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投稿者: ogata

  • たかが名前、されど名前

    大統領官邸からインド門を結ぶ大きな通り「RAJPATH(統治の道)」。界隈には中央官庁が集まっており、まさにインド統治の中心地。この「PATH」は英語の「PATH(パス)※小道、通路」ではなく、サンスクリット起源の「PATH(パト)※道、道路」なので、のどかな散歩道ではなく、権力者が進む「覇者の大道」のイメージ。

    英領時代は現在の大統領官邸はインド総督の官邸で、この通りは「KINGSWAY(王の道)」と呼ばれていたものが独立後に改称された。そんな経緯のある「RAJPATH(統治の道)」が「KARTAVYA PATH(任務の道)」に改められるとのニュース。

    「王の道」から「統治の道」そして「任務の道」へと変遷。前者ふたつは、お偉いさんがふんぞり返っているような響きがあったが、最新の名前は生真面目なお役人がしっかりとお勤めしているような姿が目に浮かぶ。まさに「物は言いよう」だが、都市名、道路名、施設名の変更が多いインド。

    そこにかかる手間や費用もあるのだろうけど、正式名称が変わったところで通称される名前はそのまんまだったりするので、ややこしいだけのような気もする。

    それはそうと、デリーが神話の「インドラプラスタ」に改名されるのはいつだろうか。サフラン右翼周辺部から、ときどき観測気球でも上げるかのように、「☓☓の☓☓氏が改名を提言」みたいな小さな記事がメディアに掲載されるが、今のところは大物感のある人物からの提起はないようだ。さすがに首都名ともなると、ハードル高く、息長く準備を進めているのか、いないのか。準備していないことを願いたい。まぁ、個人的には名前はいじらずにおいて欲しいのだが。これはインドの政府が決めること。

    話は飛ぶが、サフラン右翼の人たちの認識では、インド最後の王朝ムガル帝国はインド人たちの歴史ではなく、イギリスの前にインドを征服した侵略者たちの歴史。それ以前のイスラーム王朝も同様。「インドの歴史」として私たちが読むものとは、この部分が大きく異なる。つまり彼らにとって、それは「インドで起きた歴史」であっても「自分たちインド人の歴史」ではない。

    そんなわけで、名前を神話時代の「インドラプラスタ」への変更を本気で提起するとき、「デリーを我々インド人の手に取り戻した」というような主張となるのは目に見えている。

    たかが名前とはいえ、やっぱり名前は大事。そんな日が決して来ませんように・・・。

    Rajpath all set to be renamed Kartavya Path (The Indian EXPRESS)

  • ザファル・メヘルへ

    ザファル・メヘルへ

    久々にやってきたデリーでどこに行こうかとしばらく迷ったが、ムガル末期の夏の離宮、そしてムガル朝終焉の地、ザファル・メヘルを訪問することにした。デリーにあるムガル建築の中で、個人的に気に入っているのがここだ。南デリーのメヘローリーにある。

    往年の栄華からは比べようもない簡素な離宮。最後の皇帝ザファルは夏の時期をここで過ごすのが好きだったという。周囲がごちゃごちゃと建て込んでいる現在の様子とは異なり、当時はうっそうとした茂みが大地を包んでいたのだろう。小ぶりながらも漆喰で白くきれいに整えられた宮殿で、詩人として、文化人としても知られた皇帝はどんな夏を過ごしていたのだろうか。

    またここは1857年に発生した「インド大反乱」がイギリス当局により抑え込まれた後、ザファル、王子、王女とわずかな側近たちが護衛とともに逃れた先。戦乱で荒廃しきった大地で、皇帝一行は離宮への道すがらグルジャル(というコミュニティー)の盗賊に襲撃されて、ラールキラーから持ち出した金や財宝を略奪されるなど、散々な道中であったと伝えられている。

    だがそこへの潜伏も、イギリス当局の知るところとなり、駆けつけた軍勢により、皇帝一行は逮捕され、まだ幼少の王子2人を除いた男性の王族たちは殺害される。老齢のザファル自身は后のズィーナト・メヘル、ふたりの幼い王子とともにラングーンに島流し。ムガル朝終焉の地は、まさにこのザファル・メヘルであったことになる。

    こちらはザファル・メヘル内の帝国末期の皇帝や嫡子たちの墓。全盛期には妃のためにタージメヘルのような壮麗な建築を残したムガル朝も末期はこんな風にまとめて埋葬された。雑草が茂るのはザファルが埋葬される予定だった部分。英国当局によりラングーンに島流しとなり没したのでデリーには埋葬されていない。

     

  • インド国産空母の就役と新たな海軍旗

    インド国産空母の就役と新たな海軍旗

    昨日、インド海軍航空母艦「INS ヴィクラーント」2代目が就役。インド初の国産空母である。式典にはモーディー首相も出席し、新たなインド海軍旗が発表された。1950年以来長年使用されてきたセント・ジョージズ・クロス、つまり白地に赤十字のイングランド国旗でもおなじみのあの柄の右上にインド国旗をあしらったデザインの使用が終わり、十字を外して左下にマラーター王国のシヴァージーの紋章に獅子柱頭と海軍スローガンとあしらったものであり、インド海軍の新時代の幕開けを演出している。

    これまでの海軍旗

     

    一新された海軍旗
  • ようやく久々のインドへ

    ようやく久々のインドへ

    好調となっている国内線とは裏腹に今も減便が続く国際線。成田空港の国際線ターミナルは今も閑散とした状態。空港内の店などもひところよりは営業しているところが増えたとはいえ、まだまだ「コロナ禍」といった風情だ。

    これまた久しぶりのエアインディアにちょこっと搭乗してみただけで、「今年2月に民営化して以降、こうなっている」などと、おこがましいことを言うつもりはない。それでも大変気になったことがいくつかある。

    ・年配で貫禄あるパイロットはどこへ行ったのか?

    ・くたびれた感じの客室乗務員のオジサンはどうしたのか?

    ・声が大きくて押し出しの強い客室乗務員のおばちゃんはどうしているのか?

    たまたま東京・デリー便だけ、フレッシュなスタッフが揃ったというのならばよいのたが、これまで労組が強くて、職員たちが長く勤めやすかったため、民間航空会社のフライトのパイロットやアテンダントの「親世代」みたいな人たちがモソモソと働いていたことを思うと、まるで別のフライトであるかのようだった。

    ゲートに集合するパイロットはまだ若くて精悍な感じの人たちだったし、客室乗務員は男性はイケメンマッチョ、女性は美形のモデルさんみたいで、映画やドラマにそのまんま出演できそうな感じ。応対もとても丁寧。こういう人たちは新たに採用されたのか、それとも同じTATA経営のVISTARAからの横滑りなのか?

    ひさびさのエアインディア搭乗ということで、経験豊富な中高年だらけで一種の「安心感」みたいな雰囲気を当然のごとく期待していたが、少なくとも私が利用した東京・デリー往復便は、ごく当たり前の民間航空のフライトであった。

    しかも出発が30分遅れたのはいいとして、到着は定刻よりも1時間半早まったので、てっきりデリーではなく、どこか別の空港に不時着するのか?とすら思ったくらいだ。東京・デリーの移動がこんなに速かったのは初めて。

    これはコロナ禍による減便のため、成田のサテライトを出てから滑走路までが驚くほどすぐだったり、到着するデリーでも着陸待ちで旋回させられることがあまりない?ためかもしれない。そんなこんなで、あれやこれやと回想しているうちに、アッという間にデリーに着いてしまった。

    デリーに到着

    ごく当たり前であるがごとく、コロナ前同様に混雑している空港からはプリペイドタクシーで市内へ。車窓から見える風景はまるで2019年のコロナ前の眺め。誰もマスクしている人は見当たらない。まるでコロナなんて無かったかのようだ。一時はロックダウンが実施されたり、デルタ株が流行した時期にはおびただしい死者が出たりと大変だったはずなのに。立ち直りの早さはインドらしいところだ。

    パハールガンジにあるいつもの宿に着いた想像していたよりも西洋人客がいるし、界隈にもそうした姿がある。家族連れもある。しかし誰もほぼマスクはしていない。日本以外の多くの国々ではそういうところが多いだろう。ぜひ見習いたいものだ。

    とりあえずAirtelのSIM購入。有効期間1ヶ月のプリペイドだが、利用期間の更新も可能。ネットは毎日1.5GB使えるとのこと。つまりひと月で45GBも利用できる。しかも国内電話は無料。

    コロナ前以来のインドに来てとても興奮するが、パッと見た感じは以前と特に変わった様子もないので、まるでコロナ前にタイムマシーンでやってきたかのような気さえしてくる。

  • 現在のインドへの渡航について

    すでに昨年10月から団体旅行への観光ヴィザ発給が再開し、翌月11月からは個人旅行者に対しても同様に再開した後、順調に観光客受け入れが拡大しているインド。

    2020年3月に、それまで発行された各種ヴィザが効力停止となるという前代未聞の出来事があったが、その際には有効期間が5年と長いe-visa(観光)も無効化されている。

    こちらについては今年3月に再度有効化されたというインドのイミグレーションによる発表もあったが、インドでは何があるかわからないし、担当官の胸三寸でいろいろ起こりえるため、再度取得しておくのがベターに思える。もちろん現在ではe-visaもコロナ前同様に5年間有効なものが発行されている。申請方法については、こちらによくまとめてあるので参考にされてはいかがだろうか。リュウサイさんという方による「インドいかへん?」というブログ内にある。

    また8月7日までは、日本からの渡航の場合は他の多くの国々からの場合と異なり、出発前72時間以内の陰性証明書の提出が求められていた。これについてもこちらのように、医療機関ではない検査専門機関による証明書を公費の補助を利用してごく安い費用(1,000円強程度)で取得する方法がネットで共有されていた。医療機関でこれを取得する場合、下手すると2万数千円にもなることがあるため、大変貴重な情報であった。陰性証明書については、もはや求めている国はごくわずかになったとはいえ、日本のように様式まで特定している国もあれば、おおらかな国もあるなど、スタンスは様々なので、いわゆる「格安PCR」業者の証明書が受容されるのかどうかは、誰かに聞かないとわからないだけに、こうした情報を提供してくれる筆者の さんのような存在はありがたい。

    だが8月8日以降は日本からの渡航の場合も陰性証明書は求められなくなり、他国からの渡航の場合と同様に、インドにおける事前検疫登録システム「Air Suvidha」に事前申請するだけでよくなった。これとて陰性証明書は不要となってもワクチン接種証明書はアップロードする必要があったが、現在はすでに求められてはいないらしい。ただし公式にはワクチン接種証明書の提示が求められることになっているため、証明書または電子証明書は持参することとしたい。

    そんな具合で、現在のインド渡航に係る手続き等については、「Air Suvidha」への登録を除けばコロナ前と同じになっている。

    問題は日本に帰国する際に必要となる陰性証明書だが、こちらについても9月7日以降はワクチン接種3回済んでいることの証明書を所持していることを条件として不要となる。これにより、コロナ前とほぼ同様になると言ってよいだろう。

    臨時便しか飛んでいなかった頃には、郵便すらインド宛のエアメールが利用できなくなり、「船便あるいはサーフェスメールのみ」という時期もあるなど、一時期は「月と同じくらい遠くなった」と思えたインドが、再び身近なものとなってきた。

    出張や赴任等で費用会社持ちの場合は気にすることはないのだろうが、個人が自費で旅行に出かける場合には、残るハードルは今も続く減便に加えて、原油価格高騰に伴う燃油サーチャージがあまりに高くなったことによる航空券代金ということになるだろうか。コロナ以前には繁忙期でも中国東方航空などで中国の街を経由すれば、他キャリアよりも比較的予約しやすく、しかも安く日本・インド間を往復できたものだし、日本・タイ間を毎日何便も飛んでいたLCCのフライトでバンコクまで飛び、そこからカルカッタまで他のLCCの往復を利用することもできたのだが、現在はその限りではない。

    今後、原油価格が落ち着いていくことを願うのはもちろんのことだが、各国間の往来の需要がコロナ前の水準にまで高まり、各社のフライトの頻度が高まるとともに、各路線にLCCを含めた多数の新規参入が続くというような状況になることに期待しよう。

  • カラーチーのタミル人コミュニティ

    カラーチーのタミル人コミュニティ

    パキスタンのスィンド州カラーチー市南部にあるジンナー病院裏手に暮らしているというタミル系のおぱあさんへのウルドゥー語によるインダビュー動画。印パ分離前に父母がマドラス近くのアガラムという村から来たとのと。もともと農民の出身だそうだ。「アガラム」については、ググッてみると、チェンナイの西側に出てくる。今はチェンナイメトロの路線が近くを通っているため、チェンナイの郊外といった具合なのだろう。彼女自身はカラーチーで生まれたという。

    彼女は自身のムルガン信仰について、そして現在はコロナで支障が出ているがと前置きしたうえでの祭事について、信仰と食生活の関係などを話している。このあたりにはタミル系の90家族が暮らしており、その他「裏手には25家族か30家族くらいいる」とのこと。クリフトン・ビーチとチンナー・クリークと呼ばれる入江の間に半島状に伸びた陸地にジンナー病院が立地しているため、おそらく「裏手」というのは入江の北側で大きな市街地になっている部分のことを言っているのだろう。

    パキスタンに暮らしていて特に困ることなどないという。決まったコミュニティ内で見知った人たちとの間で暮らしていること、インドでの居住経験はない(幼い頃に両親とともにアガラム村を訪問したことはあるとのこと)ため、比較のしようはないはずとはいえ、どこの世間でもそんなものだろう。タミル人だから、ヒンドゥーだから、ここではああ不便!などということはあまりないはず。とりとめのない雑談ではあるものの、こうしてよく喋る人はインド・パキスタンには多い。

    インタビューの最後に出てくるヒンドゥーの男性は、おばあさんのいつもの参拝先繋がりの人で、息子さんの友人でもあるそうだが、この人もタミル系なのかどうかは言及されておらず、なぜここに出ているのかよくわからないが、たぶん「俺も写して」とかなんとかでしゃしゃり出て来たのだろう。インド・パキスタンではこういう人はよくいる。

    Tamil Community in Pakistan | Pakistani Tamilian in Karachi | Little Tamil Nadu in Pakistan (Youtube)

  • モーディー首相のホームタウンの眺め

    グジャラート州のワドナガル駅。モーディーが子供時代に父親を手伝ってチャーイを売っていたというティーストールは、ある意味聖地みたいなものらしく、彼の生い立ちを伝える本や雑誌などにもよく出てくる。

    駅でチャーイを売る子供が長じて首相になるという立身出世ストーリー、しかもお金にはクリーンなイメージと合わせて、インドの庶民の琴線に触れるのがよくわかる。

    たぶんこのティーストールを訪れたら、そんな気持ちが理解できるのではないかと思う。

    Vadnagar: The Modi memorabilia (INDIA TODAY)

  • ガチなアカーラー(道場)

    マハーラーシュトラ州のコールハープルのアカーラー(道場)を見学したことがあるが、ここは強豪を輩出する名門らしく、極めてガチなところだった。

    コロナ禍で寄附は減り、大会も開かれなくなるので賞金収入はなくなるわ、罹患者も増えるなどで、8ヶ月も休業していたそうだ。昔の安旅行者のドミよりもさらに狭苦しいところに詰め込まれての集団生活なので、クラスターでも起きれば全員道連れだろう。加えて2021年には洪水被害もあり、さんざんなコロナ禍だったらしい。

    もちろん今は活動を再開しているそうだ。近所の人たちも暇つぶしによく来ているし、見るからに強豪といった感じのペヘルワーンたちの取り組みも間近に見ることができるためお勧めである。

    あしたのジョーの丹下段平みたいな風情の親方がどっかり腰掛けて睨みを利かす中で、黙々と取り組みが進行していくストイックな空間だ。

    Before and after the July 2021 flood: a wrestling akhada in Maharashtra’s Kolhapur district (Youtube)

  • アカーラー(道場)

    アカーラー(道場)

    インドにはいろいろ見どころがあるが、早起きしたらアカーラー(道場)を見学するのが好きだ。アカーラーというのはインド式レスリング「クシティー」の道場。ペヘルワーン(レスラー)たちも様々で、道場によっては田舎から住み込みでやってきて頑張っている若者たちでいっぱいのガチなところもあれば、通いの青年たちもいる道場もあり、「クシティー」だけでなく、国際式のレスリングも同時にやっているところもある。

    また数は多くないが女性を受け入れている道場もある。デリーのチャンダギー・ラーム・アカーラーは、そんな中のひとつで、娘を連れて見学に行ったことがある。当時小学生だった娘は自分と同年代から始まって成人まで、様々な年代の女性たちが黙々と取り組みを行っている様子に目を丸くしていたことを思い出す。

    映画「Dangal」ではないが、こういうところから国際式に転向して五輪に出場したり、女子レスリングでも世界を舞台に活躍する選手たちを輩出している「クシティー」の世界。

    伝統的なのは、土というか砂地というかのリングで、文字通り泥だらけになって闘う男たち、それを厳しい眼差しで見ている威厳のある親方。リングに対して緩衝地帯やロープなどの安全装置もなく、コンクリートの柱や壁のある升の中での取り組みで、「頭打ったらどうするのか?」とハラハラしながら見学したりする。

    日本で言えば「相撲部屋」みたいな風情だが、小学生くらいの子供たちも練習に励んでいるアカーラーもあれば、各種スポンサーを得て「ガチ中のガチ」で、精鋭を集めて切磋琢磨しているアカーラーもある。こういう世界は、日本で今だに根強い「スポ根主義」と親和性が高いと思われるのだが、なぜかここにフォーカスを当てたドキュメンタリーなどは目にしたことがない。「ド根性インディア」とかなんとか題して、こういうところでガチで精進する若者たちのことを取り上げたら、けっこう評判になるのではないかと思うのだが。

    ガチのアカーラーの住み込みペヘルワーン(レスラー)たちになると、ゴリラみたいな体格をしているが、彼らの食生活はヴェジ。もちろん乳製品はふんだんに提供されるとともに、エネルギー源としてナッツ類はこれまた大量に与えられるそうだ。

    Youth of Varanasi do not like GYM | Kushti | Akhara | Varanasi Kushti (Youtube)

  • 北グジャラートのハヴェリー

    グジャラート州ケーダー地区のヴァソーという町のハヴェリー(屋敷)群がすごいらしい。こうした彫物はラージャスターン州だと石材だったりするが、グジャラートは地場産ではなく他地域からもたらされた木材というのも面白い。

    グジャラート州といえばカッチやサウラーシュトラのような西部、南部の湾岸地域、そして内陸部の旧藩王国地域がカラフルな伝統とバラエティに富んでいて評判だが、世界遺産に指定されているアーメダバードは言わずもがなの北グジャラートも素晴らしい。この州だけで、ひとつの国に相当する見どころに溢れている。

    Havelis of Vaso (Facebook)

  • ディーウ島

    ディーウ島

    グジャラート州先端に接するUT(連邦直轄地)のディーウ島。ちょうどマレー半島に接するシンガポールみたいな形をしているが1961年まではポルトガル領。

    昔訪れたときには、ディーウの小さな町にはポルトガル式のパン屋があり、コロニアル時代の建物がそのまま市街地を形成しており、店はずいぶん長い昼休みを取っているのも印象的だった。

    町の真ん中は、ラテンアメリカの多くの街がそうであるように、セントロ、町のヘソというか、公園としての機能を持つ広場で、その周辺を役所その他の公の施設やカトリックの聖堂が囲んでいるという具合で、インドではなくコスタリカとかエクアドルとか、そんなあたりの海沿いの田舎町に来たような思いがした。

    私が初めて訪問する少し前までは、同じくポルトガル領でともに歴史を重ねてきたゴアも合わせての連邦直轄地(1987年に旧ポ領の連邦直轄地から分離して州になった)であったためか、ディーウのセントロに面した港からゴア行きの定期船が出航していたらしい。

    これら旧ポルトガル領がインドに併合されるにあたり、これらの地域にポルトガルインド市民籍を持って公務に就いていた人などは、他のポルトガル領への職を斡旋してもらえたと聞く。ゴアやダマンなどもそうであったように、ディーウからもモザンビークに移住した人たちはけっこういたのだとか。(ご存知のとおり、その後モザンビークでも独立運動が起きて大変な目に遭ったらしい。)

    植民地時代の風情を残していたディーウだが、90年代半ばに再訪してみると、折しもインドの経済成長によるインドの人たちの観光ブームで、小さな町なかや周辺地域で大きな建設ラッシュが起きていることに驚いた。観光バブルで地価が上がり、町の人たちのかなりの部分は家や土地を売却して出ていき、外から投資家や観光関連業者、その下で働く労働者などが大挙して入ってきて、漁村、農村以外の人口は大きく入替っているというような話も耳にした。

    こうして動画で今のディーウを見ていると、片側2車線の見事な道路があったり、建物もインドの他の地域と変わらない眺めが映し出されていたりする。今再訪してみたらポルトガルのポの字も残ってないのでは?という気もしてくる。

    Diu City 4K Drive Tour – ASMR Ambience – Virtual Tour (Youtube)

  • BJPの神通力が及ぶ州、及ばない州

    こちらはインドにおけるBJPとそれがリードする政治アライアンスのNDA、これと対立する国民会議派とそれがリードするアライアンスのUPA、そしてその他地域政党支配州を含めた勢力分布図。

    Map of Ruling Parties in States of India (Maps of India)

    ラージャスターンについては今は国民会議派政権だが、BJPと拮抗しており、次の州議会選でどう転ぶかわからない。しかしチャッティースガル、ジャールカンドといった先住民が多い地域は、今でも国民会議派及びUPAの地盤だ。そのいっぽうで先住民同様に、本来は国民会議派の地盤であった北東州でのBJP勢力の浸透ぶりは目覚ましい。

    特徴的なのは、多民族国家のインドで、ひとつにまとまることが容易ではない先住民、少数民族地域での浸透にBJPが成功しているのとは裏腹に、地元民族主義的な志向が強い地域では、このBJPの浸透が容易ではないこと。西ベンガルしかり、オリッサしかり。そして南インドではカルナータカを除いて、テーランガーナー、AP、ケーララ、タミルナードゥの各州は、BJP、国民会議派の2大勢力にとって「圏外」だ。

    リンク先の図では、タミルナードゥは「NDA (BJP below 50%)と記されているが、同州の与党AIADMKはNDAに属しているため、そのような記述になっているものの、234議席中、BJPはわずか4議席。同州においてBJPの存在も発言力も無いに等しい。こうした地域について、BJPは浸透を図っているものの、今後も苦戦を続けることだろう。

    Why the BJP is focusing on the South to further the party’s footprint (INDIA TODAY)

    こうした地域でもBJPによるラリー(政治集会)は開かれるのだが、インド中部以北と違って、演台に立つBJPの大物の弁士による演説には通訳が付き、ひとしきり喋ってから現地語による訳が聴衆に伝えられ、反応を見つつ弁士は後を続け、といった具合。ときに通訳がうまく伝えられなくて右往左往というシーンも、稀ながらあるようだ。会議派のラーフル・ガーンディーの演説でそんなシーンがあり、Youtubeで拡散されたこともあった。

    そんな感じで距離感があるため、とりわけ南インドでは、現地の「反北インド」的な感情も少なくない中、BJPの浸透には、なかなか容易ではないものがある。