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カテゴリー: society

  • 「幸せの国」から流出する難民

    「幸せの国」とかいう官製プロパガンダや「世界初の禁煙国」とかなんとか、健康的なイメージで語られることが多いブータンだが、難民流出、麻薬の蔓延などなどいろいろ問題は多い。国内の少数民族への抑圧はかなり知られている割には、割と知らんぷりを決め込むメディアは少なくない。

    この少数民族への圧迫だが、同じくヒマラヤの王国であったスィッキム王国の失策から学んだようだ。国内の近代化を推し進める中で、労働力不足からネパール系住民を大量に受け入れた。

    その結果として、主要民族であったはずのブーティヤー族がマイノリティに転落。ネパール系住民による権利要求運動が高まり、国内は不安定化。王族は待遇の保証の条件と引き換えに自国をインドに併合。つまり国を売ってインドの庇護のもとに入った。このいきさつを中国は認めないためスィッキムをインド領と認めていない。

    地理的にごくごく近い小王国であること、ブーティヤー族とブータン人は民族・文化的にもごく近いこともあり、決して対岸の火事ではなかったわけだ。同様に王国ではなくなったネパールについても大いに参考にしながら国家運営をしているようだ。

    ヒマラヤの多民族居住環境で、民族衣装ゴ(男性)やキラ(女性)を日常的に着用したり、やたらと伝統的なものがフィーチャーされる国粋主義的な姿勢は、この国の防御的なスタンスを象徴するもので、そこにはこうした伝統を共有しないマイノリティへの高圧的な姿勢があることを忘れてはいけない。

    ・・・とはいえ、ヒマラヤ地域で特別な存在感、貴重な文化遺産や豊かな生活文化に満ちた国であり、大変興味深い地域であることは変わらない。ただ「私たちが忘れてしまったものがある」とか、GNHが高いとかいう、変な取り上げかたはやめて欲しいものだ。

    「幸せの国」ブータンから追われた不幸な少数民族ローツァンパ(AFP)

  • インドの本気

    インド国鉄 ヒマーチャルプラデーシュ州の「ケイローン駅」は地下に建設されるそうだ。

    ビラースプルからマナーリー、ケイローンを経てラダックのレーまで至る鉄道の計画。レーからはカルギルを経由してスリナガルまで繋がり、そこから先は現在スリナガルからジャンムーに向けて建設中(スリナガルから途中駅までは開業している)の鉄道で、既存の国鉄路線に接続するという青写真。つまりデリーから鉄道でヒマーチャル、ラホールスピティ、ラダック、カシミールをぐるりと旅行できるようになるというのだ。

    マナーリーからロータン峠へ至る急峻な地形を思っただけでも、こんな計画が実現するとは信じがたい。これはプランというよりも限りなくホラ話に近いものという感じがするかもしれないが、ところがどうしてインド政府は本気なのだ。

    スリナガル・ジャンムーはやがて全線開通となるのでさておき、ビラースプル・マナーリー・ケイローン、レー、カールギル、スリナガルが繋がるまで、100年以上かかりそうだ。すると子や孫の代になっても全線完乗することができないんじゃないか?という気はする。

    それでもきっとやるんだろう。インド人はとってもしつこい、いや非常に勤勉かつ辛抱強い。

    もっともこの計画の主目的は旅客輸送よりも軍事目的である。道路が閉ざされる秋冬春先でも変わりなく、年中、軍事物資をバンバン中国国境地帯に送り届けることができるようにすることが路線建設における至上命題。

    つまりあと何十年かして、万が一、中印の対立がすっかり解消したりしてしまうと、これを建設する動機がなくなってしまうわけだ。世界情勢というものは、ときに驚くような展開を見せることが多々ある。5年、10年先のことはある程度予想できても、数十年単位の未来となると、正しく予測できる人などいない。

    よって、曾孫、玄孫の代になっても、この路線は実現していないかもしれないということになるが、世界的な大戦の火種が消失していることになるので、それはそれで喜ばしいこととなるだろう。

    India’s first railway station inside tunnel to come up in Himachal Pradesh (Business Today)

  • OYOが日本進出

    なんとインドの「OYO」が日本進出というニュース。これにはビックリした。しかし既存の宿泊施設がこれによって圧迫されるというような懸念はないだろう。

    このOYO、自前でホテルをバンバン建設して・・・というものではなく、既存の宿泊施設を勧誘してOYOに加盟させるというスタイルだからだ。

    よって、インドの大きな繁華街では、狭い一角にOYOが3件も4件もあり、通りを渡るとまた別のOYOがある・・・というような光景が展開している。初めて目にすると、本館、別館、そのまた別館・・・と拡張したホテルみたいに思うかもしれない。しかし、それらはまったく経営者が異なる別々のホテルなのだ。

    ホテル運営と集客のノウハウを伝授し、マーケティングを行い、OYOのウェブサイトでも各地のOYOへピンポイントでお客から予約が入るように誘導するなどの見返りに、これらのホテルからOYOがロイヤリティ等の支払いを受ける。

    そんなわけでロゴマークの入った看板以外は、OYO独自のスタイルというようものはなく、元々の宿のスタッフたちがこれまでと同じように働いている。たいていの場合、OYOに入るのは、元からダメだったホテルで、OYOからの指導により、なんとか稼げるようになることを画策している施設。

    日本でOYOに入ろうという宿泊施設はどんなところかといえば、なんとなく想像がつくように思う。経営が苦しい施設にとっては、もしかしたらいくばくかの助けになるのかもしれないのだが、利用者にとっては特に魅力がないのがOYOの特徴といえば特徴。近い将来、日本でOYOの看板を見つけたら「経営者芳しくない施設だね」と理解してほぼ間違いないのだ。

    インド発格安ホテル「OYO」、日本進出へ(日本経済新聞)

  • サバリマラの寺院の二面性

    かつてアウトカーストの人たちの出入りが禁じられていた寺院が裁判所法による命令により、彼らに門を開いたというようなことがあった。今回のサバリマラの寺院に対する判決も歴史的な出来事だと思っていたが、これを人が、そして政治が阻もうとした事例。

    寺院への出入りに関する制限といえば何年か前にプリーのジャガンナート寺院でヒンドゥー教徒ではない欧州だか米国だかの女性(たしかインド系ではあったように思う)が偽って寺院に入場したところ、寺院関係者に拘束されてオリッサ警察に突き出されて逮捕、という出来事があった。

    非ヒンドゥーが入場出来ないというのは寺院が定めた私的な制限だと思うのだが、これを警察が逮捕できるというのはどういうことなのか?と思ったが、日本で言うところの住居等不法侵入みたいなのが適用されたではないかと思う。

    それはさておき、サバリマラの話に戻る。女性の月経を不浄とみなし、これの年齢に当たる女性たちを入場させない偏屈で差別的な寺院というような報道がなされることは当然なのだが、物事にはしばしば二面性がある。

    この寺院で行われる大祭のときには、寺院に参拝する前に近くにあるモスクに詣でることになっており、この地域でヒンドゥーとムスリムの融和と共存を体現しており、これが最近始まったものではなく、500年以上も前から続くものであるのだ。

    インドのヒンズー教寺院、女性参拝阻止の集団が警察と衝突(AFP)

    Before arriving at Sabarimala Temple in Kerala, devotees visit a mosque (THE ECONOMIC TIMES)

  • 米国初のインド系大統領となるのは誰?

    トランプ政権内のインド系大物、ニッキー・ヘイリーが国連大使を辞任。次回の大統領選出馬が予想されていた人物だ。
    同じ共和党内には、36歳にしてアメリカ最年の州知事(ルイジアナ州)となったことがあるボビージンダルがいるが、将来アメリカにインド系大統領が誕生するとすれば、このふたりのどちらかなのだろう。
    ニッキーもボビーも両親はパンジャービー。アメリカに移住した両親から生まれた2世という共通点がある。

    米ヘイリー国連大使 年内で辞任(日テレ)

  • アジアライオンの大量死

    アジアで唯一、ライオンが棲息するグジャラート州のギール地区にある国立公園。頭数に比してエリアが狭いこともあり、一部をラージャスターン州の国立公園へ移住させる計画もあったが頓挫した過去がある。
    希少な野生動物だけに、そういうリスクヘッジも必要であった。

    インドでライオン大量死=希少種、ウイルス原因か(jiji.com)

  • ロヒンギャー料理

    下記リンク先動画はロヒンギャー料理を映したもの。
    元々はベンガルの民で、移住・定着したのがアラカン地方を中心とする主にミャンマー南西部。出自といい居住地域といい、料理が美味しくないはずがない。
    難民化して日々の糧にも困窮している人たちが多い現状だが、そうした人たちがこういう素敵な料理を安心して腹いっぱい食べられる日が、遠からずやって来ることを祈らずにはいられない。

    Rohingya food مأكولات روهينغيا (Youtube)

  • 難民の立場も背景次第

    チベット、ブータン、アフガニスタン、スリランカなど、政治的に問題を抱える国々(「幸福の国」と自称するブータンもそのひとつ。決して少なからぬ数の難民を国外に流出させている)から難民を受け入れているインドだが、同じ難民の立場でも背景により扱いはずいぶん異なる。

    中国によるチベット占領以来、現在に至るまでインドへ流入が続くチベットからの難民は、それなりの地位を保証され、ダラムサラには亡命政府まで存在している。

    またデリーを中心とする「アフガン人コミュニティ」では、アフガニスタンの中流層以上から流出した人たちが多いため、彼らは活発な商業活動を展開している。1996年にカーブルを陥落させたターリバーン勢力に処刑されたムハンマド・ナジーブッラーの家族も当時デリーに避難しており、この出来事の一部始終をそこで知ることとなったように、アフガニスタンの富裕層にとって、インドは手近な訪問先であり、有事の際の避難先である。

    新参者のロヒンギャーについては、現在インドの中央政府がムスリムに対して冷淡なBJPということ、それを背景にしてこれまたムスリムの難民に対して関心の薄いものとなっている国内世論も非常に不利に作用している。

    ロヒンギャーは、先祖がミャンマー移住する前はインドの一部を成すベンガル地方の民。同じインド系の人々で文化背景も大変繋がりの深い人たちであるのは何とも皮肉なことである。

    インド、ロヒンギャ7人をミャンマーに強制送還 国連の警告無視(AFP)

  • ラームガル

    ラームガル

    チュールーの宿からバススタンドまで乗り合いオートで向かう。どの町でも10Rsのようだ。鉄道駅正面にあるバススタンドで下車。バスでここからラームガルまで30分かかるかかからないかという程度。

    シェカワティの町ではオートリクシャーといえばたいてい乗り合い用途。ゆえに車体やシートも大型になっている。

    ラームガルの町を散策していると、ハヴェリーを改装したホテルがあった。2000年以降、シェカワティー各地でこうした施設が増えているが、90年代まではこういうホテルはほとんど無かった。

    宿の主人の名前を聞いてみると、ラージプートのようなので、さらに名字を尋ねると「ラートール」であった。やっぱり・・・。
    彼は私の質問の意を察し、「はい、確かにラージプートがバニヤーの屋敷に興味を持って、それを買い取り、家屋の補修に精出すというのは珍しいかと思います。」とのこと。

    バニヤーではなく、シェカワティー地域の人でもない彼が、この地域のハヴェリーに魅せられて、ついにこうした家屋に暮らすようになり、カラフルな屋敷の補修をライフワークにするようになったとのこと。そのハヴェリーを宿泊施設とすることにより、そこから収入も得ている。今の時代、やはりいろんな生き方をするインド人がいるものだ。

    ハヴェリーがダラムシャーラーとして転用されている建物があった。こういう例は他にも少なくないのだが、本日は宿泊者ないとのこと。こういう暑季には、なかなか人は来ないのは当然だ。ここで言うダラムシャーラーは特に巡礼宿というわけではなく、地元の人たちが所用で訪れる際に安く宿泊できる施設のことだ。

    町ごとに特徴的な意匠があったりするのだが、ここでは鉄道の列車が描かれた家がかなり目につく。そういう絵が流行った時期があったのだろう。同様に自転車や蓄音器など、当時ようやく世間に広まりつつあった文明の利器なども描かれている。

    こうした熱心な人の手に渡り、過去の栄華を取り戻すハヴェリーがあるいっぽうで、すでに崩壊してしまっている屋敷、正面からはそうでもないように見えても、背後は崩れてしまっているものもかなりある。今後、このカテゴミリーに入っていくハヴェリーも少なくないように思われる。

    経年劣化で崩壊したもの以外に、新築のため取り壊される例も少なくない。

    残念な光景も目にするとはいえ、ラームガルの町歩きもまたいろいろ発見があって楽しいものである。

    カラフルに彩られたマスジッド
    見事の建物の図書館
    「うだつ」のようなものが見られる建物もある。

    こちらはかなり大規模なハヴェリー

    頭上に思わず目を奪われる光景

    小規模でも面白い意匠の建物がある。

    こんな田舎町でもネオクラシカルなタイプのロイヤルエンフィールドは人気らしい。
  • チュールー 3

    チュールー 3

    かなり規模の大きな街であること、そもそもシェカワティー地域からビカネール地域に入ろうかという境目でもあるため、ここは特に期待はしていなかった。よくシェカワティーについて紹介される際にも、チュールーが抜け落ちていることは多いので、特に大したものはないだろうとタカをくくっていたのだが、決してそんなことはなかった。

    マールジー・カー・カムラーから北側の地域は、「ヘリテージウォーク」という指定がなされているのか、単にそう表示しているだけなのか知らないが、界隈にはそうそうたる見事なハヴェリー群があり、まさに「行けども行けどもハヴェリー」という具合になっている。

    「ヘリテージウォーク」という表示がなされている。
    せっかく「ヘリテージウォーク」と表示するならば、外国人にもわかるように英語で書けばよいのにと思う。

    しかもそれらのハヴェリーの中には、他の地域では見かけない意匠、斬新なデザインなどを見つけることが出来る。もともと街の規模は大きかったようだし、「マールジー・カー・ハヴェリー」を生んだ土地だけあって、進取の気性に富んだ地域だったのかもしれない。

    「ヘリテージウォーク」だが、せっかくそういう表示をするならば、観光客にもアピールできるように英語で表示すれば良いのだが、この表示で「キレイにしましょう」とのことで、住民への啓蒙活動のようである。この看板のスポンサーは「マールジー・カー・カムラー」であることも示されている。

    いい感じのハヴェリーも多いいっぽうで、あと10年、15年したら消滅してしまいそうな物件にも事欠かない。

  • チュールー 2

    チュールー 2

    Malji Ka Kamra

    Malji Ka Kamraという宿がある。この街の中ではかなりアップマーケットな宿泊施設だ。20世紀に入ってから建てられたため洋風建築ではあるが、かなり変わった形状の建物であること、商人の館ではなくビカネール藩の迎賓館とした建築された背景などもあり、泊まってみたかったのだが、数日間に渡って予約で一杯だった。

    最近は、少し高めのホテルは予約サイトでブッキングするのがごく当たり前になっているため、ここに到着する前、幾度か複数のインドの予約サイトでチェックしていた。日付を前後すると「空室あり」となるため、てっきりグループか何かの予約でも入っているのだろうと想像していた。

    ところが食事をしようと、ここに着いてみると、驚いたことに「今日は宿泊のお客さんはひとりもいないのですよ。」とのこと。やはり基本は電話、メールなどで宿自体に確認するべきであると反省。

    元々が迎賓館であったため、後世になって、ホテルに転用するにはお誂えむきといった具合であったようだ。洋館というには、かなり奇怪な姿をしているこの建物だが、グラウンドフロアーのダイニングホールは、ホラー映画向きというか、いかにも何か出そうなムードがいい感じだ。

    昼間でも薄暗いダイニングホール
    食事はとても美味である。

    芝生の庭から眺めた建物全景の姿は印象的で、何か強い引力を感じて目まいがするほどだ。もしかしたら本日、本当は空室なのに全室満室というのは、あの世からの御一行様で一杯だったということなのかもしれない。それならば、彼らの邪魔をしなくて良かったというところだろうか。

    翌日には中庭に面したテラスで食事をしてみたが、やはりここも妖気でムンムン。注文したバターチキンの汁が血糊みたいに見えてきた・・・。

    しかし、こうして眺めてみると、昼間でも強烈な妖気に引っ張られる感じがする。どんな夜になるのか、ぜひ投宿してみたいものだ。

  • チュールー 1

    チュールー 1

    チュールー行きのバス車内
    沿道にはこんな眺めが延々と続く。

    アルスィーサルからバスでチュールーの街に着いた。人口20万人強なので、シェカワティー地方においてはスィーカル(人口23万人強)に次ぐ最大級の街ということになる。

    このあたりは、シェカワティー地方の西端として認識されており、文化的にはそれで間違いないのだが、歴史的には独立前までジャイプル藩のテリトリーであったシェカワティー地方の大半の地域と異なり、チュールーはビカネール藩の領土であり、同藩ではビカネールに次いで第2の規模の街であった。

    近年はスマホの普及とインドで高速データ回線が普及していることにより、ずいぶん便利になった。グーグルマップでホテルの名前を入れると、バスがどのあたりを走行しているのかわかるため、バスの進行方向を見ながら「このあたりが一番近いようだ」と思ったあたりで下車できるからだ。わざわざバススタンドまで行って、そこからオートを拾う必要もない。この街で目印のひとつとなっている「ラール・ガンターガル」、つまり赤い時計塔のところで下ろしてもらってから徒歩3分程度のところに本日の宿があった。

    ラール・ガンターガル

    「IDを」と言われてパスポートを出すと、「あぁ、外国人ね。今、C-Formがややこしくてね。」とのこと。
    外国人を宿泊させる際に書かせて警察に提出するものだが、従前は紙だったものを電子化したとのこと。提出もオンラインらしく、いちいち警察署まで使用人を送る必要がなくて楽だと言いつつも、これまで外国人の利用がほとんどなかったので、やりかたがよくわからないらしい。

    「えーと、まずは写真撮るんだっけ・・・」てなことで、ラップトップのビルトインカメラで私の顔を撮影するが、PCのどこに保存されるのかもわからない始末。

    時間がもったいないので宿の人に「いいよ。オレが自分でやるから」と告げて、記入してみた。
    登録画面の作りは、なんとなくインドビザ申請オンラインのフォームに少し類似しているが、記入項目をはるかに少なくした感じ。

    けっこうスイスイ進めるが、「ホテル到着時間」の入力箇所にクセがあるようでつまづく。そうこうしてきるうちにタイムアウト。

    時間がもったいないので、再度トライはやはり宿の人にやってもらおう。とりあえず宿の人の目の前で、いろいろ入力して見せたので、なんとか要領はわかったことだろう。

    宿の簡素な食事