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カテゴリー: travel

  • ティルワナンタプラムの朝

    ティルワナンタプラムの朝

    前夜に到着したティルワナンタプラム。朝食はエッグローストともちもちのアッパム。宿近くの食堂にて。とても満足。

    窓ガラスのない市バスに路線バス。窓ガラスを必要としない気候は理想的に感じる。窓の上部にはゴム引きしてある蛇腹式のブラインドが格納してある。雨が降ればれを下ろすため、車内は暗くなり貨物車みたいになるとはいえ、降ってさえいなければ開放的で気持ちが良い。

    蛇腹式の雨除けが格納してある。
    雨除けを下した状態
  • 幸せなインド菓子の眺め

    幸せなインド菓子の眺め

    ドライフルーツ、ナッツ系がたまらない。こういうのは日本のインド菓子ではまず見かけない福々しい眺め。その場でいくつか買って食べながら街歩きをする幸福感。

    ムンバイのような都会のアップマーケットな店では、ミターイーの質や具材も高級。そして甘過ぎることもない。

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  • ジャハーンギール・アート・ギャラリー

    ジャハーンギール・アート・ギャラリー

    こういう施設があって、無料で鑑賞できるのはありがたい。それぞれの展示室に製作した作家の人たちもいた。ムンバイのカラー・ゴーラーにあるジャハーンギール・アート・ギャラリー。こういう施設を開設、維持しているパールスィー資本というのも素晴らしい。

    ギャラリーに冠している「ジャハーンギール」はムガル皇帝に因んで付けられた名前ではなく、このギャラリーの創設者のコーワスジー・ジャハーンギールというパールスィーの資本家の名前を取ったもの。

    ペルシャ起源の「ジャハーンギール」という名は、一般的にはムスリムの名前として知られるが、もともとイスラーム化する前のゾロアスター教時代からのペルシャ人の名前でもあった。

    JEHANGIR ART GALLERY

  • 野ネコたちのムンバイ

    野ネコたちのムンバイ

    身繕いをしているネコを街角で見かけるとほっこりする。

    犬と較べてネコの影がとても薄いインドにあっては珍しく、野ネコのプレゼンスがとても高い南ムンバイなので、ついつい目が行ってしまう。けっこう精悍な顔立ちとで手足が長くて体格の良い個体が多い。

    目つきが険悪な感じで、あまり優しい眼差しの猫は見かけないが、顔立ちとは裏腹に人懐こくて気立ても良いネコは少なくない。人もネコも見た目によらない。

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  • シールマール

    シールマール

    オールドデリーといえばシールマール。シールマールといえばオールドデリー。朝にもおやつにも最適。かなりヘビーなのでひとりでは持て余すのだが。

    シールマールは表面に散りばめられる具材の多寡とその中身がすべて。同じサイズでも一番安いものと最も高いもので、十数倍の価格差になる。こちらはそんな中のある店の料金表。

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  • 夢心地のマラーイー

    夢心地のマラーイー

    店頭の大鍋で牛乳を煮詰めて作ったマラーイー。料理や菓子の材料にもなるが、そのまま食べさせるために提供する店もある。実に濃厚で超おいしい!

    少しずつ口に運びながら、しばし幸福感に浸る。近隣にもいくつか同業の店があれば、ハシゴして食べ較べてみるのも楽しい。

  • 生首ボトル

    生首ボトル

    ご存知インドのラム「オールドモンク」のプレミアムバージョンとしての「The Legend」。ハーフボトルで買ったのだが、フルサイズと同じく、生首ボトルでちゃんと箱入り。なかなか高級感がある。

    インドでラムは軍需要も多いためか、ちょっと勇ましげな名前のもある。「Commander in Chief」なんて、ちょっといい気分。

  • サッスーンドック

    サッスーンドック

    サッスーンドックにある大きな倉庫建物で「サッスーンドック・アート・プロジェクト」開催中。生臭い魚市場に隣接しているため、空気はどこも強烈な魚の臭いと腐敗臭に満ちていた。ここで売られる様々な魚の中で、チラッと目についたエイ。インドではこの魚はどのように調理されるのだろうか。

    思わず「こんなところでアート?と」思いかけたが、アートとは本来私たちの生活からかけ離れたところで、私たちの営みとはかけはなれたテーマで作成されるものではない(中にはそういうのもあるかもしれないが)はずなので、こういう極めて世俗な場所での開催は、案外正しい姿なのかもしれない。

    ちなみにそのサッスーンドックだが、いわゆる「バグダディー・ジュー」と呼ばれる植民地時代に中東方面から渡来したユダヤ人たちのうち、サッスーン家の一門が力を蓄えたボンベイ(現ムンバイ)。サッスーン家はその後、カルカッタ、ラングーン、上海、香港そして欧州でも繁栄。

    サッスーンの一門が力を蓄えたボンベイ。その後、カルカッタ、ラングーン、上海、香港、そして欧州でも飛躍。

    インドにおけるサッスーン一族の始祖、ディヴィッド・サッスーンがボンベイに上陸したのは1832年あたりであったとされる。まだシオニズム運動が始まる前だったので、彼らはアラブ人を自称して、生活スタイルも装いもアラブ人の格好をしていたということは興味深い。当時はまだユダヤ人というアイデンティティーはアラブ人という意識の中に包括されるものであり、そのアラブ人の大多数を占めるイスラーム教徒から見るとユダヤ教徒というマイノリティーではあったものの現在のような「異民族」という扱いではなかった。同様に、今も残るユダヤ人地区はいずれもムスリム地区の中にあり、ムスリムコミュニティーの中の「ユダヤ人組」みたいな形であった。

    その後、バグダディー・ジューは植民地当局の主に軍需関係などで稼ぐようになり、「欧州人化」していく。欧風化したのはパールスィーも同様であるのだが。

    シオニズム運動、イスラエル建国運動へとユダヤ人国家の実現とパレスチナ人たちからの土地その他の収奪へと向かうにつれてムスリムvsユダヤという、それまではあり得なかった対立軸が出来上がっていった。そんなわけで、イスラエル建国が実現しなければ、昔と同じ今も大きなアラブ社会の中にユダヤ人社会という少し毛色の違う社会がある、その他の地域でもムスリム社会の中に、ユダヤ教という祖を同じくするものの、少し違う信仰の人たちが同じエリアで暮らしているという関係であったことだろう。

    現在に至っても、ムンバイ、カルカッタ、ラングーンなどにバグタディーが残したシナゴーグその他の施設があるが、そうしたこところで住み込みなどで世話人をしているのは、ムスリムの人たちであり、昔ながらのムスリムとユダヤ人の親密な関係は継続しているのは幸いである。

  • アジメールの「ケー・イー・エム」

    ラージャスターン州のアジメール駅前にある宿泊施設「KEM」と言えば、地元で知らない人はまずいないだろう。「ケー・イー・エムに行きたい」と口にすれば、「ホテルか病院か?」と聞き返されるはず。以下は2019年時点での記事。

    Ajmer KEM hotel to be restored (sawdust.online)

    1901年にエドワード7世が新たな英国国王とし戴冠し、すなわち当時のインド皇帝となったが、これを祝うために翌々年の1903年に「デリー・ダルバール」に出席するためボンベイに上陸し、鉄路で各地に立ち寄りながらデリーへの移動途中でアジメールに来訪することも決まっており、どちらもこれを記念して建てられたもの。ゆえに「K.E.M.(King Edward Memorial)」なのである。宿泊施設のほうの「KEM」は、後にホテルに転用された。

    「ダルバール」とは、ウルドゥー語から英語に取り入れられた語彙で、英領インドの英語辞書「HOBSON JOBSON」にも出てくる汎用度の高い語彙だが、「王宮」「謁見の間」などの意味がある。「デリー・ダルバール」は広大な土地に沢山の大きなテントをしつらえて開催され、内外から数多くの賓客が招待されたうえで、イギリス国王を皇帝として戴く「インド帝国」において、その皇帝自身にお披露目の舞台であった。

    「デリー・ダルバール」は3回開催されており、最初は1877年のヴィクトリア女王、続いて1903年のエドワード7世、最後が1911年のジョージ5世。そして1936年エドワード8世が英国国王を継いだ際には、インドでの情勢の変化により、ダルバールは延期や再検討を重ねて、結局開催されることはなかった。

    「デリー・ダルバール」が開催されていた場所は、北デリーで「CORONATION PARK」として整備された公園になっており、往時の遺物がいろいろ展示されているため、英領期のインドについて興味のある方は訪れてみると面白いかもしれない。

    Delhi’s Coronation Park a neglected site of India’s colonial past (Al Jazeera)

    話は逸れたが、冒頭の「KEM」については、1990年代後半に宿泊してみたことがあるのだが、荒れ果てた安宿になっていて、廊下では宿泊客たちが持ち込んだコンロで調理などをしているような状態だった。立派な歴史的背景がありながらも、あまりにひどい状態であることに唖然とするしかなかった。

    しかしながら、「KEM」で、先述の大改修は完了し、今はきれいなホテルとして生まれ変わっているらしいので、いつか再訪してみたいと思っている。

  • 植民地期の建物のホテル

    植民地期の建物のホテル

    宿泊先近くを散歩していて見つけた「Hotel Moti International」という施設。品の良いコロニアル建築を転用した宿泊施設で一泊3500Rs。

    「エスプラネードマンション」のようにボンベイの鉄骨造建築の初期のもののように見えるかもしれないが、そうではなく外部の鉄骨は比較的近年になってから補強のために施したものであるとのこと。

    この日、客室は満室とのことで見せてもらえなかったが、外観や館内の廊下から見る限りでは、今風に仕上げるのではなく、極力昔のまま復元したといった具合に好感が持てる。

    コラバは英国人等欧州人を中心とする富裕層のお屋敷だった物件が多いエリア。きちんと手入れが施され、メンテナンスもしっかりしていると、実に見事な建物が多く、それらは宿泊施設に転用されているケースも少なくないのは嬉しい。

  • ムンバイのサルベーション・アーミーの宿

    ムンバイのサルベーション・アーミーの宿

    懐かしのサルベーション・アーミーの宿。近くを通りかかったので外から写真を撮ってみた。バックパッカー時代、宿代がやけに高いボンベイで、ここに泊まれないと困るので、チェックアウト時間前に到着して空きを待った。それでもインドの他の街に較べてずいぶん高額であったため、ボンベイに沈没したことはなかった。

    ガルフに向けて開かれたインドの商都、当時はまだデリーもハイデラバードもチェンナイもバンガロールもたいしたことなくて、「ボンベイ1強」でその他の大都市との格差がたいへん大きかったこと、加えてボンベイは細長い半島状になっており、内陸の都市のように周囲に市街地を広げる余地がないこともあり、地価や家賃が飛び抜けて高かったのだ。すると当然ながら、安宿の料金もまったく安くなかったのだ。

    もちろん今でもムンバイの宿泊費はまったくお得ではないのだが、他の大都市での宿泊料金が上がったため、格差は縮小している。

  • コラバの「オリンピア・コーヒー・ハウス」

    コラバの「オリンピア・コーヒー・ハウス」

    ムンバイのコラバで朝食によく利用する「オリンピア・コーヒー・ハウス」へ。ここは朝5時くらいから開いているため重宝する。この日は朝の9時前だったが、それでもとても込んでいた。さすが人気店である。

    Olympia Coffee House (Zomato)

    この近くにメソジスト教会があるが、軍人のための教会として建てられたとのことが由来との標示版にある。メソジストと軍人というのは相性が良さそうに思う。