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カテゴリー: life

  • ムスリムの政党

    英領期、独立運動の高まるインドで「インドムスリム連盟」が国民会議派と袂を分かち、印パ分離独立へと導いたが、それとは裏腹に独立後のインドでは、「イスラームを旗印にする政党」はなかった。それほどインドのムスリム社会はリベラルかつ融和的であると言える。ムスリム票の主な行き先は国民会議派及び左派政党。つまり左寄り勢力と相性が良い。

    正確にはまったく存在しなかったわけではないのだが、地下組織ではない合法的な政党として、イスラーム主義を掲げてイスラーム教徒を票田として、国政や州政治を左右する存在はなかった。

    「J&Kにはいくつもあるではないか」と言われるかもしれないが、カシミールにおけるそうした政党はイスラーム主義ではなく、カシミールの民族主義政党だ。中央政界に融和的でカシミールにも地盤を持つ国民会議派などの世俗政党と友党関係にある政党もあれば、中立的な党もあり、はてまたインド共和国からの分離を志向するグループもあるが、いずれもムスリムのカシミーリーであり、80年代後半から90年代にかけて当地を追われたカシミーリー・パンディット(カシミーリー・ヒンドゥー)に同情的ではないとはいえ、彼らは民族主義者である。

    そんな中で、この5、6年ほどの間にちょっと注目すべき存在が浮上している。それはAIMIM(All India Majlis-e-Ittehadul Muslimeen)だ。

    独立後に正式な政党となったイスラーム組織だが、英領時代にハイデラバード藩王国で組織され、藩王国の支配者であるニザームと彼の元での体制に対する翼賛団体Majlis-e-Ittehadul Muslimeen (MIM) を起源とする。

    わずかな議席を得て、国政と州政治(アーンドラプラデーシュ州。州の分離後はテーランガーナー州)の舞台に登場したのは1989年と遅く、ハイデラバードを地盤とする弱小政党であり、影響力も存在感もほとんど無視してよいスケールであった。イスラーム政党というよりも、むしろニザーム体制の名残りからくる地元主義政党のひとつであったとも言えたかもしれない。

    それが2010年代に入るあたりから、強い発信力と一部でカリスマ的な人気をあらわし始めたアサードゥッディーン・オーウェースィーのリーダーシップのもとで、国政選挙や他州の州議会選挙にも積極的に展開するようになっている。

    先の西ベンガル州議会選挙でも、州与党で女傑マムター・バナルジー率いるTMC、TMC追い落としを狙い、党のツートップであるモーディーとアミット・シャーが盛んに現地入りしての闘いで、票が拮抗した場合にはAIMIMがキングメーカーとなるかも?という観測すら一部にはあった。

    来年予定されているUP州議会選挙にも意欲を見せており、今後もそうした拡張路線は続けていくのだろう。

    「イスラーム主義政党」が未来のインド社会に波紋を広げていくことになるのかどうか、それとも従前どおりムスリム票は中道左派及び左派政党へと向かうのか、推移を見守りたい。

    Row in Bihar assembly as AIMIM MLAs refuse to sing vande mataram (THE NEW INDIAN EXPRESS)

  • 現代のタージマハル

    現代のタージマハル

    裕福な人は本当に裕福になった今どきのインド。

    「タージマハルを建てた」というような報道はときどき見られるが、今回は亡くなった奥さんのためにというものではなく、元気にしている配偶者のために建てたといういい話。

    しかも施主のアーナンド・プラカーシュ・チョークスィーさんは、ムスリムではなくヒンドゥー教徒。「平和の象徴、博愛・連帯の象徴、愛の象徴。愛と互助を」と言う彼は、この建物の上にインド国旗を掲げるつもりとのことだ。

    This man from Madhya Pradesh built a replica of Taj Mahal (THE HINDUSTAN TIMES)           

    最愛の妻のためにタージマハル、インド人実業家がレプリカ建設(JIJI.COM)

  • ラヴォー

    パールスィーの甘物、ラヴォーだそうだ。キールみたいだが水分少なくハルワーみたいに仕上げるらしい。

    スイーツでも料理でもそうだが、彼らの先祖の地イラン風のアイテムもあれば、定住したインドから採用したアイテム、そしてイギリスから取り入れたものなど、いろいろあるのが楽しい。イスラーム化が進んだイランからインドに来て定住してインド化、そして植民地体制の中でライフスタイルが西洋化したパールスィーの生き方そのものを象徴しているかのようだ。

    それでいて、外国起源ということで不利な扱いを受けることなく、インドで愛国的かつ模範的なコミュニティーとして認知されているのは、まさに彼らの最初の移民グループとされた一団が彼らを受け入れることになった地の王に対して忠誠を約束した「ミルクと砂糖の誓い」が今なお受け継がれていることを示すかのようでもある。

    Parsi Ravo Recipe | Parsi Style Sooji | Semolina Pudding | How To Make Parsi Style Ravo | Sheera (Youtube)

  • ハビーブガンジ駅の改名

    こちらはMP州。同州の選挙は2023年なので選挙戦とは関係ないようだが、州都ボーパールにある鉄道の「ハビーブガンジ駅」が「ラーニー・カムラーパティ駅」に改名。

    BJP政権下で、ムスリムやイスラーム教関係者に因んだ地名等をサンスクリット起源の名前に置き換えて「純化させる」という事象が頻発しているが、こちらは少し趣が違う。

    先住民のゴンド族の女王に因んでとのこと。同様に先住民族が多い地域では、これまでほとんど顧みられることがなかった「先住民族の英雄」が再評価されて、地名、施設、道路などの名称に使われるという現象が起きている。これらを実施しているのはBJPだけではなく他の政党にも見られる。

    チャッティースガル州、ジャールカンド州などでも見られるものだ。この2州はBjP政権下になく、前者はJMMという先住民族が主導する政党、後者は国民会議派だが、先住民族たちの歓心を呼ぼうという政策の一環。

    Habibganj railway station renamed after Gond queen Rani Kamlapati: MP CM Shivraj Singh Chouhan (INDIA TODAY)

  • サルマーン・クルシード

    国民会議派の重鎮のひとり、世俗派を代表するムスリムの国会議員で、著述家としても広く知られるサルマーン・クルシードのナイニタルにある屋敷が放火される事件が起き、ネットで拡散されたその様子がインドのニュース番組でも取り上げられていた。このようなことが起きた原因は先月リリースされた彼による著作が原因らしい。

    Four arrested for vandalism at Salman Khurshid’s house in Nainital (INDIA TODAY)

    1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件に至るまでの道筋とその後の展開を回想したもので、この事件については立場によっていろいろな捉え方があるが、世俗国家インドからサフラン勢力台頭へと転換した分水嶺のような事件であった。これを境にインドの国是と常識が一転したと言える。それまでのインド中央政界は「中道左派vs左派」の対立軸であったものが、「ヒンドゥー右翼vs中道+左派」に移行してしまったからだ。

    穏健かつ良識ある世俗派のベテラン政治家がこれをどのように総括しているか知りたいので、キンドル版を購入してみることにした。

    書名:Sunrise over Ayodhya Hardcover – 25 October 2021

    著者:Salman Khurshid

    ISBN-10 ‏ : ‎ 0670096148

    ISBN-13 ‏ : ‎ 978-0670096145

  • ミャンマーの元サッカー代表GKがFリーグのY.S.C.C.横浜に入団

    ミャンマーのサッカー代表GKで、試合後に帰国を拒んで日本で難民申請している選手がフットサルのYSCC横浜にプロ契約で入団したとのこと。まだ選手登録はされておらず、サッカーからフットサルへの転向のため格闘中らしい。

    フットサルのゴレイロは、サッカーのGKとかなり違う部分が多く(むしろハンドボールのGKの守備に近い)、サッカーから派生した競技とはいえ、ルール、戦術、ゲーム運びなどかなり異なる。

    また、ゴレイロからのスローから味方のダイレクトボレーでのシュート、相手のパワープレーを阻止してそのまま相手ゴールに蹴り込む「パワープレー返し」のように、攻撃そのものに絡むシーンも多いなど、サッカーのGKにはない役割もある。

    国の代表GKにまでなるほどの人なので、サッカーからフットサルへうまくコンバートして、ピッチで活躍を見せてくれる日が来ることだろう。

    今後の活躍に期待をしたい。

    サッカー元ミャンマー代表が、松井大輔と共にフットサルチームに加入した理由 (YAHOO!ニュース)

  • 刑務所か保釈か

    刑務所か保釈か

    INDIA TODAY  (HINDI) 11月10日号

    インディアトゥデイ11月10日号の特集記事は「刑務所か保釈か」である。

    先のシャールク・カーンの息子、アーリャンがドラッグの関係で先月初めに逮捕され、同月下旬に釈放された件のことかと思いきや、そんな単一の事案に関するものではなかった。

    インドの審判は、とにかく時間がかかることで知られている。2002年にグジャラート州のアクシャルダーム寺院で起きたテロ事件があったが、この関係で逮捕された人たちのうち、2014年になって、ようやく「事件に関与した証拠がない」として釈放された者が複数あったという。12年間もの間、未決囚(被疑者)として塀の中に放り込まれていたのだ。

    インドの刑務所でこうした未決囚(被疑者)が占める割合は69%に上るといい、未決囚(被疑者)のままで10年、20年に過ごして、やはり「証拠不充分」として釈放されるケースはまったく珍しくなくそうだ。中には30数年間、実に40年近く留め置かれた例もあるのだとか。

    ちょっとした実業家や地方語映画のスターなどが半年から複数年拘禁された例も挙げられており、シャールクが息子のために途方もない金額を費やして、ムンバイ随一の弁護士を複数雇ってアーリャンを保釈させたのは、あながち親バカとも言えないらしい。

    いやはや、たいへんだ。

    Bail or jail? (INDIA TODAY)

     

  • 「ディワーリーおめでとう!」とボリス・ジョンソンの目配りと気配

    英国首相ボリス・ジョンソンによるディワーリーのメッセージ。国内に大規模なインド系人口を持つこと、インドとは伝統的な縁と現代においても政治・経済で強い紐帯があることからも、こうしたメッセージの発信は大切だ。もちろんこの動画はインドでも各報道機関使いまわしでたくさん流れたし、SNSでも共有された。

    UK PM Boris Johnson wishes Happy Diwali, Bandi Chhor Divas to everyone around the world (THE ECONOMIC TIMES)

    同様にアメリカのカマラ・ハリス副大統領も、こちらは本人がインド系ということもあるが次のような動画を発信している。

    US VP Kamala Harris extends Diwali greetings to everyone around the world (THE ECONIMIC TIMES)

    アメリカからは前政権時にも当時のトランプ大統領が得意のツイッターで「ディワーリーおめでとう」と発信していたし、大統領時代のオバマ氏もディワーリーのメッセージとして動画を発信していた。

    インドとの繋がりは日が浅い日本とはいえ、私たちにとってインドの経済的な重要度は高くなり、戦略的にも大切なパートナーとなりつつある。もし外務省が入れ知恵して岸田首相がツイッターでもいいから、ディワーリーに関して動画メッセージを配信したら、日本という国に対するかなり良い反響があったことだろう。お金と手間をかけずに得点を稼ぐいいチャンスであったはずだ。

    もちろん在印の大使館、領事館等ではこうした対応や発信はしていることだろうが、自国政権中枢からも相手国に対して「東京からいつも気にかけています」「日本から常に注目してますよ」という意思表示は大切だ。

  • 合掌

    合掌

    ご存知のとおり「ナマステ」のポーズだが、この挨拶の動作は上座部仏教の地域、タイやカンボジアあたりまでは、神々はもとより、世間の人々に対する日常の挨拶に用いられるが、日本においては、寺院参拝以外では、よほど必死に懇願するような場面を除いて、死後の人(葬儀や墓参りなど)に対するものとなる。つまり私たちの観念での「仏さま」に対する専用の挨拶となる。おそらく他の大乗仏教の地域でも同じだろう。この違いは、いったいどこからくるのだろうか。

  • サッスーン家の上海

    上海の外灘のランドマーク、和平飯店北楼(旧サッスーンハウス)、和平飯店南楼(旧パレスホテル)ブロードウェイマンション・・・。

    いずれも租界時代の建物だが、サッスーン商会による建築(現在はサッスーン一族の所有ではない。)もちろん現在の外灘の風景そのものがサッスーン家を筆頭とするバグダードからボンベイに移住して財を成した(当初は東インド会社から払い下げられたアヘン貿易の権利から上がる利益で大きく成長したため「罪を成した」とも言えるが・・・)ユダヤ資本の大量投下あっての大事業。そんなわけで、戦前の上海には「ボンベイの隣街」のような面もあったことになる。

    当時のサッスーン商会は、カルカッタ、ラングーン、香港などでも操業しており、神戸にあるサッスーンハウスもこの一族の所有であったもの。サッスーン家はイギリスでも財閥を成し、現在英国サッスーン家の当主のジェイムス・サッスーンは政界でも活躍し、イギリスの財務大臣まで務めた。

    そんな華やかなサッスーン家の栄光の始まりは、当時の君主との関係悪化によりバグダードを離れることになった商家サッスーン一族の長、デイヴィッド・サッスーンが1830年代初頭にボンベイに上陸したところから始まる。

    デイヴィッド自身が非常に優秀なビジネスマンであったことに加えて、家族からも次々ときら星のように優れた人材を輩出し、家業を拡大させていき、100年も経たないうちにアジアを股にかけるビジネスエンパイアを構築。

    当初は「ユダヤ教を奉じるアラビア人」として、生活スタイルもアラビア半島式であったサッスーン一族は植民地体制下のインドで英国の買弁として頭角をあらわすとともに、迅速に「白人化」していく。このあたりの変り身の早さもさすがだ。

    欧州で代々過ごして歴史を築いてきたユダヤ家系とは異なり、イラク発インド経由の家系というのは、英国のユダヤ系社会の中でもとても異色なものであるはずだが、財の大きさや社会的地位の高さなどから、サッスーン家は英国のユダヤ系家系を代表する存在とさえなっている。

  • ドラゴンフルーツとドリアン

    ドラゴンフルーツとドリアン

    ドラゴンフルーツ。こちらは白玉(中身が真っ赤な「赤玉」もある)だが、安定したあっさり、さっぱり感が心地よい。美味しいかと言えば、味わいはあんまりないように思うが、爽快感があり、食べていて気持ちが良い。濃厚な味わいと陶酔感を呼ぶドリアンの対極にあるように思う。これらが同時に店先に並ぶベトナムは、フルーツ環境としては、ライチーとマンゴーがマーケットにふんだんに供給される雨季入り前の酷暑期のインドに匹敵する幸福感があるに違いない。

    ドリアンといえば、インドでもたしか南西沿岸地域で輸出用作物として栽培が始まるといえ報道を目にしたのはかなり前のこと。その後どうなったのだろう。ゴアでは野生種が自生しているというが、インドでは食べ物と認識されてこなかったのでマーケットに並ぶことはなかった。

    また、スリランカでも山間部にはドリアンが自生だか栽培されているのか知らないが、沿道でイガイガの実を売る姿をチラホラ見かけたことはあるが、町のバーザールでは発見できなかった。南アジアもドリアンが生育できる環境のところがあるが、食文化の中にドリアンが占める位置はない。

    しかしながらタイでもシンガポールでも現地在住のインド系の人たちがドリアンを楽しむ姿があるので、何かきっかけがあれば、定着していく余地はあるかもしれない。

    今はカシミールやヒマーチャルの特産品となっているリンゴにしてみても、地場の固有種ではなく、外来で定着した果物。ドリアンは特有の香りと陶酔感があり、味わいの中に明らかに洋酒が仕込んであると思われる部分、そして卵黄を使っているとしか思えないコクがある。

    これらについて、ヒンドゥーの人たちの中で厳格な人たちが「ピュアル・ヴェジ」と認めるかどうか。そもそも私自身は、この目でドリアン畑を見たことがないので、ドリアンは人工物に違いないという確信めいたものがある。

    熟練のパティシエが卵黄、砂糖、ブランデーなどを使って丹念に創り上げていくのだ。ツナギに何を使っているのかは秘伝で、果実を口にしたときのムラのある繊維感とこれまた微妙な歯触りを出すには長年の経験が必要。だからドリアンは当たり外れが大きいのだ。

    よって、ドリアンは言うまでもなく、「ノン・ヴェジ」だと信じている。

  • インドで再び「改称ラッシュ」か?

    サフラン右翼のBJP政権は地名などの改名が大好きだが、中央政権は「ジム・コルベット国立公園」を「ラームガンガー国立公園」にしようとしているそうだ。

    また同じくBJP政権下のUP州では、来年の州議会選挙での再選を目指す中で、州内のスルターンプルをクシ・バワンプル、アリーガルをハリガル、マインプリーをマヤンナガル、フィローザーバードをチャンドラナガル、アーグラーをアグラーワン、ムザッファルナガルをラクシュミーナガル、ミヤーンガンジをマーヤーガンジへと、怒涛の改名ラッシュを目論んでいるとされる。

    インドにおける地名等の改称が多かったのは独立後しばらくの間であった。これはどの元植民地でも同様だろう。植民地当局により、バローダがワドーダラーに修正されたことに見られるような、本来の呼び名と乖離した「英語名」から「現地名」への回帰、英国支配者たちに因んだストリートの名前がインドの偉人の名前へと付け替えられるなど、主権がイギリスからインドに移行したことを象徴するものであった。

    その後もいろいろな州において、地元の民族主義的傾向が強まった時期に、まるで思い出したかのように、たとえばボンベイがムンバイに改称されたり、ケーララのコーチン、アレッピーなどの英語表記が現地名の綴りと発音へと修正されたりはした。これらもまた、タイミングは大きく外れてはいるものの、植民地時代の残滓の解消と位置づけることはできるだろう。

    だが近年のBJP政権における一連の改称は、こうしたものとは大きく異なり、背景にあるのはマイノリティーの排除のスタンスの「可視化」である。とりわけターゲットとなるのはムスリムのコミュニティーだ。腐敗や世襲などで国民会議派を攻撃するBJPだが、この部分でも彼ら(融和的な姿勢の国民会議派)の違いを明確に出来る。党中央でも地方政治でも、権力が身内で引き継がれることが多い国民会議派に対して、BJPにおいては「その他後進階級」出身のモーディーが頂点に立つことに見られるように、権力は実力のある者が引き継いでいくという公平感もある。

    国民会議派時代には周辺地域と捉えられていた北東辺境地域やラダックなどもその懐に招き入れ、ダリット(かつての不可触階級)なども、その庇護化に招き入れ、広範囲な支持を得たうえでの統合と発展を目指す姿勢があるとはいえ、その連帯・調和志向の裏側には人口の1割を超えるムスリムに対する一貫した不信感と冷淡さがある。また、こうした改称が各地の選挙時期に入る少し前に行われるもいうのも当然、有権者の投票行動を意識してのものだ。

    インドにおけるこうした地名改称は、日本において市町村合併で「南アルプス市」となったり、「大字新田」が新興住宅地開発により「希望が丘」となったりするような、無味無臭のものではなく、明らかにアザーンの呼びかけを寺院の鐘の音に、お供えのバラの花弁をマリーゴールドに(インド起源の仏教の供花がキクであるように、ルーツのインドにおけるヒンドゥー寺院での供花も同じくキク科)置き換えたいという意思を現すものだ。

    こういうことがあるたびに常々思うのだが、将来いつしかデリーが「インドラプラスタ」に改称されるような気がしてならない。言うまでもなく、神話のマハーバーラタに出てくる都、今のデリーのプラーナーキラーあたりを中心に広がっていたとされる伝説の都の名前だ。

    Jim Corbett National Park may be renamed as Ramganga National Park (India Today)