
パハールガンジからパーンチクアーン・マールグを渡った反対側にムスリムの居住地域があるが、ちょっと由緒ありそうなダルワーザーとムガル風の城壁がある。ボロボロではあるが何か謂れのあるものなのかもしれない。
こちらはパハールガンジの商店が並ぶところから奥の住宅へと続く通路。なんの変哲もない庶民の生活空間であるのにもかかわらず、こんなアーチがかかっているのもうれしい。

コロナ明けで久しぶりに訪れるデリー。この街に身を置いているだけでもうれしくて仕方なくなる。


パハールガンジからパーンチクアーン・マールグを渡った反対側にムスリムの居住地域があるが、ちょっと由緒ありそうなダルワーザーとムガル風の城壁がある。ボロボロではあるが何か謂れのあるものなのかもしれない。
こちらはパハールガンジの商店が並ぶところから奥の住宅へと続く通路。なんの変哲もない庶民の生活空間であるのにもかかわらず、こんなアーチがかかっているのもうれしい。

コロナ明けで久しぶりに訪れるデリー。この街に身を置いているだけでもうれしくて仕方なくなる。

デリーの常宿の隣に新しい宿ができている。現行の料金は前者も後者も1600Rs。前者の部屋はもうくたびれているのに対して、後者は新しくてきれいな分、かなりお得な感じ。部屋を見せてもらったが肝心の写真を撮るのを失念していた。フロントやスタッフの印象はすこぶる良かった。

しかし定宿のスタッフとは長年の顔なじみで気楽であるのと、どんな時間帯に到着しても星クラスのホテル並みにちゃんとした対応をしてくれるので信頼感がある。
この料金帯だと深夜以降はスタッフが床で寝ていて、ドアを叩いて大声で呼ぶとようやく起きるとか、それでも眠りにしがみついたまま、なかなか起きないといったことがよくある。
開業してからまだ1年の後者は今後どうなるか不明の部分がある。オープン時にお得感があるうちは流行っても、それにかまけてメンテをしないと、みるみるうちに劣化して、結局は周囲の同クラスの宿と同じになるという「標準化現象」が起きるものであるからだ。
そのプロセスの中で、スタッフも接客も他の宿と同等になり、お得感のないどっこいどっこいのところに落ち着くというケースが大半だ。
そのあたりの罠「標準化の罠」に陥ることなく精進を続けた宿が、ロンプラのガイドブックあたりで「Our Pick」として紹介されて、なかなか予約の出来ない人気宿になったりする。
さて、この新顔ホテルの「DE CRUISE」は、どのような道を歩むことになるのだろうか。



デリーの常宿の隣にこういう店が新規開業。営業時間は正午から午前1時までとのこと。ここは使えそうだ。ノンヴエジというのも良い。
私が訪問した際には開店したばかり。新築できれいだし・・・と思った。
出てきた「シークケバーブ」はボッロボロ、メニューにある「ルーマーリー・ローティー」に期待したら、薄焼きのタワ・ローティー。
こりゃあ前途多難・・・
働いている若者たちはとても感じが良いので、これから上達していくことに期待したい。





人間に限ったことではなく、犬の世界においても貧困層にも肥満の問題が生じているケースがあるように思われる。都会の商業地域の野犬である。明らかに太りすぎで、パッと見た感じ「小さな牛が寝ている」のかと思ったほどだ。太っているだけではなく、骨組みも大きい。こういう「片親は大型犬」みたいな野良犬も都市部では見かけるようになっている気がする。



野良犬だってフカッとした場所は好きだけど、普段は埃っぽい路上に寝そべるしかない。雨の日にはどこかの軒先で濡れながらしのぐしかない。
ときにはこんなところでゆったり眠りたいのはわかる。
ぞれでも、運転手が戻る前に退散しないと、ぶっ飛ばされるに違いないぞ、野良犬くん。


小さくて簡素なモスクでも味わいのあるエントランスを持つものがある。中も清潔で整頓してあるし、ここを切り盛りする人たちのこの礼拝の場を大切にする思いが伝わってくるようだ。何ひとつ高価な建材や装飾は用いられていないにもかかわらず、凛とした気品が感じられる。
こうした場所を管理運営する人たち、そこでの礼拝に出入りする人たちの気位の高さ、品の良さといったものが、こういうところにも表れるのだろうか。
清楚なたたずまいの礼拝所に出入りする人たちは、概して感じの良い人たちが多いものである。

昔デリーで下宿していたお宅にご挨拶。その近所にあるこの木の裏手にあったタバコ屋によく買いに来ていた(私は5年くらい前からタバコはやめた)が、この木のたもとには、当時はごく小さな祠があった。その脇では、路上で商うカギの修理屋がいたように記憶している。
その後もたびたびこのお宅を訪問していたが、祠が少し大きくなったり、コンクリートの基壇が出来たりという具合に変遷を続けて、今や小さなお寺にまで発展した。ずいぶん大きくなったものである。大きく成長した子供を目の当たりにするような思いがする。

まさかこうなるとは想像すらしていなかったし、下宿していた当時は、スマホのような手軽なものなかったため撮影していない。その後幾度となく再訪する際にも特に気に留めていなかったのだが、「定点測定」みたいに記録を残しておいてもよかったな、と思う。
この「PEEPAL WALE HANUMAN JI」(ピーパルの木=インド菩提樹のハヌマーン様)寺だが、もしかすると、今後さらなる発展もあるかもしれないので、これからは注意して見ていくつもりだ。





デリーメトロのヴィダーンサバー駅近くにあるアンベードカル・メモリアルを見学。インドの初代法務大臣で、ダリット(不可触民)出身のアンベードカル・博士にフォーカスした博物館だ。
BJP政権下ではダリット(不可触民)と先住民の地位向上に力を入れている。そういう意味でBJPのサフラン右翼は復古主義とは大きく異なる。大昔のヒンドゥー的な価値観とは違い、ヒンドゥー世界の全方位を包括する新しいものだ。そこにはカーストによる観念的な上下はないし、伝統的な被差別カーストへの蔑視もないリベラルなものだ。

僧院をイメージした建物といい、斬新なイメージの展示といい、この新しい博物館自体に大変力のこもったものを感じる。
しかしながら外来の宗教、イスラームとキリスト教に関係するコミュニティーに対しては、なぜとても冷淡かつ偏狭なのだろうか、とも思う。




今年4月に開館した首相博物館に行ってみた。旧館と新館があり、旧館は既視感があったので思い起こしてみると、確か以前はNehru Memorial Museum and Libraryであったところだ。
そこに新館を作って歴代の首相の功績を賛えるというもの。当然、時代が下ってからのBJPからの首相の扱いが大きく、さもありなんという感じ。


在任期間の長かったネルーについては独立前の活動から写真やパネル等で紹介されているが、予期していなかった中印紛争、起用した外務大臣の無策ぶり、領土を削り取られたままであることなどから、社会主義政策の推進とともに「晩節を汚した」感じで彼の展示は終わる。
首相ではないのに、サルダール”・ワッラブバーイー・パテールの展示が多かった。内務大臣として国内の統一(インドへの帰属を良しとしない旧藩王国に毅然たる態度で対処した。独立国としての道を探り、インド政府からの要求に対して国連に介入を求めた旧ハイデラバード藩王国に軍と警察を送り、戦わずして屈服させた話は有名。
この人がなぜか含まれるのは、ネルーだけではとうていなし得なかった独立後インドの統一を果たした剛腕政治家であったとともに、BJPのお気に入りの政治家であるため、その意向が働いたのだろう。グジャラート州のナルマダー県には、「Statue of Unity」という名前で建てられた彼の巨大な像が2018年に完成している。世界で最も大きな立像であるとのことだ。
ネルー急死後のナンダー首相代行を経てのラール・バハードゥル・シャストリーは1年半くらいしかその職になかった(タシケント街ゆう中に突然死)割には、原爆開発を推進したため扱いが大きい。

再びナンダー代行を経てのインディラー・ガーンディーについては前半の社会主義政策のさらなる推進、非常事態宣言発令による民主主義政策、アッサムやパンジャーブ問題へのぎこちない対応と死といった負の面に焦点が当たった展示が特に目についた。
振動でブレブレだが、こちらも首相博物館での展示で「ポカランの原爆実験」画面にはラージャスターンのポカランでの実験映像が流れ、こちらの足元に原爆の振動がガタガタと来るというもの。体験している人たちは大喜びだが、複雑な気分。

第1次及び第2次インディラー内閣と第3次インディラー政権の間にあったモラルジー・デーサーイー、チャラン・スィンは非常事態宣言下で野党共闘でこれを跳ね返した快挙で、このときのジャナタ政権には、後にBJP政権で首相となるヴァジペイーが外務大臣として入閣していたためか、このふたつの政権合わせて3年間しかないのに、これまた扱いは大きい。
ラジーヴ・ガーンディー時代については、コンピュータ産業を推進した首相として紹介されていた
その後はV.P.スィン、チャンドラ・シェーカルといった短命左派政権の首相はほんの少しで、経済改革開放へと舵を切ったナラシマ・ラーオ首相関係で経済成長に関する展示がいろいろ。

時代が今と近くなってからは、会議派協力のもとでの左派短命政権や2期に渡るマンモーハン・スィン政権もあったが、事実上「ガーンディー家の番頭さん」であり、会議派総裁のソーニアー氏が、外国出身であることからくる非難を避けるため首相就任を避けて彼を指名したことから、事実上の「首相代行」。
国会答弁その他の発言の場では、ソーニアー氏が常に影のように彼に寄り添い、常に耳打ちをしながら発言を進めさせていた。それはソーニアーが秘書的な立場にいたというのではなく、自分による発言を形式上は首相職にあるマンモーハン・スィンに喋らせていたことは周知の事実で、「表の首相と裏の首相」として一心同体というか、操り人形の首相であったことはよく知られている。
しかしそうであっても、マンモーハン・スィン政権の扱いがやけに軽いあたりにも、やはりBJPの意向が働いているよつにも思える。それと裏腹にヴァジペイー、モーディー首相の扱いがきらびやかになっているのだ。ヴァジペイー首相については、彼のメガネと公用車まで展示されていた。


この時期の経済改革開放政策を象徴する展示がいくつかあり、「STD」「ISD」のブースが復元されていた。ついこの間までこういうところから電話していた気がするのだが、もはや博物館で見るものになってしまった。

そもそも「首相博物館」というコンセプト自体が疑問ではある。日本もそうであるように総理大臣に米国大統領のそれのような大きな権限がフリーハンドで与えられているわけではない。これまでも連立政権時代、とりわけ短命に終わった左派政権については、連立でそれを支えた国民会議派を始めとする協力関係にある政党の意向が強く働き、迷走することが多かった。
そんなこんなでいろいろ思うところはあるが、やはりこの博物館の存在意義は、過去の歴史を踏まえた上での、現在のBJP政権に関する教宣活動という感じか。モヤモヤしたものを胸に抱えつつ、博物館を後にした。独立インドの初期の熱気とレガシーをノスタルジーの詰まった場所だったところが、今の政権与党の翼賛博物館に衣替えしてしまっている。BJP政権下の州で着々と実施されてきた地名改名同様に、歴史の書き換え作業の一環だろう。

前回に続いて今回もしばしタイの話題を。

6月に大麻が解禁となったタイだが、街を歩いているといろんなものが目に入ってくる。コンビニの飲料類の棚にもカナビス入りドリンクとやらがあるし、カフェでもカナビス入りの飲み物、コーヒー自販機にも大麻入り、クッキーその他のお菓子にも「カナビス入ってます」etc.のバブル状態。




ブームみたいだけど、あまりに多いので早晩淘汰されていくことだろう。
不眠症その他の治療を謳うクリニックも大麻の効能にフォーカスしたものがあり、こうした健康関係での需要も高いのか、これから創出していく方向なのか知らないが。



また、観葉植物?として、こんなかわいい感じの鉢植えも売られている。


観光客の多いエリアの路上では乾燥大麻の露店もちらほら。これらはおそらく解禁以前はアンダーグラウンドであった人たちが「地上に出てきた」感じなのかなぁと思ったりもする。


デリーでの話が続いていいたが、しばしタイの話題に。
ホテルから道はさんだ向こうに軽トラのドリアン売りが登場。こういうときに庭や屋外にオープンスペースがある宿は大いに助かる。

「銘菓」としたのは、私はこれは熟練したパティシエが創ったお菓子だと信じているからだ。卵やバターがふんだんに使われており、洋酒も薫るのが何よりの証拠。しかも食べたら少し酔って気持ちよくなる!ドリアン畑見たって信じるわけがない。これが果物であるというプロパガンダは!

きっと畑では、殻だけ育てて収穫、どこかに秘密のキッチンで中身をそっと仕込んでいるに違いない。黄色い果肉・・・いやムースの製法は創業家のみが知る門外不出の秘伝。たぶん彼らがこの世のすべてのドリアンを一手に握っているのだ。
ドリアン創業家には、製法の情報公開をお願いしたい。
いやーそれにしても美味しい!一個まるごとひとりで平らげて、ドリアンで腹パンの夢見心地。

昨日、国民会議派にダリットの政治家マッリカールジュン・カルゲーが選出された。
7月に行われた大統領選ではBJP推薦のダリットのドロウパディー・ムルムーが勝利を収めて就任したように、インド政界では国民の統合と斬新かつ公正な政治の象徴としてダリットが登用される例が増えているようだ。
もちろんそれらは投票(国民会議派総裁は党員による投票、インド大統領は国会議員及び地方議会議員による投票)を得て決まるものであるだけに、それらを支える広範囲な支持が必要であることは言うまでもない。
これまでもダリット出身の政治家はいた。独立直後の初代法務大臣、アンベードカル博士がそうであったように。だが、当時は彼のような優れた法曹家がたまたまダリットでもあったというような具合で、風当たりも強かったため、彼は仏教徒に改宗。以降、ダリットの人々の間では同様に仏教徒に改宗する人々が増えるなど社会の分断の象徴でもあった。ゆえに現在のそれとは大きく異なる。
また90年代以降はUP州でダリットを主な支持基盤とする大衆社会党が躍進し、政権を担うこともあった。女性党首でやはりダリットのマヤワティーのカリスマ的な指導力と人気もあったが、やはり社会から広範囲な支持を得ることはなく、その後は同じく後進階級ではあっても支持層が異なる(ヤーダヴを中心とするOBCsその他後進諸階級)の社会党との争いが続き、やがては同州にもこれらふたつの後進階級の支持を集める政党による支配をよしとしない人々によるBJPへの人気が高まり、現在はBJP政権下にあるなど、やはり社会全体から支持を集めるものではなく、既存の政治に対するアンチテーゼとしてのダリット指導者であり、ダリット政党でもあった。
実際、その大衆社会党政権下にあった当時のUP州では、あたかも一種の「文化大革命」でも起きたかのような混乱であったと聞く。州政府幹部の首が多くすげ替えられ、ダリット層の人々が何か事件の犠牲になると現地にすぐマヤワティーを始めとする政権幹部が急行し、現地警察を糾弾。警察幹部ですらいとも簡単に左遷あるいはクビになるなど、戦々恐々とした感じであったのだとか。またその他のUP政府の各組織内人事にも政権等はさかんに介入するなど、なかなか大変なことになっていたらしい。
そんなわけで、「台頭するダリット指導者」の多くは、既存政治に対する「抵抗勢力」であり、既存の体制の中でマジョリティーの中の一員として活躍するというケースはあまり例がなかった。
インドにおける「マジョリティー」内に深く浸透したBJPは、近年においては少数民族、辺境など遠隔地、そしてダリットを含めて、以前は浸透の度合いが非常に薄かった部分での支持拡大に努めており、その一環としてダリットの大統領を候補に立てたわけだが、党中央の意向どおりにその他広範な層がダリットへ候補への圧倒的な支持を集めるほど、「機は熟していた」とも言える。
国民会議派総裁選における候補者としてのマッリカールジュン・カルゲー選出(かなり直前になってからガーンディー家から直々の出馬要請があった。しかしその段になってインドメディアで「マッリカールジュン・カルゲーって誰?」という記事が出回るなど、彼自身の支持基盤外ではほとんど無名の人物であったと言える。
そんな彼が当選した背景には、他の出馬者で野心溢れる海千山千の強者ボスたちにとって、彼らの中の誰かが当選することにより、自分の立場が弱体化するとか、党内パワーバランスが崩れることを危惧しての手打ちがあったのかもしれないし、有力候補でありながらも敗北したシャシー・タルールが選挙の公正さに疑問を呈すなど、何かガーンディー家の意を受けての操作があった可能性も否定できない。
そんなバックグラウンドがありつつも、ダリットが出馬したこと、ダリットが当選したことに対するネガティヴな動きなどもなく、ダリット政治家がマジョリティーの中で当然のこととして活躍する土壌がとっくに出来上がっていることが見て取れるなど、ダリット政治家にとっての新しい時代が到来したと言える。
もちろんこうしたダリット政治家に期待される役割としては、出身コミュニティーや地域に拘泥しないニュートラルな指導者としての立場であり、ある意味、米国や英国で台頭し、首相や大統領といったポストすら射程距離に入っているインド系政治家たちが、労働運動や民族的蔑視を糾弾するような政党、組織から出るのではなく、保守系政党の一員として活躍しているのと似ている部分がある。
Meet Mallikarjun Kharge, The Dalit Leader Who Became Congress President In Historic Win (Outlook)