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カテゴリー: life

  • Maghen David Synagogue (Byculla, Mumbai)

    Maghen David Synagogue (Byculla, Mumbai)

    ムンバイーのMaghen David Synagogue訪問。1864年にバグダディー・ジューのムンバイーにおけるビジネスの基盤を整えた伝説の人物、David Sassonが建てさせたもの。このエリアは、かつてテキスタイル関係の産業で栄えたエリアで、労働人口を吸収するためのチャールと呼ばれる独特の集合住宅もまだ多く残っている。

    この街で現存するシナゴーグはシナゴーグといえ9つほどあるようだが、最も知名度が高いのはムンバイー証券取引所近くのKnesset Eliyahoo Synagogue。これはDavid Sassoonの孫であるJacob Elias Sassoonが1885年に建てたもの。 Maghen David Synagogue、プネーにあり1867年に完成したOhel David Synagogueと併せて、Sir Jacob Sassoon Synagogues and Allied Trustsという基金が運営している。

    ほとんど近くまで来たようなのだが、沿道で見かけた人に尋ねてもシナゴーグの場所はよくわからず、そうした中のひとりが、「ここからカーマーティープラーの方向で・・・」などと言うものだから、運転手は見当違いの赤線地帯の方向に走り出してしまう。それが違う方向であると判ったのは、スマホの地図に示されているシナゴーグの場所に近付くのではなく、逆に遠ざかってしまっているからだ。やはり街を散策する際にも、スマホは大変役立つものである。

    「おそらくこのあたり」と思われる場所まで戻ってもらって下車。そこから歩くとほどなく見つかった。さて、シナゴーグの敷地の入口あたりでは、数十人の警官たちがたむろ、いや警備している。すぐ付近に地域の警察署があるという地の利はあるものの、やはり多数の警察官たちを乗せた警察のバスも横付けされて待機していることから、他エリアからも警察官たちが動員されていることが察せられる。このあたりの住民はほとんどムスリムばかりだ。大半はシナゴーグと平和に共存しているとはいえ、いつ何時過激派による攻撃の対象となるかわからないということもあり、相当厳重な警戒が敷かれている。敷地内に入ろうとすると、チョーキーダールに止められて訪問の目的を聞かれた。そこに警官も出てきたので、シナゴーグの見学に来たということを説明する。

    地元との共存を象徴するものとして、Maghen David Synagogue敷地内にある高校の存在が挙げられるだろう。かつてはユダヤ人子弟のための学校であったようだが、インド独立後から現在にかけて、ユダヤ系の人口が激減しているため、現在ではユダヤ系の基金が運営する「普通の私立学校」となっており、ムスリムを含めた全てのコミュニティの子弟を受け入れている。

    建物入口のカギを開ける世話人がまだ来ていないとのことで、近くの店でチャーイを飲んでから戻る。すると、シナゴーグには数人のユダヤ人が来ており、そのうちの1人としばらく話したのだが、もともとはムンバイー生まれで子供の頃に両親とともにイスラエルに移住したという67歳の男性。ユダヤ教徒であることを示す帽子「キッパー」を被っている。

    この日は土曜日なのでユダヤ教の安息日のSabbath。 シナゴーグの世話人が堂内の照明を点けて、聖書を手にして祈りの時間が始まった。司祭はいないし、礼拝に必要な人数(というのがある)もいないため個々で祈りを捧げるのみである。

    このSabbath(土曜日)には、写真撮影等は禁止になっているとのこと。ヒンドゥー教徒の世話人は、ヒソヒソ声で「今日、本当はダメだけれども、正午過ぎに来たら写真撮らせてあげる」と言う。その時間帯にはユダヤ教徒はいないのだとか。夕方になると祈りのためにやってくるので、その前までにしてくれと言う。この人にとってそもそもSabbathの日には撮影そのものを許可していないという前提ならば、それがそのまま彼の小遣い銭となるわけだ。内部の写真のためにわざわざ戻ってくる時間はないので、これについてはパスすることにした。

    写真は100、ビデオは500と許可の料金を示す告知が壁に張り出してある。ところで、このようにカメラはいくら、ビデオはいくらと料金を定めているところは多いのだが、今やデジカメでもなかなかの画質の動画が撮影できるので、ビデオカメラという区分はもう意味がなくなっているのではないかと思う。

  • THE BOMBAY STORE

    THE BOMBAY STORE

    THE BOMBAY STORE

    ムンバイーのHorniman Circle近くでコロニアルな建物を見物しながら歩いていたら、たまたまこの店の前を通りかかった。外から眺めてもなかなか洒落ていていい感じのみやげもの屋である。

    広々とした店内の品揃えは大変良好。ラインナップは当然インド製品であり、かつ洒落ていて気の利いたものが大変多い。各種工芸品、彫像類、衣類、紅茶、香水、アクセサリー、家具、寝具類、キッチン用品、バス用品等々、実に多岐に渡る。

    値段の割には品物の内容が芳しくなく、値段も割高な中央政府によるCCIC (Central Cottage Industries Corporation of India Ltd.)が運営しているエンポリアムが、「品物を選ぶセンスが良くなり、デザインも品質も優れて、洒落たものを置く」ようになったとしたら、こんな具合になるのだろうか。店内の雰囲気や店員たちの態度も極めてしっかりしており、同店のウェブサイトにある「1905年創立、ボンベイ証券取引所に上場した最初の小売業者」という伝統もダテではなさそうだ。

    商都ムンバイーでは、インド関係のいろいろな品物について、それぞれの分野でいい物を置いている店は多いが、日本へのおみやげ購入のためにいろいろなアイテムを同時に見比べて一度に購入したいようなときには、このお店は重宝するだろう。THE BOMBAY STOREは定価販売でもあり、時間の節約にもなる。おススメのショップである。

  • SWACHCH BHARAT (Clean India)

    SWACHCH BHARAT (Clean India)

    モーディー首相率いる現在の政府が打ち出しているスワッチ・バーラト(Clean India)
    キャンペーンにあやかって、各地でもスワッチ・ブジだのスワッチ・ラージコートだのという呼びかけがなされているようだ。

    政党の活動家やらその手の人たちか、それとも地元の住民たちが自発的に行なっているのか知らないが、明らかに本来の掃除人ではない人たちが大勢で道路を清掃している姿もあったりするが、なかなかいいものだと思う。

    これが一過性のものではなく、今後も続くといい。写真はムンバイの繁華街のコーラーバーにて、「スワッチ・コーラーバー」。せめてポイ捨てはやめて欲しいものだが、大都会の商業地では、土地に根っこを持たない人が多いので、ちょっとムズカシイかもしれない。

    だが日常的にこうしたものを目にするだけで、人々の意識は変わってくることだろう。たとえ時間はかかるとしても。こうしたものが公衆衛生やトイレの普及(こちらについても今回の政府は力を入れている)等々、民生の向上に繋がってくれると大変嬉しく思う。

    政府の掛け声でこうしたキャンペーンが展開されたのは、実はこれが初めてではない。だが今回はモーディー首相の人気ぶりと指導力に大いに期待したいものだ。

  • 豪華なパーン

    豪華なパーン

    ムンバイーのコーラーバー・コーズウェイで超豪華版のパーンを見かけた。
    インド人観光客向けにいかにも豪華なものに仕上げてあり、てっぺんにはチェリーまでのっけている。
    最近は喫煙人口も大きく減ったように見えるインドだが、しばしばタバコ葉も使用されるパーンを嗜む人も減ったように見受けられるが、こんなに美しく飾り立ててあると、久しぶりに口にしてみたいと思う人、普段は口にしないけれども、試してみたいと思う人は少なくないはず。
    田舎から上京して、あるいは他の都市からここムンバイーにやってきての物見遊山。そんなハレの日くらいには、パーンを楽しんでみてもいいだろう。
    そんな時にはやっぱりこれくらい非日常的な豪華版のほうがふさわしい。

  • 映画「PK」

    映画「PK」

    映画館のポスター

    12月19日に公開されて大きな話題となっている「PK」を観に行った。

    宗教各界から上映中止を求める声が上がったり、あるヒンドゥー右翼団体による激しい抗議活動が展開されたりなど、様々な反響を呼んでいる作品である。

    Protest against Aamir Khan’s ‘PK’ escalates, theatres in Gujarat vandalized (THE FINANCIAL EXPRESS)

    あらすじを簡単に説明すると、このような具合だ。この作品をこれから観ようという方は、ここから先を読み進むとネタバレとなってしまうことをご了承いただきたい。

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    地球の調査のためにラージャスターンに着陸した宇宙人(アーミル・カーン)が到着。だが間もなく、身に付けていたロケット(Locket : 胸飾り)を奪われてしまい、仲間と交信することが出来なくなってしまった。これなしには帰還することが出来ないため、彼にとっては死活問題となる。

    これと同時並行で、ベルギーでパーキスターン人のサフラーズと恋に落ちたジャッグー(アヌシカー・シャルマー)が、サフラーズの裏切り(その時点ではジャッグーにとってそのように捉えられた)で傷心の帰国。そしてテレビリポーターとしてのキャリアをスタートさせる。

    何か特ダネはないかと模索していたジャッグーは、「神が行方不明。ご存知の方は下記までご連絡を」と書かれた奇妙なチラシをデリーメトロ車内で配布する黄色いヘルメット姿の男、PKと出会う。

    この男に興味を持ったジャッグーは、彼と接触を試みる。あるときお寺で賽銭箱から現金を抜き取ったPKが人々に袋叩きになりそうなとき、機転を利かせて自分の財布を賽銭箱の中に落とし、「彼は私の財布を探してくれようとしていたのだ。嘘だと思うなら賽銭箱を開けて調べてくれ」と言う。果たして、開かれた賽銭箱からはジャッグーの名前と顔写真が入ったIDが入った財布が出てくる。

    これがきっかけとなり、ジャッグーに対して心を許しつつあるPKが自分の身の上を語り始めるようになった。最初は彼の言うことを信用していなかったジャッグーだが、彼が人の心を読み取る特別な能力があることを知るにいたり、彼が自分の星に帰還できるようにするため全面的に協力することを約束する。

    このふたりが邂逅する前、PKはまず地球人の言葉能力を獲得するために協力してくれる人(数時間に渡り、その相手と手を繋いでいる必要がある)を見つけるために苦労を重ねる。その能力を得てからは、どうやら自分が取り戻そうとしているものを手にするためには、「神」という存在に頼らなくてはならないというように考えるようになったが、その神を祀る宗教施設、神との間を取り次ぐということになっている聖職者等は世間にたくさんあるものの、実際には誰ひとりとしてその神に直接接した者はいないことが判ってきた。

    またその神に対する人々の態度も様々であり、それぞれ異なる方法で接していることから、どれが正解なのかPKには計りかねた。ある宗教(キリスト教)では清浄なものであるとされているワインがイスラーム教徒にとっては禁忌であったりする。いったい神とはどこにいるのか、また人々に何を説いているのか・・・。

    やがてPKは、ある有名なヒンドゥー聖職者がヒマラヤで神が授かったものであるとして、自分のロケットを持っていることを知ることとなった。宇宙船からラージャスターンの大地に降りて間もなく、彼のロケットを強奪した男は、なんとこの聖職者にこれを高く売りつけていたのだ。

    この後、ジャッグーが所属するテレビ局が、この聖職者とPKの対談の中継が実現し、ふたりは激しいバトルを展開していく・・・。

    最後にようやく再びロケットを手にしたPKは、ジャッグーに見送られて宇宙に帰還する。
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    大変良く出来た、腹を抱えて大笑いできるコメディー映画であるのだが、同時に非常に社会批判性の強い作品でもあり、信仰や人間性といったものに対していろいろ考えさせてくれる仕掛けがあちこちに散りばめられている。

    自然界に存在しない、人間が創り上げた文化、つまり「信仰」「宗教」などと呼ばれるものが、人々を分け隔てしまっていることに対する痛烈な批判。万が一、神という存在がこの世にあったとしても、本来ならば個々がその神とやらに直接コンタクトすればいいところだが、宗教者やら宗教団体という、いわば「ブローカー」が介在して、人々から上前をハネていること、巨万の富を生み出すビジネスとなっていることなどについて、これまで少なからず疑問を抱いていた人たちは多かったことだろう。

    そんなことから「神」と距離を置く個人はあっても、表立って異を唱えることが出来ないのは、所属する共同体とのしがらみであり、さらには家族の世間体への配慮ということになるのだが、これを軽々と乗り越えてしまうのが、様々な神々に自らの問題の解決を懇願しつつも果たせず、それぞれの宗教の矛盾を体感してしまった宇宙人であり、この世のそうした事柄とのしがらみを持たないニュートラルな存在であるからだ。

    さて、神を信じようが信じまいが、信仰というものが、それぞれの国や地域における精神文化、思考や価値観と切り離せないつながりがあることはもちろんのことである。また、共同体意識、社会奉仕の精神、道徳観といった精神性の部分で果たす信仰の役割は決して悪いものであるとは思わない。それでも先述のとおり、宗教というものには、非常にネガティブな部分も多く、それを表立って糾弾しにくいものがある。

    加えて、万人の平等やらなんやらを唱えつつも、信仰そのものは往々にして味方と敵を区別する旗印になっており、そのカラーの違いで向こう側の人たちを傷つけたり、殺めたりということがしじゅう世の中で起きていることは誰も否定できないだろう。

    作品中でこんなシーンがあった。
    アーミルが木のたもとに石板を置き、もうひとつ大きめの石をちょこんと立てて、その「額」にあたる部分に赤いティーカーを付ける。それで神像に見立てたうえで、その前の石版に幾ばくかのコインを置き、「これで投資が何倍にもなる」とつぶやく。

    やがて通行人たちがこれを見つけて、次々に祈りを捧げ、賽銭を置いていく。中には地面に身体を投じて、つまり腹ばいになって祈る人も出てくる。観客たちは大笑い。
    そうした中で、チャーイワーラーもあらわれて、そうした人たちにチャーイを売るようになる。

    アーミルが仕掛けた「石」は、結局のところ、人が「でっち上げた」怪しげな宗教団体なり、施設を示唆しており、そこには神など存在しないのに盲信してしまう人々を象徴する。

    そのお金を生みだす「石」と、おなじくお金を稼ごうとするチャーイワーラーの比較で、「あの人、あのひと(チャーイワーラー)は、お客を呼び込むためにへつらい、腐心するけど、あちら(神像に見立てた石)のほうは人々にへつらうことなく、向こうからやってきて、しかもお客のほうが媚びへつらっている」と揶揄する。

    また信仰の典型的な装いを、それとは異なる信仰の人たちに着せて登場させてみたりするシーンもあった。そうした見せかけのカタチにとらわれていると、事実を見誤ってしまうこと、本当に大切なのは××教徒という装いではなく、もっと本質的なことであることを私たちに悟らせてくれる。だがこの映画が唱えているのは無神論であるかといえば、そうでは決してないことが判ることと思う。

    アーミル演じるところの宇宙人は本来、裸であるというところで、本来人々自らが何ら自身を偽って飾り立てることない清らかな存在であるらしい思わせるところで、生のままの自らに内在しているはずの神性や善性を示唆していたりするなど、すべてのシーンやセリフ回しに、数え切れないほどのメッセージがこめられている。

    だが、それらがまるでそれぞれの水源から始まった川の流れが次第に合流して大河となって、やがては大海に注がれるように、きれいに統合されていく展開は見事だ。それでいて、まったく説教臭くないのも素晴らしい。
    ここに描かれているのは信仰に関する事柄のように見えるが、実は世の中あちこちで普遍的に存在する不条理な「常識」「因習」「しがらみ」への挑戦でもあり、インド国外でもグローバルに支持される内容だと思う。基本的にはワッハッハと腹を抱えての笑いをとるコメディー映画だが、あちこちに散りばめられた鋭い社会党批判とエンターテイメント作品中としての両立に、いたく感激した。

    また、その後の現実社会の展開も興味深い。宗教勢力の一部から映画の中での表現を巡って物言いがついているが、その内容はごく表層的な部分への批判にしかなっておらず、作品が指し示した本質的な部分に関しては、手も足も出ない状態のようだ。まさに映画「PK」のファイナル部分での展開と同じになっているのが興味深い。こうした勢力から上映差し止めの請求が出されたものの、裁判所は「観たくなければ、観なければいい」とこれを却下している。

    まさに「PK」の痛快なストーリーが今度は現実社会で続いているわけで、ここでまた大笑いなのである。いつか日本で上映される日も来るであろうから、皆様にもぜひご覧いただきたいと思う。

  • バーングラーデーシュの2タカ硬貨は日本製

    すでに1年ほど前の話になるが、日本の独立行政法人造幣局がバーングラーデーシュの2タカ硬貨を製造することとなっている。

    バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注(独立行政法人造幣局)

    バングラデシュ2タカ貨幣製造受注に関する契約調印式(独立行政法人造幣局)

    他にもニュージーランド、スリランカ、カンボジアブルネイミャンマーオマーンなどの記念硬貨の製造を受注している。また、独立行政法人印刷局はインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を交わしている。

    独立行政法人国立印刷局とインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を締結 (独立行政法人国立印刷局)

    日本の紙幣の印刷に使われているのは株式会社小森コーポレーションの印刷機だが、インド中央銀行に紙幣製造一貫プラントを1996年に納入開始している。

    日本の貨幣製造技術が国外でも高く評価されているがゆえのことであり、人々が日々手にするお金に日本の「技」が生きているということは喜ばしく思う。

  • ASUS TF103C

    ASUS TF103C

     

    最近のAndroid環境は、スマホでやタブレットといったハード面でも、OSやアプリ等のソフト面でも、AppleのiPhone, iPadなどに較べて遜色なくなってきた。

    タブレットも携帯性を重視した7インチという小さめのサイズ、主に自宅での利用を視野に入れた10.1インチの大型画面のモデル等、各々の使用目的に応じて、様々な価格帯から選択できるようになっている。先月はLenovoから13.3インチという、とりわけ大きな画面を持つタブレットも発売されている。タブレット端末も低価格化が進み、かなりハイスペックなものが手頃な価格で購入できるようになっているのも嬉しい。

    これほど世間にタブレットが浸透している背景には、寝ているとき以外の時間帯にはネットに常時接続であるということが当たり前になっていること、様々な形態によるネット接続の普及、電子書籍の普及などもあるが、大きな画面サイズであるがゆえの「スマホではこなせない利用目的」や「パソコンではちょっと難しい用途」、つまりスマホとパソコンの間の隔たりを埋めるエリアへの需要が高いからだ。スマホ、タブレットとパソコンの利用目的は重なる部分はあるものの、守備範囲は大きく異なるがゆえに、三者三様の需要がある。

    だがタブレットのサイズについては、ノートパソコンに近いものがあるため、このふたつを兼ねることができる、つまりタブレットとしてもノートパソコンとしても利用できるようなものがあると便利、というニーズも当然あるわけで、それに対応したのがウィンドウズOSで駆動する、あるいはAndroidで動くキーボード付きタブレットであるということになる。

    両者ともに長所・短所があることについては否めない。前者はほとんどパソコンとして利用できる強みがあるが、それとは裏腹にスマホで馴染んでいるAndoroid環境とは異なることにストレスを感じたりすることもあるだろうし、Androidではごく当たり前のアプリがWindowsにはない、ということもよくある。

    後者については、従来のスマホやタブレット環境と同じという点が利点であるとともに、Windowsではないためパソコン環境とかなり違うという不利な部分が表裏一体となっている。つまり「いつも使っているアプリ」をじゃんじゃん利用できるという便利さがあるものの、マウスを使えないこと、印刷や保存ファイルの取り回しから始まって、パソコンでいつも使用しているソフトを使うことができないなどといった制約がある。

    だが最近ではAndroid 端末からの印刷が可能となっているプリンターは少なくないし、少なくともオフィス系のソフトならば、Microsoftの製品と互換性を持たせたものが出ている。そのため、タブレットとして利用しつつも、限りなくパソコンに近い使用さえも可能な製品も数多く出回るようになっている。

    日本語文書を作成する際に、打鍵数が少なくて大量の文字を打つ場合に有利な「かな入力派」にとって、Android端末への物理キーボードからの日本語入力環境が基本的に「ローマジ入力」であったことすでの過去の話となり、現在ではnicoWnn IMEをインストールすることにより、「かな入力」環境がごく当たり前に用意することができるようになった。

    キーボード付きタブレットといえば、やはりパソコン的な用途となることが多いためか、Windows RTあるいはWindows 8で動くモデルが多いようだ。しかしながら個人的にはスマホあるいは小ぶりなタブレットの延長線上にあるAndroidベースのものもなかなかいいと思う。先述のとおり、日本語入力環境が改善されていることもあるし、オフィス系のソフトもマイクロソフトと互換性の高いものが無料あるいは廉価で入手できるからだ。

    そうしたアンドロイドOSでキーボード付きのタブレットとしては、ASUSのTF103Cはとりわけ魅力的に感じられる。今年7月に発売されたが、すでに3万円以下で入手できるようになっている。スペックもハイエンドとは言わないまでも、必要にして充分以上の性能だ。コストパフォーマンスの観点から卓越したものがある。

    タブレット本体の重量は550gだが、キーボードを付けると1.1kgとやや重くなってしまう反面、手にしてみるとなかなかしっかり感があって好ましく思える。取り外しができるキーボードだが、造りもしっかりしているし、合体時には実にしっかりと本体と結合するのも安心感があっていい。

    SIMを差し込んでの3GやLTE通信は対応しておらず、ネット接続はWifiのみとなるが、Wifi環境のない場所では、スマホからBluetoothテザリングでネット接続するという前提が考えると、これまた安上がりでいいかもしれない。

    単体でタブレットとして使ってもよし、キーボードを装着してノートパソコン的に利用してもよし。日常生活で、また旅行先でも大いに使い回すタブレット兼ノートパソコンとしての大いに活用できる1台ではないだろうか。

    Asus Transformer Pad TF103C 2-in-1 Android tablet review (liliputing.com)

     

     

     

  • ラダックの氷の卒塔婆プロジェクト

    NGOジュレーラダックのウェブサイトにて、この団体の現地パートナーであるSECMOL
    の興味深いプロジェクトが紹介されている。

    氷の卒塔婆プロジェクト基金(ジュレーラダック)

    氷河が融解して水が流れ出す前の4月と5月、畑での耕作を開始する時期にあたるラダックの農家は水不足に直面するとのことで、地球温暖化により氷河そのものが後退している中、さらに困難な局面を迎えているのだという。

    そうした中で、冬の間にも利用できる水をストゥーパのような形にして貯めておき、ここから融解する水を先述の季節に利用するというアイデアだ。ストゥーパの形にするというのは、体積に対して表面積を小さくすることにより、溶け出すまでの時間を稼ぐためである。

    環境に負荷をかけることなく、すでに存在している水資源を有効に活用しようという、地元の人々が主体の自助努力であり、今後の進展が注目される。詳細や寄付金受付等については、上記のウェブサイトに記載してあるのでご参照願いたい。

  • 自国内の「無国籍者」に他国籍を買うクウェート

    インドとは関係のない話で恐縮であるが、こんなニュースが目に付いた。

    無国籍住民に大量の外国籍を買うクウェートの真意 (ニューズウィーク)

    クウェートにて、昔からその土地に住み着いていたベドウィンの子孫にコモロ連合の国籍を買い与えており、コモロ連合はすでにそうした人々に対してパスポートを発行しており、こうした措置に対して人権団体が反発しているとのこと。

    確かに、記事中にあるとおり、無国籍であった人々の立場に公的な位置づけがなされることにより、それに応じた行政サービスを含めた措置が可能となるという面はあるのだろう。

    しかしながらその結果として、彼らが代々居住してきた(国境のこちら側と外側とを行き来しながら暮らしていたにしても)土地の市民ではないということが明確となることにより、つまり「外国人」となることにより、クウェート国内で暮らしていくには、当局の発行する在留資格が与えられることにより可能となるわけである。

    当然のことながら、クウェートで「自国民」と同じ権利を有することにはならず、様々な不利益が容易に想像できる。また、在留資格が延長できなかったり、失効するようなことがあったりすれば、「外国人」である以上、国外に退去しなくてはならなくなる。

    そうした人々に対して、まず在留資格を与える時点で選別がなされるということも可能となり、無事に在留資格が与えられたにしても、個々に対して恣意的な対応や措置、つまり国外への退去強制という手段がなされるのであろうし、それを実行できるようにするというのがこうした政策の意図であろう、というのがこの記事の意味するところであるが、まさにそれ以外の目的は考えにくい。

    そのコモロ連合とはどのような国かといえば、アフリカ東部のマダガスカル近くにある島嶼部から成る小国で、概要についてはこちらをご参照願いたい。

    コモロ連合基礎データ(外務省)

    海洋交易を通じてアラブ世界との交流が盛んであった地域だけに、住民の大半がイスラーム教徒であり、アラブ系住民も多い国ではある。

    クウェートに居住しながらも、こうした国の籍を与えられた人々に対して、「本国」から必要な庇護が与えられるとは考えにくく、仮に住み慣れた国での在留が認められず、縁もゆかりもない「本国への送還」となった場合、大変な苦難が待ち受けていることは言うまでもない。

    これはクウェート国内に居住する無国籍の人々に対する地位保証の措置ではなく、明らかに金満国家による棄民政策である。

  • Namaste Bollywood +42

    Namaste Bollywood +42

    Namaste Bollywoodの第41号について取り上げた際にも触れたみたとおり、同誌は第42号から有料版へと移行した。これにともない、全32ページで総カラーとなり、内容もさらに充実して、より読み応えのある内容となっている。発行回数は年3回とのこと。

    インド国外でもユニバーサルな人気を誇るインドのヒンディー語映画だが、おそらくどこの国の映画においても多かれ少なかれ、その国や民族の文化、伝統、習慣といったものが反映されるものだ。ましてやディープで多層的な文化と豊かな民族的な幅を持つインドにおいては、ことさらそうした背景の知識を持つことが、作品のより深い理解へとつながる。

    これについては、ハリウッドをはじめとする欧米の映画についても同様なのだが、そうした地域の予備知識的なものについては、多かれ少なかれ私たちはすでに馴染んでいるというある種の「インフラ」的なものが、日本の大衆文化の中にあるという点がインドの映画に対するものとは異なる。まさに同誌においては、インドの社会や文化についての考察と合わせた形で、これまでボリウッド映画の紹介がなされてきたわけであり、定期的に「ボリウッド講座」の開催も行なっていることは言うまでもないだろう。

    2006年に創刊し、すでに9年目を迎えるNamaste Bollywood誌だが、ここ2年ほどの間に日本で劇場公開されるインドのヒンディー語映画が着実に増えていること、またそれらに対する日本の観客の評価が高いことなどを見ていると、ようやく今になって1990年代の日本における「インド映画ブーム」により、各メディアから恣意的に刷り込まれた妙な先入観の呪縛から解き放たれて、インドのヒンディー語映画の良作がすぐれた作品として迎えられる地盤が整ってきているという気がする。過去の「インド映画ブーム」でネガティヴな刷り込みが風化しただけではなく、当時を知らない若い世代の人たちが映画の観客のマーケットに大きな比重を占めるようになってきたという面もあるだろう。今後、都市部ではいつもどこかでヒンディー語映画が上映されているということが当たり前という時代が近づいて来ているのかもしれない。

    こうした機運が高まりつつある中、この流れへと導いてきたさまざまな要素があるはずだが、その中においてNamaste Bollywood誌が果たしてきたもの、ボリウッド講座や各種イベントを通じて広く人々にアピールしてきたことなどによる貢献が占める割合も非常に高いものがあるに違いない。

    近年、日本で劇場公開されたインドのこうした映画といえば、すでにインドで大ヒットしたり、評価が高かったりした映画が、かなりの時間差を経て上陸するという形であった。これが本国とほぼ時を同じくして公開されるような機運になってきたとき、インドのヒンディー語映画が日本にしっかりと定着したということになるのだと私は考えている。

    公開する側にとって、本国でのリリース後の評判を見ずして、充分な集客が容易に期待でき、商業的なリスクのないものとなるには、インドのヒンディー語映画が日本の大衆娯楽の中にしっかりと根を下ろしていく必要がある。劇場公開される映画が観客にとって「評判いいらしいから来てみた。誰が監督しているのか、出演者が誰なのかよく知らないけれども、感動的な作品だった」という一過性の娯楽で終わるのではなく、監督をはじめとする製作者や出演する俳優・女優に対する関心も高まってくるかどうかが大きな分かれ目となる。これは、ハリウッド映画において、巨匠による作品や日本でも人気の高い俳優が出演する映画であれば、公開日が決まった時点から大きな話題となることからもよくわかるだろう。

    Namaste Bollywood誌の執筆陣には、発行人のすぎたカズト氏、インド映画評論家の高倉
    嘉男氏、インド宮廷舞踊家の佐藤雅子氏、インド学研究家の高橋明氏と豪華な顔ぶれを揃えており、非常に読み応えがある。また、「マダム・イン・ニューヨーク(ENGLISH VINGLISH)」のガウリー・シンデー監督、ミュージシャンで映画の音楽監督でもあるA.R. ラフマーンへの貴重なインタビュー記事なども見逃せない。こうした形でのインドのヒンディー語映画に関する、またその背景となるインドに関する知識の拡散と定着が、日本における劇場公開の定番化へとつながっていくことと信じている。

    まずはぜひ、このNamaste Bollywood +42を手に取ってじっくりとお読みいただきたい。
    入手方法については、同誌のウェブサイトに書かれているとおりだが、今号からは楽天市場ヤフー!ショッピングでの取扱いも始まったようである。

  • 第2回公募 “世界旅写真展”

    エントリー締切(今月15日)が目前ということで恐縮だが、旅がテーマの写真が公募されている。

    第2回公募 “世界旅写真展” 募集要項 (APART GALLERY & LIBRARY)

    上記リンク先をご覧いただければ、ユニークで稀有な企画であることがわかるだろう。もっと早い時期にこれをindo.toに掲載しておけば良かったという自省とともに、これをご紹介いたしたい。

  • Uberタクシー運転手によるレイプ事件

    インドでも無線タクシーのサービスが定着して久しい。Meru、Mega Cabs、Easy Cabsなど利用してみるたびに、従来型のタクシーとはドライバーの態度、運転の安全性、明朗な会計等々、ずいぶん違うものだと感じ、価格差以上のお得感があると思っているのは私だけではないだろう。

    そうした新手の無線タクシー各社と比較してさえも、Uber社のタクシーは他とは一線を画したビジネスモデルを展開し、利便性、目新しさと安心感などから消費者たちからは好意的に迎えられていたはずであった。このユニークなサービスに関する解説を加えるメディアは、世界で急速に事業を展開して高い評価を受けつつも、各国で既存の業界等との軋轢をうむUber社については、多少の疑義は抱きつつも、概ね好意的に捉えていたはずであった。

    世界中に旋風を巻き起こすUber社とは?(INDIA GO)

    最低料金は30ルピー、Uberがインドで低価格タクシー「UberGo」を開始(gaika.net)

    10 little-known facts about Uber (The Times of India)

    とりわけ同社による低価格タクシー、Uber Goというサービスの導入には大きな期待が持たれていたはずだ。

    Uber Go launched in India, claims to be cheaper than an autorickshaw (indiatoday Tech)

    ところが、すでに各メディアで報じられているが、12月5日にあってはならない事件が発生したことにより、こうした評価が地に堕ちることとなった。

    Delhi Woman Raped, Allegedly by Uber Cab Driver (NDTV)

    すでに現在、犯人のシヴクマール・ヤーダヴは逮捕されているが、彼は数年前に同様の性犯罪を起こして逮捕・服役した経歴があることが明るみに出ている。昨日のインドのテレビのニュース番組では、「2時間ほどのインタビューで誰でも運転手になることができる」などという話も出ており、同社に対する社会の信用が失墜することは免れないだろう。この事件を受けて、同社のデリーにおける営業は停止処分を受けている。

    It’s the end of the road for Uber in Delhi (rediff NEWS)

    とりわけ人が主体となるサービス業において、まさにそこで働く人こそが最大の人的資源であり、やはり「人材」というものが大切である。

    しかしながら従来からのタクシーにおける一般的な運転手やサービスの質は残念ながら相当低いものであるため、このような事件があっても、やはり長期的にはUberの優位は揺るがないのではなかろうかと思われるのは皮肉なことである。

    先述のインドのテレビニュースでは、このUberのドライバーによる事件に関して国会で取り上げられた議論の様子も放送されていた。しかしながら従来型のタクシーがUberのサービスよりも安心なのかといえば、まったくもっとそうではないのがインドのタクシー業界の現状だ。

    人口大国であり、数々の優秀な人材を抱える国ではあるものの、必要とされるレベルの人材が社会のすべての分野に広く揃っているわけではないところが、この国の大きな課題のひとつどあるともいえるだろう。