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カテゴリー: society

  • ムンバイのアイスランド領事館

    ムンバイのアイスランド領事館

    コラバコーズウェイから「Walton Rd.」という路地に入ったところにある宿泊先の隣、コラバのショボくれた、セキュリティーもない建物にアイスランド領事館が入っている。

    塀のすぐ外では露天商たちが商っている。領事館だからとお高くとまらず、庶民的でよろしい。

    しかし、こんな旅行者ゾーンにオフィスを構えていては、アイスランドから派遣されているスタッフたちもどうにも落ち着かないのではないかと思ったりもする。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • SIM超速開通

    SIM超速開通

    タイやネパールのように「購入したその場で開通」という具合ではなく、購入してから電波を受信できるようになるまでしばらくかかり、受信できる状態になったら「ヴェリフィケーション」を実施してしばらく待ってからようやくネットを使えるようになるインドでは、入国してからすぐにネットを利用することができず、ちょっと不便な思いをしていた。

    すぐにネットがなければ旅行できないわけではないが、日常生活でネットなしで30分と過ごすことすらないので、こと旅先ともなると、ものすごく不便に感じるのは当然のことだ。

    そんなインドで、「SIM開通がずいぶん早くなったよ!」と聞いていたとが、購入後なんと10分だか15分だかで開通して、いたく感激した。

    以前は購入した翌日だったこともあった。その後所要時間が半日になったり、3、4時間になったりしていた。都会で買いそびれて、グジャラートのブジで購入したら、開通まで1週間くらいかかったこともあった。もちろん今でも田舎で外国人がSIMを購入しようとすると断れることは珍しくないのだが。

    今回は手で記入するフォームではなく、店の人が自身のスマホに入っている「登録用アプリ」で入力しており、パスポートの画像を入れ込んだりして登録していた。今や写真も不要となり、店の人がスマホで撮影したものをフォームに落とし込んでいた。ずいぶん便利になったものである。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドの英語

    インドの英語

    インドにおける旧英領のレガシーのひとつに英語がある。どこに行っても、少なくとも都市部で英字紙を目にしないことはなく、その他の出版活動はもちろんのこと、テレビニュースや街中の看板や広告などにも英語が氾濫しており、同様に流暢な英語をしゃべる人たちも多い。

    旧英領であったから今でも英語が広く通用しているという面はあるのだが、統治していた期間、現地の言語事情や独立後の政府の方針などにより、行政・教育の仲介言語として英語が引き継がれるかどうか、またどの程度使用されるのかについては様々である。

    同じ英領インドから分かれた国であっても、パキスタンとなるとウルドゥー語の地位に対して英語はさほど高いとは言えないし、バングラデシュとなると、国民のほぼ大半がベンガル語を母語とするベンガル人から成ること、加えて東西パキスタン時代においては、西からの独立運動におけるベンガル語の存在は象徴的な意味合いもあったため、現在のバングラデシュにおけるベンガル語のステイタスは、インドにおけるヒンディー語のように「下駄履きの言葉」であるかのようなぞんざいな扱いではまったくない。

    また、ミャンマーにおいてはこうした限りでもなく、多民族・多文化から成る国家でありながらも、独立後は行政・教育の仲介言語のビルマ語化が強力に推進され、英語は排除されていくこととなった。その単一言語化に見られるような極めて中央集権的な手法のもとで、それまで各地の藩王に任されていた自治の簒奪も含まれていたのだろう。独立間もないころから各地の少数民族が叛旗を翻すこととなった。1962年のクーデターで中央政府の実権を掌握したネ・ウィンは、さらに国粋主義=ビルマ族主義の政治を推し進め、様々な地方の反政府勢力との対立関係は恒久化することとなった。この国では、かつて英領であったことをまったく感じさせないほど、一般的には英語がほとんど通用しない。

    また、英領下に入ったことがないのに英語がかなり広く浸透しているネパールにおいては、隣国インドへの進学・就職といった接続上、やはり英語というものが大切であったり、国の根幹産業である観光においても必須であったりするという背景があるからだろう。

    また、ブータンにおいては、1970年代に学校教育の英語化が推進され、国語であるゾンカ語の授業以外は、基本的に英語でもって授業がなされるようになっている。背景には各教科の授業を英語化することにより、バラエティ豊かで内容も進んだ外国における教科書やプログラムの導入が容易となり、卒業後に専門教育に進んでからも同様に外国のそうした文物をダイレクトに吸収できるメリットを是としてのものだろう。ヒマラヤの山間の小国が近代化を図るにあたっての英断であったと言えそうだ。

    もちろん、ここで言う「外国」とは、お隣にあり外交的にも特別な関係にあるインドのことであり、学校教育の英語化に当たってはインド政府の全面的な協力により、多数のインド人教師たちが各教科に渡り、またブータン全土で活躍したとも聞く。

    そんな「英語の国インド」であるが、都市部とそれ以外、また州や地方による差異はあるが、平たくならすとインドにおける初等教育の場で、イングリッシュ・ミディアムによる学校はわずか17%に過ぎないという。日本においては、外国人子女向けに設置されているインターナショナルスクールの類を除けば、ジャパニーズ・ミディアムによる学校が100%であることを考えると、大変なものではあるのだが。

    インドにおける英語教育ないしは英語のあり方は、日本のそれと大きな違いがある。日本において、英語は「外国語」であり、「イギリス、アメリカ、オーストラリアにニュージーランドなどの言葉」と一般的に認識されており、教育の場でもそのような扱いをしている。

    そのため英語教育の場には、こうしたアングロサクソンの民族語としての色合いが濃く、テキストなどに出てくる会話場面などでも、英米の街中でのやりとりなどが想定されていたり、そうした地域でのトピックなどが取り上げられていることが多い。

    インドにおいて英語は外国語ではなく、「インドの言葉」として教育・運用されている点が私たちのそれとは大きく異なると言える。たとえわずか17%の学校であっても、日々そこでの授業が英語で与えられ、課題等も英語で実施するとなると、日本において同じような年代の生徒・学生たちが「外国語の授業として教えられる英語」とでは、運用力や理解の深さに大きな差が出ることは言うまでもない。

    またインドの都市部では「英語が母語」という人たちは少数派ではあるが、確実に存在する。そうした人たちが暮らすエリアは下町などではなく、中産階級以上が暮らすポッシユなエリアの立派なお家ということになるが。とはいえ、決して「インドの言葉を理解しない外国人駐在員家族」などのような立場ではなく、経済的にも豊かで羽振りの良い自分たち、インドの文化や習慣などにも造詣の深い自分たちこそが「インド人の中のインド人」と自負している。

    そんな彼らだが、家から一歩出れば人々と言葉を交わすのに現地の言葉を当然流暢に使い、普通にコミュニケーションしているのだが、それでも家の中で家族との会話は昔からいつも英語、読み物や新聞なども常に英語。ヒンディー語など現地語も読めなくはないのだが、その読み書きは幼少時からほとんど習っていないため、字面を追うだけで頭が痛くなる。でもテレビのエンタテインメント番組や映画はヒンディー語その他現地語なので、夕方以降はそうしたブログラムを観てゲラゲラ笑ったり、悲しいストーリーに涙したりする。

    そんな彼らの英語は、米英の人を真似たアクセント、会話の中でのリアクション、ちょっと気の利いた言い回しまでもを模倣しようとしたがる日本人のそれと違って、インド人の英語はインド人がお手本なのでブレることがないのである。やはりその言葉が自国のものとしてきちんと消化されているがゆえ、「インドの言葉として英語を使う」インド人らしいところである。

    A Sampling of Indian English Accents (Youtube)

     

  • HAVELI DHARAMPURA

    HAVELI DHARAMPURA

    デリーで、かねており聞いていた古いハヴェリーを改装してオープンしたホテルに食事に出かけた。チャーンドニー・チョウクの庶民的な細い路地を進むと、前触れもなく「ジャジャーン」と突如あらわれる唐突感も良い。

    元々、ジャマーマスジッド周辺やチャンドニーチョウク界隈には、ムガル時代からの貴人や富裕層が暮らしていたため大きな邸宅(ハヴェリー)は多かったのだが、印パ分離により、そうしたムスリム上位層が大量に流出した。そこに庶民層(のムスリム)やパキスタンから流入してきたヒンドゥーの避難民などが定着したがゆえに、大きな屋敷が細分化されて住居や店鋪となったり、集合住宅化したりしているため、往時の姿を留めていないものがほとんどであるため、このホテルは大変貴重な試みであると言える。

    この施設HPには、ハヴェリー修復の「Before & After」の写真も掲載されており、これもまた大変興味深い。界隈にいくつもある荒れ果てたハヴェリーも、実は「磨けば光る玉」であることがお判りいただけることと思う。

    HAVELI DHARAMPURA

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドの5年ヴィザ

    観光目的でのe-Visaで「5年間有効」というものが導入されたのは昨年の夏の終わりから秋口にかけてであった。

    1回の滞在が180日以内、入国回数はマルチプルで取得日から5年間は、航空券さえ買えばインドに出入自由となることから、ずいぶん助かると思っていた。

    e-Visaによる入国は、インドにおける28の空港(アーメダーバード、アムリトサル、バグドグラ、ベンガルール、ブバーネシュワル、カリカット、チャンディーガル、チェンナイ、コーチン、コインバトール、デリー、ガヤー、ゴア、グワーハーティー、ハイテラーバード、ジャイプル、コルカタ、ラクナウ、マドゥライ、マンガロール、ムンバイー、ナーグプル、ポートブレアー、プネー、ティルチラッパリ、トリバンドラム、ヴァラーナースィー、ヴィシャカパトナム)及び海港(チェンナイ、コーチン、ゴア、マンガロール、ムンバイー)のみ可能となっており、陸路での入国は不可とされるらしいが、出国においては外国人が通過できるチェックポストならばどこでも可能なようだ。

    つまりインドから隣国のネパールに出てからインドに戻るという場合、例えば陸路でゴーラクプルからネパールに入り、カトマンズから空路でデリーに入るというような具合になるのだろう。

    これまでのヴィザの場合、いちいち申請する手間はもちろんのこと、パスボートにシール状のものが貼られるため、回数を重ねると冊子が厚くなってしまうのも難点であった。

    それまでのe-Visaは事前に出発前に申請した後、インドの空港に到着してから取得ということになっていたし、事前準備なしで空港で申請できるアライバルヴィザについては、担当官の対応がスローでとても時間がかかったりすることがあった。到着が深夜など変な時間の便だと疲労困憊することに加えて、事前に取得しておかないと、インドのことだから何かあるかもしれないという不安感からも、このところは事前に大使館で申請・取得することにしていたのだ。

    今回のe-Visaは、申請してからPDFで発行される。インドに行く際には、印刷したものを持参し、出国するまでこれを持参しておくというもので、これが5年間使えるというのは大変ありがたいものであった。このe-Visa取得に先立ち、10年旅券を申請した私である。

    同じパスボートで幾度もインドヴィザを繰り返し申請していると、大使館で「何の目的か?」と尋ねられて担当官との面接まで実施させられたこともあったし、あまり良いことはないため、これまでは有効期間5年間の旅券を繰り返し取得していた。

    そんなこんなで、5年間有効のe-Visaを取得したのは今年の1月のこと。これで安心していつでも時間と航空券を工面すればインドに行くことかできる、そして長い期間有効なインドヴィザを持っているので、途中で何回かパキスタンを訪問することについても懸念はないと安心しきっていると、新型コロナウイルス感染症の流行に足元をすくわれたのが今年の2月の終わりあたり。インド政府がイタリア、日本などの国籍の者に対して「発行したヴィザの効力を停止する。既に入国して滞在している者についてはこの限りにあらず(しかし出国すると再入国不可)」ということを発表したからだ。

    新型コロナウイルス感染症については、これまでで一番ひどいときには9月12日の97,570人、9月17日の97,894人をはじめとする10万人超の大台に迫ろうかという勢いであったが、10月6日には8月25日以来の61,267人という数字にまで下がっている。(それでも1日で6万人超というのは大変な規模だが・・・。)

    新型コロナ感染症の広がりが、ピークを過ぎようとしているのか、これから秋・冬と季節が移ろう中で、再度拡大していくのかについては、まったく予断を許さない状況にある。人口規模が大きいだけに、拡大していくとすればその伸びしろも大変大きなものとなってしまう。

    10月6日現在で新型コロナ感染者が世界で最も多いアメリカで7,679,908人、次いで2位のインドが6,685,082人という数字になっている。インドにおいて幸いなのは、日々の新規感染者数に近い規模の人数が毎日回復していると報じられていることだが、人口構成が若年層に厚いためだろう。。

    当分の間、インドに入国することはできなくなってしまっているが、人口大国のインドにおいてなんとか終息の方向へと進み、人々の暮らしや経済活動が再び軌道に乗って進んでいってくれることを切に願わずにはいられない。

     

  • アニマル・アンビュランス

    アニマル・アンビュランス

    デリーに限ったことではないのだが、インドではこのような動物用救急車を運営している各種団体がある。南デリーにおいては、行政サービスの一環として実施されているのはさすがである。

    Animal Ambulance (We for animals)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • MARVEL x MINISO

    MARVEL x MINISO

    MARVELとMINISOのコラボ店。デリーのコンノートプレイスのCブロックにて。中を覗いてみると、各種さまざまなコラボ商品があり、込み合っている。なかなか良い物を売っていると思う。結局、水筒を2本買った。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • Assam Delicacies

    Assam Delicacies

     

    パハールガンジ界隈では、こんな店があるとは知らなかった。アッサム(及びベンガル)料理店。注文したフィッシュターリーに付いていくるのは、ローフーの煮付け。あっさり薄味、油脂分控えめの優しい東部インドの味わい。

    汁物に馴染みやすい、ちょっとブカッとした東部の米が使用されているのもうれしい。汁物によく絡むのだ。本格的なアッサム料理店。スタッフたちもアッサムとベンガル出身で、料理について質問すると、故郷への愛が感じられるお国自慢交じりに話してくれるのも楽しい。

    今後、パハールガンジ滞在時には、しばしば訪れることになりそうだ。

    少々気になるのは、店内が空いていたので、複数の人たちと話すことができたが、厨房スタッフ以外の人たちの関係が至極フラットに見えて、上下関係がよくわからなかったこと。

    最後に支払いの際に現金の出納をしている人が誰なのか確認できたが、今のところキレイな店内だが、スタッフたちの人心掌握がきちんと出来ているのか、マネジメントがちゃんとで来ているのか、タテ社会インドだけに気にかかった。

    次に来たときにはすでに無かったり、スタッフとマネジメントのいざこざで、すっかり荒れ果ててしまったということはないか?などと、いろいろ気にかかったりした。

    とても美味しかったので、無事に長続きすることを祈る。

    Assam Delicacies (Zomato)

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • インドらしい個性

    インドらしい個性

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    国営会社HMT(2016年に時計製造部門は解散)による腕時計「CHANAKYA」。私はこのモデルは持ってないが、1980年代末まで、自力更生型の経済体制にあったインドでは外国のトレンドや流行とはかなり距離感があり、見た目からしてずいぶん個性的な製品がいろいろあった。

    映画などもそうで、衛星放送やケーブルテレビで外国メディア、外国資本の放送などが入ってくる前の時代には、インド独自のカラー満載。今の時代、映画製作にもハリウッド資本が入っていることなどもあり、ストーリーも展開も米国映画と変わらない感じの作品が増えた。

    かつて「長ーい」と言われた上映時間も2時間半前後か未満くらいて、ハリウッド映画と同じ寸法となっている。そんな具合なので、たまーに70年代、80年代のインド映画を鑑賞すると、大変なエキゾ感で高揚する。90年代末近くまでは過渡期であったため、かつてのインド映画とハリウッド風作品が混在していた。

    90年前半に日本で「インド映画ブーム」があり、「歌って踊ってハッピーエンド」みたいなレッテルを貼られ、すぐに飽きられてしまったが、「あれがインド映画」と刷り込まれた世代にはインド映画への拒否感というか、下に見る感覚が植え付けられてしまった人が少なくないのが残念。

    あれがなければ、変な先入観なく、今の時代のインド映画を楽しんでもらえるのにと思う。

  • パナウティー

    パナウティー

    かつては交易の中継点として栄えたパナウティー。川のほとりに広がるひなびた町並みの風情。カトマンズから南東30km余り進んだところにあるこの町に来ると、30年以上も前の渋滞もなく、田舎町だったカトマンズを彷彿させるものがある。

    訪問者の多くは首都から日帰りするものと思われるが、町中にはゲストハウス、そこそこ美味しいものにありつけそうな食堂などもあり、何日かのんびりしてみるのも良さそうだ。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • 女神を見た

    女神を見た

    渋滞によりバスがまったく進まないカトマンズ。郊外に出るまでは歩いたほうが早いように感じるくらいだ。

    そんな中で女神を見た!のかもしれない。
    ネパールで絶世の美女というか、この世のものとは思えない神々しいまでの美しさをたたえた女性の姿がとてもたくさん目につくようになっている。DNAに異変が起きているのか?と言っては失礼かもしれないが、どうなっているのか。

    装いも垢抜けていて、昔のネパールでは見かけなかった存在だ。豊かになり、お洒落になったとしても顔が小さくなったり、手足が長く伸びたりするものでもないだろう。どういうことか。そうした人が首都からバスに乗って、郊外の田舎の村で下車していったりすることもあるのだから、これまた不思議だ。

    街角や辻にお寺や祠が沢山あるこの国だから、天界からサラスワティやパルヴァティなどが、ひょっこり訪問することもあるのだろうか・・・ムニャムニャ・・・と、車内でウトウトまどろんでから目が覚めると、目の前にいたのは昔からよく見かけるまるっこくて愛想の良さそうなおばちゃんであった。

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。

  • ナガルコートで

    ナガルコートで

    眺めの良い避暑地ナガルコートに宿泊するならば、やはり眺望の良い部屋に滞在したい。ロケーション、シーズンなどによるので一概には言えないとはいえ、閑散期には直接宿に出向くのが良いようだ。ハイシーズンには条件の良いところはすぐにいっぱいになってしまうだろうから、事前の予約は必要だろう。同じ建物の中で同一の条件の間取りや設備であっても、上階ほど料金が高くなる傾向がある。

    この日滞在したのは斜面にあるホテルの最上階の部屋。新しくて部屋もきれいですばらしい。標高が2,100mあり、真夏でも涼しいためエアコンどころか天井のファンさえ無い。

    荷物を部屋に置いてから、坂道下った先にあるナガルコートの中心地にある食堂で遅い昼食。すでに午後4時を回っている。昼食が同じくらい遅くなってしまった前日同様、トゥクパを食べる。すぐに出来上がってくるし、迅速に栄養補給することできて、さらには消化も早い。すぐに腹が減るので夕食の機会を逃すこともないことも利点。他の食事を摂ってしまうと、なかなかそうはいかない。

    ナガルコートのマーケット地域
    トゥクパを注文

    部屋のバルコニーからの眺望は素晴らしい。そして夕方のこの時間帯に聞こえてくるセミしぐれも素敵だ。しばらくくつろいでいると暗雲がたちこめてきて、やがて大雨となった。

    眺望を楽しむことができたのも束の間
    暗雲たちこめて激しい雨に

    朝5時 視界はゼロ

    その後、一晩中激しく降っていた。

    朝5時に起き出して日の出を期待していたが、濃い霧も出ていてバルコニーからの視界はゼロ。まだ雨は降り続いていた。7時半くらいになると雨は上がった。食事済ませてから少し散歩に出てみたが、やはり斜面から何も見えないため眺望は期待できない。ナガルコートから平地へとハイキングで下りることも考えていたが、この天候では楽しそうではないので、やめておこう。

    雨は上がった

    内容は新型コロナ感染症が流行する前のものです。