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投稿者: ogata

  • ムンバイー・メトロ 来月着工

     インドで『メトロ』といえばコルカタとデリー。ここにきてもうひとつのメガ・シティで新たに導入が予定されている。10月からムンバイー・メトロの工事がいよいよ開始されるのだ。コラバからチャールコープまでの38kmを越える長いルートである。
     またワルソーワーからガートコーパル、バーンドラーからマーンクルドまでの路線も計画されている。後者は巨大スラムとして内外に知られるダーラーヴィーの目と鼻の先をかすめて走ることになることから、同地区の再開発計画にも弾みをつけることになることだろう。この路線が開通するのはいつになるのかわからないが、『かつてここは世界最大級のスラムであった』と言われてもピンとこないような洒落たコマーシャル・エリアに変貌する日がやがて来るのかもしれない。
     ともあれ既存の郊外電車のルートと合わせると、ムンバイーの鉄道交通ネットワークはずいぶん密なものになり、まさにインドきっての商都らしいものとなる。MUMBAI METRO SYSTEMをご参照いただきたい。
     メトロといえば、他にも近年成長著しいアーメダーバード、そしてなんとコーチンでも導入の計画がある。
     都市部では本格的なマイカー時代が到来しているインドだが、都会の公共交通の分野ではメトロの時代がすぐそこまで迫っているのだろうか。将来にわたり都市交通の質の向上が見込まれることは実に喜ばしい。

  • リコーGR-Digitalを越えるか? シグマDP1

    シグマ DP1
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     昨秋発売されたリコーのGR-Digital。ほぼ一年間使ってみた感想としてはレンズ性能、搭載機能、充実したアクセサリー類を含めた拡張性等非常に満足度が高いモデルだと思う。胸ポケットにすっぽり収まってしまうコンパクトさもまた大きな魅力だ。そのおかげで常日ごろどこへ行くにもまさに肌身離さず持ち歩いている状態なのだ。
     しかし不満もある。1/1.8型という小さなセンサーを使用しているためだろうか、ISO感度を高くすると画像がひどく荒れてしまって使えないし、ラティテュードが狭く被写体のコントラストが高ければいとも簡単に白飛びしてしまう。それでもコンパクトな大きさで28mmの単焦点のモデルは今のところGR-Digitalしか存在しないので特に目移りすることはなかった。
     ところが・・・である。ドイツのケルン・メッセにて開催のフォトキナ2006で参考出品されているシグマのコンパクトデジタルカメラ「DP-1」はどうだろう。35mm判換算で28mmの単焦点レンズを持つこのカメラは、発売されればおそらく日本で始めてとなるFOVEON X3センサー(1406万画素)を搭載していることだ。このタイプのセンサーの特色は、光の三原色を1画素で捕らえることができることである。そのため銀塩写真に最も近い画質を実現できるのだとか。これに対して現在一般的な撮像素子は1画素で1色を取り込んだ後に補間処理による画像生成が行なわれる。FOVEON X3センサーは偽色の発生を抑え、より鮮明で正確な色を再現するといわれる。 
     
     このセンサーは今年11月に発売予定の同社の一眼レフSD14に搭載されるものと同じである。コンパクトタイプのデジタルカメラに一眼レフ並みのAPS-Cサイズのセンサーが搭載されるのは世界初だ。これでようやく先述のGR-Digitalに感じていた不満の解消が期待できるだろう。ただレンズの開放F値が4.0と暗いのが気になるところだが、『撮像素子にスタビライザー機能を搭載している』とのことで、どうやら手ブレ補正機能が付いてくるらしい。いまのところ細かいスペックは明らかになっていないが、画像を見る限りではGR-Digitalとよく似たフォルムであり、ボディサイズもほぼ同等らしい。発売から一年にしてようやくGR-Digitalの対抗馬の姿が浮かび上がってきた。
     発売時期は未定だが、来年1月あたりには・・・という話がある。発売に先行して店頭での予約受付が始まった途端フラフラと注文してしまう自分の姿が目に浮かぶ。。コンパクトデジカメとしてはかなり高価なものとなるはずだが、日常や旅先でもマルチに重宝する高品位なカメラとしても注目されることだろう。そしてもちろんインドでも大いに役立ちそうな予感。
    コンパクトデジタルカメラ SIGMA DP1開発のお知らせ(シグマ)

  • たかが名前されど名前 ポンディチェリー改名

     1954年にインドに返還(1963年から連邦直轄地)された旧仏領ポンディシェリー(Pondichéry)は英語ではポンディチェリー(Pondicherry)と言い、タミル語ではパーンディッチェーリ(பாண்டிச்சேரி)と呼ばれる。『新しい町(村)』という意味だそうだ。
     ここにきて再びその名前が変わることになる。8月半ば成立した法案が発効を迎えたことから新しい名称はプドゥッチェーリ(புதுச்சோரி)となり、仏領以前の地名に戻ることになる。
     外国統治下はともかくとして、インド返還後半世紀近くも経ってからその名を変えることにどれほどの意味があるのかとも思う。近年改名された地名は少なくないのでこれに限ったことではないのだが、名称変更後ただちに・・・とはいかなくても、段階的に役所その他の公共施設での表示や公文書における表記を改めていくことになる。そうした手間が行政コストに跳ね返ってくるムダ、また地図、住所表示その他民間にも余計な出費や面倒をかけることになるが、区画整理や自治体の合併などで地名の変更を余儀なくされる場合はともかく、長いこと呼び習わされてきた土地の名前について、こうした代償を支払っても充分ペイする効果があるのかどうかははなはだ疑問だ。
     改称については政治屋さんの思惑や気まぐれに振り回されて『ああ迷惑な・・・』と感じる人も少なくないことと思う。そもそもPondichéry、Pondicherryあるいはபுதுச்சோரிで一体誰が不便や不都合を感じていたというのだろう。あえて大昔の『プドゥッチェーリ』という名称を復古させることにどれほどの合理性があるのだろうか。
    Destination Puducherry (The Hindu)

  • ショーレーが帰ってくる

    SHOLAY (1975)
     1975年公開のショーレー(SHOLAY)といえばプロデューサーのG.P.スィッピーとその息子ラメーシュ・スィッピー監督が製作、アミターブ・バッチャン、ダルメーンドラ、アムジャド・カーン、ジャヤー・バドゥリー(現ジャヤー・バッチャン)、ヘーマー・マーリニー、ヘレン等々、当時の豪華キャストをそろえた超大作。
     主人公のジャイ(アミターブ・バッチャン)とヴィールー(ダルメーンドラ)演じる若者のふたりが勇気と知恵をしぼってガッバル・スィン(アムジャド・カーン)率いる盗賊団を退治する冒険活劇はまさにマカロニ・ウエスタンならぬ『マサラ・ウェスタン』である。公開当時はまさに西部劇のコピーだとして批判も少なくなかったそうだが、現在のお金に換算して5千万ドルもの興行収入、ムンバイの映画館ミネルヴァ・シアターにおけるなんと286週!という超ロングラン上映期間ともに、ボリウッド映画史上燦然と輝く金字塔を打ち立てた。
     私はその当時の熱気を知る世代ではないためビデオで鑑賞しただけだが、YEH DOSTIの歌とともにアミターブとダルメーンドラがサイドカー付きのバイクで駆けてくるシーン、ガッバル・スィンの野営地でバックに流れる音楽MEHBOOBA MEHBOOBA とともに挑発的なヘレンのダンス等々、とにかくワイルドなカッコ良さに大いにシビれた。
     この映画に出演した豪華キャストの中からアミターブ・バッチャンとジャヤー・バッチャン、ダルメーンドラとヘーマー・マーリニーという当時の映画界を代表する二大カップルが実生活でゴールインしている。
     1975年リリースのオリジナルのショーレーでは、ジャイ役にモヒト・アフラーワト、ヴィールー役にはアジャイ・デーヴガン、盗賊団の親分を倒すジャイ役を演じたアミターブ・バッチャンが今回の新作ではかつてとはまったく逆に大悪党ガッバル・スィンに扮する。ちなみにガッバル・スィンは1950年代にマディヤ・プラデーシュ州のグワリヤル周辺を荒らしまわり悪名を馳せた同名の実在したダークーがモデルとなっている。旧作にてこの役で出演したアムジャド・カーンは、1991年公開のラームガルのショーレー(RAMGARH KE SHOLAY)でも同じ役を担ったが、映画公開の翌年1992年にはそれまで長く患ってきた心臓病が原因で亡くなった。
     来年、そのショーレーが私たちの前に帰ってくる。監督はラーム・ゴーパール・ヴァルマー。彼が32年前の超大作を現代の私たちの前でどのようにリメイクするのかお手並み拝見といったところだ。
     世代を超えて愛される冒険活劇として旋風を起こし、映画史に再び名を残すのだろうか、それとも時代錯誤の懐古趣味、あるいはくだらないパロディーと一蹴されるのか。
     彼が指揮を取る作品ならば必ずやヒネリの効いたオリジナリティ溢れる面白い作品になるのではないかと期待している。でもあまりに偉大な『ショーレー』の看板を背負う以上、ある程度の興行成績を収めることができたとしても、世間は月並みな評価で放っておいてはくれず絶賛か酷評かのふたつにひとつなのではないかという気がするのだ。
     ともあれ2007年版のショーレーが今からとても気になっているのは私だけではないだろう。

  • 代々木公園のインドな週末

    ナマステ・インディア
     本日9月23日土曜日、東京渋谷の代々木公園で『ナマステ・インディア2006』が開催された。(会期は明日24日まで)
     築地本願寺から会場を移して最初の開催であった前回に比べて、出展ブースの数がかなり増えているようだ。そして今回はITや人材派遣などの会社、マディヤ・プラデーシュとウッタラーンチャル両州の観光局も参加するなど、参加団体等の幅が広がってきていることが見て取れる。同様に来場者の数も伸びていることと思う。
    会場は大盛況
     他にも前回は見られなかったタイプの出展者としては、この催しのためにわざわざインドから来日した細密画師、染物販売者、木工品販売者たちなどの姿があった。
     さまざまな出演者たちが次々に登場するステージにおいて、会期の両日ともトリを務めるのはアオ・ナガ族舞踊団である。
     第二会場の『たばこと塩の博物館』においては、23日には松岡環氏による『最近のインド映画事情』の講演が行なわれた。明日24日は脇田道子氏による『アルナーチャルの民族文化について』および鈴木正崇氏による『ナガランドを旅して』が予定されている。
     明日24日の天気はまずまずのようだ。本日以上の大盛況となるに違いない。
    アオ・ナガ舞踊団出演者たち

  • バーバー・ハルバジャン・スィン

    Baba Mandir
     バーバーのお寺はスィッキム州の海抜4000mのチャングー湖畔にある。毎年多数の信者たちがお参りに訪れるという。バーバーはこの国境地帯とそこを警備する兵士たちの守護神として知られている。
     だが驚いたことに、そのバーバーことハルバジャン・スィンはなんと勇敢な兵士でもある。陸軍に1966年に入隊した彼は、スィク教徒たちから成るドーグラー連隊に所属し、今年12月1日にいよいよ除隊を迎える。そんな彼は例年と同じく2ヶ月の年休を過ごすべく、9月14日にパンジャーブ州カプルターラー地区にある故郷の村へと出発した。現在は軍人として最後の休暇を郷里の家族たちとともにゆっくりと過ごしているところだ。
     しかしこのバーバー・ハルバジャン・スィンは今晩もスィッキムの湖畔にある彼のお寺を制服姿でパトロールしているのだという。でも一体どうやって・・・?
     実はこのハルバジャン・スィンの肉体はとっくの昔にこの世から消え去ってしまっている。陸軍入りして2年後の1968年に(メディアによっては彼の死亡時期は1962年の中印紛争時とするものもある)ナトゥラ峠近くで物資運搬のためラバを誘導していた際に行方不明となった。遺体は後日発見されたが、死因は付近の氷河に滑落したためとされる。
     そんな不遇な彼は連隊の同僚たちの夢の中に出てきた。同じ夜に複数の兵士たちが安住の地が欲しいと懇願する彼の姿を見た結果、彼を祀る祠を建てたのが現在チャングー湖のほとりにある通称『バーバー・マンディル』の始まりである。

    (さらに…)

  • 今週末はナマステ・インディア

    ナマステ・インディア2006
     以前取り上げたとおり、今週末(9月23日と24日)に東京渋谷の代々木公園でナマステ・インディア2006が開催される。
     個人的に特に関心があるのは、ナガランドからやってくる舞踏団と第二会場(たばこと塩の博物館)で展示されているミティラー画である。プログラムスケジュールには『インド人カラオケ』なるものがあるが、これはインドの歌のカラオケのことだろうか?それともインド人たちがカラオケ(日印ジャンルを問わず)を披露するのか?
     もうひとつ大切なことがある。それは天気だ。会場隅っこのほうにでもゴザを広げて、サモサをつまみにビールを飲みながらまったりとすごすことを思い描いているのだが、雨にたたられたらどうだろうか。舞踊や音楽などいろいろな出し物が進行中のステージを眺めつつ、傘の下で背中を丸くして縮こまったままカレーをパクつき、露店をいくつか覗いてみてからクシャミをしながら早々に退散。膝から下がずぶぬれになった体でスターバックスにでも駆け込み、温かいコーヒーをすすってようやく人心地つく・・・といった図が頭に浮かぶ。現在発達中の台風14号が猛スピードで北上してきて週末の東京地域を直撃、なんてことはないとは思うが、天気予報では土日の空模様は微妙な感じ。
     ともあれ週末は代々木公園でお会いしましょう。

  • 毒蛇大国

    ラッセル・クサリヘビ
     ラッセル・クサリヘビという蛇がいる。ヒンディー語、ウルドゥー語ではコーリーワーラーと呼ばれているらしい。体長は通常70?から130cmほどだが、特に大きなものは150cmを超すという。ひと咬みで相手に注入する毒の量が多いため、世界でも有数の恐ろしい毒蛇だ。主に草むらに棲息し、パキスタン、インド、バングラデシュなどといった南アジアの国々に多く見られるとともに、東南アジアや台湾などにも分布している。
     毎年インドでは蛇に咬まれることにより5万人もの人々が命を落としているといい、世界全体のこうした死亡事故のおよそ半分を占めるというから、インドは世界に冠たる毒蛇大国ということになる。国内に生息しているヘビおよそ270種中の60種が毒性を持つというインドで、先述の年間死亡者の4割にあたる2万人がラッセル・クサリヘビにより命を奪われているのだから、この蛇がいかに危険であるかということがわかる。なお被害者たちの大半が畑仕事中の農民である。
     毒蛇といっても種類によって毒の性質や強度はさまざまだ。ラッセル・クサリヘビのようなクサリヘビの類は出血毒を持っている。強力な消化酵素から成るたんぱく質を分解する毒だ。 咬まれるとまず細胞組織のたんぱく質が分解され患部に激痛と腫れが発生、それらは徐々に全身に広がっていく。続いて皮下出血や腎機能障害や内臓からの出血、血便、血尿などが起こる。またコブラやアマガサヘビは神経毒を持ち、噛まれるとおもに麻痺やしびれが発生。究極的には呼吸や心臓が停止して死亡に至る。前述の出血毒よりも症状の進行が早いとされる。
     毒蛇に咬まれた場合、傷口の消毒や感染症予防のために抗生物質投与や破傷風の予防注射、出血毒を持つヘビの場合は血液凝固などの措置が取られるとともに、ヘビの毒への対処として血清治療が行なわれる。だが血清による致命的なショックが生じることもあるという。
     あくまでも国全体として見れば、インドにおける血清のストックの状況まずまずのレベルらしいが、特に需要の多い農村部でローカルな医院に置いてなかったり、あっても医師が使いかたについて不慣れであったりなどということが多いなど、毒蛇対策の普及の偏りが大きな問題となっている。
     以前、雨季にラージャスターン州のある小さな町に滞在していたときのこと、食堂で昼食を注文して待っていると、いきなり『コブラが出た』と上に下への大騒ぎがはじまった。店の人によると小型で幼いヘビが狭い店内のどこかに潜り込んでしまったとのことで『まったくどこに隠れちまったんだか?』と困惑した表情。たとえ子供であっても猛毒を持つ恐ろしいヘビに違いはない。私自身はとても食事どころではないと早々に退散した。
     何はともあれ毒蛇に咬まれた場合、治療は一刻を争う。昼間の町中ならまだしも、田舎の村で農作業中に咬まれた場合、付近の病院にたどりつく、あるいは運び込まれる前に手遅れになってしまいそうだ。近くの町の病院が閉まっている夕方以降にやられたりすると、一体どういうことになるのだろうか?想像するだけで空恐ろしい。
    India’s battle against snake bites (BBC South Asia)

  • 近ごろ日本で増える人力車

    ニッポンのリクシャー
     1860年代後半、横浜で走り始めた(日本橋のほうが早かったとの説もある)のが世界最初とされる人力車。インドでは今でもコルカタで走っているのを見ることができるが、同国で最初に『リクシャー』が出現したのはシムラーであったという。リクシャーという新たな交通機関が普及しはじめたころ、日本から各地にその車両を盛んに輸出していたということだ。
     のちにアジア各地で自転車によって引く『サイクルリクシャー』『シクロー』として発展してからは仕様やスタイルなどにそれぞれの地域色が出てくる。しかしオリジナルの『人力車』についてはどこを走っていたものもほとんど差がなかった。それどころか今コルカタを走っている人力車についてもほとんど形を変えていない。日本発の人力車は輸出先各地で地元の職人たちが模倣して作るようになってもほとんど改良の余地がないくらい完成された機能性とデザインを持っていたということになるのかもしれない。
     その人力車は今では日本の浅草や鎌倉といった行楽地で見かけるようになって久しいが、ふと思い立って調べてみると、こうした観光人力車のサービスは全国各地でずいぶん広がっていることがわかった。北は北海道から南は沖縄まで、その形態は個人営業から各地に支部を持つ企業組織までさまざまである。また横濱人力車くらぶのように車夫ならぬ車婦が頑張っているところもある。  ちかごろのインドでは女性のタクシーやオートの運転手も出てきているものの、日本にはリクシャー・ワーラーならぬリクシャー・ワーリーもいるなんて聞いたら腰を抜かす人もいるのではないだろうか。
     ネットで検索してみると以下のような観光リクシャーのサービスの案内が見つかる。
    ……………………………………………………………………………….
    えびす屋(函館・小樽・浅草・鎌倉・京都・奈良・北九州・湯布院)
    時代屋(浅草)
    くるま屋日本橋(日本橋)
    横濱人力車くらぶ(横浜)
    横浜人力車 太郎(横浜)
    人力車 ねこ屋(小田原)
    川越陣力屋(川越)
    ごくらく舎(飛騨高山)
    谷口人力車(出石)※兵庫県
    人力車まつもと(真庭郡勝山町)※岡山県
    俥屋(長崎)
    俥宿 天十平(萩)
    灯八(宮古島)
    ……………………………………………………………………………….
     こうした人力車はどこで作っているのかと思えば、19世紀にさかのぼる『匠の技』は途中長い中断はあったとはいえ、今の日本でしっかり健在のようだ。美しいフォルムと細部に渡っての美しい仕上げを目にすると、購入しても置く場所がないどころか『一体何に使うの?』ということになってしまうのだが、ぜひ一台所有してみたくなった。
    ……………………………………………………………………………….
    株式会社 升屋製作所
    俥宿 天十平
    ……………………………………………………………………………….
     人力によるタクシーとして『Velo Taxi』の名で知られるサイクルリクシャーが東京、名古屋、京都の市街地のごく一部で運行しているものの、人力車については決まった観光ルート以外の行き先を指定して走らせるようなサービスは今のところ耳にしたことがない。 
     もちろん人力車もサイクルリクシャーも市街地の広がりや人々の往来が広域化したことなどにより人々から必要とされなくなって次第に姿を消していったのだから、今の忙しい時代に往時のままのカタチで復活なんていうことはありえない。
     だがそういう時代だからこそ、単なる懐古趣味あるいは物珍しさといった理由のみではなく、休日くらいはヒューマンな速度で運転手と世間話でもしながら見物を楽しむのは悪くないだろう。夏の間は炎天下で客待ちするのも市内を駆け回るのも骨が折れる仕事であったに違いない。秋口に入ってだいぶ楽になったのではないかと思うが、晴れる日もあれば雨もある。これから先に待ち受けているのは辛くて寒い冬である。リクシャー引きの方々には、くれぐれも身体と往来のクルマやバイクに気をつけて頑張って欲しい。

  • バンドから一夜開けて

     朝が来た。活気あふれ街中は前日とはまるで別の世界である。喧騒の中、もはや鳥のさえずりは耳に入ってこない。
     バンド・・・といえばインドにおける伝統的な抗議手法だが、かつてのイギリスに対する非服従運動の中でも人々に対してそれに参加するようにと、影に日向に同様の強制があったのではないだろうか?とふと想ったりもする。
     そのころのインドでは植民地行政下において鉄道の敷設と路線の拡充、道路網の整備など、工業化、商業化を進めるためインフラの整備や開発も進行中だった。 20世紀に入ってからは高級官僚など政府幹部のポストにネイティヴの人たちが占める割合が次第に高まってくるなど、行政組織の頂点部分へ現地の人々の進出が目立つようになってきた時期でもある。地元市民の発言力が相対的に高まるとともに、そのころのイギリスではインド勤務に対する魅力が次第に下降線をたどっていたことも原因のひとつだろう。
     ともあれ当時の統治システムの中で日々を送っていた上から下までさまざまな職責の公務員たちにとって、頼みとする体制の不安定化と流動化は自らの将来について大きな脅威であったはず。反英運動に対する取締りにあたった警官たちも、その大部分はインド人たちであり植民地体制化で既得権を持った人々の中では親英勢力は相当な力を持っていたはず。
     商業活動に従事していた人たち、とりわけ都市部でビジネスを営んでいた人々は当時の行政の枠組みの中でそれなりの繁栄を享受していたし、当時英領あるいは英国の保護領となっていた地域との間で活発な取引を行なうなど、英領下であることのメリットは大きかっただろう。
     たとえば当時のマドラスに本拠地を置いていたスペンサー商会にとって、この時代は大きな試練であったという。社会不安はもちろんのこと商会の根幹を成す事業のひとつであった舶来の高価な品々の輸入販売が大打撃を受けたこと、欧州系のオーナー家族による運営がなされてきた商会が、当時の世の中の動きから必要に迫られて経営の現地人化を進めざるを得なくなったのもこの時期であった。
     社会のかなりの部分の人々にとって、民族の大義や社会正義より正直言って日々の稼ぎと個々の家庭の平安のほうが大切だろう。どんな体制下にあっても世の中の大部分の人たちはそのシステムの中で折り合いをつけたり、うまく立ち回ったりして私生活の維持と向上をはかるものである。開拓精神に溢れて機転も利く一握りの人々を除き、多くの人々にとって場合体制が変わること、システムが入れ替わることは大きな不安だと思う。私自身もそういう人間である。
     しかし植民地当およびその協力者たちと反英勢力の綱引きの中で、次第に親英勢力がジリ貧になっていくにつれて鞍替えする人たちが出てきたこと、また内心どちらでもなく状況の様子見をしていた人たちが独立勢力の伸長していき、イギリスの撤退がもはや明白となったあたりで『さあ、乗り遅れるな!』と反英勢力側に飛びつく人たちが続出した・・・なんていう図が目に浮かぶのだがどうだろうか。
     世の中、誰もが『革命家』であるはずはないし、もっぱらの関心事といえば今日と明日の自分自身と家族のことだろう。いくばくかの問題意識を持っていたとしてもひとりで世の中を動かすことはできないから、せいぜい仲間内で批判めいたことを口にするくらいだ。日和見は無力な一市民だけではなく、何事か起きれば巨万の富や権力を失いかねない立場にある人たちにとっても当然の処世術である。
     時代が下れば『勝者の歴史』は美しくまとめられてしまうものの、当時の世間は様々な不協和音に満ちていたことだろう。戦争にしても独立運動にしてもつまるところ『勝てば官軍』なのである。誰もが勝馬に乗りたがるのは無理もない。
     かくして敗者たちのうち機知に富む者たちあるいはコネを持つ人々はいつの間にかスルリと立場を入れ替えて勝者の側に立ち、要領が悪かったり頑迷だったりした人たちは『裏切り者』という烙印を押されてしまうのはいつの世も同じ。かくして敗者たちの主張は闇へと葬り去られていく。

  • 達人たちのバンド 2

    ラージダーニー・バンド

    予約していたホテル玄関は蛇腹式のシャッターを閉めてあり休業中みたいに見えるが、門番がカギを開けてくれて中に入れてくれる。グラウンドフロアーにあるレセプションとレストランでは通常通り人々が働いていた。

    この日のバンドはムンバイーでの連続爆破テロへの抗議と与党への圧力なのだとホテルの従業員は言う。うまくそれにタイミングを合わせた感じではあるが、固く閉ざされた焦点のシャッターに無造作に貼られたシヴ・セーナーのバンド呼びかけのポスターには、留保制度反対!牛殺し反対!物価上昇に対する対策を講ぜよ!などといった内容のものもあった。

    テレビをつけてみると確かに国会のモンスーン・セッションのはじまりに合わせて、シヴ・セーナーの友党であるBJPの人々が鐘を鳴らすなどして政府、つまりコングレスとその連立政権に対するアピールとしてなにやら騒いでいる様子が映し出されているため、こうした動きと歩調を合わせて行なわれているものであるらしいことはわかる。

    バンドの達人たるシヴ・セーナーだが、実はこの半月ほど前の7月9日に地元ムンバイーでバンドを試みて失敗している。バンドの理由が党幹部関係者の個人的な問題に起因するものであり『公共性』を欠いたものであったということもあるが、このところナラーヤン・ラーネー、ラージ・タークレーといった大物幹部が離反して党を離れていったため、求心力が大幅に低下してしまったのがその原因と言われている。

    そこで『セーナーは本拠地を遠く離れたこんなところでも威力を振るうことができるのだ』と、彼らにしてみればまさに面子回復を賭けているのが今回のバンドかもしれない。

    2000年11月にU.P.州から分かれて成立したウッタラーンチャル州の州都となったデヘラードゥーン。それまで学園都市として知られてきたことを除けば分割以前の旧U.P.州に数多く存在する中規模の街のひとつにしかすぎなかった。この街で前例のないトータルなバンドであったらしいが、やはり『州都』ともなれば政界への影響やパブリシティーといった面でこの類の行動を起こすメリットが出てくるのだろう。

    家族をホテルの部屋に置いて出歩いてみた。暴徒に出くわしては困るのであまり遠くまで行くつもりはないのだが、そうでなくてもバスやオートは一台も走っていないので徒歩圏内しか訪れることはできない。雨が降っては晴れての蒸し暑い気候の中、喉が渇いても店がどこも開いていないので水さえ買うことができない。だから結局ホテルの近所をウロウロするほかないのである。十字路では交通警官がヒマそうに椅子に座っていた。『バンドは日中一杯。午後5時で一応終わりらしいよ』とのことだ。

    静かな往来をボーッと歩いていて道路の突起でつまづいてしまった。すると靴底が三分の一ほど剥がれてしまった。こういう日なので路肩にデンと座り込んだ修理屋も見当たらない。突然壊れてしまった靴がうらめしくなる。

    通りには誰もいないがガーンディー公園ではヒマつぶしにトランプに興じている中年男性たち、デート中の若い男女などの姿をチラホラ見かけた。街地中心のクロックタワーのあるあたりは大きな商業地になっている。ここでは消防車や『ダンガー・ニヤントラン』と書かれた暴徒対策の機動隊車両が駐車してある。このクルマの天井には催涙弾とその発射装置が搭載されているのが見える。治安部隊の人々がこのあたりに集結して警戒していた。

    どこも歩いてみても閑散としていたが、午後4時過ぎあたりになると一部の商店が扉を開き始めていた。3年前、ムンバイー・バンドが終わるあたりで次第に街が息を吹き返していった様子を思い出す。だがインド随一の商都とは違い、デヘラードゥーンでは本日一杯休みにしたところのほうが多いらしい。のんびりした地方都市らしいところだろう。少しずつ人通りが出てくると新聞屋の姿もチラホラ見かけるようになってきた。

    ウェーリー・メール(वैली मेल)というというタブロイド版ローカル紙を手にとってみると『未明から90台ほどのバイクに分乗したシヴ・セーニク(シヴ・セーナーの活動家)たちが出動。午前4時半にISBTに到着して2台のバスの窓ガラスを割るなどの破壊行為を働いた』『デヘラードゥーン市内複数の地域で公共バスを破壊』等々、今日のバンドについていろいろ書かれていた。こんな具合でシヴ・セーナーのバンドをまだ良く知らない市民たちにお得意の強烈な先制パンチで明け方前から存在感を示したわけだ。

    記事には『朝から学校、郵便局その他の公私さまざま機関、会社、商店などが閉まっていた。路上の物売りたちも一部を除きことごとく姿を消していた。オートリクシャーやタクシーもいなかった。シヴ・セーナーにしてみれば彼らのバンドは大成功』ともある。

    破壊行為で逮捕された活動家がポリスのクルマの中に座っている写真も掲載されていた。まだ20代に見えるが、シヴ・セーナーの創設者であり現在同党を率いる息子のウッダヴ・タークレーの後ろ盾でもあるバール・タークレーばりの細身で裾の長いクルターを着て粋がっている様子。シヴ・セーナーの連中にとってはあのBALASAHEBことタークレー親分のいでたちがたまらなく魅力的に映るのだろう。

    パルタン・バーザールを抜けたところの ラーム・ラーイ・ダルバールという墓廟兼グルドワラーをしばらく見物して外に出てみると薄暗くなってきた。さきほどまでは人の行き来がまばらだった通りには、昼間まったく見かけなかったオートが何台か客待ちしている。

    蒸し暑い中を歩きずくめで疲れた。ガタガタと揺られつつも腰掛けたシートに疲労が吸い込まれていくようだ。

    <完>

  • 9月8日のマーレーガーオン

     またもやテロ事件が起きてしまった。マハーラーシュトラ州のマーレーガーオンで、9月8日午後、自転車に設置された爆発物による4発の連続爆破事件が起きた。  同州にマーレーガーオンという地名は複数あるが、今回事件が起きた場所はナーシクからグジャラートのバドーダラーに向かう国道3号線の途中にあり、ムスリム人口が6割を占めるイスラミックな街である。
     事件が起きたのはムスリム地域でモスクと近隣のマーケットで爆発が起きた。ちょうど金曜日の礼拝の帰りに被害にあった人たちが多く、今までのところ死者37名で負傷者が100名超ということで、場所柄被害者の大半がムスリムであると伝えられている。事件後(治安当局の『無策ぶり』に)怒った人々がポリスステーションや病院に押しかけ破壊活動を行なう者も出たことに対する対応として、その他予想される緊張状態を回避するためもあり、当局は市内の特にセンシティヴであるとされる地域に外出禁止令を敷いた。
     商業地域や鉄道といった宗教的に中立な場所、あるいはヒンドゥーの寺院や巡礼地のようなサフラン色のスポットではなく、J&K州の外においてはモスクを含めたムスリム地域がターゲットとなったことは、インドで近年起きたテロ事件の中では目新しいものであるといえる。
     今のところ事件の犯人、犯行グループなどについて治安当局がどこまで把握しているのか明らかにされていない。このところ散発しているテロ、とりわけ7月11日に州都ムンバイーで起きた連続列車爆破テロの記憶も新しい中、あたかもヒンドゥー極右側による報復のように受け取られかねないこの出来事は、明らかに社会の分断を狙ったものであろう。 
     コミュナルなテンションが高まることを警戒して、政府も『火消し』に懸命な様子がテレビなどで伝えられている。ひょっとするとこの事件は内政面でも外交面でも今後に大きな影響を及ぼす重要なきっかけとなるのかもしれないので、成り行きを注意深く見守りたい。とにもかくにも非常に残念な出来事である。不幸にして事件に巻き込まれて命を落とされた方々のご冥福をお祈りしたい。
    At least 37 killed, over 100 injured in Malegaon blasts (Zee News)