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カテゴリー: politics

  • インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    インドメディアにおけるパキスタン関係者の討論番組

    「AAJTAK」の討論番組から

    インドのニュースプログラムAAJTAKにおける討論番組。普段はインド国内の政局や隣国等との国際関係などを巡る議論が国内各界や関係者等を招いて行われる。近年はコロナ禍もあり、出演者をスタジオに集めてではなく、オンラインでの開催となっている。

    そうなってくると、ヒンディー語プログラムなので出演者はヒンディー語話者のみという縛りはあっても、もはや国境はあってないようなものなので、トピックによっては、ときにはインド国外からの参加者もあった。ウクライナ情勢を巡ってはアメリカの国務省のインド系職員の参加もあったりした。この日は混迷するパキスタン政局を巡っての議論で、パキスタンの現在の与党、パキスタン正義運動や野党のムスリムリーグなどの関係者を招聘しての開催だった。

    同時に複数の者が大声で発言を続け、司会者が割って入ってもなかなか収まらないことかしばしばあるのはインドもパキスタンも同じだが、途中、パキスタンの退役軍人でもある軍事専門家が、あまりに横柄な態度で司会者や他のパキスタンからの出演者に悪態をつくため、しびれを切らした司会者が厳しい言葉で退席を命じられ、この人物が画面から姿が消えるという、普段はまず見られないシーンまであったが、そこまでヒートアップするほど盛況であったとも言える。

    インドの討論番組で、インド人キャスターの司会のもと、パキスタンの人たち、つまり当局の関係者、軍事専門家、ジャーナリスト等々が議論を交わす。インド側のお膳立てで、パキスタン人関係者たちの喧々諤々の討論がインドのニュース番組上で進行し、それをインド人聴衆が観るというような企画をいつも簡単に実現できるようになった。ある意味、歴史的な出来事といっても良い。

    こうしたものは初めての試みというわけではなく、昨年夏にはターリバーンの手中に陥落したアフガニスタンに関して、インド及びパキスタン双方の与党関係者、外交や軍事の識者等を交えての討論会がこのAAJTAKで実施されていた。

    それはともかく、従前は隣国からのニュースをそのまま流用するか、あるいはインド側のジャーナリストや識者が論評する内容を伝えるのがパキスタンに関する報道のありかたてあったが、このような形での取り上げ方はとても新鮮だ。まさにコロナ禍のポジティブな面がこれで、たぶん数年程度ではなし得なかったことが、一気に進んだ感じだ。それを私のような第三国の野次馬が見物できるのだから、これまたありがたい。

    蛇足ながら、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語とペルシャ文字で書かれるウルドゥー語は、まったく別の言葉だと思っている人もいるようだが、このようにヒンディー語のプログラムにウルドゥー語話者が母語で出演して、ヒンディー語による司会のもとで、ごく当たり前に討論を展開し、それをヒンディー語話者である視聴者がこれまた当たり前に聴くことが出来るというのが、ヒンディー語とウルドゥー語の関係性でもある。

  • 映画「THE KASHMIR FILES」

    映画「THE KASHMIR FILES」

    インドでは3/11に公開されたとのことで日本のNETFLIXでも早く取り扱って欲しい。

    インド国内でカシミールからの避難民がいることはご存知だろう。1990年代、カシミール渓谷の混乱期に故郷を追われた「カシミーリー・パンディット」つまりカシミーリー・ブラーフマンたちだ。この時期のカシミールでは、1987年の州議会選挙における不正疑惑を期に騒乱が始まり、西隣国による工作もあり、インドからの分離を求める武装闘争に発展していく。その中でカシミーリー・パンディットたちは親インド的であるとされて誘拐されたり、武装組織に殺害されたり、家屋を焼かれたりと激しい攻撃の対象となった。

    カシミールでの騒乱をイスラーム主義過激派による活動と勘違いしている人たちも少なくないが、カシミール民族による民族主義運動で、そこに西の隣国、その庇護下にあるイスラーム主義武装組織がテコ入れして煽るという構図であった。

    ともあれ、カシミーリー・パンディットたちは故郷を離れてジャンムー側に逃れた人たちが多く、さらにはパンジャーブ、デリー、UPその他各地に定着している。彼らはブラーフマンということで、その他のヒンドゥーたちはどうなったのか?と思う方もあるかもしれない。カシミールはイスラーム教徒からしてみると、平和にそして広範囲に深く信仰が浸透できた土地で、13世紀以降に広まったイスラームに大半の人たちが改宗しており、ヒンドゥーのコミュニティーはほぼブラーフマン、現在「カシミーリー・パンディット」と呼ばれる人たちしか残っていないのだ。もちろんそのパンディットのコミュニティーからも少なからず親族まるごとイスラームに改宗したという例は少なくないのだろう。

    初代インド首相のジャワハールラール・ネヘルーは、親しみを込めて「パンディット・ジー(学者様)」と呼ばれていたが、単に彼がブラーフマンの知識人であるからというわけではなく、彼自身がそのカシミーリー・パンディットの家の出であったからだ。

    出演している名優アヌパム・ケール自身もカシミーリー・パンディットだが、彼はもともとJ&K州の外で過ごしてきた人なので、迫害を自身で経験したわけではない。もうひとつ、作品の背景として興味深いのは、上映される環境が政治的にバイアスがかかっていることが想定されることだ。BJPお勧めの映画でもあるようで、同党の治世下にある州では「免税上映」となっているらしい。

    The Kashmir Files now tax-free in Uttar Pradesh, announces Yogi Adityanath (Hindustan Times)

    上に引用したリンクはUP州における免税上映のことを報じているが、ウッタラーカンド州、ゴア州、その他のBJPが与党の州では同様の措置を講じているそうだ。「ぜひとも我が州民の皆様に観て考えていただきたい」ということなのだろう。

    実は、まさにこのカシミールの騒乱とカシミールの分離主義勢力によるカシミーリー・パンディットへの迫害は、BJPが急成長する原点であったとも言え、同党にとっては忘れることのできない原風景なのだ。ムスリムの人たちに関する悪宣伝と対立を煽る言質、少数派擁護の姿勢の国民会議派のスタンスを「トゥシティーカラン(甘やかし)」とこき下ろし、「ヒンドゥー・ラーシュトラ(ヒンドゥー国家)」を唱えて、支持を広げていった。

    国民会議派政権下で、独立以来ずっと「ダルム・ニルペークシ(世俗主義)」が国是であると教えられてきて、それでいて英国植民地時代の手法「Devide and Rule(分割統治)」を地でいくような統治手法に矛盾を感じてもいた当時の人たち。そんな中で「ヒンドゥーこそ至上」「多数派こそ正義」などと胸を張ってはいけないものと教育されてきた世代の人たちにとって、エポックメイキングな出来事であったのが、BJPが広めるまったく新しい「ヒンドゥー至上主義」。

    その至上主義というのは、驚くべきことに古典や経典に縛られた教条主義、復古主義とは無縁で、しかもカーストや階層にもこだわらず誰もが等しく参加できる。加えてインド起源の信仰であればスィクでも仏教徒でもジャイナ教徒でもなんでもOK。それまでは蚊帳の外だった低いカースト、さらには少数民族であっても歓迎されるという、極めて緩くて懐の広いものでもあったため、あれよあれよと言う間にこれが時流となり、支持を急拡大させていった。それまでメインストリームの外にいた人たちやそうした層をも取り込んで、これまでの「主流派」に合流させて、「拡大主流派」を誕生させることとなった。これが現在のBJPの支持基盤だ。メインストリームの外の人たちも合流したがゆえに、インド北東部のような「蚊帳の外」であった地域でも続々BJP政権が成立するようになった。

    もちろんそうなっていく過程で幾度も軌道修正がなされているわけだが、80年代まで弱小政党だったBJPが大きく飛躍するきっかけとなった背景がRam Janambhumi(ラーマ生誕地)問題であり、統一民法問題(インドの民法は宗教別)であり、カシミール問題でもあった。それまで少数派に譲歩ばかり強いられてきたと感じていた人たちによる「多数派の逆襲」がBJPの急伸。

    ここに描かれている当時のカシミールの世相は、後のBJPを育むこととなったサフラン精力的台頭の原点のひとつと言える。BJPにとってもそれを支持するひとたちにとっても、まさに「その時、時代が動いた」と言える思い出のひとつが、この時期のカシミールの世情である。

    映画「THE KASHMIR FILES」予告編 (Youtube)

  • 革命万歳!

    前政権の国民会議派を打ち負かしてパンジャーブ州与党となるAAP(庶民党)。本日その新政権が発足したが、就任式は実に変わったものであったようだ。州都ではなく、彼が敬愛する、そしてパンジャーブ州民が尊敬する郷土の英雄、インド独立の志士のひとりであったバガット・スィンの父祖の村カトカルカランでの開催。各界のVIPを招待せず、村人その他集まってきた市民に囲まれての就任式だったとのこと。

    またパンジャーブのチーフミニスターとなるバグワント・マーンの就任の誓いの言葉もおきまりの「私、××は神に誓って×××」という簡素なものではなく、彼のこれから5年間の任期にかける思いを滔々と述べた後、「インカラーブ・ズィンダーバード!(革命万歳!)」で締めるという珍しいもの。「革命万歳!」は、反英闘争の時代によく叫ばれたスローガンだ。

    この季節、バサント(春)を象徴する、そして革命家バガット・スィンの愛した色でもある黄色を男性たちはパグリー(ターバン)で身に着け、女性たちは黄色いドゥパッターを被って集まるようにと告知していたため、黄色一色の会場はまさに春のさいさきよいスタート、そしてこれから革命的な変化をもたらそうという熱気のようなものに満ちていたことだろう。インドで黄色の意味するところは聖性、純粋性、そして勝利の象徴でもあり、既成政治に挑戦する市民活動から始まったAAP(庶民党)には私も大いに期待している。

    INQALAB, ZINDADAD !!!

    At Bhagat Singh’s Village, Bhagwant Mann And “Rang De Basanti” (NDTV)

  • 駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー通り」に

    これはベトナム戦争時にカルカッタの米国領事館が所在する通りの名前が「Harrington Street」から「Ho Chi Minh Sarani (ホーチミン通り)」に改称されたことを想起させる。

    ベトナム戦争終結後、そして長く西ベンガル州の州政府与党の座にあった共産党政権が転落して、民族主義政党(トリナムール・コングレス)に交代している今なお、通りの名前は変わらない。改称時には強硬に反発していたとされるアメリカ領事館も「ホーチミン」が「歴史の教科書の中に出てくる人物名のひとつ」となった現在は、普通に「Ho Chi Minh Sarani」をおそらく何の抵抗もなく「領事館所在地」として表示している。

    今回の「ゼレンスキー通り」は非公式な標識だが、正式な名称を変更してしまうあたり、インドのほうが上手かもしれない。

    駐米ロシア大使館前が「ゼレンスキー大統領通り」に。非公式の標識で反戦訴え(Huffington Post)

  • AAJTAKの本気度と大国の論理

    AAJTAKの本気度と大国の論理

    「AAJTAK」の中継映像から

    このところウクライナからの現地リポートで出てくる女性がいる。寒い気候の中で帽子をすっぽり被って厚着なので、「若い女性リポーターが修行に出されているのかな?」と、しばらく気が付かなかったが、同ニュース番組のエース級のアンカーのひとり、シウェター・スィンであったので、これはびっくり。アナウンサー歴26年のベテランである。ときどき選挙リポートなどで現地から伝える姿は見かけるが、シウェター・スィンともあろう人が、戦地でのリポートとは。ニュース番組AAJTAKの本気度が伝わってくるようだ。

    開戦以来、同チャンネルのウクライナ報道を見ていて気が付いたのだが、戦争という嗜眠に対する非人道的な行為に対して、プーチンの横暴に対して、厳しく糾弾しているのは言うまでもないが、ゼレンスキー大統領やウクライナ政府については、必ずしも両手を挙げて同情的というわけでもないらしい。戦火を招いた当事者の一角として捉えている。

    スタジオに呼ばれたり、リモートでコメントするインドの国際政治評論家、軍事評論家たちともなると、NATOの東方拡大により西欧とロシアのバランスが崩れているとか、西欧による一点張りの批判には必ずしも同意できないとかいう発言も少なくない。インドは中国と違って、こうしたメディアは政府のコントロール下にあるわけではないのだが、国情が違えばこういう見立ても出てくるものなのか。ロシアはソヴィエト連邦時代から続く長年の友好国であり、「ロシアアレルギー」とは無縁で、かつて「同志」であった旧東ブロックへの警戒感もまったく無いという、インドならではの事情もあるが、それよりも大きな要因がひとつあるように私は思う。

    それは、大国ロシアの立ち位置と南アジアにおける域内大国インドのそれは、イコールではないものの、似通った部分が多いことだ。たとえばカシミールの係争問題。国際的な問題として提起したいパキスタンに対して、インドはあくまでも二国間問題であるという態度を崩さない。パキスタンやバングラデシュとの間の水利問題も同様。

    そして何年か前のパキスタン領内への空爆、そこにある越境テロ組織の拠点を叩いたとのことで、国際的には強い批判を招いてもおかしくない隣国への空爆であったが、ここでも他国による口出しを許さなかった。このときはちょうどインドの総選挙戦の始まる直前。これでBJPは大いに株を上げた。パキスタン側では「空爆の事実はない」と応じたが、やはり政権による子飼いのテロ組織があること、その基地があることを認めることになるので、「空爆された」とは、なかなか言えない。

    また、もうひとつの隣国ネパールへの、ときに横暴とも言えるほどの扱いについても、やはり二国間問題なのだ。こうした域内秩序について、同域内で圧倒的な存在感と力量を示すインドは他者による介入を是としないが、これと同様の理解が今回のウクライナ危機に対してもあるのかもしれない。オセアニア大陸北部におけるロシアの存在感を南アジアにおけるインドのそれと重ねてみると、大国の論理という共通点があるように思われる。

    インディア・トゥデイ(ヒンディー語版3月16日号)の社説記事にインドの元駐露大使のコメントが引用されていた。「もしネパールが中国と軍事同盟を結び、インドに向けたミサイルを配備するというような動きを見せたら、我々はこれを看過できるだろうか?」というもの。やはりこの点で、インドがロシアに一定の理解を示しているのは、我が身に置き換えてよく似た危機感(歴史的・文化的繋がりが深い隣国で友邦ネパールだが、近年中国にどんどん接近している)を共有しているという認識があるからという側面が大きいだろう。

    もちろんインドが自らの域内で、ロシアのような挙に出ることは、未来永劫に渡って決してありえないと思うのだが。

  • India Today系列のニュース番組で知るウクライナ情勢

    India Today系列のニュース番組で知るウクライナ情勢

    AAJTAK (ヒンディー語放送)の中継映像から

    ウクライナ危機に関するインドのニュース雑誌「INDIA TODAY」系のニュース専門チャンネルAAJTAKは情報量もあるし速報は迅速だし分析も深い。

    ご存知のとおりインド政府は友好国ロシアへの遠慮から国連の非難決議等は棄権するなど、自国民救出に奔走する一方で、ロシア・ウクライナの二国間の問題であるとして距離を置いているが、それとは裏腹に、民間のニュース番組はロシアへ厳しい批判を展開している。

    同時にウクライナを率いるゼレンスキーへも多少の疑問を呈するとともに、NATOの東方拡大へのロシアの懸念にも、これまたいくばくかの理解を示す部分もあるというスタンスのようだ。置かれている立場も旧ソ連時代からの深い仲でもあることから、ロシアに対する眼差しに異なる部分があるのは、まあ当然かもしれない。

    ロシアへの態度は、もしかしたら世代によっても大きく異なるのかもしれない。ニュースキャスターが原発施設への攻撃を厳しい非難を含めて伝え、原子力関係の識者が「原子炉が無傷であったとしても安心できはしない。電源喪失という事態になれば冷却できない状態で炉が加熱して爆発という事態になる。欧州最大級の原発がそんなことになったら、どうなるのか、想像することすら恐ろしい。なぜこんな愚かなことをするのか」と批判する一方で、年配の軍事評論家はこんなことを口にする。「ソ連時代に建築された発電所なので、ロシアは施設の配置や構造をすべて判っているので問題はない。発電所を占拠すること、原発でさえ躊躇せず襲うということで心理的な圧力をかけているのだ。情報戦の一環でもある」といった具合。

    インドのある程度以上の年代の人たちの間では、今もどこかに旧ソ連やロシアへの信頼感、憧憬のようなものがまだあるとしても不思議ではない。80年代以前、旧ソ連は社会主義の同志で、ポーランドやチェコのように旧ソ連に圧迫された経験もないため、ネガティブな感情を抱きにくいということもある。おまけに国境を接していないので領土問題もなく、旧ソ連時代には様々なレベル・分野での交流も盛ん、インド各地の大きな街にはモスクワに本部があるソビエト専門の書店があった。英語やヒンディー語をはじめとするインドの言語に翻訳された書籍が並んでいた。私もときどきそういう店で「インド人用のソ連書籍」を買ったことがある。同じ時期の日本から見たソ連への感情とは180度異なるものがあったように思う。その頃のインドはいわゆる「消費主義」へ批判的な風潮もあり、当時のソ連と心理的にも親和性は高かったのかもしれないし、彼らの進んだ科学技術への憧れもあったことだろう。

    AAJTAKで特異なのは、複数の特派員を送り、「グラウンド・リポート」として、キエフや郊外の各地から映像とともに情報を伝えていることだ。私たちの世の中の非常時であるとして、日々の放送内容の大半をウクライナ情勢に費やす心意気には打たれるものがある。印パ関係が緊張したときでも、「日々まるまる印パ関係」ということはなかったのに、ウクライナ侵略開始以来ずっと「ほぼまるごとウクライナ危機専門ニュースチャンネル」になっている背景には、この局がこの戦争について大変な危機感と問題意識を持っているからに他ならないだろう。国営放送及び民間放送の他局は通常通りに大半が国内ニュースで、ときどきウクライナ関係の映像が挟まる程度、あるいは脱出先の東欧からインド軍機で帰国したインド人留学生たちを取材する程度であるため、その特異性は際立っている。

    INDIA TODAY (英語放送)

    前述のとおり、AAJTAKはニュースメディアの「India Today」グループの放送局だが、この「India Today」名の英語放送も運営しており、ほぼ同じ内容のニュースを英語で見ることもできる。インドの多くのニュースチャンネルは、国営放送から民放まで、インターネットでもライブ放送をしている。インドでオンエアしている内容をそのままネットで見ることができるわけだ。日本放送局も同様のサービスをしてくれれば良いのにと思う。日本からの現地レポートが手薄ないっぽうで、国際報道の分野でも台頭するインドからのニュースで、よりわかるウクライナ情勢。ウクライナ情勢に関して、今ぜひ視聴をお勧めしたい。

  • 特集「ヒジャーブ」

    特集「ヒジャーブ」

     

    インディア・トゥデイ3月2日号の特集は「ヒジャーブ」。この下敷きとなっているのは、今月カルナータカ州のある学校で起きた出来事とそれに対する学校の反応がインド国内はおろか、海外でも大きく取り上げられるトピックになっていることがある。

    「私はムスリムなのでムスリムらしい格好で学校に通う」と、ヒジャーブ姿で登校した女子生徒。これを学校側が見咎め注意するも改めないためクラスへの出席を禁止、女子生徒は裁判所に訴え出るという顛末に。校内ではこの生徒に反発する生徒たちがアンチ・ムスリムの行動に出たり、外野の大人たちまで学校近くやSNSなどで騒ぎ立てるという具合になっている。

    これがインド国内でテレビなどでも大きく取り上げられると、BBC、アルジャジーラその他、海外の有力メディアでもカバーされるようになり、かなりホットなトピックになっている。これが目下の「ヒジャーブ論争」であり、これに対応して組まれた特集が今回のものという次第。

    こちらに張ったリンクは「インディアン・エクスプレス」の記事だが、同じインドメディアでも立ち位置が異なるものだと切り口や意見が異なるのはもちろんのことだが、イギリス、フランスなど欧州の報道陣による記事、隣国パキスタンや湾岸諸国の記事などと読みくらべてみると、さらに興味深い。視点や問題とする部分が大きく異なり、カルナータカ州の両者が折り会える着地点はないように思えてくるからだ。

    Amid hijab row, a refrain from a Kerala school: ‘Idea is to be inclusive, that’s what India stands for’(The Indian EXPRESS)

    学校に通う以上、そこの制服を着用することは進学を決めた時点で了解済みのはず。インドにおいても大多数の人たちがそう考えるはずだが、こうして社会問題化する側にはそれなりの意図と目的がある。行動を起こしたのは女子生徒個人であっても、そうさせることを仕向けた大人たちの存在があったのかもしれない。

    さて、カルナータカ州の学校においてムスリムの女子生徒が問題提起した「ヒジャーブ問題」だが、さらに波紋を広げ、ついに死人が出るまでの衝突にまでなっている。学びの場で発生した問題とはいえ、広くコミュナルな緊張を招きかねないトピックなので、1日でも早く収束してもらいたいと願うしかない。

    Security tightened in Karnataka’s Shivamogga after ‘murder’ of Bajrang Dal worker (Hindustan Times)

  • サント・ラヴィダース・ジャヤンティ

    先日、2月16日はサント・ラヴィダース(聖者ラヴィダース)またはグルー・ラヴィダースの記念日。この日がラヴィダースの誕生日であったとされる。ラヴィダースに因みのある施設等で人々が集って祝う。

    ラヴィダースは宗教家としてバクティ運動の中心のひとりとして知られているとともに、社会改革家としての側面もあった。万民の平等を唱えた人であったことから、ダリット層での人気も高い。選挙戦最中のUP州、ウッタラーカンド州、パンジャーブ州で右から左まで、政治家たちがこぞって「ラヴィダース参り」をしている。そんな中でモーディー首相もこのとおり。インドのリーダーたちにとって、こうした参拝はその支持層に対する「あなたたちをいつも気にかけていますよ」という姿勢を示すための大切な行為だ。

    近年のBJPの支持の安定した拡大の背景には、こうしたダリット層や部族層への着実な浸透がある。つまり以前は国民会議派、左派政党、各種地域政党の支持基盤であったところに大きく切り込んでいるからだ。そうした中でそうした旧被差別層の福利拡大にも取り組んでいる。BJPのスローガン「サブ・カー・ヴィカース、サブ・カー・ヴィシュワース、サブ・カー・プラヤース」(みんなの発展、みんなの信頼、みんなの取り組み)はただのお題目ではなく、BJPの本質として支持されるのは当然だろう。これでマイノリティー(ムスリム及びときどきクリスチャンへも)への冷淡な姿勢さえなければ、本当に良いのだが、

    RAVIDAS JAYANTI ‘Very special moments’: PM Modi takes part in ‘Shabad Kirtan’ at Ravidas Mandir in Delhi – Watch (ZEE NEWS)

    しかしながら常々感心するのはパールスィーの人たちの位置取り。外国起源(血筋だけでなく信仰も含めた)のコミュニティー、ムスリムやクリスチャンは冷遇されるいっぽうで、同じく外来というか、信仰だけではなく血筋すら外来の(先祖がイランから移住してきたパールスィーだがパールスィー以外と結婚するとパールスィーではなくなってしまう)パールスィーはBJP政権とも大変相性が良く、インドでいつの時代もインドのどこでも「愛国的コミュニティー」として認識されている。このあたりの世渡りの上手さはさすがである。あたかも10世紀に今のグジャラートのサンジャーンで現地の支配者に定住の希望を申し出たときの誓いが今の時代にも生きているかのようだ。

    (その誓いとは、定住に難色を示す支配者の目の前でミルクいっぱいにミルクを注ぎ、そこにスプーン1杯の砂糖を加えるが、コップからは一滴のミルクもこぼれることはなかった。「かように私たちはこの大地に溶け込み、世の中をを甘くすることを誓います」と述べたという故事のことである。)

  • ダバル・インジャン・サルカール

    現在、UP州とウッタラーカンド州にて、それぞれの州議会選挙戦展開中。こうしたシーンで、近年のBJPがよく口にするのは「ダバル・インジャン・サルカール (Double Engine Government)」。インドの英語ではDoubleは「ダバル」、Engineは「インジャン」と発音される。

    つまり中央政府の「インジャン」と地方政府の「インジャン」がともに連結し、どんどん前進していくというイメージだ。急勾配を上る列車が2連結の機関車に力強く牽引、あるいは先頭で1台の機関車が牽引するとともに、最後尾でもう1両の強力な機関車が押し上げていくイメージだ。

    日本の県よりもインドの州のほうが権限が大きく、場合によっては「違う国」みたいな様相を呈することすらある。たとえば州政権が変わると、いきなり「禁酒法」が施行されて、「ドライ・ステート」になってしまうこともある。

    しかしながら、州政権はあくまでもインド共和国内での地域政権に過ぎず、やはり中央政府の威光は強大。中央政権と関係の良い政党が運営する州政府には、有利な開発プログラムが導入されるいっぽう、折り合いの悪い政党の州政権には、あからさまな嫌がらせがなされることだってないことではない。そんな中で、特にBJP政権だと困るという層の人でなければ、UP州政権を率いるヨーギー・アーディテャナートには好感を持たなくても、中央政権のモーディーと関係が良いし、同じBJPだから「ダバル・インジャン」で経済発展をどしどし進めてくれそうと期待して票を投じる人も多いはず。

    それもこれも、やはり中央でも地方でも、BJPが少なくとも経済発展と民生の向上においては、いい結果を出していることがある。これがBJPよりもマイノリティ(ムスリム)に対してもフェアな態度で臨み、貧困層に属する割合が高いとされるコミュニティには気前よく留保枠を与える国民会議派や社会党だったらどうだろうか。たとえばUP州の人で、マジョリティのヒンドゥーで、とりわけヤーダヴではなく、OBCs(その他後進初階級)でもなく、少数民族や部族ではない人たちにしてみると、中央政府が国民会議派あるいは社会党(社会党は主にUPの地域政党なのだが中央政府に連立ではいるということはあり得る)で、自分の州の政権も社会党という「ダバル・インジャン」が成立したら、とんでもない悪夢だろう。

    形勢からして、どうやらウッタラーカンド州はBJPがそのまま再選されそうだし、UP州においても社会党はある程度の伸びは期待できても、BJPを政権から「引っこ抜いて捨てる」と豪語する社会党の若党首アキレーシュ・ヤーダヴの主張するような結果にはならないように思われる。

    PM Narendra Modi lauds infra projects in Ghaziabad by ‘double-engine’ govt (HINDUSTAN TIMES)

  • PARVAT MALA PLAN (山のネックレス計画)

    2月1日、国会の予算審議中のインドで、モーディー首相が大胆な取り組みを打ち出した。これまで「SWATH BHARAT (CLEAN INDIA)」や「MAKE IN INDIA」等々、人々にわかりやすいキャンペーンを次々に繰り出してきたBJP政権。この「PARVAT MALA(山のネックレス)」については、人口流出が続くヒマラヤ山岳地域で、人々がよその土地に活路を求める必要なく、地元で安心して稼いで暮らしていけるように、地域間のコネクティヴィティーを向上させて経済発展に繋げるというもの。同時に国境地帯のセキュリティ強化も視野に入れている。具体的などのような施策がなされるのかについては、今後のお手並み拝見ということになるが、2022-2023年度予算のひとつの柱となるものだけに、大きな国家プロジェクトとして発進していくことは間違いない。

    Budget 2022 | PM Modi Announces ‘Parvat Mala’ Plan For Hilly Regions On India’s Border To Boost Security PM Modi said that the ‘Parvat Mala’ scheme (REPUBLICWORLD.COM)

    そのプランの中で実施される事業のひとつには、以下リンク先のようロープウェイで地域間を結ぶということも含まれているようだ。

    たしかに山間をバスで走っていても、直線では20KMくらいでも道路は山岳地で迂回を重ねながら続いているため、ずいぶん時間がかかるもの。あるいは山でトレッキングしていても渓谷の反対側斜面に張り付いている「目の前に見える村」は、川を渡る手段がなければ別世界みたいなものだ。

    平地と違って、そうした障害物で幾重にも遮られている地域であるがゆえに、山のこちらと向こうでは違う文化が育まれていたり、極端な場合暮らしている人種まで異なったりする。まさに尾根が世界を遮断しているのだ。

    そんなヒマラヤの複雑な地形は、インドの多様性を支える要素のひとつでもあったわけだが、国民の統合であったり、教育や就労等の機会の公平性であったりという観点からは、やはり障害であって、こうした山岳地域でもコネクティヴィティーの改善については、英国時代も独立後も政府が不断の努力で道路を開通させたり、トンネルを掘ったりと試みてきたわけだが、敢えてモーディー政権がこのように目玉として取り上げるからには、大胆かつ具体的な青写真が、かなり確度の高い勝算のもとで描かれているのだろう。

    BJP政権は「やる」といったら大胆にやる。そしてしつこいほどに推し進めていく。国民から人気が高いのはモーディー自身への高い評価もあるが、BJP政権そのものが国民会議派その他よりもよほど実行力があるからだろう。個人的にはモーディー首相、そしてヒンドゥー至上主義のBJPについては、いろいろ思うところはあるのだが、肝心のガバナンスという面では他党がこれに取って替わることができるとは思えない。もし私がインド国民だったら、あるいはどこかの州民だったら、そんなことからBJPに投票するのだろう。

    インドのニュース雑誌のサーベイで見たが、今月から来月にかけて州議会選挙が実施されるUP州で、前回2017年の選挙のときにはムスリム票の大半は社会党、そして国民会議派にも行ったのだが、それでも約10%のムスリムはBJPに投票していたのだ。今回同様にムスリムの候補を立てないどころか、明らかにムスリムを敵視しているBJPなのに。

    Ropeway connectivity under Centre’s ‘Parvat Mala’ plan brings hope in poll-bound Uttarakhand, may be a game changer in the hills (Firstpost)

    また、「PARVAT MALA PLAN」の中で推し進めていくことになるのだろうが、「VIBRANT VILLAGE PROGRAM」というのも表明している。モーディーがグジャラート州首相だった時代の「VIBRANT GUJARAT」で内外からの投資を積極的に誘致して州の経済成長に大きく貢献したことを彷彿させるが、北部国境地域の村々を振興させようというもの。

    Budget 2022: Transformation Roadmap for Rural India (INVEST INDIA)

    そのいっぽうで、現在選挙戦が進行中のUP州の田舎では、与野党の間で何十年も変わらず「BIJLI, PANI (電気と水)」(の供給、安定的な供給)の約束が繰り返されるという、昔ながらの有様が続いているのが不思議といえば不思議である。

  • UP州議会選挙戦 ブラーフマン層への働きかけ

    先日、ニュース番組Aajtakの中のShwetpatr(白書)というプログラムで、UP州議会選挙に係る興味深いトピックを取り上げていた。同州のブラーフマン層の人たちはBJPの施策にたいへん不満があり、この部分からの支持を吸い上げようと、社会党(SP)、大衆社会党(BSP)といった、前者はヤーダヴとムスリムを中心とする大衆層・貧困層、後者はダリットを中心とする大衆層・貧困層を支持基盤とする政党だが、いずれもブラーフマン層への働きを強めており、この部分は選挙の行方を決めるひとつの要素となりそうとのこと。

    たしかにUP州では1988年のN.D.ティワーリー以降、34年間に渡りひとりもブラーフマンのチームミニスター(CM)は出ていないのは知っている。以下、歴代のUP州のCMのリストだ。

    州政府の幹部人事にも同様の傾向が強いのだという。現在はブラーフマンの登用は珍しくなっており、タークル層が主流を占めているのだとか。現在同州のCM、ヨーギー・アーディティャナートはサンニャースィー、つまり世捨て人なので、本来カーストとは無縁なのだが、彼はもともとタークルの家に生まれている。SPが与党のときにはヤーダヴ、BSPが政権にあったときにはダリット層が大量に登用されているので、やはりこうしたことはあるのだろう。

    「ブラーフマンの貧困層」はあまりクロースアップされることはないのだが、指定カースト、指定部族以外にOBCs(その他後進諸階級)指定により、進学・公部門への就職等でなにがしかの優遇措置が講じられている層と異なり、事実上まったく何の救済もないことからくる不公平感も強い。

    そんな中で進行中のUP州議会選挙で、社会党、大衆社会党といった「貧者救済の社会正義」を政策の柱のひとつとする政党が、「貧しきブラーフマン」からの支持取り付けを試みるという逆説的な現象が進行中。

  • エアインディア 国営航空会社からターター財閥系航空会社へ移行

    エアインディア 国営航空会社からターター財閥系航空会社へ移行

    ついにエアインディアは、国営航空会社としての歴史に幕を閉じ、起業時のターター・グループに戻り、民営航空会社エアインディアへ移行した。

    元々のエアインディア、つまり国際線を主体に操業していたときには、近年ほど深刻な経営状況ではなかったものの、2007年におけるインディアンエアラインスとの合併が大きな苦境を招いた。旧ソヴィエト連邦時代のエアロフロートのごとく、政治理由により存在する不採算路線がとても多かったこと、政治主導の経営であったこともあり、なかなか自助努力いうものは容易ではなかったことと思われる。

    リンク先記事には、今後の機内食その他のアメニティ、接客姿勢等について触れられているが、そのあたりは民営化による変化の本質ではない。今後、広大な路線の整理・統合、アライアンス内での他キャリアとの後半な協力関係の構築、事業所・施設や人員の整理、新たな労使関係の構築等々、さまざまな事柄が粛々と行われていくはずなので、数年のうちにエアインディアはまったく別の評価か与えられるキャリアに変貌することだろう。

    また、ターター・グループがシンガポール航空と合弁で運営しているヴィスターラー航空との関係はどのように位置づけられるのか、このあたりにも注目していきたい。

    Air India handover: See list of in-flight changes as ‘Maharaja’ gets makeover (INDIA TODAY)