インド系球児として、また長身の本格派投手としても注目を浴びるダース・ロマーシュ・匡選手の岡山県代表関西高校。第88回全国高校野球大会3日目の本日8月8日、第一試合で文星芸大付(栃木)と対戦した。
2回表の猛攻で3点を奪った関西高校だったが5回裏に2失点。続く6回裏にさらに1点を失い4−3に追いつかれたところでピッチャー交代。ここで主戦投手のダースが登板したがさらに1点を奪われて同点となる。
続く7回表の関西高校の攻撃。2ラン、3ランのふたつの本塁打で一挙5点を得て文星芸大付を大きく突き放したかに見えた。しかし勝ち越しムードもつかの間、ダース投手は相手打線に捕まり次イニングの8回裏には3失点。
9回表に関西高校は1点を加えて、10−7と3点差のスコアで迎えた最終回裏。8番打者のライト前ヒット、後続バッターのセンター返しを関西高校選手が後逸するミスから文星芸大付の大攻勢が始まった。あれよという間に同点に追いつき、4番打者のレフト線を破るヒットで二塁ランナーが生還するという大逆転劇を演じて文星芸大付が二回戦進出を決めた。
残念ながら大会開始早々に高校3年生のダース投手の甲子園は終わってしまったが、今後とも野球界での彼の活躍を期待したい。
関西(岡山) 10 – 11 文星芸大付(栃木) (asahi.com)
投稿者: ogata
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夏の甲子園 ダース投手の関西高校、一回戦で涙
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傷んだお札

90年代半ば以降、インドで流通する紙幣の多くがガーンディーの肖像入り新しいタイプのものとなった。以前のものにくらべて紙質も良くなり、耐久性もずいぶん向上しているので、お札の破れについてあまり気にする必要もなくなってきた。でも紙幣たるもの、使い込むほどに痛んでくるのは当然のことだ。
小額紙幣ならまだしも500や1000といった額面の紙幣となれば、受け取るほうも入念にチェックすることが多く、うっかり破れたお札を手にしてしまうとなかなか使うことができなかったりする。
破れた札への許容度も地域差があるようで、1Reから5Rs程度の小額紙幣については、グジャラートの一部地域などではボロボロになったお札をビニールの小袋に密封して流通させているところもあったりする。あくまでもローカルなルールのため、他地域に持っていくと受け取ってはもらえないのだが。
また一度『ダメになった』お札を、一目ではそうとわからないようにミクロン単位の精密さ(?)で上手に糊で貼りあわせるなどによって見事に補修した『労作』を目にすることもある。
ところでリザーブ・バンク・オブ・インディアの『soiled, imperfect or mutilated notes』についてのRefund Rulesとやらに目を通してみると、ダメージを受けた紙幣の取り扱いについていろいろ書かれているものの、『折り目から切れ込みが入った』とか『端っこが少し裂けた』程度で紙幣の効力が停止されて使用できなくなる・・・などということは特に書かれていない。多少破れたお札を受け取らないことについて法的な根拠はあるのだろうか? 隣国のパキスタンやバングラデシュでは紙幣の破れについてさほど神経質ではないため独立以降の慣わしなのかもしれない。
そういえばインド・ルピーならずとも、ややくたびれた米ドル札等の外国紙幣の両替を断られることもあるが、こうしたことは他の途上国でもときどきある。お札は新しくてキレイであるのに越したことはないようだ。
RBI(Note Refund) Rules -
熱暑にご注意
今日も暑い一日だった。モンスーンのためしばしば激しい雨が降り、酷暑の時期よりはるかにマシとはいえ、外を歩けばやはり暑い。
まだ日は高いけど、部屋に戻ってクーラーを効かせてしばしうたた寝でもしようか・・・と滞在先のホテルに戻ろうとすると、入口すぐ脇でバックパックを放り出して地べたに座り込んでいる大柄な白人男性がいる。彼は炎天下で頭を両手で抱え込んだままピクリともしない。
ちょっと様子が変だと思い声をかけてみると、トロンとした目で意識は朦朧としているらしい。こちらの質問にはかすかにうなづいたり首を横に振ったりするが、声を発することができない。ひどい日射病らしい。状況から察するに、この町に到着してホテル探しをしているときに気分が悪くなってしまったようだ。
この人はかなり高齢のようで、見たところ60代後半から70代前半といったところ。姿格好や荷物の様子からしてけっこう旅慣れていそうな雰囲気なので、普段は元気な「高齢バックパッカー」として世界各地に出没しているのかもしれない。南アジアでも中東でも、およそ旅行者の出入りするところでは欧州からやってくる年配の安旅行者は珍しくなく、西ヨーロッパ先進国における『旅行文化』の厚みと歴史の長さを感じさせるものがある。
身に着けているTシャツにオランダ語のプリントがなされているからといって彼がオランダ人だと断定するのは早計だが、こういう年齢での一人旅といえば、フランス、ドイツ、スイス・・・といった今でも『旅行大国』として知られる国々、つまり所得が高くてしかも夏のヴァカンスなどの休暇が長い国の人たちの占める割合が圧倒的に高い。
本人が口を利ける状態にないので、いったいどこの国からやってきたのかわからないのだが、ともかく危険な容態にあることは見て取れた。とりあえず宿のチョーキダールと彼を日陰に運ぶ。近くの店でミネラルウォーターを買ってきてあげたが、自分で飲むことができる状態でさえなかった。
そうこうしているうちにホテルからフロント係の従業員が出てきて、携帯電話で彼を病院に運ぶクルマの手配をしている。ふと気が付くと私たちを大勢の野次馬が取り囲み、あたりはまさに黒山の人だかりになっている。
年配の方々が家に閉じこもるのではなく、興味のある土地へと、世界各地で元気に一人旅を楽しむのは素晴らしいことだと思う。しかし日射病のような突発的な異変ならずとも、そのくらいの歳になれば身体の中にひとつやふたつの慢性的な不安がある人、定期的な加療が必要な不具合を抱えている人も多いだろう。
ぜひ体調に充分な注意を払い良い旅を続けて欲しいと思う。
同時に日射病で倒れている人を見て日陰に連れて行く、水を与える以外にどうしたらよいのかわからなかった自分自身の知識不足(病院に搬送する前に周囲の人が確認すべきポイントがいくつかあるらしい)について反省させられたし、彼の容態を見てこの症状の恐ろしさが少し理解できた気がする。
高齢者でなくとも、暑い時期に無理をすれば誰でも日射病・熱中症にかかる。今後私自身充分注意していきたい。 -
インドに生まれてホント良かった!?

昼間はゴロゴロしているかと思えば、日が傾くころには元気に動き出し、ときに独りでときに群れて町中を我が物顔に行き交う犬たち。ごくごくわずかな『飼い犬』を除けばみすぼらしい野良ばかり。あまり充分に食べている様子はないが、人々の無干渉のおかげでそれなりの繁栄を享受している。
犬は都市型の動物といえるだろう。インド中どこに行っても人の住むところ犬あり。犬のいるところ人々の姿あり。
さてこのところの中国南西部では、狂犬病の流行が問題になっている。すでに住民の間にも死者が出ているそうだ。そこで当局が乗り出したのが空前の規模の大がかりな『犬狩り』だ。
当局の『犬を処分せよ!』という大号令のもと、警察犬や軍用犬を除いたあらゆる犬たち、多くは野犬ということになろうが個人がペットとして飼育している犬とて例外ではない。3日間で5万匹を超える大量の犬が殺されており、その中には狂犬病予防接種済みの4千匹が含まれているという。
それにしてもこの狂犬病、ありとあらゆる哺乳類に感染することが知られており、犬を処分してみたところで、キャリアはコウモリ、ネコ、リス、ネズミ等々実に様々な動物に及ぶのだから、仮に犬を根絶やしにしてみたところで『これで安心』というわけではない。さしあたりは人間と直に接する機会が多く、また噛み付く危険の高い動物としては犬ということになるのだが。
ともあれごくまれに捕獲の憂き目に遭ったり、断種させられるという不幸がおそうことはあっても、基本的には無限の自由を与えられているインドの犬たち。さほど邪魔者扱いされず、おとなしくしていれば特に干渉も受けずに(人々の食欲旺盛な胃袋の中に放り込まれることもなく!)貧しいながらも安穏と暮らしていけるという点は、同じく町中を徘徊する牛や猿といった他の動物たちにとっても同様だろう。
そんな彼らにとって『インドに生まれてホント良かった!』のではないだろうか。
狂犬病殲滅作戦で受難の犬たち (BBC NEWS Asia-Pacific) -
カンパニー(東インド会社)の傭兵生活
その当時に生きた人たちがこの世から消え去ってしまうと、後世の人々は書き残されたものでその時代の世相を知るしかない。だがそうしたものを後々の人間のために記しておいてくれるのは行政官、文化人、歴史家くらいのものだろう。その他著名人の手記などは何かに掲載されたり、あるいは本となって出版されることもある。
しかしいつの時代も絶対的多数である市井の人々となると、日々どんな暮らしをしていたのか、何を考えて生きていたのか、なかなかその姿に触れることは容易でなかったりする。世界の長い歴史の中で、庶民の間にあまねく『読み書き』が普及したのは、20世紀になってから(もちろん地域により相当なバラつきがある)であることを思えば、仕方のないことである。
一般市民というのにはちょっと抵抗があるが、東インド会社が統治下のインドで、ベンガル歩兵連隊に勤務したネイティヴ将校の人生が描かれた本がある。著者にして主人公のスィーター・ラーム・パンデイは、1812年にベンガル歩兵連隊に一兵卒として入隊。48年間という長い軍人生活の中で最後は大尉にまで昇進し、1860年に引退して恩給生活に入る。
彼は現役時代にグルカ戦争、ピンダーリー戦争、バラトプル強襲、アフガン戦争、シク戦争へと出征し、クライマックスは1857年の大反乱、とまさにインド近代史を代表する大戦争を次々と経験したことになっている。
こうした戦闘行為以外にも、当時の世相を示すものがいろいろ描いてあって興味深い。それは街道に出没していたタグの話であったり、威厳に満ちているがインド人兵士たちからしてみると不可解なメンタリティーを持つイギリス人上官たちであったり、怪我による傷病休暇で帰郷した故郷の村の話であったりする。
この作品は、隠居後に元上官であったJ.T.ノーゲイト中佐に軍隊生活について回想記をしたためるよう勧められたことがきっかけで出来たものだという。パンデイは除隊の翌年に原稿を書き上げ、ノーゲイトはそれを英語に翻訳して当時インド国内で発行されていたある雑誌に連載して好評を得た。その後、新聞に転載されたり本として出版されたりして、世間に広く知られるようになったそうだ。
だが正直なところ、著者のスィーター・ラーム・パンデイなる人物が果たして実在したのかどうかについてはいろいろ議論のあるところらしい。だがこれが実話であれ創作であれ、今や誰も目にすることのできない19世紀のインドの世相が生き生きと描かれた好著であることには間違いなく、まだ手にしていない方はぜひ一読されることをお勧めいたしたい。
あるインド人傭兵の冒険の人生
シーター ラーム (著),
ジェイムズ ルント (編集),
J. Lunt (原著), 本城 美和子(翻訳)
ISBN: 4303990116
ロージー企画社
From Sepoy to Subedar: Being the Life and Adventures of Subedar Sita Ram, a Native Officer of the Bengal Army, Written and Related by Himself
Sita Ram Pandey (著)
Shoe String Pr Inc
ISBN: 0208011528 -
ふと見渡せばこんなに・・・
近ごろインドの空には新しい航空会社が続いているが、ふと気づけばこんなに増えている。
List of airlines, India (Wikipedia)
このウィキペディアのリストに掲載されているものにはカーゴ運搬専門のもの、会社設立したもののまだフライトを就航させていないものも含まれているため、一般に馴染みの薄いものもある。
それでも今のインドでは様々な個性を持った航空会社がそれぞれ得意とする分野で元気に伸びているという印象を受ける。
ジャグソン・エアラインス(1992年からフライトを飛ばしておりインド民間航空会社の中では老舗)のように小型機によりかなりニッチな市場に特化している。またジェット・エアウェイズや最近同社との統合話が白紙となったエア・サハラのように、国営のインディアン・エアラインス(現インディアン)による独占市場であったインド国内空の便に、ベターなサービスや高い定刻運行率を含む利便性の向上という新風を吹き込み、創業から十数年で巨大な国営会社と双璧を成す大きな航空ネットワークを形成したものもある。
そしてエア・デカンやスパイス・ジェットみたいに格安路線で切り込んできた会社もある。あるいは派手なイメージで耳目を集めるキングフィッシャー・エアラインズは今のインドを象徴するかのようなキャリアだが、こちらも順調にカバーする路線を拡大中だ。
こうしたムードとは裏腹にかなり旗色が悪そうなのは、インディアン子会社のアライアンス・エアだろうか。 国営インデイアンの業績向上のために、同社の不採算路線を多く引き受けたのではないかと思う。
いまどきのインドの民間航空会社はかなり新しくてキレイな機材を使っているが、同社は平均機齢が20年前後というだけあり、ずいぶん煤けた印象を受ける。乗務員のけだるそうな態度はさておき、安全面からちょっと心配されているキャリアだ。
同社が運行するフライトは親会社とのコードシェア便になっている。そのため乗客自身はICから始まるフライトナンバーのインディアンのフライトを予約したつもりなのに、CD×××というフライトナンバーのついたアライアンス・エアの機体に乗り込むことになってしまう。
もっとも民間航空会社の参入で、国内空のネットワークがにぎやかになっているのはインドのみならず、中国もそうだし、タイも然り。
どこの国もいわゆる中産階級といわれる層が厚くなり市民の間で経済力がついてきたこと、そしてどこの国でも人々が忙しくなってきていることの表れなのだろう。 -
日本にタイのお寺
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日本・インド間の行き来てタイに立ち寄る人も多いだろう。美しいビーチやおいしい食事、モダンでカラフルなイメージに加えて重厚な歴史と伝統、カッコ良さと慎ましやかさがほどよくミックスされたこの熱帯の国には、その湿り気を帯びた空気だけではないしっとり感に満ちている。こんな素敵な国が『インドへの道』途中にあるなんて、あぁニッポン人はなんて幸せ・・・としては言い過ぎだろうか。
タイの風景といえば、豊かな緑の中にまばゆく輝くオレンジやグリーンといった派手な色彩の瓦屋根のお寺がまず思い浮かぶところだ。バンコクにワット・パクナムというお寺があるが、 この別院が千葉県成田市にある。ソンクラーン(水かけ祭り)のようなタイの大きな催しはここでも行なわれているのだとか。
駅からかなり離れているようだが、何か機会があれば訪れてみるのもいいかもしれない。
ワット・パクナム日本別院
〒287-0237 千葉県成田市中野294-1 -
時流
西ベンガル州で、シャンティニケタンからビシュヌプルまで移動したときのことだ。早朝に出るという直通バスを逃してしまい、ドゥルガープルまで行きそこから乗り換えることになった。
シャンティニケタンから2時間で到着したドゥルガープルだがそこからが長かった。午前11時に出て、地図を眺めて午後1時前には着くだろうと踏んでいたが、バスは途中あちこち迂回して走った結果、目的地に着いたのは午後3時であった。
実はドゥルガープルのバススタンドで、電話屋の人に『公営バスのほうが早く着くよ』とは言われていたのだが、次に出るのが午後1時であるとのこと。2時間もボーッとしているよりは・・・と、タイミング良く現れた民営バスに飛び乗ったのが裏目に出た。
近年、インドのどこに行っても公営バスのルート、発着数ともに激減しているのが見て取れる。左翼勢力が強い西ベンガル州とて例外ではない。シリグリーやラーイガンジといった州内の交通の要所にあっても、バススタンドで幅を利かせているのは民営バス。
公営バスが道路交通の中核を担っていたころ、同じバスがいつも決まったプラットフォームから出るため、利用者とくに私のようなヨソ者にはわかりやすかった。そして決まった時間に(たとえ車内がガラガラであったとしても)出発するので時間が読みやすかった。走行ルートもそれなりに理にかなうものであったと記憶している。
かつてはインドのどこでもバススタンドといえば公営バス専用で、民間のものは道路脇などに構えた小さなオフィス前から出るのが当たり前だったのに。だが当時のように市内各地(それでも往々にしてバススタンド付近であることが多かったが)からバラバラに発着させていた状態よりも、こうして一箇所から各社のバスが出るようになると効率がいいし、利用者にとっても便利であることは間違いなく、大きな進歩である。こうやって民間でできるようになったのだから、政府がわざわざやる仕事ではないから手を引く・・・というのが万国共通の行政側の論理なのだろう。
そして今、色もカタチも違い行き先表示もあったりなかったりする民間バスが主体となってからは、これらの車両がどこに行くものなのか『経験的に』理解している者でなければ、何がなんだかよくわからないのだ。
ちゃんと定められた時間どおりに走行しているものもあるが、おおむね『満員になり次第』発車し、走行中に空席が目立つようになれば市街地に入ってから車掌がドアから身を乗り出して可能な限り多くの乗客を乗せようと呼び込みに没頭するようでは到着時間が予測できない。秩序と定時走行の概念が消えるという現象面だけ眺めてみれば、時代に逆行しているようにも思える。
公営・民間ともに同じところを走れば当然競合することになるが、それなりの棲み分けはなされているようだ。概ねこのベンガルでは公営は要所と要所を短時間で直行するもの、民間は回りまわって寄り道しながら大きな街とそれ以外の小さい町や村を結ぶといった具合に分業しているように見える。
高い経済成長率に沸くインドだが、その伸びの背景には元々のスタート地点がやたらと低かったからという面もある。それだけに都市部から離れるとまだまだ貧しさばかりが目に付くような土地も少なくない。それでも『小さな政府』『民間でできることは民間で』という大きな流れの中で人々が生きていることは、この地球上のどこにあってもほぼ同じであるようだ。もちろんそれが正しいことなのかどうかは、後世の人々が判断することになるのだろう。 -
車内の人間模様
通路挟んで隣に座った家族連れの人たちは気の毒であった。夫婦と小学生くらいの息子の3人連れ。ガタゴトと揺れる車内で、携帯電話に入ったショートメッセージを深刻な表情で見つめていた夫は、それを深いため息とともに妻に見せた。とても驚いた表情をしていた彼女は、やがて泣き崩れてしまった。突然の出来事で落ち着かない表情の夫だが、子供と一緒に彼女の手を取り、しきりになぐさめている。
なんでも奥さんの身内に不幸があったとのこと。本当はこれから空路マレーシアへと向かうつもりでコルカタに出てきたそうなのだが、急な出来事のためそれを取りやめなくてはならなくなったが、この列車の終着駅ハウラーに着いてからどうすれば良いのかわからず戸惑っている様子。
こうしたことがわかったのは、向かいに座ったU.P.州在住のムスリム老夫婦連れがこのベンガル人男性と話をしていたためだ。ともかくこの人は妻をなぐさめつつ、また携帯電話で彼女の身内らと連絡を取りながらも、正面に座る老人に一部始終を話していたので事情がよくのみこめた。こんなシリアスな状況下でも実によくしゃべるものだと感心。
周囲の人たちは悲しみに打ちひしがれたこの家族連れに気を使い、彼らの取るべき行動、彼の奥さんの実家へたどり着くためのルートなどについて、さまざまな助言を与えている。
ついさっき車内に乗り込むときの座席をめぐっての殺伐としたムードとは打って変わり、暖かい人情味あふれる空間に入れ替わっていた。
しばらくパニック状態にあった夫はしばらく考えた末、カルカッタの親族だか知り合いだかと携帯電話で連絡を取り航空券の手配を頼んだ。しばらくして三人分の席がジェットエアウェイズで確保できたとの連絡が入っていた。彼らがハウラーに着いたら電話の相手が駅で出迎えてくれて、そのまま空港へと向かうことになったそうだ。
やがて列車はハウラーに着き、家族連れは相席の人々に見送られて駅出口へと急いだ。 -
ふたたび不安と不信のはじまりか
7月11日午後6時台にムンバイーの郊外電車車両や鉄道駅などで連続して起きた爆弾テロ事件により、190人前後が死亡し620人以上が負傷したとされる。事件発生後、コングレス総裁のソニア・ガーンディー、RJD党首で鉄道大臣のラールー・プラサード・ヤーダヴらはデリーから事件発生現場へと急行した。
どの現場でも同種の時限発火装置が使用されたと見られ、現在までのところこの事件にはこれまで幾度もインドでテロ事件を引き起こしているパキスタンを本拠とする組織と地元インドで非合法化され現在では地下活動を行なう過激派組織がかかわっているとみられている。
こうした残忍にして愚かな行為はどんな理由があろうとも決して正当化できるものではない。しかしこうした事件を計画・実行しようとする組織や個人に対して、日々不特定多数の人々が出入りするという人口の流動性、常に人々の顔を見ながら生活していても、日々付き合いのある特定の個人を除いて他はすべて見ず知らずの他人であるという匿名性などから、都市といったものがいかに計画的にして組織的な暴力に対して無力であるかということをまざまざと見せ付けられた思いがする。 都会というものは、相手の顔が見えるようでいて、実は私たちが眺めているのは仮面や虚像に過ぎないのだろうか。
数年前、ムンバイーの市内バスが連続爆破される事件が発生した直後、シヴ・セーナーによる、事件首謀者たちとテロに対する行政当局の無策ぶりに対し、ムンバイー市街地全域に及ぶ規模での抗議活動としての『ムンバイー・バンド』が実行され、その趣旨に賛同するしないにかかわらず同党とその友党であるBJP の活動家たちが市内を巡回・監視し、インドの金融・経済の中心都市として、また市民生活を含むムンバイーの機能が日中一杯すべてストップさせた。
また事件の実行犯たちと同じくムスリムであることから受けるかもしれない危険や不利益を避けようということもあってか、いくつかのイスラーム教団体やイスラーム・コミュニティを支持母体に含む政党などが、メディアからの声明発信や街頭での演説などを通じて積極的な支持を表明してムンバイー・バンドに『相乗り』する様子も目に付いた。
指導部の世代交代を発端とする組織の内紛を経て、幾人かの重要幹部たちが抜けた現在のシヴ・セーナーに当時のような力があるのかどうかわからないが、同党を含めてマハーラーシュトラ州はもちろん中央政界でも下野している右派勢力がこの事件を好機とみて与党に対する揺さぶりをかければ、そのコトバが説得力を持って一部の人々の胸に響くことだろう。 事件そのものだけでなく、出来事を受けての政界による反応もコミュニティ間の緊張につながりかねない。ともかく影響は長期に及びそうだ。ここしばらくの間好転している対パキスタン関係も大いに懸念される。
このたびの事件で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、これがふたたび『人』『社会』『コミュニティ』『隣国』に対する不安と不信のはじまりとならぬことを願ってやまない。 -
ひとたび国境開けば
このところスィッキムからチベットのシガツェ地区を結ぶナトゥラ(乃堆拉)峠経由の国境ルートが、印中間の公式な交易路として44年ぶりにオープンしたことが伝えられており、両国の国境警備担当者たちが握手を交わす姿、地域の商売人たちの談話なども報じられている。
近年の印中関係の好転の結果であることはもちろん、長いこと旧スィッキム王国のインドへの併合を認めない立場を取ってきた中国のスタンスの転換の意味は大きい。
結局地続きの両国である。これまでこの地域で影に日向に人や物資の移動は多少続いてきたにせよ、公には両国にとって『地の果て』でしかなかったヒマラヤの国境地帯が、いきなり『外界への窓口』になることから、これといった主要産業を持たない同地域の経済発展への期待がかかっている。
だが単に『交易にかかわる収益+商機と雇用の増大=富裕化』という図式以外にこの交易路が地元社会に与えるインパクトがどのようなものであるか興味を引かれるところだ。
交易・物流の拠点では商取引そのものだけではなく、運送業者や貿易手続き等にかかわるエージェント等、道路や公共施設そのインフラ整備に加えて民間による開発事業等も含めた建築関係の需要も出てくるし、宿泊、食事、娯楽等といった周辺産業もやってくるだろう。 ここが新たな『ビジネスチャンス』であるのは、アンダーグラウンドな人々にとっても同じことで、怪しげな人々の姿もチラつくようになるのも不思議ではない。
とりもなおさず、これらすべてを包括した様々な業種に雇用を求める人々もやってくるはずだ。
そんなわけで、このあたりでおカネが急速に回り始めるとともに、新たに定住する人とともに出張者や臨時雇いなども含めた流動的な人口をも加えた『総人口』の伸びも前例のない規模になるだろう。すると今度は住宅や子弟の教育その他生活関連のニーズも高まってくる。
もうすでに相当規模の人口移動は始まっているのではないだろうか。従来からこの地域周辺に住んでいた人たちとはコトバも民族も異なる人々も流入してくることだろうから、今後いろいろ地元っ子たちと新住民との間での摩擦などもありえよう。
そしてこの地域は国境の向こうからやってくる人やモノを通じて中国各地とも結ばれることになる。ボーダーの向こうとこちら側がひとつの経済圏となることから、中国側からの影響も様々な面で見られるようになるのかもしれない。このあたりの商売に従事していると、インド首都や国内他エリアの出来事よりも、国境向こうの取引先地域の動向のほうがよっぽど気になっていてもおかしくない。
この地域がこれまでとはずいぶん違ったものになるのは想像に難くないようだ。今後の動向に注目したい。 -
料理屋さんもそれぞれ

ひと昔以上前、『エスニック料理』なるコトバでひとくくりにした『非欧米・中華』のガイコク料理がもてはやされた時期があった。東南アジア、中東、アフリカ、ラテンアメリカの実に様々な料理すべてが『エスニック』であり、もちろんインド料理もその範疇に含まれていたと記憶している。ちょうどそのころだったと思う。これら種々雑多な食事をメニューに網羅する『多国籍料理屋』なるものが出現したのは。
その後、人気躍進したタイ料理やマレー料理のなどは『エスニック』のカテゴリーから独立し、外食の新たな人気ジャンルとして定着。もちろんインド料理も同様で、従来からラーメンやうどんといった、サラリーマンのお昼の定番アイテムのひとつとしての『カレー』とは全く違う『インドカレー』として、街角にごくありふれた身近な存在となり現在にいたっている。
だが『インド料理』といったところで、インドという国がそうであるように、何かをもってインドの料理であると簡単に定義してしまうのはむずかしいところだ。それでも現在日本にあるインド料理屋の大部分が北インドの料理、とりわけパンジャーブ料理やムグライ料理といった北西部の食事を出していることが多く、そうしたものが『典型的なインド料理』ということになっているようだ。
それはそれで別に悪いことではないのだが、『インド料理』の看板を掲げて同じようなものを出していると思われる店の中にもいろいろある。料理屋で本のレシピに書かれているスタンダードなものばかり出す必要はないし、それなりに独創的なアイテムでお客の目や舌を楽しませてくれるのは結構なことなのだが、かなり不思議なものに出くわすこともある。たとえば魚のカレーを注文してみたら鮭が出てきたり、タンドゥーリー・チキンを頼むと赤く染めた鶏肉の唐揚が出てきたりなどといったところだ。
ごく一部だとは思うのだが、『店先や厨房にインド人を配置すればそれらしく見える・・・』と思ってか、いい加減なものを出す店はままあるように見受けられる。
少し前に日本の新聞のウェブサイトでこんな記事を目にした。
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「真の和食」にお墨付きマーク 仏で偽物の苦情増え(asahi.com)
http://www.asahi.com/international/update/0701/009.html
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インド料理店が増殖を続ける中、『ウチはちゃんとしたのを作ってるよ』という認証みたいなのがあってもいいかもしれない。
皮肉なことに、妙なものを出しているところはお客が来なくなって早々に店をたたんでしまう・・・わけではなく、いつも結構込み合っていたりする。
それだけに『悪貨が良貨を駆逐する』みたいなことになっては、真面目に頑張っている料理屋さんが気の毒ではないかと思うのだ。
