあり、たまに西洋人宿泊客はあっても大半は日本人客であった。日本人がたくさん訪問していたこともあり、「安全で供給も豊富な投資先」であったのだ。

    そんな彼らだが、あるとき界隈を訪問するナイジェリア人が増えた時期、彼らをまとめて宿泊させていたことがあった。長期滞在する者が多く、立ち去るときには次の者を連れてきてくれるなど、「隙間なく宿泊させることができる」ため、ありがたいと思ったようだ。

    ナイジェリア人たちは、よくこの中庭で料理をしていて、私自身もナイジェリア料理のご相伴にあずかったこともある。

    彼らの旅行先を尋ねると、なぜか「ムンバイ→ジャイプル→デリー→ムンバイ→デリー」と、都市部を往復していたり、回遊魚のように、主要都市を回っていたりと、妙な返事が返ってきたが、まあフレンドリーで楽しい奴らだと、そのときは思っていた。

    それが暗転したのは1990年か1991年だったか。

    まだ寒い時期に私はデリーからラダックを空路で訪問して、デリーに戻ると先述のハニーゲストハウスに空きがあったので投宿。ここで耳にしたのは、エバーグリーンの受難であった。私がデリーを離れていたときに、宿泊していたナイジェリア人たちのところを警察が急襲したとのこと。かなり前から内偵が付いてくるいて、彼らの動向は当局に筒抜けだったらしい。警官隊のあとにはテレビクルーもついてきて撮影していたと、ハニーのドミで会った「その時宿泊していた」という旅行者が言っていた。「ポリスが部屋の中からたくさんの金属パイプが持ち出して、テレビカメラの前で糸鋸で切ったら、中からドラッグらしき粉末が出てきて・・・」というような話だった。

    こんな事件の舞台になったので、オーナー家族はとても困ったに違いない。警察や当局からもいろんな嫌がらせなどもあったかもしれない。その後もハニーが満室の際にはエバーグリーンを利用することもあったが、この件ですっかり懲りてか、顕著に「日本人回帰」していた。やはり「安全第一」というオバハンの判断があったのだろう。

    ちょっとローカルコールで電話借りたり、宿でミネラルウォーターなどを頼むと、ちょっと法外な値を言ったりするなど、がめつい印象はあり、人柄もあんまり良いとは言えないオバハンであったが、話好きで率直にいろいろ物を言うし、世話好きでいろいろ面倒をみてやろうとする(そして小銭をせしめようとする)人だったので、まあ憎めない存在ではあった。

    何年か前に界隈を歩いていたら、この宿がまだあることに気がついた。もちろん今は宿泊しないが、下階には小さな旅行代理店のようなものもあった。弱気な主人と強気なおかみさんの顔が目に浮かんだ。もうとっくに亡くなっているだろうなぁ、と思ったが、ふと思い出して検索してみると、HPが出てきた。代替わりして息子さんが経営しているのだろう。画像には、あのオバハンらしき老婆の姿もある。今も元気にしているらしい。

    この息子さん、日本で何年か生活したことがあるとか、日本語ができるとか書いてあり、HPも日本語で書いてある。代を継いでもオバハンの決断した「日本人路線」は引き継がれているようだ。まあ、近年は日本人旅行者、若い安旅行者も減っているし、今はコロナでそれもなくなったし、大変である。近くのハニーゲストハウスはとうの昔にバングラデシュ人宿に変わってしまっている。だいたいそうしたドン底クラスの宿を利用するバックパッカーはいまどきあんまりいないのだろう。

    こんなことを考えていると、いろいろ細かなことを思い出してきた。北東角部屋のドミの電気スイッチが曲者で、素手で触ると感電することがあった。一度私もビリッとやられたことがあり、一瞬気が遠くなるとともに、心臓がバクバクと経験のないほど強く打って恐ろしくなった。翌朝、これではかなわんと、オバハンに部屋の変更を頼むと「あちらの部屋は☓☓ルピー」と、それよりも高いことを言い出すのであった。

    うーん、あんまり良い記憶はないのだが、あれでこれほど長続きしているのは大したものだ。

    Ever Green Guest House

  • 新型コロナウイルス感染症 インドでは集団免疫達成も近し?

    このところインドで新規感染者数が激減。昨日は1万1千人超という数字であった。

    Latest News Highlights: 11,039 New Coronavirus Cases Take India’s Tally To Over 1.07 Crore (ndtv.com)

    昨年8月から9月にかけては毎日10万人に迫る規模であったのが嘘のようだ。

    この日の日本では2500人。インドは日本の10倍の人口を擁することから人口あたりの新規感染者という視点から見ると、インドはなんと日本の44%にしか過ぎないことになる。

    これは何故か?

    その答えはこちらの記事にあるのかもしれない。

    首都圏住民の半数以上が感染、血清調査で判明 (CNN.co.jp)

    首都圏人口の56%がこれまでに感染して抗体を持つ可能性があるとか、集団免疫達成には人口の60〜70%が免疫を持つ必要があるとか、いくつかの都市ではすでに集団免疫を獲得している可能性があるとも書かれている。

    いくつかの都市といえば、とりわけ、昨年初夏からひどくやられていたマハーラーシュトラ州内の街がいくつか頭の中に浮かぶ。ケーララ州、タミルナードゥ州にもそういう街があるかもしれない。

    そこにきてワクチン接種も始まっているのだから、案外コロナ禍からの脱出と立ち直りは早いかもしれない。感染者数の割には死亡者がやけに少ない(総数では大きなものだが、感染者数、人口に比すると欧米のひどい国の比ではない)のは、若年層に厚い人口構成が幸いしたのかもしれない。無症状や軽症で済んだ若者たちも多かったことだろう。

    実施された大規模な血清検査の結果、デリー首都圏では56%超の住民が新型コロナウイルスに感染して抗体が出来ているとのことだ。集団免疫達成には住民の6割から7割が免疫を持っている必要があるとされることから、どうやらこれが達成される日は遠くないようだ。

    ただしこの「集団免疫」について、よくわからないのは、新型コロナについては罹患したことがあっても免疫の効果は数か月しか持たないという話を聞くことだ。ワクチンについても接種完了したからといって、ずっと有効なわけではなく、こちらも数か月という。

    そのような状態なので、今後エンドレスで免疫が切れる頃にワクチンの接種を繰り返す生活を送らなくてはならないのだろうか。またそのようなことがインドをはじめとする途上国はもちろんのこと、先進国でも可能なのだろうか。

  • インドの偉大さ

    先日ミャンマーで発生したクーデター。せっかく民主化してから10年経つというのに、時計の針を一気に戻してしまうような、せっかく軌道に乗って明るい将来を描こうとしていた経済が、これからどうなるのだろうか。ミャンマーからのニュースを目にして、耳にして、ふと思うのは、年中ゴタゴタが絶えない割には、揺るぐことのないインドの安定ぶりである。隣国パキスタンやバングラデシュでは、クーデターあり、政変ありで、目まぐるしいことが多いのだが、インドは時の政権が不人気で政局が流動的になることはあっても、国の根幹が揺らぐことはない。

    いや、例外はあった。インディラーの時代に強権が独走した「非常事態権限」のころである。あのときは在野の政党や指導者たちと民衆が力を合わせてインディラーの独裁に抵抗した。決して長くはなかったが、そんな時期はあった。当時、軍の一部では不穏な動きもあったとのことで、もしかしから?という可能性はあったのかもしれない。

    また、隣国との係争地帯を抱えるカシミール、同様に中国その他からの干渉がある「動揺地域」である北東部のいくつかの州は、そうした周辺国と連動性のある分離活動のため、本来ならば国境の外に向いているべきインド軍の銃砲が、地元市民にも向けられる状態であったため、「インドの民主主義の外」にあった。いや、「あった」という過去形ではなく、地域によっても今もその状態は継続している。そんな地域では、警察組織ではない軍隊に市民を尋問したり拘束したりする権限が与えられていて、さまざまな人権問題も発生しているのだ。

    だが、そうした地域は例外的なもので、やはりインドといえば、独立以来ずっと今にいたるまで非常に民主主義的な国だ。

    90年代以降のめざましい発展が言われるインドだが、まだまだとても貧しい国だ。日本、ドイツに次いで世界第5位のGDPの経済大国とはいっても、13億を軽く超過する、日本の10倍もの人口を持つがゆえのことで、一人当たりのGDPにならすと、わずか2038ドル。9580ドルの中国はインドの4.7倍だ。もう比較にもならない貧しい国である。

    そして文字を読み書きできない人々は総人口中の23%。ひどい州になると33%にも及ぶ。今、西暦2021年なのに・・・である。そんな貧しい人の票もミドルクラスの裕福な人たちの票も等しく一票。投票所の投票マシーンには、政党のシンボルマークが描かれており、文字が読めない人でもそれを頼りに票を投じる。中央の選挙でも地方の選挙でも、ときどき不正があったのどうのという話は出るが、どんな不満があっても居座ったり、クーデターを画策するようなこともなく、敗者は退場していく。落選した議員、失職した大臣などが、政府から与えられた官舎から落選後もなかなか出ていかないというトラブルはあるようだが、公職に力ずくでしがみつこうとするような話はまずない。そのあたりは実にきっちりしている。さすがはインド。

    スーチーさんは母親のキン・チーさんがインド大使であったため10代の一時期をデリーで過ごしており、現地で学校にも通っていた。当時首相であったネルーとも家族ぐるみの親交を持ち、24 AKBAR ROADにあった屋敷がキン・チーさんの大使時代に与えられていた。青春時代にインドの首都で「デモクラシー」の薫陶を受けたスーチーさんにとって、「民主主義インド」は彼女の理想かどうかは知らないが、ひとつの重要なモデルであるとされる。

    それにしても、ネルーからこの24 AKBAR ROADの屋敷を使わせてもらっていたというのは大変なことだ。現在の国民会議派の総本部があるのが、まさにその場所なのだ。そのような重要なところに住まわせてもらっていたのが現在のスーチーさんを含めたキン・チーさん家族。インドと、そして初代首相のネルーと、実にゆかりの深い人だ。それだけに、今の時代になってもミャンマーでこのようなことが起きて、自宅軟禁となっているのは、なんとも皮肉なことである。

    同時に、常々いろいろな問題や不正に満ちていながらも、「総体としてはしっかり」しており、「根幹は良識と法で守られている」インドに対して、いつもながら畏敬の念を抱かずにはいられない。「JAI HIND !(インド万歳)」という言葉が自然と口に出る外国人は、実に多いのである。

    For Japan, Myanmar coup brings fears of threat to business, political ties (The Mainichi)