ここ20年間ほどの間で、現地通貨であるルピーをベースに見れば、インドの物価は今とまったく比較にならないほど上がっている。しかしながら店頭で販売されているミネラルウォーターの類の値段はあまり変わっていないし、これらを製造しているメーカーやブランドもずいぶん増えた。
店で飲料水を購入する層が大きく広がったことが、相対的な低価格化を推し進めることになっているのだ。もちろんその間に、価格や機能性にもいろいろあるようだが、浄水器を備え付ける家庭も増えた。飲み水の安全性に対する認識が上がったことが背景にある。
かつて日本でエンジニアとして働いた経験があり、現在コールカーター郊外に暮らしている友達の家を初めて訪れた際、こんな話を聞いたことがある。
ずいぶん昔のことだけれどもね、父の旧知の友人で、アメリカに移住した家族が我が家を訪れたことがあった。暑い夏の盛りだったけど、この部屋に彼らが入って来て、家の者が彼らに水を差し出したが、誰も口を付けなかった。
これが父にとって非常にショックだったんだな。ウチでお客に出したものが受け入れられないなんて。そんな不名誉なことを受け入れることができなかった。
当時は、父も私を含めた家族の他の者たちも、観念的な浄・不浄とは違う、今の私たちが言うところの衛生観念からくるものであることをよくわかっていなかった。
何しろ普段私たちが何の問題もなく飲んでいた水だからね。安全だと思ってた。まさか外から来た人たちがそれを口にすると、下痢したり病気になったりすることがあるなんて想像もしなかったよ。
それから浄水器を購入してね、もちろん幾度か買い換えたけれども。そのおかげでウチではいつも安全な水を飲むようになっているんだ。
昔からの友人の家族であることにくわえて、ましてや彼の家柄はバラモンである。彼の父自身も、また家族の人々も、二度とそういうことのないようにと願ったのだという。
同時に、それを機会に自分たちが日々口にしている飲料水のことを考えてみるきっかけにもなったそうだ。いくら慣れているからといっても、それまで家族や身内が水に起因する病気にかかることはしばしばあったようだ。
しかしある程度生活にゆとりのある層を除けば、まだまだ安全とはいえない水を日々飲用している人々は多いことは言うまでもない。
ところで、車両価格が10万ルピーほどという、これまでにない低価格が話題となったNANOが、これまでの自家用車の購買層の下に広がる大きな裾野をターゲットにしているのと同じく、あと一歩で安全な水に手が届かない膨大な人口に商機を見出したのが、やはりTATAグループである。

TATA CHEMICALSから、従来よりも安価でランニングコストも低いとされる浄水器Swachが発表された。浄水器本体は、749ルピーと999ルピーの2種類。今後さらに4機種が新たに市場に投入されるということだ。米殻の灰などを材料として出来たフィルターは299ルピーとのこと。
『世界で最も安価な浄水器』との触れ込みで、4、5人程度の世帯で月当たり30ルピーの支出で安全な水を得ることができるとされている。
差し当たっては、年内にマハーラーシュトラ、カルナータカ、西ベンガルの各州で発売され、半年ほどの間にはその他全国で販売を開始する予定。
Tata unveils Swach water purifier (new kerala.com)
バクテリアや細菌などを除去し、飲み水に起因する疾病の80%を防ぐことができるということから、庶民の健康増進に貢献すること、とりわけ乳幼児死亡率を引き下げる効果も期待されている。
もちろんインドに限ったことではなく、同様の生活環境にある第三世界の多くの国々での潜在的かつ巨大な需要も視野に入れているようで、同社の世界戦略商品であるともいえる。
しかし南アジア各地で、井戸水を飲用している地域で問題となっている砒素を除去する機能は付いていないということだ。それでも同社は砒素対策の研究も並行して行なっているらしい。今後の進展を期待したい。
カテゴリー: health
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『水』商売
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史上最悪の産業事故から四半世紀
昔からボーパールで生活している、ある一定の年齢層以上の人々にとって、12月3日という日付には特別な意味があるはずだ。
今年もその日がやってきた。1984年の12月3日の零時過ぎに、マディヤ・プラデーシュ州ボーパール市のユニオン・カーバイド社の工場で起きた、史上最悪といわれる産業事故である。
ONE NIGHT IN BHOPAL (BBC NEWS South Asia)
その晩、同工場から有毒ガスが市内に流出した。イソシアン酸メチルと呼ばれる肺の組織を破壊する猛毒である。事故が起きた夜半のうちに50万人近くの人々が多かれ少なかれそのガスに晒され、2千人以上が命を落としたとされるとともに、その後これが原因となって死亡した人々の数は2万5千人に及ぶという。
また命を落とすには至らなかったものの、深刻な健康被害を受けた人々の数は、20万人とも30万人とも言われているとともに、今なお引き摺る後遺症に悩んでいたり、精神を病んでいたりする人々もある。彼らの中でガンを発症する率が極めて高いことも指摘されているとともに、出生する赤ん坊たちの中に先天的な奇形が多く見られるという。
1969年開業時には地元の工業化の進展と大きな雇用機会をもたらすものとして、またここで生産される有用な殺虫剤の普及は社会に貢献するものとされていたことなどもあり、歓迎されていた工場である。
事故の原因については、今なおいろいろ議論のあるところだが、ユニオン・カーバイド社が主張していた『アメリカ本国と同じ安全基準』が実際には適用されておらず、ずさんな管理がなされていたことが背景にあるようだ。また従前より、工場内部からも事故の可能性を危惧する声が一部から上がっていたらしい。
1989年に、事故の遺族たちとの示談が成立し、彼らに対する補償問題は解決したものとされているが、工場地の重度に汚染されている状態、そこから敷地外への有害物質の漏出が現在も続いており、今なお付近の人々に対する健康被害が継続しているとされるが、これについての責任の所在が確定していないため、何の対応策も取られていない。
同工場は事件後閉鎖されているが、ボーパールの駅から北方面2キロ弱の地点にある。Google Earthなどで確認していただけるとよくわかるが、この工場自体が市街地内にあり、しかも人口稠密な地域にごく近いことも大きな被害を呼ぶことになった。大きな地図で見る
線路西側にかつての工場施設が錆び付き、荒れ果てた姿で亡霊のように姿を現す。かつて大事故を起こした建物が、当時そのまま放置されていることが示すように、事件は今なお続いている。
この事故は、発生直後からマスコミやノンフィクションなどでいろいろ取り上げられてきたが、比較的近年になってからも映画や小説の題材となっている。
1999年には、この事故を題材にしたヒンディー映画『Bhopal Express』がリリースされているので、観たことがある人も少なくないだろう。
The City of JoyやFreedom at Midnightなど、インドを題材にした作品も複数手がけてきたドミニク・ラピエールがハビエル・モローとともに著した作品『Five Past Midnight in Bhopal』を世に送り出したのは2002年。

日本で同書は『ボーパール午前零時五分』というタイトルで発売された。
事故に関して、以下のようなビデオならびに写真のサイトもある。
Twenty Years Without Justice : Bhopal Chemical Disaster (STRATEGIC VIDEO)
Bhopal Gas Tragedy (Photos by Raghu Rai)
汚染が継続していることを警告する住民側とこれを否定する行政の姿勢を伝える報道もある。
Bhopal site ‘not leaking toxins’ (BBC NEWS South Asia)
事故発生からすでに四半世紀が過ぎたことになるが、今なお健康被害等が続いていることについて目をつぶるべきではないし、彼らの救済や汚染状態の調査と適切な対策がないがしろにされてしまっているこの事件を風化させてしまってはならない。
だが、事故の規模があまりに大きなものであったがゆえに『誰がその費用を負担するのか?』という問いに対して、『誰も負担できないし、負担しない』状態が続く限り、被害者たちの苦悩は続くことだろう。たまたまそこに居合わせたがゆえに事故に巻き込まれた罪無き人々に対するあまりに酷い仕打ちである。 -
SWINE FLU
インドでもSwine Fluとしてニュースの話題に上ることの多い新型インフルエンザ。
First batch of swine flu vaccines in India by Dec (Hindustan Times)
そういえば、先月末には、グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディーが発症したことが伝えられていた。
Narendra Modi tests positive for swine flu (ZEE NEWS)
そのインフルエンザが我が家にもやってきた。ここ数日間、四人家族のうち三人が相次いでバタバタと罹患し、そろそろ私かも?と思っていた矢先、熱がバーンと上がり、医師の診察によれば、家の他の者たちと同じA型で、目下流行っているのは、まず間違いなく新型インフルエンザであるとのことだ。とりあえず各自タミフルないしはリレンザの処方を受けた翌日あるいは翌々日には平熱に戻った。
これが、今年4月の後半あたりからメディアで大々的に報じられてきた新しいウイルスか、と思うと、ちょっと感慨深いものがないでもなかった。半年ほど前ならば、感染経路を詳細に調べられたり、それまで接触した人々も調査の対象となったりといった具合に、周囲を巻き込んでの大わらわになるところであったのだろう。
そもそも当時の・・・といってもそんなに前のことではないのだが、メディアと行政が一体となってのあの狂乱ぶりは一体何だったのかと思う。新型ウイルスが、ヒトからヒトへ効率よく感染するようになり、世界的な流行が始まっているというパンデミック宣言がなされた時点で、すでに症状等は季節性のものと変わらないということが伝わっていたにもかかわらず、しばらくの間はあまりに過剰な対応がなされていた。
しかし今回の騒動で、肯定的に捉えることができる部分が二点ほどあるのではないかと思う。まずは、現在出現が危惧されている高病原性鳥インフルエンザが私たち人間の間で流行するようになった場合、対策として何が有効であるのかないのかを判断するシミュレーションにはなったであろうということだ。
加えて、現在流行中の新型インフルエンザについては、症状や治療方法が季節性のものと変わらないため、少なくとも日本国内では、両者につき同じ『インフルエンザ』として扱うようになっており、行政の示す指針に区別はなくなっていることも挙げられる。
・・・というのは、これまで、悪くすると死に至る病気であるインフルエンザが軽視され過ぎていた。学校や幼稚園等の場合は、クラスで一定数を超える患者が発生下場合、学級閉鎖の措置が取られてきたが、社会人の場合は職場で特にそうした対応はなされていなかった。ただのカゼの一種という意識で、熱や頭痛を我慢して職場に出てくる人もあったし、たいていの人はとりあえず熱が落ち着けば仕事に戻っていた。
実は、インフルエンザにより、日本国内だけでも年により数字は大きく異なるものの、1万数千人から3万人もの方々が亡くなっていること、基礎疾患があると、重症化しやすいということを今回の新型インフルエンザ騒ぎで初めて知った人も少なくないだろう。
本来、インフルエンザが『怖い病気』であることが再認識され、それなりのきちんとした対応がなされるようになったことは、きわめて前向きに評価できることだと思う。暦がひと巡り、ふた巡りもすると、もはや新型ではなく『Aメキシコ型』とでも呼ばれるようになるのだろう。
罹ったことのある人が大幅に増えて、今後数年間は流行の主体となるのがこの型のインフルエンザであろうという見通しがなされていることから、ワクチン等も潤沢に用意されるようになることだろう。それでも感染の拡大と重症化を防ぐために、『タミフル・リレンザ投与を開始して、解熱後2日間開けてから登校・出勤』という体制はしっかりと維持されるべきだ。
現在、世間で言うところの『新型インフルエンザ』を含めた既存のインフルエンザについて、早期治療と充分な休息により、普通は大事に至らずに済むとはいえ、罹患した人々の6割が死亡すると推定されている高病原性鳥インフルエンザが、『ついにヒトの間で流行』となった場合、果たしてどうやって私たち自身を守ることができるのか?という疑問と不安を感じることは否定できない。 -
遺伝子組み換え食用作物 インドで大量消費の日は近い?
従来の商業作物に対して、遺伝子操作を施すことにより、病虫害や除草剤への耐性、貯蔵性の向上、栄養価の増大、含まれる有害物質の減少等といった形質を与えた遺伝子組み換え作物と呼ばれる。
また医療方面での効果を上げることも期待されており、例えばスギ花粉症のアレルゲンのエピトープを含む米を意図的に造り出し、これを食用とすれば経口免疫寛容により、花粉症の時期の症状を軽減できるであろうというものだ。
将来的には、これまで栽培が難しかった環境での育成を容易にしたり、収穫量を拡大させたりといった効果も期待されている。
しかしながら、こうした作物を食用とすることにより身体に及ぼす作用はないのか、遺伝子組み換え作物が在来種と交雑することによる環境への影響など、その安全性についてはいろいろ議論されているが、今のところまだ結論は出ておらず、中・長期的な観察も不可欠だ。
こうした技術や作物についての評価は様々だが、グローバルな観点からは、バイオ燃料需要の増大、従来の農業国の工業化等、産業構造の変化による就農人口の減少、新興国を中心とした食料の需要増等に対応するため、農業における一層の効率化は避けられない。
また日本のように、現状では食糧自給率が極端に低く、耕作地が限られている国においては、食品としての安全性、環境への影響といった部分への不安が払拭できれば、能率的で、収益率も高く安定したな新しい農業のモデルを創造できるきっかけとなるのかもしれない。今後私たちと遺伝子組み換え作物との関わりは、より深くなっていくものと考えられる。
もちろんネガティヴな側面もある。遺伝子操作という新しい技術が生み出す作物について、まだ知られていない重大な欠陥や問題点が出てくることもあるかもしれないし、グローバル企業が進めるアグリ・ビジネスによるモノカルチャー化(単一品種の栽培)がこれまで以上に進展するのではないかということも容易に想像できる。
アグリ・ビジネスの中でも、とりわけバイオテクノロジー・ビジネスの分野をほぼ独占しているアメリカの私企業に、私たちの食卓の大部分を委ねるという事態になってしまうとすれば、大きな不安を抱くのは私だけではないだろう。
インドでは、2002年に綿花栽培において、遺伝子組み換え種の導入を認可した。その背景には、綿花栽培農家の苦境があった。綿の作付け面積は世界最大だが、収穫量では世界3位に甘んじている現状を踏まえたうえで、収穫量を6割向上させることができると主張するアメリカのモンサント社による熱心な売り込みが、当初はこの新技術に懐疑的であったインド政府に門戸を開かせることになった。
それから7年ほど経った今、ついに食品の分野でも遺伝子組み換え作物が認可されるに至った。先述のアメリカのモンサント社とともに、インドのアグリビジネス企業Mahycoがかかわっている。
Biotech regulator approves commercial release of Bt brinjal (Hindustan Times)
भारत उगाएगा बीटी बैंगन (BBC Hindi)
こうした動きには、国内事情からくる要因が多分に作用しているものと思われる。総人口の6割以上が29歳以下の若年層、25歳以下で区切れば総人口の半数を占める。
一般的には、若年層が多いほど、労働力が豊富であり、個々の家計支出も例えば結婚、家財道具の準備、出産、子供の養育・教育費、住居の購入・新築といった大型のものが続くため、内需拡大に結びつきやすく、経済発展に貢献する度合いが高いとされる。
だが必ずしもこれが有利に働くとは限らず、高い人口増加率が経済の足を引っ張ってしまうというところにインドのジレンマがある。とりわけ出生率の高い社会層において、低所得、失業、貧困、教育等々の問題が深刻なのだ。
総人口の7割が農村に暮らし、しかもその大半が5,000人以下の村に住んでいるとされる。インドの農業は、灌漑が普及に成功した地域を除き、天候頼みの部分が大きいことから、特にモンスーンが不順な年には大きな影響を受けやすい。そうした折には農村人口が大挙して非熟練労働者予備軍として都市部に流出する。
今をときめくBRICsの一角を占めるインドだが、同時に世界最大の貧困層を抱える国でもある。農村部で人々に安定した収入をもたらすことが、世界第二の人口大国の食糧問題、労働問題等、諸々の難問を解決するための大きなカギとなることは言うまでもない。
また経済全体の半分を外需が支える中国とは対照的に、インド経済を引っ張るのは旺盛な内需。総体の三分の二が国内需要によるものだ。
よって都市部の需要に対する周辺部という位置づけであった圧倒的な人口を抱える農村部が富むことにより、国総体としてのの経済規模が飛躍的に拡大することが期待される。
そうした社会的な要因を背景に、遺伝子組み換え作物については、今後トマト、オクラ、米の解禁も近いとされており、インドの食卓への浸透は進むだろう。
数年後、あなたがそうとは知らずにバーザールで手に取っているその野菜も、何気なく口にしている料理の中身も、実は遺伝子操作による産物かもしれない。
ただし、遺伝子組み換え作物というものが、果たして本当に食用に適しているのか、環境に対する影響はないのか、近い将来遺伝子組み換え技術の欠陥や弊害が浮上することにならないのか、その技術が特定の国の私企業にほぼ独占されていることでどんな問題が生じてくるのか、大いに気になるところでもある。 -
未だ見ぬ『怖い新型インフルエンザ』
日本では学校の新学期が始まり、新型インフルエンザによる学級閉鎖等のニュースがメディアに登場しない日はない。自らはかかっていなくても、身の回りに罹患したことのある人があるという方は少なくないだろう。
早いうちに罹ってしまって、免疫とやらを獲得するのもいいかもしれないが、我が家の下の子供はまだ1歳。私が罹患するということは、自動的に家族も感染・発病してしまうということで、特に乳幼児は新型・季節性を問わずインフルエンザ脳症のリスクが高く、何としても新型に対するワクチンを接種させるまでは、少なくともこの新しい病気をもらってこないことを願っている。
この病気があまりに一般化してしまい、発生件数をカウントすることに意味がなくなってしまったこと、加えて症状や治療方法等が他のA型の場合と変わらないことから、医療機関で簡易検査を行なってA型であることが判明しても、特に新型か季節性までを確定することは通常行なわなくなっているようだ。この時期インフルエンザにかかるということは、非常に高い確率で新型であるということもあるだろう。
新型インフルエンザ – Googleニュース
新型インフルエンザの出現と流行に関しては、他の多くの地域よりも遅れたインドでもSwine Fluとして、やはり同国のメディアにはよく取り上げられている。患者数もかなり増えてきている。
Swine Flu – Google news
本日時点までで、これまでバンガロールだけで36名が死亡しているとのことだ。その他各地で相当数の方々が亡くなっており、類型の死亡者数は9月5日時点で125名を越えている。適切な医療へのアクセス、生活水準等の問題から、特に社会的に弱い立場の人々の犠牲が多いのではないかと思われる。
貧困層の乳幼児や老人、元気なはずの世代でも日銭を稼いで何とか大家族を養っており、体調が思わしくないからといって休めないような人々の間で感染が広まれば、それなりの割合で重症化することは容易に想像がつき胸が痛む。
新型ということで、このタイプのインフルエンザの出現以降、これまで罹患したことのある人を除き、誰も免疫を持っていないため、今後どのように流行していくのか注目される。
新型の毒性は季節性と同程度とはいえ、私たちがこれまで冬になるとよく罹ってきた通常のインフルエンザにしても、持病のある人は重症化しやすく、乳幼児や高齢者もリスクが高く、健康な大人でもこじらせると厄介なことになったりする危険な病気であった。日本だけでも毎年インフルエンザに罹患したことにより、あるいは合併症などを起こして亡くなる方々は1万人以上であるとされる。
現在言われているところの『新型インフルエンザ』のみが怖いのではなく、これまで私たちが慣れ親しんだ?季節性のものも含めたインフルエンザという病気全般が、これと同じ程度に危険なものであることを認識させてくれる機会になったと言えるかもしれない。
数年前から『遠くない将来、新しいタイプのインフルエンザが出現する』という前提のもとで、WHOならびに各国政府が新型インフルエンザに対する行動計画の策定を進めてきた。その進捗状況には国・地域差があったものの、先進国を中心に概ね本格的な体勢が整ってきたところで、今回の新型インフルエンザ出現となった。
世界各地で蜂の巣をつついたような騒ぎとなり、関係当局はその対応に忙殺され、メディアは煽り立てて、騒動に拍車をかけてきた。まさに『予想されたパンデミックの最中』に私たちはある・・・ということになる。
だが『ちょっと待ってくれ』と言いたいのは私だけではないだろう。確かに新型インフルエンザが出現した。だがこれはここ数年来危惧されていた高病原性のH5N1型トリインフルエンザではなかった。現在までのところ、トリからヒトへと散発的な感染が観察されていることからWHOの言うところの『フェーズ3』にある。
遠からず、トリインフルエンザが、これに感染したヒトからヒトへと効率よく感染が広まっていく状態が現れることが予想されており、しかもこれまでトリから感染したヒトの死亡率が約6割という。世界的に大きな災厄を及ぼすことが予想されているインフルエンザである。
今回、意外な『伏兵』の登場により、私たちが本当に気をつけなくてはならない真の敵に対する注意が散漫になってしまっているように感じられてならない。目下、流行している『新型』対応のワクチン生産その他に対して持てる力の大半を注ぎ込んでしまい、いつ出現してやろうか・・・と機会をうかがっている『本命』に相対する余力は残っているのだろうか?と少々心配になったりする。
もちろん、このたびの毒性の低いインフルエンザの流行は、やがて来るであろう『危険な新型』に対する予行演習にはなるだろう。これまで想定してきた対策のうち、何が有効で何がそうでないのか。新たにどういう対策を打ち出すべきなのか、いろいろ検証できることと思う。
私たちが肝に銘じておくべきことは、目下『とうとう怖いインフルエンザがやってきた』のではなく、近い将来『本当に怖いインフルエンザがやってくる』ということである。 -
i-pill
近ごろインドのテレビでこんなCMをよく見かける。
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携帯電話が鳴る。
寝ていた女性が起き上がって出る。
時刻は午前2時前。
「何?どうしたの?」
相手の話に耳を傾けていた女性が驚いた声を上げる。
「えぇっ!何も用意せずに!?」
「いつ?』
「どうしてそんなことに?」
「妊娠したら堕胎することになるのよ、わかってる!?」
「まだ今なら間に合うと思う」
緊急避妊ピル、72時間以内に服用。望まない妊娠を防ぐために・・・・。
…………………………………………………………..
これはi-pillの宣伝。他社製の類似商品にUnwanted-72というものもある。どちらも強力なホルモン剤からなる薬で、性行為の直後、なるべく早いうちに使用することで妊娠を防ぐ。両製品とも『72時間以内に使用』するものであるとうたっている。この類の薬は、欧米や日本その他各国でも広く流通している。
だが、ちょっとあからさまなこのCM。性に対して開放的になってきていることが背景にあるのだろうか。避妊に関する選択肢が増えること、とりわけ急を要する場合の最後の手段として、こうした手段を選択できるということは大切だ。こうした商品が広く流通すること、そうした方法があることを世間が周知することも意味のあることではある。
しかし同時に避妊という大切な問題について、間違った捉え方をする人も出てくるのではないかということも気にかかる。それに子供たちも普通にテレビを見ている時間帯にも、こうしたCMがバンバン流れているのもいかがなものか?と感じるのは私だけではないはず。いろいろと考えさせられるものがある。 -
非喫煙者 でもときどき喫煙
ふと思えば、周囲で喫煙者が減っている。禁煙・分煙化の動きはどこも同じで、国は違えども公共の場で喫煙できる場所はどんどん減っていき、これと歩みを同じくしてタバコを吸う人も減っていった。もちろん自然にこうした流れが出来たわけではない。
非喫煙者による禁煙・分煙化を求める意識の高まりは、タバコの害に関する広範な啓蒙活動の果実であるといえよう。それが市民の紫煙に対するスタンスに変化を生じさせ、行政に対しては、非喫煙者の健康を守るために、様々な対策を取ることを促した。
かつては『禁煙』と表示することにより、そのエリアが限定されたスモークフリー空間となり、非喫煙者が喫煙者に対して『吸わないでくれ』と要求できる根拠ができた。だが時代が下るとともに禁煙指定の場所が拡大し、やがて基本的に公共の場ではタバコを吸うことができなくなり、『喫煙エリア』『喫煙所』と指定された場所でのみ、これが許させるようになった。
その喫煙可能な場所にしてみても、日本では今年4月からJRの駅から取り除かれることとなり、いまや喫煙者に残された『聖域』とは、パチンコのような遊戯施設と酒場くらいのものではないだろうか。
世界的にタバコの価格もずいぶん上がっている。もちろん物価上昇によるものではなく、各国政府が政策的にタバコにかかる増税を実施しているからだ。インドで20本入りパッケージを買うと、日本での一昔前に販売価格と変わらない。市井の人々の収入を考えると、ずいぶんな贅沢かもしれない。
購買力という点から見れば、一箱600円から1000円くらいする欧米に比べてずいぶん安い。日本におけるタバコの値段は300円程度と手頃である。タバコに起因する医療にかかる社会的なコストを勘案したうえで、タバコの価格を大幅に引き上げようという動きは常にあるらしいが、おそらく喫煙者自身とは別のところに強力な抵抗勢力があるようで、なかなか実現しそうにはないようだ。
私自身は『非喫煙者』ということになっている。喫煙者ではない、と言い切れないのは、ときどき吸っているからだ。毎日数本だけ吸うという意味ではない。外に飲みに行ったときに、一箱買って席で吸い、店を出るときに捨てている。また仕事やプライベートな旅行などで、自宅を離れる際も例外的に吸うことを自分自身に許している。その際、自分の生活圏に戻る前にタバコを放棄し、これを日常生活に持ち込まないようにしている。
『また吸い始めたら、やめられなくならないか?』と聞かれることもあるが、案外そうでもないので、『要はケジメなのさ』と答えたりしている。飲み屋や旅行から戻ってから、どうにも吸いたくてたまらなくなることはまずないので、私なりにうまく気持ちを切り替えている・・・と思う。
でもよくよく考えてみると、スパッとやめることができないから、そうした例外規定を設けて、ときどき喫煙しているということにもなるかもしれない。『だから本当はやめてないじゃないか』?と指摘されれば、そうだと認めないわけにはいかない。
前置きが長くなったが、そんなわけで私は非喫煙者の立場と喫煙者の気持ちもわかると思う。喫煙しない日常では、タバコの副流煙は臭くて迷惑だなと思うし、たまに喫煙しているときには、それなりにマナーに気をつけているつもりだ。
たまに喫煙者の視点から眺めてみると、各国の空港も喫煙所スペースが非常に劣悪な環境であったり、そもそもタバコを吸う場所がまったくないところも少なくない。その他交通機関や駅など発着場所においても、こっそり吸っている人はあっても、通常は禁止されている。屋内の飲食店もたいてい禁煙だ。『おお、スモークフリー化が進んだなあ』と感じ入る次第である。これは非喫煙者の視点からはなかなか気が付かない変化だと思う。
そんな中、ネット上でこんな記事が目に付いた。
ここでは堂々と、「喫煙カフェ」盛況 (asahi.com)
『すべて喫煙席』が売りとのことで、他から締め出された肩身の狭い喫煙者たちが、心ゆくまで紫煙を愉しむことができる限られた空間だ。しかし今なお喫煙率が相対的に高い水準にあり、『健康増進法』
における受動喫煙防止の施策も緩い日本
で、喫煙者を囲い込むことがひとつの大きな商機となりえるならば、喫煙者が大手を振ってタバコを吸える『解放区』が、雨後のタケノコのように各地に出現するのではないだろうか。
非喫煙者がそうした場所に足を踏み入れなければ済むこととはいえ、これまで嫌煙権が強化されてきたのに対して、『喫煙権』を保護する形となる。これによって禁煙化の動きが部分的に骨抜きになる可能性もあるのではないかとも思う。『非喫煙者ときどき喫煙』の私はどちらに肩入れするつもりもないのだが。 -
新型インフルエンザ 『行動計画原理主義』でいいのか?
ついにインドでも新型インフルエンザの患者が確認された。
First confirmed case of swine flu in India (THE TIMES OF INDIA)
エミレーツ航空のフライトにて、アメリカからドバイとデリー経由でハイデラーバードに到着した人物からウイルスが検出され、現在隔離されているということだ。
また日本では、5月17日昼ごろまでの時点にて、国内でヒトからヒトへ感染が認められたケースは21名となった。いずれも高校生であり、『なぜ高校生ばかり』という声もあったものの、その後成人(20代と40代にそれぞれ1名ずつ)の感染疑い例も出ており、確定すれば成人では始めての例となる。
国内感染計21人に 大阪で9人、兵庫で4人新たに確定 (asahi.com)
大人からも陽性反応 新型インフル、兵庫で新たな疑い例 (asahi.com)
新型インフルエンザ感染が確認された神戸では、今月15日から17日に開催される予定であった『第39回神戸まつり』や同17日に行なわれるはずであった『おまつりパレード』が急遽中止となり、スポーツの試合や大会も中止や延期され、映画館も休館するかもしれないという。また保育所や介護施設も一斉に休業するなど、大きな社会的影響が出ている。
今回の新型インフルエンザについて、日本では厚生労働省が医療専門家等の意見等をもとに定めた新型インフルエンザ対策行動計画をもとに、さまざまな対応がなされているところではあり、これを基に各省庁や各地方自治体での対策行動が進んでいくことになる。
しかしながら、この行動計画自体が、強い毒性を持ち、高い致死率を示すであろう鳥インフルエンザに対して策定されたものである。今のところ季節性インフルエンザ(新型インフルエンザに対するこうしう呼称は、ここ2週間ほどで社会にすっかり定着した)と変わらない症状で弱毒性である。
今後ウイルスが変化してより強い毒性を持つようになる可能性も否定できないとはいえ、メディア上にも医療関係者から疑問の声が多く上がっている。
毎年冬になるとインフルエンザの流行が報じられ、学校などで一定以上の感染者が発生すると、学級閉鎖その他の対策が取られるが、今回の一連の動きのような大きな騒動には発展することはない。
すでにアメリカでは、今回のインフルエンザの症例を見極めたうえで、過剰な反応をすることを取りやめて、季節性インフルエンザに対するものと同等の対応をすることになっていることはすでに広く報じられているとおり。
蛇足ながら、現在の季節性インフルエンザにしてみたところで、もともとは鳥類の病気であったものが、豚を介してヒトにも感染するようになったとされている。今回のインフルエンザは、確かに新型とはいうものの、前代未聞の特異な変化を起こして発生したというわけではない。
行政機構という、上意下達のシステムの中で、それを担当する各組織ないしは該当するスタッフ等は、上からの指示に黙って従い、職務を遂行するしかない。だが策定されている行動計画が、今回のインフルエンザに対する処置としては、かなり的外れであるようだという声が医療関係者からも多く出ている。
一度定めた行動計画の内容について、これを汲み上げて柔軟に対応する機能がなく、事前に定められた行動計画をひたすら墨守すべき根本原理であるかのように、ただこれを声高に叫ぶ政治家や官僚主導により、猪突猛進的に推し進められていく様子自体に大きな不安をおぼえる。
もちろん季節性のインフルエンザでも、毎年世界中で4万人前後の死者が出ているといわれており、社会や個人で気をつけるべきこと、心がけるべきことはたくさんある。
また従前より危惧されていた強い毒性を持つインフルエンザが新たに出現した際に、すでに策定されている対策が流行拡大に対してどの程度の効果があるものなのかを確認する危機管理訓練の機会であるということも否定できないが、社会に対する、また個々人の生活に及ぼす影響があまりに大きい。
行動計画という規定に基づき、これを機械的に推し進めるのではなく、現状を観察したうえで、それに応じて既定の行動計画に対して柔軟かつ適切な軌道修正を行なうこと、それを可能とするシステムを持つことこそが、今の行政に対して求められているはずだ。
当初の想定と異なる部分が出てきた場合、それに対していかに速やかに対応できるか、これが危機管理にキモであることは言うまでもないだろう。この部分がすっかり欠落していることが大変気がかりだ。不必要な部分や大幅に緩和するべきが出てくれば、そのように対応すべきだろう。反対に、より強化すべき部分が生じた場合には、そうした処置を講ずる必要があるにしても。
ともかく、新型インフルエンザについて、臨機応変に対応する能力を著しく欠く、はなはだ硬直した政府が策定した『行動計画』原理に基づく集団ヒステリーを、このままさらにエスカレートさせて良いものなのか、はなはだ疑問である。
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※本日夕方、大阪府の橋元知事が、今回の一連の動きについて『通常のインフルエンザの対応に切り替える必要があるのではないか』として、厚生労働大臣に見直しを要請したことを明らかにした。
橋下知事、「新型インフル対応」見直しを厚労相に要請 (asahi.com)
これを機に、いたずらに危機感を煽ったり、過剰に過ぎる対応を根本的に正して、現状に即した妥当な方向へ向かうことを期待したい。
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タバコにビックリ

『マールボロ・ライトを下さい』
代金を渡して手にしたパッケージにプリントされている鮮やかなカラー写真を目にしてギョッとする。ガリガリにやせ細った身体の男性。鼻や喉に管を差し込まれ、口元はプラスチック製のカバーに覆われた瀕死の状態の人物は、個人が特定できないように、目元だけには強いボカシが入っている。
バンコクの大通りの歩道脇の雑貨屋。店番の女性は、ヴィックス・インヘラーの類似品みたいなものを鼻に当ながら、クルマやバイクの忙しい往来をボンヤリ眺めている。本来は鼻づまり対策のものだが、強いメンソールの刺激で清涼感を得られるためか、この暑い国ではカゼを引いているわけでもないのに常用している人が多い。
『これ、ちょっと替えてもらえますか?』
タバコが身体に悪いのはわかっているし、今やたいていどこの国でも警告文が入っているが、いくらなんでもこれはあんまりだろう。
彼女が次に差し出してきたのは口腔ガンの患部の写真。これまた酷いものだが、さらにまた別のグロテスクな写真が出てくるのだろうから、このまま受け取っておく。
店先にぶら下がったタブロイド版の新聞のトップに、ユーモラスなワニの顔の大きなカラー写真が掲載されている。だが口にくわえているのは人間の手であることに気がついてギョッとする。肘のあたりで捻じ切られたようになっている。あまりに生々しくて怖ろしい。
バンコク・ポストなど英字紙では、こうした残酷写真の掲載については、比較的抑制が効いているようではあるが、タイ語の一般紙では事故や事件などの報道で、ちょっと信じられないような酷い写真を掲載しているし、そうした画像を集めた専門誌?も存在するようだ。
泰国義徳善堂や華僑報徳善堂のような、華僑を中心としたお寺の檀家集団による互助会が、盛んに救急活動をしていることは広く知られている。これら活動拠点では社会から広く資金を募っている。これまでの活動実績をアピールするため、交通事故や殺人事件など、思わず目をそむけたくなるどころか、即座に記憶から消し去りたくなるような凄惨なカラー写真が展示されているのを目にしたことがある方は多いだろう。
過激な写真がメディアその他に広く散在しているだけに、タバコの『タバコは害である』といった警告文とともにこうした画像が入ったところで、とりたてて驚くほどのことではないのかもしれない。あるいはこうしたパッケージを見慣れてしまうと、怖い写真も箱に描かれた模様の一部のように感じられてしまうのかもしれないが、これを初めて手にした私にはとてもショッキングであり、この箱を手にすると気が滅入る。
タイで、以前はこんな警告写真は見かけなかった。おそらく最近導入されたものなのだろう。現在、世界中の多くの国々でそうであるように、タイも喫煙者の数と非喫煙者の受動喫煙の機会を減らすよう長年努力してきている。パッケージに印刷されたどぎつい警告写真もその運動の一環であろう。
タイにおける受動喫煙防止と法体系
もともと南米でインディヘナの人々特有のものであった喫煙の習慣を欧州に持ち帰ったのは征服者であった欧州人たちであり、その後世界各地にタバコが広まっていったのはご存知のとおり。だが近年の嫌煙化の流れの中で、愛好家による嗜みから、野蛮な奇習という扱いになっていくのかもしれない。
私はだいぶ前に禁煙しており、普段はタバコを吸わない。だが酒を飲みに出かけたり、ちょっと旅行に行ったりする際のみ、その禁を解くことにしている。そのため完全な非喫煙者であるとはいえないのだが、このグロテスクな一箱でやめにしておこう・・・と思った次第である。

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オーバーウェイトでクビ!
国営航空会社二社合併に伴う合理化、近年の航空業界の不況、他社との競争等々、いろいろな理由があるのだろう。エアインディアが同社では前代未聞の動きに出ている。それは『オーバーウェイト』のエアホステスのリストラである。このほど解雇が通達されたのは
国内線に搭乗していた10人。彼女たちには地上職に転進する道は用意されていない。
解雇が通告された人たちは法廷の場で争う構えだ。しかし昨年6月には、客室乗務員の肥満は自身の健康はもちろん、万一の際の安全確保の際の障害となりえるという航空会社の意見に同調する見解を出しているとともに、競争の激しい業界の現場で働く人たち健康や容姿が、自身の品格の一部として重要な位置を占めているという発言をしているため、なかなか難しいものがあるかもしれない。
フィットネスクラブやダイエットなどが都会生活の一部としてすでに認知されているし、映画で活躍するヒロインたちのスタイルも大きく変化した。とはいえ、まだまだ体型の変化(?)について寛容な国(もっとも北米などについても一般市民レベルでは肥満についてさほど関心が強いとは思えないが)であることは間違いないのだが、こうした事例を見るとやはりそういう時勢であるらしい。
ちなみにエアインディアの示す基準としては、18歳の場合で152cmの場合は体重上限が50キロ、同じ身長で26歳から30歳までの年齢の場合は56キロが制限ラインなのだとか。ただ体重といっても、普段からスポーツをしている人、もともと筋肉質の人の場合は見た目よりも体重が重くなりがちだし、筋肉の量に加えて骨格などによっても適正体重はかなり違ってくる。
ただこうしたニュースがエアインディアに関するものであるがゆえに、メディアでちょっとした話題になっているのだろう。新興航空会社が伸長する前の時期においても、ジェットエアウェイズのフライト・アテンダントといえば、男性はハンサムなマッチョ型、女性は可憐なモデル風というタイプが典型だった。肥満型の乗務員など記憶にない。
現在、キングフィッシャー・エアラインやスパイスジェットなどに搭乗してみると、機内乗務員は顔立ちや肌の色合いを除けば、まるで『既製の工業製品か?』と思うくらい近似した容姿体系の見目麗しき男女が多く、厳しい健康・食事管理等がなされていることが想像される。
私自身は、身体が太い細いといったことにあまり関心がない。ちゃんと元気に動くことができればそれでいいのではないだろうか。何ごとも無駄を削ぎ落としたギリギリで頑張るよりも、多少のゆとりがあったほうがいいのではないかと思う。グローバル・スタンダードなスリムさ(?)ではなく、サーリーの脇からちょっと(ときに大胆に)はみ出た贅肉の鷹揚さにすこぶる肯定的な意見を持っている私である。
Air India sacks 10 ‘overweight’ air hostesses (Deccan Herald)
Air India Fires 10 Stewardesses For Being Too Overweight For The Plane (YouTube) -
トイレ 洋の東西をひとつに 1
しゃがむか?座るか?相反するスタイル
近世において都市部をはじめとして広く公衆衛生の普及がみられるようになった。しかし西洋式のトイレ文化の導入により、他のアジア諸国でもそうであったように、従来の土着のスタイル『しゃがむ』タイプの様式と外来の『座る』タイプのものが並存することとなった。
前者と後者の分布は地域差や立地によりいろいろ違うため一言でまとめるわけにはいかないが、概ね個人の住宅では『しゃがむ』もの、富裕層・中間層が出入りする場所では『座る』ものの普及が顕著で、その他不特定多数の大衆が行き来するエリアでは前者・後者ともに並存するという形が多いようだ。
トイレ文化の違いで困ること
今あるタイプのトイレが一般化した20世紀以降、一見すると平和裏に共存しているように捉えられがちなトイレだが、その実ふたつの異なる文化が激しくせめぎあう物騒な空間だ。それは21世紀に入っても変わることなく続いている。
たとえば日本の例を挙げてみよう。主に省スペースという目的から住宅等で設置されるトイレの大半が男女・大小兼用の洋式となっている昨今、私たちは『座る』ことにすっかり馴染み、和式よりも快適に感じるようになっていることは否定できない。そうした背景もあり、より高度なコンフォートを求めて便座が一定の温かさに保たれていたり、事後に自動で洗浄してくれたりする便利な製品も多い。
しかしながら一歩自宅の外に出てみるとどうだろうか。一般の公衆トイレはいざ知らず、ホテルやデパートといったきちんとメンテナンスの行き届いた空間においても、誰が使ったかもわからない便座に尻を乗せる行為を不快と感じる向きは少なくないようだ。その結果、消毒用アルコールを含んだジェル状の便座クリーナーであったり、薄いビニールや紙の使い捨て便座カバーが用意されていたりする。どちらも『しゃがむ』トイレでなら不要なものである。
しかし事後の処理をトイレットペーパーではなく、水で行なう地域においてはさらに大きな問題を利用者に突きつけることになる。それは座ることと水で洗浄することが極めて両立しにくいことだ。
右手に持った手桶から流す水を、左手を用いて洗うという行為は、尻をくるぶしの位置にまで深くしゃがみ込んだ姿勢でこそ可能なのだが、洋式トイレに座った姿勢つまり中腰の状態ではきちんと実行できず、下手すると洗った水が太腿の後ろ側を伝って流れ落ちるという大失敗にもなりかねない。加えて『しゃがむ』タイプに比較して、『座る』ものだと手元が便器脇の蛇口からも非常に遠くなるので苦痛がさらに増す。
苦痛が生み出す結果
そうした不便や苦痛を克服するために私たちはどう対処すればよいのか。誰もが思いつくことはただひとつ、便座を両足で踏みつけてしゃがむことである。かなり不安定な姿勢になるが、下半身や衣類を汚さないためにはこれしかない。私たちは洗い用の手桶を持ったまま、恐る恐る片足を便座にかけてヒョイと乗っかるのである。
すると便座は床の水やら汚物やらでまみれて、次に使用する人は決してそこに腰掛ける気にはならない。また次の人も便座を踏みつけてしゃがむ、そのまた次の人も・・・。
便座にやさしく足をかける人もいれば、ドカッと乱暴に踏みつける人もあるだろう。体重が軽い人もいればレスラーのような巨漢もいる。もともと優しく座ることを前提に設計してある楕円状のプラスチックの物体は、左右2箇所の極めて狭い部分に繰り返し圧力を与えられることでいつしか壊れる。仮に修理されても、また人々はそこに足を乗せてしゃがむことがわかっているので、設置者は敢えてこれを直すこともない。これがインドおよび周辺国でよく見かける『便座なし洋式トイレ』が発生する普遍的なメカニズムだ。
まだ便座があるうちは、ステップがそれなりにグリップして?安定したしゃがみ込み姿勢が取れた洋式トイレだが、これが失われてしまうと縁に置いた両足が非常に滑りやすく、特にゴムサンダル履きでの利用は決して勧められない。
洋の東西をひとつにする快挙
上記のような状況はインド亜大陸のみならならず、東南アジアや中東などでもかなり広く見られるものだ。しかしこれに対する根本的な解決策を打ち出したのはインドであったようだ。西洋と東洋というふたつの異なるトイレをひとつにまとめあげるアイデアを打ち出したのは。そのアイデアが商品として結実したのが、先日取り上げてみた現在『ユニバーサル』そして『アングロ・インディアン』といったネーミングで販売されている東西両用トイレなのだ。
他にもこのタイプのトイレを指す商品名は複数あるようだが、本稿においては便宜上『ユニバーサル式』と呼称することにしたい。
これが考案・発売された時代のことを私は知らないが、おそらく当時の世間は驚愕し、稀代の発明に惜しみない賞賛を与えたことだろう。『しゃがむ』トイレを地上に少し浮かせてそこに便座をつけて『座る』トイレと兼ねたトイレに対して。あるいは『座る』トイレの左右に張り出したステップを取り付けて『しゃがむ』ことも可能にしたというべきかもしれない。
さらには、通常の『座る』トイレよりも背を少し低くして乗りやすく、かつ洗い桶用の蛇口が近くなるようにしてあること、ステップをやや左右に開くことにより安定した『しゃがみ』を可能とするなど、ユーザーフレンドリーな心遣いもなされていることも見逃してはならない。
今後の課題
せっかくの大発明(?)だが、おそらく『しゃがむ』『座る』どちらのタイプよりも割高なのか、極めて実用的ながらも見た目がスマートでないことなどもあってか、普及度はいまひとつであるのがはなはだ残念だ。
利用者の評判は決して悪くはないようであるため、おそらく設置者側の都合によるものと思われる。このタイプのトイレを製造している各メーカーは、販売促進活動を通じて世界に誇るべき『ユニバーサル式』トイレに対する認知を向上すべく活発に啓蒙活動を行なって欲しい。
特に公共施設ならびに鉄道施設等については、衛生的なトイレの利用を促進する観点からも、新規設置のトイレはすべて『ユニバーサル式』とすることを原則とするなどの取り組みが望まれるところだ。
『ユニバーサル式』を賞賛する私は、インドのみならず、事後の処理を水で行なう広い地域に及ぶ各国への普及を図るべきではないかとも私は考えている。また水ではなく紙を用いる諸国においても、最近の住宅に有無を言わさず作りつけになっている『洋式トイレ』に違和感を覚える層が存在する?日本に加えて、他の国々でも『私もホントはしゃがみたい』派の存在もあるかと思われる。
インドでの需要のみでくすぶらせておくのは実に惜しい。インドで思われているよりもさらにグローバルなポテンシャルを持つ『ユニバーサル式』トイレである。 -
トイレ 洋の東西をひとつに 2
自らの奥行き深い文化に加えて、長い歴史の中で周辺地域から大小さまざまな影響を受けつつも、それを借り物としてではなくじっくりと消化して独自のものとしてきたインド。絵画、音楽、建築、言語etc…どの分野においてもそうしたハイブリッドさが顕著で、インド文化のリッチさや多様性をするひとつの要素といえる。
さて突然卑近な話で恐縮ではあるが、私たちが日々使用するもののうち、私が心底惚れ込んでやまないものがある。それはこれだ。

昔々からある便器だが、まさにインドだからこそのアイデアと社会的な実情に対応した高い機能性を実現している。このタイプのものが果たしていつ考案されたのか知らないが、トイレ事情に関する深い考察と旧習にとらわれない柔軟な思考なしでは成しえない偉業ではないだろうか。
メジャーなところでHSIL社から『ユニバーサル』という商品名で、またReliance Sanitarywares社からは『アングロ・インディアン』という名前でそれぞれ販売されているが、どちらもズバリ的確なネーミングがなされている。このトイレについて、私なりの考えをまとめてみたので後日掲載することにする。
