インドはどこでもそうだが、こうした蛇腹式の扉のエレベーターが現役活躍中。ムンバイでの宿泊先は、カゴが木製だったのでなおさらのこと、古い映画のスクリーンの中にお邪魔したような気分になり、目の前の風景が白黒ではなくカラーであるのが不思議な思いさえする。
カテゴリー: society
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OLYMPIA COFEE HOUSE AND STORES
昔ながらのムンバイらしいカフェと軽食の場。夜明け前から営業しているので、早朝の散歩前の腹ごしらえにも最適だ。
今回の宿泊先には朝食が付いているのだが、提供されるのが朝8時からと遅いこと、街中で人々集まっているところで食べたいということもあり、コラバコーズウェイにあるオリンピアへ。ここでの定番は「キーマパウ」文字どおりキーマとふんわり焼き上げた洋式パンのセットだ。お客のたいていがこれを食べている。
メニューを見ていると、「バルク」での注文受付もあるのが面白い。界隈に住んでいて、急に大勢のお客が家に来ることになったりしたら重宝することだろう。

OLYMPIA COFEE HOUSE AND STORES 
店内 
キーマパウ 
清涼感のある眺め 
「バルク」というのが面白い。 -

コラバコーズウェイ

コラバコーズウェイ ポルトガルのカタリナ王女が英国王室に輿入れする際、ダウリーとして英国に譲渡されたころ、ボンベイは「7つの島」(及びたくさんの岩礁)であった。
港湾として有望と見られた今のフォート地区に城塞を築いたのは東インド会社。ここに統治の中心としての行政機関や郡駐屯地を置く。
当初は島々は船で結ばれていたのが、次第に埋め立てにより陸地が繋がっていく。
フォート地区からすぐ南にあった島とは、コーズウェイつまり土手で盛り土した道で結ばれるようになった。
ちょうど今のシンガポールとジョホールバルーを結ぶコーズウェイを想像すれば、だいたいそんなイメージかと思う。
やがて両側が埋め立てられて、「コーズウェイ」ではなくなったのだが、そのままそう呼ばれている。
現在のフォート地区には、城塞らしきものは残っていない。この付近には鉄道駅のある「チャーチゲート」その他、ゲートの名のつく地名が残っているが、東インド会社建造によるフォート地区を取り囲む城壁があったころにいくつかあった「ゲート」の名残りだ。
砦も城壁も取り壊されて埋め立てに使われたため、コラバコーズウェイ両側の地下でも掘れば、そうした過去の残骸が出てくることだろう。 -

ムンバイのフォート地区にあるZARAのショップ
一見、高級ブランドのショールームのように見えるのだが、スペイン版のユニクロと言えるZARAの店。こうしたイメージ作りに貢献してくれそうな物件に事欠かないのがインドとはいえ、ムンバイの地価は世界でも上位クラスなので、おそらくZARAはインドにおける旗艦ショップとして大きな投資をしたのだろう。
中を少し歩いてみるとすぐに気がつくのだが、コロニアル建築を改築して利用しているのではなく、「新築」している。
つまり外壁の部分を残して、あとはすべて建て直してあるのだ。
欧州や南米でもこのようなことはとうの昔から行われており、アジアでもシンガポールやマレーシアでは、かなり前から街並み保存のために道路に面した外観だけ残して新築というのはよく行われてきたが、インドではそのようなことはほとんどなされず、英領期の景観が失われていくいっぽうだったが、こうしたことがなされるのは喜ばしい。通りをはさんだ反対側を少し北上したあたりでも、同様のやりかたで工事が進んでいる物件があり、「とりあえず外観は残す」というものが流れとなっていくのかもしれない。
それでもやはり、面の皮だけ残して・・・というのは寂しいものがある。植民地建築の魅力は外壁だけではなく、内装の重厚さや目の届くあらゆる部分に及ぶからだ。 -

ムンバイのマズガオン地区にある中国寺院
ムンバイCST駅から出ている郊外電車に乗り、Dockyard Road駅で下車して徒歩5分程度のところにある。
建物に入ったところにあるドアをノックしたら出てきたのはここで間借りしているインド人男性たち。ここで何か質問しても彼らは何もわからないので、階段で上階へ行こう。
大声で呼ぶと、ここの世話人をしている老夫婦のどちらかが出てきてくれる。簡単に自己紹介して、寺院を拝観したい旨伝えると、もうひとつ上の階にある寺院の扉のカギを貸してくれる。
老夫婦どちらも流暢なヒンディーを話すが、おそらく英語も多少できることだろう。彼らによると、今ではムンバイ在住の華人はとても少なくなっているが、かつて小さな中華街があったカマーティプラーあたりにいくばくかのインド華人たちが暮らしているとのことだ。












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ムンバイのアールデコ建築
カルカッタ同様、重厚な植民地建築以外にも愉快なアールデコが楽しめるのも良い。フォート、コラバ地区からチャーチゲート界隈を経てマリーンドライブに至るエリアに多く見ることができる。
マリーンドライブ沿いには、アールデコ建築に入っているホテルもいくつかある。
そうした中のひとつ、Krishna Mahalという建物の上層部にBentley Hotelという中級宿泊施設がある。内装はすっかり今風の感じに仕上げてある。そのため室内ではアールデコ建築のムードを楽しむことはできないものの、アラビア海に面した部屋を取れば、夕刻には素晴らしい眺めを満喫できることだろう。
オフシーズンには宿泊予約サイトでけっこう安い料金で出ているかもしれない。
ムンバイのアールデコ建築については、いくつか解説書が出ているが、入手しやすいところでは以下の書籍をお勧めしたい。書名:Bombay Art Deco Architecture
著者:Navin Ramani
出版社:Lustre
ISBN-10: 8174364471
ISBN-13: 978-8174364470 -

ムンバイのビンディー・バーザール界隈

ビンディー・バーザール界隈 
ムスリムは社会党の票田 このありたはムスリム地区だけあって、バッジやウムラーなどのイスラーム巡礼を取り扱う旅行代理店が多い。

イスラームの巡礼関係を中心に扱う旅行代理店が多い。 ミナーラー・マスジッドの外側にはテナントとしてお菓子屋が入っている。売られている甘いものはどれも美味しそうだ。このモスクの中には聖者廟もあった。

ミナーラー・マスジッド 
洋風の意匠をふんだんに取り入れた絢爛たる建築 
ミナーラー・マスジッド内部 
ミナーラー・マスジッドにはダルガーも入っている。 
マスジッド外側にはテナントとして菓子屋が入居している。 ドングリー地区に近いこの界隈は、赤線地帯のすぐ近くのバイクラー地区と並んで、インド国内や周辺国で暗躍するムンバイヤクザの大物たちの故郷。
ダヴード・イブラーヒムやチョーター・シャキール等の巨頭もこのあたりで育っている。近い将来の「ドン」もやはりこのあたりから出るのだろうか?フセイン・ザイディによるノンフィクションのムンバイヤクザストーリーを愛読する私にとって、ひとつの聖地である。

界隈にはなかなか有名な食事処もある。 ビンディー・バーザール地区の一角にはシーア派イラン系の人が多い地域もある。イラーニー・マスジッド(またの名をムガル・マスジッド)があるあたりがそうだ。

青タイル細工が美しいイラーニー・マスジッド 
イラーニーを名乗る店 
朝食 -

キプリングの生誕地
敬愛する植民地作家ラドヤード・キプリングの生誕地を訪問した。
CST駅からすぐ近くにある。Sir J. J. School of Artという美術学校キャンパス内にある。まさにここであの大作家が生まれて子供時代を過ごしたのだな・・・という感慨に耽りたくなるが、目の前にある屋敷はこのキャンパスの学長の屋敷として再建されたものであると聞く。
現在修復作業進行中で、完成後はキプリング博物館になるとのこと。 -

コラバ地区のヘリテージな建物
ムンバイのコラバ地区。このあたりにある建物の多くは19世紀後半から20世紀はじめあたりに建てられているが、取り壊されるよりも修復して使われているのが嬉しい。
建物には、おそらく当初のオーナーの名前を冠したままと思われるものもあれば、そうでないものもある。
また、現在は居宅として使用されているものの他に、まるごとホテルとして転用されているものや、中をいくつかに分けて店舗として、あるいはアパートとして転用されているのもある。
宿泊先内部の階段まわり 
こちらは宿泊先のエレベーター 
宿泊先エレベーター内の表示 「修復」で面白いのは、オリジナルの形に新しく直すことに限らず、まったく違う側面を加えるやりかたも実施されていることだ。下の写真を見てもらえばわかるのだが、ひとつの建物なのだが、右と左がまるで別々の建築物のようになっている。もちろん手前右側が新しくリフォームされた部分だ。こうした技を披露できるのは、やはり植民地建築の豊かな遺産に富んだインドの都市部ならではのことだろう。

手前と向こうで別の建物のように見える。 -

ムンバイのユダヤレストラン
コラバにあるユダヤ教施設ナリーマンハウスの中にはコーシャル・ムンバイというレストランがあることを知った。だだしその日は土曜日、つまりサバース(ユダヤ教の安息日)であるため、どうかと思い電話してみたが誰も出ない。まあ近いので行ってみることにした。
ムスリム地区にあるこのユダヤ教施設。昔からユダヤ人が多かったコラバだが同じくユダヤ人コミュニティの存在で知られたフォート地区、バイクラー地区と異なり、ここにシナゴーグが建てられたことはない。別名チャダードハウスとしても知られるこの施設には、世界各地から来るユダヤ系の人たちのための宿泊施設も有している。
だいぶ前に前を通りかかったときの記憶とは、佇まいがずいぶん違っているのは、2011年のムンバイ同時多発テロが背景にある。VT駅、レオポルドカフェ、トライデントホテル、タージマハルホテルなどとともに、あの事件の舞台となったひとつの施設だ。テロリストたちがナリーマンハウスに立てこもり、ここを取り仕切るユダヤ教司祭家族、宿泊者等多数が殺害されている。タージマハルホテル同様、ナリーマンハウスにも、デリーから出動した特殊部隊が突入し、事件発生50数時間後に制圧された。
そんないわくつきの施設となってしまったが上に、今も非常に厳しいセキュリティ体制が敷かれている。ここに入っている「コーシャル・ムンバイ」は、日曜から金曜までの午前9時半から午後9時まで(金曜日のみ午後1時半まで)の営業であることはわかった。
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コラバのゴア料理店

New Martin Hotel ムンバイのコラバ地区の一角。壁に書かれたメニューの品目はあまり数多くはないが、とりあえずポークウィンダールー、ソーセージ・エッグ&チップス、フィッシュカツレツを注文。やはり豚肉の旨味を知るゴア人の料理には格別なものがある。やはり豚肉が私には必要なのだ。ゴアで食べるものに比べて、やや酸味が薄いような気がしたが、これは店の個性かもしれないし、あるいはボンベイでの顧客の好みに合わせたものかもしれない。

ポークヴィンダルー 
ソーセージ・エッグ&チップス 
フィッシュカツレツ ついでにビーフステーキとフィッシュカレーも注文してみる。画像のタマネギ炒めとポテトの盛り合わせのように見えるのがステーキ。タマネギの下はすべて牛肉で、かなりのボリュームがある。ゴアでもこういう出しかたをするのか知らないが、もしかしたら、どんな人が入ってくるかわからないため、お店としての配慮なのかもしれない。

ステーキ 
ステーキに乗っているタマネギを外すとこのような具合になる。 
フィッシュカレー 
パン 注文して出てくるのを待っているとき、面白いことがひとつあった。
額にビンディーを付けた、品の良い中年女性が入ってきて、「持ち帰りでステーキを」と注文していた。今はどうか知らないが、昔はヒンドゥーでなくても若い女の子がビンディーを付けて外出するということはあった。
この人は、すっかり落ち着いた中年女性であるため、本当にヒンドゥーであると考えたほうが良いだろう。あくまで個人的なことであり、とやかく言うものではないが、こうして下町の食堂でヒンドゥーの主婦がビーフステーキをテイクアウトで注文するほど、ボンベイはリベラルなのだと感心する。私がゆっくりとステーキ等を食べている間にアルミホイルに包まれたステーキ二人前が主婦に渡されていた。
ぼーっと人々をウォッチングしているのもなかなか楽しいものだ。もちろんインドでは牛を食べられる機会はあまり多くないのだが、地域によっては毎日食べられる。食肉としてはインドでまったく一般的ではない豚肉も同様だ。
ゴアで豚国が多く使用されるのは、言うまでもなく旧宗主国ポルトガルの影響だ。
地元社会の宗教や社会的慣習にはあまり介入しなかった英国(それでも寡夫のサティーの習慣等、彼らの目に人道的な問題と映る事柄については積極的に介入した)と違い、ポルトガルは自らの支配地域内でのヒンドゥー教の信仰を禁じてカトリックへの改宗を強く推し進めるなど、現地社会のポルトガル化を図った面がずいぶん異なる。そんなわけで、旧英領地域に比べてライフスタイルや食事の面で、英国よりもずいぶん大きく深い影響を残したのがポルトガルのゴアといえる。
・・・とはいうものの、インド復帰以降はゴアとその他の土地とで移住等は当然自由であるため、現在カトリック人口は半数にも満たず、ゴア州は現在BJP政権下にある。
今後、時代が下るにつれてポルトガル色は薄くなっていき、同時にヒンドゥーやムスリムの人々の人口流入により、ゴアらしい地域色が薄まっていくであろうことは間違いないだろう。

食後はアプリコットカスタード 店名:New Martin Hotel
所在地:21, Glamour House, Strand Road, Near Strand Cinema, Colaba, Mumbai
電話:022 22029606 -

旧ワトソンホテル

旧ワトソンホテル (現エスプラネードマンション) 
外観からして尋常ではない荒れ具合 マーク・トウェインが逗留したことでも知られる旧ワトソンホテルに入ってみた。植民地期のボンベイを代表するホテルであった歴史があるが、1960年代に廃業し、エスプラネードマンションというオフィスビルに変わっている。
2018年後半、行政当局から入居者たちに対して退去命令が出ている物件だ。理由は危険なまでに老朽化していることだが、まだ退去していない者がたくさんいるようだ。ここに入居しているのは、法律事務所が多い。裁判所が近いという立地が好まれてのことらしい。

入居しているのは法律事務所が多い。 非常に幅広な階段が、なんとなく「ムンバイを代表する元高級ホテル」の面影を感じさせる唯一の部分だ。予備知識なしに踏み込んだとすれば、フロアーが非常に細かく壁で細分化されているため、「ホテルであった」と言われても、そうとはまったくわからないだろう。

唯一、往時は高級ホテルであったことを感じさせる幅広の階段。 本来ならば、1869年に完成したインド最古の鋳鉄構造の「ヘリテージビルディング」として保護されるべき対象らしいのだが、そこは民間資産のためオーナーにその意志がなければ、どうにもならないようだ。
2018年7月の報道によると、ベランダの一部が崩壊して落下し、下に停めていたタクシーが壊れたとのこと。幸いなことに運転手はこのときクルマから離れており、事なきを得たとのこと。
Mumbai: Part of 19th Century Esplanade Mansion collapses, crushes a taxi (scroll.in)
この旧ワトソンホテル華やかなりしころ、パールスィー実業家ジャムセートジー・ターターがタージマハルホテルを創業するきっかけになったという逸話がある。
当時のボンベイ随一の高級ホテルは「ホワイトオンリー」のポリシーをもって運営されており、数々の有名人が宿泊したことでも知られる。
その逸話とは、ジャムセートジーが入館を断られたため、インド人のためのこうした立派なホテルを建てようと決意したというもの。今ではもっともらしく語られるが、これが実話であるかについてはなんとも言えない。当時、ムンバイのパールスィーやユダヤ人上層部は白人社会に軸足を置いていたし、当時の彼は白人社会において有力者でありVIPでもあった。ホテルにそんな実力者の入館を拒む勇気があっただろうか?
もしかすると、インド人の部下たちを引き連れて会合を持とうとしたり、インド人実業家を連れての予約を打診したら「お連れの方々が・・・」と、色よい回答が得られなかったということはあったかもしれない。
あるいは、こういうことかもしれない。イギリス統治下で地場資本が成長し、インド人有力資本家が次々に育つ中、またインド高等文官試験の受験が「ネィティブ」つまりインド人たちにも開放され、白人役人をアゴで使う「インド人高級官僚」がこれまた次々と出てくるといった世相の当時だ。
「白人社会の顧客のみを相手にしていてはもったいない」と、インド人上層部が広がる世相を高級ホテル業参入への好機と捉えたのではないだろうか。パールスィーという人口規模が極めて少ないマイノリティーが率いるターター財閥だが、まさにそれがゆえに「愛国的資本」というイメージを創出することに代々努めている。ジャムセートジーが入館を断れて・・・という、もはや史実のようになってしまっているが、私はこれについてはかなり懐疑的だ。あくまでも私の個人的な意見ではあるのだが。































































