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カテゴリー: society

  • イラーニー・チャーエ

    イラーニー・チャーエ

    前日入ったRoyal Anmolの向かいにある「Mandi King」へ。再びマンディ、今度はマトンでと思ったのだが、付近の席で食べているマンディのサイズ感を見てやめておく。身の丈にあった量のものを注文。せっかくマンディ屋に入ってみて、なんだけれども。

    マンディの店なので、イスラミックなデザートもあるのでは?と期待したが、あまりそうではなかった。それでも「ローズ・フィルニー」は薔薇の香りがたっぷり効いて夢心地。やはりインドでは食後の満腹感の中でも酔うようにゴージャスな味わいのデザートが楽しい。

    デザートの後は、やはり道路向こうのRoyal Anmolに移動して「イラーニー・チャーエ」を。「飲む紅茶ケーキ」とでも形容したくなる。ベースになる濃い紅茶とカルダモンにコッテリしたマラーイーをふんだんに放り込んだリッチな味わい。さほど糖分は強くないのにこの濃厚感はとても高い乳脂肪分のなせるワザ。

    敢えて言えば、黒くなるまで濃く煮出したアッサムティーをカップの底1/4、そこにホイップクリームをたくさん放り込んだらこんな濃い感じになりそうだ。甘党にはもうたまらない。カロリーはとても高そうだ。肥満防止のため食事を減らして、こちらを日がな楽しみたいくらい気に入った。

  • コルカタ華人たちの自伝

    コルカタ華人たちの自伝

     

    コルカタで購入したカルカッタ華人ビジネスパーソンたちによる自伝2冊。かたや郊外テーングラー地区(新チャイナタウン)の女傑、もうひとつは市内中心部のティレッタ・バーザールの成功者によるもの。どちらも買えて良かったと思っているが、ふと気がついたことがある。

    どちらも同じ出版社「Wordphonics」から出ており、編集担当者も同一で「Jasmine Quli」という人物。そして前者は今年1月、後者は昨年12月に出版されているのだ。

    これはどう考えても偶然ではなく、カルカッタ華人のレガシィを記録しておこうという意思によるものなのだろう。これに続いて他の華人たちによる同様の書籍も続いたりすると、さらに嬉しい。

    前者は複数のレストラン経営、後者は中華食材店と工場経営で成功した人たち。他にも大きな皮革加工工場、名の通った靴屋、老舗美容室、評判の高い大工さん、今もあるかどうかわからないけど華語による「印度商報」経営者、同郷会館運営者、中国寺院運営者などいろいろな人たちがいる。

    少なくともカルカッタ華人のコミュニティーにおいて、コミュニティーの外へ自らのことを書き記して発信した例はほとんどなかったようだ。(カナダに移住してから書いた人はあった。)

    今後同様の動きが続くといいな、と思う。ただ先行した2人ほど世間にアピールする人はほとんどいないようにも思うが。

  • 二大政党による支配の終焉

    先の西ベンガル州での与党TMCの敗北、BJPの鮮やかな勝利に驚いていたら、タミルナードゥ州では、個人的には特に注目していなかった新興政党TVKがあっさりと二大政党(DMKとAIADMK)による支配を終わらせてしまった。

    映画スターが2年3ヶ月前に立ち上げた新政党が、南部の重要な州で、いきなり与党に躍り出るという驚き。この政党は、党首であるC. ジョセフ・ヴィジャイ自身のファンクラブが前身。

    同州では、DMKから分離して、AIA DMKを立ち上げたM.G.ラーマチャンドラン(MGR)、その後を継いだMGRの愛人でもあったジャヤラリターといった、タミル映画の元トップスターがチーフミニスターになったりしていたものの、政治経験のないところから始めて政権へ直行というのは信じられない。

    また、この選挙でBJPはタミルナードゥ州への浸透を狙い相当頑張ったようだが、やはりまったく歯が立たず。南インドにおいて同州での民族意識の高さは際立っている。

    今後、タミルナードゥでの二大政党は、西ベンガルにおける共産党(マルクス主義派)のように衰退するのか、それともいつか勢いを取り戻すのか?

    Dark horse wins race (Frontline)

  • ロイヤルエンフィールドとアジャイ・デーヴガン

    ロイヤルエンフィールドとアジャイ・デーヴガン

    5月9日に行われた西ベンガル州新政権の就任式当日の警備に当たるコルカタポリスのひとり。年季の入った赤いロイヤルエンフィールドがカッコよくて声をかけてみた。

    「男前やねぇ。アジャイ・デーヴガン(人気俳優で警官の役柄がけっこう多い)そのものやん!」と言うと、「ハハハ、こんな感じ?」とポーズを取ってくれた。

    この人は日々このバイクでの警備の仕事が多いとかで、「日に30km前後は走る」と胸を張るけど、たいして移動しているようには聞こえない。

    デリーからモーディー首相もやってくる就任式の会場は広大なマイダーンの一角にあり、宿からさほど遠くないところで徒歩圏内。朝から大勢の人たちがそちらに向かうとともに、警備する警官隊は警察車両を連ねて付近で待機。臨時IDを首からぶら下げたBJP活動家たちも大勢。

    就任式が終わってからの大群衆の動きもすごかった。パークストリートエスプラネードのメトロ駅から帰途につく人たちが多く、一時は信じがたいほどの混雑に。

    それでも特に問題なく滞りなく式が行われるのだから、インドの治安管理はかなりしっかりしていると言えるだろう。

    たぶん制服の警官隊以外にも私服、そして映画に描かれるように、市中には報奨金でポリスと繋がる無数の協力者たちがいて、何か怪しげな人や動きがあれば、逐一報告が上がる、そんなシステムがあるのではないだろうか。

  • インド的な光景

    インド的な光景

    朝食を済ませてオートで街の東外れにあるバフマニー朝時代の墓廟群へ。

    ヒンドゥー/ムスリム問わずインド的な光景が素晴らしい。

    しばし留まって目に焼き付ける。

  • インドの「あっさりした朝食」

    インドの「あっさりした朝食」

    朝7時に起きて宿の階下のKAMATレストランに行き、「プーリー・サブズィー」とあるのを注文。これにサンバル、ココナツチャツネ、マサラドーサの中身が小皿で付くこと。これはこれでおいしい。

    油脂分でギトギトだが、インド人にとっては、あっさりした朝食。もちろん私はこういうのは好きである。

  • ああ腹いっぱい!

    ああ腹いっぱい!

     

    宿はビーダル随一の繁華街にあるため、さきほどの「マンディ」の店、洋菓子とミターイー両方売る店、カフェその他がいろいろある。

     

    だが、とにかく満腹過ぎでスイーツ用の別腹すら動員してしまったようで「1ミリの隙間もない」感じなのでデザートはやめておく。超の付く満腹感のうえに、「飲むケーキ」とでも呼ぶべき濃厚な「イラーニー・チャーエ」を2杯飲んだこともあり、快楽を通り越して胸焼け状態になっている。

     

    激しいスポーツをした後に適度なクールダウン、昔で言うところの整理体操をせずに済ませてしまうような、どうもスッキリしないものがある。

     

    そのため整腸効果のありそうな飲み物類をあれこれ思い浮かべてみると、ちょうど曲がり角のすぐ向こうに正解が用意されていた。

    「百薬の長(今ではそう呼ばないらしいが・・・)」を商うナチュラル志向の店(酒屋)で、消化を助ける麦飲料を購入。

     

    インド産スコッチなので、香りとか味わいとか言うよりもピリリと舌を刺すような感じではあるものの、それもまた旅情のひとつである。

     

    このインドウイスキーには、最近は50mmだか100mmだか知らないが、ちいさなメダル紙パックも用意されている。昔ながらのポリのパックに入った安い「ダールー」と同様に地元の若い奴がコーラなどで割って路上であおっている。

     

    そんな彼らのために店主は薄いペラペラのプラスチックカップを渡しているのだから、路上飲酒を奨励しているようなものだ。

    店の主人は何を思ったのか、クオーターボトルを買った私にも「これでどうぞ」と、そのプラコップを手渡してくれた。私も路上飲酒するように見えたのかどうかはよくわからない。

  • アラビア式の「マンディー」

    アラビア式の「マンディー」

    インドのカルナータカ州のビーダルにあるRoyal Amolへ。ここにはアラビア式の「マンディー」を注文。しばらく待つとかなり凄い量のものが来た。


    コツは時間をかけずにモリモリ食べることだろう。満腹中枢から「もうダメ!」の指令が来る前に、とにかくムシャムシャと咀嚼して呑み込むのがよい。

    かなり一気に突っ走ったつもりが、それでもあと1/4程度を残して断念。やはりこのアイテムは2〜4人くらいで分けて楽しむのが良いようで、1人ではとても無理であった。

    シメは階下の喫茶フロアーで「イラーニー・チャーエ」。何がイラーニーかよくわからないけど、やたらとマラーイーが入った濃厚なチャーエ。向かいにはまた別のアラビア料理を出す店があり、ビーダル訪問の際にはたいへんオススメ。ぜひ数人で「マンディー」をお楽しみください。

  • ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    ハイデラーバードから列車でビーダルに到着

    宿に荷物を置いてから、オートでビーダル・フォートに行く。バフマニー朝が建てたものだ。ビーダルの街は14世紀には同王朝の首都だったこともある。

    街からしばらく走ると城壁が見えてくるのだが、規模の大きさに感心させられる。インドでは田舎でもたいへん立派なスケールのものがいろいろある。

    この町では外国人はそんなに多くないため、幾度も いろんな人たちに声をかけられて 一緒に写真を撮ってくれと頼まれた。

    広大な敷地であるが建物の状態はあまり良くなく、全盛期を彷彿させるものはなかったと言える。中では水牛が放牧されていた。

    その後、グルドワラー・スリ・ナーナク・ジラー・サーヒブへ。田舎町には似つかわしくないほど大きなグルドワラーである。ランガルもやっている。しばらくここで流れるキルターンを耳にしつつ、夕暮れ時を楽しむ。

  • インドの言語環境はありがたい

    インドの列車内で楽しいのは乗り合わせた人たちのとの会話。この日は向かい合わせに座ったのは盲学校の校長夫妻。

    二人ともクリスチャンでセブンスデイアドベンチストの信者。教団が運営する盲学校がその職場とのこと。全国各地から来た生徒たちが、1年生から12年生までがそこで学び、高等教育機関に進学する者も多いとのこと。IT関係に進む生徒も少なくないそうだ。卒業ないしは進学後の進路は主に政府系の職場とのこと。

    いわゆる「クオータ」での採用が多いのだとか。つまり障害者のための留保。カーストや民族をベースにした留保制度についてはいろいろ問題がある(家庭の経済水準によるものではなく、出自により与えられるため)ものの、こういう制度は大切だ。

    言葉があまり通じない国だと「お仕事は?」「学校長です」「はぁそうですか」で終わってしまうため、やはりいろいろ話を伺うことができるインドにおける言語環境というものはありがたい。もちろんヒンディー語、ウルドゥー語等の現地語を知っているかどうかに限ったことではなく、英語を話す人たちがとても多いということは大変大きなアドバンテージ。

    ベトナムやタイ、イランやシリアなどではこうはいかない。

    インドという国は本当にありがたい。単に国として興味深いだけではなく、知るための扉が大きく放たれているからだ。言葉が広く通じるし、人々は大変おしゃべりであることが多い。各方面に関する英語などによる書籍も星の数ほど出ている。興味さえあれば、いくらでもいろんなことについて知ることが出来るわけだ。こういう国はそう多くはない。

  • ホメオパシー

    ホメオパシー

    インドでは今もホメオパシーのクリニックや薬局などが数多く見られる。

    日本においては公的医療としての位置づけがなされておらず、いわゆる民間療法という形だが、インドでは正式に制度化された医療の枠組みの中にあるなど、公的に位置づけられている。

    科学的評価、エビデンス等とは縁のない「医療」と呼べるのか怪しいものだが、「信じるものは救われる」のだろう。

  • まさにこの日!!!

    4月16日と言えば印鉄の記念すべき日。インドにおける植民地期の鉄道は、現在のような「国鉄によるネットワーク」ではなく、各地で操業する鉄道会社によるもので、藩王国による藩営鉄道会社もあった。

    シャクンタラ鉄道のように、ごく近年まで英国の会社が所有していた路線もあったものの、その他はすべて独立後のインドにおける「国有鉄道」として統合されて現在に至る。

    鉄道大国インドにおける「最初の列車」が走行したのは、173年前の1853年4月16日、400名の乗客を乗せてボンベイからターネー間を結んだ。

    その4年後には「インド大反乱」が発生し、北インドでは各地で開始されていた鉄道敷設工事が停止してしまうが、大反乱で戦地となった北インド以外ではどんどん進んでいたらしい。

    反乱平定後には、当初想定されていた各地の産物から成る物資の運搬や旅客の輸送だけでなく、軍事的にも「大量輸送」は極めて有効であると認識され、鉄道建設は更にアクセルを踏んで押し進められていく。道路網の整備は鉄道よりもかなり遅れて20世紀に入り、自動車が各地に登場するようになってから。

    これらの交通インフラの発展により、それまで大きな街が形成されるのは水際(海岸や河岸)に限られていたのだが、内陸の大きな川のない土地にも、水道の普及もあり、人口や産業が集積することが可能になった。

    また既存の内陸都市がハブとして物流拠点化するようになったのも革命的だ。それまでインドで商工業のハブであったのは港湾都市に限られていたのが大きく変わったのは、国道網に先んじて国内をネットワーク化した鉄道による効果。

    英国が当時のインド国家予算と別建ての鉄道予算を計上し(ほぼ同額の時期も長かった)、たいへん力を注いだ鉄道建設により、各地が結ばれて大いに交流が深まることにより、「我らインド人」というナショナリズムの高揚にもつながったとも言われる。ガーンディーその他の独立の志士たちが活躍するための下地でもあり、インフラともなったわけだ。鉄道は人々の心やスピリットすら変えた。

    インドだけでなく、鉄道の普及により大きく変貌を遂げた国は数え切れないほど多いはず。

    First Train in India: 173 साल पहले आज ही चली थी देश की पहली रेलगाड़ी, 400 यात्रियों के साथ शुरू हुआ था सफर (Nav Bharat Times)