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カテゴリー: event

  • バングラデシュフェスティバル2011

    今年も『バングラデシュフェスティバル』が開催される。

    会期は6月18日(土)と19日(日)のそれぞれ午前10時から午後8時まで。場所は東京都渋谷区の代々木公園だ。プログラムはこちらをご参照願いたい。

    1947年にインドから東西パーキスターンが分離独立した後、そのパーキスターンからバーングラーデーシュとして独立を達成したのが1971年。今年は記念すべき40周年目にあたる。

    隣国インドの陰に隠れてしまい、スポットライトを浴びる機会が少ない国ではあるが、それでも近ごろは労働力豊かな新たな投資先として、また1億5千万を超える膨大な人口(世界第8位!)を擁する市場としても注目されるようになってきているところだ。

    そうした動きも背景にあってか、同国を日本語で紹介するサイトも出てきている。

    banglanavi.com

    梅雨の時期のため天気が気になるところではあるが、両日とも盛況となることを願いたい。

  • 良き仲間たち

    良き仲間たち

    4月17日(日)に東京豊島区の池袋西口公園にて『第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が行なわれた。

    3月に発生した東日本大震災の影響で、様々なイベントや催し等の中止や延期が相次いでいる中、地震による被災者支援チャリティを全面に打ち出しての開催である。

    在日のバーングラーデーシュ人と日本人との交流の機会であるとともに、前者にとっては毎年開かれているこの集まりで『同郷の友人・知人がやってくるから』とわざわざ東京から離れた地方からも長距離バスや新幹線等で駆けつける人も多い。

    そんなことから自粛という選択肢ではなく、地震による被災支援という姿勢で臨んだということもあるかと思うが、何も生み出すことのない後ろ向きの『自粛』ではなく、能動的な形で取り組んでくれたことは高く評価できるだろう。

    ともあれ地震、津波はもとより、福島第一原発の事故による放射能に対する懸念から、3月中旬以降、東日本在住の外国人たちは大挙して国外に出て行った。

    たまたま仕事その他の都合で一時的にこの地域に居住している人たちにとって、帰国あるいは第三国にも収入の途あるいは就業機会が容易に得られる見込みのある状態にあれば、わざわざこの地に残らなくてはならない理由というのはあまり見当たらないはずだ。日本からの出国は至極当然の行動なのではないかと思う。

    そんなわけで、今年のボイシャキメーラーではバーングラーデーシュの人たちの姿はかなり少ないのではないかと想像していた。昼ごろまでは人出もまばらであった池袋西口公園だが、午後になると急速にベンガル系の風貌の人たちが増えてきて相当な混雑となり、昨年以前とその様子は変わらないようである。眺めた感じ、 会場内の群衆の三分の一くらいはバーングラーデーシュの人々であったと思う。

    家族連れも多く、ステージで順次繰り広げられる詩の朗読、音楽の演奏、舞踊といったプログラムの中で、バーングラーデーシュ人と日本人を両親に持つと思われる少年が日本語訛り(・・・と思われる)ながらもベンガル語で立派にスピーチをこなし、ステージ周辺ではベンガル人の両親に連れられてやってきた小学生が複数の日本人同級生とおぼしき子供たちと一緒に遊んでいる姿も見られる。

    日本人と結婚した人が多い(主に夫側がバーングラーデーシュ人)ということもあるが、在日のバーングラデーシュ人たちは日本での定住・永住志向が強い人が多い。そんなわけでこうした子供たちが通う学校は普通の公立学校であったりする。同様の傾向が最初は同国から留学生としてやってきた人たちにもいえる。例え結婚相手は故郷の両親が決めた自国の女性であっても、就職後は日本に定住するというライフプランを描いている人が多く、前者と同様に日本国籍を取得している例も少なくなく、日本社会への同化の度合いはかなり高い。

    主にバブル期に来日して日本に定住した後に日本で家庭を持ったバーングラーデーシュ人の子供たちの中で年長の部類の中からそろそろ実社会に出る者が出てくるころである。

    新規来日組では、留学・就労その他の目的での男性の単身者の来日が多いコミュニティではあるが、経済的にはあまり楽ではないと思われるそうした若い人たちの中でも、募金箱に千円札をソッと入れてくれている人がけっこういることに気が付いた。

    震災後、世界各国から寄せられた様々な支援についての報道を目にするが、日本社会に根付いて暮らすバーングラーデーシュ出身の良き仲間たちからの温かい善意も決して忘れてはならないと思う。

    ※『生業2』は後日掲載します。

  • 第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    4月17日(日)午前10時から午後5時まで、東京都豊島区の池袋西口公園にて、第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラが開催される。

    このところ日本国内、とりわけ東日本においては何かにつけて自粛ムード一色。こういう時期なので、普段行なわれている行事等の開催を手控えるという形で、被災地と気持ちを分け合うという考え方もわからなくはない。だが個人的にはそうした萎縮した思考こそ避けるべきだと考えている。

    とりわけ自らの価値観によるものではなく、『周囲がそうだから』『そういう空気だから』と思考停止した状態で、そうした流れに同調してしまうのはもっといけない。日本人の長所として『規律』と『団結』が挙げられることが多い。もちろん今回の震災での人々の対応についてもそういう書き方をしたメディア等は多かった。

    だが、そうした美点と表裏一体であるのが、主流派と異なる考え方、価値観を持つ人を受け入れがたい『強い排他性』と自己の意見を殺して周りの流れに任せてしまうという『主体性の無さ』という短所と表裏一体であることを忘れてはいけない。

    自身が被災したわけではないのに、テレビ映像で悲惨な映像等を繰り返し見ることにより、仮想体験として刷り込まれてしまうことと合わせて、被災地のために頑張らなくてはならないそれ以外の地域が、元気を失ってしまうわけにはいかない。

    実施できる状態にあるのに、予定されていることを取りやめたり、先送りしたりすることによって得られるものは何もない。それとは裏腹に個々の精神的にも群集心理的にも、後ろ向きになってしまうこと、加えてその周辺で動くはずのおカネやモノも停滞してしまうことによる社会全体の経済的な損失につながり、復興に寄与するどころかかえって悪い影響を及ぼしてしまう。

    このところ様々なイベントやプログラム等が中止あるいは無期限延期となる例が多い中、このイベントは先の地震被害に対するチャリティプログラムを看板に実施される。今の私たちにはそういう前向きな姿勢が必要だ。私たちひとりひとりが、それぞれ被災地に対してできることを行なうこと、そしてずっと立ち止まっていたり、必要以上に内省的になったりすることなく、自らの場所では普段どおりの仕事や生活の中で活発に動き続けることが、みんなの利益につながることを信じていきたい。

    自粛ムードの中で例年のイベントを実施してくれることに感謝したい。私たちもぜひ彼らに続こう!元気なニッポンを取り戻すために!!

  • ワルリ絵画展 2011

    本日3月1日(火)から3月6日(日)まで、東京渋谷にて、インドのマハーラーシュトラ州北西部のターネー周辺に住む先住民ワールリー族の絵画展が開催される。

    毎年この時期に開かれてきた催しである。ご興味ご関心のある方は、以下のウェブサイトをご参照願いたい。

    ワルリ絵画展2011【誕生】(warli.jp)

    ※コーラープト2は後日掲載します。

  • 国境の儀式

    国境の儀式

    アムリトサルから国道一号線を国境へと進んでいく。デリーから続いているこの国道は、GTロード (Grand Trunk Road)の一部でもあり歴史的なルートだ。 

    途中、右手に見事なコロニアル建築の薬科大学が見えてしばらくすると料金所があり、このあたりからはどこもかしこも広大な田園地帯だ。そこを通過してさらに西へと進むと、アッターリ―村を通過する。 

    国境手前で最後の村はアッターリーであるが、本当の『最後の村』はワガーである。印パ分離により、国境の東西にまたがることになったのがここであったが、現在ではイミグレーション、税関、国境警備施設等の政府機関が固まっており、『村』ではなくなっている。 

    いよいよ国境に着いた。いくつかレストランがある裏手は広い駐車場になっている。訪れたのは月曜日であったが、それでもかなりの人出であった。週末に訪れたらちょっと大変だろう。 

    セレモニーの会場には、カバン類を持ち込むことができない(カメラ、ビデオ、携帯電話、ウエストポーチは可)ため、クルマに残しておくことになる。 

    見学のスタンドに行くまでの間に、パスポートチェックが3回、ボディチェックが2回ある。途中、一般通路とVIP通路に分かれるが、外国人は後者へ進むように言われる。VIP席にも通常のVIP席とVVIP席があるが、ここでは前者に座るように指示される。これらのチェックと誘導をしているのはBSF兵士で、セレモニーで勇壮な儀式を展開する兵士たちと同じいでたちである。皆、体格がとても立派なので、交代で任務に着いているのかもしれない。 

    午後6時前に到着すると、すでに人で一杯になっていた。すぐ向こうはパーキスターン側である。こちらではボリウッドのポップスをかけて人々が踊っているが、反対側も同様に音楽を大音響で鳴らしている。ただしこちらほどの盛り上がりは見せていないようだ。印・パ両側ともに大勢の人々がスタンドで観覧している。 

    6時半くらいになると、ようやく式典が始まった。インド側では司会役のような男性(平服だがBSF兵士のようだ)による「Bharat Mata ki」という呼びかけに対して『Jai』と観衆が応じ、「Hindustan」の呼びかけに『Zindabad』、「Vande」に対して『Mataram』という具合に盛り上がりを見せている。 

    向こう側ではクルアーンの朗誦に始まり、「Jinnah、Jinnah」『Pakistan』と声を張り上げている。いかにも両国の現代国家としての成り立ちの違い、分離独立したことの理由を表しているかのようである。   

    兵士たちの儀式が始まる。最初に数人の女性兵士たちが大げさに足を踏み鳴らして国境ゲートに向かう。続いて複数の長身で着飾った兵士たちが続き、足を高く上げて踏み鳴らす動作もある。一連の流れの中で、両国とも調和の取れた動作をしている。パーキスターン側での動きはここからよくわからないのだが、同じタイミングで始まり、同時にセレモニーを完了する。 

    幾度か儀式に出ている兵士による大きく長い掛け声が流れる。印パ両側でほぼ同時に発声が開始されるのだが、自国の兵士がより長くそれを続けることができると大きな拍手と歓声が上がる。 

    以前、Youtubeでこのセレモニーの様子を動画で見たことがあるのだが、まさに両国側によるしっかりとしたパートナーシップがあるからこそ、毎日のこの式典が成り立っていることがわかる。何か敵意に満ちたものであるのではないかと思っていたが、決してそんなものではなかった。   

    儀式が終わり、家路に着く人たちに国境のセレモニーやBSFにまつわる映像を集めたVCDやDVDを売りつけようとする商売人たちが群がる。どこからかスピーカーで「皆さん、くれぐれも海賊版VCD、DVDに手を出さず、正規版を買ってください」などという、当局からの呼びかけが聞こえてくるが、正規版なるものがどこで売られているのか見当もつかない。道路脇にあるレストランもまさにこの時間帯が書き入れ時のようで、どこも満員だ。 

    アッターリー村、ワガー村の人々にとって、それ以前は、このあたりから大きな街に出るという場合、アムリトサルに行くのもラーホールに行くのも同じようなものあったことだろう。 

    アムリトサルやラーホールの住民たちにとっても、長い歴史の中でずっと「隣街」であったものが、分離により遠い街になってしまった。今の時代の人々にとってはごく当たり前のことであっても、それまでの人々にとっては、学校出てから仕事に就くにあたり、インドもパーキスターンもない同じ国内であった。 

    おそらく今の80代以上の人々(分離時にそれなりの年齢に達しており、当時の記憶を自己の体験としてはっきり認識している最後の世代。その頃の幼児や子供は含まず)にとっては、いろいろと思うところがあるに違いない。 

    当時はもちろんブログもなければ、村民で日記をしたためていた人もあったかどうか・・・?「オラが村がふたつの国に分かれた」体験をした人たちは、その過程で様々な事柄を目にしてきたことだろう。また村という小さなコミュニティの中で、そこに国境が引かれるということで、どんな出来事があったのだろうか。 

    村民の間でも人口の移動、分離後の人間関係や個々人の力関係においても、友愛と裏切り、信義と謀略、その他いろいろ大変なことがあったことと思う。そこが国境になったがゆえに国防施設や行政機関等が建設され、地権上でも様々な出来事があったはずだ。印パ分離の縮図とでもいうべき大きなドラマが小さな村の中で展開していったのではないかと想像される。

  • ナマステ・インディア 2010

    今年もナマステ・インディアが代々木公園にて、9月25日(土)から26日(日)にかけて開かれるが、なんと18回目の開催となるのだそうだ。 

    昨年はカラン・スィン、その2年前にはスワーミー・ラームデーヴと、ちょっとサプライズな人物の登場があった。今年も誰かびっくりするような有名人がやってくるのだろうか? 

    インド出身の演歌歌手チャダは、すっかりこのイベントの常連となった感があり、今年も彼のステージが行われるようだ。 

    9月も下旬とはいえ、今年はまだまだ気温が高く、秋が訪れたという実感のわかない日々が続いている。それでも確かに朝夕は涼しくなってきているし、日中の最高気温もそれほど上がらなくなってきた。 

    そろそろ秋雨の時期に入るはずだが、今度の週末は天気に恵まれることを期待したい。

  • 代々木公園で『スリランカ』『インド』

    暑くも短い日本の夏が過ぎようとしている。本格的な秋の訪れはまだ少し先だが、再び屋外のイベントを快適に楽しめる時期がやってくる。

    東京渋谷区の代々木公園で、9月11日(土)ならびに12日(日)に『スリランカフェスティバル2010』が、そして同じ9月の25日(土)と26日(日)には『ナマステ・インディア2010』が開催される。

    『ナマステ・インディア』にて、一昨年はスワーミー・ラームデーヴ、昨年はカラン・スィンが来ていたが、今年もそうした目玉となる人物の来日はあるのだろうか?

    それらの日程の間にあたる9月18日(土)と19(日)には『ベトナムフェスティバル2010』という催しもある。

    季節柄、台風がやってくることでもなければ、まずまずの気候でのんびりと休日を過ごせるのではないだろうか。

    秋は代々木公園で良い週末を!

  • 背中に記したメッセージ

    先日、池袋で開催された『カレー フェスティバル & バングラデシュ ボイシャキ メラ』にて、揃いの黒ヴェストを着用している男性たちを見かけた。
    20100418-boishaki20102.jpg
    東京都大田区蒲田にある礼拝所への寄付を募っている人々で、背中にURLがプリントされている。
    東京都内にあるモスクとしては、トルコ大使館が音頭を取って建設した東京ジャーミィ、パーキスターン人が中心になって運営している大塚モスク、サウジアラビア大使館関係施設であるアラブ・イスラーム学院内の広尾モスクなどがよく知られている。
    また、東武伊勢崎線沿線にデーオバンド系で、厳格な教義を持つタブリーギー・ジャマアト関係の小さなモスクや礼拝所がいくつか存在している。
    ひとくちにイスラーム教の信仰といっても、現実にはいろいろあるし、居住地や勤務先と遠く離れていては用をなさない。礼拝施設は同時に同胞たちとのコミュニケーションの場でもあるため、どれでもいいというわけにはいかないだろう。
    そのため、都心各地の繁華街で働く信徒たちが、雑居ビルの中の一室を礼拝用に借り上げていたり、雑貨屋の店舗内を近所で働く同胞たちの金曜礼拝のために提供していたりすることはよくある。
    蒲田の礼拝所は、そうした場所のひとつで主にベンガル人ムスリムたちが出資して借りている場所らしい。母国から遠く離れた彼らの信仰の場であるとともに、同胞たちとのつながりを保つためにも必要な集会施設としての機能も持ち合わせていることだろう。
    ウェブサイトにはいくつかの写真が掲載されているが、もともとは住居として作られた建物のようで、ごく限られた空間に沢山の人たちが集まっている様子がうかがえる。
    在住する年月が長くなり、集まる人数も増えてくると、それなりにしっかりとした施設を持ちたいと考えるのは当然の成り行きである。
    もちろん礼拝施設のみならず、結婚して所帯を持てばやがて子供たちも生まれてくるだろう。教育の問題もあれば、人生の通過儀礼の実施についての事柄もある。
    イスラーム的な環境の存在しない日本で信仰と日常生活の折り合いをどうつけていくかということについても考えるところいろいろあるだろう。そして誰もがいつかは死を迎えることになるが、日本で土葬が認められている場所はごく限られてもいる。
    現時点では、日本で暮らす一般的な日本人の間に彼らの声が届くことはまずないし、そうした認識を持つ人もほとんどないと思われる。日本に定住するムスリム人口が拡大していくということは、こうした問題を抱える人の数が増えていくということであり、やがて社会的に大きな発言力を持つ人も出てくることだろう。
    彼らの声がすぐそこで聞こえるくらいに大きくなってきたとき、初めて日本の人口の中で無視し得ない一角を占めるようになった彼らに対する処遇を慌てて検討することになるのではないかと思う。
    多くは日本人やその社会に対する好感と敬意を表してくれている友好的な隣人たちであり、こちらも同様に敬意と誠意を持って対応すべきであることは言うまでもない。だが果たして私たちにそうした度量や用意があるのかどうかについては、正直なところ今はまだ自信を持てない。
    これまで、少なくとも私が知る限りでは、2001年に富山県で起きた事件を除き、在日ムスリムの人々が日本の大衆の目に付くところで、私たちに訴えの声を上げた例はまずなかった。
    件の黒ヴェストの人たちが背中にウェブサイトのURLとともに記したメッセージは、今彼らが暮らしている社会に対して、理解と協力を求めるよう動きつつある兆候であるかもしれない。

  • 池袋に集うベンガルの人々

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    4月18日(日)に東京の池袋駅すぐ近くの袋西口公園にて、今年で11回目となる『カレー フェスティバル & バングラデシュ ボイシャキ メラ』が開催された。
    池袋駅にごく近いこともあり、人の出入りは大変激しかったが、会場にいる人々の姿を見渡してみると、半数近くがベンガルの人々であったようだ。
    会場のあちこちで、友人や知人たちの姿を見つけては、大げさに喜んだり、挨拶を交わしたりしてている。もともと異郷で暮らす彼ら自身が新年を祝うイベントとして始めたもののようだが、駅前広場というあけっぴろげなところで、どこの人間であれ来る者拒まずというオープンな姿勢は、彼らの多くが日本に定住し、今後もこの国を構成する一員として暮らしているというスタンスを象徴しているようだ。
    一般的に、日本に暮らすようになったバーングラーデーシュの人々といえば、ごく一部の例外を除き、バブル期以降に来日した人々がその大半を占める。日本とバーングラーデーシュの間では、観光目的の短期滞在について、ヴィザの相互免除の取り決めがあったため、ひとたび航空券の代金を負担することができれば、比較的簡単に来日できた時期があった。
    言うまでもなく、そうした人々の大半の滞日目的は物見遊山などではなく、『好景気』『円高』で注目されるようになっていた当時の日本で、とにかく仕事を得て稼ぐことであった。当時は『人手不足』と言われる時代であった。
    とりわけ特に3Kと称される職場では、仕事の担い手が足りず、バーングラーデーシュ以外にもパーキスターン、イランといった、やはり日本との間で観光査証の相互免除の措置がなされていた国々からやってきた人々が、日本人のやりたがらない仕事を肩代わりしてくれていた。
    彼らを必要とする現場は多くとも、外国人が単純労働目的で来日することを認めていないこと、在留資格の内容とは異なる目的で入国・在留している人々が多いことを重く見た行政は、そうした人々の摘発に積極的に乗り出すこととなり、また外交上でもそれらの国との間の査証相互免除を停止することとなった。
    入国の戸口が大幅に狭められることによって新規来日者が大幅に減り、既存の在留者たちの中からは、それなりに出稼ぎの目的を果たして帰国する者や摘発を受けて退去させられる者などあり、その数を漸減させていくこととなった。
    日本のバブル期に、彼らとほぼ同時にその数を急増させていたのは、ブラジルやペルーなどからやってきた日系人たちだ。バーングラーデーシュやパーキスターンなどの人々が短期滞在ヴィザで来日して就労することは非合法であったのに対して、こちらは日系人であるがゆえに在留資格『定住』が与えられるため、日本国内で仕事に従事することについて何ら問題もない。
    従前は、日系二世にまで与えられてきた『定住』の資格だが、1990年の入管法改正により、これが三世にまで認められるようになると、入国者数増に拍車がかかった。そうしたこともあり、バーングラーデーシュその他の人々が減った分、彼らがその後を占めるようになった。
    その後の景気後退により、就業機会が減ったこと、条件も悪くなったことと合わせて、在留資格上問題のある人を使用すると雇用者側にも罰則が与えられるようになった。短期滞在の資格でしかもオーバーステイという立場の人々は、日本での雇用機会から締め出されるようになっていった。
    バブルの頃にやってきた人々の大半は帰国するなり、第三国に向かうなりして、この国からいなくなってしまっているが、それでも今なお少なからず日本に定着した人たちもあった。『投資・経営』『技能』といった滞在資格を得て、日本で中古車取引や食品関係等の事業を行なうようになったり、日本人との結婚により『日本人の配偶者等』(『定住』と同じく活動に制限がない)の資格を得た人たちなどである。
    後者については、時代は違えども19世紀初頭から20世紀はじめにかけて中国から東南アジアに移住した華僑たち、また中南米に移住したラテン系の人々と共通した背景がある。
    外国へ出稼ぎに向かう人々の相当部分が20代の未婚男性であることが多い。在留国と自国を定期的に行き来できるような気楽な身分ではないこともあり、交際することになる異性、やがて人生の伴侶となる相手とは、滞在先での存在がほとんど無に近い自国の女性ではなく、現地の女性となるのはごく自然な成り行きである。
    そうしたカップルの間から生まれた、バーングラーデーシュと日本というふたつの国の血を受け継いだ二世たちは、すでに高校生くらいの年齢に達している者もあり、そろそろ社会人として、日本で世の中にデビューする人たちも出てくるだろう。
    またこれらとは異なる形でやってきた人たちの姿もある。国費(日本政府の奨学金)ないしは私費にて留学生として来日した人々である。とりわけ前者については、圧倒的に理系学生が多く、しかも修士あるいは博士といった学位まで取得することを目指す高学歴志向であることも特徴だ。
    大手通信企業、広く名前の知られた外資系IT関連企業等に職を得て活躍する人たちは多く、もちろん中には自らそうした分野で起業している例もある。
    こうした人たちの場合、自国との行き来に障害があるとすれば、経済的な要因ではなく、往々にして仕事が繁忙であることくらいであるためもあってか、少なくとも私の見知っている範囲では、自国で身内が決めた相手と結婚している例が多いようだ。
    経済的に安定しているため、自身や妻の兄弟といった身内の日本留学の便宜を図ったり、あるいは学費・生活費等丸抱えで支弁するという例も目立つ。
    バブル期に出稼ぎに来た人たちと留学生としてやってきた恵まれた立場の人たちの間で共通する点として、日本への定住志向があるようだ。すでに日本を終の棲家と定めて国籍を取得した『ベンガル系日本人』として生活している人も少なくない。
    こちらの流れからも毎年次々に日本での留学や卒業後日本国内での就業を目指して来日する人々があるとともに、新たに生まれてくる子供たちも加わり、大半は外国人学校ではなく、普通の日本の公立小学校へ入学している。
    今、日本国内でアクティヴな南アジア系の定住コミュニティといえば、こうしたバーングラーデーシュを祖国とするベンガル系の人々である。大半が日本語も堪能で、この国に対する知識も深い。日本人社会の中にどっぷり浸かって仕事や生活をしている人が多く、文字通り『日本に骨を埋める』覚悟の人々が占める割合がとても高いという点からも、将来に渡り、日本で彼らのコミュニティは発展には注目していきたい。
    コミュニティの成長とともに、母国からの人の流れは今後も活発に続いていくことだろうことから、ある時期を境に新規の流入がほぼ途絶えた中南米の日系社会とは対照的に、長きに渡ってベンガルらしさは保たれるであろうし、祖国の『伝統』や『今のトレンド』も確実に吸収したうえで、日本における生活文化が築かれるのではないかとも思われ、とても興味深いものがある。

  • さくらチャリティーバザー2010

    東京の九段の桜は3月末から4月に入ったあたりが盛りとなるだろうか。お堀端に面し、靖国通りを挟んで靖国神社の向かいのインド大使館は建て替えも完了し、開催をしばし中断していた「さくらチャリティーバザー」の開催を再開。
    以前と違い、会期を花見の時期一杯に取り、3月26日(金)から4月4日(日)までの10日間に及ぶ長丁場の催しとなっている。
    さくらチャリティーバザー@在京インド大使館
    しかしながら新築工事中よる2年に渡るブランクの影響(?)か、あるいは桜がまだ咲き始めということで、花見客でごったがえすという状況ではないためか、3月27日(土)の昼すぎに訪れてみると、大使館敷地内は閑散とした状態であった。もちろん広報不足という理由もあるだろう。
    出来立てホヤホヤの大使館は総ガラス張りのモダンな建物。快適そうな。仕事が捗りそうなオフィスになっているようだ。同じような外観で併設されている棟は、職員住宅だろうか。
    インドへのビザ申請はインドビザセンターが代行するようになっているため、一般の申請者が大使館に出向く用事はあまりなくなっているため、今回訪れてみて敷地内の変貌ぶりにはびっくりした。
    だがちょっと気になることもある。お堀側のゲートも靖国神社側のゲートも大きく開け放たれて、ガードマン等出入りを見張る要員も不在。
    『誰でもウェルカム!』という友好的な姿勢はありがたいし、日本は治安がとりわけ良好であることに対する信頼も嬉しいが、大使館という場所柄、多少の警戒は必要なのではないかと思う。
    1995年の地下鉄サリン事件以後、日本国内でテロ事件と呼べるようなものは発生していない。だが、それは日本の治安機構がしっかりしているというよりも、私たち日本人を相手に特にそうした事件を起こす動機を持つ組織が存在しないからである。ゆえに、何か騒ぎを起こそうとすれば、決して難しくはないはずだ。
    インドは、自国の周辺地域において、決して敵の少なくない国ではない。日本のように思いもよらない国で、インド大使館に攻撃を仕掛けられるようなことがあれば、たとえそれが失敗に終わったとしても、事件のインパクトは相当なものとなるだろう。もちろん日本でインドに対する国民感情がネガティヴなものになり得るし、対印投資へも大きく響く。
    日本は安全・・・とはいえ、私たちの誰もが東京の街にうごめく全ての人々の行いに責任を持てるものではなく、どんな人がいるか誰にもわからない。どのような思想・信条を持つ人たちでも、国際的によく知られたお尋ね者でもない限りは、入国の要件さえ揃えれば、成田なり関空なりから日本に入国することができるではないか。
    私の思いが今後長きに渡って、ただの杞憂であることを願いたい。

  • 今年の東京での『ダヂャン』は4月11日(日)

    在日ビルマ人の方々のイベント『ダヂャン』は、今年で19回目の開催となるのだそうだ。長らく北区の飛鳥山公園で行なわれていたが、昨年から吉祥寺の井の頭公園に場所を移しての実施となっており、今年は4月11日(日)に開催されるとのことだ。
    日程については、ビルマならびに在日ビルマ人関係のウェブサイト『バダウ』の落合氏に教えていただいた。詳細は同サイトのイベント情報&報告をご参照願いたい。
    今年もまた好天に恵まれて、在日ビルマ人の方々と知り合ったり、食べ物やステージでの催し等を見物したりと、楽しい集まりとなることを願いたい。

  • 4/18(日) 池袋がミニ・バーングラーデーシュとなる日曜日

    まだひと月ほど先のことだが、今年で第11回目となる『カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ』だが、今年は4月18日(日)に東京の池袋西口公園で開催される
    『おぉ、バーングラーデーシュの人たちは、こんなに沢山住んでいたのか!?』とびっくりするくらい大勢集まるにぎやかな催しだ。
    まだ肌寒い東京だが、屋外イベントのシーズンももうすぐそこまで来ている。当日好天に恵まれることを祈りたい。