かなり高率で下痢するやつ。体感では当選率50%(笑)
移動の日には、これを決して食べないようにしている。もちろん移動前日も同様だ。



カーンプルにあるシュリー・ラーダークリシュナ寺院ことJKテンプルもJKグループによるもの。この寺院を運営するトラストは、JKのいわば宗教部門ということになる。
JKテンプルで多くの人々に参拝してもらう一方で、JK本部がある路地裏にはちいさいけどきれいなこのお寺があり、路地のおばちゃん、おばあちゃんたちが夕方集ってアールティーをやっている。グローバルに展開しつつも、先祖代々の超ローカルな繋がりも大切にする姿勢には驚かされる。
私は芝生の庭でパニールバーガーを食べている。ガーデンにはご覧のようなスマートな店があり、メニューには様々なアイテムが用意されており、子供たちが大好きなアイス類も充実している。屋外のイベント会場のようでもあり、どこかリゾートに来たようでもある。

屋外のイベント会場かリゾートにでも来たかのようだ。




だが実はここはヒンドゥー寺院の境内であり、小洒落た店で働くスタッフたちは、このお寺を運営するトラストの人たち。つまりこうした「サービス」がお寺のプラサードという位置づけであり、世俗の空間ではないのだ。
お寺は旧来からの宗教団体ではなく、成功した企業家による慈善事業としての活動であり、その企業の宗教団体部門ということにもなるのだろうが、なかなか面白い取り組みだ。JKテンプルは近年できたものではなく1960年に始まったものである。

抹香臭くなくスマート、清潔かつスタイリッシュ、説教臭く臭くなくカジュアル。日本でも外食産業でもアパレル企業でもなんでもいいのだが、宗教臭のしないお寺や神社みたいなものを作ると良いかもしれない。


自転車でとおりかった人がこれを飲んだり顔を冷やしたり。台車で物品を運搬したり、サイクルリクシャーを引いたりする人たちも、ここで思い切り冷水を飲んだりペットボトルに詰めて持って行ったりしている。同じく通りかった子供たちもおじいさんも。


大きな会社にとってささやかなことでも、受益者にとっては大きな恩恵。このすぐ先にヘリテージ建築ながらも巨大な「JKタワー」がある。こういうものが設置されているだけでなく、冷水器の向かい側にはJKがスポンサーの小さいけど立派な寺院があり、夕方には付近のお母さんやおばあさんたちが集ってバジャンをやっている。会社がある、まさにその場所で、このような形で地域に貢献しているのは素晴らしい。

あと、ここにインドを代表する企業グループのひとつJKのカーンプル本部(デリーに総本部がある)ことにより、給水も給電も鉄道施設、軍施設と同じく途切れることのない最優先地域になっているはず。
それにしても多国籍企業のJKの本部がゴミゴミゴミしたパハールガンジよりもさらに粗末な下町にあるのは不思議。エグゼクティブが使う大型高級車なんか入って来ることすらできない路地裏なのに。(せいぜいオートリクシャーくらいしか入れない)
最初、ここに「JK」の名前とロゴを見たとき、よくあるニセモノとかモノマネの類かと思った。実はJKセメント、JKタイヤ、JKアグリ・ジェネティクス等々の大企業を擁するあのJKグループのカーンプル本部。
創業者はマールワーリー商人の家の生まれ。つまりラージャスターンをルーツとする商業コミュニティーで、シェカワティー地方のジュンジュヌーから出た家らしい。彼の家は貸金業から銀行まで興したりもしていたようだけど、さらには紡績業その他にも手を広げる多角経営で成長。
どうやら生家もこのエリアのようだ。英国人の街でもあったシヴィル・ラインスがあるし、その先には軍駐屯地もあるため、商機に恵まれた街だったはず。
それにしても「ビジネス界インド代表」みたいなビッグな存在になっても商家スィンガニヤー家」の故地である路地裏から全インド、そして世界を相手に展開するという心意気は大したもの。
大きくなって故郷を忘れてしまうんじゃなくて、そこを本拠地に据えて頑張るのだから。路地の人々もきっと応援していることだろう。

ダルマナート・スウェタンバル寺院というジャイナ教のお寺を見に行く。オートで「ここの路地は乗り入れられないから徒歩で」と言われたところ、ゴミコミした超狭い通りに「カムラー・タワー」なるヘリテージ建築が。
路地を進んでジャイナ教寺院に行ってみた。通称「グラス・テンプル」としても知られる絢爛なお寺。造形や色彩の面白さに夢中になる。















オートを降りたところに戻る。先述の「カムラー・タワー」を見るためだ。
向かい側には今どきの無味乾燥なビルがあり、その会社「JK」の創業者ジュッギーラール・カムラーパトという実業家の名が記された銘板がある。いずれもこの会社の建物なのだそうだ。

実は、ここは世界で多国籍に展開する大財閥のカーンプル本部!(現在、総本部はデリー)



こんな路地裏にあるとは信じられないのだが、ラージャスターンから移住したマールワーリーのスィンガニヤー家によりこの地で産声を上げた企業であり、出自を大切にしているらしい。こんな狭い路地にいきなり実業家の凄まじく見事なヘリテージ建築があったり、美しいお寺があったりと、なんと狭いところいろいろあるものだ。
このあたりは古くからの家屋が並び、こうした様式の素敵なゲートもある。


同様に界隈にはちょっといい感じのハヴェリーもあったりする。「1857年繋がり」で興味はあったものの、「発電所」「軍駐屯地」のイメージばかりで、あまり見どころはなさそうに感じるかもしれないカーンプルだが、いろいろ見どころは多いのでオススメである。

カーンプルの「シヴィル・ラインス」もまたアラーハーバード(プラヤーグラージ)に負けず劣らず良い感じだ。どちらも欧州人地区で「Natives」の出入りが厳しく制限されていた白人の街であった過去を彷彿させるものが多く残されている。
整備された街区から広大な公園を挟んだ向こうは「エドワード・メモリアル・ホール」。英国人たちの式典等に使われたのだという。ホール出口に面した部分からみどり豊かな公園が広がっており、さぞ使い勝手も良かったことだろう。
上階は現在図書館となっており、貴重な文書?から近年の一般的な書籍まで、きちんと系統立てて区分され、丁寧かつ効率的な保管と管理がなされているわけではなく、かなり残念な状態である。












暑い中を歩いていると、汚い酒場みたいなところで、デーシー・シャラーブではなく、ビールを出しているという店があった。渇きについつい引き込まれそうになるが、ここで飲んだらもう1日が終わってしまいそうなので我慢する。

さらに進んでいくと、どう見ても本当のインド華人が経営していそうな中華屋があったので入ってみる。出てきた年配男性に尋ねてみると、数年前までは華人が切り盛りしていたが外国移住のためインド人に売却したのだという。その男性を含むスタッフたちは華人時代から働いており、今年でなんと43年目なのだとか。



移住先はインド華人定番のカナダとのこと。彼らの大半がカナダ行きであり、そのマジョリティーはケベック州、その中でもモントリオールとその周辺が多い。先行した移住者たちのツテや縁があるからのようだ。
カーンプルのこの中華レストラン「中華」でチャプスィを注文。ひとりでは持て余す分量ながらも優しい繊細な味付けと野菜にコシがのこしてあるのは、さすがインド華人直伝。長崎皿うどんさながらの味わいだ。



カーンプルでの宿泊先の隣はパールスィー寺院であった。今はもう4、5家族くらいしか当地には残っていないという。
カーンプルは軍の駐屯地で英国人人口も多かったため、植民地時代に買弁として活躍したパールスィーたちの中には軍に納める武器弾薬その他の軍需品調達業者が多かったため、彼らにとっては稼ぎやすい街だったのだろう。
宿近くにパールスィー寺院があったが、そのまた近くにパールスィーの会社がある。あぁ、本当にここにいるのだね、と実感。








プラヤーグラージを出てから2時間ほどでカーンプルに着いた。ここに滞在してから出発の日は朝の大変早い時間帯に出るため、駅舎の目の前の宿を予約していた。
しかし宿のフロントでは、「予約は入っていない。そもそもオンライン予約は受け付けていないと言われる。大手宿泊予約サイトで予約を入れているし、ホテル名と住所は間違いないのだが。
このホテルはWBという安宿を展開するグループのもので、ちょうどOYOのようなものらしい。つまりグループが所有しているのではなく、既存のホテルが加入するような具合。料金は現地支払いとしておいたのだが、不泊として予約サイトから課金されてはかなわないので、アプリで苦情申し立てるとともにWBにも電話をするが、営業時間外で出ない。
あたりはホテルがたくさんあるのだが、どこも外国人ということで断られた。「うちはC-Formの扱いをしないので」とか「C-Formの紙を持ってないので」とか。いずれも「空室はたくさんある」とのことなのだが。
宿泊には、インドの運転免許とかアーダールカード等の身分証明書が必要なため、遺跡に入るときのように「オレはインド人だ」は通用しない。
最後に入ってみたホテルで、「外国人が泊まれるホテルを知っている」とのことで、教えられた名前をググって電話すると、あっさり「外国人OKです」とのこと。しかもこのホテルの人がバイクでそこまで送ってくれた。どうもありがとう。
グワーハーテイーの駅前通りもそうなのだが、インドではときどき「外国人が泊まりにくい街」がある。手当たり次第当たっても見事に「外国人は宿泊不可」と断られるのだ。
さて、そのC-Formだが、ここの宿ではスタッフが私の旅券の写しを見ながらウェブでカタカタ入力していた。そう、今の時代、オンラインで申請できるのだから駅前のホテルもチャチャっとやってくれればいいのに。
以前、ラージャスターンのシェカワティーで自分でウェブ版C-Formを入力したことがある。宿の人が「今日はウチの若いモンがいないからやり方わからん。悪いが他の宿に行ってくれ!」と投げ出してしまったので、やむなく私がやることになった。ちょうどインドビザのウェブ申請をとても簡略化したような内容だった。
そんなわけで本日はカーンプルのモール・ロードにあるホテル・ガガーン・パレスに投宿。


プラヤーグラージことアラーハーバードのシヴィル・ラインスの凄さを再び体感できるかな?と訪れた今回。
ニューデリー建設以前の英国統治下インドにおける最大の「人工都市」であったのがアラーハーバードのこの地区。
建設されたのが19世紀半ばだったので、20世紀に建設されたニューデリー地域よりも格段に古い。それでも広々とした道路ときっちり整備された区画、そして端正な植民地建築で知られていた。



実は、1989年に少し訪問して、この地域で物凄く立派なコロニアル建築がたくさん残っていて、街区もきれいに整っていた(建物は相当くたびれていたが)ことに、大いに感激。

あれから長い年月を経ているし、インドも経済成長を経て、古い建物はどんどん取り壊して別の眺めになっているかも?と予想しつつも、やはりどこかで「アラーハーバードの衝撃」を彷彿させる感動があるかも?と期待して来てみた。

結果として、やはりコロニアル建築の大半は姿を消しており、現存するものの多くは残念な状態。それでも来て見てよかったと思ったのは、朽ち果てていても見事な英領時代の建物は今もあること、この地区には英国人とアングロインディアンのみの「ブリティッシュ地区」で、彼らの信仰を支えた大聖堂が今も取り壊されずに残っていたこと。

いまさらながら仕方ないけど、英領期の面影がふんだんにあった前回訪問時、じっくり滞在して、このシヴィル・ラインス地区をしっかり観察しておけば良かったと思う。まだクルマも少なくて、自転車であちこち往来できた当時のアラーハーバードであった。




タブリーギージャマアトのモスク建物に店子で入っている何軒かの店のどれかに入ろうと思った。前日夕方に利用した「シャリマール」という店はモクモク煙が上がり、本日も大盛況なのに、他店はどこもお客の姿はほとんどなく静か。

同じ店を続けて訪問というのもなんだし、人気店でも塩がキツ過ぎたので今日は遠慮したかった。もう少し先まで歩いてみると、持ち帰りで何人か並んでいる店があった。テイクアウト需要のある店なら美味しいだろう。
ビリヤーニーのハーフとチキンアフガーニーを注文。インドでは注文した品を出来た順に出すのではなく、いっぺんに持ってくるのがデフォルトだがチキンアプガーニーだけが先に来て幸いてあった。思ったよりも量が多く、これだけて腹いっぱいになったからだ。そんなわけでビリヤーニーはテイクアウトのパック詰めに変更してもらう。チキンアフガーニーはクリーミーかつリッチな味わいで酒と一緒に楽しみたかったが、店は酒類厳禁と書いてあるムスリムの店。


持ち帰りしたビリヤーニーはオールドモンクとともに楽しんでいる。ひとりで来ると、ワンポーションが大きいため、どうしても食べ過ぎたり、余ったりしてしまう。まあ足りないよりはいいので、やはりインドはありがたい国である。

駅前と言っても、実質は駅舎とほぼ合体しているようなものなので、一番近い売店は駅構内。そんなわけで水だの新聞だのアイスだのと買いに行くので、顔見知りみたいになる売り手さんも出てくる。普通、駅のお客は一見さんだけだし、明らかに顔立ちの違う私はすぐに覚えてもらえる。
駅構内の飲食・日曜品関係の売店は24時間年中無休。だいたいみんなシフトで働いているので、時間帯によって店の人が違うけど、そんななかで小さな売店でいつも同じおじさんがいる店がある。いつ寝てるいのか、帰る家はあるのか、交代する相手は本当にいないのか、ちょっと気になる。