ただいまメンテナンス中です…

投稿者: ogata

  • メアリー・コム

    インドで強いスポーツといえば、クリケット、テニス、バドミントンなどが思い浮かぶことだろう。しかし女子ボクシングで世界最強レベルの選手がいることは日本ではあまり知られていない。

    インドで女子ボクシングが盛んかといえば、そんなことはないのだが、マニプル州出身のメアリー・コムの存在があまりに突出している。

    2012年のロンドン・オリンピックでは残念ながら銅メダルに終わったが、2002年から世界女子アマチュアボクシング選手権で5回優勝している。アジア域内では、アジア女子ボクシング選手権を含めた3つの大会で7回の優勝を経験している。

    以下リンク先のビデオはロンドン・オリンピック開催前、金メダルの期待がかかっていたメアリー・コムを取り上げたものだが、インタビューのやりとりとともに、彼女の家庭での様子(既婚で2児の母でもある)、練習風景なども紹介されていて興味深い。

    India – Five Times World Boxing Champion
    ‘Mary Kom’ WISH her for London Olympics, 2012
    (Youtube)

  • SONY RX1

    SONY RX1

    SONY RX1

    高品位なコンパクトデジカメが増えている昨今、いよいよその究極とも言えるカメラが発表となった。SONYのRX1である。

    世界初の35mmフルサイズのCMOSイメージセンサー搭載のコンパクトデジタルカメラだ。レンズはF2.0で35mm単焦点。ずいぶん思い切ったものを出してきたものだ。

    世界初、35mmフルサイズCMOSイメージセンサー搭載のコンパクトデジタルスチルカメラ“サイバーショット”最上位機種を発売 (SONY)

    レンズは固定式なので交換できないし、焦点域も35mmのみという極めて趣味性の高い贅沢なカメラである。そうした意味では富士フィルムのX100に相通じるものがあるが、X100のセンサーはAPS-Cサイズ(24×16mm)であるのに対して、RX1はフルサイズ(36×24mm)であるため、イメージセンサーの面積が2.25倍も大きく、まったく別格なのである。

    ちなみにコンパクトデジカメを含めたデジタルカメラのセンサーのサイズ規格ごとの大きさの違いについては、こちらをご参照願いたい。

    撮像素子の大きさ比較 (ガバサク談義)

    もちろん価格のほうも、これまでのコンパクトカメラの水準からは考えられないほど高額である。発売前(発売予定日11月16日)の想定価格は25万円なので、現在10万円台から11万円台で販売されているX100の倍以上。

    どちらも高級機ではあるものの、レンズ交換式ではないため35mmの焦点域でしか使えないので実用性という点では、いつも仕事で常用する機材にはなりにくいだろう。しかしながら35mmという汎用性の焦点域であるがゆえに、完成度の高いものであれば趣味の道具として大きな魅力を発揮することになる。

    ハイアマチュアのユーザーが多い日本その他の先進国等では、唯一無二な魅力のフルサイズセンサーのコンパクトデジカメRX1に対する需要は高いことと思われるが、高級機でも、発売から2、3年もすると、陳腐化してしまうものだ。

    だが、その時期になってもフルサイズのセンサーのコンパクトデジカメというのは他に出てこないように思う。拡張性が無いし、レンズ固定式であるため既存のレンズ資産を利用できない。もちろんカメラ自身のレンズも流用できないため、極めて不経済なモデルであるといえる。それゆえ、ソニーのRX1は歴史的なカメラとしてその名を残すことになるかもしれない。

    だが、これが時を同じくして発表となったフルサイズ初のミラーレス機α99と立ち位置の異なるフルサイズセンサーの廉価かつ小型軽量なシリーズを構築するための布石であったら嬉しい。個人的には手の届く価格帯であったならばぜひ所有して思い切り使い倒してみたいカメラなのである。

  • Namaste Bollywood #34

    Namaste Bollywood #34

    Namaste Bollywood #34

    Namaste Bollywood#34が発行された。今号ではボリウッド映画界とベンガルとの繋がりに焦点が当てられている。

    近世以降、文学、絵画、演劇といった様々な方面の芸術が豊かに花開いてきたベンガル地方由来の小説を下敷きにしたボリウッド作品はいろいろある。そうした文化的な背景もあってのことかと思うが、ベンガル出身あるいはベンガル系の血筋の演技者も多い。ベンガル出身の芸術映画、左派映画の製作者も多いことは広く知られているが、たぶん製作者以外にも映画関係で撮影や舞台装置その他の技術系の仕事に携わる人の中にもベンガル系の人々が占める割合は少なくないことだろう。

    さて、今号には日本のボリウッド映画ファンが、決して見逃すことのできない大変重要なニュースが掲載されている。10月6日(土)から12日(金)に渡って開催されるインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン。東京の会場はオーディトリウム渋谷で、大阪の会場はシネ・ヌーヴォである。この期間中に上映される映画は合計23本。どれも選りすぐりの素晴らしい作品だ。東京と大阪とで、それぞれの作品の上映日時が異なるのでご注意願いたい。

    過去の『インド映画ブーム』により、ある程度以上の年齢の日本人観衆の間に定着してしまったインドの娯楽映画に対する「単純明快」「勧善懲悪」「唐突に挿入される歌と踊り」「ハッピーエンド」等々の紋切型かつどれもがB級、C級といった誤ったイメージを払拭(そうしたイメージを抱いて映画祭を観賞した人はこれまでと考えを180°転換させることだろう)して、個々の作品のクオリティの高さを正当に評価するきっかけになることを願っている。

  • TRANSIT第18号 美しきチベット

    TRANSIT第18号 美しきチベット

    TRANSIT 第18号

    季刊誌(年4回発行)TRANSITの最新号はチベット特集。主に取り上げられているのは中国占領下のチベット(中国政府は「西蔵自治区」を自称)、ブータン、インドのダラムサラとラダック。旅行関係の出版物だけあり、豊富でカラフルな写真や図版が楽しい。

    色々な方面の執筆者による記事が満載だが、それらの中で意外であったのは、「日本で触れるチベット仏教」と題されたもの。今までまったく知らなかったが、広島市にある高野山真言宗牛田山龍蔵院内に、デプン・ゴマン学堂日本別院という、日本初のチベット僧院があるのだそうだ。

    チベット僧院といっても、チベット式の建物があるわけではなく、龍蔵院の敷地内に間借りしているとのこと。

    書店で見かけたら、ぜひ手に取ってページをめくってみることをお勧めしたい。

  • サッカーのミャンマー代表 9/23(日)にセレッソ大阪と親善試合

    このところJリーグは、アジア各国のリーグとの関係強化を図っているが、このところ経済方面で大きな注目を浴びているミャンマーとパートナーシップ協定を締結したという発表がなされたのは8月下旬であった。

    ミャンマーナショナルリーグ(MNL)とのパートナーシップ協定締結について (Jリーグ)

    そのパートナーシップ締結と直接関わりがあるのかどうか不明だが、9月23日(日)にセレッソ大阪がミャンマー代表との親善試合を実施する。セレッソのウェブサイトに書かれているとおり、ミャンマー代表は今年の東南アジアサッカー選手権大会(スズキカップ)へ向けてのトレーニングキャンプを日本で実施し、その一環としてこのゲームが組まれるとのことだ。

    ミャンマー代表と親善試合実施のお知らせ (セレッソ大阪)

    試合会場はJ-GREEN堺で、キッフオフは午後3時半。入場料は何と無料である。注目されることはなく、観客数も少ないことと思われるが、ミャンマーのサッカー事情に多少なりとも関心のある方はぜひ押さえておくべき一戦であろう。

  • ロンドン・メトロポリタン大学の騒動

    今年の8月30日、イギリスの入国管理局は、ロンドン・メトロポリタン大学に対するEU域外からの留学生受け入れの免許を停止することを発表した。これにより、同大学に在学中の外国人学生2,700名が学業を続けることができなくなる。このうち日本人学生は150名ほどを占めると見られている。同大学での留学を継続できなくなったEU圏外からの留学生たちは、与えられた60日の猶予期間内に、新たな受け入れ先大学を確保しければ、国外退去処分となることになるという、あまりに厳しいものである。

    London Met crisis will damage UK’s brand, says vice-chancellor (The Guardian)

    少子高齢化が進む先進国等では、近年とみに留学生の受け入れに力を入れているところが多い。自国学生の数が減ることから大学(あるいはその中の学部、研究科等)の存続がかかっていることも少なくなく、留学生の獲得・斡旋等が大きなビジネスになってきている。同大学も積極的に外国からの学生獲得に力を入れており、日本でも独自に相談会等を開催していたようだが、大学当局が関与して留学ヴィザを取得させた志願者たちの中に、明らかに就労目的等の不正な目的で入国した者が少なくなかったことが、今回の処分の原因であるとされる。

    大学当局への処分はともかく、すでに大学で真面目に学んでいる外国人学生たちは、大学当局による不手際について何ら責任がないにもかかわらず、巻き添えになってしまうこと、加えて受験期がとうに過ぎて新学期に入った時期にこのような処分がなされるということについては、ちょっと理解しがたいものがある。もちろんこれまで支払った学費等の返還等の補償も講じられていないようだ。

    この件については、The Times of India等でも報じられており、ロンドン・メトロポリタン大学で学ぶインド人学生は日本人学生の倍以上の359名とのこと。

    London Metropolitan University to challenge licence revocation (The Times of India)

    大学当局の不手際による一連の騒動の中で大学から籍を剥奪されることになる留学生たちは、イギリス国内はもとよりオセアニア、米国方面やそれぞれの出身国等も含めて中途編入の途を求めて躍起になっているようだが、その成果は概ね芳しくはないようだ。

    留学生を受け入れる大学としても、入国管理行政としてもこのような措置はあるまじきことである。

  • 日本でクリケットが静かなブームに

    世界的にはサッカーに次ぐ膨大な競技人口を擁しながらも、なぜか日本ではとりわけマイナーなスポーツという地位に甘んじているクリケット。

    日本国内での競技人口はわずか1,500人と言われるが、それでも最近ではゆっくりではありながらも、着実にその人気は広がりを見せているらしい。

    首都圏や関西圏では、わずかながら少年のクラブチームがあるようだが、日本でクリケットを愛好する人々の大部分は大学に入ってから始めているといった現状らしい。おそらく現在までのところ、日本国内の中学、高校の部活動で「クリケット部」が存在しているのは、大阪の上宮学園だけということになるようだ。それがゆえに、U19、U15の日本代表として海外遠征を経験する生徒もいるとのこと。

    こうした具合であるがゆえに、このスポーツで日本の第一人者として活躍したい人にとっては好都合であるとも言えるだろう。日本クリケット協会のウェブサイトには、同協会に加盟している大学のクリケット部を含めた全国のクラブチームの名前が記されているが、その数55とかなり少ない。そのうち30のクラブが関東に集中している。

    これらの中には大学のクリケット部や大学のOBによるクラブ以外に、主に外国人メンバーで構成されるチーム、外国人学校のクラブもあったりと、なかなかバラエティに富んでいる。

    だが外国人プレーヤーもかなり含まれているということも差し引くと、やはり大学のクリケット部に籍を置くということ自体で、日本代表に選出されることは決して夢物語ではないということは容易に想像できるわけで、先述の大阪の上宮学園中学・高校のクリケット部と同様に、頑張れば日の丸を背負って国際試合を闘う日本代表メンバーとなることを意識しながらプレーできるということはずいぶん張り合いがあるはずだ。

    「世界的なスポーツでありながらも、何故か日本での競技人口は少ない」ということを大きなアドバンテージと捉えて、世界の舞台を目指してみるのもいいだろう。この競技を愛好する若者たちが大志を抱くことができる環境がそこにある。

  • 越境フットボーラー

    越境フットボーラー

    2000年代に入ってから、欧州のトップリーグで活躍する日本人サッカー選手がずいぶん増えた。日本代表クラスは言うに及ばず、日本の高校サッカーからJリーグを経ることなく、イングランドのアーセナルに加入した宮市亮選手のような例もある。

    彼はイングランドの査証取得の問題から、オランダのフェイエノールトに期限付き移籍、アーセナルに復帰後に再び期限付き移籍でボルトンにてプレーしている。日本人プレーヤー海外組の中で、今後が最も期待される選手のひとりだ。

    欧州のトップリーグでプレーする日本人選手の話題がいろいろ取り沙汰される中で、アジア各国のリーグで活躍する選手もまた少なくない。昨年、「MNL (Myanmar National League)に日本人選手」と題して取り上げた伊藤壇選手は、その中で最も知られているプレーヤーだろう。

    それらを含めた海外組の中で、一般的に自国のJリーグよりも格下とされているリーグで活躍している選手の動向は、日本にはあまり伝わってこないため、他にはどんな選手がいるのか、どういう環境でプレーしているのかといったことについては、ちょっと見当もつかないという人が大多数かと思う。

    今年1月に発行された「越境フットボーラー」という本では、そうした選手たちの生き様が描かれている。

    書名:越境フットボーラー

    著者:佐藤俊

    発行:角川書店

    ISBN:978-4-04-110074-5

    巻頭で取り上げられている、先述の伊藤壇選手は、1年1か国と決めて、アジアでこれまで12か国・16チーム目のネパールのMMC (Manang Marshyangdi Club)に在籍している。昨年は、ミャンマーのラカプラ・ユナイテッドFCにて、一昨年はインドのゴアを本拠地とするチャーチル・ブラザーズSCでプレーしていた。これまでほとんど代理人を使わずに、自ら現地に乗り込んで「道場破り」スタイルで道を切り開いてきた猛者だ。

    日本でJリーグに在籍したことがなく、高校フットサル部出身で、ペルーや欧州のマイナーなリーグで武者修行の末に、アルバニアでプロ選手になった中村元樹選手、日本サッカー界のいわゆる黄金世代に名を連ねた酒井友之選手は、インドネシアでプレーを続けている。JFLで戦力外通告を受けた星出悠選手は、トリニダード・トバゴで活躍した後、現在はフィリピンでプロサッカー選手生活をしている。

    日本のファンの注目を一身に集めることはないが、諸国のチームを渡り歩く選手たちの波乱に富んだサッカー人生は、チャレンジ精神と日々の精進、度胸と強烈なプロ意識の賜物だろう。非常に興味深く読ませてもらった。

    この本で取り上げられている4人以外にも、アジア各地でプレーする日本人は多い。インドのIリーグでも和泉新選手や末岡龍二選手といったプレーヤーが在籍している。

    ところで、シンガポールのSリーグにありながらも、所属選手が全員日本人のアルビレックス新潟・シンガポールのような例を除けば、海外のリーグで、現在最も日本人プレーヤーの層が厚いのは、タイ・プレミアリーグだろう。

    今年1月に引退した財前宣之選手は、U17、U19時代には同世代の中田英俊よりも評価が高い時期もあったほど才能に恵まれたプレーヤーであったことを記憶している人は多いだろう。非凡な才能に恵まれながらも度重なる大きなケガに苦しみ、2009年にJリーグを離れた後、2010年にタイ・プレミアリーグのムアントン・ユナイテッドに加入。2011年に移籍したBECテロ・サーサナFCで選手生活を終えた。

    タイのサッカー界における日本人選手の貢献度もなかなかものものであるようだ。昨年のベストイレブンに2名の日本人選手が名を連ねている。

    タイ・プレミアリーグ2011 ベストイレブンに日本人2名選出!(wakusaka.com)

    先月には、ジュビロ磐田のDF本田選手がタイのクラブチームに移籍するというニュースもあった。

    磐田のDF本田、タイ・リーグへ移籍 (sanspo.com)

    日本でサッカーが国民的なスポーツとして定着して久しい。国内での競技人口の拡大とともに、経済成長目覚ましいアジア各国(残念ながら日本はその例外だが・・・)で隆盛する各地のリーグにて、プロとして活躍の場を求める日本人選手は今後さらに増えていくことだろう。ちょうど草創期のJリーグに欧州や南米からやってきた往年の名プレーヤーたち、まだ若く野心的な選手たちがキャリアアップのために上陸してきたように。

    今まさにその歴史が形作られつつあり、現在そうした国々のリーグで活躍する選手たちは、その先駆者たちであるといえる。自国内では無名だった日本人選手が、アジアのリーグから日本のJリーグに逆上陸して名を上げる日もやってくるかもしれない。

  • 紅茶スパイ

    紅茶スパイ

    中国からインドに茶の木と栽培法を伝えた功績で知られる植物学者ロバート・フォーチュンの試行錯誤を軸に描かれた、紅茶をめぐるノンフィクション作品。

    イギリス東インド会社の依頼により3度中国に渡った彼だが、その中で2度目の中国行き(1948年~1951年)での任務は、当時の中国において門外不出であった茶の秘密を得ること。茶の木と栽培技術を密かにインドに移すことであった。

    折しも、ウォードの箱の発明により、植物の長期間に及ぶ輸送が可能となっていたという背景がある。観賞用としてシダやラン、工業用の作物としてのゴムの木等々の苗の大陸間での移送が可能となり、当時海外植民地を持っていた列強国にとって、新たな富の創造を可能とするものであった。

    インドに持ち込まれた茶の木は、当初U.P.のサハラーンプルの植物園で栽培されていたが、当時スィッキム王国から割譲されたばかりであったダージリンが、茶の生育には天恵といえる好適地であったことにより、質・両ともに本場中国を凌ぐ茶の生産の一大拠点として発展していくことになる。

    1957年に発生したインド大反乱により、イギリス東インド会社がインドで得ていた特権は剥奪され、本国の君主が英領インド帝国の皇帝となることにより、それまで250年間もの間に亜大陸の貿易港の商館での取り引きから、この地域のほぼ全土を掌握するに至っていたこの「会社」による支配は終焉することになったが、その「会社」がこの地に残した最後の大きな遺産のひとつが茶の生産であった。

    インドでの茶の栽培の進展は、それまでの茶葉の貿易事情に大きな変革をもたらし、茶をたしなむ習慣の大衆化を推し進めることにもなった。イギリスにおける磁器産業の発展も、まさにこうした茶器需要あってのことでもある。

    フォーチュンは、日本との縁も少なからずあり、東インド会社とは無関係な仕事で1860年から1862年まで中国と日本に滞在している。植物学者として、またプラント・ハンターとしても当時第一級の知識と腕前を持つ人物であったが、同時にビジネスマンとしての才覚も人並み外れたものがあったようで、この時期の極東滞在で大きな財産を築いたとされる。

    この本のページをめくりながら、休日の午後のひとときを過ごしてみると、手にしたカップの紅茶の味わいがことさら愛おしいものとなることだろう。

    書名 : 紅茶スパイ

    著者 : サラ・ローズ

    訳者 : 築地誠子

    出版社 : 原書房

    ISBN-10 : 4562047577

    ISBN-13 : 978-4562047574

  • ご当地仕様のホテル

    ご当地仕様のホテル

    夕方のそぞろ歩き
    Tシャツに描く絵描きさん。なかなか丁寧な仕事をしていらっしゃる。
    「死んだ家畜があったらお電話を」とある。そういう仕事もあるようだ。
    久しぶりにプシュカルを訪れてみた。ラージャスターン州の他地域同様、ここでもやはり古いハヴェーリー(屋敷)を改築したホテルが人気のようである。多くはカジュアルな宿泊施設で、手頃な料金でこの土地ならではの雰囲気を楽しむことができて楽しい。
    宮殿から転用されたホテルは昔からあるが、ラージャスターン州でハヴェーリーを改装した宿泊施設が一般的になったのは、2000年代に入ってからである。それまでは、ほとんど顧みられることもなく荒れ放題であったり、テナントに部屋ごとに細分化して賃貸していたりといった具合で、往時の面影はほとんど残されていないことが多かった。
    中世から近世にかけて、商売で成功した人たちが豪奢なハヴェーリーをラージャスターン各地に建築した時代があった。当時とは産業構造が異なり、多くは都市部に居を構えるようになっていたり、一族が肩を寄せ合って暮らすジョイント・ファミリーのような生活形態も過去のものとなっていたりするなど、ライフスタイルも変化している。大家族が暮らしていたハヴェーリーは、往々にして「賃貸物件」として部屋ごとに貸し出され、そこからの収入は大きな街に住むオーナーが受け取り、現地では縁もゆかりもない間借り人たちが住む「アパート」と化している。そこに暮らしているわけではないオーナーも、間借りしているに過ぎない借家人たちも、建物に対する愛着などないので、このコンディションに頓着するはずもない。ゆえにボロボロになってしまうのはやむを得ない。
    こんな建物をよく見かけるが、往時はさぞ立派であったことだろう。
    上の画像は、プシュカルの隣町アジメールのバーザールで撮影したものだが、ラージャスターン各地の商業地域でこのようなハヴェーリーは数多い。もしこれが宿泊施設に転用されたならば、かなり良い収入を見込めるだろう。
    だが観光地やその周辺にあるハヴェーリーについては、その資産的価値が見直されているようだ。建物の規模からホテルに充分転用できる可能性があること、一族とはいえ複数の世帯が暮らすように造られていたこともプラスに作用する。商家のハヴェーリーは賑やかで交通の便も良い商業地域にあることが多く、ロケーションの面からも観光客にとって都合が良い。
    ラージャスターンらしい意匠や装飾などが外国人客はもとより、インドの他地域から訪れる人々にとってもエキゾチックでアピールするものがある。これらについては、昨年の今ごろ「旧くて新しいホテル1、2、3、4」でも取り上げてみた。
    好立地にある物件ほど、従前より賃借人に部屋ごとに貸し出しているケースが多く、建物の規模が大きいほど、既存のテナントに立ち退いてもらってホテルに転用することが容易ではなかったりするものの、こうした宿泊施設は今後も増加していくものと思われる。
    夕暮れ時の湖
    ガートへの入口
    さて、話はブラフマーの聖地とされるプシュカルに戻る。小さな湖周辺に町並みが広がり、幾つものガートが並ぶ。ガートにも幾つものスピーカーがあり、様々なことがアナウンスされている。「そこの人、サンダルを脱ぎなさい。外国人はちゃんと靴を脱いでいるのに、インド人のあなたは恥ずかしくないのか?」「汚い衣類をガートで洗濯するのはやめなさい」といった具合だ。ガートの様子を逐一監視できるように、監視カメラが設置されているようだ。
    ガートに多数出ている看板で、外国人用に英語で書かれているものには、「写真撮影禁止」「禁煙」といった事柄が書かれているのに対して、ヒンディーでインド人用に書いてあるものには、「ここで洗濯するな」とか、「トラストへの寄付は所得税の控除の対象になります。領収書を受領してください」などと書かれている。これら二種類のものは、並んでいるだけに、書いてある内容の相違がさらに際立つ。
    こうしたエリアに隣接するラクシュミー・マーケットの裏手に、Inn Seventh
    Heaven
    という宿がある。かなり建て増しがなされているようではあるものの、入り口の狭いドアをくぐった先にある広々とした中庭を中心に広がる洒落た光景には思わず息を呑む。料金帯の割にはプロフェッショナルなサービスが提供されており、マネジメントもしっかりしていることが窺える。今後長く繁盛するだろう。
    Inn Seventh Heaven
    最上階のレストランから階下を眺める
    ロビー周辺
    客室ごとに異なるテーマで装飾等がなされており、それぞれの部屋の前にもソファ、長椅子、ブランコ等々がしつらえてあるのだが、さりとて雑然とした感じにはならずに、上手に統一感を持たせたコーディネートがなされているあたりのセンスの良さからして、経営の主導は在外(インドの都会に暮らす人か、はてまた外国在住者か?)の人の手中にあるのかもしれない。
    あまりの人気のため、オフシーズンでも予約は一杯になりがちなので、宿泊の予定が決まれば数日前には電話等で予約しておくべきだ。西洋人の家族連れの利用も多く、子供たちと一緒に快適そうに過ごしている姿が見られる。最上階にしつらえてあるレストランもなかなかいいムードで、気の利いたメニューを提供している。グラウンド・フロアーにあるキッチンから上階に料理を運ぶために、凝った造りの木製の小さなリフトが使用されているのも、見る人の目を楽しませてくれる。
    実はすぐ隣にも似たような感じでハヴェーリーを改装してオープンしたホテルがあり、設備等悪くないのだが、同じような料金帯のInn Seventh Heavenかなり見劣りする。やはり内装のセンスの差であり、ランニング姿のオヤジが「いらっしゃい」と出てくるあたりやスタッフというよりも普通の「使用人」然とした従業員など、非プロフェッショナル的で典型的な家族経営のごく普通の宿であるだけに仕方がない。真横にあるホテルが満室でもこちらはガラガラに空いている。
    空いているお隣の宿。正直なところ、ここもなかなかいいのだが、どうしてもInn Seventh Heavenと比較してしまう。
    それでもプシュカルにはちょっといいホテルが増えた。かつては安旅行者向けの小さなゲストハウスばかりが点在していて、ややアップマーケットな宿泊施設といえば、ラージャスターン州政府観光公社RTDCのHotel Sarovarくらいしかなかったのだが、いまやLonely Planetのガイドブックにも掲載されなくなっているほど「無視された」存在となっている。
    RTDCのホテル
    ここに限ったことではないが、90年代以降、各地で様々なレベルの宿泊施設に民間資本が参入している。とりわけ宿泊施設については、地域の観光産業振興を牽引する役割は終えているといっていいだろう。事実、インド全土を見渡せば、かつては公営であったホテルが民間に売却された例は少なくない。とりわけ州都規模の街などは、民間大手ホテルグループにとって買収の手を挙げやすいようだ。
    さて、今後どのような面白い宿泊施設が出てくることになるのか予想もつかないが、東西南北それぞれの地域で歴史的な資産には事欠かないインドだけに、今後もご当地色豊かなホテルが出現してくるのを待つことにしたい。
    このあたりではホシガメか生息している。
  • バーングラーデーシュでドラえもん

    バーングラーデーシュでも往々にして隣国インドのテレビ番組を観ることができる。同じベンガル語のエンターテインメント番組はなかなか人気のようだし、お隣りの国で何か大きな出来事があったときなど、ニュース番組を点けてみる人も少なくないだろう。そうした意味では、国境を接するインドの西ベンガル州と同じコトバを話しているということにより、愉しみや情報を共有できるということ自体は、決して悪いことではないだろう。

    世の常として、経済的により高い位置にあるところから、それよりも低いところへは容易に受け入れられる。だが相対的に自分たちが上であると感じている側が、自分たちよりも低いところにあると考えている側のものを積極的に取り入れることはあまりないため、バーングラーデーシュ出身でもない限り、インドの西ベンガル州の住民が嬉々として国境の向こう側の番組を観るということはあまり多くないのではないかと思う。もちろんそれでも人気のドラマなどはあったりするのかもしれないが。

    ケーブルテレビに加入していれば、ベンガル語に限らず、ヒンディー語や英語の番組などもいろいろ観ることができるのだが、子供たちにはヒンディーのアニメ番組が人気で、とりわけ日本のドラえもんのヒンディー語吹き替え版が好評なのだとか。 その背景には、自国で子供たちが好むプログラムがあまり充実していないという現状があるそうだ。やはりそこは経済面でも人口面でも圧倒的に大きなインドのほうが優位にあるのは無理もない。

    ベンガル語自体が、ヒンディー語とあまりに大きくかけ離れた言語という訳ではないためか、テレビ番組を観ながら自然と隣国の最大言語を覚えてしまう子供たちは少ないないらしい。それはそれで結構なことではないかとも思うのだが、これについていろいろと懸念する向きは少ないないらしい。もちろん労せず身に付くのが英語であればそんなことを言う人はいないのだろうが。

    そもそも『インドではない国』として、東パーキスターンとしてインドから分離独立した国だ。しかし皮肉なことにパーキスターンと袂を分かってバーングラーデーシュとして再スタートするにあたり、同国の独立闘争に介入する形で発生した第三次印パ戦争でインドが勝利することにより出来上がった。つまりバーングラーデーシュの生みの親は、パーキスターンからの独立を求めて闘った人民であるとともに、それを工作と武力で支えたインドでもある。

    だが国体としては、バーングラーデーシュはインドの一部ではなく、あくまでもオリジナルなひとつの国でなくてはならず、ときに為政者がインドに接近することはあっても、ときにインドに激しく反発することもあり、相応の距離を置いて付き合ってきた。

    稠密な人口のはけ口もなく、インドとの分離前には生産地と市場とを分け合う補完的な関係にあった周辺地域(つまり現在のインドの西ベンガルやアッサム等)との関係やブラフマプトラ河の水運の便はもとより、水利の調整もふたつの国が別々になっていることによる不都合は多い。

    歴史に「もし・・・」という仮定はあり得ないが、かつてこの地域が東パーキスターンとして分離することがなければ、今の世の中でヒンディー語のアニメに懸念を抱く親たちはいなかったことだろう。もちろん社会や経済のありかたそのものが現在のそれとは大きく異なり、文字どおり「ベンガル人の国」としてのバーングラーデーシュではなくなっていたことであろう。『巨大な隣国インド』がなく、それが『自国』であったとすれば、国防費用が浮くだけではなく、そこで育まれる国家観や民族意識といったものもまた大きく違ったものとなる。

    視点を旧西パーキスターン、つまり現在のパーキスターンに移してみると、かつて自国の東側をインドによって失わされた経験は、インドに対する不信感を抱くひとつの大きな要因でもあるだろう。それがゆえに隣の大国インドに対して常に危機感を持つのは無理もない、ということにもなるのだ。

    ‘डोरेमॉन’ से डरे बांग्लादेशी मां-बाप (BBC Hindi)

     

  • サッカー インド代表カメルーンを下し、ネルー・カップを制す !!

    8月22日から9月2日までデリーで開催されていたネルー・カップの決勝戦に駒を進めたインド代表は、大方の予想を覆して対戦相手のカメルーンと2-2のスコアのスコアで互角の試合運び。延長戦でも決着が付かず、PK戦にまでもつれ込んだ結果、5-4で勝利。この大会で通算3回目の覇者となった。

    この試合はネットでも中継されていたにもかかわらず、私自身は観ていないどころか、これに関するニュースが流れるまで、今回のネルー・カップにカメルーンが出場していたことさえ把握していなかった不覚を悔やんでいる。

    インド代表にとってホームで開催された大会、国際的な知名度の低いトーナメントであり、カメルーンが現時点における第一線級の選手たちを送り込んできたのかどうかわからないが、アフリカの強豪国を破っての優勝という素晴らしい結果を出したことは大きな賞賛に値する。個人的にも非常に嬉しく思っている。

    India beat Cameroon 5-4 to win Nehru Cup
    for third time
    (MID-DAY)

    India vs Cameroon Nehru Cup 2012 penalty
    shoot out
    (Youtube)

    ※インド勝利の瞬間!