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カテゴリー: health

  • 「ヒルステーション」としてのラーンチー②

    「ヒルステーション」としてのラーンチー②

    おそらくラーンチーの英領時代の面影を色濃くの残す地域は、ラージバワン(州首相官邸=英領時代は統治責任者の舘)界隈なのだと思うのだが、それらしきものはあまり残っていないようだ。

    そんな中にオードリー・ハウスという建物があり、現在はラージバワンの敷地の一部となっており、ここの敷地内が往時をしのぶのにちょうど良さそうだ。外から見る限りでは、後世に加えられた不自然な構造物はほぼないように思われる。

    建てた当時とは社会環境が異なるのでかなり改変が見られるのが常。典型的なものとしては、「天井」の例がわかりやすいだろう。インドでは暑季に高温となる地域が多く、暑季節そのものも長いため、英国本国の同時期の建物よりも、かなり天井が高くなっているのが常だ。

    ところが今の時代になると、空調を使用することが多いが、果てしなく高い天井であってはエアコンをいくら回しても冷えないため、オリジナルの状態からは想像もつかないほど、低いところに天井をしつらえている。他にもいろいろあるが、英領時代とは仕事や生活のインフラが異なるので、建物の内外が必要に応じていろいろ改変される。

    だがラーンチーの比較的冷涼な気候が幸いしてか、このオードレー・ハウスは、建築当初ほぼそのままの姿を今に伝えているようだ。ゲートから向かって左側のウイングがアートギャラリー、右側のウイングは文化イベントの開催用に使用されている。建物自体がオリジナルの状態に近いため、オードリー・ハウスの敷地内だけは、今も「ブリティッシュ・ラージ」の雰囲気が濃厚に感じられる。

    前にも触れたが、かつてラーンチーは「ヒルステーション」として知られていた。政府や軍その他の業務に従事していた英国人たちの中で、熱病や結核はもちろんのこと、心を病む人も多かったという。慣れない土地での勤務からくる心労は多く、今でいう適応障害に苦しむ人もあれば、パワハラなどに悩まされた人たちも多かったことだろう。もとよりまだ「人権」の概念が確立していない時代である。

    そんなわけで、ヒルステーションにはサナトリウムや各種病気の治療のための施設は付き物であった。冷涼な気候が患者の負担を軽減し、治療に利するとされたのは言うまでもない。

    そんな中で、当時で言うところの「癲狂院」が沢山あったと言われるラーンチーだ。今となっては不適切な呼称だが、今でもヒンディー語では一般的にそう呼ばれている。「パーガル・カーナー」。文字通りの「癲狂院」であるが、驚くことに、新聞などメディアでもそう表記しているのを見かけたりする。

    〈続く〉

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • おじいちゃん 、おばあちゃんの公園

    おじいちゃん 、おばあちゃんの公園

    ボンベイの湾岸風景の美しさをアピールするためにチョウパッティービーチから撮影した写真をよく見かけたことがある。本当に良い眺めだ。ブラジルのリオデジャネイロの海岸風景に匹敵するだろう。いや、それを凌駕すると言いたいところだ。

    さて、そのチョウパッティービーチの背後に静かで素敵な公園がある。界隈に住んでいるらしい年配者たちが静かに歓談しているが、よく整備されているのにとても空いている。

    入口のゲートに回ると「ナーナー・ナーニー・ウデャーン」と書いてある。おじいちゃん、おばあちゃん公園とは変な名前だが、園内はきれいでとても静かだ。

    ここに足を踏み入れてみると、ちょうどここから帰ろうとしているおじいさんに注意された。「ここはシニアシチズン専用なのです。申し訳ないけれどもね。そういう年代になってから来てください。」

    ゲート付近に注意書きらしきものが出ているが、マラーティー語のみで書かれているのでよくわからない。同じデーヴァナーグリー文字を使う言葉でもネパール語はヒンディーの知識である程度の見当がつくが、マラーティーだともう少し距離があるようだ。看板に出てくる「クリパヤー」「ナーナー」「ナーニー」とか「スーチナー」あたりは共通なので拾えるのだが。

    ここは、還暦を迎えないと入ってはいけないとのこと。そういう公園があるとは思わなかった。

    「NANA NANI UDYAN (おじいちゃん、おばあちゃん公園」と書かれている。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドの5年ヴィザ

    観光目的でのe-Visaで「5年間有効」というものが導入されたのは昨年の夏の終わりから秋口にかけてであった。

    1回の滞在が180日以内、入国回数はマルチプルで取得日から5年間は、航空券さえ買えばインドに出入自由となることから、ずいぶん助かると思っていた。

    e-Visaによる入国は、インドにおける28の空港(アーメダーバード、アムリトサル、バグドグラ、ベンガルール、ブバーネシュワル、カリカット、チャンディーガル、チェンナイ、コーチン、コインバトール、デリー、ガヤー、ゴア、グワーハーティー、ハイテラーバード、ジャイプル、コルカタ、ラクナウ、マドゥライ、マンガロール、ムンバイー、ナーグプル、ポートブレアー、プネー、ティルチラッパリ、トリバンドラム、ヴァラーナースィー、ヴィシャカパトナム)及び海港(チェンナイ、コーチン、ゴア、マンガロール、ムンバイー)のみ可能となっており、陸路での入国は不可とされるらしいが、出国においては外国人が通過できるチェックポストならばどこでも可能なようだ。

    つまりインドから隣国のネパールに出てからインドに戻るという場合、例えば陸路でゴーラクプルからネパールに入り、カトマンズから空路でデリーに入るというような具合になるのだろう。

    これまでのヴィザの場合、いちいち申請する手間はもちろんのこと、パスボートにシール状のものが貼られるため、回数を重ねると冊子が厚くなってしまうのも難点であった。

    それまでのe-Visaは事前に出発前に申請した後、インドの空港に到着してから取得ということになっていたし、事前準備なしで空港で申請できるアライバルヴィザについては、担当官の対応がスローでとても時間がかかったりすることがあった。到着が深夜など変な時間の便だと疲労困憊することに加えて、事前に取得しておかないと、インドのことだから何かあるかもしれないという不安感からも、このところは事前に大使館で申請・取得することにしていたのだ。

    今回のe-Visaは、申請してからPDFで発行される。インドに行く際には、印刷したものを持参し、出国するまでこれを持参しておくというもので、これが5年間使えるというのは大変ありがたいものであった。このe-Visa取得に先立ち、10年旅券を申請した私である。

    同じパスボートで幾度もインドヴィザを繰り返し申請していると、大使館で「何の目的か?」と尋ねられて担当官との面接まで実施させられたこともあったし、あまり良いことはないため、これまでは有効期間5年間の旅券を繰り返し取得していた。

    そんなこんなで、5年間有効のe-Visaを取得したのは今年の1月のこと。これで安心していつでも時間と航空券を工面すればインドに行くことかできる、そして長い期間有効なインドヴィザを持っているので、途中で何回かパキスタンを訪問することについても懸念はないと安心しきっていると、新型コロナウイルス感染症の流行に足元をすくわれたのが今年の2月の終わりあたり。インド政府がイタリア、日本などの国籍の者に対して「発行したヴィザの効力を停止する。既に入国して滞在している者についてはこの限りにあらず(しかし出国すると再入国不可)」ということを発表したからだ。

    新型コロナウイルス感染症については、これまでで一番ひどいときには9月12日の97,570人、9月17日の97,894人をはじめとする10万人超の大台に迫ろうかという勢いであったが、10月6日には8月25日以来の61,267人という数字にまで下がっている。(それでも1日で6万人超というのは大変な規模だが・・・。)

    新型コロナ感染症の広がりが、ピークを過ぎようとしているのか、これから秋・冬と季節が移ろう中で、再度拡大していくのかについては、まったく予断を許さない状況にある。人口規模が大きいだけに、拡大していくとすればその伸びしろも大変大きなものとなってしまう。

    10月6日現在で新型コロナ感染者が世界で最も多いアメリカで7,679,908人、次いで2位のインドが6,685,082人という数字になっている。インドにおいて幸いなのは、日々の新規感染者数に近い規模の人数が毎日回復していると報じられていることだが、人口構成が若年層に厚いためだろう。。

    当分の間、インドに入国することはできなくなってしまっているが、人口大国のインドにおいてなんとか終息の方向へと進み、人々の暮らしや経済活動が再び軌道に乗って進んでいってくれることを切に願わずにはいられない。

     

  • アニマル・アンビュランス

    アニマル・アンビュランス

    デリーに限ったことではないのだが、インドではこのような動物用救急車を運営している各種団体がある。南デリーにおいては、行政サービスの一環として実施されているのはさすがである。

    Animal Ambulance (We for animals)

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ナガルコートで

    ナガルコートで

    眺めの良い避暑地ナガルコートに宿泊するならば、やはり眺望の良い部屋に滞在したい。ロケーション、シーズンなどによるので一概には言えないとはいえ、閑散期には直接宿に出向くのが良いようだ。ハイシーズンには条件の良いところはすぐにいっぱいになってしまうだろうから、事前の予約は必要だろう。同じ建物の中で同一の条件の間取りや設備であっても、上階ほど料金が高くなる傾向がある。

    この日滞在したのは斜面にあるホテルの最上階の部屋。新しくて部屋もきれいですばらしい。標高が2,100mあり、真夏でも涼しいためエアコンどころか天井のファンさえ無い。

    荷物を部屋に置いてから、坂道下った先にあるナガルコートの中心地にある食堂で遅い昼食。すでに午後4時を回っている。昼食が同じくらい遅くなってしまった前日同様、トゥクパを食べる。すぐに出来上がってくるし、迅速に栄養補給することできて、さらには消化も早い。すぐに腹が減るので夕食の機会を逃すこともないことも利点。他の食事を摂ってしまうと、なかなかそうはいかない。

    ナガルコートのマーケット地域
    トゥクパを注文

    部屋のバルコニーからの眺望は素晴らしい。そして夕方のこの時間帯に聞こえてくるセミしぐれも素敵だ。しばらくくつろいでいると暗雲がたちこめてきて、やがて大雨となった。

    眺望を楽しむことができたのも束の間
    暗雲たちこめて激しい雨に

    朝5時 視界はゼロ

    その後、一晩中激しく降っていた。

    朝5時に起き出して日の出を期待していたが、濃い霧も出ていてバルコニーからの視界はゼロ。まだ雨は降り続いていた。7時半くらいになると雨は上がった。食事済ませてから少し散歩に出てみたが、やはり斜面から何も見えないため眺望は期待できない。ナガルコートから平地へとハイキングで下りることも考えていたが、この天候では楽しそうではないので、やめておこう。

    雨は上がった

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドにおける「バービー」の存在感

    しばらくインドに行けなくなっているのは残念なのだが、前回のインド滞在時にamazon.inのアカウントを作れば普通にkindle書籍を購入できること、日本に帰国してからも同様に買えることに気が付いたのは幸いであった。映画見放題のプライムについては、残念なことに「インド発行のクレジットカード以外は不可」のため、契約はできなかったが。

    そんなわけで、自宅からamazon.inの書籍を買うことがときどきある。電子版で定期購読している雑誌に出ている書評などで、「読んでみたい」と思ったら、すぐに買うことかできるのがありがたい。以前、日本でamazon.inのアカウントを作ったときには、買おうとポチると、即座にamazon.co.jpにリダイレクトされてしまうので、てっきり国外からは何も購入できないのかと思っていたが、「インドでアカウントを作成すればよい」ということにずいぶん長いこと気が付いていなかった。

    amazon.co.jpのkindleにて、インドの話題作がまったく見つからないわけではないが、取り扱いはとても少なく、価格も倍、3倍というようなケースも少なくない。

    だが不思議なことに、ごくたまにインドでよりも安い価格設定となっている場合もあるので、インドのアマゾンでポチる前に、一度日本のアマゾンでも確認してみたりすることがある。

    しかし日本のアマゾンで取り扱うインドのkindle書籍のバラエティには、ちょっと不思議な傾向があることに気が付くまで時間はかからなかった。

    たとえばヒンディー語の作品でどのような扱いがあるのか俯瞰してみようと、「hindi」と入れて絞り込みを「kindle」で検索してみると、なぜかエロ小説がずいぶん沢山引っかかってくるのだ。日本のアマゾンで誰が買うのか?そんな大勢の顧客がいるのか?

    試しにキーワード「bhabhi」で検索してみると、物凄い量のエッチな小説が出てくるではないか!?同じ作者による作品がいくつもあるので、このジャンルでの人気作家なのだろう。あと名前からして女流作家と思われる作者も散見されるが、これらもまたずいぶん過激なタイトルで書いていたりするため目が点になったりもする。

    この「バービー」とは、直接には「兄の嫁」を意味するが、少し年上のセクシーな女性を意味することも多く、素行の良くない男がニタニタ笑いながら性的な意味を含んで、女性をからかうような呼びかけにも使ったりする。

    インドの社会で兄嫁と義理の弟が不貞な関係になってしまうことが多いのかといえば、特にそういうわけではないと思う。ただし、今は少なくなったが大家族がひとつ屋根の下で暮らしていた時代では、外から家に入って生活する初めての血縁関係のない成熟した女性ということで、年頃の弟たちにとっては眩しく心ときめく存在であったことが背景にあることは想像に難くない。

    「バービー」ものもけっこうあることがわかったので、これもインド雑学研究の一環として、どんなものかと一冊ダウンロードしてみた。ありゃー。やっぱり物凄く汚い言葉か並んでいる。

    電車の中、タブレットでヒンディーの雑誌や新聞を読んでいると、インド人に「おう、これ読んでるんだ?」と声を掛けられることは珍しくはない。(こら、覗き込むな!)

    そんな場面で、どうせ周囲の人にはわからないだろうと、うっかり「バービー」ものを開いてしまったら、とてもとても恥ずかしいことになる。

    恥ずかしいといえば、ダウンロードして字面を追いかけていると、嫁さんが「何読んでるの?怪しい~」などと言うのでびっくり。ヒンディーの文字は読めないはずなのだが、女性の勘というのは実に鋭い。

    そう、バービーといえば、2000年代に入ってしばらく経ったあたりで、社会現象にさえなった「サヴィター・バービー」というのもあった。これは当初、「デーシュムク」と名乗り、本名も所在も不詳だった(後に英国在住のインド人であることが判明)作者による劇画タッチのポルノ漫画で、ネットで公開されたためインド全国で大ブームとなった。映画や動画、さらには他の作者による類似作品なども派生することとなった。

    サヴィターという名前の女性が主人公なのだが、バービーというのはもちろん苗字ではなく「義理の姉さん、姉さん」の意味であるが、やはり「バービー」というキーワードは、こうした存在にはぴったりマッチするというわけなのである。

    1990年代以降の経済改革、経済成長を背景に雪崩を打って変化を続けたインドだが、ちょうどこのあたりから携帯電話の普及もあり、男女関係のトレンドもそれ以前とはずいぶん大きく変わることとなった。「電話したらお父さんが出てガチャリと切られた」は過去の話となり、いつでもどこでも意中の異性と連絡できるようになったことが大きい。

    サヴィターの設定は上位カーストで富裕層のセクシーな30代前半くらい?ということになっているが、恋愛についてはとてもオープンで、インド社会の上から下まで、次から次へと、ありとあらゆるカーストや社会層の男たちがそのお相手となるというもの。あまりに露骨な表現と合わせて、本来ポルノが禁止されているインドで、また恋愛映画やドラマといえば、カーストや家柄を越えた出会いと喜び、そして悲しい離別がテーマとなることが多かった昔のインドからは想像もできない過激な展開は社会に大きな衝撃を与えた。

    インドで男女関係のトレンドが変わったことにより、どう見ても未婚の若いカップルが旅行を楽しんでいたり、結婚していながらも学生時代からの異性と関係が続いていたり、連れ込み目的のホテルが密集しているポッシユなエリアが普通にあったりなど隔世の感があるインド。「インターカースト」結婚はずいぶん多くなったし、ヒンドゥーとムスリムの結婚も、家庭や社会環境にもよるが、珍しいことではない。また、こういう社会の変化を背景ニサニー・レオーネというインド系の米国ポルノ女優がインドのテレビ番組に出演、そしてボリウッド映画にも立て続けに出演して人気を博すなど、本人がインド系とはいえ米国人であるという例外的な部分があったとはいえ、少なくとも90年代あたりまでであれば考えられなかったことだ。

    それでも変わらず厳しいタブーとして残っているものもある。「同じゴートラ」での交際や結婚だ。インド全土で同様に厳しいのか、地域によっては同じゴートラ同士での結婚も当たり前に受け入れられているケースがあるのかどうかは知らないが、インド北西部を中心に「同じゴートラ」で駆け落ちした男女を親兄弟が刺客を送って殺害する、兄や叔父が直接手を下して殺すといった事件は後を絶たない。

    ゴートラは観念上、同じ始祖から発生した広義の身内であるとされ、同じゴートラの男女は兄と妹ないしは姉と弟と解釈されるため、そのふたりが男女関係となることは許されず、そのような事例が発生すると、一族の大恥ということになり、殺害されてしまうのだ。これを「名誉殺人」と呼び、とりわけハリヤーナーやパンジャーブなどでは、「カープ」と呼ばれる氏族、さらには枝分かれした氏族からなる組織があるが、このようなケースが生じた場合、「カープ」の寄り合いで殺害を決めて役割を分担して実行してしまうようなケースさえあり、闇は深いといえる。

    そうした事件についてニュース番組で報じられると、画面に出てくるのは水路や農村の広がる片田舎の眺めではなく、普通のモダンな新興住宅地にしか見えなかったり(農村の都市化という背景もある)するなど、中世さながらの行動と今ふうの環境のギャップに腰を抜かしそうになることもある。

  • STONE HOUSE LODGE跡地

    STONE HOUSE LODGE跡地

    ゲストハウスが無くなったくらいで『跡地』とは大げさかもしれないが、かつて存在した格安ドミのあった宿で日本人バックパッカーに人気だった。ニューロードから路地を北に少し進んだところにあった。伝統的なネワール建築・・・といっても庶民の長屋だったので、大変奥行きの狭い前後に薄い木造建築だった。入口の上階がオーナー家族の居宅で、食事時になると、調理の音や匂いですぐにわかった。

    オンボロだったが、タメルあたりのどこの宿よりも安かったので、長期旅行者はよく利用していたし、他の宿に滞在して空き待ちをしている人もあり、ドミトリーのベッドが空く際には、チェックアウトする宿泊者に直接「ベッドの引き継ぎ」を依頼するなんてこともあった。

    とにかく安かったので、カトマンズに沈没するにはもってこいだったのだ。かくいう私もバックパッカー時代にここで沈んだことがある。

    ニューロードから路地に入る。
    昔ながらの建物も一部残っている。
    電線がものすごい。
    正面の薄い色の壁の建物は、かつて「ビレンドラ・ゲストハウス」であった。
    黄色い門の向こうに「ストーンハウスロッジ」があった。今では別の建物が建っている。

    当時の入口の門柱は残っているが、建物は建て変わっている。

    すぐ隣に1990年あたりに新築されたビレンドラ・ゲストハウスは、ロケーションの割には安くて部屋も清潔だったのだが、なぜか人気の宿とはならず、すでに廃業している。個人的には、ビレンドラ・ゲストハウスにも思い入れがある。

    当時、バンコクで泊まったゲストハウスで知り合い、一緒に市内のあちこちを観光したり食事したりする中で親しくなった北米の女性旅行者がいた。当時のエコノミーな宿のドミトリーはエアコンなど付いていないサウナ状態。異性の宿泊者が同室にいても、西洋人女性は気兼ねすることなく衣類を脱ぎ、あられもない姿でベッドに寝そべっているのが普通だった。そんな姿の彼女のメリハリの効いたボディーを目にしていた私は、ぜひもっと親しくなりたいと思いつつも時間切れ。彼女がバンコクから南方面へ向かうときに見送る際、日本人としては慣れない抱擁をされてムギュっと胸元に押し付けられた豊満なバストにドギマギするとともに、軽いキスに頬を赤らめる若者の私であった。

    私よりも少し遅れてネパールに来るというので、カトマンズで宿泊を予定していたストーンハウスロッジの住所を渡してあったのだが、ありがたいことに彼女は本当に現れてくれた。その晩、一緒に夕食を取った後、思い切って愛を告白すると事態は急展開することとなった。

    翌朝、朝日の差し込む部屋のベッドで目覚めると、一緒にシーツにくるまって寝ている彼女の一糸まとわぬ姿。昨夜のことは夢ではなかったのだと、胸がキューンと鳴る。ここはストーンハウスロッジ隣のビレンドラ・ゲストハウスの一室。私は宿を引き払い彼女のもとに転がり込み、安宿ではあったが新婚旅行のような生活が始まった。

    まだ雨季であったためトレッキングに行く気にはなれず、カトマンズ市内はもとより、カトマンズ盆地内には見どころが多いためカトマンズをベースに日帰りであちこち訪問したりした。朝は近所のカフェで軽食、それから観光に出て夕方ゲストハウスに戻る。当時のカトマンズは夕方8時を回ると深夜の雰囲気。彼女と過ごす長い夜がとても楽しかった。

    ストーンハウスロッジに宿泊していた人から「安旅行者の分際で愛の巣を構えた」と冷やかされたりした。真新しいビレンドラ・ゲストハウスはきれいで良かったのだが、なぜかカーテンがついておらず、電気をつけたままだと室内の私たちの様子がドミトリーから見えいたようで恥ずかしい。

    残念なことに、私としては不本意ながら彼女との交際は長続きすることはなく、ネパール滞在中の数週間で終わってしまった。仲違いしたわけではなかったのだが。

    ネパールからインド、パキスタン、イランを経てトルコ、ギリシャへという方向は同じであったので、もう少し長く一緒にいたかった。しかし彼女は私よりも10歳以上も年上の既婚者であり、半年間の旅行が終わったら家庭に戻る立場。一度でいいから世界を旅してみたいという長年の夢を叶えるため、ご主人の理解を得て出てきていることは、バンコクにいたときから知っていた。

    お互いあまり深入りすべきではなかったのだ。あまりに仲良くなり過ぎた私たちは距離を置くことに決めた。それでも相変わらず親しい男女がただの友人の関係に戻るのは容易ではなく、ふたりが物理的に離れるしかないことを悟るまでに時間はかからなかった。

    彼女はどちらかがカトマンズを離れようと言い、私はインドに向かうことに決めた。最後の一日はそれまでと変わらない楽しい時間を過ごしたが、あっと言う間にバスの時間になっていた。バススタンドに見送りに来てくれた彼女と交わした最後の長い長い抱擁とディープなキスが思い出に残っている。このまま永遠に時が止まってくれないものかと願った。バスがそろりと走り出し、手を振る彼女の姿がすぐに彼方へ消える。切なさに胸が張り裂けそうになるのをこらえつつ、私の恋は終わったことを実感した。

    だがその2か月ほど後、彼女とインドでバッタリ再会することになるのだからわからないものだ。そのごく数日前から同宿を始めていた別の北米女性とレストランに入ると、通された席の隣になんと彼女がいたのだ。そんなわけで気まずくはあったのだが3人で食事をすることになった。

    再会がとても嬉しかった反面、「君のことは生まれ変わっても忘れやしない」「出会えて本当に良かった。君のことを愛している。永遠に・・・」などと言って、涙で別れたすぐ後に、他の女性と一緒になっていて大変申し訳ない気もした。数日前から連れ合いとなった女性が彼女に「彼と一緒に旅行していて」とペラペラ喋ってしまうのを遮ることはできない。もちろん女性は私と彼女が恋仲であったことはまったく知らない。

    さらには食事を終えて戻る宿が同じで、これまた同一のフロアーのすぐ近くの部屋という非情な偶然が重なり愕然とする。すぐ近くで独りで寝ている彼女への思いは断ちがたく、いたたまれない気持ちになった。もしここでひとりで彼女と再会していたならば、今晩はどうなっていただろうかとか、この部屋を出て再び彼女に言い寄ろうかなどと、ろくでもないことを考えてしまう。

    翌朝、新しい連れとなった人と宿を出立して他の街へ移動する前、ひとりで彼女の部屋を訪れて最後の挨拶をした。別れてそう時間の経たないうちに別の女性と旅していることに罪悪感を抱いていた私には謝罪のような気持ちもあった。カトマンズで別れ話を切り出したのは彼女自身とはいえ、いろいろ思うところあったはずだ。それでも「元気そうで安心したわ。これからきっと良いことがあるわ。」と温かく長く抱擁してくれて、慈しみに満ちた眼差しで送り出してくれたので感激した。まるで以前の恋人が突然実の姉になったかのようでもあった。やはり当時20代前半だった私よりもずっと大人の彼女の落ち着いた物腰と度量に私はさらに惚れなおした。

    バックパッカーとして長期旅行をしている人たちだが、多くは特に詳細な予定があるわけではなく、なんとなく「アジアを横断する」とか「インドに半年、それから東南アジアでも半年くらい滞在したい」「もしかしたら中国も行くかもしれない」「お金が続けばアフリカか南米にも」などと、ごくフワッとした「旅程」を考えていることか多い。

    つまりスケジュールはあってないようなものなので先の行動はフレキシブルだ。通常は仕事をしているわけではない(今の時代はパソコンや通信環境も手元にあるので旅行しながらフリーランスの仕事をしている例外もあるかもしれない)ため身軽であり、しかも圧倒的に若い独身者が多いため、恋愛に対する関心が強い年代だ。宿泊費が高めの大都市でドミトリーに滞在する場合を除けば、安宿ながらも誰に気兼ねすることもなく自由に使える部屋がある。

    いつも観光客でごったがえしているメジャーなスポットはともかく、ちょっと辺鄙なところで、ひょっこり「同じ外国人旅行者」と出会えば、しばらく話し込むこともあるだろうし、夕食に誘い合ったりもするだろう。そんな中で夜遅くまで話し込んで親しくなるということは珍しくない。普段の生活とは違う非日常空間でもあるため、あっという間に大胆な展開を経てアツアツの恋仲となり、旅路を伴にするというロマンチックな関係に発展することも少なくない。

    その背景には、まず『人は恋をする生き物である』ということがある。一人旅は気楽で良いのだが、しばらく続けていると気の合う話し相手も欲しくなるのは自然なことだ。本質から外れた些末なところでは、宿代を折半して安く上げるという経済的な誘因もあったり、一人だと何かと不便なこともある移動中の安心感(バスの小休止地点でトイレにいくとか、ちょっと買い物に出るとかなども含む)もあれば、女性の一人旅があまり良しとされない国での安全確保という利点もあるかもしれない。

    もちろん互いに相手の人柄や感性を認め合っての真面目な交際であり、性的な衝動だけが目的ということは、あまりないだろう。それでも旅先での恋の常として、ボンヤリとした予定であっても、やはり各々が目的を持って旅しており計画している期間や予算もそれぞれなので、どんなに互いが相手を好きになっても仲睦まじくなっても、遠からず別れのときがやってくることはお互いわかっている。帰るべき国が異なれば、なおさらのことだ。それだけに一緒にいる今という時間が愛おしくなり、旅先の恋というものは激しく燃え上がるのだ。

    旅から離れて自国の忙しい日常に埋没して過去の思い出になっていくこともあれば、旅を終えて帰る先がごく近いエリアでその後も会う機会に多く恵まれて付き合いが続いていったり、あるいは違う国同士の遠距離で交際を続けて愛を育みゴールインするカップルもある。

    昔は『ここの鉄道駅から私は北へ、彼女は南へ向かう』『彼女の帰国を空港まで見送る』といったシチュエーションでは、まさに『今生の別れ』という気がしたものだ。往復に時間のかかる手紙のやりとりをしていても、やがて間隔が空き、いつの間にか途切れてしまったり、互いに引っ越しして新しい住所も判らなくなったりする。もっとも、それよりも前に新しい出会いがあって、以前の相手とは一気に縁遠くなってしまったりもする。

    インターネット、SNSの発達した今では、引き続き相手と近況をオンタイムで交換できるし、ビデオチャットなどでごく近くに感じることができるし、場合によってはその旅行中に向かう方向が同じであれば、どこかで落ち合って旧交を温めることもあるだろう。昔とはずいぶん事情は違うことと思う。。

    そうは言っても、今も変わらないのは、人の縁というものは、まったくもって先が読めないものであり、旅先の恋の行方というものもとうてい予測がつかないものであることだ。まさに筋書きのないドラマである。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 舌こき(ジービー)を購入

    舌こき(ジービー)を購入

    良質な「舌こき」いわゆる「ジービー(jeebhee)があったので、何本か購入。1本22Rs。だいたいこのくらいの価格までだが、このクオリティのものはなかなか見つからなかったりする。薄すぎたり、ステンレスなのに赤サビたりするのは多いけど。

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • リシ・カプールを悼む

    リシ・カプールを悼む

    4月29日にはイルファーン・カーンが亡くなり、とても残念だったが、その翌日4月30日にはリシ・カプールが亡くなり、打ちひしがれた一週間だった。
    ラージ・カプールの息子にしてランビール・カプールの父親。数々の大作に出演し、近年は脇役での出演が主になっていたが、個人的には老いてからのリシ・カプールのほうが好きだった。役者一家のカプール家の中で、父親ラージ・カプールは別格としても、もっともカプールらしいカプールのひとりだったように思う。
    素敵な役者さんだった。
    ご冥福をお祈りします。
    葬儀も気の毒なことに、ロックダウンのため参列できる人は少なく、ごく近い親族でもはせ参じることができない人もいたことだ。あれほどの大物スターの最期がこんな寂しいものとなるとは想像もできなかったことだ。

    Bollywood loses another veteran star: Rishi Kapoor passes away at 67 (stuff.co.nz)

  • デリーのオートワーラー けっこういい人もいたりする。

    デリーのダリヤガンジの目当ての本屋に行くとき、手始めにケンブリッジ大学出版会のショールーム、それから他の出版社のショールームに行くことが多い。
    とりあえずケンブリッジの所在地の目印として、「ダリヤガンジのサンジーワン・ホスピタルまで」とオートワーラーに告げる(誰でも知ってるから)のだが、小さい子連れだと走り出してから振り向いて「お子さん具合悪いの?」「何の診察受けるの?」などと尋ねてくることがけっこうある。
    「実はそのすぐ脇にある書店に用事があってな・・・」と告げずに、「あぁ・・・」なんてテキトーに放置しておくと、ときどき振り向いて、子供の様子を気にしてくれたり、降りるときに「さあ、ここだよ。すぐ良くなるさ。お大事に」みたいなことを言ってくれる運転手はけっこういる。
    他にも、やはりランドマークとして病院名を告げてオートに乗ったとき、ちょうど運転手が勤務終えて帰宅する途中だったのかもしれないし、目的地が近距離であったからかもしれないが、いくらと決めて乗ったのだが到着したら「お代は要りません。坊っちゃんお大事になさってください」と告げて、立ち去る爽やかな若者運転手に遭遇したこともある。
    息子は血色悪いほうではないが、見るからに具合悪そうに見えたのだろうか。顔色も顔立ちも違う異民族なので、インド人には「子連れで病院へ行く。だから子供は具合が悪い」という状況判断しかないのかもしれない。
    あんまり良い印象のないデリーのオートワーラーたちだが、やはり人の子なので人情味のある人は決して少なくない。
    インドもなかなか良い国ではないか!

    ※内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • イルファーン・カーン没す

    イルファーン・カーン没す

    なんということだ。ボリウッドの名優、イルファーン・カーンが亡くなった。

    ヒンディー語映画界随一の演技派の役者のひとり。数々のヒット作にも恵まれ、インド国外でもよく知られている。

    日本でも彼が出演した「Slumdog Millionaire」「The Namesake」「The Lunchbox」などが公開されているので、記憶している方も多いだろう。

    53歳で天に召されるとはあまりに早過ぎる。さらに年輪を重ねて老人役で出るイルファーンも見てみたかった。

    とても残念でしかたないが、ご冥福をお祈りする。

     

    ‘He will be missed badly’: Sports fraternity mourn death of Bollywood actor Irrfan Khan (Hindustan times)

     

  • コロナ禍の世界をインドが救うか

    パンデミック下の世界に対してインドが大きな貢献をすることになるかもしれない。

    いわゆる「クロロキン」として知られているマラリアの治療・予防薬が、新型コロナウイルス感染症の治療にも応用できるかもしれないからだ。

    なぜそこで「インドが」であるのかと言えば、毎年1,500万人もの人々が罹患する「マラリア大国」であるのだが、同時に世界有数の工業国でもあるインドは製薬の分野でも大きな存在感がある。おそらくクロロキンの生産、備蓄ともに世界一である。

    しかしながら、新型コロナウイルス感染症蔓延に伴い、自国消費が急拡大することが予想されるため、この薬品の輸出を一時的に禁止していた。

    そのため今月初めにアメリカのトランプ大統領がイントにクロロキンを大量に提供するようにと、半ば脅しも含めた依頼をしており、これに対してインドはアメリカに貸しを作る形で了承している。

    すると当然ながら他国からも同様のリクエストが相次ぐわけで、突如としてインドの「クロロキン外交」が始まったと言える。インドはこれまでの方針から方向転換して、国外へのクロロキン輸出を許可することを明らかにしている。国内の製材各社に対して、インド政府は大増産の発注をしている。

    果たして、本当にクロロキンが新型コロナウイルス感染症治療に対して顕著な効果を示すことができるのかはまた未知数だが、既存の医薬品が高い効果を示し、まさに「インドが世界を救う」ことを期待したい。

    Hydroxychloroquine: India agrees to release drug after Trump retaliation threat (BBC NEWS)

    Why the world is hungry for a coronavirus drug made in India (DW)

    India ready to help its friends in crisis: Modi (the pioneer)