ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: sports

  • ブルキニって何だ?

    ドイツで開催された女子サッカーのW杯で、なでしこジャパンが優勝したことは記憶に新しい。これまで欧米の選手たちのスピードやパワーといった身体能力に押される部分が多かった(女子サッカーは特にそうした傾向が強い)のとは裏腹に、華麗なパスワークと巧みな戦術で相手をかき回した。これを『女性版バルセロナだ』と評したのは英国メディア。

    単に『アジアの国が優勝した』ということには留まらず、女子サッカーの戦術そのものに与えるインパクトが大きいようだ。おそらく今後、各強豪国では、なでしこジャパンが見せた華麗なサッカーを目指すところが増えることと思われる。

    大きな脚光を浴びた日本の女子サッカーだが、それでも男性の同種目の場合と比べると、プレー環境や選手としての立場等々、著しく不利な部分が多い。またそれ以前の問題として子供から学生くらいのレベルでサッカーを続けようとしても、なかなか女子のクラブがないため学校と両立できずに断念する例も多いと聞く。クラブチームでも、学校の部活動としても上から下まで環境が揃っている男子の場合と雲泥の差だ。

    だが今回のなでしこジャパンの活躍により、女性のスポーツとしてのサッカーが定着する動機になることと思う。頂点を目指す人も楽しみとしてプレーしたい人も、誰でもサッカーが好きでさえあれば、自分に合ったレベルで手近に参加できる環境が充実することを願いたい。

    サッカー以外でも、バレーボール、バスケットボール、テニスや陸上競技等々、スポーツの世界で活躍する女性は多いのだが、同時にまだまだ女性の進出が盛んではない種目は少なくない。そうした競技の場合、女性から見てあまり魅力を感じない、始めてみようという動機に欠けるといったこともあるかもしれないが、そもそもプレーできる環境がなかなかないということもあるのだろう。

    また慣習的に参加することが容易でない場合もあるだろう。たとえばボクシングなどがそうだ。格闘技の中でも『拳で殴り合うなんて・・・』というところで、ちょっとハードルが高い。現在、日本ではアマチュアの大会は開催されているし、プロ選手もいるとはいうものの、社会的に定着しているとは言い難いものがある。

    またスポーツ全般として、文化的な障壁が存在する場合もある。イスラーム圏でも女性のスポーツが盛んな国々は少なくないものの、とりわけ保守的な地域ではスポーツの分野への進出が少なかったり、肌を大きく露出するような種目ともなると国際大会でほとんど参加する選手の姿を目にしない国々もある。例えば水泳などがその例に挙げられるだろう。2008年の北京オリンピックでは、シンクロナイズドスイミングにエジプトの選手たちが参加していたが、国際的な水泳競技でアラビアの女子選手を見かけた記憶はほとんどない。

    またテニスでも国際レベルで活躍する選手の中でイスラーム教徒といえば、インドのサーニャ・ミルザー選手以外あまり見かけないのは、この競技に参加するイスラーム教徒女性の層が限られているのだろう。女子バドミントンの場合は、インドネシアが強豪国として知られているのだが。

    イスラーム圏の女子スポーツ大会としては、1993年から4年ごとにイランでIslamic Countries’ Women Sports Gamesが開催されているものの、初回大会からずっとホスト国はイランであることから、政治的な色彩が強いようである。

    そうした中、イスラーム教徒の女性(国や地域によって環境は千差万別だが)がスポーツに参加しやすいようにと、スポーツ用ヒジャーブが開発されている。

    イスラーム教徒の女性向け「スポーツ・ヒジャブ」に世界から注目 (MODE PRESS)

    またイスラーム教徒女性向けの水着もデザインされている。こちらは競技用とはいえず、あくまでも海水浴やプールに出かけるといったことが目的のようだ。

    オーストラリアの「ブルキニ」がイスラム教徒の女性をビーチへ – オーストラリア(MODE PRESS)

    『ブルキニ』という言葉は初めて目にしたが、女性がスポーツに興じる習慣がないことに加えて装いの関係もあるため、保守的な地域では参加可能な種目が限られるのは、いたしかたないのだろう。

  • ゴアのDempo S.C.にアリエル・オルテガ加入か?

    ゴアのDempo S.C.にアリエル・オルテガ加入か?

    アリエル・オルテガ

    サッカーの話題である。

    インドのI-LeagueDempo S.Cが元アルゼンチン代表のアリエル・オルテガ獲得に向けて交渉中であるとのことだ。成功すればI-Leagueにおける空前のビッグネームが加入することになる。

    Dempo SC in talks with Argentina international Ariel Ortega (goal.com)

    オルテガといえば、『マラドーナ後』のアルゼンチンのナショナルチームのMF陣を代表する選手であった。小柄ながらも爆発的なスピードと変幻自在のテクニックを兼ね備えた天才的ドリブラー(同時にボールを持ちすぎる選手という印象も強い)として知られてきた。

    祖国アルゼンチンのリバープレートを振り出しに、スペインやイタリア等の名門チームを渡り歩いてきた彼もすでに37歳。すっかり盛りは過ぎてはいるものの、彼の華麗なプレーはインドのサッカーファンたち(地域的に限られているが)を魅了するだろう。

    こうした非常に高いレベルの中盤選手のイマジネーション豊かなプレーは、サッカーというスポーツの面白さや醍醐味を、インドのそれとはまだ縁遠い人々へと伝える大きな力となり得る。

    ただ気がかりなのはチームのグッズ販売収入の20%前後を求めていることが交渉の上でネックになっているとのことで、本当に加入へと事が運ぶのかどうかは今のところ不明。

    またこれまで幾度も所属クラブのマネジメントと衝突したり、試合のフィールドでもトラブルをしばしば起こしたりしている、なかなかの暴れん坊だ。サッカー新興国・・・というよりも、それ以前の段階にあるI-Leagueのクラブが、果たしてオルテガをうまく手なずけることができるのかどうか?という不安もある。

    オルテガ自身にとっては、もしDempo S.C.に加入することになれば年齢的におそらく彼のサッカー人生をそこで終えることになるだろうが、この移籍話が実現すれば、Dempo S.C. はもとより、I-Leagueやそのファンたちに対するとても素敵な贈り物ということにもなる。J League草創期に鹿島アントラーズでプレーしたブラジルのジーコのことをふと思い出した。

    ぜひ話がうまくまとまることを期待したい。

    Ariel “El Burrito” Ortega (Youtube)

     

     

  • MNL (Myanmar National League)に日本人選手

    MNL (Myanmar National League)に日本人選手

    ヤンゴン市内で、ミャンマーのプロサッカーリーグMNL (Myanmar National League)ヤンゴン・ユナイテッドFCグッズ販売店を訪れた。ちょうどJリーグのそれのように、タオル、カレンダー、Tシャツにゲームシャツなどといったものが陳列されている。

    記念にゲームシャツを一枚購入。欧米による経済制裁下の状況を反映してか、アディダスやナイキといったブランドの製品ではなく、隣国タイの大手スポーツウェアメーカーFBTが生産したものだ。高品質を誇る企業で、クオリティは欧米のトップブランドのものと比較しても遜色ない。

    ところで、以前『サッカーと軍政』と題して取り上げてみたMNLでは、今年1月からヤカイン州のラカプラ・ユナイテッドFCというチームに伊藤壇選手が在籍している。MNL初の日本人プレーヤーであるそうだ。

    ベガルタ仙台に在籍していたことのある選手で、これまでアジア・オセアニアの各地でプロチームでプレーしてきた。Indo.toでは昨年8月にI リーグでプレーした元Jリーガーとして取り上げたことがある。MNL入り前にはインドのゴアを本拠地とするチャーチル・ブラザースに所属していた。

    プロサッカー選手としてアジア・オセアニアを渡り歩く伊藤壇選手は日常をブログで公開している。彼にとって12か国目となる国ミャンマーでの活躍を期待したい。

  • 休業補償

     今月19日からクリケットのワールドカップが開催される。

    ICC Cricket World Cup 2011 

    前回2007年はカリブ海の8ケ国による開催であったが、今回はインド・スリランカ・バーングラーデーシュの三国での共同開催となる。 

    サッカーの場合は、2002年の日韓共同開催の後にも先にも同時に複数の国がホストとなっての開催はないが、クリケットの場合は1987年の印・パ共同開催にはじまり、以降7回の大会すべてが隣接する国々による共同開催となっている。

    そうした大きなスポーツの大会の際、行政にとって一番の問題となるのは治安維持に加えて、開催地周辺での風紀の維持ということになるだろう。 

    今回のクリケットのワールドカップのホスト国のひとつ、バーングラーデーシュにかかわる以下のようなニュースが目に付いた。 

    Bangladesh city to pay beggars during cricket World Cup (BBC NEWS SOUTH ASIA) 

    同国のチッタゴン市では、300名ほどの身体に障害のある乞食たちに対して、大会期間中1日当たり2米ドル相当の『休業補償』を与えて、しばらくお休みしてもらうことにしているのだとか。また主都ダーカーでは、ワールドカップ期間中は彼らに福祉施設に収容する予定であるとも。 

    人道上の問題については言うまでもないが、現実問題として物乞いの人たちが開催地周辺に大挙して流入ということも予想できるし、スムースな大会運営を期するうえでも、そうした措置にはやむを得ない部分もあると思う。 

    ところでインドではどうなのだろう?とふと思ったりもする。それに昨年10月に開催されたCWGのときには何かそうした措置はあったのだろうか? 

    ※『コールカーターのダヴィデの星 2』は後日掲載します。

  • AFC Asian Cup Qatar 2011

    2011年1月にカタールでAFC Asian Cup が開催される。 大会スケジュールについてはこちらをご参照願いたい。 

    この大会にエントリーするのはインドを含めた16か国。A組からD組まで、それぞれ4チームずつが総当たりで戦い、それぞれの組の上位2か国が決勝トーナメントに進出する。 

    組分けについては以下のとおりとなっている。

    A組 ウズベキスタン・カタール・クウェート・中国

    B組 サウジアラビア・シリア・日本・ヨルダン

    C組 インド・オーストラリア・韓国・バハレーン

    D組 アラブ首長国連邦・イラク・イラン・北朝鮮 

    A組とD組はどこも実力伯仲した激戦区だ。A組については、アラビア半島の2か国に対して欧州スタイルのサッカーを展開するウズベキスタンと高い技術と体力に恵まれた中国が絡むという面白い展開が予想される。D組についても、手堅い守備と鋭いカウンター攻撃を見せる典型的なアラビア式のサッカーを仕掛けるアラビアの雄のひとつ、アラブ首長国連邦が楽しみだ。アラビア半島の多くが伝統的にこのスタイルのサッカーを得意とする。 

    中盤での華やかな展開をあまり見せることなく、自陣に引いて堅く守り、相手が人数をかけて攻め入ってくると、一気にボールを奪って少ない手数で敵ゴール前に迫り、高い個人能力を持つ前線の選手が得点して守りきるというサッカーは、この地方の気候が大きく影響しているのではないかと思われる。『砂漠の暗殺者』と形容したくなる試合運びは、アラビア半島の多くの国々に共通して見られるものだ。 

    アラブ首長国連邦と組を同じくするイラクは、湾岸戦争前まではこの地域としては珍しく日本のような組織的なサッカーを見せる国であったが、やはりその後の地盤沈下が著しい・・・と思われていたが、前回2007年にASEAN4か国(インドネシア・タイ・マレーシア・ベトナム)がホスト国となって開催した大会で優勝を飾り、強豪復活を印象付けた。 

    アラビア地域とは隣接していながらも、これらとは対照的に強力な中盤を軸にスペクタクルな『ペルシャ式』の試合運びをするイランだ。『アジアのスペイン』と表現しては大げさ過ぎるだろうか。加えて先の南アフリカで開催されたワールドカップにて、アジア・オセアニアのプレーオフでなんとか最後に引っかかって出場できた北朝鮮。本大会では無残な成績しか残せなかったが、アジア地域では押しも押されもせぬ強豪国のひとつだ。 

    B組については、サウジアラビアと日本が突出しており、とりあえずはいい組に入ったと言えるだろう。私たち日本人としてはグループリーグについては落ち着いて観戦できることと予想される。 

    C組は、インドのサッカーファンにとっては悲劇的な組み合わせだ。アジア・オセアニア地域のトップレベルのオーストラリアと韓国、近年伸長著しく現在のアラビア半島の強豪国のひとつに数えられるバハレーンと戦うことになるからだ。なんとか一矢報いて欲しいものだが、実力差から考えると3試合でインドが白星を挙げる可能性は限りなくゼロに近く、開幕前から悲観的になってしまう。 

    AFC Asian Cupは、アジアの東端と西端、つまり東アジアと中東が覇を競う大会となっており、1976年大会以降はそれ以外の地域がベスト・フォーに顔を出した例はない。インドが1964年大会で準優勝に輝いたという事実は、歴史のはるか彼方の『故事』となってしまっている。

  • サッカーと軍政

     インドの東隣のミャンマーでは2009年からMNL (Myanmar National League)というプロサッカーリーグが発足した。同年5月から2か月間ほどに渡るカップ戦が展開され、今年3月からは10のクラブチームによる正式なリーグ戦が開始され、記念すべきMNLリーグ初代優勝チームはYadanarbon F.C.である。 

    言うまでもなく旧英領であったこの国では、サッカーという競技の歴史は古い。かつてはアジアを代表する勢力であったこともあり、観るスポーツとしての人気も高かった。社会主義計画党時代のビルマでは、実業団チーム(といっても省庁や自治体が構成するチーム)のリーグがあり、私自身も『税関vsヤンゴン市役所』(であったと記憶しているが・・・)の試合をアウンサン・スタジアムで観戦したことがある。 

    その後90年代に入ると、いわゆるクラブチームがいくつも結成されるようになり、ヤンゴン市にはプロチームさえ存在していたものの、全国的なプロリーグというものはなかった。 

    いまや地域の他の国々の多くにプロサッカーリーグがある昨今、経済的に非常に厳しい状況にあるミャンマーにもそうしたものができるのは時代の流れなのだろうと思っていたが、その裏には軍政による大きな後押しがあったことを示唆するニュースがあった。

    昨日、ジュリアン・アサンジュ氏がイギリスで逮捕されたことが各メディアで伝えられていたが、彼が創設したウィキリークスから流された在ヤンゴンのアメリカ大使館発の公電に関するBBCの報道がそれである。

    मैन यू ख़रीदने पर हुआ था बर्मा में विचार (BBC Hindi) 

    上記記事によれば、2009年1月以前に当時の軍政の議長タン・シュエ氏が10億ドルを投じて、イングランドのプレミア・リーグのマンチェスター・ユナイテッドを買収としようと画策していたということだ。 

    サッカーによって政治・経済に対する国民の不満のガス抜きをしようという目的、タン・シュエ氏自身が同チームのファンであり、彼の孫もチームの買収を強く希望していたという個人的な動機があったとのことだが、近年有望視されている領海内のガス田からの収入等を背景に、それほどの金額を出資することが可能であったという点はちょっと驚きである。 

    しかしその前年2008年5月にミャンマーを襲ったサイクロン『ナルギス』の被害からの復興の遅れ、加えて外国からの援助を断り、被災地の人々に対する痛手をさらに大きなものにしていると国際的に非難を浴びていた時期でもあったことから、これを断念したということ。そのため自国内にプロリーグをスタートさせることを決心したということが書かれていたそうだ。 

    だからといって2009年初頭にマンチェスター・ユナイテッドの買収を諦める代わりに4か月ほどでプロリーグを始動させるというのは無理があるため、もともとそういう方向で動いていたものを前倒しさせることになった、という具合なのではないかと思う。

    確かにMNLがリーグとして正式に開幕したのは2010年だが、それに先立って2009年に2カ月間のカップ戦を行なうというのは中途半端で解せないものがあった。このあたりについて、やはり当時の軍政の意向が働いたのかもしれない。 

    そもそもミャンマーにおいては、90年代以降は経済の様々な分野における民営化の進展著しいが、その中で軍関係者による関与はとても大きいようだ。 

    当然MNLを構成するクラブチームについても、純粋に民間人による運営がなされているとは想像しにくいものがある。後に機会を設けてそれらの背景について調べてみようと思う。 

    11月に実施された総選挙により『民主化された』という建前となっている同国の政治同様に、一皮剥けば経営陣に軍関係者たちがゾロゾロ・・・という具合であるかどうかはさておき、なかなか興味深いものがあるのではないかと想像している。

  • アジア大会決勝トーナメント一回戦 日本対インド

    中国の広州で開催中のアジア大会にて、本日行われた日本とインドの試合を観戦した・・・といっても、現在私は中国を訪れているわけではなくテレビ観戦である。

     インドのサッカーといえば、西ベンガル、ゴア、カルナータカ等、そこそこ人気の高い州はあるものの、総体的にはかなりマイナーなスポーツとなっている。だが2007年にI-Leaugeがスタートしてからは、本格的なクラブ運営とともに外国人選手を積極的に獲得したり、若年層からの組織的な育成システムが導入されるなど、プレー環境は次第に整いつつあるようだ。 

    アジア大会のサッカーは年齢制限(23歳以下でオーバーエイジは3名まで)があるため、あくまでも参考までの話だが、国際Aマッチの試合において、インド代表はこれまで40年ほど日本代表に勝っていないらしい。 

    この大会に出場している日本代表は、2012年に開催されるロンドンオリンピック(サッカーは23歳以下)に向けた準備段階という位置づけであるため、広州にやってきたメンバーは2年後に満23歳以下となる選手たち、つまり現在はU21つまり21歳以下というひとつ枠が下の年齢層から構成されている。Jリーグ選手が多くを占めるが、登録枠20名のうち7名は日本の大学でプレーしている。 

    これに対して参加国の多くは、インドも含めてU23つまり23歳以下という制限をフルに使って代表が選出されている。チームとしての相対的な実力はともかく選手としてよりピークに近づいた選手たちを起用できるという点からは、それよりも下の年齢層から成る今回の日本チームにとって決して容易に勝ち進めるものでないといえる。 

    それに加えて代表招集から大会開幕までの期間が短く、日本での合宿が7日間しかないという点からも調整不足といわれており、グループAの初戦、中国戦での苦戦が予想されといたのだが、幸いにして3-0と大勝し、続くマレーシア、キルギスをそれぞれ3-0、 2-0と下して3試合で8得点無失点にて無難に決勝トーナメントに駒を進めた。 

    招集された全員をI-League選手が占めるインド代表だが、グループDでクウェートに0-2、カタールに1-2で敗れたものの、シンガポールに4-0で勝ち、なんとかこのステージまで進むことができた。 

    以下、参考までにグループリーグの結果である。 

    Asian Games 2010: Latest Results And Group Ranking (football-asia.net) 

    会場に君が代とジャナガナマナが流れた後、選手たちがそれぞれの自陣に散って試合開始のホイッスルが鳴った。予想どおり日本が一方的に試合を進めていく。 

    まずは永井の先制ゴール。まさにgoal.comのインド版サイトに出ていたとおりの幕開けである。 

    Asian Games Special: Know Your Rivals – India U-23 Must Watch Out For Kensuke Nagai (goal.com)

    続いて山崎の追加点。その次は左サイドから山口が上げたクロスをゴール右前にいた東が直接狙うと思いきや、これを中央に折り返して山村が得点。日本らしい緻密な連携による芸術的なゴールだった。前半3-0でハーフタイムに入る。

     後半は、中盤の位置から縦に抜けだした永井が再びゴールを決める。中国戦の最初のゴールを決めたこの選手は、大学生ながら今回の代表のエースの座に躍り出た日本の新星だ。決してシュートを狙うシーンは多いというわけではないのだが、ここぞというところでゴールを記録する決定力は見事。おそらく大学卒業後にはJリーグ入りして、オリンピック代表そしてフル代表へとスター街道を邁進するのではないかと期待させてくれる。 

    最後のゴールは、右サイドからの展開から中央に折り返したボールを水沼がダイレクトにゴール。背番号10を付けるこの選手は、Jリーグ発足前の日本サッカー界を代表するテクニシャンであった水沼貴史の子息。 

    インドには、4季目を迎えたI-League効果は?と期待するものがあったのだが、残念ながら見るべきところは何もなかった。力量の差が甚だしいため仕方ないのだが、強い相手を前に連携が非常に悪く、縦へ縦へと急ぎ過ぎては、いとも簡単に相手にインターセプトされてしまい、文字通り成す術もないままにタイムアップとなってしまった。 

    後半30分を過ぎようかというところで右からのクロスをゴール前の走りこんだ選手がシュートし損ねたもの、また終了5分前に左からの折り返しをヘディングでゴールを狙ったものだけがインドのチャンスであった。

    とりあえずベスト8に勝ち進んでいる日本が次に対戦するのは、本日行われるタイvsトルクメニスタンの試合の勝者だ。 

    アジア大会サッカー決勝トーナメント (日本サッカー協会) 

    次の試合も日本が勝てば、おそらく準決勝で当たるのはイランだろう。反対側のブロックには、韓国、カタール、ウズベキスタンといった強豪の名前が見えるが、現在までのところあちら側では先のW杯メンバーが6人も入っている北朝鮮が最有力視されている。 

    インドのチームについて、個々には高い技量を持つ選手がいることは見ていてわかった。I-Leagueがスタートしたといってもまだ日が浅い。加えてかつての日本のJリーグにように国の挙げての盛り上がりを見せたり、サッカーが少年たちの必修科目のようになっているわけではないので、過大な期待をするわけにはいかない。むしろクリケット一辺倒の国にあって、息の長い活動を続けてくれることを願うべきだろう。 

    今日の試合もさることながら、来年1月のアジアカップを2か月後に控えて、インドのフル代表は、今月14日に行われたクウェートとの親善試合にて、1-9という記録的な大敗を喫している。これはインドサッカー史上ワースト2位のタイ記録となる。 

    Indian National Team Special: The Worst Defeats India Have Suffered (goal.com) 

    監督は釈明に追われているようだが、プロの世界は結果がすべてだ。インドのサッカー界を統括するインドサッカー連盟も頭を抱えていることだろう。これではせっかく力瘤込めてスタートさせたI-Leagueの名が泣く。 

    現在のアジア地域のサッカー勢力図といえば、韓国と日本が頂点にあり、これを北朝鮮とアラビアの産油国が追う形になっている。そこからやや下がった位置に中国があり、さらにタイをはじめとするアセアン域内のサッカー強国といった具合だ。 

    こうした力関係の中に、今後インドがどのように割り込んでくることができるのか、たとえ時間はかかろうとも、ウォッチングしていきたいと思っている。そもそもスタート地点が極めて低いことから、これからの伸びシロは大きいだろう・・・といった消極的なことしか今は口にすることはできないのだが。 

    インドU23チームの軌跡 (goal.com)

    ※先日の続き『Lonely Planet 2』は後日掲載します。

  • Iリーグで戦う日本人選手たち 2

    現在、Iリーグには、日本国籍である和泉選手以外に、オーストラリア、ガーナ、ギニア、セルビア、ナイジェリア、ブラジル等のプレーヤーたちが在籍している。ちなみにIリーグにはゴアをホームとするサルゴサールSCというチームにもう一人の日本人プレーヤーがいる。末岡龍二選手で、彼も自身のブログを公開している。 

    ブログに書かれたプロフィールにあるとおり、この選手もアルビレックス新潟シンガポールでのプレー経験があり、Jリーグのアルビレックス新潟に在籍していたこともある。その後、Sリーグ、タイ・プレミアリーグそして現在のIリーグとアジアのリーグを複数経験してきた猛者だ。 

    今年前半まで、同じくゴアを本拠地とするスポーティング・クラブ・デ・ゴアに所属していた新井健二という選手もいたが、現在シンガポールのSリーグに移籍している。この選手が運営するウェブサイト『海外で活躍する日本人サッカー選手』の中にアジア・オセアニア各国でプレーする選手たちに関する情報を集めた項目がある。オーストラリアはさておき、アセアン域内のサッカー王国タイでプレーする選手たちの中に、読売クラブのユース時代からJリーグのヴェルディ川崎で出場していた時代まで、当時の中盤の名手として知られていた財前宣之選手の名前を見つけて驚いた。 

    タイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドのウェブサイト中の選手紹介ページにアクセスしてみると、財前選手は背番号28とある。日本サッカーの将来を担うことを期待された選手であったが、度重なるケガに泣かされていたと記憶している。今はタイでどんなサッカー人生を送っているのだろうか。 

    欧米のリーグに渡った選手の場合と違い、日本のメディアで取り上げられることはあまりないが、とにかく職業としてサッカー選手をやるのだ、という強烈なプロ根性と情熱が感じられるとともに、個人の生き方としてより多くの魅力を感じる。Iリーグでインド各地を転戦する日本人選手たちはもちろんのこと、世界の様々な国々でプレーする彼らの今後ますますの活躍を期待したい。

    <完>

  • Iリーグで戦う日本人選手たち 1

    以前、2009年から今年までインドのIリーグに所属していた伊藤壇選手について取り上げてみた。その後、Iリーグに所属する他の日本人選手も取り上げてみようと思っていたが、しばらくそのままになっていた。 

    リーグにおける日本人第一号選手といえは、2006年から現在まで同リーグでプレーしている和泉新選手である。父親がインド出身の在日2世選手(日本国籍)として知られているが、Iリーグで初めてプレーする日本人選手がインド系であるということはちょっと因縁めいたものを感じる。和泉選手自身が近況を綴っているブログを読んでみると、本人がインド系であるということはほとんど感じられず、インドで暮らす普通の日本の青年といった印象を受けるのだが。 

    海外のクラブチームを渡り歩いている和泉選手だが、プロとしての最初のキャリアがシンガポールのSリーグというのが興味深い。当時の所属チームはアルビレックス新潟シンガポールである。 

    その名の示すとおり、Jリーグのアルビレックス新潟の関連団体である。クラブとしては独立しており、シンガポールを本拠地とし、現地のプロサッカーリーグのSリーグの構成メンバーであると同時に、アルビレックス新潟のサテライトチーム、つまり二軍にも当たる。 Sリーグでは、外国人選手の人数制限枠がないため、同クラブのウェブサイト登録選手紹介ページを参照してみると、全員が日本人ないしは在日外国人であることがわかる。 

    インド代表のエースストライカー、ブティヤー選手も所属するコールカターのキングフィッシャー・イースト・ベンガル・フットボールクラブを振り出しに、ムンバイーのマヒンドラー・ユナイテッド、そして現在はプネー・フットボールクラブでプレーしており、背番号8を付けているのが和泉選手だ。 

    Jリーグ出身のサッカー選手で欧州等のチームに移籍し、その活躍ぶりが日本に伝えられている選手は少なくないが、彼ら以外にも日本国外で活躍する日本人プロサッカー選手はかなりあり、その一例が和泉選手ということになる。 

    かつてJリーグの草創期で、欧州やラテンアメリカの国々の盛りを過ぎた有名選手たちとともに、自国ではあまり名前の知られなかった選手たちも、当時の日本で始まったばかりのプロサッカーリーグを大いに盛り上げてくれた。そうした中で日本人選手たちは良い刺激を受け、大舞台に憧れるサッカー少年たちの良き手本となった。今やワールドカップ出場常連国となった日本のサッカーのレベル向上に対する外国人選手たちの功績は大きかった。 

    前身のNFL (National Football League)からIリーグへと移行したのが2007年。ちょうど日本で1992年に、それまでの日本リーグを元にJリーグが発足したのに相当する。Iリーグは、インド初のプロリーグとして、この国でのサッカーの普及を目指しているわけだが、まだまだ歴史も浅ければ、人気もレベルも決して高くない。まさに今、その歴史の基礎が形作られつつあるフロンティアだ。 

    チームごとの外国人枠は4名。このうち同じ試合で3人まで出場できるようになっている。当然のことながら外国人選手は、一部の傑出した選手を除いた他のインド人プレーヤーたちより格段に高い技術と能力を持つ『助っ人』としての役割が期待されているわけだ。 

    <続く>

  • K-1のリングで戦うインド人

    ボクシング以外の格闘技についてはあまりよく知らない私だが、東京育ちのパンジャービーのK-1選手がいるそうだ。『シング心ジャディブ』というリングネームで試合に出ている。 

    Youtubeで以下の動画を見つけた。 

    K-1 WGP 2009 -ASIA GP- Aug.02.2009 – 1/2 

    K-1 WGP 2009 -ASIA GP- Aug.02.2009 – 2/2 

    Singh “Heart” Jaideep – Pre-Fight Interview – Sep.24.2009 

    3歳のころから東京で暮らしているため母語は日本語であるとのことだ。 

    この選手のことはごく最近知ったばかりで、そもそもK-1という格闘技について多少の関心はあるものの、あまり詳しくないので具体的なコメントは控えたい。しかし身長195cmで体重100kg超と体格に恵まれており、身体もパワフルで柔軟な印象を受ける。ハンサムな風貌で、実績を上げれば一気にスターダムを駆け上っていきそうな予感がする。

    日本を拠点に戦うインド人(国籍はインドらしい)格闘家という稀有な存在でもあり、機会があれば今後もフォローしていきたい。

  • TNSA (Tibetan National Sports Association) 5  国技としてのサッカー

    チベットでのサッカーの歴史は、20世紀初頭にギャンツェに置かれていたイギリスの商館員たちが現地で競技を楽しんだことに始まる。その後、やはりイギリスが首都ラサにおいて1913年に当時のチベットの軍隊に訓練を施し、続いて1920年代に警察組織の発展に協力した際に現地の人々に伝えたとのことだ。チベットにおける近代スポーツとしてのサッカーの歴史はなかなか長い。

    TNSAは、サッカーをチベット人たちの国技として育もうという姿勢を明確にしている。在印チベット人たちのクリケットに対する関心は決して低くはないようだが、世界的なクリケット大国にあって大海の一握りの砂に過ぎない彼らの立場だ。これを『国民的スポーツ』として、それなりのモチベーションを持って強化していくことには難しいものがあるだろう。

    またサッカーという競技の、よりグローバルな広がりを考えれば、対外的に自分たちの存在をアピールしていくにあたり広告塔的な役割もあり得る。これがひとつの形として実現したのがFIFI Wild CupELF Cupへの出場、そして幾つかの欧州遠征試合ということになるだろう。

    それでも道は決して平坦ではないようだ。サッカー人気の低調なインドにあって、亡命チベット人社会でもサッカー人気がそれほど高いとはいえない。TNSAも競技人口の拡大には腐心しているようだ。

    また彼らの活動に関心を寄せるのは、概ね在印の人々を初めとする亡命チベット人社会の中に限られる。資金的な面は言うまでもないが、選手たちの指導や育成といった部分についても相当な困難がある。

    日本代表は、1998年のフランス大会以来、4回連続でFIFAワールドカップに出場し、韓国と並んでアジアからの常連国となっているが、サッカーという競技を愛する人の気持ちや自国代表を応援する心情は、チベット人亡命者たちの間でも変わることはないだろう。

    インド・ネパール各地およびその他の国々に暮らすチベット人たちの心をつなぎ、また世界の人々との結びつきを強める絆として、このスポーツが彼らの間で今後ますますの発展をしていくことを願う。

    チベット人コミュニティの『サッカーをこよなく愛する仲間たち』に大きなエールを送りたい。

    <完>

  • TNSA  (Tibetan National Sports Association)  4   チベット代表ゲームシャツ

    TNSA (Tibetan National Sports Association) 4   チベット代表ゲームシャツ

    TNSA事務局ではチベット代表のゲームシャツも販売している。売上は活動資金に充当しているとのことだ。マクロードガンジの土産物屋などでもよく見かけるが、それらはすべてTNSAから供給されているとのことで、どこで購入しても一律500 Rsであるとのこと。

    TNSAウェブサイトでも同じものを国外向けに通信販売しているが、こちらは送料込みで45米ドルという価格設定になっている。

    このゲームシャツは、実際に代表選手が試合で着用するのと同じもので、違いは背番号が付いていないだけだという。品質については、ナイキその他の国際的なメーカーが製造したものとはずいぶん違うのは価格からして仕方のないことではある。代表とはいえ、やはり資金的に苦しい台所事情もうかがえるようだ。

    2006年のドイツでのFIFI Wild Cupや北キプロスでのELF Cupでは、hummel社製でデザインも良いものを着用していたが、かなり大口のスポンサーが付いていたのだろう。

    私は、以前からそのhummel社製造のチベット代表ゲームシャツも持っている。2006年FIFIの大会の際のモデルである。こちらに付いているエンブレムはTNFA (Tibetan National Football Association)で、デザインそのものも違う。

    現在、TNFAのエンブレムは使用されておらず、代表チームのゲームシャツに付ける紋章として正式なものはTNSAであるとのことだ。

    <続く>