現在、デリーで髄膜炎菌性髄膜炎(Meningococcal meningitis)流行の拡大が懸念されている。字面だけを眺めるとなんとも奇怪な病気のように思われるが、早期に診断を受けて適切な処置を受ければほとんどの人が回復するとされる。
しかし初期にはカゼと区別しにくく、病気の進行が早いことに注意しなくてはならないのだとか。重症化すると死亡する例も珍しくなく、治癒しても脳や聴力に障害を残すこともあるというから厄介な病気である。とりあえずこの病気について簡潔にまとめてあるサイトをいくつか見つけておいた。
髄膜炎菌性髄膜炎 疫学(国際感染症臨床情報)
髄膜炎菌性髄膜炎 診断(国際感染症臨床情報)
流行性脳脊髄膜炎ってなんだ?(Sasayama’s Weblog)
飛沫感染により広がる病気だが、今回の流行には予防ワクチンの不足と当局による配布の不手際が指摘されている。患者の発生した家庭内での新たな発病も心配されているとともに、院内感染することもよくあるらしくちょっと気にかかるところだ。
最初の患者が発生したとされる4月22日から5月7日までに141人の発病が報告されており、このうち15名が死亡している。今までのところ、主な発生地は混雑したオールドデリー地域であるが、首都圏外でもUP州やラージャスターン州といった隣接地域でも発生が報告されている。
だからといって今の時期のデリーが危険だなどというつもりはサラサラないが、一応こんなことが起きているということは頭に入れておいても良いかと思う。
ともあれここしばらく暑季が続くインド。健康にはくれぐれもご注意を。
Meningitis cases in Delhi touch 141 (Hindustan Times)
投稿者: ogata
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MENINGOCOCCAL MENINGITIS
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天空へ
漁船は人工衛星から刻々と伝えられる情報を頼りに魚群を追う。国中の小中学校の教室もまた衛星によってリンクされ、著名な講師による質の高い授業が国土のすみずみへと行き渡る・・・ことを目指しているのだそうだ。ほかでもないインドの話である。
順調な経済発展と好景気が続くインドは、宇宙開発の分野でも躍進を続けており、1999年に初めて外国の衛星打ち上げに成功して世界の商業打上げ市場に参入後、順調に実績を積み重ねている。宇宙開発を進めている国々はまだごく限られている現在、インドはすでに人工衛星打ち上げの分野における世界の主要プレーヤーのひとつである。
多くの人々の暮らしのありかたや街中の様子を眺めていると、なんだか信じられない思いがするが、それがゆえに無限の可能性を秘めているともいえるだろう。やがてこの国から生活苦や貧困が追放される・・・とはいかなくても半減するころには、こうした先端科学の分野でどれほどの進化をとげていることだろうか。
2008年までに月に行くことを目指しているインド。このほどふたつの人工衛星が打ち上げられた。ひとつが地上の測量撮影用、もうひとつが通信用である。
肉眼で確認できるはずもないのだが「どのあたりかな?」と満天の星空を仰いでみた。
ISRO puts India into major league (Hindustan Times)
インド宇宙研究機関 (ISRO) -
にぎやかな街 2
このあたりは新宿の繁華街で働く人たちの「ベッドタウン」としての側面もある。また昔から中国系や韓国系を中心とした外国の人々も多く住んでいたようだ。
しかしバブル以降、以前からこの地域に生活するそれらの二世、三世たちに加えて自ら本国からやってきた移民第一世代の人口が爆発的に増えており、その流入は今も続いている。
こうして同胞の数が膨らむとともに、土地とのかかわりを持たず地元社会に貢献することがなくても、地元の人々にはよく見えない××人空間、××コミュニティの中ですべてが事足りてしまうようになる。
その結果、日本人社会から乖離した外国人空間がそれぞれのコミュニティに枝分かれすることになる。相互の接点はあまり(ほとんど)ない。異なる人々が融け合うことなく、また結合することもなく、たまたまそこに「集住」しているサラダボウルのような感じだ。
そんな根無し草的な日常の中で、癒しを求める人たちも少なくないのだろう。界隈での宗教活動はなかなか盛んらしい。前述のイスラーム教徒の礼拝室はもちろん、外国系信者を多く抱える教会は多いし、ビルの地下に「××寺」を名乗る韓国の仏教系団体が活動拠点を構えていたりもする。「悪霊払いをします」ということだが、いったいどんなことをしてくれるのだろう?
前置きが非常に長くなってしまったが、インドの大都会にも(インドに限らず多民族ではどこもそうだが)こういうところがあると思う。中国人やタイ人がいるというのではない。土地にルーツを持たない人が多いこと、おなじ地域を行き来していても相互に接点のない異次元コミュニティ空間があり、違った生活習慣や信条を持つ人々が集住しているといった点だ。
デリーを例にとってみれば、インドで90年代から続く好景気の中で、首都圏人口が10年あまりで約四割増加したという。近郊のノイダ等を含めた工業化の進展、商業活動が盛んになったことにより、他地域から大規模な人口の流入が続いているためである。
年々デリーの治安が悪くなっていることを懸念する声は多い。(だからといってデリーが危険な街だと言うつもりは毛頭ないが)確かにマスメディアでも犯罪率の高い増加傾向についてしばしば報じられている。
また市内の主要な住宅地で鉄製のゲートにより夜間の出入りを遮断するところが増えている。変な時間だとわざわざ遠回りをする必要があったり、明るいうちに見つけておいた柵の破れ目みたいなところから出入りしないといけないなどということも珍しくない。昔はそんなことはあまりなかったはずだが。
デリーにしてもムンバイにしても、昔からそこに暮らしている人たちに加えて近隣地域、そして国内にあっても言葉さえうまく通じない地方からやってきた者まで、実に多くの人たちが暮らしている。生活文化や価値観も異なる人々が重層的に集住する都会の良いところは互いに干渉されることなく、自分たちのやり方で日々過ごしていくことができることだ。しかし匿名性の高い社会だからこそ犯罪者やテロリストにとっても居場所を見つけるのはそう難しくないはずだ。
単調な田舎の地域社会(その中でいろいろあるにしても)と違い、都会では何年暮らしていても、個人的な接点がなければ自室の壁一枚向こうで生活している人が何者なのか見当もつかないのが当たり前なのだから。
大きな街の猥雑さと騒々しさは異なるコミュニティが軋みあう不協和音なのかもしれないが、その多様性こそが生み出す活気やパワーが周囲へ及ぼす影響もまた大きい。国こそ違えど、にぎやかな街に共通する匂いがあるようだ。
<完> -
にぎやかな街 1
繁華街の裏手、四方を高い金網フェンスで囲まれているのは少々気になるものの、昼間は人々が出入りする普通の公園、夜になると園内は煌々と照らされるが入口の扉が閉ざされ入ることができなくなってしまう。公園に隣接した無人の小屋に付いた赤色灯が回り続け、遠目にはポリスボックスがあるか、パトカーが停車しているかのように見える。
周囲の家々は高い塀に囲まれているため庭の様子さえうかがい知れず、シャッターで密封された車庫の中、クルマの有無さえ外からわからない。通りから見える窓には鉄格子がはまっている。
ある朝、開店直前のドラッグストアーに押し入った何者かに店長が刺された。付近にあるコンビニエンスストアーは、「定期的に」強盗の被害に遭っている。
近ごろは見かけなくなったが、ひところはパッと見てそれとわかる娼婦たちが日没あたりから出てきては客を引いていた。そんな彼女たちの用心棒、電柱にもたれたくわえタバコの体格の良い男たちが、それとなく周囲の様子に気を配っていたものだ。
これらはどこか外国の街の話ではなく、東京都新宿区大久保界隈のことである。少々物騒で不健康なイメージがないでもないが、なかなかカラフルで面白い街でもある。時間帯や場所にもよっては通りを歩いていてすれ違う人々の半分くらいが外国人と思われることもある。
実にさまざまな人々が出入りするだけに味覚のバリエーションは広い。ごくありふれた中華料理屋もあれば、「中国吉林省延辺朝鮮族自治区料理」をうたった店もある。独自の香味料を効かせた羊肉の串焼きはなかなか美味だ。
ときどき看板を「シンガポール料理」「マレーシア料理」「台湾料理」「タイ料理」とかけ替えるところもある。新しい店ができたな、と多少期待して足を踏み入れてみると何のことはない、以前の店員が迎えてくれる。確かにメニュー構成は多少違っているものの、これまでどおりの「華人料理」が主体なのである。
また「タイのイスラーム料理」専門店があるのもこの界隈ならではだ。
食品、日用雑貨、新聞に雑誌といろんな品物を手広く扱う東南アジアスーパー(?)に入荷した大きなドリアンが芳香をあたりに漂わせるようになると新緑の時期。縛り上げられた上海ガニが中国食材店で売られるころ、また韓国の秋夕(日本の中秋の名月)用の自家製菓子が韓国雑貨屋の軒先に並ぶようになれば秋を思うといった季節感もある。
雑居ビル内のミャンマー人ムスリムが経営するハラールフード屋には南アジア食材も揃っているため、客にはインド人の姿も多い。だがちょっと耳を澄ませていると、話す言葉からインド系ミャンマー人とわかることがよくある。近所にはケララ州出身のインド人による同じような店もあり、こちらでは国際電話のプリペイドカードの品揃えが充実している。通話する方面によって様々な料金やタイプが用意されているのだが、インドを含めた南アジアの人々には良好な通話品質とエコノミーな価格から、ZAMZAMカードが人気らしい。他にもいろいろこの類はあるが、しばしば額面よりかなり安く販売されていたりする。
このあたりにはビルの一室を借りたイスラーム教徒の礼拝所がある。
さまざまな人々がゴチャ混ぜに行き交っているのだが、ほんの目と鼻の先で暮らしていてもまったく接点がないのがこの街の特徴だ。
昨今の韓流ブームに便乗した韓国ドラマ関係のグッズを売る店、異国としてのタイやミャンマーの味を楽しませる料理屋等々、日本人を主な顧客とするものも少なくないが、ほとんど同じコミュニティ(国、民族、宗教)の同胞相手に商う店がとても多い。それらは自国語のみで書かれた(申し訳程度に小さく書かれた日本語も付け加えられていることもある)看板などからわかる。
通りを歩いていると、そうした食堂、美容室、雑貨屋、不動産屋等々、様々なものが目に入ってくる。この地域あるいは首都圏に在住する同胞たちの人口が大きければ、そのコミュニティ内で充分商売が成り立つのだ。
生活や活動の場は重なっているものの、相互に接点を持たない異次元空間が広がっているかのように見えるのがこの大久保周辺だ。
<続く> -
またもや鉄道事故

インドではとかくアクシデントのニュースに事欠かないが、やはりまた列車同士の衝突事故が起きてしまった。
本日(4月21日)インド時間午前3時過ぎ、ウッタルプラデーシュ州のヴァーラーナスィーからグジャラート州のアハムダーバード行きのサーバルマティー急行が、ヴァドーダラー地区のサムラーヤー駅付近で貨物列車に衝突した。事故現場に軍が出動、車内に閉じ込められた乗客たちを含めて全員救助されたものの、現在まで確認されただけで17名死亡、80名を超える負傷者が出ているとのことだ。
日々1300万人を運んでいるといわれるインド国鉄は、文字通り世界最大級のネットワークを誇るが、同時に大小合わせて年間300件の事故が起きるという不名誉なレコードでもよく知られている。
サーバルマティ急行といえば、2002年のゴドラ駅で起きた焼き討ち事件(それが引き金となり、グジャラート州で大規模な暴動に発展した)を想い起こすが、今回の事故もあり、なんだか厄にとりつかれた急行列車のような気がしないでもない。
現場に急行した鉄道大臣のラールー・ヤーダヴは投石等に遭い大変な思いをしたようだ。幸いケガはなかったようだが、クルマの窓ガラスなどがひどく割れるなどの被害があった。(そのクルマを焼こうと試みた者さえあったとの話もある)
同大臣は、この騒動が地元グジャラート州のBJP政権により組織されたものであるとして、「明らかに私の命を狙ったものである」として、州首相のナレーンドラ・モーディーの辞任を要求する発言をするなど、強く非難するなど、政争の火種も生じている。
こういう出来事はしばしば政争の具になり、しばらく騒いだ後に話題にさえのぼらなくなる。今回もやはり事故の本質から離れたおかしな政治問題に発展してしまいそうな気配が感じられる。
それにしても鉄道の事故が報じられるたびに思うのだが、メディアにいつも同じような写真が掲載されている。車両が原型をとどめないほど崩れていたり、他の車両のうえにまるで積み木のように乗り上げていたりといった具合だ。少なくとも素人目には、運転手が衝突直前まで事故回避の努力をほとんど行わず、減速なしにそのまま突っ込んだかのように見えるほどだ。事故の頻度はもちろん、規模が大きなものが多いことも気になるところである。
近ごろ着実に近代化を進めているインド国鉄、サービスや利便性の向上は誰もが認めるところだが、人命の重さを肝に銘じて同じような事故がいつまでも繰り返されることのないよう安全面でも真剣に努力して欲しいものである。
Sabarmati Express rams into goods train; 17 killed (Hindustan Times) -
食して想う
路上にスナック類の屋台や露店が多いのは何もインドに限ったことではないが、出先で気軽にチャーイをすすったりサモサ(一個で約300キロカロリーという高エネルギー源)をほおばったりと、時間のないとき手軽に腹をふくらませることができて重宝する。
そんな中、衛生上問題があるものも少なくない。カラーインクのような得体の知れないシロップを並べた清涼飲料水屋、歩道にコンロと大鍋をドカンと置いて商うカレー屋、路上に置かれたサトウキビを泥のついたままガタガタとがなり立てる電動ローラーに押し込んで絞るジュース屋等々、とかく腹の弱い私には(そうでなくとも)縁がない。
露店だけではない。一応店舗を構えた食堂でも、トイレを借りるとドア一枚向こうの調理場の床には切った野菜が放置(キッチンのありかたが違うので仕方ない部分もあるが)されていることがよくある。これが地下のジメジメした空間だったりすると席にもどってからユウウツだったりする。
そういう衛生環境では楽しいどころか食欲さえも沸いてこないが、今でも都市部や観光ルートを外れると、「外食する」のにこんな場所しかないことが往々にしてある。
外食産業の発達には、娯楽としての食事という一種の文化が定着している必要がある。保守的な土地ほど物を食べることが極めてプライベートな行為である度合いが高くなるとことがあるかようだが、何よりもやはり相応の収入を得て生活にゆとりがあることが必要だ。
業者側にしてみても店を出すにはそれなりの市場規模が必要なので、ほんのわずかな金持ちがごくたまにしか出入りしないようなところにわざわざ気の効いた店を出すことはないだろう。
都会では上から下まであらゆる階層の人たちが揃っているので食事どころのバラエティに富んでいるが、田舎では小さな露店と茶店くらいしかなかったりするのは、まさにそれらの土地に住む人々の所得水準(=生活のゆとり)の格差を如実に表しているかのようである。
どこに行ってもそれなりにおいしくて衛生的なものを店で食べられるようになるころ、インドはさまざまな面で今とはずいぶん違う国になっているような気がする。 -
BOISHAKI MELA

4月17日(日)に東京の池袋西口公園にてJBS (Japan Bangladesh Society) 主催によるBOISHAKI MELA 2005 AND CURRY FESTIVALが開催された。
2000年から始まり今年で6回目を迎えるこのイベントは、ベンガル暦の新年「パエラ・ボイシャク」を祝うために在日のバングラデシュの人々によりオーガナイズされたものだ。
ちなみにこのJBSという団体は単に日本とバングラデシュ二国間の友好団体というわけではなく、在日バングラデシュ人たちへの健康問題にかかわる相談や助言、バングラデシュにおける生活や医療の改善等への取り組みも含めた様々な活動を行っているようだ。
特設ステージ上では詩の朗読や歌と踊りが披露され、ベンガル料理や菓子などといった食べ物の屋台や手工芸品等々のブースも出ており、天候に恵まれたこともあり大盛況であった。
この集いのためにわざわざ遠くから電車を乗り継いでやってきた在日バングラデシュ人たちも少なくないようであったが、そういうイベントが開かれることをよく知らずにたまたまこのあたりを通りかかった人たちも、池袋駅西口に突如として南アジアのバザールが出現したかのような賑わいの中で美味しいカレーをパクつくことができて好評だったことだろう。
交通のアクセスの良い場所で、在日外国人たちによる「誰でも出入り自由」のオープンでフレンドリーな催しものが開かれるのは彼らと私たち双方に有益なことなので、これからもぜひ続けていって欲しいと思う。
バングラデシュといえば、バブルの頃には「全国津々浦々に」といっていいほど大勢の人々が出稼ぎにやってきていたものだが、その後入国審査等の厳格化でその数は激減した。
ともあれそういう時期があったからこそ、両国間で人々の交流が盛んになったのは事実だ。そうした流れの延長線上で正規の就労、投資、婚姻などにより日本に根付く人々が増えているからこそ、こういうイベントが可能になったのだといえるはずだ。日本国内に住む外国の方々に、何らかの形でこの国への帰属ないしは社会への参加意識を持ってもらえるのは非常に喜ばしいことだ。
何はともあれ、おめでとうございます。 -
やがてヒマラヤの南北が結ばれる
およそ2000キロの国境線を共有するインドと中国。1914年にイギリスが当時のインドとチベットの境界線としてシムラー会議で提示したマクマホン・ラインを「国境線」として継承することを主張する前者と、当時はもちろん中華人民共和国成立後そして現在にいたるまでこれを認めていない後者の間では今なお12万5000平方キロにも及ぶ土地をめぐり係争が続いており、ここでもやはり実効支配線をはさんで両国の軍が相手側の動向を警戒している。
このたび中国の温家宝首相の南アジア四カ国(パキスタン、バングラデシュ、スリランカ、インド)歴訪の中でインド訪問時に、1975年のインドによるスィッキム王国の併合を認めないこれまでの中国のスタンスを改めて、「インド共和国のスィッキム州」であることの確認がなされた。長らく膠着状態にあった両国の国境線問題解決への記念すべきステップといえるだろう。
アジア各地との経済関係強化をこれまで以上に強く打ち出すこのところの中国の姿勢もあり、印中関係が対立から協力へとシフトしつつあることがよくわかる。
1990年代以降、中国はチベット自治区内を走る道路網の整備を行っており、総距離数は従前のほぼ倍の4万キロまで伸ばしているとされる。チベットにおける輸送インフラへの大規模な投資は、経済的な目的のみらならず安全保障とのかかわりも深いことだろう。
だが仮に国境をはさんだインド側でも同様にこの地域の交通網整備に力を入れる動きが始まれば、長期的には広大な中国大陸とインドを中心とした南アジアが経済的に統合へと向かうことさえ充分考えられるらしい。
そうなれば中国で出版される地図で「錫金王国」がようやく「スィッキム州」に書き換えられるのにとどまらず、今後この地域で相当大きな変化を生む可能性を秘めている。これまで「地の果て」として経済的には利用価値のほとんどなかった両国の辺境地帯が、人口規模では世界最大の二大国間の物流の動脈として脚光を浴びる日が訪れるのかもしれないのだ。
China and India sign border deal (BBC South Asia) -
あなたの居間にインド空間

近ごろ日本でインドのテレビ番組をリアルタイムで観ることができるようになっているらしい。ZEE ネットワークのコンテンツをインターネット経由でリアルタイム配信する業者が東京と大阪にオープンしている。
今日は早速その体験視聴を試してみた。東京の自宅にいながらにしてインドのニュース、音楽、映画などのプログラムを目にするのはなんだか妙な気分である。
これらは日本における同ネットワークの正規エージェントになっているようだ。東京にあるのが「MoLa TV」で4チャンネルZEE Smile, ZEE News, ZEE Cinema, ZEE Musicの各チャンネルを視聴できる。大阪のHumtum TVは10チャンネル(ZEE TV, ZEE Smile, ZEE News, ZEE Cinema, ZEE Music, ZEE Punjabi, ZEE Gujarati, ZEE Bangla, STAR UTSAV, Sahara TV)にアクセス可能だ。
インターネット放送なので基本的にはパソコンで観ることになるが、別売りの接続機器を購入することによってテレビに出力することができる。どちらも視聴料は1ヶ月あたり4000円というから、チャンネルが多い分後者のほうが買い得感はある。
どちらもごく最近この事業を始めたようで、今後他の業者も参入してくる可能性もあるだろう。料金やチャンネル数も含めてサービス内容が発展していくことを期待したい。
こうしたサービスが事業として成り立つようになった背景には、高速通信網の整備はもちろん在日インド人相手の商売そのものがそれなりに採算の取れるスケールになってきたことがある。
近ごろ増えてきているインド出身のIT系の職業の人たちは、滞日期限がほぼ決まっている派遣を含めたいわば「転勤族」が主体。ひと昔前に日本各地で見かけた南アジアからの「出稼ぎ」の人たちよりも可処分所得が高いのはもちろんのことだ。これらの人々の中には南インドの人の占める割合が高く、そのあたりの各言語のチャンネルを供給する業者も出てくるのはもはや時間の問題だ。
単身で日本にやってくる人たちも多いが、奥さんや子供をともなって赴任する人たちも少なくない。こうした娯楽関係は日夜忙しく働くインド人サラリーマンたち自身はともかく、彼らの配偶者で自宅の居間で過ごす時間の長い専業主婦からの需要が相当高いのではないだろうか。
すでに日本在住の中国や韓国の人々の間に同胞のみを顧客とする音楽、ファッション、食料品、不動産などを扱うさまざまな業者がいるように、今後はインドからやってきたホワイトカラーの人々だけでなく、彼らの家族たちをもターゲットにした様々な商売が展開していくこともありえるだろう。 -
SAKURA BAZAR

在日インド大使館による恒例の「サクラ・バザー」が4月10日(日)に同大使館敷地内にて開かれた。当初4月3日(日)に予定されていたものが、イベントの名前にも冠されている「桜」の開花時期や天候などを考慮して一週間延期されたものである。
大使館のある九段の桜は満開。近所のお堀端や靖国神社の景色がピンク色の靄に包まれ幻想的でさえある。
敷地内に大使館関係者や業者の出店等が並び、インド料理や菓子、チャーイやビール、そして民芸品などが販売されていた。来場者の中には在日のインド人たちも多かったが、近ごろ増えているIT関係者たちだろうか、都会的な感じがする若い年齢層の人々や小さい子供の手を引く家族連れの姿が特に目立つ。
天候にも恵まれ、花見ついでに覗いてみる来場者たちも多く、人の出入りが多少でも途切れることさえない大盛況であった。桜の名所という地の利を生かし、日本の文化や習慣と上手に折り合いをつけたなかなか粋な催しだ。
これが現在のインドならば、押すな押すなの混雑となっている外の状況とサクラ・バザーの会場である大使館敷地内の人の流れが、入場者たちへのセキュリティチェックなしに混然一体となるような状態が許されるはずもなく、東京の治安はまだすこぶる良好であることを実感する。
春うらら、ホロ酔い気分の楽しい日曜日であった。 -
先の見えない「平和」に向けてバスは走った

反対勢力によるテロなどの妨害はあったが、予定どおり4月7日に国境ならぬ「実効支配線(LOC)」を越えてスリナガルとムザッファラーバードの間を結ぶバスルートが開通した。隔週に一度という非常に限られた機会だが、独立以来分断されているカシミールで人々が直接往来できるのは、まさに歴史的な出来事である。
これはインド・パキスタン関係がこれまでになく良い状態にある証であり、二国間の係争地帯となっているカシミール地方に暮らす人々にとって喜ばしいことであるのは間違いない。
だが困ったことに表面上は穏やかになりつつあるように見えても、カシミール問題自体は何も解決しておらず、たまたま小康状態にあるに過ぎない。両国が対立の手綱を緩めたことによって訪れた「平和」には裏付けや今後への保証があるわけではないのだ。
1999年2月にデリーとラホール間を結ぶバスルートが開通し、当時のヴァジパイー首相がその第一便に乗ってラホールを訪問したことはインド・パキスタンの良好なパートナーシップの進展を世間に印象付けたがが、その後間もなくカールギル紛争が勃発して両国関係は一気に悪化した。
また2001年12月にニューデリーで起きた国会襲撃事件後には緊張状態がエスカレートし半年以上に及ぶ一触即発の態勢が続くなど、近年においてもインド・パキスタン関係は予断を許さない状態だ。対立こそが平時ともいえる両国関係は、多少の融和とその揺り戻しであるかのような緊張との間を振り子のように行き来している。
今回スリナガル・ムザッファラーバード間のバスルート開通後、何か不吉な出来事が待ち受けてはいなければ良いのだが・・・。
ニューデリーとイスラーマーバード、対立する両国中枢による綱引きが行われている分断カシミールでは、土地の人々の意向を無視した大義が振りかざされ、イデオロギーが独り歩きする。
ふたつの地域大国のパワーがせめぎあう中に一種の真空地帯が生まれ、武装組織が活動の場を得る。当局による治安維持の名目で不条理な弾圧や人権の蹂躙が行われる一方、解放の名のもとに反対勢力によるテロや暴力が横行する。
カシミールの領有を主張して譲らない両国の間に横たわる「実効支配線」とは、土地の人々にとって自分たちに断りもなく決められたものである。
百歩譲って地域の境界あるいは領有について二国家に委ねるとしても、人々が個々に「自分はどちらの国家に属するか」を決めることができても良さそうなものだ。
現実的ではないが「パキスタン国籍を選んで向こうに移住する」あるいはその逆、さらにありえないことかもしれないが「インド国籍を選び、外国人としてパキスタン国内に居住する」あるいはその反対が可能であってよいはずだがそうはいかない。
分断国家によくあることだが、ある時点での居場所により国籍が自動的に決まってしまうのはあまりに酷である。
土地の所属あるいは人々の国籍にしても、自分たちの意志ではどうにもならない宙ぶらりんで他人任せの状態が続いている。結局のところ自分たちの処遇を決めるのはカシミールから遠く離れたデリーであり、イスラマーバードであるのだ。これらふたつの権力の中枢が知恵を絞って建設的な解決を見出さない限り、カシミールの人々はその雲行きを見ながら右往左往するしかない。
自らの意思によらず、不安定なインド・パキスタン関係に翻弄され続けなければならないことこそ、カシミールの最も大きな問題ではないだろうか。
ともあれ実施が懸念されていたバスが走った。これからもずっと続いて欲しいものである。分断されたカシミールの間で人々が直接往来する機会が増えるのは喜ばしいことではあるが、自らの手で運命を決めることができないカシミールでは、今回のバス外交の行き着く先がどこなのか誰にもわからない。
カシミール地図(テキサス大学図書館)
Media praise Kashmir peace buses (BBC South Asia) -
シェカーワティーに行こう3 屋敷町の行く末は?

現在、ハヴェリーの主たちの多くはすでに外の土地へ出てしまっていることが多く、かつての使用人家族が番をしていたり、屋敷内の部屋を幾世帯もの他人に貸し出していたりといったケースが多いらしい。主が不在なので手入れは当然おろそかになる。貧しい間借人たちが、建物の特に壁に描かれた絵の保守に関心を持つこともないようで、ハヴェリーの内も外もひどく痛んでいることが多い。
先述の元は寺院であった建物が他の目的に使われている例にもあるように、大型のハヴェリーの中には学校に転用されているものがいくつかある。一階部分の外側が店舗として利用されているものもあり、ペンキで書かれた屋号や下着や乾電池の広告のイラスト等が、美しい壁画の上に大書きされているのを目にすると胸が痛む。そうでなくとも厳しい日差しに焼かれて雨に洗われ、せっかくの見事な壁画が次第に失われていく方向にあることは間違いないようだ。
一部にはこうしたハヴェリーをはじめとしたこの地方独特の建造物を観光資源として地元の活性化に利用しようというアイデアはあるらしく、私設博物館として入場料を徴収したり、ホテルに改修したりするところも出ているようだ。だが今のところ、これらを地域の文化遺産として保存や修復しようという流れにはいたっていないようだ。 しかしこれらは私有財産であるし、今も人々が暮らす住宅であることから難しいのかもしれないが、このまま放っておけばカラフルなハヴェリーが建ち並ぶ景観はやがて姿を消して行くことだろう。また精緻な細工のなされた木製の扉や欄干などが本来あった場所から取り外されて、骨董品市場に流出しているケースも少なくないと聞く。こうした多くの屋敷の原型が失われないうちに、行政による何らかの手立てが必要だ。
