バスの中でも電車の中でもスマホの動画サイトで好きな音楽にアクセスして大きな音量で流すインド人。もちろん電話での会話も当たり前。こういう鷹揚さは見習いたいところだ。
日本のように、静まり返った車内で誰かが携帯電話で話をすると、全員の耳と視線が非難という形で向かうというのはまったく健康的ではない。
車内での音楽はともかく、ケータイでの通話については、多くの国々で多かれ少なかれの許容性があるではないかと思う。
バスの中でも電車の中でもスマホの動画サイトで好きな音楽にアクセスして大きな音量で流すインド人。もちろん電話での会話も当たり前。こういう鷹揚さは見習いたいところだ。
日本のように、静まり返った車内で誰かが携帯電話で話をすると、全員の耳と視線が非難という形で向かうというのはまったく健康的ではない。
車内での音楽はともかく、ケータイでの通話については、多くの国々で多かれ少なかれの許容性があるではないかと思う。




空港そばの宿を利用したが、広くてソファーも付いていた。寝るだけなので宿はなるべく安く済ませたいが、このロケーションだとこのあたりで横並びのようだ。
ちょうど駅前やメジャーなスポットでオート運転手たちがグルになって料金を吊り上げるのと似た構造・・・というか、同じようなホテルばかり並んでいるため、ちょうどバンコクのラートクラバーンのような謎の「そっくりな構造の宿が無数にある」のと似ている。空港周辺需要を見込んだデベロッパーが暗躍したのかもしれない。
まあ、それでも快適に滞在できれば構わない。

「インド在住のアフガニスタン人」というと、どのような人々を想像されるだろうか。少なくとも南デリーのラージパトナガルにおいては、アフガニスタン人ミドルクラスが多く、 「西洋人ではない白人」や「インド人みたいにも見えるが、あまり耳にしない美しい響きの言葉を話している人たち」がいたら、アフガニスタン人である可能性が高い。

この地域には、そうしたお客相手のアフガン料理屋がいくつもある。アップマーケットな店なので用意される料理は豪華なものが多い。そんな中にあるMazaarというレストランを訪れたのだが、一部のインド人客、アフリカ方面からと思われるムスリムの家族連れを除けば、ほぼアフガニスタン人客。大きなケバーブ類やプラオなどが次々に運ばれていた。ワンポーションが多いため、数人連れで来ると、より楽しめることだろう。座敷もあり、お客たちは敷いてあるカーペートの上で車座になって食べている。このレストランのメニューはこちらになる。チキンの煮物とご飯のセットもよかったがSheer Yakhというアフガン式のアイスクリームが飛び切り良かった。



働いているスタッフもアフガニスタン人の若者たちだ。国際色豊かなラージパトナガルの中でもひときわ異色な店のひとつだろう。界隈にはアフガニスタン人が経営する日用品屋、両替屋、旅行代理店等々いろいろあり、看板等がダリー語でも表記されている。仕事の関係でデリーとカーブルなどアフガニスタンの主要都市との往来もけっこうあるのだろう。




かつてはエアインディア及び複数のアフガニスタンの航空会社がデリー・カーブル間を直行していたのだが、ターリバーン政権復活以降は運休しているため、エアインディア等でドバイに飛び、そこからアフガニスタンのカーム航空でカーブルに入るというのが一般的であるようだ。

前回に続いて今回もしばしタイの話題を。

6月に大麻が解禁となったタイだが、街を歩いているといろんなものが目に入ってくる。コンビニの飲料類の棚にもカナビス入りドリンクとやらがあるし、カフェでもカナビス入りの飲み物、コーヒー自販機にも大麻入り、クッキーその他のお菓子にも「カナビス入ってます」etc.のバブル状態。




ブームみたいだけど、あまりに多いので早晩淘汰されていくことだろう。
不眠症その他の治療を謳うクリニックも大麻の効能にフォーカスしたものがあり、こうした健康関係での需要も高いのか、これから創出していく方向なのか知らないが。



また、観葉植物?として、こんなかわいい感じの鉢植えも売られている。


観光客の多いエリアの路上では乾燥大麻の露店もちらほら。これらはおそらく解禁以前はアンダーグラウンドであった人たちが「地上に出てきた」感じなのかなぁと思ったりもする。


デリーでの話が続いていいたが、しばしタイの話題に。
ホテルから道はさんだ向こうに軽トラのドリアン売りが登場。こういうときに庭や屋外にオープンスペースがある宿は大いに助かる。

「銘菓」としたのは、私はこれは熟練したパティシエが創ったお菓子だと信じているからだ。卵やバターがふんだんに使われており、洋酒も薫るのが何よりの証拠。しかも食べたら少し酔って気持ちよくなる!ドリアン畑見たって信じるわけがない。これが果物であるというプロパガンダは!

きっと畑では、殻だけ育てて収穫、どこかに秘密のキッチンで中身をそっと仕込んでいるに違いない。黄色い果肉・・・いやムースの製法は創業家のみが知る門外不出の秘伝。たぶん彼らがこの世のすべてのドリアンを一手に握っているのだ。
ドリアン創業家には、製法の情報公開をお願いしたい。
いやーそれにしても美味しい!一個まるごとひとりで平らげて、ドリアンで腹パンの夢見心地。


前々回、前回に続いてタイの話題となる。

夜の時間帯にスワンナプーム空港に到着した。空港の両替レートは悪いのは当然だが、具体的にどのくらい悪いのかはよく知らず、漠然と「損」と思っていた。
市内での両替でおそらく最もレートが良いと思われる両替所「スーパーリッチのラージダムリ店」における本日の店頭レート(店舗により微妙に違う)を表示してみる。

例えばここで「0.2575」との表示であれば、1万円が2,575バーツとなる。円安のためずいぶん下がっているが、こればかりはどうにもならない。
この日、空港の両替所はどこも統一されているのか、「0.23」、つまり1万円あたり275バーツ、つまり1,100円くらい損ということになる。
やはり空港レートはかなり悪い。
空港B2階にあるBTS駅入口の裏手には市中レートと遜色ない率で替える店が並んでいると聞いていたので立ち寄ってみる。翌日早朝バンコクを出て地方に行く予定だったので、少しまとめて替えておきたいものの、市内に到着する頃には宿泊先界隈では両替空いていないかもしれないという懸念があった。

ここでも先述の「スーパーリッチ」が出店しており、市内ラージダムリ店よりは低いが0.256だったので、短い滞在中の費用はここでまとめて替えておくことにした。たぶん市内であんまりレートよくない店とか、田舎で両替するとこんなもんだろう。
同じ空港内施設なのに、ここは空港ではなく鉄道駅構内なので、空港コントラバンドレートが適用されないということなのだろうと想像する。
ただし気を付ける必要があるのは、せっかくB2階まで降りてきても、BTS:チケット売場手前にある両替所に行ってしまうと、他の階と同じ「空港レート」になってしまうことだ。市中レートで交換できるのは、B2階でもBTS駅入口の裏側にある両替商エリアなのである。また、ひょっとするとこのエリアもいつしか「空港レートに統一」というようなこともあるかもしれないため、お金を渡す前に先述の「スーパーリッチのラージダムリ店」のレートを確認しておくことをお勧めする。

パキスタンのスィンド州カラーチー市南部にあるジンナー病院裏手に暮らしているというタミル系のおぱあさんへのウルドゥー語によるインダビュー動画。印パ分離前に父母がマドラス近くのアガラムという村から来たとのと。もともと農民の出身だそうだ。「アガラム」については、ググッてみると、チェンナイの西側に出てくる。今はチェンナイメトロの路線が近くを通っているため、チェンナイの郊外といった具合なのだろう。彼女自身はカラーチーで生まれたという。
彼女は自身のムルガン信仰について、そして現在はコロナで支障が出ているがと前置きしたうえでの祭事について、信仰と食生活の関係などを話している。このあたりにはタミル系の90家族が暮らしており、その他「裏手には25家族か30家族くらいいる」とのこと。クリフトン・ビーチとチンナー・クリークと呼ばれる入江の間に半島状に伸びた陸地にジンナー病院が立地しているため、おそらく「裏手」というのは入江の北側で大きな市街地になっている部分のことを言っているのだろう。
パキスタンに暮らしていて特に困ることなどないという。決まったコミュニティ内で見知った人たちとの間で暮らしていること、インドでの居住経験はない(幼い頃に両親とともにアガラム村を訪問したことはあるとのこと)ため、比較のしようはないはずとはいえ、どこの世間でもそんなものだろう。タミル人だから、ヒンドゥーだから、ここではああ不便!などということはあまりないはず。とりとめのない雑談ではあるものの、こうしてよく喋る人はインド・パキスタンには多い。
インタビューの最後に出てくるヒンドゥーの男性は、おばあさんのいつもの参拝先繋がりの人で、息子さんの友人でもあるそうだが、この人もタミル系なのかどうかは言及されておらず、なぜここに出ているのかよくわからないが、たぶん「俺も写して」とかなんとかでしゃしゃり出て来たのだろう。インド・パキスタンではこういう人はよくいる。
第二次ターリバーン政権樹立後、2010年にスタートしたアフガニスタンのフットボールのトップリーグ「アフガン・プレミア・リーグ」はどうなったのかと思っていたが、やはり同政権誕生以降は実施されていないらしい。そこでプレーしていた選手たちはインドやキルギスなどのクラブに移って活動しているとのこと。
この「プレミア・リーグ」では、選手たちへの報酬は出来高の日払いという、ちょっとビックリなもので、観客席はちょうど競馬場のような感じだったらしい。大半は賭けが目的で来ていたらしい。そんな具合なので、おそらくだが、「マッチ・フィックシング」も横行していたものと想像される。
まぁ、それでもスポーツに人々が熱狂できるのは平和と安定あってこそのもの。ターリバーン政権下で経済的には大変でも、とりあえずの平和と安定はあるのかもしれないが、音楽などともにスポーツのような娯楽を認めないため、世界的なスポーツなのに、その国のトップリーグが消滅(ということはその下のリーグもだろう)という事態。「あれ?でも今でもアフガニスタン代表って活動しているよね?」と思われるかもしれないが、みんな国外在住選手たちとのこと。
No Football, No Life。ここには人生なんてものは、もうないのだなぁと感じる。
80年代末から90年代にかけての弾圧の時代にもスーチーが投獄されることはなかったと記憶している。
彼女の父親、暗殺されたアウンサン将軍の同僚であったり、部下であったりした世代の人たちが軍幹部だった頃なので、アウンサンへの敬意や恩義、幼い頃からよく知っていたアウンサンスーチーを可愛がっていたなど親近感などもあったのかもしれない。また彼女の母親は駐インド大使などを務めていたこともあり、もともと政府幹部に近い距離にあったことも背景にあったのではないかとも想像する。
もちろんその頃、ビルマのお札にはすべてアウンサン将軍の肖像が描かれるなど、国民的な英雄であり、その愛娘であった彼女への扱いは慎重であったのは当然のことでもあったのだろう。
1988年8月8日に同国の国民が一斉に政府に民主化を求める抗議活動に立ち上がったとき、英国で結婚生活を送っていたアウンサンスーチーが体調の悪い老いた母親の介護のため帰国していたまさにそのとき、1988年8月8日にビルマの国民たちが政府に民主化を求める抗議活動のため、一斉に立ち上がったことを受け、同国の独立の父であるアウンサン将軍に関する研究生活(父親のことを学術的に研究するという人も稀だが)を送ったことがある彼女にとって、父の遺志を継ぐことは当然の義務であったのかもしれない。
その行動は1990年の総選挙という形で結実したわけだが、アウンサンスーチー率いるNLDは大勝したにもかかわらず、当時の軍政は政権を明け渡さないどころか、NLD幹部を次々に拘束し、アウンサンスーチーはインレー湖近くの自宅に軟禁されることとなった。
そんな最中に高名なチベット学者でもあった英国人の夫が重病で余命いくばくとなり、軍政は彼女にしきりに帰国を勧めていたが、無理矢理連行して国外追放するような手荒な真似はしていない。もちろんひとたび故郷を後にすると、二度と戻ってくることができないことを知っていた彼女は耳を貸さなかった。
民主化活動家やジャーナリストたちはいとも簡単に殺害されたり蒸発したりしているのに、アウンサンスーチーだけは、まるで目に見えない強力なシールドで守られていて、悪人たちは決して指一本触れることすら出来ないようで、常々不思議に思っていたのは私だけではないだろう。
民主化運動後、お札からはアウンサン将軍の肖像は消え、政権の意向もあり国のアイコンとしてのアウンサン将軍の描写は次第にフェードアウトしていくことになったようだが、今はすでに彼女自身が父親を超えるスケールのアイコンとなった。
そんなアウンサンスーチーを投獄した今の軍政幹部たちだが、もはや世代交代を重ねて、アウンサン将軍のことは書物で読んだり話に聞いたりして知っていても、本人と直接の面識のある人はいない。今回彼女を刑務所に送るということの背景には、彼女やその父親へのそういう距離感もあるのかもしれない。親子と個人的な付き合いはなく、アウンサン将軍への絶対的な敬意というものも、民主化運動開始以後の軍政による、英雄アウンサン将軍のレガシーに距離を置いたことなどから、軍政側には彼女に対する一定の敬意のようなものはすでに無いのだろうか。
アウンサンスーチーはすでに77歳。ただでさえ残された時間はとても短いのに、現在までのところ11年の禁固刑が確定しており、これまで起訴されている件ですべて有罪ということになれば、刑期は150年を超える可能性がある、とリンク先記事は指摘している。

ジョージアに滞在中の方のFB上で幾度もタンドゥールやそれで焼かれたパンの類の写真を見かけた。ググッてみると、やはりジョージアでは伝統的にこうした窯の利用が多いらしい。なんとなく欧州文化圏のような気がしていたが、同時に中央アジアとも接している地域でもある。文化圏を信仰面のみで区別することはナンセンスだということを感じる。
生活文化に信仰が与える影響には、食のタブーであったり、祝祭等の内容やサイクルであったり、通過儀礼等々があったりするが、信仰を同じくする国々などへの心理的距離の近さ、それとは裏返しに信仰が異なる場合の距離感の遠さなどいろいろあるかもしれないが、それ以外の自然環境であったり、それぞれの信仰が浸透する前から地域で引き継がれている伝統であったり、信仰や人種を超えて地域で共有してきた文化や習慣といったものの深みは当然あるはず。
タンドゥールが伝播した北限がどこなのかは知らないが、ジョージアのような「タンドゥール文化圏」の北周縁部の人たちが、その文化圏の南端とも言えるインドのパンジャーブ地方を訪れたならば、自分たちのものとは少し異なるけれども似たような用途で用いられるその土窯を見て、多少のエキゾ感はあっても、懐かしい思いにかられるのではないかと思う。その意味では正教徒である彼らが自国の食文化の延長線上にあるものをペーシャーワルであったり、オールドデリーであったりといったイスラーム教徒の料理屋の店先で目にすることになる。
同時にタンドゥール文化圏外、例えばタミルナードゥ州の人たちがジョージアを訪問することがあったら、自分が暮らすバンガロールやマイソールなりの街で見かけるムグライやパンジャーブ料理店などで目にするタンドゥールと同じようなものがあり、ジョージアでもイスラーム文化圏起源であると思われるタイプのパンが焼かれているのを見て、母国インドが中央アジアを経て、このジョージアにまで食文化でゆるく繋がっている部分があることを感じ、主に米食の自分たちにとってアウェイ感のある北西インドのイスラーム系料理に対して、ますますの距離間を感じてしまうなどということもあるのかもしれない。
人間が政治的な意図で引いた国境、民族や宗教を背景にする文化圏、急峻な山岳その他厳しい地形等条件などによる地理的な障害など、世界を区分するボーダーというものは重層的に存在しているが、その中にはこうした食文化の繋がりないしは断絶をベースにした食をベースにしたボーダーラインのようなものも存在する。もちろんその境界とは目に見えてきっぱりと区分されているわけではなく、ゆるく重なり合っていたり、融合しあっていたりするものだ。
それだけではない。ときにはスペイン系の食文化が大きく飛んでラテンアメリカにも広がっていたり、中国起源の麺料理の影響がイタリアに飛んでいたり、その他の中華料理の手法なども東南アジアで華人移民たちを通じて伝播していたりなど、いきなり飛び地が存在していることもあるなど、食文化というものは文化、民族や地域を越えて縦横にクロスオーバーすることもある非常にダイナミックなものである。


ナガランド出身でムンバイで活動するモデル、アンドレア・ケヴィチュサー。15歳の頃から時折モデルの仕事などもしていたとのことだが、メガーラヤ州都シローンで高校を卒業した2019年、ムンバイに拠点を移して本格的にモデルの仕事に従事するようになった。そしてこのほど封切となった作品「ANEK」で映画デビューを果たした21歳。
私たちと同じモンゴロイドでボリウッド映画に出演する人は皆無ではないものの、ハードルの高い世界。今後も役柄に恵まれて活躍する場を持てるとよいと思う。北東部出身の人たちへの差別感情の解消にも繋がることを期待したい。
こちらは映画デビューに際しての本人、アンドレア・ケヴィチュサーさんへのインタビュー動画。日本でJRに乗っていたら誰も「インド人」とは思うはずもない「和風顔」である。
NAGALAND MODEL ANDREA KEVICHUSA’S FEATURE MOVIE ‘ANEK’ RECEIVES POSITIVE RESPONSE (Youtube)


インドのニュースプログラムAAJTAKにおける討論番組。普段はインド国内の政局や隣国等との国際関係などを巡る議論が国内各界や関係者等を招いて行われる。近年はコロナ禍もあり、出演者をスタジオに集めてではなく、オンラインでの開催となっている。
そうなってくると、ヒンディー語プログラムなので出演者はヒンディー語話者のみという縛りはあっても、もはや国境はあってないようなものなので、トピックによっては、ときにはインド国外からの参加者もあった。ウクライナ情勢を巡ってはアメリカの国務省のインド系職員の参加もあったりした。この日は混迷するパキスタン政局を巡っての議論で、パキスタンの現在の与党、パキスタン正義運動や野党のムスリムリーグなどの関係者を招聘しての開催だった。
同時に複数の者が大声で発言を続け、司会者が割って入ってもなかなか収まらないことかしばしばあるのはインドもパキスタンも同じだが、途中、パキスタンの退役軍人でもある軍事専門家が、あまりに横柄な態度で司会者や他のパキスタンからの出演者に悪態をつくため、しびれを切らした司会者が厳しい言葉で退席を命じられ、この人物が画面から姿が消えるという、普段はまず見られないシーンまであったが、そこまでヒートアップするほど盛況であったとも言える。
インドの討論番組で、インド人キャスターの司会のもと、パキスタンの人たち、つまり当局の関係者、軍事専門家、ジャーナリスト等々が議論を交わす。インド側のお膳立てで、パキスタン人関係者たちの喧々諤々の討論がインドのニュース番組上で進行し、それをインド人聴衆が観るというような企画をいつも簡単に実現できるようになった。ある意味、歴史的な出来事といっても良い。
こうしたものは初めての試みというわけではなく、昨年夏にはターリバーンの手中に陥落したアフガニスタンに関して、インド及びパキスタン双方の与党関係者、外交や軍事の識者等を交えての討論会がこのAAJTAKで実施されていた。
それはともかく、従前は隣国からのニュースをそのまま流用するか、あるいはインド側のジャーナリストや識者が論評する内容を伝えるのがパキスタンに関する報道のありかたてあったが、このような形での取り上げ方はとても新鮮だ。まさにコロナ禍のポジティブな面がこれで、たぶん数年程度ではなし得なかったことが、一気に進んだ感じだ。それを私のような第三国の野次馬が見物できるのだから、これまたありがたい。
蛇足ながら、デーヴァナーガリー文字で書かれるヒンディー語とペルシャ文字で書かれるウルドゥー語は、まったく別の言葉だと思っている人もいるようだが、このようにヒンディー語のプログラムにウルドゥー語話者が母語で出演して、ヒンディー語による司会のもとで、ごく当たり前に討論を展開し、それをヒンディー語話者である視聴者がこれまた当たり前に聴くことが出来るというのが、ヒンディー語とウルドゥー語の関係性でもある。