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カテゴリー: travel

  • ロイヤルエンフィールドとアジャイ・デーヴガン

    ロイヤルエンフィールドとアジャイ・デーヴガン

    5月9日に行われた西ベンガル州新政権の就任式当日の警備に当たるコルカタポリスのひとり。年季の入った赤いロイヤルエンフィールドがカッコよくて声をかけてみた。

    「男前やねぇ。アジャイ・デーヴガン(人気俳優で警官の役柄がけっこう多い)そのものやん!」と言うと、「ハハハ、こんな感じ?」とポーズを取ってくれた。

    この人は日々このバイクでの警備の仕事が多いとかで、「日に30km前後は走る」と胸を張るけど、たいして移動しているようには聞こえない。

    デリーからモーディー首相もやってくる就任式の会場は広大なマイダーンの一角にあり、宿からさほど遠くないところで徒歩圏内。朝から大勢の人たちがそちらに向かうとともに、警備する警官隊は警察車両を連ねて付近で待機。臨時IDを首からぶら下げたBJP活動家たちも大勢。

    就任式が終わってからの大群衆の動きもすごかった。パークストリートエスプラネードのメトロ駅から帰途につく人たちが多く、一時は信じがたいほどの混雑に。

    それでも特に問題なく滞りなく式が行われるのだから、インドの治安管理はかなりしっかりしていると言えるだろう。

    たぶん制服の警官隊以外にも私服、そして映画に描かれるように、市中には報奨金でポリスと繋がる無数の協力者たちがいて、何か怪しげな人や動きがあれば、逐一報告が上がる、そんなシステムがあるのではないだろうか。

  • インド的な光景

    インド的な光景

    朝食を済ませてオートで街の東外れにあるバフマニー朝時代の墓廟群へ。

    ヒンドゥー/ムスリム問わずインド的な光景が素晴らしい。

    しばし留まって目に焼き付ける。

  • インドの「あっさりした朝食」

    インドの「あっさりした朝食」

    朝7時に起きて宿の階下のKAMATレストランに行き、「プーリー・サブズィー」とあるのを注文。これにサンバル、ココナツチャツネ、マサラドーサの中身が小皿で付くこと。これはこれでおいしい。

    油脂分でギトギトだが、インド人にとっては、あっさりした朝食。もちろん私はこういうのは好きである。

  • ああ腹いっぱい!

    ああ腹いっぱい!

     

    宿はビーダル随一の繁華街にあるため、さきほどの「マンディ」の店、洋菓子とミターイー両方売る店、カフェその他がいろいろある。

     

    だが、とにかく満腹過ぎでスイーツ用の別腹すら動員してしまったようで「1ミリの隙間もない」感じなのでデザートはやめておく。超の付く満腹感のうえに、「飲むケーキ」とでも呼ぶべき濃厚な「イラーニー・チャーエ」を2杯飲んだこともあり、快楽を通り越して胸焼け状態になっている。

     

    激しいスポーツをした後に適度なクールダウン、昔で言うところの整理体操をせずに済ませてしまうような、どうもスッキリしないものがある。

     

    そのため整腸効果のありそうな飲み物類をあれこれ思い浮かべてみると、ちょうど曲がり角のすぐ向こうに正解が用意されていた。

    「百薬の長(今ではそう呼ばないらしいが・・・)」を商うナチュラル志向の店(酒屋)で、消化を助ける麦飲料を購入。

     

    インド産スコッチなので、香りとか味わいとか言うよりもピリリと舌を刺すような感じではあるものの、それもまた旅情のひとつである。

     

    このインドウイスキーには、最近は50mmだか100mmだか知らないが、ちいさなメダル紙パックも用意されている。昔ながらのポリのパックに入った安い「ダールー」と同様に地元の若い奴がコーラなどで割って路上であおっている。

     

    そんな彼らのために店主は薄いペラペラのプラスチックカップを渡しているのだから、路上飲酒を奨励しているようなものだ。

    店の主人は何を思ったのか、クオーターボトルを買った私にも「これでどうぞ」と、そのプラコップを手渡してくれた。私も路上飲酒するように見えたのかどうかはよくわからない。

  • アラビア式の「マンディー」

    アラビア式の「マンディー」

    インドのカルナータカ州のビーダルにあるRoyal Amolへ。ここにはアラビア式の「マンディー」を注文。しばらく待つとかなり凄い量のものが来た。


    コツは時間をかけずにモリモリ食べることだろう。満腹中枢から「もうダメ!」の指令が来る前に、とにかくムシャムシャと咀嚼して呑み込むのがよい。

    かなり一気に突っ走ったつもりが、それでもあと1/4程度を残して断念。やはりこのアイテムは2〜4人くらいで分けて楽しむのが良いようで、1人ではとても無理であった。

    シメは階下の喫茶フロアーで「イラーニー・チャーエ」。何がイラーニーかよくわからないけど、やたらとマラーイーが入った濃厚なチャーエ。向かいにはまた別のアラビア料理を出す店があり、ビーダル訪問の際にはたいへんオススメ。ぜひ数人で「マンディー」をお楽しみください。

  • ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    宿に荷物を置いてから、オートでビーダル・フォートに行く。バフマニー朝が建てたものだ。ビーダルの街は14世紀には同王朝の首都だったこともある。

    街からしばらく走ると城壁が見えてくるのだが、規模の大きさに感心させられる。インドでは田舎でもたいへん立派なスケールのものがいろいろある。

    この町では外国人はそんなに多くないため、幾度も いろんな人たちに声をかけられて 一緒に写真を撮ってくれと頼まれた。

    広大な敷地であるが建物の状態はあまり良くなく、全盛期を彷彿させるものはなかったと言える。中では水牛が放牧されていた。

    その後、グルドワラー・スリ・ナーナク・ジラー・サーヒブへ。田舎町には似つかわしくないほど大きなグルドワラーである。ランガルもやっている。しばらくここで流れるキルターンを耳にしつつ、夕暮れ時を楽しむ。

  • インドの言語環境はありがたい

    インドの列車内で楽しいのは乗り合わせた人たちのとの会話。この日は向かい合わせに座ったのは盲学校の校長夫妻。

    二人ともクリスチャンでセブンスデイアドベンチストの信者。教団が運営する盲学校がその職場とのこと。全国各地から来た生徒たちが、1年生から12年生までがそこで学び、高等教育機関に進学する者も多いとのこと。IT関係に進む生徒も少なくないそうだ。卒業ないしは進学後の進路は主に政府系の職場とのこと。

    いわゆる「クオータ」での採用が多いのだとか。つまり障害者のための留保。カーストや民族をベースにした留保制度についてはいろいろ問題がある(家庭の経済水準によるものではなく、出自により与えられるため)ものの、こういう制度は大切だ。

    言葉があまり通じない国だと「お仕事は?」「学校長です」「はぁそうですか」で終わってしまうため、やはりいろいろ話を伺うことができるインドにおける言語環境というものはありがたい。もちろんヒンディー語、ウルドゥー語等の現地語を知っているかどうかに限ったことではなく、英語を話す人たちがとても多いということは大変大きなアドバンテージ。

    ベトナムやタイ、イランやシリアなどではこうはいかない。

    インドという国は本当にありがたい。単に国として興味深いだけではなく、知るための扉が大きく放たれているからだ。言葉が広く通じるし、人々は大変おしゃべりであることが多い。各方面に関する英語などによる書籍も星の数ほど出ている。興味さえあれば、いくらでもいろんなことについて知ることが出来るわけだ。こういう国はそう多くはない。

  • 旅情と風情

    旅情と風情

    インドの鉄道駅というものは実に絵になる。

    行き交う人々、汽笛とともに入構してくる各駅停車に急行列車、大きな荷物、赤シャツのポーター。まるで良く出きたステージのセット上のように旅情が演出されていく。もちろん作為的なものではなく、人生というリアルな舞台の上で、それぞれの役割を担うひとりひとり。

    客室の鉄格子越しに語り合う乗客と見送りの人。車両がガタンと動き出すと、それに合わせホームで見送る人は歩き出し、長い長いプラットフォームの上で、やがて列車が歩いて追っていくことのできない速度に達するまで語らいは続く。昔から映画にも出てくる定番の眺め。

    大きな駅も小さな駅も、鉄道駅はどこも旅情と風情に満ちている。

  • ホメオパシー

    ホメオパシー

    インドでは今もホメオパシーのクリニックや薬局などが数多く見られる。

    日本においては公的医療としての位置づけがなされておらず、いわゆる民間療法という形だが、インドでは正式に制度化された医療の枠組みの中にあるなど、公的に位置づけられている。

    科学的評価、エビデンス等とは縁のない「医療」と呼べるのか怪しいものだが、「信じるものは救われる」のだろう。

  • まさにこの日!!!

    4月16日と言えば印鉄の記念すべき日。インドにおける植民地期の鉄道は、現在のような「国鉄によるネットワーク」ではなく、各地で操業する鉄道会社によるもので、藩王国による藩営鉄道会社もあった。

    シャクンタラ鉄道のように、ごく近年まで英国の会社が所有していた路線もあったものの、その他はすべて独立後のインドにおける「国有鉄道」として統合されて現在に至る。

    鉄道大国インドにおける「最初の列車」が走行したのは、173年前の1853年4月16日、400名の乗客を乗せてボンベイからターネー間を結んだ。

    その4年後には「インド大反乱」が発生し、北インドでは各地で開始されていた鉄道敷設工事が停止してしまうが、大反乱で戦地となった北インド以外ではどんどん進んでいたらしい。

    反乱平定後には、当初想定されていた各地の産物から成る物資の運搬や旅客の輸送だけでなく、軍事的にも「大量輸送」は極めて有効であると認識され、鉄道建設は更にアクセルを踏んで押し進められていく。道路網の整備は鉄道よりもかなり遅れて20世紀に入り、自動車が各地に登場するようになってから。

    これらの交通インフラの発展により、それまで大きな街が形成されるのは水際(海岸や河岸)に限られていたのだが、内陸の大きな川のない土地にも、水道の普及もあり、人口や産業が集積することが可能になった。

    また既存の内陸都市がハブとして物流拠点化するようになったのも革命的だ。それまでインドで商工業のハブであったのは港湾都市に限られていたのが大きく変わったのは、国道網に先んじて国内をネットワーク化した鉄道による効果。

    英国が当時のインド国家予算と別建ての鉄道予算を計上し(ほぼ同額の時期も長かった)、たいへん力を注いだ鉄道建設により、各地が結ばれて大いに交流が深まることにより、「我らインド人」というナショナリズムの高揚にもつながったとも言われる。ガーンディーその他の独立の志士たちが活躍するための下地でもあり、インフラともなったわけだ。鉄道は人々の心やスピリットすら変えた。

    インドだけでなく、鉄道の普及により大きく変貌を遂げた国は数え切れないほど多いはず。

    First Train in India: 173 साल पहले आज ही चली थी देश की पहली रेलगाड़ी, 400 यात्रियों के साथ शुरू हुआ था सफर (Nav Bharat Times)

  • 進化

    進化

    昔のいわゆる「デザート・クーラー」は(簡易クーラー)は無骨な金属製ボディーに麦わらが入っていたけど、今はこんなにスマートになり、中には樹脂繊維みたいなのが入っている。いろいろ進化するものだ。

    金属ボディーのものは運転させると轟音がしたけれども、最近のものは静音化も図られており、なかなか静かになっている。

    ファン形状、モーターの改良、防振マウントを付けたり、インバーター制御を導入するなど、要は技術が進んだというわけだ。

  • バッドデザイン賞

    バッドデザイン賞

    ハイデラバードでの宿泊先に着いたとき、グーグルマップを見て「ここかな?」と思いつつも、パッと見た感じで「New Hotel Suhail 」とは読めず、前を2度素通りしてしまった。「Suhail」に変な赤が入っているため、視覚を邪魔するのだろう。個人的に「バッドデザイン賞」を贈りたい。

    それにしてもSuhailはオーナーの名前かもしれないけど、なぜわざわざムスリムとわかる名称にするのだろうか。ニュートラルな名前、英語でも一般名詞にでもすれば、顧客をある程度絞ることはないのに。マーケットは間口が広ければ広いほど良さそうに思うが。

    昨日朝食の席で見渡したところ、いかにもムスリムという宿泊者が多かったが、敢えてムスリム客を集客したいという狙いがあるのだろうか。こういう宿はインドでよくあるため、やはりムスリム客に商圏を絞ったマーケティングなのかもしれない。

    もちろんこれとは真逆に今どきの風情とシンクロしたサフラン的な名前のヒンドゥーのホテルも多い。その一方で、どちらにも組みしない感じのニュートラルなホテルも数多くある。そうしたバリエーションもインドらしくて面白いところだ。

    ホテルといえば、宿泊するホテルではなく、インドでいう食事処としての「ホテル」つまりレストラン、食堂、安食堂で、ヴェジの店であればヒンドゥー教徒による経営と普通は思うし、そういう店が大半であるとは思うが、必ずしもその限りでもないようだ。

    ハリドワールでの話となるが、ヒンドゥー暦のサーワン月(7月前後)に毎年行われるサーワン・カーンワル・メーラーで巡礼たちが通るルート上にある菜食の食堂では、案外ムスリムのオーナーがヒンドゥーの店員を雇って営業しているところがあるようだ。

    資本がムスリムでも、ヒンドゥーの人たちを雇い、きちんとルールに従って営業していれば、それで良いではないかと思うのだが、右翼のBJPが与党となっている州の中でも「最右翼」に位置づけられるヨーギー・アーディティヤナート(自身が長らく右翼活動を続けてきたとともに、ゴーラクプルのゴーラクナート寺院の高僧でもある。)政権下で、「オーナーの名前をきちんと表示するように」というお達しが出るなどしていた。名前で信仰が判ってしまうため、ムスリムがオーナーの店は大いに困ったそうだ。

    これがメディアに取り上げられたため、大いに議論の的となったが、実はそれほど「ムスリムオーナーによるヒンドゥー向けの菜食主義の店」は珍しくはないらしい。それはそれで前述のとおり、きちんと運営していれば大いに結構ではないかと思うのだが、そのような形で炙り出して排除してしまおうとするのは残念な限りである。