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  • うつむき加減で携帯電話

    近ごろどこの国でも、人々が手元に目をやってチクチクと何やらいじっている姿を常に目にする。彼らが手にしているのは携帯電話で、自分もそうした風景に出てくる中のひとりである。
    単にスケジュールを確認していたり、メールの送受信やネットの情報を閲覧しているだけなので、手帳を広げていたり、読書をしているのとあまり変わらないはずなのに、なぜか視覚的には内向きの印象を与える。
    そんな携帯電話だが、インド北東部のミゾラム州でも広く普及しており、人口の半数以上が所有しているとの記事を目にした。
    Remote state in vanguard of Indian mobile phone craze (BBC NEWS South Asia)
    同記事によれば、中国と並びインドは世界でただふたつ『5億人を越える』携帯電話契約数を記録(5億人超の人口を持つ国自体がこの2か国のみ)している国であるとのことだ。
    なぜミゾラム州の携帯電話契約数が取り上げられているのかといえば、つまるところ『見るべき産業はほとんどなく、政府やその関連機関が最大の雇用を創出している北東州の一角が携帯電話普及のホットな市場である』といったところのようだ。
    多くの途上国に共通することだが、携帯電話所有者急増の背景には、それ以前の時代に固定電話の普及が遅れていたということがあるが、加えて従前は世界の多くの国々で電話通信の分野は往々にして政府や政府系機関が掌握しており、あまり大きな変化のない『静かな市場』であったものが、この分野の民営化により他の多くの企業の参入により『競争の激しいダイナミックな市場』へと変わったことによる影響も大きい。
    同記事では、ミゾラム州はインドで最も高い95%以上の識字率を誇り、人口の大部分を占めるクリスチャンの人々のほとんどは英語を理解するとも書かれている。識字率については、何のデータを根拠にしているのかよくわからない。
    もっとも最近に実施された国勢調査(2001年)の結果によると、ミゾラム州の識字率は89.0%でケララ州の91.0%に次ぐものであると理解されているはずだが、その後9年間でこれを超えるレベルに達したということなのだろうか。これが事実ならば2000年代において、すでに高い識字率を更に6%も引き上げたことになり、同州の教育分野における快挙といえる。
    ミゾラムをはじめとするナガランド、メガーラヤ、アッサム、アルナーチャル・プラデーシュ、トリプラー、マニプルといった北東7州ならびにそれらの西方向にあるスィッキム州は、アッサムで採掘される石油、スィッキムの観光業といった分野を除けば特に目立った産業はなく、インド国内でも『主流』から大きく外れた地域であるがゆえに、国内の他の地域からの投資や資本の移転も少ない。
    また州により程度や事情は違うものの、スィッキムやアルナーチャル・プラデーシュのようにインドによる主権を認めない中国が領有権を主張していたり、アッサムやナガランドのように反政府勢力による騒擾が続いていたりする地域もある。
    そうした背景から、例えとしては適切ではないかもしれないが、それ以外の州を『親藩』とすれば、これらの地域は『外様』的なエリアであることから、インド政府は民心を繋ぎ留めるために努力しているようである。そのため産業面では大きく遅れをとっていても、初等・中等教育や地域医療の分野などでは、全国レベルで比較してひどく低水準に甘んじているわけではない。
    ちょうど冷戦時代の西ヨーロッパで、とりわけ東側ブロックに隣接していた地域で国民の福利厚生の分野が高いレベルで実現されたのと似た現象であるといえるだろうか。
    話は識字率に戻るが、そうした北東地域の中でミゾラム州の89%(2001年国勢調査)という水準は、この地域で2番目にあるトリプラー州が73パーセントであるのを除けば、どこも60パーセント台であることを踏まえれば、ずいぶん突出した数字であることがわかる。参考までに識字率の州別ランキングはこちらである。
    ミゾラム州といえば、ミャンマーとバーングラーデーシュという隣国、どちらも低開発途上国とされる国々と隣接するところに位置している。同時に地理的には今後結びつきをいっそう密にすることであろう南アジアと東南アジアというふたつの世界を繋ぐべき位置にある。
    ミャンマーもバーングラーデーシュも現状では経済的に非常に低水準にある。だがかつてのインドもそうであったように、スタート地点が低いということは、条件が揃い成長の歯車が回りだした場合の伸びしろもまた大きいということにもなる。
    まだまだ内政的に困難な部分、ふたつの隣国との外交面においても難しい事柄は多いが、『本土から回廊状に張り出した陸の孤島』のようになっている北東地域の開発や発展を目指すうえで、これらの国々との関係の強化以外考えにくい。そうした中で、とりわけミゾラム州は地理的にも識字率の高さから推測される潜在的な可能性は大きい。
    また携帯電話に代表される個人の通信手段の普及が地元社会や政治シーンに与える影響も無視できないだろう。
    携帯電話は仕事の上でも生活の中でも、私たちにとって必要不可欠な通信手段となっている。社会の隅々まで浸透しているがゆえに、近年はどこの国でも、騒擾やテロ事件等の発生の際、指導層から実行者たちへ、また実行者たちの間でも携帯電話というツールを通じての連絡や通達等が頻繁になされるようにもなっている。
    インドから東に目を移すと、タイの首都バンコクで続いているタークシン元首相を支持する赤シャツを着た『反独裁民主統一戦線(UDD)』の行動に関するニュースを各メディアで目にする。
    指導層の指揮下に統率の取れた(抗議活動そのもののありかたについての道義的な面は別として)デモ活動を展開していることの背景には、農村部を中心とするタークシン派の支持基盤が強固であることや豊富な資金力などがあるとはいえ、これだけ多くの人々を長期間に渡って動員して意のままに操るには、多くの人々が自前の携帯電話等を所持して通話やSMSの送受信などが可能であるという『通信インフラ』が不可欠であることは言うまでもない。
    世界は確実に小さくなってきているとはよく言われるところだが、このところの通信手段の発達はそれに拍車をかけているようだ。これまで連絡を取るといえば肉声の届く範囲の人々と話すか、ときどき電話屋に出かけて遠くに住む友人や身内と会話する程度であったものが、ここ十数年で自前の携帯電話でひっきりなしにいろんな人たちと話したりメッセージを送りあったりするのが当たり前になった。
    各世帯でのパソコンの普及率はまださほどではないにしても、ネットカフェでウェブを閲覧したり、メールのやりとりをしたりするのは日常的なことなので、一定の年齢層の人々、ようやくパソコンを扱うことができるようになった年頃の人たちから、なんとかそれに対応できる年配者まで、多くの人々がヤフーなりグーグルなりのアカウントを持っている。
    そうした中で、民族や国境が入り組んだインド北東部の北東州を含めた地域、同時に南アジアと東南アジアの境目にあるエリアでもあるわけだが、伝統的な民族意識、地元意識、仲間意識、市民意識といったものに与える影響もあるはず。
    異なるコミュニティや地域の住む人々の意識をまとめあげることができるような、強いリーダーシップを持つリーダーが登場するようなことがあれば、従来ならばあり得なかった形での連帯も可能になる。
    ここ5年、10年でどうということはなくても、遠い将来には州境や国境等、複雑に構成された『境』で分けられた行政による非効率や不公平等などに対して、民族や国家の枠を超えて、これまでとは違った視点から、地域の再編を求めて声を上げる例も出てくる、といったことも考えられなくはない。
    うつむき加減で携帯電話を操作しながらも、人々が頭の中で思っているのは日常のことばかりではないような気がする。

  • 犬は苦手

    昔から犬はあまり好きでない。飼い主にじゃれ付いている姿を見かけると『あぁ、可愛いな』とは思うし、また盲導犬のように一生懸命尽くしている姿を目にすると『えらいもんだなぁ』と感心したりするのだが。
    猫と犬の遠い祖先は共通なのだとか。それにしても素っ気無い猫に較べて、良くも悪くも犬は他者に干渉する。街を歩いていて、牛やヤギがわざわざ構ってくることはないが、犬の場合は、しばしば『うるさいっ、放っておいてくれ!』と怒鳴りたくなることもある。
    こちらは向こうに対して何の興味もないにもかかわらず、彼らは自分たちのエリアに入ってくるよそ者に対してけっこう敏感。昼間ならともかく、夜道をトボトボ歩いているとき、こちらの進行方向から複数の犬たちがワンワン吠えて近づいてくると、ちょっとした緊迫感。特に細い路地などでは、ちょっと勘弁してもらいたい。
    インドの話ではないので恐縮ながら、こんな猛犬の映像があった。
    犬がパトカーを「襲撃」バンパーを噛み切る (A.P.)
    場所はアメリカ。パトカーのバンパーに噛み付いてバリバリと大きく壊してしまう野犬の姿。石つぶてを投げたくらいでは怯まないことだろう。
    こんな『蛮犬』に遭遇したくはない。

  • グローバル化は善なのか?

    だいぶ前に『グジャラート州 酒類解禁への道』と題して、グジャラート州でアルコール解禁の動きがあることについて触れてみたが、その3年後も相変わらず禁酒州であるという事情は変わらない。
    そんなわけで、他州ではバーザールに普通にある酒屋は見当たらず、私たち外国人はパーミットを得て特定のホテルで購入することはできるようにはなっている。しかしグジャラートに居住しているのならばともかく、休暇で訪れているときくらいは、大切な肝臓に休暇を取ってもらうのもいいかもしれない。
    だがアルコール類は適度に供給されている軍関係者からの横流しはともかくとして、この禁酒州が絶海の孤島にあるわけではなく、普通に酒類が販売されている隣接州と地続きであることからも、闇酒事情は相変わらずらしい。
    新聞を広げていると、州内各地で取り締まりの憂き目に遭い、逮捕されたうえに大事な品物を没収された人たちの関係の記事が毎日出ている。こうした記事になるのは、個人が自己消費のために持ち込むといった程度ではないので、相当大掛かりな『密輸組織』が背景にあることが覗える。
    実際、クリスマスや新年といったパーティー等を開く口実の多い時期には、自宅やホテルなどで半ばおおっぴらに飲む人々が少なくないこと、そうした酒類の流通が闇に潜ってしまうことから、行政から見れば事実上『免税』に等しい状態(政税収をもたらさないという意味で)で、結果的にマフィアの収益になっていること、また外資の誘致はもちろん外国からの観光客へのアピールにも障害になる(?)という意見がある。
    これに対して、保守系の新聞では、飲酒という行為は様々な犯罪の引き金になる、健康にも悪い、ガーンディーの生誕地としての誇りとともに、禁酒という我々の財産を次代に引き継ぐべきだという論調があるようだが、精神論に偏りすぎており、説得力に欠けるようだ。
    ところで、外資の誘致に際しての障害としては、つい先日こんな事例があった。
    Chinese engineer held for smuggling liquor in Kutch (newkerala.com)
    上記で引用したのは、地元グジャラート紙系のウェブサイトではなく、ケーララ州のメディアによるものである。記事中にあるように、現地で働く中国人労働者のためのものということだ。中国人による密輸という事例よりも、むしろ同州で中国人たちによって発電所建設が進められているということ自体が、私にとっては意外な事実であった。
    確かに近年のインドでは、日用雑貨や玩具類など、中国製品が大量に出回っているし、中国大陸から企業や個人などがビジネス機会を求めてやってくる例は少なくないのだが、インドでこうした大掛かりな工事等を受注した中国企業が他にもあるのか、機会があれば調べてみたいと思う。
    別の中国人の酒密輸事件がグジャラートの禁酒解除につながるとは思わないし、飲酒の是非について云々するつもりはないが、いわゆるグローバル化とやらが進む中、人々のライフスタイルは当然のごとく変化していくとともに、周辺地域や外国とのバランス等についても、これまで以上に考慮される必要が出てくる。そのため地域が独自のカラーを維持していくことについては、内部的にも対外的にもそう簡単ではなくなってきていることは確かなようだ。
    グローバル化の進展とともに、地域や国境を越えた相互依存が深まるにつれて、内と外の境がだんだんボケていくことから、『ウチらのことはウチで決める』ということがなかなか難しくなってきていることは、世界共通の現象だ。そうした動きの中で、地域の伝統にしても文化にしても、他と競合したり吸収されたりといった流れが出てくる。
    そのひとつの例が言語だ。現在、世界では6,000あまりの言語が存在しているものの、世界人口の約半分は、わずか10ほどの大言語を使用していのだとか。いっぽう、この6,000あまりの異なる言語の中の四割前後が、どのくらいの話者人口を持っているかといえば、悲しいことに千人以下であるという。
    あまりに話者人口の規模が小さなものであると、それを通じて教育を受けたり、生活を営んだりすることさえままない。すると言語を次世代が受け継ぐことも困難で、結果として周囲のより有力な言語に乗り換えてしまうことになったり、あるいは近隣にあるより話者人口が大きく、かつ有力な言語の方言という位置づけになっていったりといったプロセスが控えている。
    そんなわけで、現在世界で話されている言語のうちの半数ほどは、私たちの世代あるいは次の世代あたりで、およそ半数ほどが姿を消すとさえ言われているのだが、言語に限らずグローバル化の進展を背景に、失われようとしている私たちの貴重な財産は他にもいろいろあるように思う。
    世界がひとつになること、みんなが一緒になることは、諸手を挙げて『良いことだ』と言えるのか、常々疑問に思うところなのである。

  • ムンバイー タクシー業界仰天

    拾ったタクシーの運転手がたまたまお喋りな人で『あなたどこの人?』と尋ねてくる。『Tokyoだ』と答えると、『トゥルキー(トルコ)の人かい。てっきり日本人かと思ったよ』などと言っているが、またどこかで会う人ではないので、こちらは特に否定しない。

    『あなたの田舎はどこだい?』と振ってみると、『ラクナウーの近く』との返事。『ラクナウーからどちらの方向かい?』『ゴーラクプルのほうに120キロくらいかなぁ』『じゃあファイザーバードのあたりだな』『おぉ、まさにそこさ!よく知ってるねぇ』なんていう話になった。

    かれこれムンバイーで運転手家業を始めて16年になること、数ヶ月前に数年ぶりに帰郷してみて楽しかったこと、ごくたまにしか会うことのできない子供たちが、父親不在でもしっかりと成長して、特に長男が学校で親の期待以上に頑張って良い成績を上げていることなど、いろいろ話してくれた。

    こうした人に限らず、ムンバイーのタクシーを運転しているのは、たいていU.P.かビハールの出身者たちだ。郷里に家族を置いて、懸命に稼いでは送金している人が多い。家は遠く離れているし、そう実入りのいい仕事ともいえないが、家族はそれをアテにして暮らしているため、一緒に生活したくてもそうしょっちゅう帰ることもできない。

    このほど地元マハーラーシュトラ政府は、そんなタクシー運転手たちが仰天する発表を行なった。
    Maharashtra Govt. makes Marathi mandatory to get taxi permits (NEWSTRACK india)
    その内容とは『マハーラーシュトラに15年以上居住』『マラーティーの会話と読み書き』が必須条件になるとのこと。

    ヒンディーと近縁の関係にあるマラーティーを覚えることはヒンディー語圏の人たちには決して難しいことではない。ヒンディーと歴史的な兄弟関係にあるウルドゥー語を話すアジマール・カサーブ、2008年11月26日にこの街で起きた大規模なテロ事件犯人で唯一生け捕りとなり、現在ムンバイーの留置所に収監されている彼でさえも、周囲の人たちとの会話を通じ、すでに相当程度のマラーティーの語学力を身に付けていることは広く知られているとおりだ。

    ムンバイーのタクシー・ユニオンも『運転手たちはヒンディーに加えて、多くの者はマラーティーだって理解するし、英語の知識のある者だって少なくない。何を今さらそんなことを言い出すのか』と、即座にこれを非難する声明を出している。

    もっとも『マラーティー語学力を義務付ける』という動きはこれが初めてではなく、1995年の州議会選挙で、それまで国民会議派の確固たる地盤であったマハーラーシュトラ州に、マラーター民族主義政党のシヴ・セーナーが、BJPと手を組んで過半数を獲得することによって風穴を開けたときにも同様の主張がなされていたことがあった。

    そもそも義務としての『マラーティー語学力』それ以前の1989年から営業許可の条件のひとつにはなっていたようである。それが今回、これを厳格化するとともに、最低15年以上の州内での居住歴を加えて、州外からの運転手の数を制限し、地元の雇用を増やそうという動きである。タクシー運転手家業の大半が州外出身者で占められているのは、そもそも地元州民でその仕事をやりたがる人が少ないことの裏返しでもあるのだが。

    先述の90年代から伸張したシヴ・セーナーは、幹部のナーラーヤン・ラーネーが脱党して国民会議派に移籍、党創設者であるバール・タークレーの甥であるラージ・タークレーがこれまた脱退して新たな政党MNS(マハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー)という、本家シヴ・セーナーとはやや路線の違う地域民族主義政党を立ち上げた。

    そのため総体としての地域至上主義は、やや影が薄くなった感は否めないものの、このふたつの政党は、やはり今でも一定の存在感を示しているがゆえに、やはり今でもコングレスは安定感を欠く、というのが現状である。

    そうしたシヴ・セーナー/MNSの土俵に自ら乗り込み、ライバルの支持層を切り崩し、自らのより強固な基盤を築こうというのが、今回のタクシー運転手の語学力や在住歴に関しての動きということになるようだが、当然の如く、運転手たちの多くの出身地である北部州の政治家等からもこれを非難する声が上がっている。

    州首相アショーク・チャウハーンにとっては、そうした反応はすでに織り込み済みのようで、既存の営業許可に影響はなく、新規の給付についてのものであると発言するとともに、将来的にはタクシー車両へのAC、GPS、無線機器、電子メーターと領収書印刷装置等の搭載を義務付けることを示唆するなど、議論をすりかえるための隠し玉はいくつか用意しているようだ。

    これまでことあるごとに地域主義政党のターゲットとなってきた北部州出身タクシー運転手たちだが、それと対極にある国民会議派は彼らの力強い味方であるはずであったため、今回の動きについては、まさに『裏切られた』と感じていることだろう。

    たまたま街中で目立つ存在であるがゆえにスケープゴートになってしまうのだが、タクシー運転手に限らず、ムンバイーをはじめとするマハーラーシュトラ州内に居住する他州出身者は多い。現在同州与党の座にあるコングレスにとって、これまで地域主義政党が手にしてきた、いわゆる『マラーティー・カード』を自ら引いてしまうことは、かなり危険な賭けであることは間違いない。

    この『タクシー問題』が、今後どういう展開を見せていくことになるのか、かなり興味深いものがある。

    ※『ダーラーヴィー?』は、後日掲載します。

  • MERU TAXI

    ムンバイーで、MERU TAXIを利用してみた。
    これまでのインドのタクシーとはずいぶん違ったモダンなサービスを提供する会社との評判で、3年ほど前に創業。現在、本社のあるムンバイー以外では、ハイデラーバード、デリー、バンガロールで操業している。
    たまに市内で走行しているものの、今なお黒と黄のツートーンのタクシーが大勢を占める大海中の一滴にしか過ぎないマイノリティなので、必要なときに巡り会う機会はそうそうない。ちょうど空港に向かう用事があったので予約してみることにした。
    電話が繋がると『よう、何だ?』とぶっきらぼうなオジサンの声が聞こえてくるのではなく、女性の声による丁寧な自動音声ガイダンスが流れ、これまた礼儀正しい担当オペレーターに繋がるのにびっくりする。
    コールセンターの案内嬢に、私の氏名、予約したい時間、出発場所、電話番号等を伝えれば完了だ。出発30分前に携帯電話にSMSでクルマのナンバー、運転手氏名と本人の携帯電話番号が届くということだ。
    予約時間の30分前きっかりに、私の携帯電話にメッセージが届くとともに、ほぼ同時に運転手からも確認の電話が入った。
    到着したタクシーは、マヒンドラー社のローガンという車種。タイのバンコクで走っているタクシー想像していただきたい。日本でいえばカローラくらいのサイズだ。エアコンも効いており、クルマの内外ともに、けっこうキレイにしている。運転席横には、液晶モニターがあり、さきほど私が伝えた名前、出発地と時刻等が表示されていた。
    運転手は他の多くのムンバイーのタクシー運転手同様、北インドから来ている男性であった。パリッとした白い制服のシャツを着用している。ヒンディー語しか解さないが、言葉遣いや態度もとても丁寧。もちろん運転も同様にジェントルであった。
    料金システムは、ムンバイーの場合は、最初の1キロが20ルピーで、以降1キロごとに14ルピーである。インドでは、タクシーもオートも地域によって料金システムが異なる。このMERU TAXIが現在操業している他の三都市(ハイデラーバード、デリー、バンガロール)での料金形態については、同社ウェブサイトに示されているのでご参照願いたい。
    MERU TAXIの車両の動向は、GPSでモニターされていることから、遠回りされたりすることはないということになっているそうだ。特に女性が夜間利用する場合などにも良いのではないかと思う。
    タクシーが目的地である空港に着いた。料金を支払うと、運転席にある装置からプリントアウトされた領収書が手渡される。
    降りてしばらくすると、携帯電話に新しいSMSが着信。何かと思って開いてみると、MERU TAXI発のもので、利用してみた感想を記号で返信してくれというものであった。最大の評価で送信しておいた。
    タクシーを利用するのは、ある程度余裕のある人たちであるとしても、その中でもこれまでのタクシーのありかたにはいろいろ不満のあった人も多いはずだ。鉄道がそうであるように、長距離バスもそうであるように、タクシーにもちょっとラグジュアリーなクラスのものが欲しいと。こうした従来のものと差別化した手法によるサービスは、特に可処分所得の高い人たちの数が多い都市では相当な需要が見込めるであろう。
    この会社では、コールセンターの受付嬢のみならず、肝心のドライバーたち自身にも、ちゃんとした社内教育を施しているようだ。ハンドルを握る彼ら自身にとっても、乗客を目的地まで快適かつ安全に運ぶプロの運転手としてのスキルを得てキャリアを積む良い機会でもあることだろう。
    もちろん彼らは会社のシステムと車両に搭載されている独自の機器により、常に所属する会社から監視されているという意識もあるだろうが、これは利用者にとって都合の良いことでもある。運転手側にしてみても、こうしたシステムにより、従来よりも高い信頼を得ることができ、顧客が増えることにより彼ら自身の増収にも繋がることだろう。
    これまでのスタンダードとは異なる、いわば『規格外』のサービスが他の大都市にもどんどん広まっていくことを期待したい。
    この会社は、そのサービスの点以外で、タクシー業者のありかたとしても、これまでのものと大きく異なる部分がある。通常、タクシーといえば、オートリクシャーと同じく、ドライバーたちは、ユニオンに加盟するオーナーたちが所有する車両を運転しているわけである。
    個々のオーナーたちを事業主とする零細会社と言うべきか、あるいはオーナーたちからクルマを借りて運転しているドライバー自身を、ちょうど日本の宅配便運転手たちのような個人事業主と表現すべきなのかはともかく、一般的に大資本を投じて運営する日本の『日の丸タクシー』のような業態のものではなかった。
    組織立った形態であるがゆえに、お客に対してはサービスの向上と均質化、社内ではノウハウの共有と労務管理の徹底が図りやすいという利点がある。また『どこの誰のクルマであるか』がはっきりしていることから、利用者側の安心感も大きいはず。
    そんなわけで、都市部では今後、タクシー業界の再編とでもいうべき、新たなうねりの予感がする。MERU TAXIの走行地域の広がりを見て、同様のサービスを提供しようと参入する新会社が今後続くのではないかと思うのである。
    一昨日、Premier Padminiのある風景にて、現在ムンバイーを走るタクシーの圧倒的主流を占めるパドミニーが、今後次第に姿を消していくことについて触れたが、それと反比例する形でこうした新手のサービスが台頭してくるであろうことは言うまでもない。
    今後何年もかかって新旧のタクシーの移り変わっていくわけだが、それは単に車種が新しいものに入れ替わることに留まるものではなく、タクシー業界のありかた自体が大きく変わるのではないかと予想している。

  • Premier Padminiのある風景

    ムンバイーのタクシーといえば、黒と黄色に塗り分けられたプリミアー自動車生産したプリミアー・パドミニーである。イタリアのフィアット社のFiat 1100をインドで現地生産したモデルだ。本国では1962年から1966年まで生産されていた。
    昔々に設計されたクルマらしく、クロームメッキの大きなフロントグリルが雄々しくてマッチョな面構えだ。前後ともにツンと鋭角的に切り立ったフォルム、後部サイドフェンダーの張り出には、今の時代のクルマにはない強烈な個性が感じられる。イタリアのデザインらしいアクセントの効いた、都会の景色がよく似合うクルマだ。
    黄色い天井以外は深みのあるブラックでまとめられた精悍な車影は、ゴシック、ヴィクトリアン、アールデコ、果てまたインド・サラセンといった様々な様式の重厚な建築物が林立するムンバイーの街角によく似合う。
    クラシカルな建物の都会風景にマッチするクルマである
    インドにおいてこのクルマの生産は1964年に開始されている。今から半世紀近く前に設計されたクルマではあるが、愛好家が丹念に磨き上げて週末に郊外に遠出してツーリングを楽しむといった具合に丁重に扱われるのではなく、現役のヘヴィー・デューティーな営業車としてバリバリ活躍しているのがカッコいい。
    もっともムンバイーのタクシー界を支配してきたパドミニーは、やがて道路から姿を消す運命にある。というのは、すでにこのクルマの生産は、2000年を持って終了しているためだ。フィアット1100D=プリミアー・パドミニーという単一車種で、イタリアでの発売時から数えて38年間もの長き渡り生産されてきた世にも稀な長寿モデルであった。
    ムンバイーに限ったことではないが、電子化される前のいかつい金属製のアナログ式料金メーターもまた見事にクラシックである。こうしたメーターが導入されたのがいつの時代であったのかはよく知らないのだが、おそらくその当時の金額をゆったりと刻んでいく。
    メーターに示される数字をもとに、現在適用されている料金を導き出す換算表を運転手たちは持っている。そこに示されているとおり、このタイプのメーターが使われ始めたころ、ルピーの価値は今の14倍前後あったということなのだろう。
    タクシー料金換算表
    今のところはムンバイーの道路を走るタクシーの大勢を占めているのは黄・黒に塗られたパドミニーで、まだまだ意気盛んな印象を受けるものの、スズキのヴァンのタクシー、青色のAC付きのものなど、複数のタイプが走るようになっている。
    年月の経過とともに、このパドミニーの占める割合は漸減していき、10年、15年もすれば、『こんなクルマ、あったよねぇ!』と古い写真で、昔の街角の中にあったタクシーの姿として未来の人々が思い出すようになるのだろうか。
    2001年以降、生産されていないクルマであるがゆえ、目下ムンバイー市内でごく当たり前にどこにでも見られる『パドミニーのある風景』だが、現在走行している車両たちの寿命が尽きるまでの眺めなのである。

  • NIAの海外旅行保険

    日本発の海外旅行保険を扱う保険会社は、AIU、三井住友海上、ジェイアイ傷害火災、損保ジャパン等々いろいろある。
    同様に日本で営業するインド系の保険会社でも扱っていることはかねてより耳にしており、だいぶ前に『ニッポンで稼ぐインド国営会社』で取り上げたことがあるが、先日初めて同社の海外旅行保険のパンフレットを手にして眺める機会があった。ちなみに、これはウェブサイトからも閲覧することができる。
    海外旅行総合保険 (ニューインディア保険会社)
    インド最大の保険会社であり、ムンバイーに本社を置く国営のNIA (The New India Assurance Company Limited)の日本支社、ニューインディア保険会社の商品だ。
    私自身、ニューインディア保険会社はまったく利用したことがない。身の回りでこの会社の保険商品を利用したという人もいないため、その評判を耳にしたことはないが、どんな具合なのだろうか?

  • NyayaBhoomiのオートリクシャー

    以前、オートリクシャー・スター・クラブ? デリーの路上の星たちならびにオートリクシャー・スター・クラブ? 頑張る路上の星たちで『オートリクシャー・スター・クラブ』を取り上げてみた。
    Autorickshaw Star Clubとは、NyayaBhoomiというNGOによるオートリクシャーのサービスの改善を目指す試みで、乗客の利益、運転手の待遇改善と生活向上、業界の社会的なステイタス向上などを目指しての社会的運動といえる。
    具体的には、適正運賃、つまり乗客に吹っかけるのでもなく、オートリクシャー営業のコストに見合わない安すぎる料金でもなく、走行距離に従って双方にとって合理的な金額を適用、運転手の身元や走行地点が逐一明らかになるとともに、乗客側についても車載カメラでモニターすることにより、両者ともに安心して走行できること、適正な営業とサービスの向上により、業界そのものの認知度を高めて、社会的な立場や発言力を高めることなどを企図している。
    通常は経済力の向上とともに交通機関も近代化し、オート三輪タクシーは消え行く運命にあるのが世の常ではある。だがインドにおいてはまだその兆候もないが、変わりゆく世の中で、来年開催を控えているコモンウェルス大会に合わせてということではないが、首都のタクシーやオートリクシャー、とりわけ主要駅や繁華街近辺などで客待ちしている運転手たちの態度や仕事ぶりについては、なんとかして向上すべきだと思う。
    以下、NyayaBhoomiのウェブサイトにも掲載されている彼らの取り組みを紹介するビデオである。

    以下、ビデオの内容の要約である。
    鉄道でチェンナイから上京してきた男性ムットウーが、駅舎を出てからオートリクシャーをつかまえようとする。コテコテのタミル訛りのヒンディーで運転手に話しかけると、ずいぶん高いことを言われて往生する場面から始まる。運転手とトラブルになった後、声をかけてきたオートリクシャー・スター・クラブの運転手からデリーのオートリクシャー業界の抱える基本的な問題点を彼に説明する。
    時はかわって2010年。デリー市内在住の姉のところに滞在中の男性は、用事先までのバスについて尋ねると『オートリクシャーで行けばいいのに・・・』と言われる。デリーのオートは嫌なのだと答えると『今はずいぶん事情が変わった』と告げられる。ムットゥーは再びオートリクシャーに乗ってみることにする。
    電話連絡してから、ほどなくやってきたオートリクシャーを運転するのは、かつてデリーの駅前で吹っかけてきた相手。しかし今ではすっかりマジメなドライバーになっている。オートリクシャーにはGPSシステムによる自動運賃計算、走行位置や車載カメラによる乗客の様子などは逐一警察にモニターされており、料金は適正、女性一人での利用も安心。料金は、現金以外にクレジットカード、デリー・トラベル・スマートカード等でも支払うことができる。
    かつては休日なしでコキ使われていた運転手も、今では定期的に休日が与えられ、家族との時間を大切にできるようになった。運転手自身の生命保険、その家族の健康保険等の福利厚生も導入された。運賃は、かつての2割増になっているが、それでも乗客たちはとても満足。車両に貼りだされた広告収入もあり、運転手は収入増で生活も安定・・・といった近未来のオートリクシャーの描写。

    なかなか面白い内容だったので、せひ皆さんにもご覧いただきたいのだが、ビデオで使用されているヒンディー語がわからない人には理解できないと思うので、NyayaBhoomiに英語版のビデオは作成していないのか夜半に質問をメールで送信してみると、なんと早朝には回答が届いていた。
    残念なことにビデオはヒンディー語によるもののみで、英語版は特に製作していないとのこと。ただし非ヒンディー語話者に対するアピールの必要性は認識しているとのことで、英文字幕入りのものを作ることを予定しているとのことである。
    NyayaBhoomiの担当者から届いたメールには、2ヵ月以内に『Radio Auto』のサービスを開始するとも書かれていた。おそらく上記のビデオにあるような近未来的なシステムを装備したオートが登場するのではないだろうか。
    こうした試みがスムースに浸透していくのかといえば、そうではないだろう。例え利用者たちは歓迎しても、大多数を占める従来のオートリクシャー運転手や組合等にとって、自分たちの商慣習を否定する彼らの存在は疎ましいだろう。
    デリーのオートリクシャー業界の新参者であるオートリクシャー・スタークラブの運転者たちは、路上で様々な嫌がらせを受けるかもしれないし、これを運営する団体NyayaBhoomi自体も、すでに同業者や関係者たちから妨害を受けているのかもしれない。
    変な言い方かもしれないが、現状のレベルが低いがゆえに、ちょっと努力すればその『伸びシロ』はとても大きなものであるはず。前途に待ち構えているであろう、いくつもの困難を乗り越えて、着実に歩みを前へ前へと進めて欲しいものである。
    同様に、彼らの取り組みが首都デリーのみならず、将来的には広く全国に波及していくことを願いたい。

  • 人はいくつまで生きるのか?

    ムンバイーといえば、垢抜けた都会的なイメージと、湾岸諸国や西洋に大きく開けた玄関口という印象がある。また世界各国から先進医療を、往々にして自国よりも低コストで受けるために人々を引き寄せるメディカルツーリズムの都ということからも、レベルはピンキリでも、医療へのアクセスが容易そうであることから、人々は割合長生きなのではないかと思っていた。
    ところが以下のリンク先の記事を見ると、どうやらそうではないようだ。
    Maximum city, minimum life — Mumbaikars dying young (msn News)
    ムンバイーの男性の平均寿命が 52.6 歳、女性が58.1歳で、インド全国平均の 63.7歳に較べてずいぶん見劣りがするとのことだ。またマハーラーシュトラ州の平均と較べてみても12年ほど短いとのこと。
    スラムに暮らす人々の生活条件が厳しく早くして亡くなる人が少なくないことが、全体の数値を下げてしまうということもあるようだが、経済的にゆとりのある層にいたっても、日々のストレス、運動不足、栄養過多な食生活等、いろいろ問題があるのだそうだ。
    ところで、広大なインドの人々はいくつまで生きるのか?と問うのはナンセンスだろう。個々の経済水準、生活習慣、職業等によって大きく異なってくるのはどこの国も同じだ。だが大まかな傾向をつかむことは、それなりに意味のあることではないかと思う。
    データは1995から1999年のものとのことでやや古く、チャッティースガル、ジャールカンド、ウッタラーカンドといった州が成立する前のものではあるが、インド各地の平均寿命は以下のようになっている。
    20091130-lifeexpec.jpg
    先ほどの記事中のムンバイー市とこれを州都とするマハーラーシュトラ州の平均寿命に大きな乖離があったように、これらの州でも地域差は大きいのではないかと思う。過密な都市部とそれ以外といった条件以外にも、ヒマーチャル・プラデーシュ州や西ベンガル州のように、州内で地理的・気候的条件に差異が大きなところも数値はかなり異なることだろう。
    この表の中では、ケーララ州の男女ともに平均寿命が70歳を超えていることは特筆すべきだろう。突出して高い識字率とともに、平均して良好な生活水準であることがうかがえる。
    それとは反対に、オリッサ州の低水準、加えてビハール州とU.P.州では、女性の平均寿命が男性のそれを下回っていることが注目される。
    これら平均寿命の背景には、地域の行政、生活や医療等の水準、文化的・地理的背景等々が複雑に絡み合っているはずなので、とても興味深いものがある。また別の機会を設けてじっくり考えてみたいと思う。

  • インド人100万人

    一説によると、UAEに在住するインド人労働者の数は100万人にも及ぶのだとか。総人口567万人(人口統計に在住外国人も含まれている)中、UAE国籍を持つ人々は20%ほどで、あとは外国籍の人々だ。
    UAE以外のアラブ諸国とりわけ非産油国の人々が15%, アラブ圏外ではイラン人が8%とかなり多いものの、なんと南アジア諸国の人々が50%を占めていることから『インド人100万人』という数字は驚くに値しないかもしれない。あるいはパーキスターン、バーングラーデーシュといった両隣の国々から渡っている人々も含めた『インド系人口』とした場合、とてもその数で収まるものではないだろう。
    経済的な重要度に比較して、人口規模が小さく、様々な分野における労働人口が不足している湾岸産油国と、経済成長目覚しいとはいえ、世界第2の人口大国であるうえに、まだまだ失業率が高く、需要があればそれこそ無尽蔵ともいえるマンパワーを供給できるインドとの相性は、中東湾岸地域と南アジアという隣接する地理条件とともに、極めて良好だ。
    歴史的につながりも深く、人々の行き来が頻繁であったことから、仕事や住居といった紹介・斡旋というベーシックなニーズにおけるインフラも備わっている。同時にこれは労働者たちに対する搾取の構造ということも言えなくもないにしても、出稼ぎに行くにあたってのハードルもそう高くないことになる。
    インド人労働者といっても、エンジニアや金融関係者といった頭脳労働者から工場や建築現場の作業員までいろいろあるが、肉体労働者たちに対する待遇、とりわけ賃金契約、住環境、作業現場の安全性確保等々にかかわる問題点が指摘されることは多い。
    また相当の危険を覚悟のうえで、あるいは騙されるような形でリスクの高い仕事を担わされる者も少なくない。数年前に、イラクでインド人、ネパール人などのトラック運転手が武装グループに拉致されて殺害される事件が続いたことを記憶している方も多いだろう。
    このあたりの産油国ではどこもインド在住者は多いが、特に観光客の目につきやすいサービス産業に従事する者も多いためか、UAEの東隣の国オマーンについて、JTBの『オマーン情報』に、同国で使用されている言語について『アラビア語、ウルドゥー語、ヒンディー語』という記載があるくらいだ。
    オマーン情報 (JTB)
    おそらくタクシー運転手、ホテルやレストランを含むレジャー施設の従業員等にインドやパーキスターンの人々が占める割合が高いこともあるのだろう。
    オマーンについては、位置的に南アジアに近いがゆえに、現在の出稼ぎの人々以前にやってきた移民の子孫が多いことでも知られている。南アジア西端にあるパーキスターンのバローチスターン地方から多数のバローチーの人々による移住の歴史もあることなどから、インド地域からの移民史という観点からも、ペルシャ湾を挟んでイランの南側に位置する湾岸地域は興味深いエリアである。

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    1990年8月にイラクがクウェートに侵攻したことに始まった湾岸危機の際、当時のインドでは外貨準備高が枯渇(輸入決済2週間分の7億米ドル相当)することによる経済危機を迎えた。危機による原油の高騰、湾岸市場への輸出高の減少などに加えて、この地域の産油諸国で働く自国民からの送金が減少した影響も大きかった。
    1991年6月に首相に就任した故ナラスィマー・ラオは、著名なエコノミストであり、インド中央銀行総裁であったこともあるマンモーハン・スィン(現在インド首相)を財務大臣に任命した。当時のインドは、綱渡り的な経済運営を強いられながらも、これを機会に大胆な経済改革を断行した。
    その結果、『災い転じて福と成す』といった具合に、今の経済的繁栄につながる基礎を築くこととなった。そのため2004年12月に他界した彼の首相在任中の最大の功績は、マンモーハン・スィンを財務大臣に据えたことであるという評価は多い。
    もちろん今のインドは当時よりずっと豊かになり、経済規模も拡大したことから、湾岸諸国へ出稼ぎにいった人々による送金に頼る度合いも大幅に下がっているため、単純な比較はできない。
    しかし現在でもケーララ州のように失業率が高く、湾岸諸国への出稼ぎが多く、彼らの送金が内需拡大に貢献しているという地域もある。同州からは、こうした国々に職を求めて出向く医者や看護婦といった医療関係者が多数あることでも知られている。
    ドバイショックが、今後湾岸地域の経済ならびに世界経済にどれほどのインパクトを与えることになっていくのかは予断を許さない。堅調な伸びを維持するインド経済については、その波及を楽観視する声も多い。
    だが出稼ぎ者の送金という、ややミクロな視点からは、UAEのみでも100万人規模とされるインド人労働者たち自身や彼らが養う故郷の家族、ひいては彼らを多く送り出している地域の経済は、まさにショックな事態を迎えることにならないともいえず、今後の推移を見守りたいところである。
    Dubai crisis raises migrant worker fears (BBC NEWS Middle East)

  • 『水』商売

    ここ20年間ほどの間で、現地通貨であるルピーをベースに見れば、インドの物価は今とまったく比較にならないほど上がっている。しかしながら店頭で販売されているミネラルウォーターの類の値段はあまり変わっていないし、これらを製造しているメーカーやブランドもずいぶん増えた。
    店で飲料水を購入する層が大きく広がったことが、相対的な低価格化を推し進めることになっているのだ。もちろんその間に、価格や機能性にもいろいろあるようだが、浄水器を備え付ける家庭も増えた。飲み水の安全性に対する認識が上がったことが背景にある。
    かつて日本でエンジニアとして働いた経験があり、現在コールカーター郊外に暮らしている友達の家を初めて訪れた際、こんな話を聞いたことがある。
    ずいぶん昔のことだけれどもね、父の旧知の友人で、アメリカに移住した家族が我が家を訪れたことがあった。暑い夏の盛りだったけど、この部屋に彼らが入って来て、家の者が彼らに水を差し出したが、誰も口を付けなかった。
    これが父にとって非常にショックだったんだな。ウチでお客に出したものが受け入れられないなんて。そんな不名誉なことを受け入れることができなかった。
    当時は、父も私を含めた家族の他の者たちも、観念的な浄・不浄とは違う、今の私たちが言うところの衛生観念からくるものであることをよくわかっていなかった。
    何しろ普段私たちが何の問題もなく飲んでいた水だからね。安全だと思ってた。まさか外から来た人たちがそれを口にすると、下痢したり病気になったりすることがあるなんて想像もしなかったよ。
    それから浄水器を購入してね、もちろん幾度か買い換えたけれども。そのおかげでウチではいつも安全な水を飲むようになっているんだ。

    昔からの友人の家族であることにくわえて、ましてや彼の家柄はバラモンである。彼の父自身も、また家族の人々も、二度とそういうことのないようにと願ったのだという。
    同時に、それを機会に自分たちが日々口にしている飲料水のことを考えてみるきっかけにもなったそうだ。いくら慣れているからといっても、それまで家族や身内が水に起因する病気にかかることはしばしばあったようだ。
    しかしある程度生活にゆとりのある層を除けば、まだまだ安全とはいえない水を日々飲用している人々は多いことは言うまでもない。
    ところで、車両価格が10万ルピーほどという、これまでにない低価格が話題となったNANOが、これまでの自家用車の購買層の下に広がる大きな裾野をターゲットにしているのと同じく、あと一歩で安全な水に手が届かない膨大な人口に商機を見出したのが、やはりTATAグループである。
    新商品Swachを発表するターター財閥総帥ラタン・ターター氏
    TATA CHEMICALSから、従来よりも安価でランニングコストも低いとされる浄水器Swachが発表された。浄水器本体は、749ルピーと999ルピーの2種類。今後さらに4機種が新たに市場に投入されるということだ。米殻の灰などを材料として出来たフィルターは299ルピーとのこと。
    『世界で最も安価な浄水器』との触れ込みで、4、5人程度の世帯で月当たり30ルピーの支出で安全な水を得ることができるとされている。
    差し当たっては、年内にマハーラーシュトラ、カルナータカ、西ベンガルの各州で発売され、半年ほどの間にはその他全国で販売を開始する予定。
    Tata unveils Swach water purifier (new kerala.com)
    バクテリアや細菌などを除去し、飲み水に起因する疾病の80%を防ぐことができるということから、庶民の健康増進に貢献すること、とりわけ乳幼児死亡率を引き下げる効果も期待されている。
    もちろんインドに限ったことではなく、同様の生活環境にある第三世界の多くの国々での潜在的かつ巨大な需要も視野に入れているようで、同社の世界戦略商品であるともいえる。
    しかし南アジア各地で、井戸水を飲用している地域で問題となっている砒素を除去する機能は付いていないということだ。それでも同社は砒素対策の研究も並行して行なっているらしい。今後の進展を期待したい。

  • 史上最悪の産業事故から四半世紀

    昔からボーパールで生活している、ある一定の年齢層以上の人々にとって、12月3日という日付には特別な意味があるはずだ。
    今年もその日がやってきた。1984年の12月3日の零時過ぎに、マディヤ・プラデーシュ州ボーパール市のユニオン・カーバイド社の工場で起きた、史上最悪といわれる産業事故である。
    ONE NIGHT IN BHOPAL (BBC NEWS South Asia)
    その晩、同工場から有毒ガスが市内に流出した。イソシアン酸メチルと呼ばれる肺の組織を破壊する猛毒である。事故が起きた夜半のうちに50万人近くの人々が多かれ少なかれそのガスに晒され、2千人以上が命を落としたとされるとともに、その後これが原因となって死亡した人々の数は2万5千人に及ぶという。
    また命を落とすには至らなかったものの、深刻な健康被害を受けた人々の数は、20万人とも30万人とも言われているとともに、今なお引き摺る後遺症に悩んでいたり、精神を病んでいたりする人々もある。彼らの中でガンを発症する率が極めて高いことも指摘されているとともに、出生する赤ん坊たちの中に先天的な奇形が多く見られるという。
    1969年開業時には地元の工業化の進展と大きな雇用機会をもたらすものとして、またここで生産される有用な殺虫剤の普及は社会に貢献するものとされていたことなどもあり、歓迎されていた工場である。
    事故の原因については、今なおいろいろ議論のあるところだが、ユニオン・カーバイド社が主張していた『アメリカ本国と同じ安全基準』が実際には適用されておらず、ずさんな管理がなされていたことが背景にあるようだ。また従前より、工場内部からも事故の可能性を危惧する声が一部から上がっていたらしい。
    1989年に、事故の遺族たちとの示談が成立し、彼らに対する補償問題は解決したものとされているが、工場地の重度に汚染されている状態、そこから敷地外への有害物質の漏出が現在も続いており、今なお付近の人々に対する健康被害が継続しているとされるが、これについての責任の所在が確定していないため、何の対応策も取られていない。
    同工場は事件後閉鎖されているが、ボーパールの駅から北方面2キロ弱の地点にある。Google Earthなどで確認していただけるとよくわかるが、この工場自体が市街地内にあり、しかも人口稠密な地域にごく近いことも大きな被害を呼ぶことになった。

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    線路西側にかつての工場施設が錆び付き、荒れ果てた姿で亡霊のように姿を現す。かつて大事故を起こした建物が、当時そのまま放置されていることが示すように、事件は今なお続いている。
    この事故は、発生直後からマスコミやノンフィクションなどでいろいろ取り上げられてきたが、比較的近年になってからも映画や小説の題材となっている。
    1999年には、この事故を題材にしたヒンディー映画『Bhopal Express』がリリースされているので、観たことがある人も少なくないだろう。
    The City of JoyFreedom at Midnightなど、インドを題材にした作品も複数手がけてきたドミニク・ラピエールがハビエル・モローとともに著した作品『Five Past Midnight in Bhopal』を世に送り出したのは2002年。
    20091203-five past.jpg
    日本で同書は『ボーパール午前零時五分』というタイトルで発売された。
    事故に関して、以下のようなビデオならびに写真のサイトもある。
    Twenty Years Without Justice : Bhopal Chemical Disaster (STRATEGIC VIDEO)
    Bhopal Gas Tragedy (Photos by Raghu Rai)
    汚染が継続していることを警告する住民側とこれを否定する行政の姿勢を伝える報道もある。
    Bhopal site ‘not leaking toxins’ (BBC NEWS South Asia)
    事故発生からすでに四半世紀が過ぎたことになるが、今なお健康被害等が続いていることについて目をつぶるべきではないし、彼らの救済や汚染状態の調査と適切な対策がないがしろにされてしまっているこの事件を風化させてしまってはならない。
    だが、事故の規模があまりに大きなものであったがゆえに『誰がその費用を負担するのか?』という問いに対して、『誰も負担できないし、負担しない』状態が続く限り、被害者たちの苦悩は続くことだろう。たまたまそこに居合わせたがゆえに事故に巻き込まれた罪無き人々に対するあまりに酷い仕打ちである。