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投稿者: ogata

  • Haveli Zeenat Mahal

    Haveli Zeenat Mahal

    オールドデリーのラール・クアーン・バーザール・ロードに面した、ただのオンボロな建物にしか見えないのだが、実はここ、細部をよくよく見ると素性の良さは隠しようもない。残されているのはそのハヴェーリー(屋敷)の門の部分だけなのだが。

    ムガル最後の皇帝にして高名なウルドゥー詩人でもあったバハードゥルシャー・ザファルが愛后、ズィーナト・メヘルと実家の方々のために建てさせたハヴェーリー。

    後にザファルとズィーナト・メヘルは1857年の大反乱に加担したとのかど(大反乱の旗印に担ぎ出された)で、鎮圧後に南デリーにある離宮付近に逃亡していたところを拘束され、まだ幼かった王子ふたり(ミルザー・ジャワーン・バクトとミルザー・シャー・アッバース)とともにラングーンに島流しとなった。このときすでに長じていた男性王族は殺害されたようだ。

    ズィーナト・メヘルはラングーンの幽閉先で夫のザファルに先立たれた後、20年後の1886年に63年あまりの生涯を閉じる。若い頃の肖像以外には晩年の写真しか残されていないが若いころにはとても美しい王妃であったらしい。

    流刑先では、日々デリーを、王宮と自身のハヴェーリーを想う望郷の生活を送っていたことだろう。

    もうずいぶん前にラングーン(ヤンゴン)で彼ら皇帝夫妻の墓所を音ずれたことがある。ダルガーとなっており、インド系ムスリムたちが参拝するとともに、インド、パキスタン、バングラデシュから首相その他の閣僚が訪問する際にも定番のスポットとなっている。そこに葬られている王妃の実家がここにある。

  • オールドデリーのジャイナ教寺院

    オールドデリーのジャイナ教寺院

    上の画像は前日購入したデリーのガイドブック。こちらの表紙になっている寺院がどうしても気になり、朝6時前に目が覚めてしまった。そしてオートでGo!

    シュリー・ペーガムバル・ジェイン・ナヤー・マンディル(Shri Pegambar Jain Naya Mandir)という名のジャイナ教寺院で、くねくねした路地奥にあるのだが、Googleマップは優秀なので迷うことなくたどり着くことができる。

    本殿では聖職者たちが祭壇の清掃中。翌日の朝7時から高僧が来ての大きな法要があるとのこと。

    路地奥にゴミゴミした路地奥にいきなり天界のような夢か幻かと思うような空間に遭遇して仰天した次第。

  • シールマールはおいしい

    シールマールはおいしい

    ジャマーマスジッド近くで食事。有名なカリームやアルジャワーハル以外にも気になる店が実にたくさんあるのだが、胃袋は一つしかないのが残念なくらいだ。

    あまりに有名なので外国人客も多いが、アラビアの人たちもよく訪れている。前回はエジプトからの留学生と相席になり、食べながらいろいろ話したし、今回はどこの国か尋ねていないが、産油国から来たと思われる夫婦連れがいた。やはりデリーという、ひとつの本場のムスリム料理は本当においしい。

    夕飯後には並びのシールマール屋「Haji Nadeem」にておいしい本場のシールマールを買って帰る。

  • 巻きが少ないトイレ紙

    巻きが少ないトイレ紙

    インドで近年こそ巻きの大きなものもふんだんに出回るようになったが、伝統的な巻きのサイズはこれだし、これらは今でも流通している。

    感覚で言うと2回分、うまくいけば3回分だろうか。カバンの中で邪魔にならないよう芯を抜くと、本当に少なくて心許ない。

    インド式トイレであれば水で済ますが、洋式だと姿勢上容易ではないため紙を使う。いやインド式だって置いてあるのが汚い缶とかならやはり触るのはちょっと・・・で、紙を使うという人は少なくないだろう。

    それで出先でパーニープーリーをつまんだりするから、朝のお通じ(笑)以外に予定外のものがやってきたりする。カバンを開けたらすでに一度使用済みだと、「あいやー!足りるかなぁ、こりゃー?」となると大変焦るのである。

  • スンダル・ナーサリー

    スンダル・ナーサリー

    ここがオープンしたのは最近のことではないのだが、私自身が訪問するのは初めて。フマユーン廟、ニザームッディーンのダルガー、ローディーガーデンなどの近くにあり、アズィームガンジと呼ばれたムガル時代のキャラバンサライを含むムガル時代の遺跡が点在するエリアでを遺跡公園として整備したものだ。

    敷地内には美しいペルシャ庭園もしつらえてあるが、これは往時からここにあったのではなく、公園としての演出のようだ。ペルシャ庭園自体は、ムガルその他のイスラーム王朝が造ったように、ペルシャ起源ながらもインドに定着した伝統的な庭園スタイルと言える。

    ここで面白いのは、通常遺跡の遺跡整備はASI(インド考古学局)が実施するのだが、スンダル・ナーサリーは官民協働の事業であったことだ。ASIとPWDいずれも政府機関が民間のアガー・カーン財団と手を組んで整備したものである。そんなこともあって、遺跡の修復と保存のみならず、新たな市民の憩いの場の創出としての事業となったのかな、と想像している。

    ペルシャ庭園、そして子供たちのための遊び場、遺跡敷地内での洒落たカフェの営業、日本の盆栽庭園などもあるなど、通常の遺跡整備では見られない、なかなか画期的なものだ。

    それにしてもデリー市内なのに、木々が生い茂る環境下で、まるで鳩かカラスみたいにクジャクたちがウジャウジャたくさんいる。特徴的な声もなかなかうるさい。

    ここのみならず、実はデリー市内には今も手つかずの原生林がある。野生動物たちにとっては大都市のすぐ傍らに残された楽園なのだろう。

    その深い森、英語でインドを含めた南の国々の生命力に満ちた、同時に人間にとっては危険を秘めた森のことを「jungle」と呼ぶが、これはインドの言葉「jangal」をそのまま借用したもの。イギリス人にとってこの地の深い森は彼らの国の「forest」とは明らかに違う異質なものと認識されたのかもしれない。

    SUNDER NURSERY紹介サイト

  • ココナツの水

    ココナツの水

    近年は、ココナツが採れる国でもこういうのがよく売られている。

    せっかく生のココナツをナタでヒョイヒョイとやって、ストロー差し込んでくれるのに、なんでわざわざこんなので?という気もするのだが、やはりキンキンに冷えていると、これがまた格別。まったくの別物となる。

    それだけに、180mlで40Rsという値段はけっこう割高とはいえ、よく売れている。

    しかしまあ、暑い季節には、買った1リットルの水を店頭でぐいぐい飲み干してしまったり、食堂に入れば注文した同じ1リットルを食事が終わる前には飲み干してしまったりもするので、200mlにも及ばない量ではとても渇きをいやすことはできないのだが。

    もちろん1Lサイズの大きなパッケージのものも売られている。思い切り冷えたこちらを「腹いっぱい」飲むのも満足感があって良い。

  • インドと言えばラム!

    インドと言えばラム!

    例の鉄格子の酒屋さんで「オススメのを」と言ったら出てきたのがこれ。紅茶じゃないけどまさに「アープ・キー・パサンド」である。

    名前もラベルもカッコいい。どうせ大衆酒なのだからタイトルは大袈裟だったり勇ましかったりするほうがいい。

    夕方の酒屋さんは大賑わいで大きなリュックに信じられないほどの量のボトルを入れて店を後にする人も。

    街なかはいいんだけれども気になるのは街道沿いで結構見かける酒屋さんの存在。飲酒運転を助長するかのようで感心しない。

    映画でも運転しながらウイスキーのボトルを煽るような無茶苦茶なシーンが見られることもしばしばある。インドで上映する映画は日本での映倫みたいな機関が検閲しているにもかかわらず。

  • いわゆる「痔」の話

    いわゆる「痔」の話

    ウンチを水で処理する国の人々は痔にならないなどと、まことしやかに言う人がいるが、こういう看板や新聞広告があふれるインドのことをどう思うのだろうか。

    看板上部にある「बवासीर (バワースィール)」というのが、いわゆる「痔」のことなのだが、バーザールを歩いていても、あるいは新聞を開いていても、それの治療を得意とする医者や医薬品等の広告がよく目に入ってくる。つまりそれほど多いのであろう。

  • ニューデリー駅前の食堂にて

    ニューデリー駅前の食堂にて

    「印鉄聖地 レーワーリー」から各駅停車でニューデリーに戻った。

    こちらは駅前の食堂。魚アイテムがいろいろあり、店内にはベンガル語、オリヤー語なども書かれているので、東部のお客さんをメインのターゲットとしているのだろう。

    インドのそうした地方の魚料理もまた美味しいものだ。とても食欲がわいてくる。

  • 印鉄聖地 レーワーリーのロコ・シェッド

    印鉄聖地 レーワーリーのロコ・シェッド

    開館時間を8時からと思い違いして7時50分くらいに着いたのだが、開館は9時からであると知った。ここで1時間ほど待つことになるかと思ったら、出勤してきた職員の人が「どうぞ」と入れてくれた。

    ここは見学できるが、そもそも修理工場なので、実際に整備士さんたちが忙しく作業している。

    「忙しく」といっても傍目にはのんびりしているように見えるのだが、インドにおける蒸気機関車修理の最終兵器みたいなところなので、貴重な蒸気機関車を日々修理するとともに、他の工場でどうにもならない機関車をも受け入れて直しているらしいから、凄腕の職人さんたちが揃っているのだろう。

    ここでしばらくの間、蒸気機関車の運転士さんが構内を案内してくれた。なんでも現在この人は蒸気機関車専門の運転士とのことで、冬季にデリー・アルワル間で運行されるフェアリー・クイーンの走行もしているとのことで、他にも何かのイベント等での運行があれば、呼ばれて行くそうだ。実際に走行する際には4時間前から機関車のウォーミングアップが必要とのこと。

    普段はあまりそういうのがないので暇かと言えばそうでもないようで、整備の途中で蒸気機関を動かしての確認作業もあるそうだ。

    どの機関車も走行できる状態にあり、展示されているわけではなく、整備のために置かれているため、駅前などに置かれている機関車と異なり、生気に満ちている。

    大きなブロードゲージの貨物用機関車「ヴィラート」の顔が外れた間抜けな姿を見るのは初めてだったけど、蒸気機関の構造について運転士さんから説明を聞くことができて良かった。燃料効率の悪い、そして水も大量消費するのが蒸気機関車であったこともよくわかった。

    また、小ぶりで緑色のメーターゲージ機関車、「フェアリー・クイーン」は、優美な外見とは裏腹に気難しくてたいへん扱いにくい機関車であるとも。容易にオーバーヒートするし、気を抜くと瞬時に蒸気圧が下がる厄介者だとのこと。

    珍しい車両もある。蒸気機関によるロードローラーというのは、ここで初めて目にした。

    また貴賓用客車もあるが、こちらは昔々の車両を現在の要請に応じてカスタマイズしたもの。エアコンも付いている

    こちらは1921年の車両でこの年に訪印したプリンス・オブ・ウェールズのインド滞在のために造られたた特別車両。後に英国国王(=インド皇帝)エドワード8世となる彼の皇太子時代だが、インドに4ヶ月滞在している。大変な時代だったので、いろいろ批判は多かったようだ。

    後にエドワード8世となる皇太子の寝台

    ロコ・シェッド内の壁にあったものだが、2000年以降にここで撮影された映画のリストも掲げられている。

    レーワーリー・ロコ・シェッド見学終了。印鉄ファンの方には心からお勧めしたい。とても楽しかったが入場料はわずか10Rs。外国人料金の設定はない。

  • レーワーリー駅の東口と西口

    レーワーリー駅の東口と西口

    レーワーリーはロコ・シェッド(機関車整備場)を訪れたのみだが、駅の東西がまったく違う街になっているのが興味深かった。

    インドに限らず日本その他でも鉄道駅のこちらと向こうで雰囲気がずいぶん異なることはあるが、レーワーリーほどの極端な例はそう多くない。

    鉄道駅の東側には駅前スペースはほとんど無く、いきなり密度の高い商業地になっている。主要駅のひとつであるこの駅を乗り降りする人たちは24時間絶えないため、駅前ではデリーやカーンプルなどと同様に終夜営業をしている店もかなりある。オートはリザーブ(貸し切り)と乗り合いのいずれも客の取り合いだ。とにかく賑わっている。

    こちらはレーワーリー駅東口

    一方で西口に出ると、商店は一軒もないし、客待ちのオートもゼロ。とても静かなのだ。これには驚いた。よく見るまでもなく、建物は古ぼけているものの、鉄道病院があったり、鉄道関係者の住宅が立ち並んでいたり、簡素だが趣のある教会があったりする。ここはいわゆる「レイルウェイ・コロニー」なのであった。

    レーワーリー駅西口は閑静な住宅地

    つまり鉄道関係用地という、きちんと管理された政府所有地が西口側に広がっているため、民間企業等が開発したり、一般の商店や住宅が建てられたりすることもなければ、スクウォッターたちが勝手に住み着くことも出来ないわけである。

    本日、ロコ・シェッドに出勤してくる人たちはみんな同じ方向から歩いて来ていたので、おそらく整備士たちの宿舎に住んでいるのではないかと推測できる。

    英領時代、ロコ・シェッド自体が造られた頃は当時のハイテクの粋を集めた先進的な機関であったはずなので、英国人のメカニックがネイティブ(当時は「インド人」をそう呼んでいた)に技を伝えるべく頑張っていたはず。

    在インドの英国人にも当然、階級というものはあり、鉄道、自動車、電信電話その他のいわゆる現業部門の英国人たちは、社会の指導的立場にはなく、彼らがフィールドとする仕事場における「親方」に過ぎなかった。

    そんなわけで、現在のレーワーリーのレイルウェイ・コロニーの古ぼけた庭付き戸建ての官舎には、比較的良さげな給与待遇に惹かれて渡印したものの、配属先で大きなタスクを負わされつつも、ホワイトカラーの同国の上役からはやいやいのと言われたり、部下のインド人たちへのリーダーシップがうまく取れなかったりと、追込まれて気の毒千万な英国人も多かったはず。

    植民地時代の研究や考察などで、そうした現業部門に従事した英国人に関するものは例外的と思われるが、何かカチッとまとめられたものがあれば、是非読んでみたい。

    ロコ・シェッドの入口

    それはそうと、オープンと同時に入場しようとゲートには早めに着いてみたが、見学時間は午前9時からとのことであった。(8時からと思い込んでいた)

    ちゃんとゲートに掲げられた案内板に書いてある。ちなみに月曜日と国の祝日は休館とのこと。

    公開時間が記されている。開くのは朝9時からとのこと。閉まるのは夕方4時。
  • レーワーリー到着

    予約していた宿は駅出口から徒歩1分というのは本当だった。だが驚いたのは、そんな便利な場所にあるいくつもの宿が経営難のようで、私の宿泊先の並び計4件がすべて「OYO」になっていること。いずれも「1泊599Rs」という看板を掲げている。

    私はそんな具合とは知らずにネットの大手予約サイトで取っており、廃墟のような有様に驚くとともに、その料金ではないため(むやみやたらに大きな差ではなかったけど)マネージャーに抗議すると、「確かにその条件と違うわなぁ」とかなんとか呟きながら、近隣の壊れた建物に連れて行かれた。

    すぐ隣であったが、古い宿の再建(?)工事中。どう見ても営業しているようには見えないのだが、水と電気は通じているという中途半端な有様。

    明日は朝から活動。テキパキ片付けて再び鉄道乗車の予定があるため、最も駅近の宿を予約サイトで取ったが、宿の名前にOYOが出てきたらそれは避ける、敢えて利用するならOYOサイトから予約すべき(他サイトからだと割高になる)と痛感。

    そもそも乗降客の多いメジャーな駅にまともな時間に到着するのに、他のついでに予約などしてしまったのが余計であったと反省。

    昼まで滞在していたプシュカルでは、地元のお店の人たちと近隣の村からなどを含めたローカルな人々の会話はまったくわからなかった(ラージャスターン方言といってもいろいろあるのだろうけど、首都圏から比較的近いアジメールやシェカワティーでも、ローカル同士の会話はわからなくなる)が、ここは駅前で聞こえてくるのは普通のヒンディー語であり、周囲でのやりとりがわかるので「おぉ帰ってきた」という感じがする。