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カテゴリー: news & media

  • 奇妙な捻じれ

    最高裁の命令により調査チームを受け入れさせたバナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッド。ヒンドゥー寺院であった確固たる証拠があったとして、ここでプージャーを行なうことを求めるヒンドゥーの原告側が「バーバーがおられた」とし、ムスリム側は「何も見つからなかった」。シヴァのリンガムらしきものの痕跡が見つかったとのことのようで、さらに確固たる証拠として、リンガムに向かい合わせるナンディの姿がないか調べるという方向らしい。

    ここにあったヒンドゥー寺院をモスクに転用したということは、もともと古くから伝えられてきた史実のようで、そのような例はここに限らず、とりわけインド北部や西部には多い。

    ここはムガル朝のアウラングゼーブ帝の時代に転用されたとのこと。1991年にアーヨーディヤーのバーブリー・マスジッド(ラーマの生誕地とされる場所にあった寺院で、やはりムガル帝国時代にモスクに転用された。1992年に右翼に率いられら暴徒たちが破壊。インド各地にコミュナルな暴動が連鎖)問題のとき、こちらもやり玉に上がっていた。

    現在はムスリム以外は立ち入り禁止の施設として現在に至っている。近年、右翼勢力はこうしたムガル時代に起きた賛ムスリム的な事象を反ヒンドゥー=反民族=反国家的な過去で、それを取り戻すことが愛国的な行いであるかのように煽る。同時に植民地時代の反政府テロリストたちを反英愛国者と持ち上げ、さらには1857年の大反乱を「インド最初の独立闘争」と位置づける。

    するとこの時代の歴史解釈の根本的な部分に、奇妙で大きな捻じれが出てくるのだが、これについてはどう辻褄をつけるつもりなのだろうか。

    多数はヒンドゥーのインド人傭兵たちの勢力がインド各地で当時の東インド会社軍に対して反乱を起こし、その勢力が合流しながら当時の統治の拠点を次々に陥落させていった。火の手がデリーに及んだときに彼らが集結して反乱のシンボルとして担ぎ出したのはムガル最後の皇帝、バハードゥル・シャー・ザファル。

    それまで英国人指揮官の元で働いてきた無名のインド人兵士たちが求めた権威は、当時すでに権勢は衰えて威光の及ぶ範囲は「デリー周辺」でしかなかったムスリム王朝の当主であった。劣勢に継ぐ劣勢で追い込まれたイギリス側は、それでも内部の立て直しと反乱の及んでいなかった南部等からの援軍などで反攻に出たわけだが、その際に大きな力となったのはパンジャーブ及びその近隣地域のスィク教徒勢力。

    英国当局が比較的短期間に力を回復して、反乱勢力を退治して粛清、軍の再編、英国人社会の綱紀粛正、英国本国では東インド会社の解体とインド省による直接統治へと急転換していくことになる。現在も軍や警察などでスィク教徒のプレゼンスが高いのには、反乱平定後に親英・尚武の民として重用されたことが背景にある。つまりムガルこそが独立運動の先駆けの象徴であり、スィク教徒は親英の売国勢力であったことになってしまうため、極右勢力によるムガルを「侵略者」と位置付けと、極右勢力を含めたインドの広範囲での「1857年の大反乱はインド最初の独利運動」という定義は相反するものになるのだ。

    Decoded: What is the controversy over Varanasi’s Gyanvapi Masjid? (India Today)

  • 熱波のインド

    記事によると、デリーで観測史上の最高気温が45.6℃とのことだが、それとて一定の条件での計測なので、路上や空調のない車両の中などではこれよりも数度高かったり、50℃を超えていたこともあるはずだ。

    先日は49度を超過とのことで、従来の記録を4度ほど上回ったことになる。これも同様に実際街なかで働く人たち、路上で商う人たちは実質55℃のような過酷過ぎる環境で働いていたのだろう。

    今の東京のような快適な気候からはちょっと想像が及ばないし、お盆あたりの東京の状況とも比較にならない。いくらこの時期のインドは湿度が低く、日本のお盆は湿度が高いとはいえ、ベースになる気温がまったく違うので、比較にすらならない。

    たとえ湿度が低くても、体温を超えると相当消耗するし、さらには風呂の温度を超えると、とても耐えられるものではない。50℃という気温は死の世界とも言える。26℃と30℃がぜんぜん違い、30℃と34℃も相当異なるように、45℃と49℃もずいぶんな差だろう。

    地球温暖化で氷河が痩せ細ったり、海岸沿いの低地が海の下に沈むことなど、懸念されていることは多いが、インドあたりの緯度の内陸部の酷暑季では人々の生存が困難なものになりそうだ。

    India heatwave: Delhi records highest ever temperature at 49C (The Telegraph)

  • Taj MahalかTejo Mahalayaか

    Tejo Mahalaya (荘厳で偉大な棲家)という名前を聞き慣れない方はググッていただきたい。いくつもの関連記事が出てくる。

    ヒンドゥー史上主義者たちの主張によると、このTejo Mahalaya は現在誤ってTaj Mahalと呼ばれており、ムスリムの皇帝の妃の墓廟であると誤解されているが、本当はMahadeva Mandirつまりシヴァ寺院であるのだという。元々そこにあった寺院をシャージャハーンによるタージマハルの構造物が呑み込む形で「併合してしまった」というのだ。インド考古学局によって閉鎖されている謎の20の部屋(メディアによっては22の部屋とも)があり、そこにはこれがムスリムの墓廟などではなく、ヒンドゥー寺院であるという証拠が隠されている、ゆえに誰も入ることができないように固く閉じられていると主張している。

    確固たる史実をまったく無視した、何の合理性も道理もない主張だが、ついにアラーハーバード高等裁判所へ、インド考古学局に謎の20の部屋を開けて調査チームを受け入れよという訴え出たのだ。バラエティ番組的な興味関心は覚えるものの、そしてヒンドゥー史上主義者に勝ち目はないように思えるのだが、もし芳しい結果が得られなくとも、すぐに次の一手を容易しているはずだ。そんなこんなで、どんどん外堀が埋められて、いつしかヒンドゥー寺院であるとの既成事実みたいなものが積み上がるとも思えないのだが。

    1989年代後半からサフラン勢力が頭を持ち上げ始めて、90年代には檜舞台に躍り出るまでになった。そして今世紀に入ってからは、まるで19世紀後半のヒンドゥー・ルネサンスのごとく、これまでの共通理解や社会通念を覆すような「ネオ・ヒンドゥー・ルネサンス」を展開している様には、もう驚きしかない。その「ルネサンス」は地域、カースト、社会的地域を超えて人々を強く結びつけ、それ以前は排除あるいは無視されていた層や部族も大手を広げて歓迎される一方で、ムスリム、クリスチャンといった外来の思想を奉じるコミュニティーに対しては非常に敵対的だ。

    高等裁判所は訴えを退けたが、この原告団は最高裁まで争う構えを見せている。仮にこのTejo Mahalayaの「調査」が近い将来実施されたとして、結果がどのようなものになるのか、それがメディアでどう消化されて人々に伝えられるのか、社会がどのような反応を見せることになるのか。

    この件もそうなのだが、時を同じくして、デリーのクトゥブ・ミーナール、マトゥラーのクリシュナ・ジャナムブーミー、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドと似たような文脈での訴えがなされて、同時期に並行して進行していくというのは、どう考えても偶然ではないだろう。

    また、ムスリム支配を背景に持つ地名に対する改名が相次いでいることも然り、一連の嫌ムスリム的な事象が相互に作用しあっている部分もあるようだ。現在のインドが急速に変貌しているのは経済面だけでなく、こうした思想面においても同様だ。

  • United Hindu Frontって何者だ?

    メディアにUnited Hindu Frontというヒンドゥー右翼団体の名前をよく見かける。検索してみるとデリーのヤムナ河東岸のアーナンド・ヴィハールの北にあるシャーハダラーに本部があるようだ。HPは見つからないがFBページにいろいろ主張を載せている。

    クトゥブッディーン・アイバクの時代、この地域にあった多数のヒンドゥー寺院、ジャイナ教寺院を破壊してモスクが建設された。このモスクが擁する巨大なミーナールは現在「クトゥプ・ミーナール」として知られており、世界遺産にも登録されている。文化、民族、これに付随する信条なども時代とともに移ろう。ときに外来勢力に征服され、ときに別の民族に蹂躙され、あるいは平和的に融合して歴史は形作られていく。

    そんな悠久の歴史を象徴するモニュメントのひとつがクトゥブ・ミーナールであるわけだが、ここで地面に置かれた神像、上下さかさまな状態で建造物の中に組み込まれている神像、織の中に取り込まれたような具合になっている神像などをめぐり、またこうした神像がふんだんにあるにもかかわらずプージャーを執り行うことができない(インド考古学局管理下の遺跡であるため)現状などに抗議していた団体United Hindu Frontが、クトゥブ・ミーナールの改称を求めて開始した新たな運動が各メディアに報じられている。

    クトゥブ・ミーナール」ではなく「ヴィシュヌ・スタンブ(ヴィシュヌの柱)」と呼ぶようにせよ、と。もともとどういう背景を持ち、どんな属性を持つ人たちが、どのように活動に参加しているのかちょっと興味がある。決して彼らに賛同するわけではないが、右傾化するインドの今後が透けて見えるような気がするからだ。

    Right-wing activists demand renaming of Qutub Minar as Vishnu Stambh, detained (The Indian EXPRESS)

  • 中華民国駐印軍

    ある記事を目にして「中華民国駐印軍」という軍隊がかつてインドに駐屯しており、彼らの墓地があることを知った。概要としてはこのようなものらしい。そして駐インドの中華民国(台湾)代表処は、年に2回、お彼岸の時期に職員を派遣して慰霊祭を行っているとのことだ。

    印での中華民国軍共同墓地、中国大陸が観光地への変更を強要か (台北駐日経済文化代表処)

    だが、これについて中華人民共和国はインドに観光地化を要求。台湾側は歴史的価値を損なうと反発しているとも書かれている。

    インドの「中華民国」軍墓地 中国が観光地化要求で波紋 台湾は「歴史的意義をおとしめる」と反発 (産経新聞)

    グーグルマップで検索してみると、州都ラーンチーからハザーリーバーグに行く中間点だ。これは立ち寄ってみたい。

    これらの記事で気になるのは、地名を「ランガルー」「ランガル」と書かれていること。『ラームガル」(ラーマの砦)なのだが、産経新聞のような大手メディアで書いてしまったせいか、検索して出てくる他メディアでもそのように表記されているのが残念。グーグルマップの日本語表記をよく見ると、ここにも「ランガル」と表記されているため、間違いの元はここかもしれない。

  • 日本の桜風景

    インドのニュース番組で日本の桜の風景(おそらく九段のお堀端付近)が写し出されていて、美しい眺めであるのは良いのだが、中華風のBGMが挿入されているのは気になる。

    まあ、インド人にしてみると「中国人と日本人は同じ民族だが、国は別々になっているから、前者は中国人、後者は日本人と呼ばれる」という理解なので仕方がない。今どきのインドでも、「東京から来た」と言うと、目を輝かせて「おお!従兄弟が香港に住んでいる!」とか言う人は普通にいるし。

    「え?香港って何だよ?」って思ったりもするが、デリー、アーメダバード、ムンバイが同列の並びであるように、上海、香港、東京はひとつの並びとなっている人が多いことについて目くじら立てても仕方ない。往々にしてカンフー映画即ち空手の映画という具合に把握されているし、近年はここにテコンドーも混ざってきて、かなりややこしいことにもなっている。まあ、これはインドに限ったことではないのだけれども。

  • モスクのラウドスピーカー

    マラーター民族主義(マハーラーシュトラ州の地元民マラーティーの民族主義)政党MNS(Maharashtra Navnirman Sena=マハーラーシュトラ 復興軍)党首のラージ・タークレーが主張する州内でのモスクにおけるラウドスピーカーの使用禁止。5月3日までにという期限を提示したうえで、対応が取られなければアクションを起こすと警告している。

    その場合、モスクの前で支持者たちがハヌマーン・チャーリーサーを流すとしているが、真意はおそらく配下のゴロツキたちを送り込んで乱暴狼藉と破壊行為を行うという意味だろう。MNSは同州のシヴセーナーから分離した組織。党首のラージ・タークレーはシヴセーナー党首のウッダヴ・タークレーの従兄弟で、前者はシヴセーナーの創設者で長く党首を務めていたバール・タークレーの甥、後者は息子。バール・タークレーの死後、党内のリーダーシップを巡り、ラージとウッダヴが火花を散らし、結果としてラージはシヴセーナーから手下たちを連れてMNSという分家を作った。

    党としての主張は本家とほぼ同じだが、本家と分家は協調することはなく関係は断絶している。本家はバール・タークレー時代に同州与党として君臨した過去もあり、現在はナショナリスト会議派及び国民会議派と組んだ連立政権を運営するとともに州外規模は小さいながらも支部を持つセーナーに対して、MNSは影が薄い。野党に居るときのシヴセーナー同様、抗議活動が暴力的なのも特徴的だ。例えば彼らがオーガナイズするバンド(ゼネスト、政治的主張の手段としての集団怠業)の際、バンドを宣言した地域では公的機関も含めて全てが停止する。彼らの活動家たちによる暴力と破壊行為が怖いからだ。朝早くからバスのデポーやバスターミナルなどで棍棒や刀剣などを持った暴徒が押し寄せて、エンジンをかけていたり、乗降場に配置されているバスのガラスを全て割ったり車両を損壊させたり、職員たちを掴んだり殴ったりする。当然、これを予期していて待ち構えているメディア(今はSNSでも動画が拡散されるだろう)でテレビ等に流れるため、市民たちに「あぁ、今日はシヴセーナーのバンドだから危ない」と再認識させるのだ。その後、活動家たちはバーザールや市内の要所を回って営業中の店などがないか監視したり、主要道路を走る車両等を攻撃したりする。

    ただ幸いなのは、本家シヴセーナーほどの動員力はないため、かつて彼らが実施した「ムンバイ・バンド」のような大規模なもの(バール・タークレー死後、MNSが分家する前に行われた。たまたまムンバイに居合わせたが、文字通りまる一日、大都会が完全停止。マリーンドライブその他のメインストリートで昼寝が出来るくらい全く何も走行しておらず、全てが停止)を行う実力はないことだ。

    だが暴力性と有言実力性は本家と同じなので、州内にある数々のモスクは程度の差はあっても、とりわけ「攻撃すれば宣伝効果が高い」と思われるロケーションにあるもの、MNSの活動拠点に地理的に近い場所にあるものなどは、かなり警戒していることだろう。これまで認められていた慣行(ラウドスピーカーによる大音響のアザーンの呼びかけ)についての反対は唐突感があるかもしれないが、MNSとは無関係なところでカルナータカ州で高等裁判所による音量制限の命令が出るなど、今後は「モスクのスピーカー」に対して、風当たりは強くなるかもしれない。

    当然、予想されるのはBJP政権下にある各州で音量制限という形での対応が出てくるのではないだろうかということだ。その一方で、ヒンドゥー寺院からは朝早くから賑やかなバジャン、マントラ、鐘の音などが長時間に渡って流れていたりするのだが、社会は「身内の物音」「マジョリティの人たちの営みの音」については、生活音であるとして寛容なものである。

    シヴセーナーの創設初期はケーララ州やタミルナードゥ州など南インド地域から来た人たちを排除の標的としていたが、その後はターゲットを北インドの主にUPやビハールから来た出稼ぎ労働者たちに変更。マラーター民族主義の背景には彼らが地元民の雇用を奪っているとするものがあり、そうした労働者層だけでなく、州内での国鉄関係の採用試験にやってくる北インドの人たちをも攻撃する事件などもあった。

    いずれにしても「民族主義」なので、そこに宗教をベースにした差別行為ではなかったわけだが、今回はムスリムをターゲットにしていることは大きな方針転換とも言える。「マラーター民族主義」という時点で、ヒンドゥーであることは言わずもがなであるものの、民族主義なのでそこにはムスリム排除の要素は含まれなかった。先に記した「ムンバイ・バンド」はまさにそれを象徴するもので、バンドのきっかけはムンバイのガトコパールで起きた市バス爆破テロ(イスラーム原理主義組織によるものとされる)への抗議活動で、非難の対象は当時の州政権による対テロ無策ぶり及びテロ行為への反対意思の表明であった。このときはシヴセーナー+BJPがバンドを先導するとともに、地域政党等もいくつか賛同して相乗りしたのだが、この中にはマハーラーシュトラ州で有力なイスラーム教組織も賛意を示して協力し、シヴセーナーはこれを大いに歓迎しており、反ムスリムではないことを鮮明にしていたことに、私はある意味、感銘のようなものを感じた。

    本家シヴセーナーは先のマハーラーシュトラ州議会選挙で共闘したBJPとポスト配分で大揉めした挙げ句、組閣前に早くも連立瓦解。結果として、それまで宿敵だったナショナリスト会議派及び国民会議派と連立するという珍事により、BJPと敵対関係になっているが、今後は分家のMNSがBJPと共闘という線も出てくるかもしれない。今のところBJPはMNSの動きを様子見という具合のようだが。

    ‘Ban loudspeakers in Maharashtra mosques by May 3 or else…’: Raj Thackeray issues ultimatum (dnaindia.com)

  • 物価高騰

    物価高騰

    昨日配信されたインディア・トゥデイ電子版の最新号。表紙にもなっている特集記事は日用品等の価格急騰。昨今の燃料価格高騰により、ガソリンやプロパンガスも上がっているが、牛乳のようにあまり価格に変化のないものもあれば、トマト、ナスなどの野菜類などのように昨年比で2倍、3倍くらいになってしまっているものも多いようだ。円安、ウクライナ危機、原油価格高などにより、様々なモノの価格がどんどん上がっている日本もさることながら、このような状態にあるインドの市民への生活への圧迫感は相当なものだろう。

  • 合従連衡の背後にあるもの

    半月以上前のニュースになるが、これを目にしたときに思ったこと。

    こういう報道があると、すぐに「同じシーア派のイランとの☓☓☓」というような話が出るのにうんざりする。

    イランは日本で喧伝されているような感じの宗教的な国ではないし、ましてや原理主義の国でもない。人々とモスクの関係性は、言ってみれば日本の私たちとお寺や神社みたいなもの・・・と書くと、イランのことを知らなければ「ええっ!?」と言われるかもしれないが。広範囲にリベラルなイランの人たちと宗教施設との関係は、タイやミャンマーの人たちとお寺のような距離ですらない。SF的な仮定で、日本の仏教系新興宗教団体傘下にある政党が独裁政権を樹立して人々を縛ったら、私たちの国が「仏教版イラン」になる、そんなイメージでよいかと私は思う。その意味ではイランは特殊な国だ。

    また中東地域での長年のシーア派とスンナ派の対立というのもかなり虚構で、そもそもイランだってシーア派が多数となったのは16世紀のサファヴィー朝以降の話。もともとはシーア派の地域であったことはたぶん日本の社会科の教科書だって出ていると思う。教義で対立するわけではなく、人々を都合で色分けする為政者により対立が起きるのだ。

    フーシ派とイランの関係性、またヒズボラとイランの関係性だって、シーア派という信仰が絆となっているわけではなくて、地政学上の、また地域の様々な勢力関係による繋がりから、結果としてそういう形になっているはずなのに、「信仰が同じだから仲間グループ」としてしまっては、まったくの思考停止というか、本質を見誤ってしまうことは間違いないだろう。

    これはインドでも同じ。宗教的右翼のBJPと、「地域的に人口分布的にもたまたまヒンドゥーである」マラーター民族主義のシヴ・セーナーがガッチリ協力していたのは、ヒンドゥーという信仰の共通点からではない。

    だから先のマハーラーシュトラ州議会選挙で選挙協力して勝つも、組閣で揉めて協力関係瓦解。そして選挙戦では敵同士で、思想や主義では相容れないはずの世俗派で中道左派の国民会議派、ナショナリスト会議派とまさかの連立を組んで、今は仲良く政局運営している。つまり「ヒンドゥー」そして「右翼」という共通項は、協力関係の絆ではなかった。本質は実務的に協働できる関係性にあるか、という冷徹な判断なのだ。そこには観念的な信仰や情緒的な要素など、ほとんど入り込む余地はない。日本における自民党と公明党の関係だってそうだろう。戦略的連携だ。

    「同じシーア派同士だから手を結ぶ」という単純な結論付けや「かたやスンナ派、かたやシーア派だから対立する」という誘導のような予定調和的な言い草は、大昔の「社会主義国同士は連帯する同志なので戦争はしない」とか「メンドリが時を告げると天下は乱れる」という幻想とまったく同じだ。メディアはときにびっくりするほどズボラでテキトーなものである。

    フーシ派がサウジアラムコ石油施設を攻撃、火災発生 死傷者なし (REUTERS)

  • デジタル化が進むインド

    何かと至らない面は今でも多いけど、やたらと進んでいる部分は日本よりもはるかに前を疾走しているインド。日本でいうところの「マイナンバーカード」にあたる「アーダール・カード」は導入以降たいへんうまくいっており、農民や各種助成金等の受給者への給付は、そうした層の人々の銀行口座開設も平行してどんどん進めたため、昔のように行政の担当者が村落や集落に行って現金で配るということもなくなり効率化するとともに、そうした担当者によるピンハネもなくなるなど、高い成果が出ているようだ。

    今年は政府・行政関係のサービス等について、横断的かつ統一的な運用を導入するとのことで、個人に紐づいた各種申請・認可、入学、奨学金、運転等免許類、その他諸々が、ひとつのアカウント&パスワードで管理されるようになるとのこと。日本においては、政府への不信感が根強いため、包括的な管理をさせることを是としない風潮があるが、インドにおいては現場の役人等の不正等からくる不信感も強いのに、この違いはいったい何だろうか。

    Soon use a single sign-in to access plethora of government services, entitlements (THE TIMES OF INDIA)

  • エジプトはナイルの賜物。新首都はカイロとスエズの中間点。

    かつてどこの国でも大きな交易都市=大都会は水際に造られ、「都心」はその水際、そこから弧を描くように郊外へ広がるものであった。水運・そして生活用水の確保こそが都市の生命線であったがゆえのこと。これはインドに限らず世界中で同じだ。

    デリー、アーグラー、ラーホール、アーメダーバード、バトナー等々、いずれもこうした形で築かれた街であるし、かつては湖であった時代もあったとされる盆地内にあるカトマンズもこうした利に恵まれている。あるいは水運ではなく陸運のみで他の地域と繋がるジャイプルやボーパールにしても、大きな湖等による水資源あってこその市街地造営であった。

    とりわけ大航海時代を経て欧州列強がアジア等に築いた植民地の都市は、まず例外なく河港あるいは海港に面しており、その港に近い部分に港湾関連施設とともに行政に係る大きな建物が集まる官庁街を形成した。ムンバイしかり、コールカーター、チェンナイ、ヤンゴン、コロンボ等々、どの街も同様だ。

    そんな状況に変化を生んだのは鉄道、道路などの交通ネットワーク、遠隔地へも水資源を分配する水道の他、電気・ガス等のエネルギーの普及、通信網の整備等を含めた今に通じる基礎的なインフラの普及。これによって本来は水際にしか拡張しえなかった市街地がより周辺へと広がり、水が手に入らず利用できなかった土地でも人が住んで商工活動を行うことができるようになった。

    そんなわけで、ミャンマーのネーピードー、エジプトの新首都(名前は未定か?)などのように、かつては街を築くことすら無理だった場所に、よりによって巨大な首都を造るということが可能になったわけだ。

    そうは行っても平穏無事で成長が続く時代だけとは限らないので、立地・環境面からハードルの高い場所への首都移転というのはいかがなものなのだろうか。もちろんそういう場所が選択された背景には、解決しなくてはならない入り組んだ利権がなく、開発の青写真を描きやすいという前提があってのことなのだろう。今回はインドに係る話ではないのが恐縮ではあるのだが。

    エジプトの新首都建設、莫大な費用をまかなう「砂漠の錬金術」(asahi.com)

  • ウクライナの地名表記を改めるならば・・・

    ロシアによる侵攻をきっかけに、ウクライナの地名の日本語表記が変更された。今後は人名の表記にも適用されるのだろうか。こういうものは何かきっかけがあると突然変更されることがあるけど、何かきっかけがないとまったく変わらないもの。

    バングラデシュの地名表記なのだが、おそらく「東パキスタン時代」のウルドゥー語表記をカタカナ化したものをバングラデシュ成立(1971年、ずいぶん昔のことだ)以降も引き続き用いているようだ。

    たとえばローマ字でNARAYANGANJと表記して「ノロヨンゴンジ」、BARISALと表記して「ボリショル」と発音するのがバングラデシュだが、今も変わらず日本語での表記は「ナラヤンガンジ」「バリサル」となる。RAJSHAHIも語の意味からもウルドゥー/ヒンディー式にはラージシャーヒーと読みたくなるが「ラッシャヒ」になる。

    バングラデシュの地名表記がこんな調子なのは、ベンガル語を国語とする新生バングラデシュ成立後、日本語表記の見直しがなされなかったからだろう。苦労してパキスタンから分離独立した際、日本でも大きく報道されていたはずだが「バングラデシュの人たちに連帯感を示して、新生国家の地名はパキスタンのウルドゥー語風の読み方から改めて、ベンガル語風の読み方に変更する」という具合にはならなかったのは、当時の日本の関心は地理的にもっと近いベトナムやインドシナ情勢にあり、バングラデシュはその蚊帳の外だったためかもしれない。

    このように、日本語での表記は現地での発音に近いものとするという前提はあるものの、周辺地域との歴史的な関係や文化的背景などから、もともとそうなっていない地域はけっこうあるのかもしれない。ウクライナの地名がロシア読みに倣ったものとなっていた理由は、ロシアを中心とする旧ソヴィエト連邦時代に日本で定めた表記が引き続き使われていたからに他ならないだろう。

    【ウクライナの地名変更リスト】チェルノブイリはチョルノービリ。オデッサはオデーサに (HUFFPOST)