
打楽器の専門のようだが、店先からしてすごいゴチャゴチャ感。それでいてしっかりと統一感もある。まるでインドいう国を象徴するかのようでもある。
ああ、インドは素晴らしい!

インドでムスリムも代をしばらく遡るとご先祖はヒンドゥーであることが多い。またヒンドゥー文化の大海の中に散在するマイノリティーであるがゆえ、当然いろいろと影響を受けるのは当然のこと。よってムスリムといってもその背景にはヒンドゥー的な伝統をも抱えていることになる。
そんなわけでこんなダルガー(イスラーム聖者廟)にご神木があったとしても不思議なことではない。もちろん暑季の強い日差しを防ぐという実用的な目的もあるのだろう。



グルバルガの城からディズニーランド風の建物が見えた。
尋ねてみると「モールだ」というので、カフェでもあろうかと入ってみた。
外観は立派なのだが、とても寂れていて何もない。



ちょっとしたサイズの街であればいくつかモールがあるのが近年のインドではあるものの、どれでも繁盛しているわけではなく、立地が問題だったり、現地の所得水準とのミスマッチがあったりする。つまり地方の街では中間層以上の人口が十分に育っていないことがある。
それに加えて従来の市場がまだまだ強かったり、映画館やフードコートへの依存の度合いが高く、これらを欠くと集客が難しかったりなどということもある。
またすでに人気のモールがあると競合して負けてしまうことも。
グルバルガは50数万人規模の街ではあるものの、すでにモールが10軒近くあり、このモールには映画館が入っていない。隣接する文字通り衣料品を中心とするカプラー・バーザールが大変賑わっていることが集客に有利な立地と考えられたのかもしれないが、不振に苦しんでいるようだ。

北インドとりわけ北西インドを旅行された方は「SHER-E-PUNJAB (パンジャーブの虎)」という名の食堂やレストランを目にされる機会が多かったことだろう。
パンジャーブ料理、パンジャービーがオーナーの店でよくつけられる名前だが、本来SHER-E-PUNJABとは、スィク王国の創設者ランジート・スィンのことを指す。パンジャーブの人たちにとって、郷里の英雄、民族のヒーローとして今も人々の心の中にあるのだろう。
このSHER-E-PUNJABのように、名詞と名詞あるいは名詞と形容詞を連結辞「E」で繋ぐのはペルシャ語の表現。ペルシャ語の影響を強く受けたヒンドゥスターニー語のボキャブラリーらしさの一端でもある。
現代のウルドゥー語、ヒンディー語ではこのような使い方はしないものの、このSHER-E-PUNJABであったり、MAUQA-E-VARDAT(事件現場)、WAZIR-E-AZAM(総理大臣)等々の慣用句は今でも頻繁に耳にする。
北インド以外でも例えば南インドやインド国外であっても、パンジャービーが移住した先では、この名前の食事処は見かけるものだ。もしかしたら日本でもどこかでこの名前で営業している店があるかもしれない。
さて、このSHER-E-PUNJABと名付けられた食事処だが、普通はガチなパンジャーブ料理専門店であったり、パンジャーブ料理を中心に提供する店なのだが、値段が安いところも高いところも「パンジャーブの虎」を名乗るだけに、質実剛健な印象の店が多い気がする。
でも場所や環境によってはいわゆるMULI CUISINE RESTAURANT(多国籍料理)になっている場合も稀にある。画像はサイババの聖地シルディーにあるSher-e-Punjabでだが、場所柄ヴェジタリアンとなっており、国内外からたくさんやっている様々な背景のお客さんたち向けのファミレスとなっている。
一部パンジャービーのアイテムもあるものの、画像のドーサのような南インド料理、地元マハーラーシュトラ州(とりわけムンバイ)のソウルフードのひとつであるパウバージー、パスタやピザなども出す店であった。まったくパンジャービーではなく、前述のいわゆるMULTI CUISINE RESTAURANT。どうやら「シェーレーパンジャーブ(パンジャーブの獅子)」でもネコみたいに軟弱なの?もいるようで・・・ 。




カングラー渓谷鉄道が4年ぶりに全線復旧したとのこと。モンスーンの豪雨で鉄橋が流されたのを含めて複数箇所分断していたためだ。
以前と違うのは始点のパターンコートから終点のジョーギンダルナガルまで通しで往復するのではなく、起点からも終点からも途中駅のバイジナート・パプローラーで乗り換えとなること。加えてパターンコートからバイジナート・パプローラーまでは上下1本ずつしかなく、しかもそこからジョーギンダルナガルへは同日接続できないダイヤ。
不思議なことに始点パターンコートの3つ先の駅、ヌールプル・ロードからは日に4本程度あり、最も早い時間帯の便であれば同日接続できるらしい。しかしここは始点から終点まで完乗にこだわりたいものだ。
このような変則的な運行になっているのはこれまで部分運行していた際、先述のバイジナート・パプローラを軸にかたやパターンコート、かたやジョーギンダルナガルへと走らせていたことがあるようだ。おそらくバイジナート周辺でも路線が途絶するような豪雨被害があったのだろう。将来的には以前と同じく、パターンコートからジョーギンダルナガルまで通しで走るようになると思われる。
実は全線復旧となったのはここひと月くらいのことらしい。パターンコートを出て次の駅、ダルハウジー・ロードとその次の駅カンドワル(ヌールプル・ロード駅のひとつ手前)の間にあり、河を渡るチャッキー橋(路線の見どころのひとつ)が先述の豪雨で落ちている。この部分の復旧に一番手間取り、ようやくこのひと月の間にその橋を渡れるようになった。そのため長らく暫定の始発駅となっていたヌールプルから本来の起点のパターンコートまで繋がり、ようやく全線通じたというわけだ。
この路線の列車は「トイトレイン」と通称されるものの、スイッチバックを繰り返して上っていく山岳鉄道ではない。メーターゲージで、その名の通り渓谷内を往来するもの。乾季であればヒマラヤの雄大な景色が楽しめるそうだ。ダージリン、シムラーなどの山岳鉄道と異なり、基本的に観光用ではない地元の生活路線。予約のない「ジェネラルコーチ」のみである。もちろんエクスプレスの運行はなく、鈍行列車のみの路線だ。
起点のパターンコートから乗るとバイジナートで1泊して翌日以降にジョーギンダルナガル行きに乗り換えることになるが、バイジナートのひとつ手前のパーランプルは風光明媚な場所として知られているとともに茶園でも有名だ。バイジナート駅にはよく知られた名刹もある。
終点のジョーギンダルナガルからはバスでマンディーに行けるし、そこから日帰りできるレーワルサルも良さそうだ。レーワルサルは小さな湖で、スィク、ヒンドゥー、そしてチベット仏教の聖地とされる。「え?チベット仏教の?」と思われるかもしれないが、ここでグルー・リンポチェが修行したとされる。マンディーは小さな元藩王国の首都だったところ。発展や変化から取り残された分、地域の歴史的な建築や伝統の宝庫らしい。
ここからカルカーはバスで楽に行ける距離なので、さらにはシムラーへトイトレインで往復することもできる。ダージリンに較べて本数は多いため、予約は少し楽かもしれない。
インドという国の素晴らしく、そしてものすごいところは、どこに足を向けても味わい深い風物や風景があり、巨大な建造物がなくても、目を奪うような美にと豊かな伝統に溢れているところだ。もう降参するしかない。

パンジャーブ州のパキスタン国境近くのデーラー・バーバー・ナーナクからすぐのところにあるカルタールプル・サーヒブ(パキスタン領内にある)。2019年11月からパキスタン・インドの特別な取り決めにより、インドからヴィザ無しで訪問可能となっている。
デーラー・バーバー・ナーナクのグルドワラ自体が興味深いが、パキスタン側のものも参拝できるとなるとさらに素晴らしい・・・と思ったのだが、カルタールプル・サーヒブへインドから越境して行く措置は外国人にも認められているとはいえ、OCI(Overseas Citizen of India=インド系の非インド国籍で、インド当局にOCI資格を申請して認められた人)のみが対象らしい。
よくよく考えるまでもなく、もともとが国境向こうにあるため参拝できないスィク教徒その他のためにこの措置がなされたわけで、インド政府がインド人ではない第三国の人、インド系でもない外国人に便宜を諮るいわれもない。
しかしながらデーラー・バーバー・ナーナク自体もスィク教の主要な聖地のひとつでもあるし、ここの駅は印パ分離前には幹線路線上の駅であったが、分かれてからは終着駅となった歴史がある。今も日に数本、わずかに各駅停車が発着しているが、もちろんパキスタン方面ではない。
Visiting Kartarpur Gurudwara In Pakistan | Everything You Need To Know | Curly Tales (Youtube)
PILGRIMAGE TO SRI KARTARPUR SAHIB (Ministry of Home Affairs)

グルバルガ到着。翌々日はとても早く出るため宿はバススタンドのすぐ近くにした。
ホテルの人によると水泳の国際大会があった際に、この宿に日本人選手が2人泊まったとのこと。しかしグルバルガで開かれる国際大会というのがあるのか?

オートでバススタンドからフォートまで出かける。巨大な金曜モスクがある。1367年にバフマニー朝のもとで完成。往時のこの場所では、天空にひとつの大きなアーチをかけて柱無しで大きな空間を演出するところまでは技術が進んでいなかったのかもしれないけど、これはこれで見事なものだ。



朝食は宿のすぐ下の階に入っているHotel Kamatで。今回はプレインドーサにした。食べ終えてから宿近くにあるバススタンドから出発。ビーダルからグルバルガへの便は頻繁なので時間を気にしなくてよいのがうれしい。
ビーダルの州公社バススタンド。ISBT(Interstate Bus Terminal )も兼ねており、テーランガーナー州公社のバスも見かける。こうした州内事情で面白いのは州によって州公社への依存度、裏を返せば民営化の進展に天地の差があること。
北インドを中心に主要路線を民間に開放して公社バス路線を大胆に削減した地域もある一方で、カルナータカのように今も州公社全盛の地域もある。
たしか2000年代のチャッティースガル州だったと思うが、性急な路線民営化を急ぐあまり、採算の取りにくい路線への民間参入が追いつかず、地域の足が無くなって社会問題になった地域もあった。その後は補助金を導入して民間会社に参入させたようだ。
いずれも州政権の方針に左右される。このあたりも含めて有権者は州議会選で投票先を決めているわけで、まさにこういうバス事情も民意を反映したものなのだろう。


メヘムード・シャーのトルコ系奴隷(奴隷といっても王直属の親衛隊)から筆頭大臣にまで上りつめ、その後事実上の支配者となるカースィム・バリードの墓を中心とす墓廟群がそのまま公園になっている。
田舎に来るといろんな人に質問を受けるが、だいたい小学生くらいの子供たちは遠慮がないので、その中の特に積極的な子がいると、その子の取り巻きみたいなのも含めて金魚の糞みたいにくっついてくることになるのが面倒くさい。だいたいそういう年齢の子たちはヒンディーは誰にでも通じると言う感覚なので、これまた遠慮がない。
日本で外国人をあまり見かけない田舎で、どこの国から来たのかわからない人を見かけて質問攻めにしたり、ずっと話かけながらついてくるというのは稀だろう。国民性というのは大いにある。
しかし子供たちのこれとインドの大人たちへの話しかけやすさ、気安さは同一のものなので、実はありがたいことでもある。


前日入ったRoyal Anmolの向かいにある「Mandi King」へ。再びマンディ、今度はマトンでと思ったのだが、付近の席で食べているマンディのサイズ感を見てやめておく。身の丈にあった量のものを注文。せっかくマンディ屋に入ってみて、なんだけれども。

マンディの店なので、イスラミックなデザートもあるのでは?と期待したが、あまりそうではなかった。それでも「ローズ・フィルニー」は薔薇の香りがたっぷり効いて夢心地。やはりインドでは食後の満腹感の中でも酔うようにゴージャスな味わいのデザートが楽しい。

デザートの後は、やはり道路向こうのRoyal Anmolに移動して「イラーニー・チャーエ」を。「飲む紅茶ケーキ」とでも形容したくなる。ベースになる濃い紅茶とカルダモンにコッテリしたマラーイーをふんだんに放り込んだリッチな味わい。さほど糖分は強くないのにこの濃厚感はとても高い乳脂肪分のなせるワザ。


敢えて言えば、黒くなるまで濃く煮出したアッサムティーをカップの底1/4、そこにホイップクリームをたくさん放り込んだらこんな濃い感じになりそうだ。甘党にはもうたまらない。カロリーはとても高そうだ。肥満防止のため食事を減らして、こちらを日がな楽しみたいくらい気に入った。





コルカタで購入したカルカッタ華人ビジネスパーソンたちによる自伝2冊。かたや郊外テーングラー地区(新チャイナタウン)の女傑、もうひとつは市内中心部のティレッタ・バーザールの成功者によるもの。どちらも買えて良かったと思っているが、ふと気がついたことがある。
どちらも同じ出版社「Wordphonics」から出ており、編集担当者も同一で「Jasmine Quli」という人物。そして前者は今年1月、後者は昨年12月に出版されているのだ。
これはどう考えても偶然ではなく、カルカッタ華人のレガシィを記録しておこうという意思によるものなのだろう。これに続いて他の華人たちによる同様の書籍も続いたりすると、さらに嬉しい。
前者は複数のレストラン経営、後者は中華食材店と工場経営で成功した人たち。他にも大きな皮革加工工場、名の通った靴屋、老舗美容室、評判の高い大工さん、今もあるかどうかわからないけど華語による「印度商報」経営者、同郷会館運営者、中国寺院運営者などいろいろな人たちがいる。
少なくともカルカッタ華人のコミュニティーにおいて、コミュニティーの外へ自らのことを書き記して発信した例はほとんどなかったようだ。(カナダに移住してから書いた人はあった。)
今後同様の動きが続くといいな、と思う。ただ先行した2人ほど世間にアピールする人はほとんどいないようにも思うが。
先の西ベンガル州での与党TMCの敗北、BJPの鮮やかな勝利に驚いていたら、タミルナードゥ州では、個人的には特に注目していなかった新興政党TVKがあっさりと二大政党(DMKとAIADMK)による支配を終わらせてしまった。
映画スターが2年3ヶ月前に立ち上げた新政党が、南部の重要な州で、いきなり与党に躍り出るという驚き。この政党は、党首であるC. ジョセフ・ヴィジャイ自身のファンクラブが前身。
同州では、DMKから分離して、AIA DMKを立ち上げたM.G.ラーマチャンドラン(MGR)、その後を継いだMGRの愛人でもあったジャヤラリターといった、タミル映画の元トップスターがチーフミニスターになったりしていたものの、政治経験のないところから始めて政権へ直行というのは信じられない。
また、この選挙でBJPはタミルナードゥ州への浸透を狙い相当頑張ったようだが、やはりまったく歯が立たず。南インドにおいて同州での民族意識の高さは際立っている。
今後、タミルナードゥでの二大政党は、西ベンガルにおける共産党(マルクス主義派)のように衰退するのか、それともいつか勢いを取り戻すのか?