バクタプルにて。これぞまさに文字通りの井戸端会議。
働き者の主婦たちの間で、地域の話題、ダンナのグチ、子供たちのことなど、いろんな家庭からのトピックが飛び交い、ときには誇張されたり、明るい笑い、やっかみ、憐憫などとともに、話題がどんどん拡散されては、忘れ去られていくのだろう。
地域の活力は、まずここからはじまる。
カテゴリー: travel
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バクタプル
夜明けとともに、カトマンズ近隣にあるバクタプルへ。
確か、初めてカトマンズを訪れたときには、バクタプル行きの中国製トロリーバスが走っていた。その頃の中国でも同じようなものが活躍していたが、日本では『架線から電気を取って走る』バスなど見たこともなかったので仰天したことを覚えている。当時、静かな田園風景の中を進んでいったように記憶しているが、今はまったくそんなことはなく、バス往来の激しい幹線道路を進んでいく。大袈裟に言えばバスは100メートルごとにお客を拾ったり、下ろしたりしながら進んで行くのだが、そうした乗客の出入り、沿道の人々の様子を眺めているのもなかなか楽しい。
カトマンズからバクタプル方面へのアラニコ・ハイウェイは、片側2車線の素晴らしい道路となっており、沢山のクルマが行き交っている。

アラニコ・ハイウェイ バクタプルに到着して市街地に入ると、一見、昔と変わらないように見えるが、ところどころにつっかい棒で支えている建物があったり、無残にも壁が崩れ落ちたり、丸ごと崩壊していたりするものもある。
非常に建て込んだ市街地で、ぽっかり空いた空間にレンガが積んであるのは、倒壊した建物を再建するための作業に着手するところのようだ。壁が崩れ落ちたままになっているものが目に付くいっぽう、もうかなり再建完成近くなっている建物も見かける。崩壊著しいところでは、複数の建物がまとめて倒れたかのように思われるところもある。たまたまその部分の足元が脆弱だったのか、あるいは崩れた建物が倒れ掛かることにより、連鎖的に倒れたのかな?と想像したりもする。煉瓦造りの家屋が道沿いにぴったりと密着して建てられているため、そういうケースもあったのではないだろうか。
ダルバール・スクエアの歴史的建造物の中にも、大きな被害を受けたものは少なくなく、再建には、どのくらいの時間(と費用)がかかるのだろうか。このあたりについては、世界遺産指定されていることもあり、規模はともかく、内外から支援の手が差し伸べられることとは思うが、人々の住まいについては、崩壊した建造物の再建はオーナー自身がなんとか費用の手立てをしなくてはならないので大変だ。
同じく地震多発国に住む者として、大変心が痛む。
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ボダナート

カトマンズの渋滞はなかなか大変 渋滞の中をノロノロと進んでボダナートに着いた。昔、ここを初めて訪れたときには、仏塔がそびえているのが遠くからでもわかったように思う。今は運転手さんに「着いたよ」と指差されても、それが見えないので、どこに来たのか、どこにあるのはわからない。それくらい建て込んでいるのだ。
ボダナートは世界遺産に指定されたこともあり、境内に入る際に250Rs徴収される。中はかなりの賑わいで、チベット系の人々が仏塔のふもとの部分に座り込んで法要に参加していた。
ボダナートの仏塔の前では護摩が焚かれており、この煙を自分に晒すような動作が日本の仏教のそれと同じだ。
仏塔も2015年の地震による被害を受けたはずなのだが、きれいに修復されているのは、やはりここが信仰の対象として非常にメジャーな場所であること、世界遺産に指定されていることなどから、強力な集金力があるという背景があるのだろう。
周りには様々なレストランやみやげもの屋、仏具店などでいっぱいだ。歩いていると気が付くが入場料を支払わずに入ることが可能な抜け道がいくつもあるようだ。ネパールでは、こういうあたりのガードがかなり甘い。
近くにいくつもゴンパがあるが、コンクリート造なのであまり惹かれるものはない。腹が減ったので付近で昼食。洒落たカフェなのだが、チベット料理アイテムも出しているのがうれしい。

カフェでひと休み 
カフェのチベット風意匠をあしらった天井 -
どこでもスマホの時代
今の時代、ネパールの田舎町の雑貨屋の店番のお兄ちゃんも、日向ぼっこのあばあちゃんも、みんなスマホでチャカチャカ何かやっている。いつでも誰とでも通信出来るすごい時代になった。
その反面、電源が切れると、なんだか不便で落ち着かない気分になったりするのだが、地図サービスが役に立つ。バスなどで通り過ぎる際にオモシロそうなところを見つけたら、その場所を確認しておき、後から訪れてみたりすることが出来て便利である。 -

ダルバールスクエア(カトマンズ)
街の名前のカトマンズの語源(・・・だったと思う)のカスタマンダプが失くなっていたことは、一昨年の地震関連のニュースで聞いてはいたが、本当に跡形も無くなっている有様を目にすると、やはりとても残念な思いがする。
消失している建物は他にもあり、旧王宮のダメージもかなりのものがあるようで、修復工事が進行中だ。
市内でも地震の被害があまり無かったという地域も多いし、その反面、こうした大きな被害が出たエリアも少なくない。地盤の関係、建物の構造や規模等々、様々な要素が影響したのだろう。
だが、こうした文化財の復興には、この国のもっとも大きな財源である観光業の振興は必須である。
街の名前の起源となったと言われるKasthamandap跡 
王宮建物のニューロード側 
Gaddhi Baithak 
Kumari Bahal 
ここに限ったことではないが、震災後、つっかい棒で補助している建物はかなりある。 -

Meggi Restaurant
フリークストリートのMeggi Restaurantは、ずいぶん昔とから営業している。もしかすると、このエリアに70年代初頭、伝説のEden Hashish Centreがあった頃から営業していたのかもしれない。
私はヒッピーの時代は知らないし、当時の雰囲気はフリークストリートのどこにも残っていないであろうことから、往時の様子は想像も出来ないが、ここで自由を謳歌していた当時の西洋の若者だった人が、青春時代を懐かしんで訪れたりすることもあるのかもしれない。 -

カトマンズのタメルに溢れる中文看板など
トリブワン空港では中国人客が多く、空港の携帯SIMを売る店では流暢な中国語を操るネパール人スタッフもいた。
旅行者ゾーンのタメルでは当然、中文の看板も多く、山東賓館、江蘇飯店といった前の宿泊施設も多い。また「清真料理(イスラーム料理)」を謳う食堂もいくつかある。
土産物を売る店では、客寄せのために中文での案内を掲げているところが少なくないが、本当に中国人が経営している店には、レストラン、宿泊施設、配送業者等が多い。旅行代理店には、クルマやツアーをアレンジする案内が出ていて、ポカラ、チトワン等々、ネパールの地名にはそういう漢字を当てるのか、と思ったりする。
華人経営の宿に宿泊して、話を聞いてみても面白いかもしれない。

















































































