ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: society

  • ブータンのロイヤル・ウェディング

    ブータンのロイヤル・ウェディング

    ブータン国王と婚約者のジェツン・ペマさん

    今年4月29日にイギリスで行われたウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんの結婚式は、国外にも広く放送されて注目を浴びたが、インド亜大陸北部のヒマラヤの王国ブータンでも今年10月にロイヤル・ウェディングが予定されている。

    2008年6月に父君の退位に伴い王位に就いた現在31歳のジグメ・ケサル・ナムギャル・ワンチュク国王が選んだお相手は、王族・貴族ではない民間人のジェツン・ペマさん。イギリスのリージェント・カレッジで学ぶ前には、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州のヒルステーション、カサウリー近くにあるローレンス・スクール・サナーワル、その前には西ベンガル州のカリンポンのミッション・スクールで学ぶなど、インドとの縁も深い女性だ。

    残念ながら結婚式の様子をテレビで拝見する機会はなさそうだが、2008年から立憲君主制に移行した新しいブータンの顔として、今後も注目していきたい。

    His Majesty announces Royal Wedding (bhutanjournals.com)

  • 藩主の宮殿転じてブッダ博物館

    藩主の宮殿転じてブッダ博物館

    ミャンマーのシャン州にあるニャウンシュエの町の北側に『ブッダ博物館』がある。この建物は英領時代の藩王国の主の宮殿。しかしながら展示物にはその藩王国を偲ばせるものは何ひとつなく、独自の歴史や文化とは関係なくニュートラルな仏教に焦点を当てた展示となっている。

    ここの最後の藩主はイギリスからの独立後、最初のビルマ大統領となった人物であったとのこと。何かで読んだか耳にしたことがある・・・と記憶の糸をたどっていくと、行き着いたのはこの本である。 著者の姉が嫁いだ相手が、ビルマの初代大統領の息子ということであった。

    消え去った世界

    ―あるシャン藩王女の個人史-

    著者:ネル・アダムズ

    訳者:森博行

    出版社:文芸社

    ISBN-10: 4835541383

    シャン州には、ダーヌー、パラウン、ラフーその他さまざまな民族が居住しているが、『シャン』という州名が示すとおり、主要民族はタイ族の近縁にあたるシャン族だ。

    第三次英緬戦争の際に英国側に協力したシャン族の諸侯たちの土地は、コンバウン朝が終焉を迎えてからは、英領期のインドに割拠していた藩王国と同様の扱いとなった。

    イギリスが直接支配したビルマ族主体の中央地域と違い、その他の各民族がマジョリティを占める地域は、現地の諸侯たちの自治に委ねられており、イギリスは彼らを通じてそれらの土地を間接統治する形となっていた。ちょうどインド各地に割拠した藩王国のような具合である。あるいは現在のミャンマーの国土の『管区(division)』『州(state)』の区分は、当時の行政の版図を引き継いでいる。

    著者のネル・アダムズ (シャン名はサオ・ノン・ウゥ)は、当時のシャン州の藩王国のひとつロークソークで生まれ育ち、ミッションスクールで欧州人の子弟たちや地元の富裕層の子供たちと一緒に教育を受けた。

    当時の公用語は英語であったが、こうした全寮制の学校内では英語以外は禁止。イギリスその他の欧州人や英領であったインドからきた職員や教員たち。支配者たちに欧州的な価値観と規律を学ばせることにより、土地の支配層に自分たちと共通の価値観を持たせるとともに、支配層に親英的な空気をみなぎらせることも意図していたのだろう。

    今の時代においても国によって濃淡の違いこそあれ、学校教育の場は単に必要な教科を教えるだけではなく、民族教育の場でもあり、国家意識の陶冶の場でもある。

    ビルマ族の民族主義運動が高揚していった結果であるこの国の独立は、それまでイギリスに従属していても、ビルマ族に服属しているとは思っていなかった他の民族たちにとって、決して喜ばしいものではなかった。これはその後国内各地で長く続いた内戦の原因といえる。

    とりわけ1962年のネ・ウィン率いる国軍によるクーデター以降、中央政府が推し進めた『ビルマ式社会主義』政策は、この国独自の社会主義体制の建設とともに、社会・文化全般の『ビルマ化』でもあり、非ビルマ族がマジョリティを占める地域においては、ビルマ族による『侵略』であったともいえる。

    多民族社会における国家の統合おいて、主流派以外の人々が支払うことになる代償は大きい。とりわけその帰属が武力や権力により否応なしに押し付けられた場合には、それまで地域社会が育んできた独自の歴史や文化は軽んじられてしまいがちである。

    最後の藩王にして、初代のビルマ大統領であったSAO SHWE THAIKEの宮殿が、その来歴についての説明もなく、ただ『ブッダ博物館』として運営されていることは、まさにそれを象徴しているように感じられる。

  • 放射能検査

    バンコク出発から1時間ほど経つと、ヤンゴン到着の機内アナウンスが流れる。郊外を旋回しながら高度を下げていく中、地上には燦然と黄金色に輝くいくつかの仏塔が見えてくる。まもなく飛行機はヤンゴン国際空港に着陸する。2007年に完成した国際線ターミナルビルは、バンコクのそれとは比較にならないほど規模は小さいものの、きれいでモダンな造りである。

    イミグレーションの列に並ぶ。ヤンゴンに乗り入れている航空会社は近隣国のものばかりであり、機材も大きなものは使用されていない。発着便数も少ないため、そう長く待たされることもなく、実に気楽な空の玄関口だ。

    出迎え等の人々がたむろする待合室からは、大きなガラス張りになっている室内がすべて見渡せる。入国審査、機内預け荷物が出てくるターンテーブル、カスタムズ等を通過して出口にやってくる人々の姿がよく見える。すぐ横に隣り合う旧態依然の国内線ターミナルとはずいぶんな違いだ。

    私の順番が来て係官にパスポートを差し出すと「向こうに戻って放射能検査を受けてください」とのこと。今年3月11日に発生した東日本大震災により、福島第一原子力発電所で深刻な事故が起きたことを踏まえての措置である。

    白衣を着た係員が私の身体全体をなめまわすように測定器を当てる。もちろん何の反応も出ないのだが。もし放射能の高い数値が出たら入国できないのかと尋ねると、「どうなんでしょうねぇ。ちょっと私もわかりません」と屈託のない笑顔を見せてくれる。

    現場の人たちにしてみれば「わからないけど、上のほうからそういう指示が出たからやっています」というわけなのだろう。居住地ではなく国籍で検査の有無を決めているのがおかしい。たとえ米国在住で長らく自国に戻っていない日本人が「あなたは日本人だから」と検査させられたり、千葉県在住のカナダ人はチェックされなかったりという具合なのだ。

    ともあれこれほどの規模の原発事故を経験した国は他には旧ソビエトのみ。世界中で大きなパニックを呼んだチェルノブイリの事故と同じレベル7という最大級のカテゴリーに区分されていることもあり、不安に思われるのは仕方ないだろう。

    バンコクを出るときに買ってみた週刊の邦字新聞『バンコク週報』には、在タイの日本食レストランの客離れによる苦戦が伝えられている。また食品のみならず工業製品等も検査のため海港や空港等で長いこと留め置かれるという事例が多々あることが伝えられている。

    今や日本産、日本製という『ブランド』が安心と品質のシンボルではなく、『放射能にまみれている・・かも?』と、かなりの疑念を持って見られるようになっているのははなはだ残念である。

  • 生業 2

    話はバーンチラーに戻る。マディヤ・プラデーシュ州で指定カーストのカテゴリーに入っているこのコミュニティでは、伝統的に農耕と売春を生業とする人が多いという。家庭を経済的に支えるために、最初に生まれた娘が娼婦となるのが長らく続いてきた習慣であるとのこと。

    奇妙なことに、バーンチラーの人々の中には、自らをラージプートだと自称する例も少なくないとのことだ。この地を諸侯が群雄割拠していた時代、自らが仕える王家のために身内の女性を娼婦に仕立て上げ、敵方の要人のもとにスパイあるいは刺客として送り込むことをためらわない忠誠心を持つ武人階級であったという言い分だ。

    彼らが今のマディヤ・プラデーシュの北西部に多く住むことになったきっかけは、当時イギリスがその地に駐屯させていた兵士たちの慰安目的で娼婦たちを必要としたことによるものであるという説があったり、ムガル帝国が領土拡大のために各地に遠征を繰り返していた時代、バーンチラーの女性たちを多数同行させていたとする伝承があったりするなど、性を生業としてきた歴史はかなり長い。

    近年、そのコミュニティの中では自らの身内の女性が娼婦となる以外に、外部の女性とりわけ幼い子供たちを売買するブローカーとしての役回りをする者が出てきており、同州周辺地域はもちろんのこと、遠くは中東方面にまで手を広げているケースもある。

    インディア・トゥデイの3月30日号にもその関連の記事が出ていたのだが、当のバーンチラーのコミュニティの中から、先祖伝来の悪しき習慣を改めようと努力する人たちの動きについても取り上げられていたのは幸いである。

    だがマディヤ・プラデーシュ州内では、バーンチラーの他にもベーリヤー、カンジャル、サーンスィーといった、やはり売春が盛んなコミュニティがある。長らく続いてきた因習の連鎖を断ち切るべく行政は働きかけているそうだが、あまり効果は上がっていないという。

    <完>

  • 良き仲間たち

    良き仲間たち

    4月17日(日)に東京豊島区の池袋西口公園にて『第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が行なわれた。

    3月に発生した東日本大震災の影響で、様々なイベントや催し等の中止や延期が相次いでいる中、地震による被災者支援チャリティを全面に打ち出しての開催である。

    在日のバーングラーデーシュ人と日本人との交流の機会であるとともに、前者にとっては毎年開かれているこの集まりで『同郷の友人・知人がやってくるから』とわざわざ東京から離れた地方からも長距離バスや新幹線等で駆けつける人も多い。

    そんなことから自粛という選択肢ではなく、地震による被災支援という姿勢で臨んだということもあるかと思うが、何も生み出すことのない後ろ向きの『自粛』ではなく、能動的な形で取り組んでくれたことは高く評価できるだろう。

    ともあれ地震、津波はもとより、福島第一原発の事故による放射能に対する懸念から、3月中旬以降、東日本在住の外国人たちは大挙して国外に出て行った。

    たまたま仕事その他の都合で一時的にこの地域に居住している人たちにとって、帰国あるいは第三国にも収入の途あるいは就業機会が容易に得られる見込みのある状態にあれば、わざわざこの地に残らなくてはならない理由というのはあまり見当たらないはずだ。日本からの出国は至極当然の行動なのではないかと思う。

    そんなわけで、今年のボイシャキメーラーではバーングラーデーシュの人たちの姿はかなり少ないのではないかと想像していた。昼ごろまでは人出もまばらであった池袋西口公園だが、午後になると急速にベンガル系の風貌の人たちが増えてきて相当な混雑となり、昨年以前とその様子は変わらないようである。眺めた感じ、 会場内の群衆の三分の一くらいはバーングラーデーシュの人々であったと思う。

    家族連れも多く、ステージで順次繰り広げられる詩の朗読、音楽の演奏、舞踊といったプログラムの中で、バーングラーデーシュ人と日本人を両親に持つと思われる少年が日本語訛り(・・・と思われる)ながらもベンガル語で立派にスピーチをこなし、ステージ周辺ではベンガル人の両親に連れられてやってきた小学生が複数の日本人同級生とおぼしき子供たちと一緒に遊んでいる姿も見られる。

    日本人と結婚した人が多い(主に夫側がバーングラーデーシュ人)ということもあるが、在日のバーングラデーシュ人たちは日本での定住・永住志向が強い人が多い。そんなわけでこうした子供たちが通う学校は普通の公立学校であったりする。同様の傾向が最初は同国から留学生としてやってきた人たちにもいえる。例え結婚相手は故郷の両親が決めた自国の女性であっても、就職後は日本に定住するというライフプランを描いている人が多く、前者と同様に日本国籍を取得している例も少なくなく、日本社会への同化の度合いはかなり高い。

    主にバブル期に来日して日本に定住した後に日本で家庭を持ったバーングラーデーシュ人の子供たちの中で年長の部類の中からそろそろ実社会に出る者が出てくるころである。

    新規来日組では、留学・就労その他の目的での男性の単身者の来日が多いコミュニティではあるが、経済的にはあまり楽ではないと思われるそうした若い人たちの中でも、募金箱に千円札をソッと入れてくれている人がけっこういることに気が付いた。

    震災後、世界各国から寄せられた様々な支援についての報道を目にするが、日本社会に根付いて暮らすバーングラーデーシュ出身の良き仲間たちからの温かい善意も決して忘れてはならないと思う。

    ※『生業2』は後日掲載します。

  • 生業 1

    このところインドのメディアの人身売買にまつわるニュースにて、バーンチラーというコミュニティのことが取り上げられているのをしばしば目にしている。マディヤ・プラデーシュ北西部からラージャスターン南東部あたりに分布しているコミュティである。

    インドにあまたあるコミュニティには、それぞれ特有の習慣を守り、固有の生業で生計を立ててきた人たちが多い。もちろんそうした古い社会の枠組みは現代においてもそのまま存続しているというわけではないし、あるコミュニティの特徴的な部分にて、それを構成する人々すべてを一般化してしまうのも誤りだ。

    ただし特定のコミュニティがある業種において特殊な技術、知識、既得権を握っていたり、部外者が新規参入するのが困難であったりということがないとは言えないし、何かとそうした縁がものを言う分野もあることだろう。

    それとは逆にいわゆる賤業とみなされる分野においては、その職域を外部から敢えて侵すことにより、新規参入者にとって何か経済的に大きな利益が上がるということでもなければ、社会から賤しまれて収入も少ない生業が世代を越えて連綿と受け継がれていくということもあり得る。

    現代インドでは、そうした出自によるハンディキャップによる格差を是正するために指定カースト、指定部族に対する留保制度が用意されている。­そうした措置のおかげで特に出自の低い人たちの生活や教育の水準が上昇し、次第により公平な社会が実現されるのが理想だろう。

    留保制度によって一流大学に入学できたり、さらにはその後IAS(インド高等文官)その他ステイタスの高い職業に就くことができたりといった具合に、底辺で苦学してきた人たちがインドという大きな国を動かす側に回る例は決して珍しいことではない。能力とやる気がありながらも生活苦で野に埋もれようとしている人々を数多く救済している。

    しかしながら、留保制度という逆差別は、憲法に謳われている万民の平等と矛盾する部分もある。留保の対象となる指定カースト(SC)、指定部族(ST)、加えてその他後進諸階級(OBCs)以外の人々の機会を奪うことにもなる。

    所属するコミュニティによって秩序だった教育、所得、生活水準があるわけではなく、『留保対象以外の人々』が必ずしも『留保対象の人々』よりも恵まれた境遇にあるとは限らないことに留意が必要だ。

    留保制度は長らく政争の具ともなっており、年月の経過とともに新たに留保対象として指定されるコミュニティが増えるとともに、留保の割合もことあるごとにいじくられてきた。

    果たして留保制度が現行のままで良いのかどうかについて、誰もがいろいろ意見のあるところではないだろうか。それでもインドにおいて、政策のツケは広く民意を問う選挙という公平な手段により、国民自身が審判を下す民主的なシステムが徹底している国であるだけに、難しい匙加減のもとでそれなりにバランスが取れていると見ることはできる。

    かつてと違い、今のインドのとりわけ中央政界においては、大政党が過半数を得られることなく、大小含めた主義主張の異なる様々な政党の寄合所帯となっている。それがゆえに右派勢力が政権を取ろうとも、中道左派の国民会議派が支配しようとも、連立政党や閣外協力政党にも配慮した運営が求められる。結果として極端な方向に舵を切ることなく、穏健でバランス感覚に富んだ政治が続いているように見受けられる。

    <続く>

  • デリー発ブータンツアーの価格

    デリー発のブータン行きのツアー(パロー・プナカー・ティンプー)が手頃であることに気が付いた。7泊8日で33,333Rsである。同時期の同じく7泊8日のタイ行きのツアー(バンコク・プーケット・パタヤー)が39,999Rsであることと比較すると、ずいぶん値ごろ感がある。

    Amazing Bhutan (makemytrip.com)

    Fun-tastic Thailand (makemytrip.com)

    上記の金額はインド国籍の人向けのものであり、私たちが利用できるわけではない。ブータンは独自の鎖国政策の関係で、外国人の入国を大幅に制限している。観光目的で訪問する場合も通常はツアーのみとなる。

    そして3人以上のツアーの場合、各々の滞在費用が1日当たり200米ドルとなる。モンスーンの閑散期には165米ドルに下がるようだが、それでもまだずいぶん高い。これらはツアー・オペレーターを問わない公定価格となっているようだ。加えて物価上昇と米ドルの価値が漸減していることにより、2012年1月から250米ドルへと値上げが予定されている。もちろんのことながら、これらの金額にはブータン出入国にかかる国際線チケット代は含まれていない。

    外交上、ブータンと特別な関係にあるインドの国籍を持つ人たちについてはこうした『外国人料金』は適用されないことから、こうした価格でのパッケージツアーが実現している。

    ただしブータンという国について、私たち外国人が憧れるのと同じようなイメージをインド人観光客たちが抱いているかということについてはちょっと疑問がある。すぐ隣の国であることに加えて、自国の広大なヒマラヤ地域とひと続きの位置にあるということもある。

    またインドといっても広いので地域にもよるが、北インド都市部とりわけ東側地域に滞在・在住しているブータン人たちはけっこういる。西ベンガル北部では、商用・観光・買い物その他の目的でやってきたブータンの人たち、そしてブータンのナンバーを付けたクルマもよく見かける。

    同様にブータンに仕事のために在住しているインド人も少なくない。下は土木作業の労働者から上は様々な分野の専門家まで、広い分野に関わるインド人たちがいる。

    ブータンのテレビ放送のネットワークはインドの技術援助によって実現したものであるし、通信網も同様だ。現在、ブータンで国語であるゾンカ語関係を除き、たいていの科目は英語を介して教えられている。政府の意志で教育の英語化が推進されたためであり、1970年代以降に教育を受けた人々ならば、流暢な英語を話すようになっているようだ。だがその『英語環境』をブータンの教育現場にもたらした人々とはインド人教師に他ならない。

    先述のブータンとインドの間の特別な外交関係と繋がりでもあるが、ブータンが独自に在外公館を持たない国にあっては、現地のインド大使館がその部分の役目を担う。

    そんなわけで、在インドのブータン王国大使館は、在日本の業務も兼轄しており、担当官が毎年一定の時期に来日して東京の在日本インド大使館にて執務することになっている。

    それらはともかく地理的に近いこと、人の往来も盛んなことなどから、インドの人々とりわけブータンからあまり遠く離れていない地域に住んでいる人たちにとっては、日本人が抱くような『秘境』といった印象、『鎖国政策』を続けている閉ざされた国という印象はあまりないかもしれない。

    それよりむしろチベット系仏教徒たちの見慣れたイメージ、自国にもある景色や眺めの延長線上にあるように、地味に捉えている部分のほうが大きいのではないかとも思う。

    インドの人々にとってのブータンは、ヴィザや高額な滞在費といったハードルがなく、経済的にも時間的にもちょっとゆとりのある人ならば、いつでも訪れることのできる国である。ブータン通貨ニュルタムはインドのルピーに対して等価で固定されており、ブータン国内でインドルピーはそのまま通用するという環境でもある。

    そんなわけで、気安く外国旅行に出かけることができる層の人たちの間では、ブータンという国に対して文化的な興味関心でもなければ、南アジアとは明らかに違う世界であるタイ、美しく開放的なムードのビーチのほうがエキゾチックで興味をそそるものであることと思われる。

    私たち外国人にしてみれば、同じ時期で同じ期間のもので『ありきたりのタイのツアーよりもブータン訪問のプランのほうが安いなんて!』とビックリすることになるのだが。

  • 第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    4月17日(日)午前10時から午後5時まで、東京都豊島区の池袋西口公園にて、第12回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラが開催される。

    このところ日本国内、とりわけ東日本においては何かにつけて自粛ムード一色。こういう時期なので、普段行なわれている行事等の開催を手控えるという形で、被災地と気持ちを分け合うという考え方もわからなくはない。だが個人的にはそうした萎縮した思考こそ避けるべきだと考えている。

    とりわけ自らの価値観によるものではなく、『周囲がそうだから』『そういう空気だから』と思考停止した状態で、そうした流れに同調してしまうのはもっといけない。日本人の長所として『規律』と『団結』が挙げられることが多い。もちろん今回の震災での人々の対応についてもそういう書き方をしたメディア等は多かった。

    だが、そうした美点と表裏一体であるのが、主流派と異なる考え方、価値観を持つ人を受け入れがたい『強い排他性』と自己の意見を殺して周りの流れに任せてしまうという『主体性の無さ』という短所と表裏一体であることを忘れてはいけない。

    自身が被災したわけではないのに、テレビ映像で悲惨な映像等を繰り返し見ることにより、仮想体験として刷り込まれてしまうことと合わせて、被災地のために頑張らなくてはならないそれ以外の地域が、元気を失ってしまうわけにはいかない。

    実施できる状態にあるのに、予定されていることを取りやめたり、先送りしたりすることによって得られるものは何もない。それとは裏腹に個々の精神的にも群集心理的にも、後ろ向きになってしまうこと、加えてその周辺で動くはずのおカネやモノも停滞してしまうことによる社会全体の経済的な損失につながり、復興に寄与するどころかかえって悪い影響を及ぼしてしまう。

    このところ様々なイベントやプログラム等が中止あるいは無期限延期となる例が多い中、このイベントは先の地震被害に対するチャリティプログラムを看板に実施される。今の私たちにはそういう前向きな姿勢が必要だ。私たちひとりひとりが、それぞれ被災地に対してできることを行なうこと、そしてずっと立ち止まっていたり、必要以上に内省的になったりすることなく、自らの場所では普段どおりの仕事や生活の中で活発に動き続けることが、みんなの利益につながることを信じていきたい。

    自粛ムードの中で例年のイベントを実施してくれることに感謝したい。私たちもぜひ彼らに続こう!元気なニッポンを取り戻すために!!

  • 東日本大震災 インドからの救援チームも被災地入り

     日本の東北地方太平洋沿岸を中心に大きな被害を出した東日本大震災の被災地にて、イスラエルの医療チームが現地入りして診療活動を開始している。 

    被災地域の方々の医療受診機会の不足が伝えられている中、日本における医師資格を持たない(外国の医師資格を持つ)医療従事者によるこうした活動は、我が国では初めてのことであるとのことで、今回の震災被害の深刻さがうかがわれる。 

    その他さまざまな方面での救援活動についても、世界の多くの国々から様々な形で支援の手が差し伸べられているが、インドからも救援隊が現地入りして活動を始めている。 

    India sending 45-member search and rescue team to Japan (hindustan times) 

    インド 救援隊を日本に派遣へ (NHKニュース) 

    インドの隣国パーキスターンからも食料や飲料水その他の救援物資が到着しているとともに、在日パーキスターン人の有志の方々が支援物資の配布や炊き出し等を現地で行なってくださっているとも伝えられている。 

    世界各地の国々、様々な地域の方々による暖かい支援と励ましに感謝いたしたい。

  • 原発は不可欠?

    電力供給の3割を原子力発電に依存している日本だが、同時にその輸出は国家戦略のひとつとしても位置付けられている。とりわけ今後は途上国において原子力発電の需要の伸びが大きく期待できるからである。

    このたびの福島第一原子力発電所の事故は、各国で原発建設推進についての見直しの動きを生むこととなり、同時に地震大国において高い技術水準を背景に『震災に強い原発』を運転しているというイメージが崩れてしまった。

    当面は現在進行中の事故に対する対応が最も大切なことであるが、今回の事故は同原発の1号機から5号機まで、営業運転開始日は異なるものの、どれも40年前後と旧い設計のプラントであったとはいえ、中・長期的にも日本の原発事業の海外への展開という面においても不利に作用するのは避けがたいようだ。

    ところでインドにおける電力供給源としては、原子力発電は火力、水力に次ぐ第3位にある。マハーラーシュトラ州のターラープル原発のように、1969年という早い時期に操業開始したものもあるが、総体で見ると原子力への依存度はわずか3%と日本のそれに比べてかなり低いのが現状だ。

    しかしながらインド政府としては、2050年までに総発電量の4分の1を原子力によるものとすることを目標にしており、今もいくつかの原発の建設が急ピッチで進むとともに、新たな発電所の計画も多い。

    そうした中で地震による津波により発生した福島第一原子力発電所の事故について、AERB (The Indian Atomic Energy Regulatory Board) は、当初これが明るみに出た直後には『我が国で同様の事故が発生することはありえない。どんな最悪の災害にも充分耐えることができるようになっている』といった声明を出した。これに対して各メディアからは多くの懐疑的な意見が出ていたが、当のAERBもすぐにインド国内すべての原発の安全性に関する調査に乗り出している。

    AERB to reassess safety measures at Indian N-plants (THE HINDU)

    今回、深刻な規模の原発事故を起こした日本だが、このたびの原発事故により東京電力管轄地域では恒常的な電力不足に見舞われることが明らかとなった。その解決には近い将来新たな原発を設置するしかないということになるのだろう。今は原発そのものに対する不安感と警戒の色を隠せない世界各国も、これまた遠くないうちに原子力発電へと回帰せざるを得ないだろう。またインドを含めた途上国のいくつかは、現時点において原発推進の姿勢に変化はないという強気な態度を明白にしている。

    事故を起こすことさえなければ、火力発電に比べて環境に負荷が少ないこと、また相場の変動が激しく供給に不安定感のある石油に比べて、ウランは安定的に取引されていること、水力発電のようにダム建設を含めた広大な用地取得の手間がなく、発電の効率が優れていることなどが主な理由となる。

    とりわけ重要なのは、経済発展に伴い逼迫している電力需要だろう。たとえ現状ではなんとか事足りていても、年々高率で成長を続けている新興国の場合、5年後、10年後には事情が大きく異なってくる。

    India Todayのウェブサイトでも、福島第一原子力発電所の事故に関するニュースは連日トップで扱われていることは、自国の原子力政策に対する不安の裏返しかもしれない。

    Radiation inside Japan’s Fukushima Daiichi nuclear plant rises sharply, workers evacuated (INDIA TODAY)

    だが結局のところ、脱原発という動きにはならないだろうし、すでに原子力発電を行なっている国々、今後導入しようとしている国々の大半もそうだろう。これまでの安全基準の見直しと、より周到な危機管理の実施云々といったところで、これまで敷かれた規定の路線をそのまま進んでいくことになるはずだ。

    今から半月ほど前に福島第一原子力発電所を襲ったのは『想定外の規模の津波』であったが、国によってはそれ以外のリスクもあることは忘れてはならない。もちろん人為的なミスにより原発事故が起きたケースもこれまであったが、テロあるいは外国からの攻撃という可能性を想像するだけで恐ろしい。

    果たして私たちは、そうしたリスクも背負い込んだうえで『原発は不可欠である』とする覚悟は出来ているのだろうか?覚悟せずとも、原発なしには喫緊ないしは近未来の電力不足に対応できず、結局それを受け入れざるを得ないという現実があるのが悩ましい。

  • パキスタン・バザールと桜チャリティバザールともに中止

     3月26日(土)と27日(日)に東京都渋谷区の代々木公園での開催が予定されていたパキスタン・バザールと4月上旬に同千代田区にある在日インド大使館敷地中にて予定されていた桜チャリティバザールが、ともに中止となった。 

    桜の開花も間近で、少しずつ春らしくなってきているこの時期、今年の屋外イベントのシーズンに入ろうかというあたりではあるものの、先の震災の関係のため他にもこうした決断をした催しものはいろいろあったようだし、今後もこうしたイベントの中止や延期等が続くことと思われる。 

    中止された催し物それぞれに独自の理由があるのだろうが、仮にこういう時期なので開催を手控えるという風潮だからという、『今の空気』による後ろ向きの姿勢によるものであるとすれば、ちょっと危ういものを感じる。 

    開催が危ぶまれていた春のセンバツ高校野球についても、その実施が最終決定された際には、残念なことに「何もこんな時期にしなくたって」という街の声も少なからずあったようだ。 

    殻の中に閉じこもっていても何も始まらない。こういう時期に世間を覆う重苦しい空気を追い払うべく、人々が元気に動くことは良いことだ。イベントでもスポーツでも何でもいい。そうした機会を利用して被災地支援の輪を広げるという積極的な取り組みがあってもいいだろう。人々が前向きな姿勢でいてこそ、ニッポンは再び元気を取り戻すことができることと思う。

  • 地震・津波そして原発 2

    地震・津波そして原発 2

     現在、東日本の多くの地域が輪番による計画停電の対象となっている。買い占め等により、生活物資やガソリン等の供給に支障が生じている。沖縄県の友人によると、彼が住んでいる石垣島でもスーパーマーケットの棚からインスタントラーメンが姿を消したとのことだ。 

    被災地に立地していた工場からの供給や交通の途絶という部分もあるが、多くは一時的に需要が極端に膨張したことに対して供給が追いつかないことによるものであることから、時間とともに解消していくはずだ。 

    電力不足のため、鉄道も便数を減らして運行している。商店も夕方早く店じまいするところが多くなっており、企業その他も普段よりもかなり早い時間に職員を帰宅させるようになっている。 

    このたびの震災により、身内の安否を心配したり、家にいる時間が長くなったりしたことにより、家族との絆、自分にとって一番大切なものは何であるかに気付かされたという人は少なくないことと思われる。 

    今回の災害に関する一連の報道において『未曾有』『想定外』という表現が頻出しているが、そもそも気象その他に観測史というものは決して長くないし、数十年という短いスパンの生涯を送る人間と違い、地球のそれは比較にならないほど長い。そのため自然界で起きる事象について、私たち人間が知らないことはあまりにも多い。ゆえに『想像を絶する』現象は今後もしばしば起きるはずだ。 

    普段は『あって当たり前』であった電力の供給が不足することにより、被災地でなくとも交通や物流等で大きな混乱を生じることとなっている。被災地の外であっても、東日本地域で暮らしていれば、ここしばらくは今回の地震による影響を忘れることは片時もないだろう。 

    今回の地震にから教訓を得て、新たな天変地異に備える心構えは大切だし、災害により強い街づくりも必要だが、これを機に私たちの暮らしのありかたを見直す必要もあるのではないかと思っている。生活や仕事のインフラがいかに脆弱なものであるかということが明らかになるとともに、これまで『地震に強い』『絶対に安全である』とされてきたものへの信頼感は完全に崩壊してしまった。 

    同時に日本という国への信用という点でも大きく傷ついたことは否定できない。良好な治安状況は変わらないにしても、地震という固有のカントリーリスクが今後さらに重く意識されることになる。 

    ただでさえ危機的状況にある国の財政事情だが、これからは甚大な被害を出した地域への復興支援という重圧がのしかかる。これを機に衰退してしまうということはないにしても、将来へ明るい展望を抱くことができるようになるには、当分時間がかかりそうだ。 

    だがここが私たちの国である。不幸にも被災された方々に手を差し伸べることができなくとも、何か自分のできることを行ないたいし、同様に日本人である自分たちが日々取り組んでいる仕事が、間接的ではあるものの何がしかの形でこの国の復興に貢献していると信じて一日、一日を大切に過ごしていきたいものだ。 

    <完>

    ※サートパダー2は後日掲載します。